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台湾海峡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%B5%B7%E5%B3%A1

2011.02.10(Thu)JBプレス 谷口智彦

 急成長中の中国からはいろんな人が現れる。最近のびっくりは陳光標(Chen Guangbiao)なる人物だろう。

通りがかりの人たちに14億円をばらまいた中国の富豪!

こなた日本の伊達直人はあくまで匿名に徹しそのことを喜んでいるふうだけれど、あなた中国の陳光標は巨富をせっせとばらまいて、その派手なことといったら。

 中国で慈善家として既に盛名を欲しいままにしていたこの人は、1月26日、金持ち仲間を50人(90人との報もあり)ほど従えて台湾へ渡り、一大寄付イベントを敢行したり、通りがかりの貧乏そうな女をつかまえてはキャッシュを掴ませたりした。

 その額、実に14億円強!

 奥ゆかしい人らしく、裸で渡してもいいところ、あえて赤い封筒に入れ金一封にしたらしい。中国や一部アジアでこういう場合に使うのだというその赤い封筒が、糊で封をしてあったか、すぐ口が開けられるようになっていたかまでは、報道からは窺えない。

 その額がいくらくらいだったとか、ビル・ゲイツに挑戦を挑んでいる話だとかはすぐ後で触れるけれど、台湾でこの人、衝撃的なことを言った。

台湾中国本土を結ぶトンネルを造る!

 自分のカネすべてを捧げ、大陸中国台湾を結ぶトンネルを造る。造ってそこに新幹線を走らせる。中国の金満家有志たちよ、我に倣って寄付の隊列に入れ――と、そんな(少しパラフレイズして言うと)ことを呼びかけたのである。

 3つ、連想させられる。

 本当にトンネルができたとしたら?

 どこまでが彼個人の発意なのか。背後に北京の思惑などないのか?

 いったいぜんたい、そんな巨富を可能にする徴税制度ないしその不在は、台湾海峡にトンネルを掘るより前になんとかしないといけないことではないのだろうか?

慌てて調べてみると、台湾海峡にトンネルを通すプランは、主として大陸サイドで(さもありなん)長いこと議論のネタになっている。

長さは英仏海峡の3倍、しかも地震地帯!


中台海峡は英仏間より3倍ほど長い。地震地帯であることだし、工費がいくらになるか計算できない。だから無理だと通説は言う。

 けれども中国現今のガンホー精神に、向かう所敵なし。――できたら凄い。隧道(トンネル)建設はすぐ国威の表象にならないとは限らない。なんせ陳氏の台湾にて言うごとく「21世紀は中華民族の時代」であるからして。

 ちょっと虚を衝く着想ではある。世の中には想像すべくしてし切れないいろんな可能性があるものだと思わせるような。

 30年後には、ことによったらできているかもしれない。無論、そんな頃までに、台湾独立などは思うも愚かなこととなりおおせているわけだろう。

 すると台湾世論はこの先また分裂要素をひとつ、付け加えてしまう。「隧道派」、「反隧道派」に色分けされ、いずれかまたは双方に中国共産党がせっせと資金を注ぎ込み工作を図る・・・などという景色が出てくるのだろうか?

中国では知らぬ人のない有名人!!

 そして陳光標氏は旧正月(というより中華文明圏にはホントの正月)直前の台湾に訪れて、キャッシュ入り紅封筒をばらまくというほとんどヒトの尊厳を冒瀆するごとき仕業を平然これやってのけ、メディアの注目を一身に浴びるその機会にトンネル話を持ち出した。

 好機の演出に手腕を見出さざるを得ぬとして、そこに誰かの使嗾(しそう)によるか、または誰かの歓心を買おうとした動機、意図や背景はなかったのかどうか。

 自己宣伝を寄付と同等またはそれ以上の趣味とする陳氏が公開した映像その他を見るにつけ、全人代に出席していたり、胡錦濤温家宝といったお歴々と握手をしていたりする。

 どうやら中国では知らぬ人とてない有名人。まだ若いし、隧道発言には何がしか生臭い政治的意図が混入していると見るのがごく常識的解釈というものだろう。

さてその巨万の富とは。

 自身を紹介する自社ウェブサイトに曰く、これまで寄付した額は10億3400万元に上るという。邦貨にすると168億円くらいになる金額だ。

 中国国内にもその振る舞いに甲論乙駁がある。がともかく日本から見えにくかった超有名人であることに違いはなく(台湾では妻と息子を従えてテレサ・テンの墓所へ行き、カメラの前で号泣したりもしている)、好悪の感情を何かと喚起する話題の主である。

創業から10年もかからず数百億円の個人資産築く!


 1968年7月生まれというから今年43歳。建物解体の廃材再利用に目をつけ、江蘇黄埔再生資源利用有限公司(Jiangsu Huangpu Recycling Resources Co., Ltd)なる会社を興したのが2003年。

 それから10年と経たぬうち、何百億円(何千億円?)という個人資産を蓄えた。ちなみに非公開有限会社であるからして、ストックオプションなどというものは含まれていない。全部現金だろう。

 これって、あり?

 中国人が陳氏にインスピレーションを受けるとしたら、いまの中国、才覚さえあれば何をやったってのし上がれるというその一事からだろう。オレもワタシものし上がろう。それでもしかして、寄付して有名になるのもいいかも、と。

 伸び行く国、勢いある民族のスピリットがここにある、ナンというゴタクを並べてはいけない。制度の未完成ないし不備がそれこそ巨大なループホールをつくっている故の徒花と見るべきだろう。

 こういう御仁が増えれば増えるほど、そしてそんな人たちが党員になればなるほど、中国共産党は中国金満家党になり、あらまほしき改革などに手はつけられなくなる。

ビル・ゲイツとかのオマハの賢人ウォレン・バフェットという米国の2大巨頭が訪中し、金満家たちを集めたパーティを開いた時、昨年のことだが、招かれた陳氏は大いに発奮したらしく「死んだら全財産を慈善事業に捧げる」という旨書状にしたため、2人にあてた公開状とした。

 自社ウェブサイトに掲げてあるというから探してみたけれど、簡単には見つからない。

 「全部やるわ。すぐまた儲けられるから」というのがこの人の口癖らしく、台湾へ渡って「全部やる」対象を隧道に定めたことで、公開状の意味がなくなった。それでサイトから消去したというような事情があったのだろうか。

 草食系の読者にはもうたくさん、ゲップが出るくらいだろうからやめておくけれど、台湾北部、桃園県県民ホールで1月30日開いた式典で、陳氏とその同志たちは米ドル換算総額33万ドル以上になるキャッシュを寄付した。

1日でばらまいた金一封は8900万円
 滞在6日間で、実に1700万ドルをばらまいたという(米ドル換算、The Australian 2月2日付)。かたっぱしから手に握らせた金一封の紅封筒はある1日だけで3150通。台湾ドルで3150万ドル(邦貨換算8900万円強)になったとか(China Times 1月31日付)。

 「ほれ、持っておゆき」てなもんで、ホテルから出た出会いがしら、ぶつかった女が貧しげだったりすると手に握らせる。そんな1通には2400ドル(米ドルにして)が入っていたと、ウォールストリート・ジャーナルのブログ記事は伝えている。

 女は歓喜のあまり号泣したのだそうだが、封筒ばらまき作戦はさすが台湾当局の眉をひそめさせた。1人当たり国民所得にしたら台湾のそれは大陸中国の5倍はある。いくらなんでもと思ったのであろう、陳氏に話して途中でやめさせたそうだ。

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2011年2月10日 DIANMOND online 高橋洋一 [嘉悦大学教授]

 菅総理は並々ならぬ決意で、TPPを6月までにまとめると言った。同時に増税路線もいっているが、増税については、このコラムの第4回と第6回で述べたので、今回はTPPを取り上げたい。

 TPPの正式名称は、環太平洋戦略的経済連携協定(Trans‐Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)。シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの自由貿易協定(FTA)として2006年に発効し、その後、米国豪州ベトナムが参加するなどして、現在は計9ヵ国で枠組み作りに向けた交渉を行っている。

 モノやサービスはもちろん、政府調達や知的財産権なども対象とする包括的FTAで、原則として15年までにほぼ100%の関税撤廃を目指す。当然、農産物も例外ではない。

 TPPに対しては案の定、農業関係者は猛反発している。民主党では政治問題としても騒がしい。というのは、執行部対小沢一郎元代表の確執があるからだ。TPPに反対しているのは大半が小沢グループの面々。関税撤廃反対、農家の保護を大義名分に、小沢氏を排除する執行部を牽制しようという本音が透けて見える。

 そこでまず検討すべきは、TPP参加によって、国としてプラスになるのかどうかである。これは大学生レベルの経済学の良問だ。もちろん歴史的にも自由貿易が支持されてきたことの裏付けになる。

ある農産物の自由化前と自由化後の姿を考える!

 自由化対象になっているある農産物の生産・消費が、自由化後にどうなるか考えよう。

まず、その農産品に対して関税等の貿易制限がかかっているため海外からの輸入がなく、国内供給だけになる単純なケースを想定する。その場合、価格は図のP1、取引数量はQ1となる。このとき、P1より高い価格でも買おうとする消費者もいるが、P1で買えるので、そうした人にはこの状況は「お得」になっている。その「お得」は、三角形A・P1・E1で表される。これを「消費者余剰」という。

 一方、生産者にとってもP1より低い価格で出荷してもいいという者もいるが、P1で出荷できるので、そうした者にとっては「利益」になる。それらは、三角形P1・B・E1で表される。これを「生産者余剰」という。消費者余剰と生産者余剰の合計は、この農産品取引のメリットであり、三角形A・B・E1で表される。

 そこで、貿易制限を撤廃し貿易自由化を行うと、海外からの輸入が増えて、価格はP2まで下がり、取引数量はQ2まで増える。

 こうなると、価格低下のメリットによって、消費者余剰は、三角形A・P2・E2へと増える。貿易自由化前との差は、台形P1・P2・E2・E1である。この消費者余剰の増加分は、消費者が価格低下のメリットで財布に余裕ができた部分と考えられる。その余裕分は他の財サービスに購入に回され、その財サービス部分の所得を増加させるので、GDPを押し上げるとみてよい。

生産者余剰はやや複雑だ。国内生産者と海外生産者の合計では、三角形P2・C・E2となる。このうち国内生産者余剰は、三角形P2・B・Dになる。これは、貿易自由化前と比べて台形P1・P2・D・E1だけ海外製品の輸入に押されて縮小する。この国内生産者の生産余剰の縮小は、その生産者の所得減少になり、GDPを押し下げる。

 なお、海外生産者の生産者余剰は、三角形P2・C・E2から三角形P2・B・Dを除いた、四角形D・B・C・E2となる。

 貿易自由化によって、利益を受けるのは国内消費者と海外生産者であり、一方、被害を受けるのは国内生産者である。

消費者のメリットが生産者の被害を上回る!

 国内に限って言えば、利益を受けるのは国内消費者であり、その数は非常に多いので1人あたりの利益は小さいが、それらを合算した利益額は台形P1・P2・E2・E1になる。被害を受けるのは国内生産者であり、その数は少ないので1人あたりの被害は大きいが、その合算の被害額は台形P1・P2・D・E1である。

 このため、国内消費者はメリットをあまり実感できない一方で、国内生産者は被害を大きく実感できるので、政治問題が起こる。

 しかし、国内消費者の利益額の台形P1・P2・E2・E1は、国内生産者の損害額の台形P1・P2・D・E1より必ず大きい。ということは、国内生産者の被害は、国内消費者の利益額の一部で必ず穴埋めができることを意味している。仮に全部を穴埋めしても、国内消費者は貿易自由化の前より状況はよくなる。要するに、TPPでGDPは増加するのだ。

 しかも、以上は国内に限った話であるが、貿易自由化は相互主義なので、海外生産者が国内で受けた利益額の四角形D・B・C・E2に対応する利益額を日本の輸出業者も受けられる可能性がある。なお、食の安全や環境面の考慮をしても、供給曲線などに多少の修正は必要になるが、それでも上記の結論は大きく変わらず、貿易自由化のメリットを否定することはできない。

農水省経産省内閣府の試算がそれぞれ違うワケ!

 これらを理解しておけば、TPPに関して農水省経産省内閣府がそれぞれ出した効果試算がどうしてまちまちの数字なのかがわかるだろう。

 まず、農水省は、TPPで打撃を受ける農業を所管する役所だ。TPP参加は農業の被害というマイナスを主張するのが農水省の役目だ。そう言わなければ、省の存在すら否定されてしまう。

 それにマイナス効果となれば、いずれ補助金が必要になるはずという計算も働き、補助金を多く獲得するためにも、マイナス効果をできるだけ大きく主張する。かつてのコメ開放の際、農水省は5兆円の補助金をせしめたが、結局、コメの競争力は強化されなかった。カネのぶんどりだけでは、展望は開けない。

 農水省の試算によれば、関税完全撤廃によって農業生産額は年間4.1兆円減少し、関連産業への影響も含めるとGDPが7.9兆円減少するという。これは、おおざっぱに言えば、上の図での国内生産者の被害額である台形P1・P2・D・E1に対応する数字である。

 次に経産省経産省はTPPで恩恵を受ける産業界の利益代弁者だ。TPPの効果をできるだけ大きく見積もり、産業界に恩を売っておきたい。あわよくば、恩恵を受ける業界がシンクタンクでも作ってくれれば、自分たちに天下りポストが回ってくるかもしれない。

 ということで、TPPに参加すれば輸出額が約8兆円増加し、逆に不参加ならGDPが10.5兆円減少するとの試算を示した。これは、海外生産者が国内で受けた利益額の四角形D・B・C・E2に対応する、海外での利益額だろう。

 最後は内閣府農水省経産省に比較すれば、特定の利権をもたないので、霞ヶ関官庁の中では一番包括的な試算をしている。TPP参加により、GDPを2.4兆~3.2兆円(0.48~0.65%)押し上げるとの試算を公表している。

これは、おおざっぱに言えば、国内消費者の利益額の台形P1・P2・E2・E1から、国内生産者の被害額である台形P1・P2・D・E1を引いた金額に相当するだろう。ということは、農水省のいうように国内生産者の被害額が7.9兆円であれば、国内消費者の利益は10.3~11.1兆円になるだろう。

 政治的には、国内消費者の利益10.3~11.1兆円と海外での利益10.5兆円を合計した20.8~21.6兆円から、最大限7.9兆円(ただし、農水省の試算は補助金分取りのために過大になっている可能性がある!)を税金として徴収して、国内生産者に配分すればいい。その手法としては、戸別農家補償制度でもいい。しかし、いつまでも配分するわけにもいかないので、期限を切って行うことが望ましい。その時、国内生産者の事業転換や規模拡大等による生産性の向上が必要だ。

TPPによって日本の農業が壊滅することはない!

 そこで、TPPによって日本の農業が壊滅するかという素朴な疑問が生じる。図の分析は、極端に単純化されたもので、移送コストなどを無視しているが、現実的に考えれば、多少の価格差があるとしても、壊滅することはない。

 しかし、極端な価格差がある場合にはどうなるのか。それは、自由化の移行期間や為替レートなどを考えた場合の最終的な価格差等に依存する。移行期間が十分に長ければ、大規模農業を行うなどによって、生産性の向上が可能になって、壊滅することはない。

 また、これまでの20年間のように、通貨の過小供給になると円高傾向になる。為替レートは、通貨と他の通貨の量で大体決まり(マネタリーアプローチ)、円が過小供給であると円の希少性が高まって円高になるからだ。すると、輸入価格が下がり、国内生産業者は厳しい競争を強いられる。また、攻めの農業ということで輸出することも難しくなる。

 デフレを脱却するには、円を増やすことである(第1回コラム)が、それは、TPPによって日本の農業を壊滅させないためにも必要だ。

中国共産党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A


 

国家イベントのため強化されたネットメディア統制は解放されるのか?

2011年1月27日(木)日経ビジネス 加藤嘉一

初回コラムでは、中国社会のこれからを探る上で重要な役割を果たすであろうポイントを挙げた。共産党のガバナンス力(トップダウン、上からの抑え込み)とネットメディア――ブログや掲示板機能を持つポータルサイトなど――の普及(ボトムアップ、下からのうねり)のぶつかり合いである。共産党は数万人にも上るネット監視員を投入し、インターネット上の反体制的な言論を24時間体制で監視、削除している。監視システムを日増しに強化している。

 一方、4.5億人を超えたネットユーザーたちの活発で、相互的な議論は、自然発生的に拡大、深化している。前回コラムでは、特に「エリート」と呼ばれる中国の若者が、インターネットを通じて旺盛にインテリジェンスを展開している現状を紹介させていただいた。7000万人以上の党員を擁し、全国にネットワークを巡らす百戦錬磨の中国共産党にとっても脅威になる。中央政府はネット世論を「社会の安定を揺るがす不安要素」と認識し、神経を尖らせている。

 民主主義と言論の自由――あからさまに抑えられていること。日本人を含めた外国人が中国に対して「不気味、得体が知れない」と懐疑心を抱かせる「飛車角」的な存在である。言論・情報統制はそのシンボルタワーのようだ。

 今回コラムでは、ここ数年における当局の統制政策を、ネットメディア対策という側面から振り返る。読者のみなさんには、「中国共産党の情報・言論統制の内部ロジックとからくり」を理解していただければと思う。

北京五輪中国建国60周年を前にネットメディアの監視を強化!

 「ネットメディア環境に進展はあるのか?」

 2010年、メディア関係者や大学教授、シンクタンク研究者の間でこのテーマが話題になった。ネットメディアは世論に大きな影響を与えるようになり、自由度、開放度、民主度の進展を象徴するものになった。しかし2008年の北京五輪前から2009年の中国建国60周年記念にかけて、中央政府は監視規制を強化した。

 2008年の北京五輪前後、それまでアクセスできたユーチューブツイッター、フェースブックが突如ブロックされた。今でも一切のアクセスが禁止されている。当局による赤裸々な締め付けだ。

 昨今では、中国国産の“ツイッター”が立ち上がり、活発な議論が行われている。しかし、このサイトも当局の監視下にある。運営者は処罰を恐れ、自己規制に忙しい。「天安門事件」、「劉暁波」など敏感なキーワードは即座に削除する、削除される、という投稿者とのいたちごっこが続いている。

 2009年7月、新疆ウイグル自治区のウルムチ市で暴動事件が起きた。当局は建国60年を前にして、北京五輪前にウルムチで起きたテロ事件以上に警戒していた。中央宣伝部は8月下旬ころ、「新華社以外の原稿は使わないように」との指令をメディア各社に出している。

 有識者は「中国はここ数年で完全な警察国家に化した」と愚痴をこぼした。

 「インターネット世論への監視規制は2010年に緩和されたのか? 2011年以降はどうなのか?」という筆者の質問に対し、党の役人たちは「なんとも言えない」、「状況次第」、「政治常務委員次第」、「トップですら決定する権限を持たない」と答える。

 党の中でさえ統一見解はないのである。

 中国では4つの党・政府機関がネットメディアを監視する機能を果たしてきた。「国務院新聞弁公室ネット宣伝管理局」、「中共中央宣伝部輿論事情情報局」、「国務院新聞弁公室ネット研究センター輿論事情処」、「中共中央宣伝部ネット局」である。このほか、公安部や国家安全部も独自のネットメディア監視機能を備える。

基本的に「縦割り」であるため、省庁間における監視機能は重複せざるを得ない。中央宣伝部のある局長は「縦割りの監視状況をいかにコーディネートするかが今後の世論統制にとって極めて重要になる」と先日筆者に語った。

 

建国60周年前後に規制は最高潮に!

 統制が最も強かったのが建国60周年の記念式典前後である。中央政府の世論政策は、「マイナス面の報道があってはならない」の一点に尽きた。「北京五輪を経験しているみなさんは事情を正しく認識していると思う。各自自制し、的確な報道を徹底するように」と通達した。2010年に開催された上海万博、広州アジア大会の際も同様であった。

 「イベント期間中、一切のマイナス報道を禁止する」。

 不都合な報道があれば、事後厳しく処罰するということだ。新聞、雑誌、ウェブのメディア関係者たちは「プロパガンダ当局からはマイナス面の報道をしてはいけないと言われる。プラス面、肯定的意見、賛辞の報道をするしかない」と口をそろえて漏らしていた。


投稿者の実名登録を求める、メディアの記事の位置まで指定する

 世論対策を分析するうえで面白い動きがあった。国務院新聞弁公室、中央宣伝部は、建国60周年世論対策の一環として、2009年8月15日以降、ネットメディアに対して『ネットユーザーの実名登録制』を徹底するように指令を出した。

 近年、ネットメディアにおける書き込みが世論に与える影響が大きくなっている原因の1つに「匿名制」があったからだ。誰でも自由に書き込めて、責任は一切追及されない。

 指令によって、登録する際には、氏名、身分証番号などの入力が必須となった。「指令の内容は絶対保密を命じられていて、一切の公開・流出が禁じられている」とネットメディア関係者は言う。ただし実際は、適当な名前を入力し、けた数を満たした番号を入れれば登録・ログインが可能になっている。「形だけの対策だ」(ポータルサイト、ブログ担当編集者)。

 政府関係者は、実名登録制によってネット世論を完全に抑えられるとは全く思っていない。中央宣伝部の幹部は「適当な名前、IDによる登録も十分可能だ。書き込みしたユーザーの身元を識別することもほぼ不可能。手続きが複雑になったことで、書き込みの意欲を失うユーザーが多くなることはあるかもしれないが」と分析する。

 「実名登録制」の導入と合わせて、当局が「建国60周年世論対策」として実施したのが「ブログ、掲示板コンテンツ押さえ込み」だった。2009年9月以降、さまざまなウェブサイトのトップページ、あるいはヘッドラインから博客(ブログ)、論壇(掲示板)の項目がなくなった。あるいは、下のほうの目立たない位置に移動させられた。当局が、官製メディア以外のすべての商業ウェブメディアに課した指令である。

 ブログや掲示板には、反体制的な意見、政治的に不正確な言論もしばしば見られる。日本の2チャンネルのごとく、過激な言論が錯綜する。当局はすべてをコントロールできるわけではない。「安定第一」を最優先する当局は「これらの項目を目立たせない」、「読者にアクセスさせにくくする」というやり方で不安要素、リスクを抑えようとした。

 軍事パレードを含めた60周年記念イベント前後、すべてのネットメディアのトップページには『中華人民共和国建国60周年万歳』というスローガンが掲げられた。当局の仕業である。ほかのメディアコンテンツも含めて、内容・位置のほとんどを当局が決定した。イベント期間中、宣伝部からメディアに担当者が「出向」し、現場で直接指揮する光景すら見られた。


規制に反発し、罰金、左遷が相次ぐメディア業界!

 統制強化によって、身動きが取れなくなっているのがメディアである。すべてのネットメディアが「審査部」という特殊部門を設置し、反体制的な報道、言論を「自制」するよう努めている。後手に回って、当局に見つかって罰金を課されるよりは、一定のコストをかけても、事前にリスクを回避したほうが賢明というわけだ。

ただし、メディア側も唯々諾々と当局に従ってばかりいるわけではない。デスクたちは24時間体制で監視当局の担当者と戦っている。「このニュースはダメだ。すぐに削除しろ」、「先ほどXXで発生したYY事件は報道するな」などといった指令が下される。これらを握りつぶして数十万円規模の罰金は日常茶飯事。幹部の左遷も相次ぐ。

 メディア関係者の現状認識は監視サイドとは異なる。「2010年も規制が緩和されることはなかった。事件や問題別に緩めたり、引き締めたり、という状況はあったが、大きな趨勢としては間違いなく引き締め強化の方向に向かっている。言論の環境が多様化すればするほど、当局は規制を強化せざるを得ない。究極のジレンマだ。共産党の体制存続第一なんだから、他に選択肢はない」と大手新聞社の記者は見る。

 ここで記者が言う「言論の環境の多様化」は、中国において、「党機関メディア」と「都市報」、「ネットメディア」という3種のメディアが「三国志」のごとく、争いを繰り広げている状態を指す。「党機関メディア」は、党と政府とのプロパガンダ役を実際担っている《人民日報》、《新華社通信》、《中国中央電子台(CCTV)》など。「都市報」は新聞がメイン。各都市で発生する事件や社会問題など、市民に密着した情報を発信する。発信するプレイヤー、議論のプラットフォームが日増しに増えている。


ネットメディアが解放されるかは共産党のトップ次第!

 「押さえ込み政策」のネットメディアへの打撃は計り知れない。ネットメディアは、日を追うごとに世論、民意形成への影響力を増している。だが、基本的に取材権がなく、自らの記者を持たない。編集権しか持っていない。新聞やテレビなど既成の伝統メディアが取材し、掲載した内容をお金で買って「転載」しているにすぎない。掲載するニュースは各ネットメディア間で同質化する。必然的に、ブログか掲示板でしか差別化できない。

 業界では「互動商品(Interactive goods)」と呼ばれる。ブロガー、コメンテーター、コラムニストなどと読者がインタラクティブに自由に議論し合える唯一のプラットフォームである。

 2010年に入り、ブログや掲示板の自由度は少しばかり復活した。ブログが画面の上のほうに移され、アクセス数が増えた。ネット世論調査が積極的に行われ、書き込みも出来るようになっている。オピニオンリーダーと一般ユーザーが激論を交わし、世論を創造していくインタラクティブ・コミュニケーションも増えてきた。2011年1月現在でも続いている。

 ネットメディアの「十八番」であるブログや掲示板は、2011年以降自由に、開放的になっていくのだろうか。筆者が見る限り、中国共産党の最高意思決定機関である「中央政治局常務委員会」(常時9人しかいない。中国の政治システムで序列1位~9位を占める)による政策判断次第である。


共産党の政策は世論なしには語れない!?

 中国でも、「世論」が勃興している。政策に影響を与えるのだ。ポリシー・メーカーが民意の圧力に屈して、政策方針を変更することだってある。当然、日本との関係においても、である。

 2010年の旧正月、筆者は政治局常務委員を経験したことのある某政治家と、共産党の世論政策に関して徹底討論した。別れ際、彼が筆者に優しく語りかけた言葉が忘れられない。

 「確かに、中国には西側で言う民主主義や選挙制度は無い。共産党は人民の意志を無視して政策を進める権限を制度的に与えられている。しかし、実質的、あるいは結果的にはどうだろうか。加藤さん、中国に有権者たるものが存在しないと思ったら情勢を見誤る。大衆の間でうなぎ上りに台頭するインターネット上の世論は、365日・24時間、党の政策決定プロセスに影響を与えている。ときに、拉致されたような気分に襲われることさえあるんだよ」。

 読者のみなさんはこの言葉をどう受け止めるだろうか。

「封殺」されないための一線とは!

2011年2月3日(木)日経ビジネス 加藤嘉一

前回の「共産党の政策を『拉致』するネット世論のうねり」では、台頭するインターネット世論が共産党政権の政策決定プロセスに影響を与えている現状を紹介させていただいた。筆者が、読者のみなさんに最も伝えたかったのは、「中国にも世論・民意が存在する」という真実だった。

 日本の多くの方は、実感がわかないゆえに、「共産党が支配する国に世論もクソもあるか!?」と反射的に思っているだろう。しかし、世論・民意は存在する。中国のケースは稀なのかもしれない。民主主義・法治主義が確立していない社会であるにもかかわらず、世論・民意が時に、共産党の政策方針そのものを変更させてしまうほどの威力を持つ。


経済政策に対する厳しい批判!

 ネット上における政府批判は日常茶飯事となっている。経済政策に関しては、タブーはほとんど無い。

・インフレが行き過ぎている。物価の上昇は国民の購買力をはるかに超えるものになっている。
・国民1人当たりGDPの成長が、国全治のGDPの成長に追いついていない。
・国家の富が国民に分配されていない(国進民退)。
・不動産バブルがこのまま続くと中国経済は確実に崩壊する。
・人民元は一刻も早く切り上げるべきだ。元安は、いつまでも外需・輸出型成長に甘んじる口実になり、内需・消費型経済が育たない
・大学卒業生の6人に1人が就職できない状況は大きな社会不安につながる。
・経済政策は政府が決めるのではない、市場が決めるのだ。我が国では、党・政府が立てた政策を党自身が評価している。これでは、正しい評価はできない。第三者に監視させるなど、チェック&バランス機能を度入しないと話にならない。

 いずれも、経済政策の現状をクリティカルに語ったものである。知識人がこれらの言論を新聞・テレビなどの既成メディア、インターネットメディアなどで発信しても基本的に問題ない。最後のコメントは、「党の存在意義そのものに言及している」という点で若干グレーであるが、筆者の皮膚感覚では問題ない。


「公共知識分子」は“ねずみ小僧”――弱者に代わって問題を指摘!

 社会問題についても、政府批判の言論は相次ぐ。共産党内部の腐敗・汚職はターゲットになりやすい。地方の公安当局が不動産ディベロッパーと組んで、農民の土地を強制的に収用するなどの横行は、往々にして人民の手によって暴かれる。人民は公安局の門の前まで出向いて抗議しても効力が無いということを知っている。そこで、「ツイッターでつぶやいて、そこからムーブメントを起こそう」と考える。

農民や一般市民のツイッターに影響力はない。人気のあるツイッター利用者、例えば、文化人、メディア関係者、学者などに頼らざるを得ない。こうした「公共知識分子」と呼ばれる人たちは、常に弱者の見方である。常にウェブ上の動向に目を光らせている。フォロアー数が10万人、100万人を越えるような人間が、一般庶民からの苦情をフォローし、インタラクティブに議論し始める。結果として、当局が気づいて対応策を練る、というケースが多発している。

 筆者も中国ツイッターをやっている。20万というフォロアー数は中国では全然たいしたこと無いのであるが、先日日本の出版関係者に話したら、「20万!?」と驚かれた。ちなみに、フォロアー数ナンバーワンで「ツイッター女王」と呼ばれているのが、筆者も仲良くしている女優、姚晨だ。フォロアー数は500万を越える。最近では、地方公安部などがツイッターを持ち、進んで情報公開するケースも増えている。

 ツイッター上の議論には、当局も神経を尖らせている。24時間体制で監視し、必要に応じて削除する。場合によっては罰金(5万円、10万円、50万円など)、編集長左遷などという形で、ペナルティーを課す。


「封殺」の線引きを“心得る”!

 ここで確認しておきたいのであるが、ポータルサイトなどのウェブメディアはあくまでもプラットフォーム(中国語で「平台(ピンタイ)」)にすぎない。この場を利用し、政府批判の議論をリードするのが、ブロガー、ジャーナリスト、学者、文化人などで、そこに大衆が怒涛のごとく、ドミノ方式でコミットしていく。本コラムでは何度も提起しているが、中国のインターネット人口はすでに4.5億を超えている。2億人以上が携帯電話でインターネットにアクセスしている。

 プラットフォームを利用する側は当然、監視の隙間を狙って議論を進めようとする。ただ議論が行きすぎると、プラットフォームを提供する側のメディアは当局からお叱りを受ける。このため、自ら「審査部」を設け、自主的に「危ない言論」を削除する、という状況が存在する。

 「加藤さん、じゃあどんな言論が削除されて、どういう議論が巻き起こったときにメディアは罰金を取られるの?」。日本の読者からしばしば聞かれる質問だ。

 おっしゃる通り。まさにここがポイントである。筆者も日ごろから中国語で言論活動をしているが、「どこまでは言ってよくて、どこからは自主規制しよう」という線引きが、保身のために大切になってくる。

 なぜか。

 中国言論界には「封殺」という表現がある。行きすぎた発言をした人間に、一定期間、言論活動をさせない処罰である。やり方は至って簡単。プロパガンダを担当する党・政府当局が、各メディアに内部文書を出し、新聞・雑誌であれば「XXの文章は掲載しないように」と圧力を加える。テレビであれば「YYは出演させないように」、ポータルサイトであれば「ZZのブログをブロックし、アクセスさせないように」と指示を出す。

 仮に指示を守らない場合には、メディア側は罰金を受ける、場合によっては、メディア自体が当局によって倒産に追い込まれる。そんなリスクを取ってまで、党の政策に対抗するメディアは、今のところない。

 筆者のまわりで「封殺」された知識人は、北京大学の先輩を中心に、数知れない。彼らの多くが、「弱者を救わねば」、「社会を健全な方向に導かねば」、「自分が行動しなければならない」という責任感と、言論人・知識人としての「発信欲」を抑えきれずに、自滅してしまった。ノーベル平和賞を獲得した作家、劉暁波氏はその最高峰と言える。


「体制外」の批判は完全にアウト!

 中国には「体制内」・「体制外」という言葉がある。前者は、共産党が定めた原理原則を守って行動している、言い換えれば、エスタブリッシュメントされた世界で既得権益を持ち、そこに乗っかって生きている人たちだ。後者は、共産党による「統治」に「ノー」を叩きつける人たちである。仮に、作家であれば、世間では「反体制作家」というレッテルを貼られることになる。

「共産党の独裁的な統治方式では、国家の持続的発展は実現しない。社会の不公平・不公正は深刻になるばかりだ。一刻も早く民主化すべきである。国家主席は、国民の意思によって選ばれるべきだ。中国を救うのは選挙しかない。腐敗が蔓延する共産党へのチェック機能を果たす健全な野党が存在するべきだ。多党制に移行しなければならない」

 日本人のほとんどが反射的にこのフレーズに賛同するであろう。しかし、中国社会で、このような共産党による「統治」を否定する意見を発信したら――特にテレビや新聞など既成メディアにおいて――完全に「アウト」である。

 このフレーズが新聞や雑誌に載ることは99パーセントあり得ない。「編集部」というセンサーをパスすることは難しい。100%と言わないのは、中国社会には、自らの生命・家庭を犠牲にしてまで、党の体制・統治・政策を徹底批判し、かつ、ぶれない人間がいるからだ。

 では、仮に筆者がこのコメントをCCTV(中央電子台)の生中継の番組で発した場合、何が起こるであろうか。おそらく、テレビの画面が即効でブラックアウトとして、視聴者は見られなくなる。そして、筆者は相当長い間CCTVに出演させてもらえなくなるだろう。当局によって「封殺」されるに等しい。より世俗的に言えば、ブラック・リストに入れられてしまう、ということだ。

香港のフェニックステレビでさえ政府に妥協せざるを得ない

 筆者がコメンテーターを務める香港のフェニックステレビ(鳳凰衛視)は「党の指導」を直接受けない。監視されない。実質的に党のプロパガンダを担当しているCCTVに比べて党の政策にもクリティカルで、原則として、何でも報道することが可能だ。言論の自由が保障されている香港を拠点としているからだ。

 ただ、フェニックステレビと言えども、政府に妥協しなければならない場合が多い。同局の視聴者の90%以上は中国大陸にいる。当局によるモニタリングは香港では働かないが、大陸は常に監視している。大陸で画面がひんぱんにブラックアウトするようではビジネスにならない。より具体的に言えば、スポンサーが逃げてしまう。CMが入らなければ局がつぶれてしまう。

 仮にフェニックステレビが劉暁波氏のノーベル平和賞獲得を「中国に在住する中国人としては初の獲得。中国人の誇りだ。全国民で彼の快挙を祝おう」などと報道した場合、完全に「アウト」である。中国共産党が現体制を維持し、フェニックステレビが中国大陸を巨大なマーケットと認識するという前提に立つ限り、上記のように報道する可能性は、ゼロだ。フェニックスステレビがそこまでリスクを取ることはできない。読者や視聴者も、そんな報道ができないことは分かっている。

 情報を発信する側と発信される側の間に「暗黙の了解」、あるいは「阿吽の呼吸」が存在するのである。たとえ、心の中では、党の情報・言論統制がどれだけ非合理なものかを十分に認識していたとしても、だ。

 最後に、中国共産党にとって最大のタブーとは何であろうか? 読者のみなさんにも想像していただきたい。次回コラムでアンサーを提供する。

前回コラムで残した問いに答える!


2011年2月10日(木)日経ビジネス 加藤嘉一

 前回コラム「中国の世論:言って良いこと悪いこと」の末尾において、「昨今の中国共産党にとって最大のタブーとは何だろうか?」という問いかけをさせていただいた。これから公開するアンサーは、歴史の流れの中で言えば、最大かつ唯一のタブーかもしれない。

 読者の皆さんから色んな予測を事前にいただいた。現代中国を読み解くには、インタラクティブな議論が欠かせない。心から感謝の意を表したい。
 「反日のやりすぎ」
 「中国人民解放軍に対する批判」
 「文化大革命
 「天安門事件
 「共産党が政権を獲ったプロセスに対するいかなる疑問」
 どれも的を射た、鋭い指摘であった。

 多くの読者が深い見識の元で提起した、少なくとも暗示した「中国共産党の正統性を揺るがすような言論」という回答は、広義において全く正しい。前回コラムでも言及したが、中国の世論において、経済、社会を含めた個々の政策、事件に対するクリティカルな報道や言論は「言って良いこと」の範疇に入る。いっぽう、特に政治マターにおいて(民主化、法治主義、人権、選挙など)、共産党の存在意義そのものを否定するような直接的表現は「言って悪いこと」に属する。

 少し話しがそれるが、何が「言って良いこと」で何が「言って悪いこと」なのか、日ごろ中国の方とビジネスをされている方、これから中国市場に進出しようとお考えになっている方には、細心の注意を払っていただきたい。無神経な発言をすると、「あなたは中国人を馬鹿にしている」、「中国には中国の事情がある。自分よがりの、上から目線の発言は受け入れられない」などと受け止められかねない。「あなたとはビジネスはできない」、「中国社会、中国人を尊重しない人に用は無い」と突き放されてしまう。本末転倒となり、ビジネスをやっていく上で生産的でない。筆者は、ビジネスとは、利害と信頼の狭間でバランスを取っていくプロセスである、と勝手に解釈している。

 中国ビジネスにおいても、遅かれ早かれ、政治の話が必ず出てくる。「ビジネスの交渉現場で、政治の話になったらどう対処するか?」という問題に関しては回を改めたいが、ここで指摘したいのは、上記の「言って良いこと・悪いこと」の線引きは、一般の中国人とコミュニケーションをとる、あるいは、中国市場で戦っていくうえで、避けては通れないことなのである。


人民解放軍を批判することもできる!

 以下、読者の皆さまから頂いたアンサーを検証してみよう。
 「反日のやりすぎ」は確かに危ない言論である。しかし、「反日感情が高まっている」、「反日デモが全国各地で起きている」、「中国の若者の間で反日感情が高まっている。学生諸君が日ごろの学業や生活の中でたまったストレスが原因で、放っておくと、社会の安定に脅威を与える」などはオープンに議論できる。「反日問題は共産党の正統性と同義語である」と言わない限りは、問題ない。

 「中国人民解放軍への批判」。解放軍の存在意義そのものを否定したり批判したりするのはタブーであるが、軍事政策に対するクリティカルな言論、異なる意見は、議論可能な範囲だ。「航空母艦を持つべきかそうでないか」、「先日解放軍の手によってオープンされた第5世代双発型ステルス機J-20は本当に必要なのか」、「軍事費を毎年2けたペースで増強させるのは合理的か」、これらの問題は日々議論されている。

 以下のツッコミも全然セーフだ。「国民が教育もまともに受けられず、病院にすらまともに行けないのに、軍事費なんて二の次だ。解放軍はそもそも腐敗しきっている。私欲を肥やすことだけに関心のあるマネー泥棒だ!」。「中国が空母を持って、米国に対抗しようなんて100年早い。夢のまた夢だ。間違っている」。「J-20なんて、解放軍の面子、シンボリックな政治的存在にすぎない。実質的な意味は何も無い。それで中国人民が豊かになるのか」。

少なくとも、「人民解放軍への批判」そのものがタブーである、という事情は、存在しない。毛沢東が天下を取ったばかりのころ、大躍進文化大革命が進められていた時代には許されなかっただろうが。

 時代は変わった。


文化大革命の批判は当たり前!

 「文化大革命」はとっくに批判の対象になっている、というよりは、批判的な観点から語らない機関や人が、マイノリティーと化している。仮に「文化大革命は正しかった」などという見解を公式発表し、世論を煽ろうとする輩が出てくれば、国家安全部の手によって、即効で軟禁されるであろう。

 「毛沢東のやったことの7割は正しかった。ただ3割、特に晩年にやったことは、間違っていた」。これが共産党現政権の公式見解である。3割とは、言うまでもなく、「大躍進文化大革命という時代遅れも甚だしい政治運動を展開した結果、無数の生命が失われ、知識人は打倒された。間違ったイデオロギーが蔓延し、国家の発展が大きく後退した」ことを指す。もう一歩踏み込んで言えば、「文化大革命を賛美すること」はタブーに当たる。


答えは「天安門事件」!

 そろそろアンサー移ろう。答えは、「天安門事件」である。多くの読者は、「ああ、やっぱりね」と納得したか、「なあんだ、天安門事件か」と拍子抜けしたであろう。

 天安門事件は1989年4月、「中国民主化の星」と若者やインテリの間で期待されたリーダー、胡耀邦の死をきっかけに始まり、6月4日ピークに達した。このため中国人は天安門事件を「六・四事件」、あるいは略して「六・四」と呼ぶ。80年代後半に入り、インフレや格差の拡大など構造的な矛盾が浮き彫りとなり、社会の不満がたまっていた。さらに民衆の関心は、経済に加えて政治、つまり民主化にも広がっていた。

 北京大学の学生が中心となり、ここぞとばかり民主化を要求し始めた学生たちは、日々天安門広場に向かい、共産党に真っ向からぶつかった。デモは、連日百万人に上る規模だった。広場には、「打倒 鄧小平」のスローガンすら上がった。鄧小平は最終的に「解放軍を出動させ、学生の要求デモを暴力的に鎮圧する」ことを選択した。流血の悲劇が起こり、多くの命が失われた。

 天安門事件が「解決」した後、鄧小平は「若者を教育する方法が間違っていた」と反省。日本人にもお馴染みの、次期リーダー江沢民が登場し、愛国主義教育のキャンペーンにつながっていく。自由や民主化というグローバルスタンダードに則った価値観、統治形態ではなく、アヘン戦争以来、特に抗日戦争において、西側や日本がいかに非道徳的に中国を侵略したか、をより一層強調した。

 「強くならなければやられるんだ」

 「中国は弱かったから叩かれたんだ」

 若者の反骨精神を煽った。ナショナリズムによって国民と社会の団結力を強化する戦略を打ち出した。

行き過ぎたナショナリズムが、かえって共産党政権のガバナンスを苦しめることになる、という皮肉な結末を、当時の鄧小平や江沢民が予測していたかは分からない。ナショナリズムとガバナンスの関係については、後日、回を改めて議論させていただきたい。


「天安門」の文字は使えない、仕方なく触れるときは「政府風波」!

 「天安門事件」については、話題にすること自体が許されないのだ。中国大陸(香港、マカオ台湾は含まない)からグーグルにアクセスし、「天安門事件」と入力して検索すると、「このウェブサイトはご利用いただけません」の画面に無条件にシフトしてしまう。新聞やテレビなど公の場で、触れることも許されない。「天安門事件」と直接的な表現を用いた評論も、禁止されている。

 中国のインテリやジャーナリストたちはみな、お国の事情を理解している。「六・四事件が中国民主化プロセスに与えた影響」なんていう書籍は出版されない。「六・四徹底検証」などという特集を組むメディアはない。やった場合、確実に拘束される。中国に在住する中国人として初めてノーベル平和賞を獲得した劉暁波氏のように、「国家扇動罪」の名目で牢屋に放り込まれることは目に見えている。

 今、筆者の手元には、北京大学国際関係学院、学部2年生のときに使っていた『鄧小平理論と3つの代表重要思想概論』(中国人民大学出版社、第2版、2004年12月)という教材がある。教育部(日本の文部科学省に相当)の「社会科学研究及び思想政治工作局」が自ら検定したプロパガンダ用のテキストだ。

 講義名称は「鄧小平理論」、中国の大学では「政治課」と呼ばれ、必修科目となっている。筆者もほかの中国人学生同様、334ページ全内容を暗記し、96点で無事合格した。昨日のことのように覚えている。

 第10章「社会主義の外交戦略と政策」の第3節「国際情勢に対応するための指導方針」には、文脈上、どうしても天安門事件の存在に触れなければならない個所がある。どのように表現しているのか。引用してみよう。

 20世紀の80年代後半から90年代前半にかけて、ソ連が解体し、冷戦構造は瓦解した。中国はかつて社会主義陣営に属していた唯一の大国として、大きな外交的圧力に直面することになる。特に、1989年の春夏が交わるころに政治風波が起きた後、アメリカをはじめとする少数の西側諸国は中国に制裁と圧力を与え、孤立させることで、崩壊させようとした。(285ページ)

 このパラグラフが、天安門事件が発生した前後の、中国を取り巻く国際情勢を説明していることは一目瞭然である。しかし、「天安門事件」あるいは「六・四事件」という直接的な表現は使ってはならない。

 当局には指導方針がある。「どうしても言及しないと、前後のつじつまが合わないときに仕方なく使用する表現」(教育部幹部)が「政府風波」、と内々に規定しているのだ。共産党がトップダウンに課すこのロジックと政策は、青少年教育だけでなく、公開の学術研究やジャーナリズムにも適用される。


天安門事件が残した意味!

 繰り返すが、「天安門事件」に関しては、言葉を出すことそのものが禁じられている。この意味で、昨今の共産党政権にとっての最大、かつ唯一のタブーなのである。

 1989年、春夏が交わるころ勃発した「天安門事件」は、中国の民主化にとっての分水嶺だった。鄧小平という改革者は、学生たちの民主化要求デモを、軍を出動させ鎮圧した。この史実は、何を意味し、昨今の民主化プロセスにどう影響しているのだろうか。

 次回コラムで、引き続き、読者のみなさんと考えていきたい。

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