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【ゲスト】
学校法人 マリア国際幼稚園事務長
庄司 日出夫[しょうじ ひでお]
1948年、山形県生まれ。大学卒業後、東南アジアを中心に約10年間放浪。帰国後、富士北麓に移住し、日本で初の英語教育による幼稚園「マリア国際幼稚園」開園。国際観光連絡協議会初代会長も務めた。
私は常々、富士北麓の発展は「国際化」にあると考えています。富士山を仰ぎ、手つかずの自然が残っているこの地域には、現在も諸外国から多くの人が訪れます。ここを更にグレードの高い国際交流ゾーン、国際会議などが開催され、世界の要人が集うような地域にしたいのです。県議会でも再三にわたって国際コンベンション誘致促進策などを要望してきました。
確かに、富士北麓の未来は「国際化」がキーワードだと思います。グレードの高い国際交流ゾーンの形成は素晴らしいことです。課題はたくさんありますが、決して不可能なことだとは思いません。日本の象徴としての富士山があり、雄大な自然があり、空気はいい、観光もある。豊かな食材は地元にもあるし、新鮮な魚もすぐに手に入ります。これほど条件がそろっている場所は他にないのでは…。
世界の要人が羽田空港から短時間で移動して、到着したらそこには富士山があり、静かな環境の中で集中して会議ができるし、家族が同行してくればテーマパークで遊んだり、アフターコンベンションで何日間かスローツーリズムを楽しむこともできる。富士北麓は無限の可能性を秘めた地域だと思います。
私は、富士山は屏風のようなものだと考えています。問題は屏風の前に何を置くか、何をするかです。眺めているだけでは、ただの屏風でしかありませんが、その前で踊ればとてもいい舞台になります。しかし、地元の多くの人は踊り方を知らないのではないか、そう思うのです。今までいったい何をしてきたのかを検証し、これから何をしていかなければならないのかを真剣に考えていかなければなりません。
国際コンベンションは日本国内で年間2,8OO件ほど開催されているにもかかわらず、富士北麓での開催は年々減り、今は年に数件あればいいほどの有り様です。県も「富士北麓国際交流ゾーン構想連絡協議会」を立ち上げて取り組んでいますが、真剣に考えていかなければ、富士北麓の未来はないのではないかという危機感を持ちます。
地方の特色と関係のないような国際会議は、固定した場所で開催した方が効率的です。初期投資だけで済むので経済的にも大きなプラスです。しかし、仮に国際会議が富士北麓で固定的に開催されるとしても、住民意識、感覚がそれに応えられる状況にあるかといえば、かなり疑問です。国際会議に対する住民の関心はほとんどありませんし、情報もない。突然、町の中をいろいろな国の人が歩いているのに気づくくらいです。
そうですね。道を尋ねられても満足に答えることができない。通訳もほとんどいない。国際観光地とはいっても、国際感覚という点ではまだまだというのが実情です。
国際会議開催にとって重要な条件は、スタッフの質はもちろん、問われるのは「もてなしの質」です。上品で、教養があり、国際的なマナーが備わっていなければなりません。固定型の場合、何よりも大事なことは、何度来ても飽きない、また来たいと感じてもらうことです。不愉快なことは絶対にあってはなりません。これは一朝一夕にはできないことです。時間のかかる仕事です。
庄司
ほっとするんですよ。フィンランドでの国際会議はほとんど、ヘルシンキにあるヒルトンホテルで開催されるのですが、そこは町の中心から車で20分くらいの場所にあって、周辺がとてもいい環境です。湖があって、夕陽がとてもきれいで、散策路や品の良い別荘、それにテニスコートやゴルフ場もあって要人たちがジョギングをしていたりする。みな落ち着くのかな、と。要人ともなれば文化遺産なんかは見飽きている。むしろ何もないこと、何もないことの良さだと思います。静かな散策路、小鳥のさえずり、小動物や蝶を大切にしているような環境。大規模な施設をつくるのではなく、こういうコンセプトで地域をつくっていく必要があります。ひと昔前、国際会議といえば熱海でした。でも今、熱海で開催する人はいない。熱海は繁華街ばかり立派にして、人づくりをしなかったからです。その轍を踏まないことです。
http://www.shirakabekenichi.jp/
しらかべけんいち(白壁賢一)後援会「白友会」
〒401-0301 山梨県南都留郡富士河口湖町船津1505 TEL0555-73-3737 FAX0555-73-3757
一見普通の幼稚園だが、実はここ、英語で生活する幼稚園。挨拶から、授業の時間、お昼の時間からレクリエーションに至るまで、先生の会話は全て英語で行なわれている。
今回のドリームメーカー庄司さんは、世界に通用する国際人を育てたいと、独自のシステムで幼稚園を運営している人物。
しかし、この幼稚園が目指すのは、英語を話す事ではなく、あくまで国際社会に通用する人物を育てる事。
「興味と好奇心が教育の原動力」と語る庄司さんは、園児たちに生き生きと学んでもらう独自の教育システムを作り出した。なんとこの幼稚園には、時間割もカリキュラムもないのだ。
積極性のある人間を育て、将来、子供達を国際社会に通用する人物に育てる、その取り組みを紹介。
そんな庄司さんの次なる目標は、幼稚園という一教育機関に留まらず、社会を巻き込んだ教育環境の設立。その名も国際教育村。
『教育は社会が作る』という信念のもと、幼稚園に加え、英語小学校の設立、そしてそれを中心とした社会=村までをも作る計画。
世界中から観光客が集まる富士山。その麓から、国際人を育てる新たな教育システムを作り上げようと、日々奮闘する庄司さんに密着します。
2011年2月 7日 アドバンスニュース
戦後教育と事実に大きなギャップ!
戦後66年。日本の人口の8割近くが太平洋戦争の後に生まれ、戦争体験の「風化」が進んでいる。多くの日本人にとって、国外で戦死した兵隊の遺骨収集は報道を通じて知る程度だ。だから、それを10年近く続けている若い女性フリーキャスター、佐波優子さんの存在が光る。佐波さんに遺骨収集にかける熱い思いを聞いた。(経済ジャーナリスト 本間俊典)
―― 佐波さんは現在、衛星放送「日本文化チャンネル桜」のキャスターを務めるかたわら、芸能プロダクション・オスカーに登録してイベントなどの司会、モデル業もこなしています。加えて約10年にわたり、東南アジアなどで戦死した日本軍人らの遺骨収集活動に参加されています。この行動力の源泉はなんですか。
佐波 明確には自分でもわかりません。父親は教職員で、しつけには厳しかったですが、どこにもある普通の家庭で、私もどこにもいる普通の子供でした。
ただ、スカウトされて高校時代からテレビのステージに出るようになり、大学に入ってオスカーのオーデションを受けて入ったこともあって、働くことへの抵抗感はありませんでした。
高校を出て大学へ入る前の1年間、新聞販売所に住み込みで新聞配達をしたこともあります。勉強もでき、とても良い経験になりました。
オスカーではナレーター部に所属して、イベントのナレーションや司会などをしています。オスカーの指示でイベント現場へ派遣される派遣スタッフのようなものです。
09年からは「日本文化チャンネル桜」で番組を担当させていただいております。
―― 学生時代から、戦争についてなにか勉強してきたのですか。
佐波 それが、まったくしていませんでした。というか、戦争について学校で教わったことは、「日本はアジアに侵略戦争を仕掛けた悪い国だった」「日本軍は現地の人々をたくさん殺すという残虐なことをした」といった程度で、私も頭からそれを信じていました。
そうした「戦後教育」がいかに一方的で、偏った見方なのか、後でわかったのですが。逆にいえば、そうした教育と事実のギャップがあまりに大きかったことが、戦争に対する私の意識を高める要因になったのかもしれません。その直接的なきっかけになったのは、靖国神社でのボランティア活動でした。
(次回に続く)
ロシア・ザバイカル地方での遺骨収集
「私たちを守ってくれた」軍人の遺骨収集!
―― 靖国神社のボランティア活動は、どんないきさつで行ったのですか。
佐波 大学在学中に教員免許の取得と並行して、様々なボランティア活動を行っていました。その一環で靖国へ行こうと友人に誘われました。仕事は境内の掃除などです。
靖国では、「戦死者の遺書を読む会」という勉強会も開かれていて、ある日、「これも勉強」と思って参加しました。そこで大変なショックを受けたのです。私が読んだ人の遺書には、自分は家族を守るために出征すること、自分を礎にして生まれてくる子供たちを思えば、戦死しても嘆くに当たらないことが切々と書かれていました。
日本軍は悪いことをしたはずなのに、なぜ家族を、未来の子供たちを守るために死んでいったのか。学校で教わったこととまったく違う「戦争」がそこにありました。それも、私とほぼ同じ年齢の若者が、私を含む未来の子供たちを思って死んでいった。もう、なにがなんだかわからなくなりました。
―― それが遺骨収集につながったのですね。
佐波 靖国の勉強会に出るうちに、政府事業で海外の戦没兵の遺骨収集作業があることを聞き、それに応募しました。私たちを守るために死んでいった人々の遺骨が、まだ埋もれたままになっていることに我慢できませんでした。
最初に行ったのは、01年11月、ミャンマーのインパール作戦(注1)で亡くなった方々の収集です。この時は残念ながら、地面を掘っても掘っても遺骨との対面はかないませんでした。
以来、09年11月のフィリピンまで、硫黄島など10カ所に出かけました。蒙古にあるノモンハン事件(注2)の現場では、土の中から旧ソ連の戦車が出てきて、それにしがみついたままの頭部のない日本兵の遺骨を収集しました。まるで、土の中に戦闘状態のまま時間が止まっていたような感じを受けました。
先の大戦では軍人軍属の約240万人が戦地で亡くなりましたが、まだ115万人ほどの遺骨が残されたままだそうです。私たちを守ってくれた方々の遺骨を収集することで、せめてもの感謝の気持ちをお伝えしたいので、これからも続けるつもりです。
(次回に続く)
戦没者に「感謝の念」忘れず、後代に引き継ぐ!
佐波 9年間、遺骨収集のお手伝いを続けるうちに、先の戦争に対してさまざまな意見、見方のあることがわかってきました。およそ、学校で習ったような「戦軍=軍国主義」として全否定されるべきものではなかったのです。
そこで、「祖父たちの戦争体験をお聞きする孫の会」「シベリア抑留の真実を学ぶ会」といった勉強会を立ち上げて、代表を務めています。
戦後も66年目になると、戦争体験を語れる方々は本当に少なくなっています。この方々のお話をできる限り聞き取って、資料として残したい、戦争体験を風化させない。それが、「守ってもらった」後世の私たちの仕事ではないか。そんな気持ちでやっています。
これらの活動を書いた論文「大東亜戦争を戦った全ての日本軍将兵の方々に感謝を~9年間の遺骨収集を通じて感じたもの~」で、第3回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞をいただきました。
これを励みに、「戦後問題ジャーナリスト」としての活動を深めたいと思っているところです。それにしても、世の中の仕組みを知らな過ぎる。で、政治経済を学ぶため、昨年は予備校に通い、高校時代より勉強しました。あの時にもっと勉強しておけばよかった、と後悔しながらですが(笑)。
―― 自衛隊の入隊試験を受けたのは?
佐波 自分自身の手で国を守りたいと思ったからです。同時に、災害時の派遣要員として、スタンバイしようという気持ちもありました。2010年に陸上自衛隊予備自衛官・二等陸士・普通科小銃手の資格をいただきました。普段は本来の仕事をしていて、「有事」に駆け付ける役割です。
ただ、この資格を取るのはかなり大変で、訓練に延べ50日を要します。資格取得後も年に5日間の訓練が義務付けられています。
訓練に参加してわかったことですが、参加者の中にはいわゆるニート、フリーターの男性もいて、厳しい訓練を通じて自分を見つめ直そうとしている人もいました。私にとっても大変な勉強になりました。
―― 今後の抱負を聞かせてください。
佐波 これまでの活動を通じて感じたことは、先の大戦をただ否定するだけでなく、そこから現代の私たちは多くのことを学びとらなければならない、と思います。それは、あれが「侵略戦争」だったと考えている人でも、同じことではないでしょうか。決して風化させてはなりません。
私の場合は、戦死した日本兵の方々にまず感謝し、それを私の後の世代に伝え、遺骨収集を継続すること。微力ですが、それに全力を尽くします。執筆活動のほか、講演会が年30回ほどありますが、そうした機会にも情報発信していくつもりです。 (おわり)
佐波優子(さなみ・ゆうこ)1979年、埼玉県出身。桐朋芸術短期大学卒業。フリーアナウンサー、戦後問題ジャーナリスト。日本文化チャンネル桜「桜プロジェクト」キャスター。2001年、ミャンマーで戦死した日本軍将兵の遺骨収集に参加。以後9年にわたり、フィリピン、硫黄島など10カ所の戦跡で遺骨収集しながら、日本各地で収集の大切さを訴える講演会を行っている。「祖父たちの戦争体験をお聞きする孫の会」「シベリア抑留の真実を学ぶ会」を設立、元将兵と若い世代との交流会を開催。10年、予備自衛官二等陸士・普通科小銃手に任用。同年、アパグループ主催「真の近現代史観懸賞論文」で最優秀藤誠志賞を受賞。
X-47Bは、国防産業大手、ノースロップ・グラマン社が、米海軍の発注を受け2005年から本格的な開発に着手した。
2月4日、カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で29分間、高度1500メートルまで上昇、初の試験飛行に成功した。13年に実際の空母を使った離着陸テストの実施を目指し、将来は日本を拠点にする米第7艦隊の空母打撃群に配備する。
機体はレーダーに捕捉されにくいステルス性。空間の限られた空母甲板でスペースをとらないよう尾翼がないのが特徴だ。
米誌アビエーション・ウィークによると、同機はASBMの発射段階迎撃(BPI)システムを採用。ミサイル発射直後に熱源を捕捉して発射場所を探知、レーザー光線や高出力マイクロ波で破壊する。
米軍は地上から遠隔操作する高々度無人偵察機「グローバルホーク」をアフガン戦争で運用中だが、X-47Bは事前に飛行方法や経路をコンピューターで入力させた後、遠隔操作をしない「自律飛行型」だ。
X-47Bが攻撃対象として想定しているのは、中国が開発中のASBM「東風21」だ。米戦略予算評価センター(CSBA)によると、東風21は射程約2130キロ。中国沿岸部から発射した場合、沖縄を含む日本全土とグアム西方海域までを射程とし、西太平洋に展開する米第7艦隊の大きな脅威となる。
だが、X-47Bが実戦配備されれば、米空母は東風21の射程外から中国沿岸部を攻撃できる。「接近阻止戦略」の形骸化とミサイルの無力化を図ることで、この地域における米軍優位の維持を目指す。
また、高度1万8千メートルから560キロ先を偵察できるグローバルホークもすでにグアム基地に配備されており、無人偵察機による高々度偵察と遠距離からの対地攻撃が可能となる。
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魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!