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2011年2月24日 DIAMOND online  上杉隆 [ジャーナリスト]
 
気になるのは石原伸晃自民党幹事長によるリークの意図だ !
 
  三月の暦が近づいてきて東京都知事選が俄然、盛り上がりを見せてきた。
 
 なにしろ予算総額12兆円、職員数17万人、人口800万人を超えるスーパー自治体のトップを決める日本最大の選挙だ。
 しかも大阪府や愛知県のように政令指定都市を持たないことから権限そのものも強大になっている。
 GDP換算でも世界のトップレベルに入るほどの「大国・東京都」、いよいよ本番に突入だ。
 4年ごとになるが、筆者は都知事選について毎回「週刊文春」でレポートを発表している。今回で3回目。鳩山邦夫秘書として戦った99年を含めると4回目の都知事選となる。
 きょう発売の「週刊文春」が第二弾になるのだが、その校了直前、次のようなニュースが飛び込んできた。

長く都政を見ている者には
「合点の行く話」

〈東京都の石原慎太郎知事(78)が、4月の都知事選に出馬しないことが22日、分かった。長男で自民党石原伸晃都連会長らが支援者らに伝えた。石原知事 らは後継候補として、神奈川県の松沢成文知事の擁立を進めている。自民党都連は石原知事への出馬要請に向け準備を進めていたが、戦略の練り直しを迫られている。候補者選びに難航する民主党へも影響しそうだ〉(産経新聞ウェブ版2011.2.22 16:02)
 
 隣県の松沢神奈川県知事が石原都政の後継?
 
 きっと読者の多くはそう思い、このニュースがいかにも唐突に感じられるだろう。
 だが、12年間都政を見ている者からすれば、そうでもない。「ああ、なるほど」と合点の行く話なのである。
 
それは、このスクープ記事を執筆した産経新聞の石元悠生記者も同様だ。都政最長の社会部記者であるからこそ書けた記事なのである。
 結論からいえば、これは首都圏構想の始まりにすぎない。

2007年に「初代首都圏知事就任を目指す」
とぶち上げた松沢神奈川県知事

 ちょうど10年前(2001年)、石原慎太郎都知事が打ち出したのが、最大の政策こそが「首都圏メガロポリス構想」だ。2001年に石原知事が発表したその構想は次の通りである。
〈東京都では、首都機能を担う首都圏メガロポリス※の整備の方向性を示す「首都圏メガロポリス構想」を策定しました。
 
  首都圏メガロポリスは、イギリス一国に匹敵する生産力を持つ世界最大の都市圏です。しかし、現在、経済の低迷、自動車による大気汚染、首都移転問題など様々な危機に直面しており、七都県市の連携により首都圏メガロポリスの再生を図ることが不可欠です。
 
このため、本構想を策定し、都民をはじめ広く国民や国及び首都圏メガロポリスの行政主体に対し提唱することにより、首都圏メガロポリスの再生に向けた七都県市による将来整備構想の確立と、共同の戦略的取り組みの展開の契機となることを目指すものです。
※七都県市(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・横浜市・川崎市・千葉市)のおおむね首都圏中央連絡道路に囲まれた区域〉(東京都都市整備局HPより)
 
 2003年、松沢神奈川県知事、上田きよし埼玉県知事が誕生することで、この構想の動きが加速する。中田宏横浜市長も同調し、現実味を帯びてくる。成田空港を抱え反対に回った千葉県の堂本暁子知事を除けば、その時点で環境はずいぶんと整っていたのだ。
 さらに2007年の地方選挙では、4選禁止を打ち出し、トリプルスコアで勝利した松沢神奈川県知事が「初代首都圏知事就任を目指す」とぶち上げた。
 この年の選挙では、石原、松沢、上田の3知事がお互いの選挙応援に駆けつけるという姿もたびたび見られた。
 
そして、今回、いよいよ首都圏知事に向けて動き出したというのが、都知事選取材をしてきた者の感想なのである。
 
 首都圏構想によって何が可能か。その狙いは前出の東京都HPに10年前から掲載されている。
<・首都圏メガロポリス再生に向けた、目指すべき「21世紀の首都像」とその実現を図る「圏域づくり戦略」を明らかにしました。

 ・「圏域づくり戦略」は、首都圏メガロポリスの約3,300万人の集積のメリットを生かす「環状メガロポリス構造の構築」と圏域の一体的機能発揮を実現する「広域連携戦略の展開」により構成されます。
 
 ・七都県市が共同して取り組むべ広域連携戦略として、交通、防災、環境など13の課題ごとに個別の具体的連携戦略を明らかにしました。
 
 ・首都圏メガロポリスにおいて、基本的インフラが完成したときの整備効果について、シミュレーションを行い把握しました〉(東京都都市整備局HPより)
 
 この構想を胸に、おそらく石原都知事、松沢県知事は連携していたのだろう。それが今回の「松沢後継指名報道」の真相だ。
 
 だが今回、その構想が漏れた時期が少し早すぎたようだ。
 
 それは石原伸晃自民党幹事長のリークによるものだが、果たしてその意図は。
 単に、父親の首都圏構想を理解せずに口が軽かっただけか、あるいは「松沢つぶし」のためにそうしたのか。今後、取材していこうと思う。
 
首都圏メガロポリス構想
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2011年02月21日(月) 週刊現代
 
前原誠司民主党一、危険な男だ。思いついたことをすぐ口にし、その都度、周囲は混乱する。だが、いつの間にか本人だけは火事場から抜け出している。火をつけ、逃げる男—それ大丈夫なのか?

 

そして前原が残った。

 二十数年前、神奈川県茅ヶ崎市にある松下政経塾の寮で、ユーミン(松任谷由実)の『リフレインが叫んでる』を、その歌詞にもある通り、何度も何度も、テープが擦り切れるほど聞き続ける青年がいた。

 いつもTシャツにトレパン姿で寮内をうろついていたという、この多感で熱血漢の青年は、数年後に政界へ進出する。紆余曲折を経て、'09年に鳩山由紀夫政権が誕生した際には国交相に就任。続いて翌年には菅直人政権で、戦後史上最年少の外相にも就任した。
 いわずと知れた、前原誠司氏(48歳)である。
 最近、永田町で前原氏への注目が急速に高まりつつある。言行不一致、無軌道、無展望の菅首相のダメっぷりが尋常ではないため、ほとんどの政界関係者が、「菅政権はもうすぐ潰れる」と確信を深めている。そして、菅首相が倒れた場合、「次期総理」の一番候補と目されているのが、前原氏だ。
「2月6日の愛知県知事選、名古屋市長選の大惨敗で、菅政権が存続する可能性はゼロに等しくなりました。いま党内では、自分たちのことを〝絶滅危惧種〟と呼ぶジョークが流行っています。このままだと4月の統一地方選にまた惨敗し、その後の衆院選で完全に壊滅して、地上から消え去る運命だと自嘲しているんですよ」
(民主党中堅代議士)
 
燎原の火のごとく広がる「菅はもうダメだ」という声。やはり、総理レースの有力候補だった岡田克也幹事長は、度重なる選挙の敗北と、「小沢問題」への対応の不手際を糾弾され、求心力をすっかり失った。
 鳩山、菅、小沢、そして岡田・・・。歴代の民主党代表経験者は、この1年半の間に、国家を背負う器ではないことを露呈してしまった。そして、最後の代表経験者として、約15歳若い前原氏だけが残った。
 とは言え、前原氏もかつては、'06年の「偽メール事件」で引責辞任するなど、いったんはリーダーの資質に疑問符が付いた立場。また、閣僚になってからも、「八ッ場ダム問題」「JAL再建」「尖閣衝突事件」などにおける対応は、すべて中途半端でお世辞にも褒められたものではない。
 果たして、このまま前原氏は総理大臣になるのか。なっていいのか。このニッポンを任せるに足る人物なのだろうか。

 

キレやすいオタク

 もはや民主党の〝最終兵器〟と言われる前原氏は、1962年、京都市左京区の生まれ。両親は鳥取県境港市の出身で、父・博氏は京都家庭裁判所に就職し、総務課庶務係長を務めていた。
 しかし前原氏が中学2年生の時、父親が島根県の鉄道踏切で飛び込み自殺。以後は母子家庭となり、奨学金をもらいながら、京都教育大附属高、京都大学法学部を卒業した。
 家族の不幸はあったにせよ、学歴的にはかなりのエリートコース。ただ、前原氏本人曰く、「当時の共通一次試験で1000点満点のところ、770点しか取れなかった」ため、1年間の浪人生活を余儀なくされている。また、大学卒業もスムーズにはいかず、
「本当は松下政経塾の7期('86年入塾)になるはずが、語学の単位を落として留年してしまい、翌年、再度受験しなおして8期生になった」(松下政経塾出身者)
のだという。
 意外と回り道をしながら、ようやく辿りついた政治家への登竜門。恩師・高坂正堯教授から、「外交官は京大出身じゃ偉くなれないし、学者になれるほど頭はよくない」と言われ、政治家になることを勧められた・・・というエピソードは有名だ。
 松下政経塾に入った前原氏は、この頃から「リーダー」としての片鱗を見せていたという。政経塾同期でもある、民主党の勝又恒一郎代議士はこう語る。
 
「前原は、当時から政策を語るのが好きだったけど、それよりむしろ、団体行動を重要視していた。メシを食べる時も、『皆で一緒にちゃんと食べよう』と言ったり、『朝のラジオ体操はみんなでやろう』と呼びかけたり。塾の決まりごとでも、サボる人はいる。でも前原は『ちゃんとやらなきゃ』と注意する。やはり同期の玄葉(光一郎国家戦略相)なんて、前原と違ってマイペースで『寝る時は、寝る』って感じだったからね」
 負けん気の強さも際立っていた。松下政経塾では、入塾1年目に「100Ɠ行軍」というイベントがある。深夜に塾を出発し、24時間以内に三浦半島を一周し、戻ってくる。相当なスパルタ的苦行だが、前原氏はぶっちぎりのトップで戻ってきて、当時の最速記録保持者だったという。
 同時にまた、とにかくなんでも「こだわる」性格だったようだ。
「夜になると、寝静まった寮の中に、前原さんが聞いている『リフレインが叫んでる』が流れていたのを思い出します。本当にしょっちゅう聞いていて、よく飽きないもんだ、と。年末になると山下達郎の『クリスマス・イブ』も繰り返し流れていたなあ。とにかく同じ曲を、ずーっと聞いてました」(前出・政経塾出身者)
 前原氏は熱心な鉄道ファンとして知られ、「現役で走っているSLが見られるから」と言って、愛妻・愛里さんとの新婚旅行を北海道にしたという筋金入り。要するに「オタク」だ。こういう部分は、青年時代から変わっていないのだろう。
 プライドが高く、少し口うるさいが、面倒見がよい学級委員タイプで、凝り性の努力家。そんな前原青年の姿が浮かび上がって来るが、同時に、若い頃から短気なところがあり、ふとしたことで「キレる」こともしばしばだったという。
「塾生時代、4人部屋にテレビが1台しかなくて、僕らは巨人戦の中継を見ていました。すると前原が突然、『阪神じゃないとあかん! いつまで見とるんや!!』と怒りだして。なんでそんなことで、ここまで怒られないといかんのか、わからなかった。要するに、熱いやつなんですよ。納得できないと、とにかくガーッといく」(前出・勝又氏)
 熱い・・・で済めばいいが、国会どころか閣議でもカッとなって騒ぐため、「子ども大臣」と揶揄されてもいる。
「秘書が間違ったパンを買って来たら、キレて投げつけた、という噂もあります。地元で党員から意に沿わぬ質問を受け、支持者の一人だというのに『ああっ!?』と凄んだりもする。かなり短気なのは間違いありません」(民主党若手代議士)
 ある時、議員会館の喫茶店で前原氏がコーヒーを注文すると、間違って紅茶が出てきた。普通なら「違う」とひとこと言えば済むところ、前原氏は激怒し、「商売をするつもりがないんだ」と理屈をこね、代金を支払わずに店を出て行ったという(直後に慌てて秘書が支払いに行った)。

 

いつも尻すぼみ

 ともあれ'91年に松下政経塾を卒塾した前原氏は、同年、京都府議会選挙に立候補し、当選。さらに翌年、日本新党に加わり、'93年、同党公認で衆院議員に初当選を果たした。
 
 
このトントン拍子のサクセス・ストーリーの背景には、前原氏自身の「野心」があった、と話すのは、元京都府議の一人だ。
「もともと前原さんは、自民党から府議に出ようとしたが、彼が出たがった左京区が空いていなくて、仕方なく無所属で出馬して当選した。当時、自民党府連では、『他の選挙区なら公認する』と言ったのですが、すでに国政を視野に入れていた前原さんは、『人口が多い左京区でないとダメだ』と、断ったのです」
 結局はこの判断が効を奏し、前原氏は直後の新党ブームの波に上手く乗り、出世街道を驀進していく。ただ、その頃から今に続く、「変わり身が早い」という評判が出始めている。
「彼は細川(護煕)さんの名前を利用して国政に進出できたのですが、その後に細川政権が倒れると、さっさと恩人を見限って日本新党を去った。細川さんの奥さんは、『恩を仇で返す薄情な男』と、カンカンに怒っていましたよ」(同元府議)
 建設中止を高らかに宣言しながら、そのままうやむやになった八ッ場ダム。中国船の行為に激怒し、船長逮捕を「オレがやった」と誇らしげに語っていたのに、中国側が強硬姿勢を見せると、途端に尻すぼみになった尖閣沖での船舶衝突事件・・・。
「本当にこの人についていって大丈夫なのか?」
 周囲に不安や不信感を与えてしまうのは、大きなマイナスポイントだ。
「思い込みでどちらの方向に暴走するかわからないから、見ていて非常に危うい。だから、彼の後ろ盾である仙谷氏すら『前原はまだ早いかもしれん』と頭を悩ませ、野田佳彦財務相らに『中継ぎ』させる選択肢も捨てていない。前原氏は一歩間違えれば党や政権が吹き飛びかねない、〝人間爆弾〟のようなもの。もし政権を取っても、おそらく3ヵ月もたない」(ベテラン議員)
 こんな前原氏の負の側面が、全部出てしまったのが'06年の「偽メール事件」だ。
 当時、ライブドア堀江貴文元社長が、昵懇の仲だと取り沙汰された自民党武部勤元幹事長の息子を通じ、武部氏サイドに裏ガネを提供したのではないか、という噂が持ち上がった。確認
 しかし、その証拠とされたメールは〝偽物〟だった。民主党の代表に出世していた前原氏は辞任に追い込まれ、激しく非難された。
「あの頃、党内からも『メールの真偽をしっかり調査したほうがいい』という声がかなり強く上がっていた。でも前原氏は『引くつもりは毛頭ない』と、まったく聞く耳を持たなかった。偏狭さが、彼の致命的欠陥だ」
(民主党幹部)
 
偽メール事件では、追及の主役だった民主党の永田寿康元代議士が議員辞職を余儀なくされ、やがて永田氏は、自ら命を絶った。民主党内では、あの事件がいまだに尾を引いている。

 

小沢派にも媚びちゃうぞ

 一方、前原氏を首相候補として評価する場合、米国との緊密さを好感する声がある。1月に訪米した前原氏は、バイデン副大統領と会談。米政権ナンバー2と面会できるのは、前原氏が「ポスト菅」の最右翼と見られているからだという。
「前原氏は、国防族として旧知の間柄にあるダニエル・イノウエ上院議員の口添えもあって、副大統領との面談に成功した。クリントン国務長官も、『前任者(岡田氏)に比べ明らかに良い』と評価している」(全国紙ワシントン特派員)
 ところが、ここに来て雲行きが怪しくなってきた。2月1日の衆院予算委員会で、前原氏が過去2回、北朝鮮に入国していたとの指摘がなされた。前原氏は1月4日に日朝交渉の再開に前向きな姿勢を示し、北朝鮮メディアから絶賛されている経緯もある。これに、米国サイドは大きな懸念を示しているという。
「『前原はいったい何を考えているのか』と、事務レベルの外交ルートで詰問が入っています。これまで、保守政治家ばりの親米・反中国の姿勢が売りだった前原氏ですが、それが本当の素顔なのか、疑問符が付いている」(外務省関係者)
 今回、本誌は新聞・通信・テレビなど各社の政治担当記者に、「前原首相誕生の可能性」と、「政治家としての資質」についてアンケートを行った。
 日頃から前原氏をウォッチしている記者たちの声は、かなり厳しいものだった。「前原氏は首相になると思うか」という質問に対して、「思う」と答えた記者は、32人中、11人。残りは下馬評にもかかわらず、「思わない」と回答した。
 それはなぜか?(次ページの表も参照)。
「同じ凌雲会でも前原を信頼している議員は少ない。盟友と言われた議員との関係も希薄になりがちで、人間関係が長続きしないのが気にかかる」(テレビ)
「政権が目の前に来たと思い、(小沢派の)輿石東参院議員会長の地元・山梨までわざわざ出かけ、『輿石先生を尊敬している』とヨイショした。眼がギラギラしている」(新聞)
全国紙編集幹部の一人は、前原氏の〝政治センス〟のなさをこう指摘する。
「彼はオフレコで、『前の大臣(岡田氏)は何もできなかった』と敵意むき出しにし、『岡田には能力がない』と言い放っている。そんなことを言えば当然、岡田氏の耳に入る。これで岡田氏は、次の代表選では前原氏の敵に回る。人情の機微が、彼にはわからない」
 
政治アナリストの伊藤惇夫氏も手厳しい。
「私は前原氏のような政治家を『偏差値グループ』と呼んでいます。彼らは偏差値が高い=優秀な政治家という物差しを持っていますが、政治には〝情〟と〝理〟のバランスが必要で、〝理〟だけでは動かない。そのあたりの感覚が、前原氏は欠如しているんです」
 国民は、民主党の〝口だけ政治〟のリフレイン(繰り返し)に飽き飽きしている。「いい加減にしろ」と、誰もが叫んでいる。
 前原氏が、そのリフレインを止められるか・・・。できなければ民主党は、分裂・消滅する他ない。前原氏がかつて何百回も歌で聞いた通り、もう〈二度と会えなくなる〉だろう。
 
 
政治記者32人に聞いた「前原氏の評価」(主な意見)
なぜ医者は二代、三代続くのか
 
 では、本人にも説明できないような「ひらめき」や「直感力」は遺伝するのだろうか。こうした要素が勝敗に大きく作用するのが囲碁や将棋の世界。日本棋院棋士会長の小川誠子6段(59歳)の話は興味深い。
「囲碁の場合、すでに4~5歳でセンスのあるなしがハッキリ分かります。その年頃の子供は石で囲った地がどちらが多いかなどの計算はできません。なのに、センスのある子はカンでどちらが勝っているか分かってしまう。そういう子供は、いいポイントにポンポン楽しげに打っていたかと思うと、要所要所では打つ手を止めて、ジッと考え込むこともできる。どこが勝敗の大事なポイントなのか、本人が何かを察知するから、考え込むわけです。これは教えたからできるという類のものではありません」
 
 プロ棋士になるには、本人の先天的な能力というものが大きいようだ。さらに小川氏は・棋風・について語った。
 
「こういう能力を持った子供たちがプロを目指して、囲碁の先生の元に集まり、道場で内弟子生活を送りながら、切磋琢磨して囲碁を習っています。興味深いのは全員が同じ指導を受けているのに、・棋風・はみんな違うことです。囲碁は環境によって後天的に打ち方が変わってくるというより、本人が持って生まれた資質や考え方のほうが碁盤に出やすい。
 
最近はプロ棋士同士で結婚される方も多く、生まれたお子さんがまたプロ棋士を目指すケースも増えてきました。棋士の世界では親が子供に直接、教えるということはあまりなく、他の先生に預けて鍛えてもらうのが一般的ですが、親から習ってもいないのに、・棋風・は親子で似てくることが多いんです」
 顔や体格が似るという次元とは異なり、科学的に証明することは難しいだろうが、遺伝の不思議を感じさせる話だ。
 
もう一人、言葉では表現しにくい独特の「感覚」と遺伝との関係を語る人物がいる。心臓外科の世界で天才外科医と呼ばれている南淵明宏医師(52歳、大崎病院東京ハートセンター・センター長)である。外科医には「神の手」と称される名医がいるが、彼らは普通の外科医とどこが違うのか。
 
「私は普通の人より空間認識能力に恵まれているんだと思います。たとえば、『明日は大変な手術がある』という日は、寝床で目を閉じると頭の中に、ごく自然に心臓の3D画像が浮かび上がってくるんです。
 そして、その画像をあらゆる角度から覗きこむように、頭の中で自在に回転させることが、ほとんど無意識にできる。その頭の中の画像で『ここはこうなっているから、こうやって。ここは10針くらい糸をかけて……』といった具合に繰り返し、翌日の手術のシミュレーションをするのです。
 
 こういう感覚は持って生まれた能力で、子供の頃から変わりません。友人の家に遊びに行って、次にまた遊びに行くとき、まったく違う道を通ってもちゃんと目的地に着ける。一緒に行った友人は『どうして、通ったこともない道を知っているんだ?』と不思議がるのですが、私の頭の中には常に東西南北と距離感が入っているので、一度行ったところは迷いようがない。
 
 同様の才能は兄にもあって、子供の頃、兄弟でプラモデルを作るのに2人とも設計図なしで、部品だけを見て、あっという間に組み立てることができました」
 
 南淵氏は自分の親にも同じような空間認識能力があったかどうかは分からないと言う。ただ、性格的には父親と非常に似ている面があり、それが心臓外科医としての仕事に大いに役に立っているそうだ。
「私の父は無茶なところがあって、神戸大学の経営学部を出たのに『みんなが就職するなら、俺は就職しない』と、自分で事業を立ち上げた人でした。そういう自分を修羅場に置いて楽しむような性格は、明らかに私に受け継がれています。心臓の外科手術は、ちょっとした手違いで患者が亡くなるかもしれないという猛烈なプレッシャーの中で行わなくてはならない。私はそういうプレッシャーがかかったほうがやる気が出るタイプ。医者の世界では二代、三代と続く家系が珍しくないし、そういうお医者さんは几帳面で、優等生的な人が多い。私とは正反対なんですね」
 
李忠成の父も元サッカー選手
 
 ここまでは親の持つ「天賦の才」が、子供に遺伝するかという観点で話を聞いてきた。逆に、才能ある子供の親を見て、遺伝による影響を感じるケースもある。サッカーアジア杯決勝のオーストラリア戦、延長後半で劇的な決勝ボレーシュートを決めた日本代表の李忠成(25歳)はその典型だろう。李の父・李鉄泰氏(52歳)も実業団チームの元サッカー選手だった。鉄泰氏が語る。
 
「喜怒哀楽の表し方や、負けず嫌いの性格など、忠成と私が似ている点はいろいろあるんですが、身体能力で言えば、彼は子供の頃から天性と言えるヒザ下の柔らかさを備えていて、そこが私と一番似ていましたね。まだ、幼稚園児のくせに、ボールを止めて蹴るという動作が楽々とできたのも、ヒザ下が柔らかかったからでしょう。ブラジル選手のように、リズミカルでしなやかな忠成のプレースタイルは、実業団選手だった私の目から見ても『この子は、いずれものになりそうだな』と感じさせるところがありました」
 
 ここで少し李親子の話から外れるが、一流のスポーツ選手に在日コリアンが多いことにも触れておこう。もともと、日本民族と朝鮮民族の遺伝子にはほとんど違いがないことが分かっている。つまり、在日コリアン選手の活躍は遺伝よりも環境の要因が強いということだ。鉄泰氏もこう語っている。
「忠成が生まれたのは、私が現役を辞めて5~6年経ったころでした。私は子供にはサッカーをやらせるつもりはなかった。我々の時代はJリーグもなかったし、実業団でも強豪は一流企業ばかり。残念ながら、私ら在日はそんな会社には入れない。今で言う助っ人外国人のような扱いで、外国人や在日選手と契約していたのが読売や全日空がスポンサーをしているチームで、私は全日空が資金援助していた横浜トライスターと小遣い程度のおカネで契約したんです。
 
そんな苦労があったから、息子がプロスポーツの世界に進むなら、野球かゴルフのほうが経済的にも成功できると思ったのです。ところが、今の西東京市というのはサッカーが盛んな土地柄で、幼稚園の頃からサッカーの対抗戦があったりする。それで忠成もどんどんのめり込んでいった。もうしょうがないですよね。我々在日の人間が勝ち残っていくには、並の野心や闘争心ではダメ。忠成に幼稚園から柔道をやらせたのも、闘争心を育てようと考えたからなんです」
 
 プロスポーツの世界は実力がすべて。理不尽な差別への反骨精神があるから、日々の厳しいトレーニングにも耐えられる。在日選手の活躍にはそんな背景がある。
 後の項でも触れるが、運動能力には、体格的な面と体力的な面、さらには球技のセンスなど感覚的な面もある。そして、一流選手の子供たちが活躍するのは、親が小さい頃から指導するという環境も大きい。身長や骨格などは親からの遺伝だということがほぼ明らかになっているが、球技などのセンスの部分は後天的という説が研究者の間では一般的になっている。逆に、走る・跳ぶ・投げるといった基礎的な運動能力は遺伝するという見方が多い。
 
 李忠成などはヒザ下の柔らかさという身体的特徴もさることながら、父から伝わった闘争心で、一流の仲間入りをしたのだろう。
 
 双子はコメントまで似る
 最後に100%同じ遺伝子を持つ一卵性双生児の話を紹介する。語るのはともに漫画家の兄・かわぐちかいじ氏と弟・川口協治氏(ともに62歳)だ。まずは兄のかいじ氏の話。
「2人で中学の時に、黒澤明の映画『用心棒』を観て、衝撃を受けてね。シナリオが掲載されたキネマ旬報を買って、何度も読みました。2人とも頭の中でストーリーを組み立てるのが得意だったんですが、これはお袋の存在が大きい。お袋が厳しくて、門限を守らずに遊んでいたら、物凄く怒られる。でも、怒られると分かっていても、つい2人で遊んで時間を忘れてしまう。それで、家に帰る道すがら、必死で母親への言い訳になるストーリーを考える。どう言えばリアルになるか設定を話し合ったりしてね。やっぱり、発想も似ているんですよ」
 
 次いで協治氏の話。
 
「子供の頃から2人とも好きなものが似ていました。特に絵は大好きで、近所の子供たちが野球で遊んでいるのに目もくれず、2人して地面にクギを使って絵を描いていた。絵を描く場合でも、戦艦の絵を描くのに普通の子供のように真横から描かず、兄も私も斜めから描いたり、下からあおって描いたりしていた。相談したわけでもないのに、アングルまで似ていましたね。そう言えば、黒澤明の『用心棒』に強いショックを受けて、キネマ旬報に掲載されたシナリオを2人で毎晩のように読んだ時期もありました。兄はその後もシナリオライターの本を読み漁っていたから、それが今の作風にも影響していると思います」
 
 2人はそれぞれ別に取材したのだが、同じ黒澤明のエピソードが出てくるあたりは、さすが一卵性双生児ということだろう。2人からは「母方の祖父は絵がうまかった」という共通のエピソードも語られた。なお、双子でも違うと思うところはどこかという質問に、それぞれこう答えている。
「僕のほうが粘り強いというか、執念深いところがある」(かいじ氏)
「かいじのほうが根気があり、粘り強く続けていくタイプ。これは母親譲り。自分はひらめき型で、父親の性格を受け継いだのでしょう」(協治氏)
 
 もはや、2人の遺伝について言うことはあるまい。
 
 各界の才能の持ち主たちの話を聞いていて分かったことは、突出した存在になるには、どれか一つの才能が秀でているだけではダメだということだ。たとえば、科学的には未解明だが、南淵医師の空間認識能力などは、特殊な能力が兄弟間で共通していることを見ても、遺伝の可能性を感じさせた。それでも南淵医師が持って生まれた才能だけで天才と呼ばれるのではないことは、年間200例以上の手術で技術を磨いてきたことからも明らかだろう。
 
 発明家エジソンは、「天才とは1%の才能と99%の努力である」との言葉を残したが、今回、紹介した人たちもまた、人には言えぬ努力を重ねてきたことは間違いない。
 前出の根岸氏も遺伝や素質だけでは、真の才能は生まれないと言う。
 
「私が今日あるのは、遺伝のおかげだけではありません。多少の素質はあったのかもしれませんが、私は努力できることこそが真の才能だと思います。私の場合は努力することが苦にならず、苦労を楽しむことができた。だからこそ、学問の世界でこれまでやってこられたんだと思うんです」
 いくら親から才能を受け継いでも、開花させることなく、平凡な一生を送る人は少なくない。その才能を磨き続けた人のみが、「天才」と呼ばれる資格を持つのである。
 
双子で開成1位2位を独占
 
 よりその思いを強くしてしまうような話を、現在国家公務員の、東京大学法学部卒の20代開成OBが語ってくれた。彼の双子の兄は、日本一の偏差値を誇る筑波大附属駒場高校('10年度実績で、東大合格者数100名)に通っていたという。
 
「小学校から兄とは得意科目が同じでした。成績もだいたい同じだったので、特別意識していたつもりはないんですが、ちょっとしたライバル関係にはなりましたね。社会と算数が得意だったんですが、あとで聞いたらそれぞれ父と母の得意科目だったそうです。
 両親は2人とも早稲田大卒です。親戚で言えば、母方の叔父は東大卒で、父方の叔父は、開成から東大へ行ったと聞いています。
 だからかもしれませんが、僕は、親戚に会っても、開成や東大だからといって特にチヤホヤされた記憶がありません。東大の友達はみんな、実家に帰ったら英雄扱いだ、と言っているので、ちょっと羨ましいときもあります。
 
 
 遺伝といえば同じ学年に、2人揃って開成という、有名な一卵性双生児がいました。中学1年の時からずっと、学年の成績1位と2位になっていて、終業式にはいつも2人で表彰を受けていました。顔がそっくりで部活も同じで区別できなかったので、2位をとることの多かった兄の方は一部で・デキない方・なんて呼ばれていて、なんだかなあ、と思っていました」
 この他多くの開成の現役生とOBに取材をしたが、兄弟で開成なんてたくさんいる、という話は全員から聞こえてきた。
 
 こうした親子鷹ならぬ兄弟鷹が多いというのは西の雄・灘高でも、同様のようだ。兄と揃って灘高から東大に行った30代サラリーマンはこう言う。
 
「私のように兄弟で灘というケースは少なくないようです。というのも、私が灘を受験するときに、親が兄の担任と話したところ、『お兄さんが灘なら弟さんもまず大丈夫でしょう』と言われたそうですから。
 両親は2人とも高卒です。親と共通しているとすれば、兄も私も数学が得意、というところでしょうか。父は建築関係のサラリーマンですが、一級建築士の資格もわりあいすんなり取れていたようなので、数学は得意でしょう。母は珠算をやっていたこともあって、暗算が早かった」
 結局学力は遺伝なのか。元日本人類遺伝学会理事長で、元東京大学医学部教授の中込弥男氏はその疑問にこう答える。
 
「現在、ヒト遺伝子カタログ(OMIM)というものがネット上で公開されていて、登録されている数は2万327。そのうち知能に関するものだけで、すでに400以上見つかっています。
 ということは、当然、知能にも遺伝の影響はあります。遺伝子は両親から半分ずつ受け取るわけですから、知能のレベルはだいたい父親と母親の平均くらいになります」
 さらに、別の角度から遺伝子を研究する東京大学の石浦章一教授は解説する。
 
「一定のIQ以上の者しか入会できないMENSAという国際交流団体があります。彼ら数千人分のDNAと普通の人のDNAを比較したデータがあるんですが、その間には確かに明らかな配列の違いが発見されました。
 ただその違いが、タンパク質をつくる、つまり人間の身体をつくるとされている、遺伝子にはなかった。遺伝子というのはDNAのうちの数%で、残りの九十数%はジャンクと呼ばれる、まだ機能が特定されていないところです。配列の差が見つかったのはそのジャンク部分でした。
 
 直接知能に影響を与えているかどうかははっきりしないのですが、たしかにDNA上に差は見つかっています」
 だが、灘高校から東京大学医学部に進み、現在は精神科医の和田秀樹氏は異論を唱える。
「学力は遺伝ではなく、実は環境とか、親が勉強のやり方を知っているかどうかで決まると思います。
 僕は席次5番で灘中学に入学しましたが、中1の終わりには、170人中120番台まで落ちてしまいました。入学時に僕より成績が下だった子が上がってきていたんです。そういう子はみんな親が東大や京大出身だったり、医者だったりしました。それで当時僕は、これは遺伝だと思った。
 でも、よく考えてみると簡単な話で、僕の家のような普通のサラリーマン家庭は、子どもが灘に入るとそれだけで浮かれて1年くらい遊んでもいいかな、という雰囲気になってしまうんです。ところが高学歴の親がいる家では、中1からしっかり勉強させる。それが入学後の差につながるわけです」
 
遺伝かカネか
 
 保護者の年収が高いほど子どもの学力が高い、という研究結果がお茶の水女子大学の耳塚寛明副学長によって発表されたのは'09年のこと。学力と経済力の相関は、比較的はっきりしている。
 勉強のデキる子とデキない子を分けているのは、遺伝よりは環境ということか。
 
実際、開成は私立校ということもあり、保護者もそれなりの高給取りであることが多いという。現在開成高校に通う息子を持つ主婦に話を聞いた。
「保護者会や地域の開成会なんかで会う他所のお母さんは特に変わったところはなかったと思います。ただやはり旦那さんが弁護士とか医者のお母さんは多かったですね。特に弁護士は多くて、もしかすると全体の2割近くいたんじゃないでしょうか」
 
灘の校門 毎年合格発表では大変な人だかり
 
 学力は遺伝か環境か、議論は終わりそうにない。
 ただ全体に共通しているのは、「勉強してもデキない子」というのは確かに存在するが、「勉強しなくてもデキる子」はいない、ということだった。当たり前ではあるが、開成の生徒も灘の生徒も、みんなしっかり努力していた。前出の30代灘OBは言う。
 
「やっぱり勉強しないヤツは灘に入れないですよ。だから僕は学力は環境だと思っていました。
 でも、自分に子どもができて思うのは、最初のわずかな差がのちのち大きく広がるのではないか、ということです。最初のスタート位置が人より一歩だけでも前だと、そこから良い循環に入る。
 小さいときに少しだけ周りより読み書きができるとか、足が早いとか、絵がうまいとか、そういう差が自信に繋がり、成長してさらに差が広がっていくのではないでしょうか」
 一人の人間としては小さく見える一歩の差が、人生にとっては大きな一歩になる。そしてそのはじめの一歩は、生まれる前に踏み出されている。
 
 

2011年02月23日(水) 週刊現代
 

人間は誰しも両親からそれぞれ50%ずつ、遺伝子を受け継ぐ。では、親からのギフトである遺伝子が優れていれば、生まれながらに優位に立てるのか。


  この特集を読み終えた時、あなたは「人間は平等だ」と言い切ることができるだろうか。

 

1.「遺伝子」を調べれば、たいていのことが分かる 寿命もがんも成人病も

 

「たとえば、野菜の中でもっとも苦みが強いのはブロッコリーと言われるのですが、ブロッコリーが嫌いな子供の遺伝子を調べると、普通の人よりも苦みを強く感じているらしいことが分かった。また、100歳以上の人の遺伝子を調べると、特定の遺伝子を持っている人が多いことから、長寿に関係する遺伝子があることも明らかになりつつある。その遺伝子を持っているかどうかで寿命が20年くらい違ってくるんです」(東京大学大学院総合文化研究科・石浦章一教授)
 
 人間の遺伝子は約2万3000個。それら一つ一つの遺伝子は、人間にとってどんな意味を持っているのか。この研究は世界中で目覚ましいスピードで進んでいる。たとえば、がんに関係する遺伝子は2365個、てんかんに関わるのは503個、知能に関すると見られる遺伝子も400個以上見つかっている。
 倫理的な問題はあるが、遺伝子は一人の人間の中で不変だから、胎児の段階で遺伝子を調べれば、長生きするのか、野菜嫌いになるのかなども分かってしまう。まだラットを使った研究段階ではあるが、浮気しやすい性格に関係する遺伝子まで発見されている。浮気癖くらいならいいが、一部のがんについては、遺伝子を見ることで、何歳ぐらいで発症するかということさえ分かるのだ。
 
  北海道大学大学院医学研究科の西原広史特任准教授が語る。
「乳がんのなかにはBRCAという遺伝子の異常が関係しているものがあります。このタイプの乳がんは30代で発症する可能性が高い。成育過程で遺伝子に異常が起きることもありますが、先天性の人もいるので、これは遺伝子検査をすれば分かる。アメリカでは異常が見つかると10代のうちに両乳房を取ってしまうこともあります」
 大腸がんにも遺伝性のものがあり、これはAPCという遺伝子の異常が原因だ。そのまま放置すれば、ほとんどの患者が25歳までに亡くなるといい、祖父母、親と何代にもわたって大腸がんになっているならば、遺伝性を疑ったほうがよい。
 
 髪の毛でボケるかどうか分かる
 
 ただし、専門家が一様に指摘するのは、日本人の3人に1人ががんで亡くなる現状において、遺伝だけに要因を求めることはできないということ。肺がんの煙草のように、遺伝にプラスしてがんの原因になるものは多い。前出の西原准教授も、「家族にがん患者がいる人は、いない人よりがんになるリスクは高い。いわゆるがん家系というものです。しかし、これは乳がんのBRCA異常や大腸がんのAPC異常のように必ずがんになるというものではありません」と言う。
 
 遺伝子を見れば分かる病気で、がん以外に研究が進んでいるのがアルツハイマーである。そのなかでも「家族性」と呼ばれるものは、特定の遺伝子によって引き起こされる。家族性アルツハイマーはアルツハイマー患者全体の5%未満だが、通常のアルツハイマーが70~80歳で発症するのに対し、40~60歳と若いうちに発症するのが特徴。さらに通常のアルツハイマーも遺伝子を調べれば発症する年齢を絞り込める。
「極端に言えば、髪の毛を2~3本取って調べれば、あなたは70歳でボケる、あなたは90歳で、というのがだいたい分かる。日本人は95歳で生きている人のほぼ2人に1人がボケる。しかし、アポE4という遺伝子を持っている人は75歳で2人に1人の割合になります。アポE4を持つ人すべてが発症するわけではありませんが、ボケやすいかそうでないか、またボケやすい人が何歳くらいで発症するかは、かなりの確率で分かると言っていい」(前出・石浦教授)
 
 病気の発症年齢は環境にも左右される。発症する前に寿命が尽きれば、結果的に遺伝子の影響は受けなかったことになる。では、人間の寿命は遺伝子で、どの程度分かるのか。
 大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学の森下竜一教授に聞いた。
「人間の寿命は120歳で、それ以上は無理だと考えられています。どれだけ健康でも、神経細胞が死んでいくからです。でも、当たり前のことながら、みんなが120歳までは生きられない。病気になったり、日々の不摂生がたたったりして亡くなっていく。将来、どんな病気になる可能性があるかはある程度分かっていても、すべて解明されているわけではない。いまは何歳まで生きられるかというよりも、なぜ120歳まで生きられないのかを解き明かしている段階です」
 
先に挙げたように先天的な遺伝子異常から乳がんや大腸がんになることが分かるということは、遺伝子を見れば、自分の寿命を予想できてしまうことになる。だが、それでも早期検診、早期治療を心がけることである程度、寿命をコントロールすることはできる。
 
 人間ドックに力を入れている浅草クリニックの内山伸医師が言う。
「高血圧や糖尿病の症状がある方の半分以上が親や兄弟も同じ症状を抱えている。顔や体型が親子で似ているのと同じように病気が遺伝するのです。生まれつきの遺伝子異常が原因で、これらの病気になることはまれですが、遺伝性はきわめて高い。最近は個人情報だからと家族の既往歴を書かない人が増えています。しかし、家族にどんな病気の人がいるか分かれば、その病気が遺伝する可能性を疑って、他の人よりも検査を頻繁に行うなど対処ができるのです」
 遺伝子を見るだけで分かることは、これからも次々に増えていくだろう。ただし、遺伝子で定められた「運命」は自らの力で変えることも可能なのである。

 

2.天才は努力か、それとも 親の「才能」はどこまで遺伝するか
 

ノーベル化学賞の根岸英一 日本画家の千住博
外科医の南淵明宏 サッカー日本代表の李忠成ほか

根岸教授の孫も成績優秀
 
 前項では遺伝子により、たいていのことが分かると紹介した。この項では、個別の遺伝子を調べても分からないが、総体として親から子へ引き継がれる「遺伝」について、各ジャンルの才能の持ち主たちの証言を見ていこう。
 
 才能とひと口に言っても、頭の良さもあれば、芸術的センス、直感力など数多ある。最初に知性の最高峰とも言えるノーベル賞受賞者に聞いた。昨年、ノーベル化学賞を受賞した米パデュー大学・根岸英一特別教授(75歳)が語る。
「両親は私のように学問の道に進んだわけではありません。そもそも大学を出ていませんから。父は若い頃に父親を亡くしました。それで義兄を頼って満州に渡り、高等商業学校を卒業して、現地の商社に職を得たのです。本人は東京で一高(東大教養学部の前身)に入るつもりだったようですが、父親が亡くなったために断念せざるを得なくなったんですね。もともと、勉強はできたようで、満州の人とロシア語で会話していたのを覚えています。
 
  父は私の教育についてはまったく口を挟みませんでしたが、私が東大を受験した時、私より先に合格発表を見に行きましたから、決して教育に無関心なわけではなかったようです。若くして父親を失わなかったら、かなりのエリートコースを歩いた人だったのではないでしょうか」
 根岸氏の父親は、息子が東大に入り、研究者の道に進む姿に、自分が叶えられなかった学問への思いを重ねていたのだろう。根岸氏が父親の本来持っていた知性を指摘したように、生まれながらの能力を左右しそうな遺伝子はいくつも見つかっている。たとえば、新しい出来事に直面したら強く反応する、いわば「新しいもの好き」の遺伝子があり、この遺伝子を持っていれば、研究者に向いているかもしれない。また、アスリートを調査した結果判明した持久力や瞬発力に関係する遺伝子もある。
 こう書くと「才能なんて遺伝で決まるから、人間が平等なんてウソ」という声が聞こえてきそうだ。「トンビが鷹を産む」という諺があるが、現実にはほとんど起こり得ないのか。将来、成功するかどうかは、生まれる前から遺伝で決まっているのか?
  
 根岸氏の話を続けよう。
「自分で言うのもなんですが、私は子供のころから勉強は得意だったんです。教室で先生の話を聞けば、その場で理解できる能力が高かったのでしょう。でも、私の2人の娘たちを見ていても、学問的能力で似ているところはほとんどないですね。彼女たちは大学時代も特に勉強ができるとか、優等生だったとかいうことはありませんでした。多少は勉強するように私も言ったんですがね。学部も私と違い、文系ですし。
 
 もっとも、4人の孫のうち、男の子2人はかなり頭がいいみたいです。上の子は高校時代はオールAの優等生で、スカラシップ(奨学金)を得て、いまコロンビア大学の1年生。文系ですが、理系でもいける素質があるようです。下の子はまだ小さいですが、こちらも学業優秀です。男の子のほうに頭の良さが出る家系なのかもしれません」
 
 
粘り強さは遺伝する
 
 次に、偏差値などの数値では計れない芸術的センスだが、これが遺伝しているとしか思えない芸術一家もある。千住家3兄弟はその典型だろう。長男の千住氏(53歳)は京都造形芸術大学学長にして日本画家。次男の千住明氏(50歳)はドラマやアニメ、CMなど幅広いジャンルで活躍する作曲家。長女の千住真理子氏(48歳)は著名なバイオリニスト。それぞれ異なる分野の第一線で活躍している3兄弟の「共通項」について千住氏はこう話す。
 
 「我々は絵画、作曲、バイオリン演奏とやることは違っています。でも、自分の中にある伝達困難なことを何とかして他者に伝えようという熱意は兄弟全員に共通している。芸術というのは、その伝えるという行為にどれだけ熱中できるかが大事なんですね。
 子供の頃で言うと、僕の弟も絵はうまかったのですが、のめり込むほど好きというわけではなかったし、妹は絵に興味がなかった。一方、僕もバイオリンを弾いていましたが、妹ほどはのめり込めなかった。結局、3人とも自分の好きなものにのめり込んで、集中し、そこから何か伝えたいものが生まれてきた結果として、いまの僕らがあるんです」
 
3兄弟の父は、経営学のバイブルとされる『経済性工学の基礎』などを著した慶応大学名誉教授の故・千住鎮雄氏。母はエッセイストで教育評論家の千住文子氏である。
 両親の経歴だけ見ると芸術肌というより、学究肌の子供が誕生しても不思議はなさそうだが、氏によれば、親から受け継いだ最たるものは「熱中する才能」だったと言う。
 
 「僕の父は芸術には興味のない人でしたが、何かに熱中することは人一倍でした。小学生の僕が家に帰ると、必ずと言っていいほど、机に向かって仕事に没頭している父の姿が目に入ったものです。祖父も医学者で大学教授でしたが、自室にはビーカーが並び、家にいるときも寸暇を惜しんで研究に打ち込んでいました。
 芸術は伝えたいという熱意だと言いましたが、学者も広い意味では同じだと思うんです。数式で真理を解き明かし、世に伝えたいという気持ちがある。その伝える手段というのが、僕の場合は絵であり、弟や妹の場合は音楽だったのです」
 
 一つの物事に熱中する才能は、粘り強さに通じる。心理学では遺伝性の要因が強い人間の傾向を「気質」と呼び、後天的な要素が強い「性格」と区別しているが、粘り強さ=持続力は「気質」に分類され、遺伝すると考えられている。
 
 東京大学の石浦章一教授が語る。
 
「病気のように人間にマイナスの影響が出る遺伝子というのは見つけやすいのですが、現在の研究では知能に関係する遺伝子はいくつかあると言われているけれど、頭のいい人を調べてもよく分からない。おそらく数百個の遺伝子の組み合わせで頭の良さが決まっているのではないかと思われます。芸術的才能も同様で、後天的だろうというのが今のところの大勢です。ただ、音楽については遺伝要因があるかもしれない。リズムが取れない家系というのは存在しますから」
 

英調査機関がまとめた食料危機の真実!

2011年2月24日 大竹剛
 
英政府のシンクタンク、フォーサイトが「The Future of Food and Farming: Challenges and choices for global sustainability」という調査結果をまとめた。分かりやすく言えば、未来の食料危機にいかに備えるか、という内容である。発表されたのは1月24日。食料価格の高騰をきっかけに起きたチュニジアの政変がエジプトに飛び火し、大規模なデモに発展する前日というタイミングだった。
 34カ国から参加した約400人の専門家によってまとめられたというだけあり、現在の世界の食料システムが抱える問題を網羅している。北アフリカで始まった社会不安の増大を引き合いに出すまでもなく、今年は食料価格の高騰が世界的な関心の的だ。2月18~19日にパリで開催されたG20(20カ国・地域)財務相・中央銀行総裁会議でも、投機資金の流入などによる食料価格の高騰を監視するため、市場の透明性を強化することに取り組むことを表明した。
 2050年までに世界の人口は90億人に達すると言われる。調査報告は、食料システムの改善に取り組み農業で革新を起こさなければ、世界の人口を養えなくなると結論付けている。安全性を十分に検証することを前提としながらも、遺伝子組み換えなど最新技術への積極投資を促していることから、一部では批判の声も上がった。
 調査報告が指摘する内容は、食料問題を考える際に参考になる。調査プロジェクトの代表を務めたオックスフォード大学のチャールズ・ゴッドフレイ教授は、「今すぐ行動を起こすことが必要」と強調する。いくつか、ポイントをまとめておきたい。それらは、企業にとっても農業分野で新たなビジネスチャンスを探す上で参考になるはずだ。

 

10億人が食べ過ぎで生活習慣病

 
 まず、現在、世界の食料システムは、どのような状況あるのだろうか。
 報告書が真っ先に指摘するのが、世界で9億2500万人が飢えているという事実だ。ビタミンなど栄養不足という“隠れ飢餓”の状態にある10億人も含めれば、実に20億人が飢えていることになる。その一方で、10億人が食べ過ぎの状況にあり、生活習慣に起因する糖尿病な心臓病などのリスクを抱えている。
 また、カロリー摂取という観点で見れば、過去40年間に世界のカロリー摂取量は15%上昇した。先進国ではこの10年は高止まりしているが、新興国は今も急増中だという。特に、東アジアでは1969~2005年の間に41%も高まった。ただし、アフリカのサブ・サハラ地域では同期間に3%しか上昇しておらず、過去2年は減少した。

 

1人当たりの農地は減少、生産性も低い

 
 地球上には、開拓が可能な土地がまだたくさん残されていると想像されがちだが、必ずしもそうではない。実は、過去数10年、農地はほとんど広がっていない。1967~2007年に世界の穀物生産量は115%増えたが、農地の拡大は8%のみだった。人口1人当たりの農地は同期間に、1.3ヘクタールから0.72ヘクタールに減少した計算になる。
 作物の生産性についてはどうか。小麦を例に挙げれば、英国ドイツ、デンマーク、フランスでは、到達可能とされる生産性に近づいているか、一部では上回っている状況であり、これ以上の生産性向上は難しそうだ。その一方で、東欧諸国やロシアなどでは、到達可能な生産性と比べると、実際の収穫高は半分にとどまっている。
 調査報告書では、現在手に入る技術を使うだけでも、アフリカの多くの地域で生産性を2~3倍に、ロシアでは2倍に拡大することが可能だと指摘する。全世界では、約4割引き上げることが可能だ。生産性が低い原因は、農業に携わるヒト・モノ・カネの不足に加え、道路や倉庫、市場、その他サービスなどのインフラ不足、さらには政情不安や政治・経済運営の失敗などの外部要因もある。
 
農業をする上で、エネルギーと水も欠かせない。いずれも、世界の人口増加によって争奪戦が勃発しかねないもので、農業にも深刻な影響を及ぼす。
 まずはエネルギー。世界のエネルギー需要は2006年から2030年までに45%、2050年までに2倍に上昇し、エネルギー価格の高騰を招きかねない。エネルギー価格の上昇は、特に、窒素肥料の生産に大きな影響を及ぼす。実際、2005~08年に窒素肥料の価格が約5倍に上昇したのは、石油価格の高騰に起因するところが大きいという。
 そして水。現在、川や地下水から取得した人類が利用できる水の7割は、農業に利用されている。食料需要の高まりを受けて、世界の農業用水の需要は2030年までに30%、2050年までに2倍に上昇する。特に新興諸国では産業用水や飲料水の需要も高まることから、農業向けにいかに水を確保するかが極めて重要な課題となる。水不足から地下水を過度に汲み上げたり、粗悪な灌漑(かんがい)を実施したりすることで、環境破壊のリスクも高まっている。

 

食料の3割はゴミとして捨てられている

 
 食料の流通・消費構造にも、大きな無駄がある。報告書は、世界で約3割の食料が、消費者の胃袋に入る前に消失しているか、ゴミとして捨てられていると指摘する。
 低・中所得国では、食料を保存する倉庫や迅速に輸送する交通手段などのインフラ不足が、せっかく収穫した食料の多くを無駄にしてしまう大きな要因になっている。一方、高所得国ではフードサービス産業や家庭で捨てられる割合が大きい。
 英国では2008年、家庭で購入した食料の25%が捨てられていたという。報告書は、英国などの高所得国では、各世帯が食べ物を上手く取り扱うことで、1世帯につき年間680ポンド(約9万円)の食費を削減することが可能になると分析している。

 

食料危機はビジネスチャンスでもある

 
 生産性の向上から農地確保、農業に関わる各種インフラの整備、エネルギーや水、流通システム、企業や消費者の意識まで、取り組まなければならない問題はあまりにも多い。ゴッドフレイ教授も「1つの解決策で対処できるような問題ではない」と話す。危機回避に向け、これまで示してきたような課題に、政府も企業も、そして市民も、地道に取り組んでいくしかない。
 とはいえ、企業の立場から見れば、新興諸国における生産性の低さやインフラ不足はビジネスチャンスにもなりえる。既に、欧米の大企業は動き始めている。例えば、アフリカのタンザニアで昨年から、「タンザニア南部農業成長街道(The Southern Agricultural Growth Corridor of Tanzania)」というプロジェクトが始まっている。
 それは、ザンビアとの国境付近からインド洋に面したダルエスサラーム港まで、道路や鉄道、電力のインフラに沿った約35万ヘクタールの土地を儲かる農業地帯として育成しようというものだ。タンザニア政府や米国政府、食品2位の英ユニリーバ、種子最大手の米モンサント、肥料生産高トップのノルウェーのヤラ・インターナショナルなど官民が協力して、総額35億ドル(約2900億円)を投じて2030年までに同地域の農業生産高を3倍に引き上げることを狙う。

 

アフリカの農業ビジネスに欧米勢が続々参入

 
 収穫した作物の保存や物流に必要な倉庫などのほか、作物の取引市場や融資など各種サービスを提供する拠点、研究施設などを整備し、特に小規模農家を組織化して支援することに力を注ぐ。モンサントやヤラにとっては、種子や肥料を販売できる市場となり、ユニリーバにとっては食品原材料の調達先となり得る。この地域で42万人の新たな雇用を生み出し、200万人を貧困から救うという目標も掲げる。
 プロジェクトはまだ始まったばかりで、今すぐ成果を判断できるものではない。だが、ヤラはダルエスサラーム港で2000万ドル(約17億円)を投じ、新たな肥料用ターミナルの建設に着手した。ヤラのバイス・プレジデントであるシーン・デクレーン氏は、「アフリカはヤラにとっては大きな市場。だが、1社ではできず、官民がパートナーを組んでリスクを共有することが成功のカギ」と話す。
 世界の食料システムが抱える難題を直視し、そこから危機解決策を見出すのは政府だけの役割ではない。事実、G20の枠組みでは、各国の利害が衝突し有効な対策を打ち出すことは難しい状況にある。そうした中、企業が果たす役割は極めて重要であり、それは単なる慈善活動ではなく、新たなビジネスとして取り組む価値のあるものだ。
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