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2011年2月 7日 アドバンスニュース
戦後教育と事実に大きなギャップ!
戦後66年。日本の人口の8割近くが太平洋戦争の後に生まれ、戦争体験の「風化」が進んでいる。多くの日本人にとって、国外で戦死した兵隊の遺骨収集は報道を通じて知る程度だ。だから、それを10年近く続けている若い女性フリーキャスター、佐波優子さんの存在が光る。佐波さんに遺骨収集にかける熱い思いを聞いた。(経済ジャーナリスト 本間俊典)
―― 佐波さんは現在、衛星放送「日本文化チャンネル桜」のキャスターを務めるかたわら、芸能プロダクション・オスカーに登録してイベントなどの司会、モデル業もこなしています。加えて約10年にわたり、東南アジアなどで戦死した日本軍人らの遺骨収集活動に参加されています。この行動力の源泉はなんですか。
佐波 明確には自分でもわかりません。父親は教職員で、しつけには厳しかったですが、どこにもある普通の家庭で、私もどこにもいる普通の子供でした。
ただ、スカウトされて高校時代からテレビのステージに出るようになり、大学に入ってオスカーのオーデションを受けて入ったこともあって、働くことへの抵抗感はありませんでした。
高校を出て大学へ入る前の1年間、新聞販売所に住み込みで新聞配達をしたこともあります。勉強もでき、とても良い経験になりました。
オスカーではナレーター部に所属して、イベントのナレーションや司会などをしています。オスカーの指示でイベント現場へ派遣される派遣スタッフのようなものです。
09年からは「日本文化チャンネル桜」で番組を担当させていただいております。
―― 学生時代から、戦争についてなにか勉強してきたのですか。
佐波 それが、まったくしていませんでした。というか、戦争について学校で教わったことは、「日本はアジアに侵略戦争を仕掛けた悪い国だった」「日本軍は現地の人々をたくさん殺すという残虐なことをした」といった程度で、私も頭からそれを信じていました。
そうした「戦後教育」がいかに一方的で、偏った見方なのか、後でわかったのですが。逆にいえば、そうした教育と事実のギャップがあまりに大きかったことが、戦争に対する私の意識を高める要因になったのかもしれません。その直接的なきっかけになったのは、靖国神社でのボランティア活動でした。
(次回に続く)
ロシア・ザバイカル地方での遺骨収集
「私たちを守ってくれた」軍人の遺骨収集!
―― 靖国神社のボランティア活動は、どんないきさつで行ったのですか。
佐波 大学在学中に教員免許の取得と並行して、様々なボランティア活動を行っていました。その一環で靖国へ行こうと友人に誘われました。仕事は境内の掃除などです。
靖国では、「戦死者の遺書を読む会」という勉強会も開かれていて、ある日、「これも勉強」と思って参加しました。そこで大変なショックを受けたのです。私が読んだ人の遺書には、自分は家族を守るために出征すること、自分を礎にして生まれてくる子供たちを思えば、戦死しても嘆くに当たらないことが切々と書かれていました。
日本軍は悪いことをしたはずなのに、なぜ家族を、未来の子供たちを守るために死んでいったのか。学校で教わったこととまったく違う「戦争」がそこにありました。それも、私とほぼ同じ年齢の若者が、私を含む未来の子供たちを思って死んでいった。もう、なにがなんだかわからなくなりました。
―― それが遺骨収集につながったのですね。
佐波 靖国の勉強会に出るうちに、政府事業で海外の戦没兵の遺骨収集作業があることを聞き、それに応募しました。私たちを守るために死んでいった人々の遺骨が、まだ埋もれたままになっていることに我慢できませんでした。
最初に行ったのは、01年11月、ミャンマーのインパール作戦(注1)で亡くなった方々の収集です。この時は残念ながら、地面を掘っても掘っても遺骨との対面はかないませんでした。
以来、09年11月のフィリピンまで、硫黄島など10カ所に出かけました。蒙古にあるノモンハン事件(注2)の現場では、土の中から旧ソ連の戦車が出てきて、それにしがみついたままの頭部のない日本兵の遺骨を収集しました。まるで、土の中に戦闘状態のまま時間が止まっていたような感じを受けました。
先の大戦では軍人軍属の約240万人が戦地で亡くなりましたが、まだ115万人ほどの遺骨が残されたままだそうです。私たちを守ってくれた方々の遺骨を収集することで、せめてもの感謝の気持ちをお伝えしたいので、これからも続けるつもりです。
(次回に続く)
戦没者に「感謝の念」忘れず、後代に引き継ぐ!
佐波 9年間、遺骨収集のお手伝いを続けるうちに、先の戦争に対してさまざまな意見、見方のあることがわかってきました。およそ、学校で習ったような「戦軍=軍国主義」として全否定されるべきものではなかったのです。
そこで、「祖父たちの戦争体験をお聞きする孫の会」「シベリア抑留の真実を学ぶ会」といった勉強会を立ち上げて、代表を務めています。
戦後も66年目になると、戦争体験を語れる方々は本当に少なくなっています。この方々のお話をできる限り聞き取って、資料として残したい、戦争体験を風化させない。それが、「守ってもらった」後世の私たちの仕事ではないか。そんな気持ちでやっています。
これらの活動を書いた論文「大東亜戦争を戦った全ての日本軍将兵の方々に感謝を~9年間の遺骨収集を通じて感じたもの~」で、第3回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞をいただきました。
これを励みに、「戦後問題ジャーナリスト」としての活動を深めたいと思っているところです。それにしても、世の中の仕組みを知らな過ぎる。で、政治経済を学ぶため、昨年は予備校に通い、高校時代より勉強しました。あの時にもっと勉強しておけばよかった、と後悔しながらですが(笑)。
―― 自衛隊の入隊試験を受けたのは?
佐波 自分自身の手で国を守りたいと思ったからです。同時に、災害時の派遣要員として、スタンバイしようという気持ちもありました。2010年に陸上自衛隊予備自衛官・二等陸士・普通科小銃手の資格をいただきました。普段は本来の仕事をしていて、「有事」に駆け付ける役割です。
ただ、この資格を取るのはかなり大変で、訓練に延べ50日を要します。資格取得後も年に5日間の訓練が義務付けられています。
訓練に参加してわかったことですが、参加者の中にはいわゆるニート、フリーターの男性もいて、厳しい訓練を通じて自分を見つめ直そうとしている人もいました。私にとっても大変な勉強になりました。
―― 今後の抱負を聞かせてください。
佐波 これまでの活動を通じて感じたことは、先の大戦をただ否定するだけでなく、そこから現代の私たちは多くのことを学びとらなければならない、と思います。それは、あれが「侵略戦争」だったと考えている人でも、同じことではないでしょうか。決して風化させてはなりません。
私の場合は、戦死した日本兵の方々にまず感謝し、それを私の後の世代に伝え、遺骨収集を継続すること。微力ですが、それに全力を尽くします。執筆活動のほか、講演会が年30回ほどありますが、そうした機会にも情報発信していくつもりです。 (おわり)
佐波優子(さなみ・ゆうこ)1979年、埼玉県出身。桐朋芸術短期大学卒業。フリーアナウンサー、戦後問題ジャーナリスト。日本文化チャンネル桜「桜プロジェクト」キャスター。2001年、ミャンマーで戦死した日本軍将兵の遺骨収集に参加。以後9年にわたり、フィリピン、硫黄島など10カ所の戦跡で遺骨収集しながら、日本各地で収集の大切さを訴える講演会を行っている。「祖父たちの戦争体験をお聞きする孫の会」「シベリア抑留の真実を学ぶ会」を設立、元将兵と若い世代との交流会を開催。10年、予備自衛官二等陸士・普通科小銃手に任用。同年、アパグループ主催「真の近現代史観懸賞論文」で最優秀藤誠志賞を受賞。
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