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ニューズウィーク日本版 9月2日(木)12時10分配信


ウェブメディアの女王が切り開くオンライン・ジャーナリズムと商売のきれいごとじゃない未来!


 もし今日のインターネットメディア業界の勝者を決めるとすれば、断トツでアリアーナ・S・ハフィントンだろう。彼女が創設したニュースサイト、ハフィントン・ポストの6月のユニークビジター数(同じ閲覧者の重複を省いて集計したサイト訪問者数)は2439万に達した。他の多くのネットメディアと比べれば5倍近く。ワシントン・ポストやUSAトゥデーのサイトを上回り、ニューヨーク・タイムズ電子版にも迫る勢いだ。

 2010年のハフィントンの売り上げは約3000万ドルに達する見込み。既存の巨大メディアに比べれば取るに足りない額だが、ネット上のライバルの多くよりははるかに大きい。そして遂に、わずかながら利益も出始めた。

 ただしネットメディア業界における存在感は、数字だけでは分からない。5年ほど前、アリアーナと友人の左派系著名人たちが、ブッシュ政権への怒りをぶちまける場としてスタートしたこのサイトは今、ウェブ上で最も重要なニュースサイトの1つになった。

 ハフィントンは、香水の広告でトップレスになった女優ジェニファー・アニストンの写真のようにアクセスを稼ぐためのゴシップネタも多く扱いながら、他方では政治からスポーツ、ビジネスからエンターテインメントまであらゆる分野のニュースを網羅している。このサイトの使命は「重要な問題について国民的議論の場を提供する」ことだと、アリアーナは言う。

 7月のニューヨーク。60歳の誕生日を迎えたあるじめじめした日の午後、アリアーナはソーホー地区のビルの3階にあるハフィントン本社で、サンペレグリノのミネラルウオーターを飲み、リンゴのスライスをかじっていた。

 しょっちゅう出入りするアシスタントたちは、チョコレートや伝言、アリアーナの元夫で元下院議員(共和党)のマイケル・ハフィントンからの電話がつながったブラックベリーなどを持ってくる。


■製作費を究極まで下げる

 アリアーナは、広告に関する会議での講演から戻ったばかり。講演は年間100回以上。彼女をネットメディア時代の救世主、ブログの女王、ジャーナリズムの未来の開拓者などと敬うテクノロジー関係者や出版関係者からひっきりなしに依頼が舞い込む。

 だがハフィントンの経営状態をもう少し詳しく知ると、アリアーナが開拓しているジャーナリズムの未来が極めて厳しいものだと分かってくる。ハフィントンには多くの読者がいるが、他のほとんどのサイトと同じく、読者から収入を上げるうまい方法がない。

 ハフィントンは今、年間に読者1人当たり1ドルしか稼いでいない。既存の主流メディアに取って代わるなど夢のまた夢だ。何しろケーブルテレビ局や新聞は、1人の視聴者や定期購読者から年数百ドルを集め、その上に数千万ドルの広告収入を稼いでいる。

 もちろん単純には比較できない。テレビや新聞はウェブサイトと比べればはるかに固定費が高い。それでも収入の桁違いの開きを見ると、現在進行中の変化がいかに過激なものかが分かる気がする。

 既存メディアも、売り上げの減少に悩んでいる。本誌(米国版ニューズウィーク)も業績不振で親会社のワシントン・ポスト・カンパニーから売りに出されているから、その激震ぶりはよく分かる。

 広告収入の減少分の一部は、ネットメディアに流れている。だが既存メディアからウェブ上の新メディアに移る過程で、広告マネーは変質する。奇妙な魔術にでもかかったように、ドルがセントに化けてしまうのだ。

ネットメディアに詳しい調査会社eマーケターの最近の調査によると、ネット広告費は今後数年間、年率10%以上の伸びを続けて、14年までにはほぼ1000億ドル市場になるという。それでも、広告市場全体からみれば17%のシェアにすぎない。

 企業はウェブに広告を載せたいけれど、その見返りに大金を払う気は毛頭ない。それが冷徹な真実だ。実際、あなたは最近ウェブ広告をクリックしたことがあるだろうか。それどころか目をくれたことさえないのでは? 

「そろそろ誰かが本当のことを言うべきだ。ネット広告という商売は成り立たない。ウェブサイトはあまり優れた広告媒体ではないということがはっきりした」と、バニティ・フェア誌のコラムニスト、マイケル・ウルフは言う。


■CPMの下落が止まらない

 ウルフは、広告収入主体のサイトも運営している。主要な新聞や雑誌の記事を要約して配信するアグリゲーターサイト、ニューサーだ。月間ユニークビジター数は200万、今年の売り上げ予想は数百万ドル。ウルフによれば、彼のサイトのCPM(広告掲載1000回当たりの広告料金)は、過去2年間で10ドルから8ドルへと20%下落した。ネット専門調査会社コムスコアによれば、ネット全体の平均CPMはわずか2ドル43セントだ。そして、これがいずれ上がると期待する人は誰もいない。

 ハフィントンのCEO(最高経営責任者)であるエリック・ヒッポーいわく、自分たちのサイトはコンテンツの質が平均を上回る分、広告料金も平均よりははるかに高いという。

 それでも、ハフィントンなどのネットメディアにとっては、コンテンツの製作費を安く上げることが至上命題。無駄は徹底的に省く。ハフィントンの編集スタッフは88人で、大手新聞などの数分の1だ。

 かつては紙メディアよりはるかに安かった人件費も、今は経験の浅い新人スタッフの年収が3万5000ドル~4万ドルと大差なくなってきた。そこで人を雇う代わりに、他のサイトの記事を再配信したり読者に記事を書かせたりして、なるべく多くのコンテンツをただで確保する。ハフィントンの場合、6000人の無給ブロガーに記事を書かせている。

 だが安直なコンテンツは、広告料金のさらなる下落につながる。コムスコアによれば、すべてのコンテンツをユーザーが作るフェースブックのようなソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では、CPMは56セントにしかならないという。


■利幅薄く量がものをいう

 利幅の薄いこの業界では、規模の大きい会社が圧倒的に有利になる。グーグルが一つ一つは小さくて安い検索広告で数十億ドルもの広告収入を上げられるのは、それを何億回も掲載するからだ。

 ネット大手のAOLやヤフーは今、ジャーナリストを雇うなどしてコンテンツを作るビジネスに乗り出している。規模で勝負するグーグルと差別化するためだ。

 一方で、薄利多売戦略も捨てていない。ヤフーが5月にアソシエーテッド・コンテントを買収したのがいい例だ。アソシエーテッド社は、フリーの記者に100ドルかそれより少ない原稿料を払い、検索サイトのキーワード・ランキング上位に入ったネタに絞った記事を大量生産している。

 広告料金を割り引く余力のあるネット大手がコンテンツ面でも存在感を増すことになると、広告料金はますます下がり、小さい会社はより苦戦を強いられることになる。ハフィントンをはじめとするニュースサイトすべてが立ち向かわなければならない問題だ。

 アリアーナには多くの同志がいる。ハフィントン本社の1ブロック先には、テレビジャーナリストのダン・エイブラムズが運営するメディアを語るサイト、メディアアイトのオフィスがある。数ブロック先には、ネットの伝道師ニック・デントンが率いるブログサイト、ゴーカー・メディア。ウルフのニューサーも近所だ。

 5番街に行けば、元メリルリンチのアナリスト、ヘンリー・ブロジェットがCEOを務めるビジネス・インサイダー。ソーホーの少し北のチェルシー地区には、バニティ・フェアやニューヨーカーの編集長を歴任したティナ・ブラウンが運営するニュースサイト、デーリー・ビーストがある。

 ワシントンには政治情報サイトのポリティコのオフィスがあり、シリコンバレーにはおびただしい数のテクノロジー専門ブログがある。テッククランチ、ギガオム、オールシングスDなど。

 ハフィントンはこれらの中でも一番大きく、知名度もとりわけ高い。アリアーナは将来を心配するそぶりはみじんも見せない。1つには、それが彼女の個性だから。アリアーナは圧倒的な存在感を持ち、あらゆるところに顔を出す。自らハフィントンに記事も書くし、13番目の著書『第3世界アメリカ』も間もなく出版される。


■最先端の配信システム

 ほかにも週に2つのラジオ番組を持ち、テレビでも毎日のように保守派と政治論争を交わしている。FOXテレビのコメディーアニメの声優まで務めている。

 実際に会うと魅力的な女性で、少し圧倒されそうになる。近くに来る人には誰でも菓子や飲み物を勧める。「ギリシャの血が濃いのよ」と、アリアーナは言う。「おもてなし好きなの」

 アリアーナは保守系コメンテーターとして有名になったが、96年頃にリベラルに転じた。AOLの元重役ケネス・レーラーと共に400万ドルを集め、05年に共同でハフィントン・ポストを設立した。さらにベンチャー・キャピタルから3300万ドルを調達し、現在は178人の社員がいる。

 ハフィントンはいかにして、ライバルのニュースサイトの大半を引き離すことができたのか。豊富な資金も1つの理由だが、もう1つの鍵は新しい技術を迅速に取り入れてきたことだ。

 大手サイトが稼ぐための切り札は、記事がどう配信されるかを決めるソフトウエア「コンテンツ管理システム(CMS)」。ハフィントンには最先端のシステムがあり、しかも常に進化している。30人の技術者はアメリカのほかウクライナ、インド、チリ、フィリピン、ベトナムなどに散らばっている。「1日24時間週7日、開発を続けるためだ」と、CEOのヒッポーは言う。

 このシステムのおかげでハフィントンの編集者はニュースの出し方にさまざまな工夫ができる。リンクや動画、写真やコメントを組み合わせ、ほかの情報源からの情報も加え、それにハフィントンのライターたちがもっともらしい意味付けを与える。そうする間にもリアルタイムでアクセス状況をチェックし、ウケたものとウケなかったものを取捨選択する。


■人気検索語を常にチェック

 ハフィントンには、外に出て取材をする昔ながらの記者もいるが、多くの編集スタッフは、本社の広い部屋でテーブルに座っている。レオナルド・ディカプリオの上半身裸の写真や、野球選手の急所をボールが直撃したビデオなど、ほかのサイトからおいしいネタを集めるのも大切な仕事だ。

 記事は社内で執筆するか、ほかのサイトから引っ張ってきたり、両方を合わせて編集する(コンテンツの約40%はよそのサイトで作られたものを基にしている)。

 編集者はグーグルの人気検索キーワードを常に確認している。腕の見せ所は、人気の検索語の検索結果の上位にハフィントンの記事が表示されるよう記事を作ること。これは「検索エンジン最適化」と呼ばれる裏技で、ハフィントンの得意とする分野だ。

 アリアーナは技術の重要性を認めながらも、「人間による編集に勝るものはない」と強調する。彼女はハフィントンの独自記事に誇りを持ち、成功したのは最初から情熱と独自の視点でニュースを追い掛けてきたからだと語る。

 中立で不偏不党だというふりなどしなかった。「私たちは立場を明確にしている。例えばアフガニスタン戦争なら、これは不必要な戦争だと言い続けてきた」と、アリアーナは言う。「編集者が自分の情熱に従う、それがすべてだ」

 最も驚異的なのは、読者からのコメントの数だろう。ハフィントンでは1つの記事に5000件以上のコメントが集まることも珍しくない。最近では、前大統領の弟で前フロリダ州知事ジェブ・ブッシュが12年の大統領選に出馬するかもしれないという記事に8000件以上のコメントが殺到した。6月のコメント件数は、サイト全体で3100万件に上った。


■読者の衝動を理解する

 アリアーナは、早い時期からコメントをチェックし、ネットでありがちな誹謗中傷合戦ではなく、より文明的な議論の場を守ろうとした。手間のかかる仕事だ。20人の専従スタッフが、悪意あるコメントの削除に当たっている。

「自己表現は新しい娯楽だ」とアリアーナは言う。「人々は情報を消費するだけでなく、自分も参加したいと思っている。その衝動を理解することが、ジャーナリズムの未来につながる」

 ハフィントンは最近、SNSのような役割も果たし始めた。記事を読むだけでなく、サイトに滞在して記事について他の読者と話し合う人が増えているのだ。このようにサイトへの積極的な関与を促し、ユーザーとの関係を深めることを「エンゲージメント(関与)」と言い、広告を集める上で極めて有用だ。「私たちはユーザー参加型のソーシャルニュースサイトだ」と、アリアーナは言う。

 少々大げさかもしれない。しかしそれは、ハフィントンが進化の最中だという意味でもあり、行き着く先は誰にも分からない。大手メディアに吸収される可能性もあるだろう。MSNBCとヤフーが買収を打診したという噂もあるし、株式公開を準備しているともいわれる。

 これらの噂についてヒッポーは、自分とアリアーナは「独立した強固な」ビジネスを確立しようとしている、とだけ語る。ニュースサイトの時代は始まったばかりで、ハフィントンには大きな可能性がある、とも言う。
期待が持てそうな兆しもある。ニューヨーク・タイムズの4~6月期のネット広告収入は5000万ドル。年間2億ドルのペースだ。読者数がそれほど変わらないことを考えると、年間の広告収入が3000万ドルしかないハフィントンには、まだ成長の余地があるという見方もできる。

「売り上げ1億ドル、利益率30%も夢ではない」と、ヒッポーは言う。「商品はそろっている。魅力的な読者もいる。かなり収益性の高い会社になれる」

 具体的な道のりはまだ見えないが、アリアーナ自身は少しも心配していない。彼女は「ネットメディア界の女王」になりつつある。映画『市民ケーン』が描いた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの現代版だ。彼女はその地位を大いに楽しんでいる。確かに、いま楽しまないでどうする?

(ニューズウィーク日本版8月11日号掲載)
 

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毎日新聞 9月1日(水)7時19分配信

北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記の後継体制作りに直結するとみられる労働党代表者会が、9月上旬に開かれる。金総書記の三男、正銀(ジョンウン)氏が指導部入りし、後継者として登場する可能性があると見られている。だが、厳しい統制社会だった北朝鮮でも昨年のデノミネーション(通貨呼称単位の変更)失敗で生じた経済の混乱以降、国民の不満が表面化する兆しが出ているようだ。北朝鮮から合法・非合法に多くの人々が訪れてくる中国東北部の国境地帯で北朝鮮の内情を聞いた。【北京・米村耕一】

 「もう国を信じられない。われわれはだまされている。強盛大国の約束を信じてきたが何の変化もない」

 4月下旬ごろ、北朝鮮北部の村で政府への不満を書き連ねた手書きのビラがまかれた。村にある300軒ほどの住宅ほぼすべてに、夜から明け方にかけて投げ込まれたという。これまでの北朝鮮では考えられなかったことだ。

 商用で北朝鮮に行った際、ビラが自宅に投げ込まれた住民から話を聞いた中国人の貿易関係者は「一人でできることではない。北朝鮮にも変化を望み、命がけで世論を盛り上げようという動きがあるということだ」と語った。同地方の公安当局は必死になって首謀者を探しているという。

 昨年11月のデノミは、国内経済を混乱させると同時に国民の政府に対する信頼をも低下させた。旧通貨と新通貨の交換比率を100対1とする一方で、労働者の給料は従来通りの額を新通貨で支払うなどという整合性の取れない政策だった上、物資不足の中で強行されたために急激なインフレが起きた。

 中国を訪問した北朝鮮の男性は「商品価格が急に上がって、国からもらったお金ではコメ数キロも買えなくなった。貯金も何の意味もない金額になり、一生懸命働いてお金をためてきたのに大損した」と不満をぶちまけた。政府は、市場閉鎖などの措置を取ったが「商売なんて道端でできるから取り締まれるはずがない」という。

 道路や学校の補修などという名目で、くず鉄数十キロを拠出するノルマが課されることも珍しくない。北朝鮮南部出身の女性は「学校や軍隊の運営に足りないものが多く、国ができないから私たちが支援するほかない」とため息まじりに語った。

 後継体制への移行をスムーズに進めるには社会の安定が不可欠。北朝鮮政府も、経済不安が統制の緩みにつながることを警戒している模様だ。金総書記による今年2回目という異例の訪中も、代表者会前に後継者問題を中国に説明すると同時に、中国から経済協力を取り付けて社会不安の沈静化を図ることを狙ったとみられている。

 北朝鮮の国内情勢に詳しい中国の研究者は「代表者会では、後継体制だけでなく経済改革なども議論すべきだ。そうでなければ、さらなる経済難に見舞われ、国民の不満が噴出する可能性がある」と指摘。経済へのてこ入れがなければ、北朝鮮国内で混乱が起きかねないという見方を示した。


*対北心理戦は効果ある北朝鮮住民意識に関するレポート

2010/05/24 15:42 西岡力 ドットコム

韓国・北朝鮮最新情報と日本のなすべきことを発信します!

韓国政府は対南心理戦を再開するという。繰り返し強調してきたようにその効果は大きい。


そのことがよくわかる北朝鮮住民の意識に関するレポートを自由北朝鮮放送記者が書いている。


そのレポートを全訳した。


※    ※

北朝鮮はこのように変化した


 「北朝鮮の最も大きい変化は住民たちが洗脳から目覚めたという点だ。 また、その変化は今後、北朝鮮問題における大きな変数として浮び上がるだろう」

自由北朝鮮放送2010年5月18日

 90年代初め東西冷戦が終わってから、韓国と国際社会が取った対北朝鮮政策の核心方向は北朝鮮の変化を引き出すということだった。さらに同盟国の中国も北朝鮮の改革開放を引き出すためにそれなりの努力した。

 しかし、金正日独裁集団は改革開放をはじめとする政治経済の変化を、自分たちの体制を揺さぶったり破滅させる危険な思想潮流とみなした. 彼らは「非妥協的」あるいは「蚊帳」という表現まで使いながら「外部の危険な思想潮流」を防ぎ、北朝鮮をより一層徹底した井戸の中(安全な統治領域)に閉じこめた。

 ところが北朝鮮も変わる。 それは金正日独裁政権の意図にしたがって変わるのではなく、自然発生的に変わるということだ。 北朝鮮において変わったものは大きく二種類あると見ることができる。

 第1は、金正日の反人民的「不変統治」において社会と経済、住民生活が極度に劣悪になって今は変化がなければ一歩も前に進むことができないということだ。 変わらなければ生き残ることができないくらいに経済や生活が劣悪になったということが、金正日が自分の利益を守るために行った不変統治が作り出した変化だ。 言うならば、執拗な不変政策が変化の必要性だけを育てたということだ。

 二番目は、住民たちの意識状態が飛躍的に変わったことだ。 北朝鮮社会の特徴を調べてみると、70~80年代までは住民たちが洗脳をされていた時期であり、90年代以後には住民たちがその洗脳から目覚める時期であった。 また、集中教育を受ける小学校、中学校、大学と軍服務期間が洗脳を受ける期間と言うならば、その後の社会生活過程は洗脳から目覚める期間だと言うことができる。

 74年と79年、二度にかけて北朝鮮独裁政権は平壌と咸興市をはじめとする大都市から数百万の住民たちを地方の郡と農村に追放したが、みじめに追放されていった人々が地方の郡と農村で体験した困難の一つは周辺の人々が気を許さないということだった。 その当時の人々にとって政権から見捨てられた住民たちは徹底した警戒対象だった.

 筆者が小学校に通った70年代、当時安全部(警察)に勤めていた筆者の父は町内に住む「南朝鮮出身」 「階級的環境が悪い家」「追放されてきた家」の子供たちとつきあわないようにさせた。 理由は「彼らとお前は階級的環境が違うのだから一緒に遊ぶ相手ではない」ということだった。

 筆者が通っていた学校ではある子供がふざけあっているとき「滅びる奴らの世の中」という言葉を使って該当機関に連行されて取り調べを受けることがあった。 実際、彼は国語教科書の階級教養の内容に書かれていた、古い社会を呪う言葉を覚えていて口にしてみただけなのに、それをある子供が、今の世の中を罵っていると勘違いして告げ口したからだった。

 子供たちまでもそれほど警戒心を高めていたほどに、70年代は北朝鮮全体が金日成に洗脳されたといっても過言ではない。 しかしその洗脳は80年代から徐々に解け始めて90年代からは飛躍的に変わった。

 それでは2010年現時点での北朝鮮住民たち意識状態はどうなのか。今、北朝鮮住民たちの意識状態は70~80年代とは完全に違う。 70年代の「階級意識」や「警戒心」のようなものはいくら目をこらして調べても出てこない。

 住民たちの中では、体制非難発言のようなものはもはや犯罪とは認識されない。 そのような発言はただ独裁機関だけは取り締まっているが、住民たちの心の中では体制非難発言への共感が形成されているということだ。さらに独裁機関に勤める一部の人々もそのような話を聞けば「ほかのところに行って話すな」という式の「忠告」をして見逃してくれる。 結局、住民たち間で体制非難発言をひそひそと語ることができる空間が生まれたのだ。

 今北朝鮮の人びとは「スパイ」を見ても届けでない。 保安員らや保衛部要員らにとって脱北者の家族が敵対的な勢力でなく「ワイロをとって食い物にできる対象」に変わったのもその一つの実例だ。 それは独裁機関の要員にとっても脱北者の家族が表面的には敵対的な存在であるが、実は交際する必要がある対象であるということだ。

 しばらく前、ソウルに住んでいるある脱北者が北朝鮮の友人と事前約束して電話で話したが、その友人の話が興味深い。 彼は「党の会議に参加してきたので通話約束時間を守れなかった」と謝罪したのだ。すなわち、労働党会議に参加してまもなく韓国に電話してくる彼の精神状態をどう判断すればよいのだろうか。それは今北朝鮮社会が維持されている秘訣は残忍な人権じゅうりんだけで、住民たちからすると過去の生活の延長、すなわち惰性だけだということだ。

 北朝鮮を脱出して2008年韓国に入国した北脱出者・崔ソンイル(仮名. 清津出身、現在は仁川居住)氏は、北朝鮮住民たちの反金正日感情に対してこのように話した。 「今北朝鮮で親しい友人や親戚が集まった時、金正日のことをよく言う者がいれば人々は彼をまちがいなくバカと評価する。 頭の足りない人だけが将軍様がどうこうなどという話しをする」

 70年代に個別の幹部を非難しても犯罪と考えた北朝鮮住民が、今は体制非難発言はもちろん、利敵行為と言える韓国との電話通話もありえることだと考えて、何の社会道徳的な、精神的な拘束を受けないでいる。 それは北朝鮮住民の認識の中に金正日独裁政権に対する信頼が消えたことによる反動とも言える。

 2004年北朝鮮にしばしば出入りするある中国朝鮮族の記者は筆者にこういう話をした。

「今となっては北朝鮮政権が改革開放をするにしても遅い。 今、改革開放をすれば、ややもすると無政府状態が生じるかもしれない。 多分、人々があまり目覚めていなかった70~80年代に改革開放をしたならば改革開放が成功するのはもちろん、政権も安定しただろう。」

 結局、彼の話も、政権に対する住民の無信頼と、洗脳から目覚めた北朝鮮の人々の反金正日感情が、ある契機さえあれば収拾できない大きな問題に拡大するいう意味であった。

 今、北朝鮮で金ジョンウンの後継者としての登場を画策する金正日独裁政権の最も難しい課題が民心をつかめないことだ。

 今は金正日が後継者として登場した70年代と違う。

 70年代は北朝鮮の人々が洗脳化されていた時代だったが、今は北朝鮮住民が洗脳から目覚めた時期だ。 一言でいうと、北朝鮮の最も大きい変化は住民たちが洗脳から目覚めたという点だ。 また、その変化は今後、北朝鮮問題における大きな変数として浮び上がるだろう。

チン・ソンラク記者
春秋航空
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E8%88%AA%E7%A9%BA

日経ビジネス 熊野信一郎(香港支局)2010年7月14日(水)

茨城空港に就航予定の中国の格安航空会社、春秋航空。徹底した経費削減と高い集客力で一気に頭角を現した。中国で実現した低コストの経営モデルを日本に持ち込む。

 日中間の往復航空券が4000円――。

 「“円”ではなく“元”(1元=約13円)の間違いでは?」と思う方もいるだろう。だが紛れもなく「円」である。最近では韓国系LCC(格安航空会社)などの1万円台の国際線航空券も出ているが、さらにケタ違いの価格破壊の波が中国から押し寄せようとしている。

 その主役は上海市に本社を構える中国発のLCC、春秋航空だ。同社はこの6月、茨城空港への就航を発表。7月中に上海浦東国際空港との間でチャーター便を飛ばし、日中両方の航空当局の審査などをクリアしたうえで10月までの「上海~茨城間」の定期便開設を目指す。

2005年に営業を始めた春秋航空にとって、茨城線が初の国際便。創業者、王正華董事長は「約半年間の交渉では難局もあったが、安い値段でなるべく多く利用してもらいたいという考え方で、茨城県の橋本(昌)知事と意気投合した。茨城空港を利用する航空会社が少ないのも好都合だった」と話す。

 機材は仏エアバス製の「A320」。全席エコノミークラスの180席のうち30席前後を一定期間以上前の予約などを条件に往復4000円程度とする。それ以外にも、例えば8000円、1万6000円、4万円といった具合に数段階の料金を設定する予定だ。

 茨城空港は航空自衛隊基地との共用で、フライトが時間変更を余儀なくされる問題を抱える。実際、スカイマークはそれを理由に定期便運休を発表するなど波紋を広げている。春秋航空も初フライトの日程を調整している最中だが、王董事長の「どの航空会社よりも安く」という信念は揺るぎない。

 日本ではほとんど知られていない春秋航空だが、中国ではこの数年でLCC最大手としての地位を確固たるものにしている。大手の国営航空会社が市場を独占する中国市場で唯一、民間航空会社を成功に導いた王董事長の経営手法にも注目が集まっている。

設立は2004年。翌年の上海~煙台(山東省)線の開設からわずか5年で、約50路線にまでそのネットワークを拡大した。199元(約2600円)や299元(約3900円)、399元(約5200円)などの割引価格が目玉で、「9並び」の格安チケットは同社の代名詞となっている。

 2009年、中国の大手航空会社は燃料代高騰などの影響で軒並み赤字に転落した。そんな中、春秋航空は2009年に前年比27%増の売上高19.9億元(約259億円)、純利益は前年の6倍以上の1.58億元(約21億円)を記録。同じ民間航空会社が経営不振で次々に姿を消す中、低価格路線で旅行ブームの波を捉えることに成功している。


出張にカップ麺持参でコスト削減

 一体、なぜここまで安くできるのか。王董事長は「この本社を見てもらえれば分かるでしょう」と話す。上海虹橋国際空港のすぐ目の前、春秋航空の本社が入居するのは、お世辞にも豪華とは言えない古びたビル。中国全土に路線を持つ航空会社の本社とは思えない“地味”なたたずまいだ。

 春秋航空が標榜するのは「大衆のための航空会社」。座席はすべてエコノミークラスで、機内食も出なければ機内販売もない。今年1月からは、機内での無料の飲料水の提供を廃止したほどだ。サービスを最低限にとどめる以外にも、あらゆる方法で経費節約に努める。

例えば、経営層から一般社員に至るまで、移動は原則、地下鉄など公共交通機関を使う。中国では企業の管理職は社用車や自家用車での通勤が一般的だが、春秋航空はトップ自らそのルールを実践する。王董事長も海外出張時、中国から3元(約39円)のカップ麺を持参して食費を節約するという徹底ぶりだ。

 さらに管理者層の収入を低く抑えているのも特徴だ。張秀智CEO(最高経営責任者)の年収は約20万元(約260万円)。ほかの航空会社トップの7分の1程度だが、代わりに自社株式を与える。「管理コストは4分の1だが、一般社員の待遇や安全などにかけるコストは決して削らない」(王董事長)方針だ。

 もちろん“ケチケチ”だけではない。独自のビジネスモデルが他社を大きく引き離す低価格を可能にしている。

まずチケットの販売方法。実は中国では、「春秋」ブランドは旅行会社としても広く認知されている。もともと上海市の役人だった王董事長は、雇用拡大を目的として1981年に「上海春秋国際旅行社」を設立。独自のパッケージツアーが成功し、今では中国最大規模の取扱高と拠点数を誇る。

 そのネットワークが大きな武器となっている。中国の航空業界ではチケットの予約や発券を、中国民航信息網絡(トラベルスカイ・テクノロジー)という旅客処理システム会社が独占する。航空会社はこの会社に手数料を支払うことになるが、春秋航空はチケット販売を自前の代理店網とネットに特化。この結果、春秋航空の営業コストは国内航空会社平均の3分の1程度に抑えられるという。

 低価格が客を呼び、それがさらに低価格を可能にする。春秋航空の全線の平均搭乗率は95%にも及び、ほかの航空会社の75%程度を大きく引き離す。156席が標準のA320を改造して180席に増やしているので、同じ機材であれば1便当たりの客数が他社より45%も多いことになる。これによって客単価を引き下げることが可能になる。


北九州、新潟など他空港とも交渉

 現在、春秋航空の利用客の約8割を個人客が占める。当初はこのグループの旅行会社によるツアー客の動員に依存していたが、ツアー利用者に今度は個人客として旅行や出張に再利用してもらうのがパターンだ。

 茨城線も当面は日中双方のツアー需要が中心となる見込み。そのうち約4割は、日本から中国への観光客を見込む。日本の利用者に対しても、まずはツアーで利用してもらって認知度を高め、徐々に出張ビジネスパーソンも含めた個人の割合を高めたい考えだ。王董事長は「LCCの台頭によって、消費者がパソコンの前で少しでも安いチケットを確保しようとするのが普通になった。日本でも同様に低価格チケットのブームが起こるはず」と断言する。



 3年前から海外進出を計画してきた春秋航空にとって、日本は最大のターゲット。同社が保有するA320が飛行可能な「5時間圏内」に入る候補地は茨城以外にも数多くある。この7月から実施された日本への観光ビザの取得条件緩和がもたらすであろう日本への旅行ブームも大きな追い風になる。

 一方の日本の地方都市にとっても、ケタ外れの観光需要をもたらす中国路線は喉から手が出るほど欲しいところ。既に春秋航空は、北九州空港や新潟空港など複数の地方空港との間で就航に向けた交渉を始めているという。中国で快進撃を続ける春秋航空が、巨額の赤字と利用低迷に苦しむ地方空港の救世主となる可能性もある。


日経ビジネス 2010年7月12日号12ページより
介護保険
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E4%BF%9D%E9%99%BA

キャリアブレイン 【第107回】石田光広さん(東京都稲城市福祉部長)

東京都稲城市が始めた「介護支援ボランティア制度」が全国で広まっている。一時は国の認可を得られず、お蔵入りになりかけた同制度だが、今では政令指定都市の横浜市をはじめ、約30の市町村が導入するに至った。稲城市はなぜ、一地方自治体の提案を全国区に広めることができたのか―。石田光広福祉部長に同制度を創設した経緯を聞くと、地域が国を動かす7つの条件が見えてくる。(島田 昇)

■(1)徹底したデータ分析

―介護保険制度が4月で丸10年を迎えました。一地方自治体としてどう評価しますか。

 介護保険制度はよくできたシステムです。保険者(市町村)、ケアマネジャー、サービス提供者らが1つのシステム上で、多角的な視点からデータ分析ができるからです。しかも、要介護度別人数の推移やサービス提供による効果、自治体ごとの特徴など、形式的なデータだけではなく、“中身”がよく見られます。

 従って、データを分析すればするほど、地域ごとにさまざまな課題や問題点を見つけることができます。自治体はデータ分析に基づき、それぞれの地域特性に適した有効策を個別に考えることができるのです。介護保険制度は、データに乏しかったこれまでの福祉の在り方を大きく変えたと言ってもいいでしょう。

 ただ、国が標準的な施策を定め、それを自治体に要求し過ぎると、それに自治体が縛られ、地域ごとの有効策を打ち出しづらくなってしまいます。

 例えば、稲城市は都内で最も高齢化率が低く、これから高齢化を迎えていく自治体です。従って、既に高齢化が進んだ自治体とは違う介護予防などの施策に重点を置く必要があります。一方で、国が全国一律に高齢化率の高い地域向けの施策を義務付けたりすると、地域の実情と合わない施策を実施せざるを得なくなります。

 また、自治体が独自の施策を打ち出しても、国の助成が受けられないなどで財政的な裏付けが得られないこともあります。であれば、データ分析の基盤を持ち、地域に最適な施策が分かっていながらも、「国が示す一律の施策をやっていた方が無難」と考える自治体が出てきてもおかしくはありません。

■(2)地域特性に合う施策の立案

―「介護支援ボランティア制度」の概要と、制度ができるまでの経緯を教えてください。

 介護支援ボランティア制度は、介護施設などでボランティア活動をする高齢者にポイントを付与し、現金などに換金できる制度です。現在、稲城市の高齢者約400人が参加しており、政令指定都市の横浜市をはじめ、全国で約30の自治体で実施しています。

 当初の狙いは、地域活動に積極的に参加する高齢者の介護保険料を安くすることでした。高齢化率の低い稲城市は、介護予防につながる元気な高齢者の地域活動を奨励する仕組みを用意することが、要介護者の増加を抑制し、結果として介護保険の給付費を抑制できると考えたためです。

 しかし、2005年に「介護支援ボランティアへの保険料控除制度」として提案した際、国は実施に向けた検討を行ったものの、認めませんでした。次に、「介護支援ボランティア特区」として改めて制度の創設を要望しましたが、やはり保険料軽減は認めないという方針でした。ただ、「保険料そのものの軽減は認めないが、実質的な軽減は認める」という方針が示されました。そこで折り合いをつけ、稲城市では07年9月から試行し、08年4月から本格運用を始めました。

―国は、自治体の都合で保険料自体を上げたり下げたりするのは、日本の社会保障制度の根幹を揺るがすという考えで認めないものの、介護支援ボランティア活動による実質的な軽減は認める方針を示したのですか。

 保険料は自治体でコントロールすることができないということは確かなことです。つまり、自治体はいくらデータ分析を重ねて地域の有効策を打ち出そうとしても、それは保険料外で行わねばならず、しかもそれを実現するには、非常に時間がかかるということは分かりました。それでも、介護支援ボランティア制度は全体の保険料抑制効果があることは認めていただけました。

■(3)担当者の粘り強さ

―ただ、実質的な保険料軽減は実現しました。何が成功に結び付いたのですか。

 粘り強く、具体的なデータを国に示し続けたからだと考えています。それには、国と自治体の双方にとって有効であることが分かるように明快に説明することと、インターネットを活用して情報公開する戦略が欠かせませんでした。

 制度を運用することで、具体的にどれだけの人が参加し、どれだけの保険料が軽減され、介護予防にどれだけの効果があるのかなど、さまざまな視点からシミュレーションし、制度の有効性をアピールしました。実際、介護支援ボランティア制度は、参加者が何人であっても、結果的にはわずかながらも介護予防効果は表われ、保険料の給付費が軽減できる仕組みになっています。制度を実施して損をすることはないのです。

■(4)住民の支持を得る

 制度の概要や狙い、国とのやりとりが分かるように、Q&Aや報告書はすべて市のホームページで公開しながら制度創設を進めました。市民の同意が得られないと、どんなにいい仕組みであっても成就しません。市民の間でどういう論点があって、どういう反対があるのかもすべて公開しました。全員が賛成なら自然に機能するわけで、制度にする必要はありません。だから市が制度を必要と考える真意を世に問い、問題点を改め、民意としての提案に国が反論できないまでに深化させるよう、インターネットを活用しながら仕掛けていったわけです。

■(5)長期戦で賛同者を広める

 こうした戦略には、見せ方やどう広めるかという視点のほかにも、時間的な視点も重要です。今は関心がなくても、時がたてば介護支援ボランティア制度に興味を持つ自治体も出てくるだろうと考えるためです。インターネットは、今その時にどう評価されるかということだけではなく、時間がたって評価されることも可能にしやすいプラットフォームです。そもそも問題意識の共有には時間がかかりますし、ましてや自治体によって問題意識はさまざまです。ですから、すぐに他の自治体からの賛同は得られないと考え、時間をかけてわれわれの主張を理解してもらうという意味でも、インターネットの活用は重要と考えました。

■(6)地域資源に意味付けをする

―制度設計に大きく影響を与えた視点や考え方はありますか。

 新しい制度を創設しようとは思わなかったことです。どういうことかというと、「既にいる地域のボランティア活動をする人たちを介護支援のボランティアとした」ということです。つまり、「このボランティアさんたちに手帳を配り、この人たちをクローズアップして感謝の意を示す」という、既存の地域資源を活用したのです。新たに制度をつくったというわけではなく、今あるものに意味付けをしたことが、われわれが「介護支援ボランティア制度の創設」としてやったことの本質的な取り組みなのです。

 ですから、無理なく制度を開始することができたし、参加者もその受け入れ施設も、ある程度の数で開始することができました。結果、開始当初からある程度の規模で進めることができて、この制度に参加したいというボランティアや受け入れ施設も順調に伸びていったのです。これも重要な戦略的視点でした。

■(7)柔軟に考え本質をとらえる

―今後の課題を教えてください。

 介護支援ボランティア制度は、地域の資源を掘り起こし、それら今ある資源を“接着”するための制度です。介護保険だけに頼らない、地域で支え合うことが必要とされる中で、時代に見合った制度になったと思っています。この制度は、自治体が介護保険制度で得られるデータ分析に基づき、制度設計に直接関与し、“地域の芽”を発展させることによって誕生しました。こうした地域の芽をこれからも発掘し、接着する仕組みづくりが必要です。国もこうした自治体の取り組みを支援してもらいたい。

 介護支援ボランティア制度でいうと、制度実施地域間でのポイントの共有化など、制度のさらなる進化を目指していきたいです。

 本来、ボランティアは無償で行うものだから、換金できるポイントを付与するこの制度を、「ボランティア」と呼んで運用することに反対する意見もあります。稲城市の介護支援ボランティア制度は、高齢者の社会参加のきっかけづくりを行ったものにすぎません。わたしたちは「ボランティア」の呼称にこだわらずに、地域での活躍の場の提供を行っており、これが広がりを見せているのだと思っています。

 ボランティアは対価を求めない自発的な活動ですが、さまざまな方法論を探して組み合わせ、結果としてボランティア活動によって実現する社会貢献が介護予防につながればいいと思うのです。柔軟な思考で、ボランティア活動の先にある本質的な実利が取れるのであれば、それはそれでよしとする考え方があってもいいのではないでしょうか。正確なデータに基づき、柔軟で地域の実情に見合った自由度の高い制度設計が、今の自治体には求められているように思えてなりません。

( 2010年05月29日 10:00 キャリアブレイン )
鳥取市にある賀露港には海産物を売る市場があり、そこには年間約60万人の観光客や地元の人が訪れる。この市場の横にあるのが地元の食材をベースに、主力の海鮮丼を出す小さなレストランの「賀路幸」である。レストランと言っても、どこにでもありそうな市場の横の小さな食堂である。

筆者が最初にこの食堂に興味を持ったのは、昨年夏にこのレストランを運営しているブリリアントアソシエイツ(鳥取市)の福嶋登美子社長の記事を日本経済新聞で見つけたことに端を発している。その記事には、「自身のそれまでに製造業で培ってきた視点から見るとサービス業にはまだまだ多くの改善の余地があり、それに積極的に取り組むことで増収増益を続けているだけでなく、雇用も維持している」ことが紹介されていた(日本経済新聞の2009年8月5日の記事)。

 この製造業の視点からサービス産業の現場改善を行うことの是非には多くの議論があり、むしろサービス産業の中ではそれに否定的なのが主流であることを本コラムの第2回(「顧客満足と業務効率化、二兎追うものは二兎を得る!」)で指摘した。

「テーブルは片づけるな、顧客は誘導するな」の謎
 そこで、この賀露幸の実際の現場で何が行われ、どのような成果を挙げているのかを肌で知るために、実際に自ら現場を訪れたが、そこで得られている成果の大きさに驚いた。

 賀露幸を運営するブリリアントアソシエイツの本業は地元のホテル内でのビューティサロンの運営で、地元の典型的なサービス企業である。しかし、ブリリアントアソシエイツにとって異色なのが、元々は建築用資材を製造する金物・板金工を請け負う日本ランドメタル(鳥取市)がルーツであったということである。大きな時代の流れの中で建設需要が低下し、それを補うために日本ランドメタルが最初に行ったのが装飾用の金属ディスプレイ工芸の加工へという展開であった。そして、そこからさらにサービスへ業種を移し、ブリリアントアソシエイツを2004年6月に設立したのである。

 ブリリアントアソシエイツが最初に取り組んだ事業が、鳥取県内にあるホテルで女性向けにエステなどのビューティサービスを提供することであった。しかし転機が訪れたのが、地元の特産品を販売するアンテナショップを東京都内で企画することに奔走した時である。この時に、縁で賀露港にあったこのレストラン「賀路幸」の運営を引き継ぐことになった。

 当たり前のことであるが、運営を引き継いだ2006年4月当時、レストラン運営のノウハウを持っているはずもなく、結果的に店舗の改修を新たに雇った調理師に依頼した。そして、現場の調理作業やホールオペレーションも現場に任せ切りで、実質的に事業運営を引き継ぐだけの状態であったのである。

とは言っても、開店当初の営業は順調で、休みの日ともなれば店の前に行列ができ、待たねば食べられない状況にあった。特に5月の連休中は多くの人が訪れ、経営を引き継いだ初年度の5月の連休はわずか1日間だけで300人もの人が来店した。このように見ると、レストランという新たな事業領域に進出したことは経営者として大成功のように見えた。

 ところが、300人の来店客があった5月の連休のある日、現場を訪ねた福嶋社長は驚くような光景を目にした。店前に行列がある一方で、ホール内の空いているテーブルが片づけられていないうえに、顧客の誘導さえもなされていなかったのである。このため、多くの人が行列を見て立ち去ってしまう。いわば、機会損失を招いていた。

 福嶋は社長として現場のスタッフにテーブルの片づけと顧客の誘導を指示したところ、驚くべき回答が戻ってきた。それは「テーブルを片づけると、調理長が怒る」とのことであった。

町工場の視点で作業改善へ
 最初、何が現場で行われていたか理解できなかった福嶋社長だが、状況を冷静に観察することで、何が現場で行われているかが次第に判明していった。

 テーブルの片づけが行われていなかったのは、実は非常に単純な理由だった。調理作業が間に合っていなかったのである。つまり、もし顧客が食べ終えたテーブルを片づければ、待っている顧客を案内する必要があり、顧客をテーブルに通せば注文を取らなければならない。さらにもし注文を取れば料理を出す必要がある。この当たり前のことが、あまりの忙しさで当時の賀露幸の現場ではできていなかったのである。

 このことに気づいた福嶋社長は厨房に飛び込み、何が問題なのか、分析を開始した。すると、厨房のレイアウトが複雑で、作業動線が入り組んでいた作りになっていることが分かった。複雑なレイアウトのため、現場の整理整頓がしっかりとできておらず、調理道具や備品などの物がホールの中まであふれ出してしまい、本来はテーブルが置かれるべきところも倉庫として使われるような事態まで生じていた。このため、作業動線がますます複雑になっていく。こうした結果として、調理などに多くの不必要な時間を要してしまっていたのである。このようなことが開店当時の厨房やホールの現場で行われていたのである。

この問題を認識したことで、まず日本ランドメタルの工場で働く技術者が厨房に入り、工場の生産現場で当たり前のように行われている作業しやすいレイアウトへの変更や整理整頓を進めた。複雑に入り組んでいた作業動線が簡素化され、厨房では食器の下膳と洗浄、さらに料理の調理や盛り付け、配膳などを連続的にできるようにした。作業台や棚も作業に沿って配置するようにした。これにより調理作業が効率化し、整理整頓を進めることができるようになった。

かつてホールまであふれていた品々を厨房の中に戻すことができ、ホールでの顧客の誘導もスムーズにできるようになっていった。このようなレイアウトの変更を2008年10月と2009年4月の2回行った。このような町工場で行われているような作業改善の活動の結果で、スタッフが効率的に働きやすい環境ができただけでなく、倉庫になっていた店舗ホールも開放して、席数を倍増させることができた。

集客数は4年間で4倍超になった
 このように製造業の視点でレストランの厨房やホールの改善活動を積み重ね、調理の作業効率の向上とホールでの座席を確保できるようになったことで、そもそも行列ができていたレストランで、さらに集客できるようになった。この結果、5月の連休の1日当たり最大客数が、2006年の開店当初の300人から、2008年が818人、2009年は1072人まで増やすことができ、さらに今年の2010年は1300人までその数字が伸びたのである。

 多くの場合、行列ができたことだけで、サービス業の経営者は事業の成功を感じてしまうところ、賀露幸では現場の改善活動を地道に進め、店舗面積を増やすことなく、また投資もほとんど行うことなく、来店客数を当初から4倍以上に増やすことに成功したのである。

 このように金属加工を行う会社が、普通であればやらないサービス業へ進出し、そこから製造業の視点で大胆に作業工程を大胆に組み替え、大きな成果を挙げているのである。

 このように作業改善を進めたことで、賀露幸ではさらなる集客という大きな成果を得たが、この成果は整理整頓やレイアウトの変更だけによるものではない。様々な要因がお互いにエコーしあい、結果として達成できたのである。

 次回は、大きな効果を生んだ従業員の離職率の低下と多能工化の実現を支える仕組みを明らかにする。そして、これまでの築き上げたノウハウから、そもそも今のレストランで何人まで最大集客できるのか、そして今後の事業展開とその課題について紹介していきたい。
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