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インド軍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E8%BB%8D

インド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89

The Senkaku Affair: Indian Perspective2010.10.07(Thu)谷口智彦

尖閣列島を巡る中国の対日強硬策を見て「やはり」と思ったのは、ベトナムでありフィリピンであったことだろうが、それら諸国に勝るとも劣らず、インドの外交・戦略家たちだった。

中国の勢力浸透にただならぬ警戒心を抱くインド!

国のワシントンD.C.、スウェーデンのストックホルムで2週連続、続けてインドに関わる会議へ参加し、多くのインド人から話を聞く中で、この点に関する印象を明確にすることができた。

 インドはここ数年、東北、西北国境地帯はもとより東のバングラデシュ、西のパキスタン、そして南のスリランカならびにインド洋と、全方位から進む中国の勢力浸透に加え、何よりパキスタンに核・原子力や軍事技術を惜しみなく与えようとする北京の態度に対し、ただならぬ警戒心を抱いてきた。

 しかも緊張は、最近になればなるほど、中国側が長年の慣習や静かだった実態を一方的に破り、高めてきたとデリーは見ている。

 そんな情勢認識がもともとあるから、日本に対して高飛車に出た北京の態度に、インド人は全く驚かなかった。彼らをして驚き、かつあきれさせたのは、日本がさっさと事態収拾に動いたことの方である。

 「中国発展の第1章が終わりを告げた」。いくつか聞いた意見の中にそう述べるものがあった。「いよいよ、第2章に入ったと思わざるを得ない」、と続く。これは何を意味していただろうか。

 改革・開放路線を選んだ鄧小平はかつて、天安門事件からちょうど3カ月経った1989年9月4日に中国の対外路線を論評し、訓戒を述べたという。

リーマン崩壊で第1章が終焉を迎え、第2章に突入!

後にそれは「冷静観察、沈着応対、隠住陣脚、韜光養晦、善干守拙、結不当頭」の24文字だったとされた。米国国防総省の翻訳に従うと、次のようになる。

“Observe calmly; cope with affairs calmly; secure our positions; hide our capacities and bide our time; be good at maintaining a low profile; and never claim leadership”

 ことにこの最後段、「目立たぬよう努め、先頭に立つことを目指すべからず」というところは、中国指導者やインテリたちがつい最近まで、口を開くと自国の方針であるとして繰り返し強調していたものだ。

 さるインド人観察者によると、中国発展の第1章とは、この標語を題目に掲げるものだった。けれども2008年9月15日、リーマン・ブラザーズ崩壊とともに米国と西側経済が一大失調に陥ったのを契機とし、20年近く中国対外路線を規定したスローガンは、その有効性を喪失した。

 「第2章の扉をめくった中国は、もはや自分の力を隠す必要をさらさら感じない。第二線で控えていなくてはならない必然性も認めない」――と、そう看做さぬ限り、東シナ海から南シナ海、インド洋そしてヒマラヤ山脈に及ぶ全方面で攻勢に出た中国の方針転換は、諒解できないのであるという。

インドの周辺で中国が何をしているかを眺めることは、南シナ海の内海化に転じた中国の強硬姿勢と合わせ、今般生じた尖閣列島を巡る中国の対応についてよく教えてくれる。

インドが抱く中国5つの懸念!

決して局部的なものでなければ、反復性を欠く偶発的なものでもなかっただろうと悟らせてくれるところが大きい。

 インドの警戒を高めた中国の攻勢とは、インド人の意見によるところ大きく以下の5点に収斂する。

 まず(1)に、パキスタンへのミサイル・核技術の供与と、同国における原子力発電所の建設がある。(2)に、インド洋各所における港湾の建設がある。本欄が2009年冒頭伝えた「真珠の首飾り」を広げようとする動きのことだ。

 以下残りの3項につきやや細かく見ていくと、

 (3) 北辺の州、中国と国境を接し、パキスタンとの紛争を抱えるジャンム・アンド・カシミールにおいて、中国はインドの主権にはっきり挑戦する動きを示している。

 最も露骨な動きとして、中国は同地方に住むインド人が中国へ越境入国しようとする際、入国査証(ビザ)の発給を拒んできた。

インド軍司令官が訪中を拒否される!

 旅券に対し査証を与えることは、取りも直さず旅券発行主体の主権を認めることになる。逆に査証を拒むとは、すなわち主権を否認するのと同じだ。

 そんな動きがかれこれ1年続いた今年8月末、同地方を管轄するインド軍北部方面陸軍司令官(B.S. Jaswal中将)が軍々交流訪問団の一員として訪中しようとした際、その受け入れを拒否したことで、中国の意図がなお明確化した。

 (4) 次に、北東辺の中印国境における緊張である。インドが支配するアルナチャル・プラデシ(Arunachal Pradesh)とは、ブータン、ミャンマーのみならず、中国と長い国境を接する場所にある。中国はその大半を自国領であるとして譲らず、同地を「南チベット」と呼びならわす。

 散発的な協議が両国間で進んでは停滞し、それでも概して平穏だったが、最近になって中国側は国境画定に欠かせない地図の交換に応じようとしなくなった。のみならず、インド側にちょくちょく兵を進入させては、挑発行為に出ている。

今年4月、アジア開発銀行が同地域のプロジェクトに資金を与えようとした際、中国は拒否権を行使し待ったをかけた。これも、間接的にインドの主権を承認することになると見做したからだと考えられる。

チベットにダムを建設し、水資源の利己的占有狙う!

(5) 最後に、チベット氷河に源を発する川にダムを造り、水資源の利己的占有に打って出ようとしていることだ。

 これは人間のみならず、動植物の生命にも関わる問題となり得る。インドに影響は及ばないとするのが中国の立場だが、インド人は誰もこれを額面通り受けとめない。

 問題の川とは中国が雅魯藏布江(Yarlung Zangbo River)と呼び、インドやバングラデシュではそれぞれ別の名前(Brahmaputraとか)で称される川のことだ。

 ヒマラヤ北辺に沿って西から東に流れたのち、突然大屈曲し深い溪谷をうがちつつ南へ抜け、上出アルナチャル・プラデシを経由しやがてガンジスと合流、ベンガル湾へ抜ける川である。

 流域面積は巨大、灌漑用河川として莫大な力をもつだけでなく、途中の水路には人跡の及び難いところが多々あるほどで、神秘の趣さえ持つ。屈曲点にうがたれた滝壺は、深さが数千メートルにすら及ぶと聞いた。

世界最大、三峡ダムの数倍の規模に
 中国は今年4月、この川の標高3000メートルを超える場所に、1つと言わず合計5個のダムをこしらえる計画を明らかにした。

 合計貯水量は、長江上流に造った三峡ダムをゆうに数倍するものだという。当然、影響の及ぶ分野、方面、程度いずれも想像すらできないくらいだろうが、中国は委細構わぬ様子なのである。

 ただし情報は錯綜しており、巨大な貯水池を作るのでなく分流流水発電所をつくるだけであって、流水量などに影響は微少だとする説明もある。正確なところの挙証責任は、作り手中国にある。

 こうしてみると確かにいろいろとあり、中国の出方が何かと力づくになっていることを窺わせるに十分だ。

対するインドは、どう応じようとしているか。オフレコの会議で述べられたところをここで書いてしまっては、インドの手の内を不必要に明かすことになるので慎みたい。

中国には力の論理しか通じない
 しかし、いくつか挙がった対抗策を聞き少なからず驚き、考えさせられたことは記しておきたい。インド人戦略家たちには、まず迷いというものがなかった。

 「そこまでやるか」と言いたくなる策まで公然、議論に上ったが、それもそのはず、費用便益の計算に従って、効果があるなら実施するまでだとするリアリズムが土台にあるのである。

 「こんなことして、みんなになんて言われるだろう」という、日本外交につきものの優等生的臆病がもともとない。

 さらに根底には、中国人が理解するのは友情のどうのという美辞麗句でなく、力そのものだという割り切りがある。一度としてこんな姿勢で中国に臨んだことのない戦後日本に育った者には、アタマで理解できても、体がついていけないところがある。

 なにせ、インドで著名なさる核理論家などは、これは又聞きだが、核兵器の開発でベトナムに協力すべしと論じているという。パキスタンの核開発に中国が手を貸すのを止めさせたければ、そうでもするほかないというのが立論の根拠だとか。

 日本がインドとできることは多い。学ばされるところが多々ある。少しずつインド人の情勢認識や発想を知るにつけ、日印間の協力を深めることは日本外交の地平拡大に有益だと確信を強くするばかりだ。
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2010.10.05(Tue)Financial Times

インドは今、どうやって若い人口を仕事に就かせるか、想像力を働かせ始めている。何しろ、インドの人口12億人のうち、およそ6割が25歳未満だ。増加し続ける人口は、年間8.5%の国内経済成長が提供できる以上の機会を必要としている。

 手近にある答えが、中国語を学び、お隣でインド以上の急成長を遂げる中国経済のチャンスをつかむことだろう。

中国語を受けつけずにいることは、もはや賢明ではない !

先見の明があるカピル・シバル人的資源開発相(教育相に相当)は、インドの公立学校に中国語教育を取り入れ、インドの言語力向上のために中国政府の協力を得ることを提案した。

 実現すれば、長年にわたって英語と国内の地域言語を優先させ、中国語習得の重要性を軽視してきたインドにとって、大きな政策転換となる。

 中国語を受けつけずにいることは、もはや賢明なことではないし、インドの経済的利益にもかなわない。インドと中国の2国間貿易は今年、600億ドル規模に達すると見られている。大量の安い家庭用品は言うまでもなく、発電所や携帯電話基地局など、インドの変革を支えている技術の一部はヒマラヤ山脈の向こう側からやって来る。

 インドは次第に、中国と比較して自国を評価するようになった。中国語を身につければ、中国が何をうまくやって過去40年間で国民所得を劇的に伸ばしたのか、より深く理解できるようになるかもしれない。また、同盟国というよりは短気な競合国同士のように見え、国境紛争や地域での影響力を巡る論争が絶えない新興大国間の関係も改善されるかもしれない。

 インドでは、外交官や産業界のエリート層を別にすれば、中国はよく知られていない。中国に旅行したり、留学したりする機会を得られた人もごく少ない。

インドの将来構想にとって不可欠な存在!

 中国は、インドを世界のサービス業の首都にしようとするシバル氏の構想にとって不可欠な存在だ。サービス業は既に、インドのGDP(国内総生産)のかなりの部分を占めている。インドは将来、社会の高齢化が進んで人材を必要とする国々に人的資源を輸出するようになる。人口の伸びを抑えるために一人っ子政策を追求した中国は、輸出先の1つになると見られる。

 シバル氏の着想の原点は、インドのIT(情報技術)アウトソーシング産業だ。英語の使用と有能な若い学卒者のおかげで、インド経済は過去20年間で、北米および欧州経済にしっかり組み込まれてきた。

 インドのアウトソーシング企業は今、中南米諸国やほかのアジア諸国、中でも開拓が難しい中国、日本市場に拠点網を広げつつある。言語能力はこのモデルの成功にとって中核的な要素だ。

インド政府が中国語奨励に関心を示す背景には、中国語を学ぶ学生の数が世界中で急増していることがある。英ブリティッシュ・カウンシルや仏アリアンス・フランセーズに相当する政府公式機関の孔子学院には、昨年、全世界で約26万人が在籍していた。

 対照的にインドは、孔子学院に疑いの目を向け、主要な教育拠点から遠ざけてきた。

 シバル氏はよく、インドの教育を取り巻く官僚制度が遅れているところで指導力を発揮する。1年余り前に人的資源開発相に就任して以来、盛んに喧伝されるインドの人口の配当が災いに転じないよう、何百万人ものインド人に適切な技能を身につけさせるという大きな課題への対処が遅かった省に活力をもたらしたとの定評を得た。

インドを大きく変える力!

 中国語教育の推奨は、いくつかの障害に見舞われるだろう。

 まず、シバル氏は、全国的なカリキュラムの中で言語教育を拡充することについて、インドの保守的な後期中等教育中央審議会(CBSE)を説得しなければならない。多くの人は、中国語を取り入れるのであれば、インド人が地球市民になるのを手助けするためにロシア語やスペイン語が果たす役割はどうなのか、と問うだろう。有能な教師をどこから見つけてくるのかと問う人もいるかもしれない。

 次に、インドでは、言語を取り巻く政治勢力が強い。インド南部の州は昔、数十年間にわたって、北部の言葉と見なされるヒンディー語を学校で教えることを頑なに拒んだ。大半の州は断固として、地域の母語を優先し、擁護する。

 第3に、中国語教育の推奨は、インドのアイデンティティーや、アルナチャルプラデシュ州、シッキム州といった中国と国境を接するインド北東部の州の言語を希薄化する危険を冒すと考える人もいるかもしれない。

 それでも、シバル氏は間違いなく、大事なことに気づいている。近代のインドでは、言語は状況を大きく変える力を持っているのだ。

By James Lamont in New Delhi
創造性なし、ルールなし、あまりにお粗末な企業の内情!

2010.09.07(Tue)JBプレス 姫田小夏

この春、上海のある路上に、台湾資本によるテイクアウト専門のドリンクバー「CoCo」が開店した。

タピオカ入りミルクティーはもはや中国でも珍しくはないが、このドリンクバーの前はなぜか人だかりができる。カギは、様々なドリンクを次から次へと繰り出す商品開発力で、2007年の中国本土への進出からたった3年で197店にまで店舗網を拡大した。

 興味深いのは、上海店がオープンしてからの展開だった。この路上ではたった3カ月の間に、左右50メートル内の店がまったく同じテイクアウト飲料業態に鞍替えしたのだ。数えてみると7軒もある。ヒット商品のパクリは、最も手っ取り早く確実な商売というわけだ。

 「儲かる商売」と認識されるや、ドッと企業がなだれ込み、価格競争、品質劣化のスパイラルでたちまち市場は食い荒らされる。

 一方、こちらは上海市内の、ある中国資本のメーカー。安さを武器に追い上げてくる競合他社の出現で、売上はここ1~2年で半減した。危機を感じた経営者は、社内に「新規事業開拓部」を設立した。狙っているのは業態転換。儲かる商売さえあれば、さっさとそれに乗り移ろうという魂胆だ。

 彼らには基本的に本業への執念はない。だから、本業のイノベーションにはなかなか到達できない。結局、株や不動産に手を出し、本業を忘れてしまう。

 筆者がかつて「お仕え」した中国人経営者もそうだった。足元に迫る危機に対して、本業を立て直すことよりも新たな投資先を見つけることで頭がいっぱいだった。彼は本質的に経営者ではなく、投資家だったのである。

「創造」することを知らない中国民営企業!

 上海万博の会場には、中国の民間企業が集まって作ったパビリオンがある。「中国民企館(民間企業共同館)」がそれだ。

 何しろ中国のGDPの6割近くを占めているのが民営企業だ。中国経済の牽引役と言われている民営企業のパビリオンとはどんなものか、国民の期待はいやがうえにも高まる。

 出展企業は16社(注1)。入り口には、出展企業の社員たちの膨大な数の名刺で作った巨大オブジェが並んでいる。来場者にも「まずは名刺」というわけか。

 だが、目立った展示物はこれだけ。さんざん待たされて中に入った来場者のイライラは極限に達し、ついに中国人男性が「不好看(おもしろくない)!」と怒鳴り声を上げた。

来場者らの失望した表情を和らげたのは、最後に通された劇場でのパフォーマンスだった。天井から糸でぶらさがる約1000個の「玉」による造形パフォーマンス、なんでも「民営企業の活力」を玉に演じさせているのだという。

 中国3大演出家が手がけたパフォーマンスに来場者はとりあえず機嫌を直すのだが、これが中国の民営企業とどう関係があるのだろうか。

 「金は出しておくから、あとはヨロシク」――。「額に汗する」ことを厭い、そのくせ創造性が欠如し、わずかな知恵すらも絞れない中国企業の等身大の姿が垣間見られた。

現場の声に耳を傾けない上層部!

 昨今、世界各国で買収劇を繰り広げ、勢力拡大の一途にある「脅威」の中国企業。だが、本当に恐れるに足るのかどうか。

 例えば蘇寧電器。2009年6月に日本の家電量販店ラオックスの筆頭株主となった家電量販店チェーンである。

 筆者は、開店して約2カ月が経った上海・浦東の「MUSICVOX」を訪れた。これはラオックスが秋葉原などで展開する楽器販売の専門業態で、上海では2010年6月に開店したばかり。

 開店直後は好調な滑り出しに見えたが、早くも従業員の間では「大丈夫か」という不安な空気が漂いつつある。

 店の内情を知る者は、「上層部は楽器の売り方が分かっていない。楽器そのものへの理解も欠如しているようです」と漏らす。

 上層部に状況を伝えて現場を改善しようという試みもあるが、なかなか耳を傾けてはもらえない。彼らの目下の関心事は、店舗拡大と、政府とのコネクション作りだ。そんな彼らを「官僚主義」と一蹴する者もいる。

 蘇寧電器の傘下に入って、ラオックスにとっては夢のまた夢だった中国市場が目の前に開けてきたわけだが、その道のりは想像以上に険しいようだ。

 意思疎通ができないもどかしさ、「こうあるべき」が通用しない口惜しさ、「まずは顧客のために」と主張しても、取り合ってもらえない情けなさ・・・。中国人スタッフとの軋轢に頭を抱え込む日本人スタッフは少なくない。これが日本企業にとっての過酷な現実だ。

中国の大メーカーを見限った日本人技術者!

 日本では驚異とされる中国企業だが、はっきり言って内情はボロボロだ。日本のある人材紹介会社のスタッフはこう明かす。

「中国の上場企業から日本人採用の依頼があったので紹介したのですが、日本人技術者は内部の管理があまりにもいい加減だと、早々に退職してしまいました」

 その上場企業は従業員数3万人、売上高約46億ドル、業界では世界ランキング18位の大メーカーである。だが、それ以来、その人材紹介会社は中国企業からの依頼には消極的になってしまった。

 確かに「管理」という概念すらない上場企業は少なくない。ましてや中小の民営企業などはもっとひどい。

 筆者も、ある中国企業の管理制度改革を手伝っているが、とにかくルールを明文化したがらないのが特徴だ。常に、「曖昧さ」や「グレーゾーン」を残しておきたがる。

 深層心理には「自分の首が絞まるから」というのがあるためだ。ルールを細分化すれば、それを守らせることが業務になり、それをコストに反映せざるを得なくなってしまう。しかも、「どうせ守らない」ことは見えているので、管理職は「責任問題→人事考査への影響」を恐れるのだ。

 長年にわたり中国人社長のもとで働く日本人のA氏は、彼らの経営を「行き当たりばったりで、何の戦略も計画もない」と括る。

「管理」のルールが存在しない!

 加えて、昨今はどこも経営状況が悪い。経営が厳しくなると人件費を切り詰めるため、熟練者をはじめとした人材がどんどん辞めていく。その代替で入ってくるのが、1980年代、90年代生まれのいまどきの若者たち(「80后」「90后」と呼ばれる)だ。

 彼らとは会わずとも履歴書で人となりの判別がつく。学歴ナシ、特技ナシ、だが備考欄には「我很美麗(私は美しい)」。氏名の欄には、なぜかハンドルネーム。「寂寞女人(さびしい女)」「晩上睡不着(夜も眠れない)」・・・。バーチャルと現実の区別がつかなくなっていることの証左だ。

 希望給与は新卒であるにもかかわらず「5万元」。これは外資系企業のエグゼクティブクラスだ。ある者は「給与の希望はありません。その代わり下宿代、光熱費、ガソリン代を負担してほしい」と書き込む。常識の欠落も甚だしい。

 これでまともな企業活動ができるものか。社内にはわがままな80后、90后にルールを守らせるまともな大人が存在しない。そもそもルールがないのだからお話にならない。ますます企業内部はグチャグチャで、混迷を深めるばかり。内実を知れば知るほど、中国企業の「脅威論」は幻想にしか思えないのである。
政府が「反日」の笛吹くも踊らない上海市民?

2010.10.05(Tue)JBプレス 姫田小夏

9月24日、上海でたまたま乗ったタクシーの中で、運転手は筆者が日本人かどうか試すかのように、やにわに千昌夫の「北国の春」を歌いだした。

 「日本の歌、歌えるんだね」と話しかけると、「待ってました!」とばかりに雑談が始まった。

 「日本は近いよね、飛行機で2時間ぐらいでしょ。友達が数人住んでいるんだ、いい国だって。みんな中国には戻る気がないよ、俺は行きそびれちゃったけど・・・」

 上海市民はよく日本の実情を知っている。ネットや友人、親戚を通じて、メディアが報道しないリアルな日本の情報をつかんでいるのだ。

地元メディアは猛烈に日本を非難!

 その一方で、地元メディアは、漁船船長を拘束し続ける日本に対して猛烈な非難を浴びせ続けていた。「中国は厳しい対抗措置を日本に宣告する」「中国民衆の日本への信頼感は損なわれた」など、新聞の見出しは今まで見たこともない強烈なトーンだった。

 5年の歳月をかけて築いた親日ムードを叩き壊すかのような連日の報道は、さすがに、中国にある程度の理解を持っているはずの筆者も驚き呆れるものがある。

 日本叩きの急先鋒「環球時報」は、「中国が日本という隣国と付き合うにはとりわけ注意が必要だということを、今回の事件は教えてくれた」と報道した。クレバーな上海の中国人からは、おそらく失笑を買うだろう。

 また、環球時報にはこうもある。

 「中国がこのように日本を非難すれば、日本の一部の人間を刺激するだろう。だが、今回の事件の拡大は完全に日本が起こしたことであり、日本社会はこの刺激を必ず受け止めるべきだ」

「国を治める経験に欠ける日本の現政府に、日中間の閣僚級以上の交流停止、訪日旅行中止という制裁を与えることを通して、中国と軽率に付き合ってはいけないことをはっきり思い知らせるべきだ」

 原文から伝わるのは大国化した中国の傲慢さだ。筆者からすれば「そこまで言う必要があるのか」だ。

デモの呼びかけに反応しない上海市民!

 再び「愛国・反日」に揺り戻されたかとヒヤリとしたが、一般市民の関心は、実はそんなところにはないようだ。

 満州事変(柳条湖事件)の79周年に当たる今年9月18日は、中国各地で大規模な抗日活動があると予測され、上海日本総領事館も注意を喚起していた。

 しかし、「明日、デモ行進はあるんだろうか」と側にいた中国人に尋ねると、「デモ行進? なんでそんなことをする必要があるの」とこちらが拍子抜けするような答えが返ってきた。

 上海市政府は「万博開催中」であることを理由にデモ行進はさせない方針だったが、上海市民が騒がなかったのは、そもそもこの事件に対する関心の低さにある。「領土問題なんか、老百姓(一般市民)にとっては不毛な議論」(40代、男性、会社職員)と受け止める上海市民は決して少数ではない。

バーチャルな世界でも「誰もついて来ない」。反日愛国者が9月17日にスレッドを立ち上げて「明日、万山路8号(在上海日本国総領事館住所)にみんなで行こう!」と呼びかけるも、「会社があるし・・・」「2005年の反日デモの首謀者がどうなったか知ってるか」など、反応はイマイチだった。

 翌18日、抗日活動が日本総領事館脇で行われたが、北京のそれとはだいぶ異なるトーンで、周りを取り囲んでいる市民も「ただそれを見ている」といった様子だった。「怒りがこみ上げてどうしようもない」という表情はほとんど見られない。あくまで「9・18」のためのパフォーマンスに過ぎず、活動家たちは粛々と横断幕を掲げたに過ぎなかった。

「愛国」のために生活の糧を捨てられるか!

 2005年4月、上海で反日デモが発生したが、そこで市民が直面したのは日本を攻撃することの「矛盾」だった。

 反日デモは、日本の安保理の常任理事国入りを反対して起きたものだった。10万人に達する中国人が街頭に繰り出し、スローガンを唱え、日本料理店などがターゲットとされ、破壊行為を受けた。窓ガラスが割られ、しばらく営業停止となった店もあった。

 だが、看板は「日本」でも、経営者は中国人という店もあった。中国人の従業員も多く、農村には彼らの仕送りに頼る家族もいる。

 その後、中国全土で日本ブランドの不買運動が高まった。多くの日系企業が被害を受けたが、最も傷ついたのは日本企業で働く中国人社員だった。「日本の商品なんかよく売っていられるな」と、売り場でケンカを売られた店員もいた。それでも、いい暮らしをしようと思えば、日本企業は身を寄せるしかない「大樹」なのだ。

 中国に拠点を置く日系企業は2万社を超える。日系企業が雇用する中国人はもはや1000万人近いと言われるようになった今、誰が「愛国」のために「飯碗」(生活のよりどころ)を捨てるだろうか。

 上海は1人当たりのGDPが1万ドルを突破する裕福な都市である。その発展に大きく貢献したのが外国資本であったし、とりわけ日本企業が有形、無形の投資をもたらし、上海経済の下地を作ったことは間違いない。

 息子が日本企業に勤務、親戚が日本に留学、夫が日本人・・・。切っても切れない日本との緊密な関係、それを肌感覚で知る市民は、もはや政府のスローガンでは動かなくなっている。

旅行者を「日本に行かせない」のはなぜ?

 浦東新区の高級住宅に住む中国人主婦はこう話す。「東京で道を尋ねたら、わざわざその場所まで連れて行ってくれた。日本人はやさしい」

「日本人は極悪非道な悪者なんかではなかった」ということだ。これまで刷り込まれてきた愛国・反日教育が、現実とは違っていることに市民も気づき始めているのだ。

 しかし、日本が「悪役」「仮想敵」でなくなっていくことは、中国政府にとっては都合が悪い。

 日本が船長を返さないことへの報復措置の中に、「訪日旅行の規模縮小」があった。訪日旅行客を減らして日本に経済的な打撃を与えることはもちろんだが、狙いはそれだけではない。

 「日本に旅行した人は必ず親日家になってしまう。これ以上親日ムードが高まると、愛国では扇動できなくなってしまう、という中国政府の焦りではないか」とする声もある。

万博で日本館は6時間待ちの人気!

 ところで、9月23日の中秋節の休日には60万人超が上海万博に訪れた。以下はその時の状況を「東方早報」が報じたものだ。

その日のニュースは「中国・河北省石家荘市で日本人4人を拘束」だった。連日の日中関係の悪化を煽る報道にもかかわらず、日本館にはなんと6時間待ちの長蛇の列ができたのである。

 246カ国の政府、国際機関が参加する上海万博で、日本館は「ダントツの人気」だ。これが意味するところは大きい。地元上海のみならず、中国全土から集まった国民の日本への「お手並み拝見」といった関心、そして期待と憧れが表れたものと受け止めていいだろう。

 さすがの中国政府も、日本への報復を掲げ、市民に「日本館へは行くな」と呼びかけることまではできなかったようだ。

 「政冷経熱」という言葉があるが、今はむしろ「政冷民熱」。煽っても煽っても国民には届くまい。
2010.10.05(Tue)The Economist(英エコノミスト誌 2010年10月2日号)

日本の「挑発」に対して中国が示した過剰反応は、中国のアジア外交を数年分も後退させた。

小人国リリパットで目を覚ましたレミュエル・ガリバーは、張り巡らされた細い糸に縛られて身体を動かせず、自分の胸の上で数十人の小人が浮かれ騒いでいるのを見て、叫び声を上げた。「その声はあまりにも大きく、小人たちは皆、恐れおののいて一目散に逃げ出した」という。

 やはり目覚めつつある巨人である中国も、最近になって同様の外交政策を採用しているようだ。中国のやり方は、ガリバーの叫び声と同じく効果があった。だが、ガリバーも気づいたように、このやり方には欠点もある。

 最も大きな叫び声が向けられたのは日本だった。9月7日、日本の施政下にあり、日本では尖閣諸島、中国では釣魚島と呼ばれる島嶼の沖合で、中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船2隻に衝突するという事件が起き、日本は中国漁船の船長を2週間拘留した。

 中国の反応は、日本の前原誠司外相の言葉で表現すると、「極めて過剰」なものだった。前原外相は中国側の圧力の兆候を「様々なところ」で感じたという。

 実際、中国の政府高官が、船長が釈放されなければ何らかの措置が講じられることになると緊急の警告を発すると、奇妙なことが起き始めた。

 異常に厳しい通関検査が行われ、日中貿易は滞った。中国からのレアアース(希土類)の輸出は、公式の発表がないままに1週間にわたり差し止められた。また、日本のゼネコンの社員4人が、軍事施設を撮影したという不可思議な容疑で拘束されたことも、単なる偶然とは考えにくい。

 日本はこれに恐れをなしたようだ。9月24日には、尖閣諸島を管轄する地方検察庁が、中国船の船長を釈放した。奇妙なことに、地方検察庁は日中関係の重要性に言及した。まるで、外務省が末端の司法機関に外交上の責任を預けたかのようだった。しかし中国は態度を和らげようとせず、日本に謝罪と賠償を要求した。

 一方、譲歩に対する批判に感情を害した菅直人首相は、中国は巡視船の補修費用を負担すべきだと要求した。それでも、互いに憤りを表明した後で、両国の気持ちは落ち着いてきたようだ(中国は拘束していたゼネコン社員ら日本人4人のうち3人を釈放した)。これはちょうど良いタイミングだったと言える。世界各国の閣僚や首脳が集まる会談の予定が目白押しだからだ。

10月4日には、ブリュッセルでアジア欧州会合(ASEM)が開かれ、それから数週間のうちにG20首脳会合、東アジアサミット、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が開かれる。そうした会議で、中国と日本の首脳が握手するかどうかという憶測ばかりが注目されるとしたら、情けないことになってしまう。

外交上の力比べについて言えば、今回の争いに点数をつけるのは比較的簡単に見える。1対0で中国の勝ちだ。

 菅政権は、統率されておらず、混乱しており、弱体だという印象を残した。日本の取った措置は、司法権の独立を有名無実にしてしまい、中国の方が法的手続きを尊重したように見える結果を招いた。

 一方の中国は、日本の管理下にあるにもかかわらず、尖閣諸島は中国の領土であるという見解を強硬に示し、自らの主張を通すための経済力、外交力があるということを見せつける形となった。

 同じメッセージは、ほかの地域でも見て取れる。中国は南シナ海のほぼ全域についても、理由の説明もなく曖昧に、しかし徹底的に領有権を主張しており、これを警戒する東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国は、米国に対してこの問題に関与するよう働きかけた。

 7月にはヒラリー・クリントン米国務長官がこれに応えた。クリントン長官はハノイで開かれた地域フォーラムで、南シナ海は米国の国益にもかかわるとして、この海域の領有権を巡り中国と対立する諸国の団結を遠回しに呼びかけた。

 9月24日、ニューヨークでバラク・オバマ大統領が主宰する第2回米・ASEAN首脳会議が開かれた際には、会議の後に発表される共同声明の草稿に、南シナ海についてのクリントン長官の言葉が控えめながらも繰り返し含まれていた。

 草稿では、「係争中の主張を通すために、いずれかの国が軍事力を使用する、あるいはその脅威を示すこと」への懸念が示されていた。つまり、これは中国への警告だった。

 しかし、この草稿が表面化した後、ASEAN内ではより冷静な対応を求める首脳の意見が大勢を占めた。共同声明では南シナ海についての言及は一切なく、単に「地域の平和と安定、海洋の安全、円滑な貿易、航行の自由」の重要性という、当たり前の基本事項が再確認されただけだった。

インドも注意深く状況を見守っている。マンモハン・シン首相は、中国の海洋への野心に対する懸念を口にした。シン政権は、中国がインドのある軍幹部へのビザ発給を拒否するという挑発的な行動を取ったことに対して懸念を示してきた。拒否の理由は、この軍幹部が長年にわたり中国との紛争の続くカシミール地方で任務に就いていたことだと見られる。

 中国はこの数年間、棚上げ状態にある中印間の大きな領土問題(インドがラダック、アルナチャルプラデシュ州と考える地域を巡る紛争)を再び蒸し返そうと躍起になっているように見える。

 力強い新興国である中国が、主権について過敏になっているのは予測の範囲内だ。だが、日本に「勝利」したことが本当に中国にとってプラスになったのかどうかについては、議論の余地があるに違いない。

 前原外相が指摘するように、尖閣諸島に関する中国の振る舞いは「相当数の国に対して、中国の本質の一端を」瞬時うかがわせた。それを目撃した国が、今回見たものをあまり快く思わなかったと考えるのは妥当だ。

中国がくしゃみをすれば、アジアが震え上がる!

 中国の、ほとんど好戦的と言ってもよいほど激しい反応がもたらした影響をいくつか挙げてみよう。

 まず米国には、尖閣諸島が日米安全保障条約の適用対象となることを再確認させた。日本には、レアアースなどの天然資源の採掘地を中国以外に求めることを真剣に考えさせ始めた。東南アジア諸国には、米国との距離を縮めさせた。中国の高官なら「拾った石を自分の足の上に落とした」とでも言いそうな状況である。

 日本の高官は今回の一件を、中国における軍部の影響力の拡大、2012年に開かれる次回の中国共産党全国代表大会での次世代指導者層への権力委譲を控えた権力闘争、あるいは共産党に正当性を与える新しい材料となる何か(例えば愛国心)の追求、といった文脈で捉えている。

 だがこのような理由づけは、恐らく肝心なことを見落としている。ガリバーがリリパットで2度目に目を覚ましたのは、催眠薬入りの葡萄酒を飲んで深い眠りに落ちた後のことだった。ある好奇心旺盛なリリパット人が、ガリバーがぐっすり眠っているのを確かめてから、短い槍の切っ先をガリバーの鼻の穴の奥深くに突っ込んだ。

 ところが、それはくすぐったいだけで、ガリバーは激しいくしゃみをした。目を覚ましつつある巨人は、時に自分が抑えられなくなることがある。そんなことを言っても、リリパット人にとっては、何の慰めにもならないわけだが・・・。

© 2010 The Economist Newspaper Limited. All rights reserved.英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
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