平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点)
平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中!
無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』
http://www.uonumakoshihikari.com/
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2010年09月28日 asahicom
清津川(十日町市)の水を発電に使った後、魚野川(南魚沼市)へ流す東京電力の湯沢発電所(湯沢町)の水利権をめぐり、下流の十日町市と南魚沼市の意見が対立している問題で、泉田裕彦知事は28日、関口芳史・十日町市長、井口一郎・南魚沼市長との三者会談を開く。3年前に東電による水の目的外使用が発覚後、清津川の水量確保を求める十日町市側の不満が噴出。現状維持を求める南魚沼市との溝は埋まらず、知事が調整に乗り出す異例の事態となった。
(大内奏、服部誠一)
◇
三者が話し合うのは、東電の2006年1月~10年末の水利権だ。清津川から取る水の量と清津川に流す量を決め、国は既に「妥当」と判断している。
県は何らかの見解を示さなければならず、仮に県が十日町市側を支持しても、国は東電の申請のまま許可できる。だが、11年以降の水利権申請にも尾を引くため、両市とも重視している。
湯沢発電所は1923年に稼働した。清津川の水を毎秒6・121トン引き込んで発電に使い、魚野川に流している。東電によると、生み出された電気のほとんどは首都圏に送られるという。
だが両市にとって河川の水量は生活にかかわる問題だ。清津川の水は下流の中里地域などで農業用水として使われる。日本三大渓谷にも数えられる清津峡では、水の流れが景観を左右する。一方、魚野川の水は下流の塩沢地域などで農業用水に役立てられる。流雪溝にも使われ、アユ漁も盛んだ。05年7月からは、渇水に悩む十日町市側からの求めで、一定の水量を清津川に流す試験放流も始まった。
こうした中、07年5月に東電の不正が発覚した。国交省が06年以降の水利権を許可する直前、発電用水の一部が湯沢町の灌漑(かんがい)用水に使われていることが明らかになった。十日町市側は、発電と異なる目的で水が使われていたことに反発し、対立姿勢が強まった。
県は、東電の11年以降の水利権の申請期限とされる11月までに、両市の意見を調整したいとしている。だが、担当者は「十日町市の心情はわかりやすいし、南魚沼市の論理もわかる。(河川の水量は)どちらかが増えればどちらかは減るので調整が難しい」と解決策を見いだせずにいる。
*清津川・魚野川 両流域住民の生活!
2010年09月28日 asahicom
発電のため取水された清津川の水が、魚野川に放流される――。1923(大正12)年から続くいびつな水利用の中、流域住民たちは生活を成り立たせてきた。(服部誠一)
◇
■【十日町】伏流水枯れ沢の水頼り
日本三大渓谷の入り口にたたずむ十日町市小出地区の清津峡温泉。その町内会7世帯には水道が敷かれていない。1・5キロ先の山中で、渓流水をタンクにため、パイプを通した自前の「水道」を家庭ごとにつないでいる。
藤ノ木信子さん(53)は28年前、明治期から続く土産店に嫁いだ。かつては、清津川の伏流水がこんこんとわいていたと地元の話を聞いた。上流部の発電所開発の影響もあってか、伏流水は枯渇し、沢の水が頼りになっていた。
大雨が降れば水が濁る生活は当たり前だ。4年前に近くで土砂崩れがあり、蛇口をひねると泥が出た。店先でラムネを冷やす出しっぱなしの水を見て、お客が「水がたくさんあっていいね」と言う。とんでもない。水が濁ったらすぐ分かるように、バロメーター代わりにしているだけなのだ。冷蔵庫にはいつも、非常用の水10リットルほどのポリタンクが入っている。保健所の検査費用や、渓流水に混ぜる塩素代も家計にのしかかる。
清津川を守るための運動を続けている。東京電力が清津川に試験放流をしたこの5年間、川の様子を毎朝撮影したが、「自然や私たちの暮らしが良くなったという実感はない」。3年前、東電が施設点検のために取水を一時停止したとき、エメラルドグリーンをした清津川本来の姿が戻った。あの景色をもう一度見たいと願っている。
◇
■【南魚沼】農業用水届く保証なく
コシヒカリの刈り入れが本格化する南魚沼市。全約115世帯の8割が農業に就く九日町地区は、1本の農業用水路(長さ約16キロ、幅約1・2~5メートル)の末端にあり、十分な水が届かない不安を長年抱えている。
この用水路は昭和21年から30年代にかけ、清津川からの導水を前提に農林省(当時)がつくった。約740ヘクタールを流域とした開田事業だった。
魚野川からの取水口は上流の1カ所で、土地の傾斜で水を流す。途中、パイプライン経由で水を枝分かれさせる仕組みだ。用水路の傾斜や幅が一定していなかったり、ゴミが引っかかったりし、九日町地区まで水が確実に届く保証はない。同地区でコメ作りを続けて40年以上になる山口将治さん(74)は、農家同士が水の奪い合いをする現場に、これまで何度も立ち会った。地元の土地改良区は16キロを3区間に分け、区間ごとに時間を区切って担当者が分水するといった「水番人」制度をつくり、山口さんは13年前からその責任者に就いている。
8月の猛暑は深刻だった。ため池や7月の長雨で山からの渓流水があったことでしのげたが、山口さんは「今年よりひどい日照りになると、1地区の給水は3日おきになる」という。
清津川からの放流が前提となるコメ作りだが、山口さんはこうも言う。「水の手当ては国が責任を取る話。水の奪い合いという地域のエゴだけでは、何も生まれない」
清津川(十日町市)の水を発電に使った後、魚野川(南魚沼市)へ流す東京電力の湯沢発電所(湯沢町)の水利権をめぐり、下流の十日町市と南魚沼市の意見が対立している問題で、泉田裕彦知事は28日、関口芳史・十日町市長、井口一郎・南魚沼市長との三者会談を開く。3年前に東電による水の目的外使用が発覚後、清津川の水量確保を求める十日町市側の不満が噴出。現状維持を求める南魚沼市との溝は埋まらず、知事が調整に乗り出す異例の事態となった。
(大内奏、服部誠一)
◇
三者が話し合うのは、東電の2006年1月~10年末の水利権だ。清津川から取る水の量と清津川に流す量を決め、国は既に「妥当」と判断している。
県は何らかの見解を示さなければならず、仮に県が十日町市側を支持しても、国は東電の申請のまま許可できる。だが、11年以降の水利権申請にも尾を引くため、両市とも重視している。
湯沢発電所は1923年に稼働した。清津川の水を毎秒6・121トン引き込んで発電に使い、魚野川に流している。東電によると、生み出された電気のほとんどは首都圏に送られるという。
だが両市にとって河川の水量は生活にかかわる問題だ。清津川の水は下流の中里地域などで農業用水として使われる。日本三大渓谷にも数えられる清津峡では、水の流れが景観を左右する。一方、魚野川の水は下流の塩沢地域などで農業用水に役立てられる。流雪溝にも使われ、アユ漁も盛んだ。05年7月からは、渇水に悩む十日町市側からの求めで、一定の水量を清津川に流す試験放流も始まった。
こうした中、07年5月に東電の不正が発覚した。国交省が06年以降の水利権を許可する直前、発電用水の一部が湯沢町の灌漑(かんがい)用水に使われていることが明らかになった。十日町市側は、発電と異なる目的で水が使われていたことに反発し、対立姿勢が強まった。
県は、東電の11年以降の水利権の申請期限とされる11月までに、両市の意見を調整したいとしている。だが、担当者は「十日町市の心情はわかりやすいし、南魚沼市の論理もわかる。(河川の水量は)どちらかが増えればどちらかは減るので調整が難しい」と解決策を見いだせずにいる。
*清津川・魚野川 両流域住民の生活!
2010年09月28日 asahicom
発電のため取水された清津川の水が、魚野川に放流される――。1923(大正12)年から続くいびつな水利用の中、流域住民たちは生活を成り立たせてきた。(服部誠一)
◇
■【十日町】伏流水枯れ沢の水頼り
日本三大渓谷の入り口にたたずむ十日町市小出地区の清津峡温泉。その町内会7世帯には水道が敷かれていない。1・5キロ先の山中で、渓流水をタンクにため、パイプを通した自前の「水道」を家庭ごとにつないでいる。
藤ノ木信子さん(53)は28年前、明治期から続く土産店に嫁いだ。かつては、清津川の伏流水がこんこんとわいていたと地元の話を聞いた。上流部の発電所開発の影響もあってか、伏流水は枯渇し、沢の水が頼りになっていた。
大雨が降れば水が濁る生活は当たり前だ。4年前に近くで土砂崩れがあり、蛇口をひねると泥が出た。店先でラムネを冷やす出しっぱなしの水を見て、お客が「水がたくさんあっていいね」と言う。とんでもない。水が濁ったらすぐ分かるように、バロメーター代わりにしているだけなのだ。冷蔵庫にはいつも、非常用の水10リットルほどのポリタンクが入っている。保健所の検査費用や、渓流水に混ぜる塩素代も家計にのしかかる。
清津川を守るための運動を続けている。東京電力が清津川に試験放流をしたこの5年間、川の様子を毎朝撮影したが、「自然や私たちの暮らしが良くなったという実感はない」。3年前、東電が施設点検のために取水を一時停止したとき、エメラルドグリーンをした清津川本来の姿が戻った。あの景色をもう一度見たいと願っている。
◇
■【南魚沼】農業用水届く保証なく
コシヒカリの刈り入れが本格化する南魚沼市。全約115世帯の8割が農業に就く九日町地区は、1本の農業用水路(長さ約16キロ、幅約1・2~5メートル)の末端にあり、十分な水が届かない不安を長年抱えている。
この用水路は昭和21年から30年代にかけ、清津川からの導水を前提に農林省(当時)がつくった。約740ヘクタールを流域とした開田事業だった。
魚野川からの取水口は上流の1カ所で、土地の傾斜で水を流す。途中、パイプライン経由で水を枝分かれさせる仕組みだ。用水路の傾斜や幅が一定していなかったり、ゴミが引っかかったりし、九日町地区まで水が確実に届く保証はない。同地区でコメ作りを続けて40年以上になる山口将治さん(74)は、農家同士が水の奪い合いをする現場に、これまで何度も立ち会った。地元の土地改良区は16キロを3区間に分け、区間ごとに時間を区切って担当者が分水するといった「水番人」制度をつくり、山口さんは13年前からその責任者に就いている。
8月の猛暑は深刻だった。ため池や7月の長雨で山からの渓流水があったことでしのげたが、山口さんは「今年よりひどい日照りになると、1地区の給水は3日おきになる」という。
清津川からの放流が前提となるコメ作りだが、山口さんはこうも言う。「水の手当ては国が責任を取る話。水の奪い合いという地域のエゴだけでは、何も生まれない」
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年齢:
70
HP:
性別:
男性
誕生日:
1954/01/01
職業:
農業
趣味:
スキー・読書・インターネット
自己紹介:
私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
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魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!
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