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長妻昭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%A6%BB%E6%98%AD
2011年02月18日(金)現代ビジネス
良き官僚は悪しき政治家である マックス・ウェーバー!
第1章 大臣退任の日
第2章 熱狂の政権交代
第3章 役所文化との闘い
第4章 官僚の抵抗
第5章 政治家を志した理由
第6章 民主党はどこへ向かうのか?
第7章 未来への提言
序章
再建のために倒産企業に乗り込む---。
厚生労働大臣として、4人の副大臣・政務官とともに、厚生労働省に向かった時、私はそんな覚悟だった。
「消えた年金」問題、薬害肝炎事件での隠ぺい体質、年金や雇用保険料によるリゾート施設建設など、厚生労働省は、多くの不祥事で国民から厳しい批判を浴びていた。
民間企業であれば、とうに倒産してもおかしくない状況だろう。しかし、幹部や職員の危機意識は思いのほか、希薄だった。そこに私は強い危機感を持った。
前例を踏襲すればそれで良い。仕事は非効率のまま。情報は上げない---。こうした感覚が当たり前だった厚生労働省は、私が経験したことのない、別世界のようだった。
そこで、私が目指した目標は、大きく二つである。
一つは、古い役所文化を変えるということ。巨大官庁である厚生労働省の役所体質を変えれば、それは直ちに霞が関の行政の改革に直結する。無駄の発生も抑えることができる。そんな確信があった。
大臣に就任して、驚いたのは朝礼が無い、ということだった。これまで大臣と全局長が一堂に会する機会は、年に数回しかないというのだ。
これではどうやって大臣、副大臣、政務官の政務三役と意思疎通を図るのか。
まずは毎週月曜日に、大臣ら政務三役と、局長以上のすべての幹部との朝礼を定例化することから始めた。
局長に、各局の懸案事項や課題を順番に報告してもらった後、政務三役と意見交換する。最後に局長には、持ち回りで「私の厚生労働省改革私案」と題する意見を発表してもらった。
もう一つ私が目指したことは、「少子高齢社会を克服する日本モデル」という10年後を見据えた福祉ビジョンを策定し、財源も含めて国民と意思を共有していくということだった。
世界で最も少子高齢化の進んだ日本で、世界のお手本となる福祉モデルを実現することは急務だ。財源については、内閣の一員である国務大臣として、消費税の引き上げを、国民に納得される形で打ち出していく。そのためにはまず、厚生労働省の信頼を取り戻すことが肝心だった。
私が目指した二つの目標のうち、古い役所文化を変える点については、省内に役所の体質を変えるための組織や人事評価の仕組みを数多く埋め込んだ。今後、確実に役所の体質は変わっていくと考える。
もう一つの目標である福祉ビジョンは、今、その策定が政府と与党で進められている。内閣はその意思を鮮明にした。
ちょうど1年間の大臣経験を振り返ってみると、胸を張って達成できたと言えることもあるし、忸怩たる思いもある。霞が関という巨大な壁を前に悄然としたこともあるし、私の目指す改革に理解を示してくれる官僚との出会いに感激したこともある。
1年間、正確に言えば367日間の大臣生活で何ができて何ができなかったのか。できなかった理由はどこにあり、どうすればいいのか。
本書では、それをつぶさに記そうと思う。これからも続く民主党政権の改革において、あるいは「政」と「官」のより良き関係を考察するにあたって、国家権力の「奥の院」に入った私の経験談はそれなりに参考になると思うからだ。
政と官の新ルール---。本書のサブタイトルだ。
これまではどんな政と官の関係だったのか。
言うまでもなく日本は議院内閣制の国だ。国民から選ばれた国会議員が、国会議員の中から、行政を指導・監督して日本を任せるのに最も相応しい人物を、総理大臣として選び、行政のトップに送り込む。
総理大臣1人では荷が重いので、過半数は国会議員という条件付きで、17人を上限とする閣僚を任命し、内閣というチームを結成する。
この体制で、各省庁の官僚をコントロールして、民意を行政に反映していく。ところが、長年の自民党政権の下では、大臣は、役所を指導・監督するどころか、逆に役所に指導・監督され、官僚の代弁者となってしまった。
まさに、ミイラ取りがミイラになってしまったのだ。
これでは、何のために大臣がいるのか分からない。行政に民意は伝わらない。
この結果、世間の感覚とズレた行政が、国民の反発を呼んで、政権交代の大きなうねりになったのだ。
民意とのズレを変えるための政治主導を民主党は訴えた。政治主導とは、官僚を排除することではない。ましてや官僚とケンカをすることでもない。これまで、長年にわたって培われてきた慣習やルールに乗っかって政治家である首相や大臣らが動いていたものをいったん、見直し、改めて政治家が作ったルールや仕事の進め方で、官僚に動いてもらう、こういうことだ。
民意に沿った「生活者の立場に立つ信用できる政府」を創るためだ。
これは、大臣をはじめとする各省の政務三役で取り組むことができることもあるが、内閣全体として、統治の仕組みを法案化も含めて根本から変えなければならない課題も多い。
それを本書では書いたつもりだ。
政治家と官僚は、その地位の源泉が異なる。
政治家は選挙で選ばれる。
官僚は試験で選ばれる。
政治家が官僚の手綱を握り、官僚は政治家を全力で支える。行動原理も違う両者が一致団結して、国難に当たることが重要だ。もちろん、これは、決して政治家が官僚に迎合することではない。
そのために政と官の新しい関係を私なりに創り上げようとした。
その奮闘記である。
野党時代、私は役所の無駄や怠慢、およそ国民の常識とはかけ離れた“お上意識"を批判し、追及する急先鋒の側だった。
なぜ、官僚任せの政治はダメなのか。ひと言で言えば、官僚は絶対に潰れず、解雇されない役所という“安全地帯"にいることで、生活者の視点からかけ離れてしまうからである。ふつうの企業であれば、顧客のニーズを汲み取る。ニーズに合わせて、柔軟に組織を動かす。それができなければ倒産という形で組織が存続できなくなる。しかし、役所には倒産がない。だから、国民のニーズとは関係なく、とにかく、組織を膨張させようとしがちである。必要な組織の拡大であればよいが、非効率に手をつけないまま、まず膨張ありきという発想だ。
戦前の軍部がやみくもに中国や南方に進出したのは、拡大路線を取れば取るほど、司令官はじめ軍部の主要ポストが増え、予算も獲得しやすくなるという一面があった。そういう話を昭和史研究を続けている作家の保阪正康さんに聞いたことがある。今の役所と変わらないな、と思った。この膨張主義が失政や無駄を生む。いつのまにか、国民、生活者の視点とはまったく乖離した組織が、自分たちの都合で行政を動かすようになるのである。
私は野党時代から、こうした役所の体質をイヤというほど味わい、分かっていたつもりだったが、大臣になってみると、改めて驚くことの連続だった。
中央省庁の官僚組織は一つの生命体のように見える。私はそこにポンと置かれた異物のように感じたものだ。生命体は異物が入り込むと抗体反応で排除に動く。霞が関の抵抗を目の当たりにするたびに、そんな感覚にとらわれた。
おそらく、異物は私だけではなかったのだろう。民主党政権全体が彼らには異物に見えたのかもしれない。
抵抗する時、彼らは省も局も関係なくなる。霞が関が全体で一つになって挑んでくる。誰が指示したわけでもない。統率者がいるとも思えない。もっと言うと、官僚が悪いわけでもない。彼らに悪意があるわけではない。しかし、官僚たちは、こういう時になると、すっと一つになる。
おそらく、霞が関独自の常識、文化を共有している者の習性であろう。私にはそれが国民の感覚からはかけ離れた「異文化」に見えた。それを変えてみようと挑んだのである。
官僚には明治以来の歴史がある。帝国議会の発足にさきだって、官僚組織はスタートしている。その中で培ってきた文化を変えるのは一朝一夕にはできない。私が手がけた独立行政法人や公益法人への天下り規制、理事の公募制導入などは、強い抵抗を受けた。
こういう時に大臣の真価が問われる。官僚と妥協するのも一つの方法だろう。彼らは大歓迎してくれて、行政の「自動運転」をしてくれる。自民党政権時代、多くの大臣がとってきた手法である。しかし、真正面からぶつかり、納得してもらう方法もある。
私が選んだのは後者だ。
実を言うと、時間がないことは予想していた。衆院の任期は4年あるが、通常、この間に何度か内閣改造がある。閣僚の任期は平均1、2年くらいだろう。私はもっと長くやった方がいいと思うし、とりわけ、厚生労働行政はカバーすべき範囲が広いうえに、専門性が要求される。できればじっくり腰を据えたかったが、そんなに時間的余裕はないのではないか。そんな予感と覚悟があった。
4年ぐらいの時間があれば、官僚と徹底的に話し合い、こちらの考え方を納得してもらい、彼らからボトムアップで意見を吸い上げる形の改革も可能だろう。しかし、時間がなければ、ある程度はトップダウンでいくしかない。多少の軋轢は恐れず、号令一下やるしかない。覚悟の挑戦だった。
厚生労働省は職員約3万3000人の大所帯である。一口にトップダウンと言ってもなかなか、末端まで意思が通じるものではない。
私はあるメガバンクの会長を訪ねた。何万人もの行員が勤務するメガバンクは、規模でいえば、厚生労働省に匹敵する。歴史も社風も違う銀行が合併したメガバンクは、厚生省と労働省が合体した厚生労働省と似ていなくもない。しかも、その会長は、銀行のプロパーではなく、外部から招かれたのである。
落下傘のように降りてきたトップに対し、行員は当初、疑心暗鬼だったに違いない。会長のご苦労は容易に想像できる。そんな「異文化」の中で、どうやって人心を掌握し、マネジメントをしたのか。お知恵とアドバイスを請うたのである。
「長妻さん、一度や二度言っただけではダメだ。何百回と同じことを言い続けるんだよ」
会長からは、こんな言葉をいただいた。私はそれを実践したつもりだ。官僚が辟易するくらい、しつこく、何度も「なぜ、厚生労働省の改革が必要なのか」を説き続けた。こんなに口うるさい大臣は初めてだ、とずいぶん、陰口をたたかれたものだ。対立が新聞に書かれ、「もっとうまくやれ」と忠告してくれた仲間もいた。
しかし、私は意に介さなかった。「生活者、国民の視点に立て」としつこく、言い続けたのである。
その結果、巨大組織は変わってきたのだろうか。
たった1年で退任した私がその答えを出すのは僭越だろう。何年かのちに、民主党政権を総括する時、歴史が評価することだと思う。それは百も承知のうえで、役所にとって「招かれざる大臣」だった私が夢中で駆け抜けた1年間を振り返り、その成果と反省を書いてみたい。
また、それらを踏まえ、私が実現させようとしている「この国の将来図」を提言したい。民主党はこれからどこへ向かうのか? そんな疑問にも答えようと思う。
あとは国民のご判断を待つばかりである。
第1章 大臣退任の日
「残念」と充実感」とのはざまで
「厚生労働大臣、細川律夫」
2010年9月17日午後、第1次菅直人改造内閣で官房長官に留任した仙谷由人氏が閣僚名簿を読み上げた。
私の退任が決まった瞬間だった。
厚生労働省を出ようとすると、新聞記者に囲まれた。感想や、これからの人事、身の処し方を聞こうというのだろう。私はほとんど何もしゃべらず、車に乗り込んだ。
確かに大臣就任1年での退任は「志半ば」で残念な部分はある。しかし、悔しいとか、無念だというのとは違う。
1年間、私なりに全力でやってきた。誤解を恐れずに言えば、充実感のようなものがある。
私はもともと、それほどたくさん食べる方ではない。しかし、大臣時代は腹が空いて仕方がなかった。かといって、移動はほとんど大臣専用車だから、運動をしているわけではない。当初はほぼ毎日、1階から10階の大臣室まで階段を使ったが、やがて時間に追われて、そうできなくなった。それでも腹が無性に空く。しかし、いくら食べても全然、太らない。
おそらく、栄養はすべて脳に使われたような気がする。頭を酷使し、フル回転させると、腹が空くのかと思った。それほど、脳みそを絞る日々だった。
野党時代から膨大な役所の資料と格闘してきた私は、それなりのキャパシティーがあると思っている。それでも、厚生労働大臣が扱う資料、案件の多さは野党時代の比ではなかった。野党時代を20だとすれば、大臣は100ぐらいではないか。
もちろん、すべてを官僚任せにすれば、脳みそを絞ることもないのだろうが、私はそれを拒否した。政権交代の1年目なのである。これまでやってきた行政判断は正しいのか。政務三役と一緒に一つひとつチェックするのは当然の責務だと思ったのである。
招かれざる大臣 ~政と官の新ルール~ 著者:長妻 昭
(朝日新書)本文9~23ページより抜粋
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『招かれざる大臣 ~政と官の新ルール~』
著者:長妻 昭
朝日新書
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著者●ながつま あきら
1960年、東京生まれ。慶応大学法学部卒業。日本電気株式会社、日経BP社を経て2000年6月、衆議院議員初当選。現在4期目。小選挙区東京7区(中野区・渋谷区)。野党時代に年金記録問題で政府を鋭く追及し、政権交代に貢献した。
鳩山内閣、菅内閣で厚生労働大臣を務め、「脱官僚」を目指した。
著書に「闘う政治」(講談社)などがある。
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