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平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
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2010/11/25(木)サーチナ

 23日に発生した韓国・延坪島での南北砲撃戦で、韓国は民間人を含む4人が死亡し、19人が重軽傷を負った。一方の北朝鮮側の被害規模は不明で、「数十人の人命被害」や「死傷者ほぼ皆無」などと、見解が分かれた。

北朝鮮の海岸砲は洞窟陣地に隠れされているため、韓国軍は、基地に正確な打撃を与えることは困難だとみて、北朝鮮軍の兵舎を標的にした。そのため軍事専門家は、韓国軍の砲撃による北朝鮮側の被害は皆無に近いと推定した。
  一方、韓国国防部は「北朝鮮軍の死傷者数が数十人に達する」との分析結果を示した。使用した韓国軍のK-9自走砲が北朝鮮の海岸砲と比べ、最大で威力が10倍も大きいことや、肉眼で確認できた北朝鮮のケモリや茂島地域の洞窟陣地が確認できなくなったことを、主な理由とした。

  ただし、具体的な被害状況については「北朝鮮の上空が雲に覆われており、まだ確認できていない」と発表。衛星や偵察機などあらゆる手段を動員して確認作業を行っているという。

  韓国では軍の対応をめぐり批判的な見方が強まった。着弾から応戦までに13分間も要したことや、北朝鮮の170発に対して80発しか発射しなかったことなどが、問題視されている。政府発表の「断固対応」とはほど遠い、弱腰の対応とする非難高まった。(編集担当:金志秀)


*自走砲の半数が故障…砲撃戦、韓国で高まる自国軍への批判!

韓国軍合同参謀本部は25日、北朝鮮の韓国・延坪(ヨンピョン)島への砲撃に対する対抗射撃で当初、自走砲6門のうち半数が作動しなかったことを明らかにした。韓国軍は23日の砲撃戦当日に6門で初期対応したと発表しており、韓国メディアは自国軍の不備を批判しはじめた。

韓国軍合同参謀本部によると、韓国軍は延坪島に155ミリ(K―9)自走砲を6門配置しているが、北朝鮮の砲撃で2門はレーダー部分が壊れ、使えなくなった。さらに1門は、午前中の射撃訓練で砲身(ほうしん)に不発弾を詰まらせていた。

  韓国軍による第1波攻撃は、23日午後2時47分から午後2時59分までの12分間。機能障害を起こした自走砲1門を緊急整備し、3時6分に開始した2波攻撃は計4門で行った。

  韓国軍当局は北朝鮮が砲撃した23日、自走砲6門で初期対応したと発表したが、24日には2門が故障し4門で対応したと訂正。今回、さらに数が減少し3門であることを明らかにした。韓国メディアは、軍がうその内容を発表することで、初期対応の問題を隠蔽(いんぺい)しようとした可能性があると批判した。(編集担当:新川悠)


*砲撃戦が韓国の地政学リスクを浮き彫りに、どうなる韓国のW杯招致!

韓国領延坪島(ヨンピョンド)付近で23日午後2時34分ごろ、北朝鮮軍が砲弾を発射し、韓国軍が応戦する砲撃戦が発生した。砲撃戦の発生を嫌気し、ソウル市場の総合株価指数(KOSPI)は0.79%安となった。

砲撃戦によって、シンガポール株式市場では株価指数のストレーツ・タイムズ指数(STI)が大幅下落、香港市場でもハンセン指数 の日足チャートが2.67%下落するなど、韓国の地政学リスクが浮き彫りとなった。

  12月2日には2022年ワールドカップ(W杯)の開催国が決定するが、南北間の砲撃戦について、韓国のW杯招致委員会の韓昇洲(ハン・スンス)委員長は、「わが国のW杯招致には影響しない」と自信を示した。

  韓昇洲委員長は、北朝鮮による挑発はW杯招致にマイナスにはならないと主張、「われわれは危機を機会に変え、スポーツを通じて南北交流と協力を促進したい」と述べた。

  さらに、韓昇洲委員長は、政治面と軍事面においては緊張しているものの、スポーツ交流は今後も継続していく方針を示し、砲撃戦の発生は「反対に、招致にプラスの影響をもたらす」と語った。(編集担当:畠山栄)


*中国が空母5隻建造へ 空母は2015年に稼働=中国メディア!

中国網日本語版(チャイナネット)によると、中国初の空母『ワリヤーグ』(元旧ソ連製)の改修が完了間近で、2011年に進水できる見込みだ。

  軍事専門家は、中国は5つの空母戦闘群を配備し、2015年までに海上軍事活動を開始する予定で、空母の空中打撃力についてあらかじめシステムおよび戦術の訓練を行うと見ている。これは、10年珠海エアショーで姿を見せた最新戦闘機が、実際に空母から離陸する日がそう遠くないことを意味している。

  中国はここ数年公海での活動を活発化しているが、海軍については、まだその核心的要素に欠けている。しかし、この状況は、まもなく変化を見せる。中国は正式発表を控えているが、すでに国内初となる空母建造に着手している。まだ全面的な稼動状態ではないが、早くて来年には進水できる見込みであるという。

  また、それは前ソ連製の空母であり、現在中国東北部の港都市、大連で改修を行っているという。米国際評価戦略センターの中国軍事問題専門家であるリチャード・フィッシャー(Richard Fisher)氏は仏通信社のインタービューを受けた際、ペンタゴンは中国初の空母が2015年に行動を開始すると予測していると発言した。

  フィッシャー氏は、「この予測は比較的妥当なものである。その時期が来れば、中国は十分な艦載機の連隊を持ち、空母戦戦略を発展させ、戦闘戦術を策定しはじめるだろう。」また、中国は香港と日本のメディアに対し、2隻の核動力空母を含む空母艦隊5隻以上の建造を予定していることを明かした」と述べている。(つづく 編集担当:米原裕子)

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2010/11/27(土) サーチナ

 北朝鮮と韓国の砲弾射撃事件発生後の24日、韓国の『中央日報』は両国の西海(中国名:黄海)海域における軍事力に対し比較を行った。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。

  ■韓国軍側の戦闘力

  報道によれば、北朝鮮の攻撃を受け、韓国軍が直ちに反撃に投入したK-9自走榴弾砲は韓国が独自に開発したもので、1999年に配備された新しい武器である。単体での製造価格だけで40億ウォン(約3億円)だ。

  砲身は長さ8メートル、口径155ミリで、最大射程距離40キロ。1分当たり6発の射撃が可能で、急速発射時は15秒間に3発を発射できる。殺傷半径も50メートルと、北朝鮮軍の76ミリ、130ミリ海岸砲(殺傷半径15~30メートル)を圧倒する。さらにK-9は1000馬力のディーゼルエンジンを搭載しており、最大移動距離は67キロに及ぶ。

  現在、韓国軍は白〓島(〓は令に羽 ペンニョンド)と延坪島(ヨンピョンド)に数台の砲台を配備している。さらに、それと連動した形で対砲兵レーダーAN/TPQ-36(探知距離24キロ)とAN/TPQ-37(50キロ)も配備している。

  報道によれば、韓国側の黄海5島「北方限界線(NLL)」における防御戦力は海軍陸戦隊が主力となっている。砲撃を受けた部隊も、延坪島に駐在していた海軍陸戦隊延坪部隊だった。本部隊は延坪島近辺の住民(1800名強)のうちの1000人の兵力で構成されている。現在、延坪島と江華島の間にある牛島にも60名強の中隊兵力(牛島中隊)が配備されている。白〓島駐在の海軍陸戦隊は6部隊(黒龍部隊)で、これも4000人の兵力で構成されている。さらに、白〓島南方に位置する大青島(デチョンド)と小青島(ソチョンド)にもそれぞれ防御部隊を駐在させている。

  海軍陸戦隊はK-9自走砲の他にも、旧型M47戦車の砲台から分離した90ミリ海岸砲と迫撃砲、無反動砲なども数十から百門強を保有している。また北朝鮮の空襲および空中侵入に備えた対空戦力として、20ミリのバルカン砲と短距離対空ミサイル「ミストラル」数十基も配備している。白〓島及び延坪島近海では、海軍高速艇編隊が常時非常警戒勤務を行っており、天安艦襲撃事件以降、韓国型駆逐艦(KDX-I,3500トン級)もNLL付近まで前進配備されている。(つづく 編集担当:米原裕子)

*南北の黄海軍力配備を比較 北朝鮮の海岸砲は威力大(2)

■北朝鮮軍の戦闘力

  11月23日、北朝鮮は黄海道康リョン郡(ファンへド・カンリョングン)基地と茂島(ムド)基地から海岸砲・曲射砲で延坪島を攻撃した。これらの基地には射程距離27キロの口径130ミリ、12キロの76.2ミリの海岸砲が配備されている。

  これまで黄海道一帯に配備される海岸砲は、そのほとんどが射程距離10キロ前後の口径76ミリ・100ミリのものだった。しかし北朝鮮は今回、それを射程距離が長い大口径砲にかえたのである。さらには、地上曲射砲も同時に発射している。情報によれば、康リョン郡には射程距離27キロの口径130ミリ、54キロの170ミリが配備されているという。

  韓国軍当局がもっとも懸念(けねん)している黄海のシナリオは、北朝鮮が特殊部隊を投入し、延坪島を奇襲占領するというものだ。北朝鮮のこれまでの動向はまさに海岸砲を使用して黄海の状況を探っているという状態だ。事実、延坪島などの黄海5島は北朝鮮砲の射程距離範囲に入っている。白〓島(〓は令に羽 ペンニョンド)から北朝鮮の長山(チャンサン)岬までの距離は17キロメートルしかない。北朝鮮軍が76ミリの海岸砲を配備したウォルレ島からは12キロメートルだ。白〓島からは肉眼で長山岬が見える。砲撃当日、北朝鮮の砲台が位置する康リョン郡から延坪島までは約12キロの距離しかなかった。

  また、北朝鮮は海岸砲を、白〓島及びその付近の長山岬、オンジン半島、延坪島北側の康リョン半島およびウォルレ島、大睡鴨(デスアプ)島などの海岸と島の岩壁に作った洞窟に隠しており、その数およそ1000門と推定される。海岸砲は洞窟陣地内から長さ5メートルほどのレールに沿って前後に移動させることができる。そのため、射撃時には洞窟陣地内から外に移動させ、偽装を行った後に発射するのである。

  そして、北朝鮮軍の海岸砲台が脅威的であるもう一つの理由は、ともに配備されている地対艦ミサイルである。北朝鮮は黄海道海岸の山一帯に大量の射程距離83-95キロのSAMLET、シルクウォーム地対艦ミサイルを配置している。北朝鮮が海岸砲攻撃を行う際に、韓国海軍が艦砲射撃で反撃を行うのが難しい理由がこれである。(おわり 編集担当:米原裕子)

雑穀
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%A9%80

ドラッカーで読み解く農業イノベーション(5)

2010.11.26(Fri) JBプレス 有坪民雄

「ニーズに基づくイノベーションは、まさに体系的な探求と分析に適した分野である」(『イノベーションと企業家精神』ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社)

コメ専業農家に作物の転換を促す!

前回から、コメ専業の大規模農家がどうやって生き延びていけばいいのかを考えています。

 兼業農家との競争によって大規模専業農家がバタバタとつぶれていく悪夢を回避する方法は2つあるとお話ししました。

 1つは、もうしばらく減反制度を続け、兼業農家がこれ以上は減らないと考えられる水準まで落ちてから、減反を廃止するか否かを決めることです。

 今回、お話しするのはもう1つの方法です。それは、発想を逆転し、専業の大規模コメ農家に作物の転換を促すことで需給の調整を行うことです。

 すなわち、コメ以外の作物で、単位面積当たり労働時間がコメ並みの作物を開発するというイノベーションです。

 農水省が政策的に推したいのは麦やトウモロコシ、大豆など、自給率が低い国際商品となりますが、筆者が注目しているのはアワ、ヒエ、キビなどの雑穀です。なぜなら、この分野は国際商品と比べ、単価がべらぼうに高いのです。

 生産者が業者に売り渡す価格でも、だいたいコメの2倍。小売りされる末端価格では1キロ2500円程度。魚沼産コシヒカリの中でも最も高価とおぼしき「天空米」とほぼ同価格ですから、いかに高価に取引されているのか分かるでしょう。

 余計なことを書けば、これほど高価だからこそスティック状にパッケージングし、ご飯と混ぜることを勧める売り方をされるのです。5キロ袋などで売れば、あまりの高価さに顧客は驚き、購入意欲をなくしかねません。

農家はなぜ雑穀を作らないのか
 閑話休題。健康食として人気の高いアワやヒエなどの雑穀は、国産のものがほとんどありません。統計はありませんが、現在日本で流通している雑穀の99%以上は輸入物と見られます。

 なぜ、国内農家は雑穀を作らないのでしょうか?

 その理由は、第1に収量が低いことです。雑穀の収量は米の半分程度。2倍で取引されるとしても1反当たりの収入は米と同じ程度です。基本的に畑作物なので、除草の手間を考えるとコメほど魅力がありません。

 第2に、機械化があまり進んでおらず、作業時間が多くなりがちになることが挙げられます。日本最大の雑穀生産地は岩手県で、特にヒエの生産に力を入れています。岩手県がヒエに力を入れるのは、水に強いためコメ同様の栽培が可能で、コメ用の機械の多くが少しの改造で流用できるからです。

 第3に合法的に使える農薬が少ないことです。2002年7月、全国で「ダイホルタン」という農薬が無登録で使用される違法農薬事件が発生して、使ってよいとされる作物以外に農薬を使うことが禁止されました。

 雑穀はイネ科の作物なので、病害虫もコメとほぼ同様のものが発生します。そのため昔ならコメ用の農薬を使えば防除はできました。しかし現在では、適用外使用は農薬取締法に引っかかってしまいます。

 農薬メーカーが、コメ用の農薬を雑穀にも使えるように適用を拡大すればいいのですが、農薬メーカーはなかなかやってくれません。雑穀の国内生産がほとんどないため、適用拡大の手間ひまと費用の割に売り上げが拡大しないからです。

 そのため改正前から適用のあったハトムギ用を除けば、違法農薬事件から8年も経つ今でも、除草剤が1つ適用を認められた程度で、雑穀の適用拡大登録は全くと言っていいほどなされていません。

既存技術で対応は可能!

 しかし、こうした制限が外れればどうなるでしょうか?

日本はコメの品種改良の技術は世界トップクラスです。昔はコメも雑穀も収量は同程度でした。現在、コメが雑穀の倍取れるのは、日本人が雑穀を一顧だにせずコメの改良に集中してきたからです。

 コメで培った品種改良の技術を使えば、雑穀は比較的短期間に収量をコメ並みに、あるいはそれ以上に引き上げることができるでしょう。そうなれば、雑穀はコメの倍儲かる作物になります。

 機械化の問題も、技術的に困難な部分はありません。中耕除草用のカルチベーターは、ジャガイモなどに使われる既存の機械をそのまま使えますし、他の機械もコメ用の技術に少々手を入れれば対応は可能です。簡単な改良だとコンバインの収穫物を選別する網の目を細かくする程度で済みます。

 メーカーが雑穀用の機械を作らないのは、需要が少なく、採算に乗らないからに過ぎません。農薬メーカーも採算が取れるなら雑穀の農薬を適用登録するでしょう。すなわち、既存技術で全て対応可能なのです。

鳥獣被害を防ぐのではなく、「被害を少なくする」!

 そして、多くの雑穀には、兼業農家には参入しにくい特徴があります。小規模でやれば鳥害で壊滅的打撃を受けることが多いのです。

 アワとキビは鳥のエサに使われるくらいですから、特に被害がひどくなります。筆者自身、試作してみて驚いたのですが、コメならせいぜい水田に糸を何本か張れば済む鳥害対策が、アワやキビでは通用しません。

 実が熟すと、コメとは比較にならない迫力で、スズメはアワやキビを襲います。糸を張る程度の防御など無力。仕方がないので全面に網を張りました。しかしそれでも突っ込んできて網にかかって死んでいるスズメがいます。神風特別攻撃隊を初めて目撃した米軍水兵の気持ちが分かったような気がしました。

スズメの猛攻を撃退する省力的な方法はありませんが、被害を少なくする方法はあります。スズメが食い切れないほど大量に作ることです。

 一般に動物の面積当たり繁殖密度は、年間で最も食料の少ない時期に生存可能な最大数以上に増えることはありません。

 雑穀の成熟期に、地域のスズメが最大で100キロの雑穀を食うなら、100キロ以下しか作っていなければ全滅です。しかし10トン作っていれば、被害は1%にしかならないのです。よって、被害を最小限にするには、兼業農家より専業農家の方が適しているのです。

イノベーションの条件は全て揃っている!

 ドラッカーは、「ニーズに基づくイノベーション」に必要とする5つの前提と3つの条件を、以下のように挙げています。農政を司る農林水産省の立場に立ってみましょう。

【前提】

(1)完結したプロセスについてのものであること(= 雑穀生産)

(2)欠落した部分や欠陥がひとつだけあること(= 品種改良)

(3)目的が明確であること(= コメの生産削減)

(4)目的達成に必要なものが明確であること(= 一部専業農家のコメからの退場)

(5)「もっとよい方法があるはず」との認識が浸透していること(= 減反の必要性は農民に理解されている)

【条件】

(1)何がニーズであるか明確に理解されていること(= 収益性のよいコメ代替作物)

(2)イノベーションの知識が手に入ること(= 既存技術で対応可能)

(3)問題の解決策がそれを使う者の仕事の方法や価値観に一致していること(= 専業農家、兼業農家それぞれの価値観に一致している)

 いかがでしょうか。イノベーションを実現できない理由は見つかるでしょうか?

「何をやるか」とは、ビジネスモデルでなく、想いである!

2010年10月15日(金)日経ビジネス 西村 琢 

日本は島国であり、北海道や本州、四国や九州などいくつかの大きな島から構成されています。が、実はそれだけでなく、6000もの島が存在すると言われています。

 そのうち大半は無人島で、有人島はたった400前後。日本国内の島で最近よく名前を聞く場所と言えば、ベネッセコーポレーションが美術館を設立したことから大いに盛り上がった瀬戸内海の直島や樹齢2000年とも7000年とも言われる縄文杉が群生する屋久島、そして今でもリゾートとして人気のある沖縄の数々の離島などが挙げられます。

 でも東京にもひとつ、まだあまり知られていませんが、徐々に盛り上がってきている島があることをご存じでしょうか。

 その島の名前は「新島」。伊豆諸島を構成する島のひとつで、東京から南約160キロメートルに位置しています。20年ほど前までは夏に多くの若者が集まる活気のある島で、そんな訪問客を受け入れる民宿も無数にあったようですが、今や観光客は激減し、島民も2000人ほどで高齢化が進んでいる元気のない島になりかけていました。かつて「新島の竹下通り」と呼ばれていた通りはシーンとしていて、当時クラブとして栄えていた建物は薄汚れたスナックと化しています。

 そんな新島に昨年8月、「saro(サロー)」という名前の民宿がオープンしました。1階がカフェ、2階が素泊まりの民宿です。宿の名前は「茶廊」「叉路」「砂路」「砂浪」という意味を込めた造語に、新島の方言である独特の“のばし”を足して「さろー」と発音するようにしたそうです。

 なぜ今、過疎化の進む離島で、民宿? 一体、この民宿は誰がどんな経緯で始めることになって、島にどんなインパクトをもたらしているか、紹介したいと思います。


「建設業もカフェ業も一緒」という視点!

 この民宿をスタートさせたのが今回の主人公、高野要一郎さんです。高野さんは建設会社に7年間勤めた後、地元の水戸で「CAFE DINER ROOM」というカフェ兼ギャラリーを立ち上げました。建設会社からカフェとは、だいぶ畑違いです。そこには、そもそも建設会社は代々続く家業であり、後継者問題といった事情がありました。

 このため、高野さんは早い段階で「自分は会社を離れる運命にある」と感じており、辞める1~2年前からカフェの立ち上げを準備していたそうです。高野さん曰く、「建設業とカフェ業は、その土地に合った場所を創り出す“単品個別産業”という点でかなり似ている」。

 とはいえ、当初はご本人もうまくやっていけるかどうか、かなり心配だったのは間違いありません。でも、そんな疑念を取っ払ってくれる出来事が起きました。

 当時、オーナー兼マネージャーとして夜遅くまで店に立ってた高野さんのカフェに、前職の建設会社の顧問弁護士さんがふらっと入ってきたのです。まさかここで出会うとは・・・。お互いに思いがけない再会でした。

 高野さんが「こんなところで何しているんだと思われているんじゃないか」なんて少し不安に思っていた、ちょうどその時。顧問弁護士さんのほうから「高野さん、とても似合っていますね」と温かい声を掛けてきたというのです。

 これがきっかけとなって、自分がカフェ兼ギャラリーの運営をすること、もっと広く言えば「場所づくり」をすることに対して、高野さんは徐々に自信をつけていったようです。自分で悶々と考えてなかなか答えが出ないようなことでも、他人のちょっとした一言で腑に落ちることもあるのですね。

 ちなみにCAFE DINER ROOMの近くには、財団法人水戸市芸術振興財団が運営する水戸芸術館という美術館があります。CAFE DINER ROOMにはギャラリースペースがあるのですが、そこに作品を飾ったアーティストがその後に水戸芸術館で展示するというケースが出てきました。このため、カフェとしてだけでなく、ギャラリーとしても今や水戸で大いに存在感のある場所となっています。

こうしてCAFE DINER ROOMは、2~3年かかりましたが、徐々に軌道に乗ります。現場のオペレーションも、ほかのスタッフに任せることができる環境が整いつつありました。そんな折り、新島の話を持ち掛けられるのです。


「新島の夏」を見ずに、事業開始を決めた!

 そもそも「新島で民宿でやろう」と言い出した発起人は、高野さんではありません。「東京R不動産」という人気不動産サイトを手がける林厚見さんという男性でした。東京R不動産は、利用者が古いけど味があるとか眺望がいいといったデザインや感性で物件を探せる仕組みを用意しています。そんなユニークなウェブサイトを運営する林さんが新島に魅了されて「民宿をやりたいな」と思い始めていた2008年4月頃、とある会合で林さんは高野さんに出会ったのです。

 「民宿はやりたい、でも自分は現場に立つタイプではない」と思っていた林さんは、高野さんの人と接する姿勢に魅了されました。会合当日の、相手との間の取り方や話の引き出しの多さに感心させられたというだけではありません。

 数日後、林さんの元に高野さんから突然の届け物が到着します。開けてみると、それは水戸納豆。そう言えば、会話をする中で高野さんが水戸出身であることを知った林さんは、自身がいかに納豆が大好きかを延々と語っていたのです。ただ、そんな話は自分でもすっかり忘れていました。

 それを覚えていてくれて、さらに突然の贈り物。高野さんの「おもてなし力」は、強く林さんの心に響きました。

 「こんなにも細やかな気遣いのできる人は滅多にいない」と感銘を受けた林さんは、高野さんに「一緒に新島で民宿をやろう」と口説きます。CAFE DINER ROOMが軌道に乗りつつあった高野さんも、何か新しいチャレンジをしたいと思っていたタイミングだったことに加えて、多くのクリエイターや建築関係のネットワークを持つ林さんがここまで強く誘ってくれることが嬉しくて、徐々に心動かされていきました。

 そして、次に会った時は、新島に視察をしに行っていたということですから、そのスピーディな展開に驚かされるばかりです。でも楽しいプロジェクトの秘訣は、実は「何をやるか」よりも「誰とやるか」。一緒にやっていけそうな素晴らしいパートナーを見つけた時の嬉しさは、何にも替え難いものがあります。この気持ちはよく分かります、私がソウ・エクスペリエンスを立ち上げた時も同じでしたから。

 2009年の春先、2人は何度か新島を訪れます。民宿を実現する物件を見つけるためです。そして最終的に辿り着いたのが、たまたま拠点として宿泊していた宿のオーナーが「もう古くて使っていないから好きに使って」と言ってくれた物件でした。昔、まだ新島が若者で賑わっていた頃には民宿として使っていたらしいのですが、今は倉庫代わりなっており、2人のことを気に入ったオーナーが良心的な条件で貸してくれることになりました。

 こんなにとんとん拍子で話が進むと「お、私も島でのビジネスにチャレンジしてみようかな」と思い始める人がいるかもしれません(ぜひチャレンジしてもらいたいと思いますが!)。そこで、島でビジネスする際の注意点を高野さんから伺ったので、ご紹介します。

 それは、「ビジネスっぽさを出さない」ことだそうです。作り込まれた事業計画書なんて禁物。とにかく「この島が好きで、島の魅力をもっともっと本土の人にも伝えていきたい」という想いをあの手この手で伝えることが一番の近道なのだそうです。もちろん島でなくても、想いではなく、いきなりお金の話をするような人は信用されないと思います。ただ島では都会人が想像する以上に、とにかくビジネスっぽさを出さないことが肝要なのだそうです。

 こうして4~5月に物件が決まり、その後8月にオープンを迎えることになります、この時点ではなんとまだ林さんも高野さんも新島の夏を見たことがなかったというから驚きです。新島で民宿と言えば当然、夏が圧倒的なハイシーズン。その時期を見ることなく構想を練り、実際に準備を進めてきたわけですから、ある種の無計画と言ってしまえばそれまでです。

そこまで新島に魅了されていた理由を高野さんに聞いてみると、「たぶん皆が見ている島の海がきれいとか、空がきれいとか、そんなことよりも、僕は新島で出会った人が好き。そして彼らの期待に応えていきたいなと思っている。事業計画書や収支報告書に載せられない、たくさんのドラマが島を思う原動力」との答え。

この思いが島の人にも伝わったからこそ、物件とも出会えたし、新島の魅力が都心に住む人たちへと伝播していったのではないでしょうか。

 ビジネスとなると、「まずは事業計画を」なんて考えてしまいがちです。しかし、繰り返しになりますが、やはり何よりも大切なのは「想い」。想いさえあれば、案外、何とかなってしまう、そして事業計画を紙に落とし込んだりせずに進めてしまうやり方だってあるのだということを知っていただければ幸いです。


地元の人たちも活気づく!

 こうして昨年8月にオープンした「saro」はスタート直後から多くの人が訪れ、ハイシーズンには5つの部屋は連日のように満室状態が続きました。Twitter(ツイッター)やブログといったネットによる情報発信が奏功したようです。

そして驚くべきは、夏以外のシーズンでも泊まりにくるお客さんが絶えなかったこと。新島は東京のはるか南方にあるものの、冬の寒さは厳しく潮風もとても強いので高野さんらsaroのスタッフは「決してお勧めはできませんよ」と伝えているらしいのですが、それでもひっきりなしにお客さんが訪れるのだそうです。そんなお客さんは皆さん、どこかに出かけたりはせずにsaroでゆっくり読書をしたり仕事をしたりして過ごしているそうです。

でも高野さんにとって何よりも嬉しかったのは、地元のベーカリーや寿司店や飲食店の人たちが「saroができてから、これまで来なかったような新しいお客さんが来てくれるようになったし、お客さんも増えた」と言ってくれることだそうです。

島って元来、よそ者に対しては厳しい態度で接することが多いイメージがありますが、saroの賑わいが周囲にも波及していったことで、島の中でのsaroや高野さんのプレゼンスは着実に高まってきているのですね。まだまだニュースになるほどじゃない、マクロ的な数字として出てくるような規模ではありませんが、波に乗るなら今がチャンスなのかもしれません。

 そしてこの流れに触発されたのか、最近では地元の人も新島の魅力を再認識して、高齢化や過疎化が進みつつある新島の将来について考える人が増えてきたようです。

中でも若い人たちはやはり敏感なようで、昨年私が新島を訪れた時には、普段は都心で働いている地元の若者が夏の間に新島に戻り、毎日夜のビーチで音楽イベントを開催していました。もちろん小さな島ですので夏フェスのようには行きませんが、でも100人くらいの若者が集まってお酒を飲みながら歌ったり踊ったりしていましたよ。

 saroがオープンして2年目の夏、今年も多くのお客さんが東京から船や飛行機でやって来て、島の中での注目度も一層増したようです。そして宿のオペレーションも徐々に形ができてきたので、高野さんがsaroに行くのは月に数日程度にして、最近は新しい仕事に取り組み始めたようです。ひとつのビジネスや組織に固執せず、複数の仕事を同時にこなす様子は前回紹介したヨーヨー世界チャンピオンであるBLACKさんにも通ずるところがありますし、二足以上のワラジを履くスタイルは、今の時代にとても合っているような気がします。


次は軽井沢で新たな挑戦!

 そして高野さんが新しく始めた仕事とは、軽井沢にある「Hotel Ruze(ホテルルゼ)」というバラ園に囲われたホテルのサポート業務です。知人づてで「少し手伝ってほしい」と依頼を受け、その施設の素晴らしさに感銘を受けて引き受けることに決めたのだとか。

 新島→軽井沢、民宿→ホテル、ということでsaroとはだいぶ状況が異なりますが、そんな転身は既に水戸→新島、カフェ→民宿で経験済みなのでお手の物。まずは手始めに料理のメニュー考案などから入っていき、現場での接客や経理などもこなし、今では秋冬の閑散期に集客する方策などを練っているそうです。

 そしてさらに、Hotel Ruzeの手伝いをする一方で、これまでの経験を活かしたリゾート開発会社の設立準備も進めています。実は私もメンバーの1人なのですが、こちらは将来的には日本を代表するリゾート会社にするという壮大な夢を掲げて、近いうちにビジネスをスタートさせる予定です。

 日本やアジアリゾートにだって洋風のホテルがあったりするのですから、逆に海外に日本風の宿を仕掛けていきたいですね。もちろんここで核になるのは高野さんのおもてなしの心や、現地にすっと溶け込んでネットワークを築き、周辺のエリアが一丸となって魅力を高めて伝えていく、そんなCAFE DINER ROOMやsaroでの成功を軽井沢で、そして世界で再現していければと思っています。

 高野さんのようにsaroやHotel Ruzeのような小さな宿やホテルでの仕事を続けながら、一方で拡大を目指す会社もやっていくという仕事のスタイルは、「『未来の仕事』を考える」第1弾の最終回で紹介した“タモ理論”という考え方にとても近いものがありそうです。(参考:『「いいとも!」と「タモリ倶楽部」両方やりたい――21世紀型経営の真髄は“タモ理論”』)

 “タモ理論”とは「タモリの理論」の略で、タモリさんが深夜のマニア番組「タモリ倶楽部」をやりながらお昼の国民的番組「笑っていいとも!」も同時に手がけていることから名づけた考え方です。個人事務所のようにやっていくだけでは丁寧な仕事はできるけれど広がりが限定的でどうも煮え切らない、でも拡大志向のためには自分の好きなようにやっているだけではダメでいろいろと妥協もしなくてはならない。そんな狭間でさまよっている方は、ぜひ高野さんをお手本に“タモ理論”の実践を検討してみてはいかがでしょうか? 

 それはきっと皆さんの未来の仕事への、「してもいい自由」への大いなる第一歩となるはずです。

金正男
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AD%A3%E7%94%B7

金正日の長男・正男を切り札として庇護する中国!

2010.11.26(Fri)JBプレス福山隆

 個人的には3代世襲には反対しています」。金正日の長男の金正男は、中国・北京でのテレビ朝日のインタビュー(10月9日)にそう答えたという。(敬称略)

金正男の「3代世襲に反対」発言は中国の恫喝か!

金正男がインタビューで自分を排除した父・金正日と「皇太子」の座を射止めた弟・正恩を挑発するかのように「個人的には3代世襲には反対」と言って憚らなかったのはなぜだろう。

 本来なら抹殺(暗殺)される運命にある金正男の背後には中国がついている。

 金正日の瀬戸際外交などで今や世界の「孤児」となった北朝鮮は、唯一の庇護者である中国が「生殺与奪の権」を握っている。

 中国は意図的に金正男を通じ中国の本音を代弁させ、金正日・正恩父子を恫喝し「改革開放実行の約束の履行」を迫っているのではあるまいか。

 中国は、金正男のインタビュー発言を通じ、正男を「スペアカード」として庇護する意志・立場を鮮明にしたのではないだろうか。

中国は金正男「傀儡政権」を準備か!

 金正男を温存し、彼を中心に「傀儡政権」を創り、「平時における内政干渉」と「有事における軍事介入」の「切り札・旗印」にしようとしている可能性がある。

 そもそも、「金王朝」の「高祖」金日成(本名は金 成柱=キム・ソンジュ=)は、旧ソ連のスターリンが派遣した人物で、北朝鮮はスターリンの「傀儡政権」が樹立したものだ。

 中国が金正男を中心に「中国版の傀儡政権」を準備しているとしても驚くには当たらない。

 尖閣諸島になりふりかまわず進出しようとする中国の侵略性を見れば、隙あらば北朝鮮をチベット化しようとする魂胆さえ疑われる。

中国が金正恩世襲容認に転じた思惑!

 9月上旬に予定されていた代表者大会を9月30日に遷延せざるを得なかった最大の理由は、中朝間で世襲の容認(承認)と引き換えに改革開放政策の受け入れ・実行を確約することを巡り、綱引きをしていたからではないだろうか。

 中国が3代にわたる世襲と、後継者として(金正男ではなく)金正恩を受け入れた背景・理由について考えてみたい。

第1の理由は、中国が金正日の健康が悪化し、世襲が切迫していると判断・認識していることだ。

 仮に、あくまでも中国が金正恩の世襲を認めず、公式に世襲の「お披露目」を延ばせば、世襲準備不十分なままに金正日の死を迎えるような事態を招きかねない。

 そうなれば、内部崩壊などのリスクが増大する可能性がある。

 第2の理由は、金正恩・北の指導部へ恩を売ることを意図したからだろう。中国が強硬に金正恩への世襲に反対すれば、後々中朝関係が悪化しかねない。

 中国側は、かつて金正日の世襲に鄧小平が執拗に強く反対したことが、金正日の対中認識・政策に悪影響を及ぼしたことに鑑み、世襲プロセスのスタート時点で、金正恩と金正日亡き後の北の指導部の心象を害することは得策ではない――と判断した可能性がある。

 第3の理由。中国が金正恩への世襲を認める代わりに金正日は改革開放に踏み出すことを確約した可能性が高いと考えられる。

 中国は、これ以上北朝鮮の経済が深刻化し、いつ崩壊するかもしれない状態が続くことは困る。従って、世襲容認を条件に、かねて要望している改革開放に踏み出すことを強く求め、北朝鮮がこれに応じた可能性が高い。

金日成・正日父子の世襲はなぜ成功したのか
 先の金日成・正日父子の世襲の経緯を振り返ることは、今回の金正日・正恩父子の世襲の成否を占ううえで参考になるものと思う。

 金日成・正日父子の世襲が成功した要因として、以下の理由が考えられる。

●金正日の出自・性格・資質

(1)出自

 金正日の出自は、父・金日成は言うに及ばず、母親・金貞淑も金日成の配下で抗日ゲリラ戦に従事しており、北朝鮮の基準では最も誇るべき経歴の持ち主だった。

(2)性格・資質

 金正日の性格については、元KCIA北朝鮮調査室長の宗奉善(ソンボンソン)が『金正日徹底研究』(作品社)で詳しく分析・説明している。

 これによると、金正日は「利口で、親和力と芸術的感覚」を持ち、「組織運営能力」「部下と側近から確固たる忠誠心と服従心を引き出す能力」「狡猾さと果断さ」を備えているという。

 その一方で、「残忍性」「せっかちさ」「傲慢性」「冷血性」「他人に対する不信と閉鎖性」「心的不安定」「気まぐれで暴力に無節操」「小英雄主義と冒険主義的な顕示欲及び陰険さと狡猾さ」も持っているという。

 宗奉善によれば、これらの「二重人格的」資質は、独裁者としてふさわしい資質で、ヒトラーやスターリンとも共通するものだと指摘している。

●十分な準備期間を活用した世襲・独裁体制の確立

 金日成・正日父子の世襲における最大の特徴は「世襲実現までの十分な準備期間(約30年)があったこと」である。

 金正日は父金日成の盤石の権力基盤と十分な「時間」を最大限活用し、世襲・独裁体制の確立に邁進した。

(1)実務経験

 金正日は、大学卒業直後から、党務・政務などの様々な部署で勤務することにより、実務経験を積み重ねた。ただ、最も重要な軍務経験は皆無であり、後に軍を掌握するうえで苦心し、共産党政権国家では異例の「先軍政治」を採用しなければならない羽目になった。

(2)軍の掌握

 軍歴を持たないハンディを自覚し、あらゆる術数を駆使し、軍の掌握に努めた。その一例。

 秘密パーティーからの帰途、泥酔・運転し、交通事故で瀕死の重傷を負った軍最長老の呉振宇次帥を空路モスクワへ搬送し、莫大な治療費をかけて一命を取り止めさせ、同元帥を篭絡した(ちなみに、この事故は金正日による謀略説との見方も)。

 また、軍掌握のためには、単に高官の掌握のみならず、実績を見せつけ、箔をつけるために、総参謀部・偵察局を使ってラングーン爆弾テロ事件や大韓航空機爆破事件などを指揮したと言われる。

(3)ライバルの排除

 金正日は金日成の偶像建設などで歓心を買う(ゴマ摺り)ことに心がけ、自らの世襲を確かなものにするとともに、「脇枝(嫡流でない傍流)」の異母弟・平一、継母・金聖愛、さらには叔父・金英柱などライバルとなる可能性のある者を排除した。

 平一には「断種手術」までさせたと言われる。継母・金聖愛の排除に関してはその兄弟などが軍や党の要人であり、「政道政治(王の外戚の政治介入)」を防ぐうえでやむなしと、夫・金日成もこれを黙認したと言われる。

(4)金日成からの権力奪取

 極めつけは、金日成の体力気力の衰えに乗じ、金正日が徐々に父親の実権を奪い取ったことだ。

 父親への情報をコントロールすることにより、「裸の王様」状態にし、金日成晩年(1985年から金主席逝去の1994年)には、事実上、「金正日独裁体制」を確立していたと言われている。

上記の金日成・正日親子の世襲成功の要因を念頭に、金正恩の世襲の成否について分析してみたい。

金正恩の世襲は成功するか!

金正恩の出自・性格・資質

(1)出自

 正恩は正妻の子だが、長男ではない。また、正恩の生母の故高英姫(コ・ヨンヒ)は1953年に大阪から渡北した在日朝鮮人である。

 北朝鮮の出身成分としては、最低ランクのグループに属する。この弱点をカバーするためか、正恩の「育ての母」は金正日の実妹の金敬姫だというプロパガンダが計画されているという情報もある。

(2)性格・資質

 金正恩についての個人情報はほとんどなく、その資質は分からない。

 年齢も資質だと考えれば、27歳はどう見ても若すぎる。「長幼の序」を重んじる儒教社会の北朝鮮では、いまだ「若造」の新独裁者に対し、彼を取り巻く70代・80代の軍や党の幹部は「頼りない」と思うに違いない。

 本来、国家指導者になるべき人物は、ありとあらゆる修羅場を潜り抜け、競争に勝ち抜き、生き残った者である。古くは血で血を洗う政争や戦争、そして現代民主主義国家では、選挙戦の洗礼を経なければならない。

 共産党一党独裁国家の中国においても習近平と李克強が胡錦濤の跡目を争っているではないか。そんな環境を潜り抜けてこそ、一国の指導者にふさわしいリーダーシップやしたたかさが培われ、周囲も納得するのだ。

 「3代目が家を潰す」という諺がある。これは、初代創業者の資質(情熱・気力、独創性、努力、忍耐力)などが、代を重ねるごとに衰え、3代目に至ると、もはや初代・2代目が作り上げた政権・会社などを維持運営するだけの器量がなくなるという意味だと思う。

 正恩は苦労知らずの環境で、皇子の1人として、わがままに育ったことは間違いなかろう。その意味で、「3代目が家を潰す」という一般論には符合するはずだ。

 正恩はスイスに留学し、中国語、ロシア語、ドイツ語、英語を理解すると言われる。父親に比べて、特異な点だ。

 一般論としては「国際派」の正恩は「主体思想」に凝り固まった金正日よりも物分りがよいと言えないだろうか。この点、中国、米国、ロシアなどの間では、父親よりも正恩の方が御しやすいと見る向きもあるだろう。


●十分な準備期間

 金正日の健康状態から判断して、父金正日(約30年の準備期間)に比べ、金正恩の準備期間は短すぎると見るべきだろう。このことが様々なハンディキャップとなり、世襲成功の阻害要因を生み出す原因になることだろう。

(1)実務経験

 党務・軍務・政務などの様々な部署で勤務することにより段階的に実務経験を積み重ね帝王学を学ぶ、という機会がほとんどないのではないか。

 党務として党中央委員及び党中央軍事委員会副委員長、軍務として大将の肩書きは、正恩の職務経験の乏しさと比較しあまりにもギャップがあり過ぎる。

 短期間に実力を蓄えることができなければ、部下の信頼を失い、「馬鹿殿」として祭り上げられ、やがて失脚する可能性がある。

(2)軍・党の掌握

 父金正日同様に軍歴を持たないことは正恩の世襲にとって最大の弱点。このために、李英鎬次帥(党中央軍事委副委員長、政治局常務委員)を後見役につけたと言われる。

 しかし、金正日亡き後、軍に確固たる基盤を持たない正恩が本当に軍を掌握できるかどうか疑わしい。

 また、金正日の遺産である先軍政治が世襲の災いになるかもしれない。強大化した「猛虎(軍部)」は、金正日には素直に従ったが、「主人」が若く経験不足の正恩に代わるや、軽んじて牙を剥いて噛みつく(クーデター)かもしれない。

(3)ライバルの排除

 意外なライバルは、後継者争いから脱落したはずの異母兄・金正男であろう。

 彼は、中国の庇護の下、北朝鮮の路線問題(中朝間の最大の争点)を巡る争いや、崩壊の危機などにおいて、中国の対北朝鮮対処の「持ち駒」ないしは「切り札」として使われる可能性がある。

 正男は中国の庇護の下にあり、暗殺などにより排除することは不可能だ。

 また、前項で述べたように、金正日は「最後の頼みの綱」として実妹の金敬姫・張成沢夫妻に正恩を託そうとしているようだ。

 しかし、金正日自身が叔父の金英柱を排除した例のごとく、金正恩の立場から見れば叔父・叔母はまさしく「脇枝(嫡流でない傍流)」にほかならない。金正日亡き後も、金正恩と金敬姫・張成沢が一枚岩あるいは一蓮托生の関係であると即断するのは危険だ。

(4)実績作り

 韓国海軍哨戒艇の天安撃沈は、金正恩の実績作りのために人民武力部傘下の偵察総局が実行したという情報がある。

 今後、祖父や父同様に独裁者に相応しいカリスマ性を創り上げるために、この種の暴力行為・冒険を敢行する可能性がある。国際社会として容認できないのは、当然だ。

 また、正恩にとっても、これが成功すればいいが、失敗すれば、国際的孤立を一層深め、引いては政権基盤を損なうことにもなりかねない。

(5)金日成からの権力奪取

 金正日は父の体力気力の衰えに乗じ、徐々に実権を奪い取った己の体験に鑑み、死の直前までは息子の正恩に権力を委譲しない可能性が高い。このような状況で、金正日が突然死を迎えた場合は、世襲が危うくなる可能性がある。

以上のように分析してみると、金正恩の世襲には内憂外患が多く、極めて厳しいと言わざるを得ない。今後、金正恩の世襲の成否を占う上で、その動向として注目すべきポイントは次のようなものだろう。

結びに代えて―今後の注目ポイント!


第1のポイントは、金正日の健康状態の推移。金正日の世襲を見ていると、豊臣秀吉の晩年が思い出される。

 金正日・正恩父子の年の差が42歳に対し、豊臣秀吉・秀頼親子の場合は56歳。秀吉は晩年死病に罹ると、その子秀頼の世襲を確かなものにするために、五大老の徳川家康や前田利家らを枕頭に呼び、秀頼に忠誠を誓約する起請文に血判署名させた話は有名だ。

 しかし、秀吉が死ぬと家康は、権謀術数を用いて主家を攻め滅ぼした。金正恩の場合も、父がいかに世襲を確実にするための手を打っても、残された時間が短ければ、正恩の世襲は危うくなるだろう。

 北朝鮮の権力中枢における権力闘争は金正日の健康状態の悪化に比例して熾烈さを増すだろう。

 第2のポイントは、金正日が正恩を託す「最後の頼みの綱」とも言うべき実妹の金敬姫(大将・政治局員)とその夫の張成沢(国防委員・政治局員候補)それに軍を代表する総参謀長・李英鎬次帥の動向だろう。

 金正日が亡くなれば、兄の権威で力を得ていた金敬姫の影響力は低下するものと思う。そのことに気づかず、金敬姫が出しゃばると、正恩の後継をぶち壊す役になりかねない。

 夫・張成沢は、金正日の最愛の妹ということで、金敬姫の「カカア天下」を許してきたが、金正日亡きあとは、そうはことが収まらないだろう。

 そもそも張成沢・金敬姫夫妻は、仮面夫婦と言われており、夫婦一致して正恩の世襲を推進できるかどうか疑問。

 古来「雌鳥が鳴くと国が滅ぶ」と言われるが、張・金夫妻の対立(夫婦喧嘩)が思わぬ波乱の要因になるような気がする。

 権力争いに女性が介入すると、ろくなことはない。漢の高祖・劉邦の妻の呂太后や、毛沢東の妻の江青の例を見れば頷けるだろう。

第3のポイントは、中朝関係の推移。

 中国の経済発展にとって周辺の平和と安定は不可欠である。しかるに、金正日時代には中国は瀬戸際外交で揺すぶられ続け、その尻拭い役に甘んじさせられた。

 また、6カ国協議においては大国の面子を潰されることもしばしばだった。さらに、今後も北朝鮮人民2000万余を養い続けることは、無視できない「お荷物」だと思っていることだろう。

 中国は、今後、アジア地域を圧倒する力を背景に、北朝鮮に対する圧力・支配を強めるだろう。中国は、北朝鮮に対する支援・庇護と引き換えに、自国と同様に改革開放を迫るのは確実だ。

 これに対し、北朝鮮は従来通り支援だけは受けるものの、言を左右し改革開放実施には必死に抵抗するだろう。改革開放政策の導入が、自らの体制を崩壊させることを知悉しているからだ。

 中国は、経済支援はもとより、先にも述べた金正男を中心とした「中国版の傀儡政権」を「カード」として、内政干渉をも厭わず、改革開放を迫るだろう。

 中朝は、今後、一見友好関係を装いながらも、水面下では北朝鮮の改革開放路線の実施を巡り虚虚実実の攻防を繰り広げるものと思われる。

 かかる中朝の攻防が、金正日の健康が衰えゆく晩年、そして正恩にとっては世襲準備段階に展開されるわけだ。

 北朝鮮が中国の強圧から逃れる道は、対米関係の改善だ。

 最近の人事で、第1外務次官の姜錫柱(カン・ソクチュ)が副首相に、外務次官の金桂寛(キム・ケクァン)が第1外務次官に、外務参事官の李容浩(イ・ヨンホ)が外務次官へそれぞれ昇任したが、これは対米外交を予期した布陣と見るべきだろう。

 ちなみに、金父子といういわば「窮鳥」は中国の脅迫を逃れるために、米国がダメなら、ロシアの懐に逃げ込もうとするかもしれない。しかし、この選択肢は、中ロ関係が良好なうちは「通じない手」なのである。

 朝鮮半島は古来、「日本の脇腹に突きつけられた『匕首(短刀)』」と例えられるように、大陸国家(現在では中国・ロシア)の脅威を日本に伝播できる地政学上の位置にある。

 古来日本は、倭の時代には、白村江の戦で唐・新羅連合軍に敗れ、唐の対馬海峡を越えた侵攻に怯え、鎌倉時代には、2度にわたる蒙古襲来に見舞われた。

 明治維新後は、朝鮮半島を「戦略縦深(バッファーゾーン)」として確保するため、日清・日露の宿命的な戦争を戦った。

 上述のごとく、世襲を巡り、今後北朝鮮では、内政・外交(主として中朝関係)において予断を許さない情勢が推移するものと思われる。日本は、安全保障上の観点から、重大な関心を持って、その推移を注視すべきである。

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