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櫻井よしこ 『週刊新潮』2010年11月25日号 日本ルネッサンス 第437回
中国の次なる飛躍への踏み台ともなる上海万博は、10月31日、6ヵ月間に7,307万人、大阪万博の6,422万人を超える万博史上最大入場者数を記録して終了した。中国政府は、万博は大成功だったと自賛し、「改革開放政策を進める自信と決意を強固に、平和発展と開放を両立させる道を歩み、世界各国と連携を深める」と発表した。だが中国の威信をかけて「成功」させた万博で、中国の異質さを象徴するような事件が起きていた。10月15日深夜、新潟県長岡市が持ち込んだ山古志村の錦鯉が毒殺処分されたのだ。
錦鯉を展示した髙野国利氏が詳細を語った。氏は42歳、山古志村で60年の経験をもつ父に学び、約20年間、錦鯉を養殖、現在、長岡市錦鯉養殖組合(以下組合)の青年部長だ。
「上海万博では生き物は展示出来ないそうですが、例外的に認められ、錦鯉を展示することになりました。今年5月頃、長岡市から話があって、準備に入りました。鯉は日本に持ち帰れないという条件でしたが、展示終了時点で中国の公共の施設か業者に贈ろうと、皆で決めました。経済的には大出費ですが、山古志と日本を代表するのですから、立派な美しい鯉を5匹選びました」
いまは長岡市と合併した山古志村は、山古志牛の産地であると共に錦鯉発祥の地としても知られている。6年前の中越大地震のとき、底が割れて水が抜けた池で多くの錦鯉が死んだ。人々はわが子を死なせてしまったように悲しみ、残された鯉を大切に育て、錦鯉養殖の伝統を守った。
その大切な鯉を中国に搬入したのが10月12日だった。日本側代表団は、組合の5名と『月刊錦鯉』の記者1名の6名だった。リーダーは野上養鯉場の野上久人(ひさと)氏である。一行は12日深夜に作業を開始、翌朝5時すぎには日本館催事場に水槽を完成させ、鯉を放ち、午後3時の開会式典後、一般公開した。野上氏が語る。
「病気があるため殺す」
「中には食べられるかと尋ねる中国人もいましたが、美しい鯉に、皆、感嘆の声をあげていました。催事場はテニスコート一面分程しかなく、そこに15日午後8時までの2日半足らずで2万6,000人が来て、身動き出来ないほどでした」
押すな押すなの2日半が過ぎ、15日の午後8時に展示が終わった。深夜までに片づけ、次に展示する京都の人々に明け渡さなければならない。そのとき、事件は起きた。
「中国人数人が突然入ってきて、我々以外全員を外に出し、バタバタッと水槽を取り囲みました。物々しい雰囲気の中で鯉を指して、『病気があるため殺す』と言ったのです。私は思わず言いました。『病気なんかない。入国のときにきちんと検疫を受け、中国側も認めたでしょう』と。しかし、いくら言っても、『病気だ』の一点張りです」と、髙野氏。
押し問答する内に全員、感情が高ぶり、髙野氏が言葉を荒らげた。
「『ふざけるな、何年もかわいがって、作り上げてきた鯉を(殺すなんて)、人道的じゃねぇ』と言ってしまいました」と髙野氏。
激しく言い募る氏を、仲間たちが止めた。「もう止せ」と言いながら、1人はボロボロと涙を流した。そのときだ、中国側が突然、水槽にドボドボドボと液体を注ぎ込んだのは。
「途端に鯉が痙攣し始めました。もう助けようがありませんでした」と髙野氏。悔しさと悲しさと屈辱で呆然とし、氏はその後、何をどうしたのかよく覚えていないという。
錦鯉を上海万博で世界の人々に見て貰いたいと考え、生き物は搬入不可のルールに例外を設けるよう尽力したのは長岡市長の森民夫氏だった。氏は、錦鯉は「長岡市、ひいては日本の宝」であり、「泳ぐ宝石」だと語る。中国人に素晴らしさを知ってもらい、鯉の販路拡大に弾みをつけたいと願っている。
鯉の一大産地の新潟は錦鯉の80%を欧米諸国やタイ、マレーシア、インドネシア、台湾などに輸出する。中国への直接の販路は築かれていないが、台湾、香港経由で輸出されてきた。森氏は、5匹の鯉はかわいそうだが、輸出の道筋をつける意味で、上海での展示は意味があったと語る。
長岡市は、上海万博出展は鯉を最終的に処分するという前提で行われ、契約書にもそう書かれていると説明する。殺処分は受け入れざるを得ない条件だったというのだ。だが、野上氏らは市の説明を否定する。
「殺すという前提はありませんでした。契約書も交わしていません。ただ、日本に持ち帰れないことはわかっていましたので、中国に残して、中国の人たちに可愛いがってもらえればよいと考えていたのです」
こう語りつつ、野上氏は言う。「かといって、私らは毒を入れた中国人を非難する気はありません。彼らは命令されたんでしょう。あとで彼らは電話をかけてきて、申しわけないと言ったそうです」
自衛こそ合理的な解決
謝罪の言葉を野上氏が本人たちから聞いたわけではなく、通訳から聞いたそうだ。客観的に見て、中国の官僚が政府の指示で行ったことを謝罪するとは考えにくい。だが、野上氏も髙野氏も伝え聞いた言葉を額面どおりに受けとめる。
「実は一連の様子はビデオにも写真にも撮ってあります。我々で、動画を公開するのがよいのか悪いのか、話し合いました。理事(野上氏)は公開しない方がよいとの考えでした。小さな尖閣問題みたいですね」と髙野氏は苦笑する。野上氏も語った。
「クスリを水槽に入れられた場面などを撮りました。けれど、もうそんなもの、見たくもない。思い出したくもない。大事な鯉を殺される映像を外に出して、摩擦をおこして中国と喧嘩したくない。我々は中国と親交を深めていきたいと願っているし、彼らもやがて、自分たちのやり方が相当おかしいと気づくでしょう」
新潟の人々のこの優しさが中国人に通じる日は来るのか。評論家の加瀬英明氏が石平氏との共著、『ここまで違う 日本と中国』(自由社)で指摘している。
「広大な国で、第二次大戦前の中国には、上海をはじめとして、多くの大富豪がいたのに、今日にいたるまで、西洋美術館が一つもない」
彼らは洋楽は好むが、美術においてはゴッホもセザンヌもルノワールも、広重も歌麿も横山大観も棟方志功も、認めない。中国美術以外に価値を認めないと加瀬氏は喝破する。
美しい姿で泳ぐ鯉の頭上に毒を振り撒くのは尋常ではない。この異常さは、日本人の感ずる鯉の「美しさやかわいらしさ」を感じとれないゆえではないのか。小さな生物への愛着を持ち得ないからではないのか。中国人の変化を期待して、鯉を死なせた悲劇を忘れるより、逆に未来永劫記憶して、二度と同じ目に遭わないように自衛することこそ、合理的な解決だと、私は思うのである。
田中均・日本総研国際戦略研究所理事長が緊急提言!
2010年11月30日 DIAMOND online
“座標軸”が定まった安全保障体制づくりを急げ!
日中間の尖閣問題に続き、足許では北朝鮮が韓国の領土を砲撃するなど、東アジアの緊張感がかつてないほど高まっている。従来とは異なるフェーズに入った周辺地域の脅威に対して、日本は新たな外交・安全保障の枠組み作りを迫られている。自民党政権で、長らく北米やアジア・太平洋地域との外交に携わり、「外務省きっての政策通」として知られた田中 均・日本総研国際戦略研究所理事長は、「座標軸」が定まらない政府に警鐘を鳴らす。田中理事長が説く次世代の外交・安全保障体制のあり方とは?(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 原英次郎・小尾拓也、撮影/宇佐見利明)
国の存続を懸けた戦いに打って出る北朝鮮への対応策!
――日中間で発生した尖閣諸島問題以降、日本を取り巻く東アジア地域でかつてないほど緊張感が高まっている。足もとでは、新たな濃縮ウラン施設を稼動させていることが発覚した北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、韓国領土への砲撃に踏み切った。田中理事長は、アジア・大洋州局長時代に小泉首相の訪朝を実現させ、対北朝鮮政策に精通している。政府は北朝鮮問題に対して、どう対処すべきだろうか?
核開発というカードだけで生き残れなくなった北朝鮮の行動は、国の存続を懸けた戦いの様相を呈し始めている。まさに「貧者の脅迫」だ。
現在、北朝鮮の政権内部で何が起こっているのか、正確には誰もわからないが、金正日総書記の健康状態や国内の経済状態が悪化しているため、「早く後継体制を固めたい」「時間的余裕がない」と焦っているのだろう。
だから、こうした蛮行に出て「我々にはもう失うものはない。しかし、あなたたちにはあるだろう。失いたくなければ、交渉に応じろ」というメッセージを送っているのだと思う。
日本がまずしなければならないことは、日米韓が一体となって隙を見せないことだ。そして、彼らを話し合いの席に着かせるために、北朝鮮と国交を持つ中国を引き込み、交渉の基盤を強化する必要がある。
月に起きた韓国哨戒艇沈没事件では、中国は明らかに北朝鮮寄りの対応をとった。今回は、明らかに北朝鮮に非があるのだから、彼らがこれ以上無謀な行動に出ないよう、中国に働きかけてもらうことが必要だ。拉致問題の解決は確かに重要だが、日本もそればかりにこだわらず、もっと視野を広げて各国と協調しながら、北朝鮮と対峙していくべきだろう。
しかし、今の官邸が北朝鮮問題に対処できるか否かは、不透明だと言わざるを得ない。私はアジア大洋州局長時代に、小泉首相の訪朝を実現させるため、北朝鮮の代表者と25回あまり、官邸とは80回以上もやりとりをした。当時の経験から言えば、いくら官僚が政策を練る訓練や経験を積んでいても、政治のバックアップなくして政策を実現することは不可能だ。
今の日本は外交・安全保障の
「座標軸」が定まっていないように見える
――確かに発足当初から、民主党政権の外交・安全保障政策は、後手後手に回っている感が否めない。日米同盟に中国を引き込んで北朝鮮と対峙しようにも、尖閣問題を機に中国との関係は冷え込んでいる。そもそも、政府の外交・安全保障政策は、どこに問題があるのだろうか?
はっきり言えることは、民主党政権は外交・安全保障政策に関する「座標軸」が定まっていないということだ。
日本は長らく、貿易も安全保障も米国に依存してきた。今から数年前までは、「日米関係が基軸」という座標軸が比較的しっかり見えていたが、今や日本を取り巻く環境は様変わりしている。対中貿易量が対米貿易量を抜き、中国が世界で急速に台頭している。
中国ばかりではない。世界の成長センターとなった東アジアは、世界でも特に変化が激しい地域だ。グローバル化が進んだ結果、インド、ベトナム、インドネシアなどの国々も、発言力を飛躍的に伸ばしている。一方で、北朝鮮のような国の脅威も日に日に増している。現政権は、こういった変化に対応できていない。
だからといって、「米国依存の体制から脱却すればよい」という単純な話ではない。東アジアで不安定な要因が増えている今、日本と強固な安全保障体制を築いている米国との関係強化は、むしろこれまでにも増して重要になってくるはずだ。
本来、日本はそういった周辺環境の変化を睨みながら、米国から東アジア諸国まで、全てを視野に入れた新たな外交・安全保障の絵図を描かなければならない。
にもかかわらず現政権は、米国との普天間基地移設問題にしても、中国との尖閣問題にしても、場当たり的な対応を続けているように見える。
――政府の外交能力に対して本格的に批判が噴出したきっかけが、日中間の尖閣問題だった。この事件をどのように総括するか?
政府は、外交・安全保障の座標軸が定まらないために、「中国とどう向き合うか」という基本的な戦略を持たないまま、対応してしまった。外交は、一度決めた座標軸からあまりブレない範囲で対応していくのが基本中の基本。しかし、局面が変わる度に国民感情や中国の反応に左右され、方針が大きくブレた。外交面から見れば、最もマズい対応だったと思う。
これまでの政権では、中国人や中国船が尖閣諸島に侵入すれば、現行犯逮捕をした上で、送検せず国外退去させるのが、典型的なパターンだった。尖閣諸島は中国が棚上げしてきた問題だっただけに、国内世論に火をつけて中国側の主張を強めることは、得策ではないと思っていたからだ。
一貫性を欠いた外交は足もとを見られてしまう!
今回日本は、海上保安庁の巡視艇に衝突した中国漁船の船長を、公務執行妨害で逮捕し送検した。中国の反応は十分予測がついたはずなので、これを受けて立つ覚悟があったのなら、断固とした処置をとってもよかったと思う。
しかし、中国側の圧力が高まると、拘留期間を残したまま釈放してしまった。これはどう考えても、一貫性に欠ける対応だった。中途半端に騒ぎ立てることによって、むしろ中国側の感情を悪化させ、足もとを見られてしまった。
このような事態が続いている最大の原因は、やはり現政権の「座標軸」が定まっていないためだろう。
――日本の外交・安全保障政策が、中国に対してこれまでの「座標軸」を失ってしまった背景には、どんなパワーバランスの変化があるのか?
第一に、アジア一の成長国となった中国に対して、日本が「テコ」を失いつつあることが挙げられる。今や中国にとって、日本だけが重要な経済パートナーではなくなっている。
日本はこれまで、円借款を含む政府開発援助、WTO参加への後押し、G7やG8へのオブザーバー招致などを通じて、中国を最もバックアップしてきた国の1つだった。その意味では、これまで中国にとって日本はなくてはならない存在だったと言える。
しかし今や、パートナーシップを組む国の「選択肢」はいくらでもある。事実、日中関係が尖閣問題で冷え込んでいるときに、欧州諸国は中国で大型の商談をいくつもまとめている。
尖閣問題における日本への対応が、極めて強硬だったことを考えても、日本の中国に対する「テコ」は確実に失われつつあると言える。
中国の対外政策の影響を最も受けやすいのは日本!
第二に、中国が「物理的な力」を伸ばしてきたことだ。中国の軍事費は毎年2ケタ増を続けているが、その背景には海軍力の近代化、東シナ海のガス田や南シナ海の海洋資源の確保といった目的がある。
中国は、所得格差や政治問題など、国内に多くの不安要素を抱えている。インターネット人口が爆発的に増えて情報が流通するようになった今、民衆の不満は大規模なデモにつながりやすい。そうなると、国内で高まるナショナリズムを吸収する意味でも、外に求心力を求め、より強硬な外交姿勢をとらざるを得なくなる。日本は地政学的に、そうした中国の強硬な姿勢に最も晒されている。
第三に、同時に中国との提携なくして日本経済が成り立たないほど、日本が中国依存を深めていること。この傾向は、将来ますます顕著になっていく可能性が高い。
――米国との関係強化が重要になってくるということだが、中国をはじめとする東アジアの脅威に対処するに当たって、現在の日米同盟では不十分だろうか?
日本が安全保障の枠組みを確立したのは、1960年の改定日米安全保障条約だった。冷戦下において、日本に対する米国の防衛義務を明確化する代わりに、日本は米国に基地を提供してアジア地域の抑止力とした。これに基づき、日本の防衛力が増強される時代が長らく続いた。
次に冷戦後の新たな枠組みを規定したのは、橋本政権とクリントン政権が合意した、1996年の日米安全保障共同宣言。そこでは、中国や北朝鮮といった東アジアにおける不確実性、テロや大量破壊兵器の拡散といった新しい脅威に対抗するためのガイドラインが決められ、日本が果たすべき役割が拡大された。
今後は、もう一度こういった「見直し」をやる必要がある。96年の時点では、中国をはじめとするアジア諸国の勢力図がここまで変わるとは、誰も想定していなかった。
日米安保の見直しを行ない東アジアの情勢に対応せよ!
2010年は、ちょうど60年安保から50年目となる節目の年。この機に外交・安全保障の見直しをやるべきだったが、それができなかった。日米両国政府は、来年の春から夏にかけて安保共同宣言を発出するとしているが、ぜひ腰を据えてやってもらいたい。今からでも「too late」(手遅れ)ではない。普天間などの短期的な問題を追求して抜本的な見直しをやらなければ、諸外国との関係はますます混乱するだろう。
――しかし、米国の日本に対するスタンスも、玉虫色になっているように思える。オバマ政権は、過去の米政権と違い、発足当初から中国に対してソフト路線をとってきた。中国リスクが高まった尖閣問題後は、経済提携に協力的なインドに擦り寄る場面も見られる。このような米国の動きを、日本はどう見据えればよいのか?
共和党のブッシュ前大統領は、二期目からイラクや北朝鮮に対して極めて厳しい態度をとった。それは中国に対しても例外ではなかった。その一方で、同盟国との関係は以前よりも強化してきた。
発足当初のオバマ政権が掲げた外交・安全保障の方針は、それに対する「アンチテーゼ」の意味合いが強かったと言える。イラク戦争を否定し、諸外国に対してはパートナーシップによる外交を軸とした。それによって、日本との距離が多少遠くなり、中国との関係が近くなったかのように見えた。
しかし、先の中間選挙で共和党が記録的な勝利を収めたこともあり、対外政策にも変化が出よう。失業率が高止まりする米国内では、「自分たちの仕事を奪っているのは人民元を安く抑えている中国だ」と批難する保守層も台頭している。そのため、今後は中国に対してより厳しい態度をとっていかざるを得ないだろう。
とはいえ、もはや米国が自国の力だけで新たな脅威に対応するのが無理であることは、オバマ大統領自身も気づいているはず。今後は、アジア地域でインド、韓国、ベトナム、インドネシア、オーストラリアなどとのパートナーシップ作りに力を入れていくことだろう。
むろん、その過程でカギとなるのは、米国の前方展開を安定的に維持するために必要不可欠な日米関係の強化に違いない。だが目下のところ、「民主党政権が何を考えているのかわからない」というのが、米国のホンネだろう。来年予定されている新たな共同宣言作りは、その意味でも極めて重要だと思う。
米国の抑止力を安定的な基盤に置き東アジアの「新たなルールづくり」を!
――日本が日米同盟を強化するにあたり、どのようなポイントが重要になるだろうか?
第一に、日米による抑止力を安定的な基盤に置くこと。米国にとって、「沖縄でいつ反基地闘争に巻き込まれるかわからない」という現状は、抑止力を著しく貶めてしまう。その意味においては、すぐには無理かもしれないが、普天間問題をできるだけ早く解決する必要がある。
第二に、旧ソ連とは性質が違う中国に対しては、「囲い込み政策」ができないこと。中国とは、うわべだけ仲良くするのではなく、東アジアを巡る軍事体制のあり方についてよく議論を行ない、日米中の三ヵ国間で「信頼感」を醸成すべきだ。
互いに信頼を深めるためには、対話だけでなく、災害時における援助、海難救助、航行の安全保障などについて、協力体制を構築することも有効だ。外交・安全保障の体制が違っても、各国が利益を同じくして協動できることは、実はたくさんある。うまくいけば、東アジア全体に共同オペレーションを広げていくことも、不可能ではない。
そして第三に、利害関係者間におけるルール作りを日米共同で進めることだ。現在、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が脚光を浴びているが、私は同時並行的に東アジアでのルールづくりをやるべきだと思う。こういった体制作りは、後々外交・安全保障の協調体制につながる可能性もあるからだ。
――民主党政権は、今後こういった新たな外交・安全保障の体制作りを進めることができるだろうか?
今のままでは難しいだろう。障壁になっているのは、第一に民主党が掲げる「政治主導」の考え方だ。それにより、官僚が積み上げてきた過去のノウハウが、政策に反映されない状態が続いている。
官僚は政策の土台作りをやって、政府をサポートすることはできる。だが、あくまで政策立案のプロフェッショナルに過ぎず、政策実行の結果責任をとれるのは政治家である。したがって、適切な政官の役割分担をする必要がある。
外交で何より大事なのは相手国とのコミュニケーション!
官僚にも政治家にも求められるのは、コミュニケーションを通じて相手国との信頼関係を築くことだ。しかし政府は、民主党政権下でコミュニケーションを重視した関係作りができなかった。その影響は、普天間問題に端的に表れていると言える。
中国との尖閣問題においても、そういった対応のツケが回ってきたと言えないだろうか。尖閣問題では、事態が悪化してから慌しく中国とコミュニケーションをとろうとして、足もとを見られてしまった。そうこうしているうちに、その間隙を縫って、ロシアのメドベージェフ大統領に北方領土の土を踏ませてしまった。こういった事態を考えると、「外交の空白」が起きていることは明白だ。
官僚も、「途中ではしごを外されたらたまらない」と思えば、動けなくなる。政治に対する万全の信頼がなければ、やはり事務方もリスクはとれない。現政権では、まさに政府と省庁との間で「縮小均衡」が起きていると言えまいか。
腰を落ち着けて政策を練ることは今からでも「too late」ではない!
第二に、政府内でも外交・安全保障政策に横断的に取り組む体制が整えられていないこと。専門家などの外部の血も入れながら、官邸に外交の戦略機能を持たせ、「オール・ジャパン体制」で臨むべきだ。現在の体制には、限界があると思う。
事実、政権交代時には、過去の外交・安全保障政策について、「どの部分を踏襲してどの部分を整理するか」さえ、よく議論されていなかったフシがある。同じ政権交代でも、過去の細川・羽田・村山政権は、基本的に自民党の外交・安全保障政策を踏襲していた。
これは、ノウハウに乏しい野党の寄せ集めだったため、官僚に依存するしか方法がなかったこと、政権内に元自民党の有力者が多かったことなどの理由による。とりわけ村山内閣は、事実上の自民党政権だったため、自党の方針まで変えて過去の政策を踏襲した。
それに対して民主党は、戦後初となる本格的な政権交代を実現したものの、「アンチ自民」を打ち出し過ぎて過去の政策を充分吟味しなかったため、混乱しているように見える。今後は、腰を落ち着けて現実的な政策を練るべきだ。
2012年は、中国の指導者交代、米国と韓国の大統領選など、世界の外交・安全保障のあり方に大きな影響を及ぼす出来事が相次ぐ「節目の年」。明年は、それを見据えた準備期間の年にしなければならない。
民主党政権がここで本腰を入れないと、日本の外交・安全保障づくりは本当に「too late」(手遅れ)になってしまうだろう。
恐るべき戦略の才を持つ金王朝の“最終目的”
DIAMOND online 2010年11月30日 真壁昭夫 [信州大学教授]
11月24日、世界を震撼させるニュースが流れた。北朝鮮軍が、韓国領内の民間人が住む島に向かって多数の砲弾を撃ち込んだのである。それをきっかけに、一時世界の株式市場が軟調な展開になるなど、金融市場も大きく揺れた。
なぜ今、北朝鮮はそうした暴挙に出たのだろうか? もともと北朝鮮の行動は、我々の常識の範疇を越えている。つまり理解不能なのだが、その謎を解くためには、北朝鮮の金日成、金正日、金正恩と続く、“金王朝”独裁体制が見据える「最終的な目的」を理解する必要がある。
“金王朝”が目指すものは、世界の覇権国である米国に、自分たちの地位安泰を保証させることだ。つまり、米国との平和条約を締結することによって、米国が北朝鮮を攻撃しないことを保証させると同時に、核開発放棄と交換に経済援助を取り付けようと考えていると見られる。
ところが現在、米国はイランやアフガニスタン問題に意識が集中しており、北朝鮮問題は後回しになっている。米国の意識を自国へ向かせるために、“金王朝”は色々な手段を講じている。それが核開発施設の建設であり、今回の暴挙と考えられる。
今のところ、わが国には直接の脅威とはなっていないものの、弾道ミサイルや拉致問題などを考えると、必ずしも「対岸の火事」とばかりは言っていられない。領土問題で中国やロシアが「前門の虎」とすれば、北朝鮮は「後門の狼」になることも懸念される。
常識を超えた暴挙を可能にする北朝鮮の地政学的な重要性!
北朝鮮は、地政学的に極めて重要な位置にある。世界地図を広げてみると、それがよくわかる。北朝鮮は、覇権国である米国の勢力と、中国・ロシアの勢力が睨み合う最前線に位置している。
米国サイドの最前線は韓国であり、中国・ロシア側の最前線は北朝鮮ということになる。北朝鮮は、まさに「世界の軍事バランスの十字路」に位置している。
かつて韓国と北朝鮮は、朝鮮戦争で実際に戦火を交えている。つまり、自由主義圏の代表と、旧共産圏の代表として戦った経験がある。しかも朝鮮戦争は、現在休戦条約が締結されているだけで、戦いを一時止めているだけの状況なのである。
そのため、韓国・北朝鮮とも極度の臨戦態勢を敷いており、今までにも何度も小規模な戦闘が勃発した経緯がある。
北朝鮮自体の経済力・軍事力はそれほど大きくないのだが、問題はその後ろ盾に中国やロシアが控えていることだ。これまで、国連の安全保障理事会において北朝鮮に制裁を科することが何度も議論されたが、その都度中国などの反対でうやむやになってきた。
米国やわが国を含めた関係6ヵ国の協議の場でも、北朝鮮は中国などの後ろ盾を巧みに使って、世界の常識から大きく逸脱する行動をとってきた。今回の暴挙の背景には、「米国も中国も朝鮮戦争を繰り返したくないはず」とのしたたかな読みがあることは、間違いない。
“金王朝”の独裁体制が続く限り、北朝鮮は極めて扱い難い国であり、わが国にとっても大きな弊害が及ぶ可能性が高い国家ということになる。
巧妙な対外戦略と焦りが入り混じる“金王朝”の視線の先にあるもの!
世界の歴史を振り返ると、独裁政権は必ずいすれかの時点で打倒されるものだ。おそらく独裁者自身も、それを理解しているケースが多いのだろう。そのため、独裁者の多くは巧妙で、戦略的な才能に長けている。
特に国の規模が小さく、隣国からの脅威に晒されやすい場合には、そうした傾向が見られる。北朝鮮の“金王朝”も、1つの典型例と言えるかもしれない。
軍備拡張に多くのエネルギーを割くあまり、工業や農業の進歩が遅れており、国全体の実力では周囲の大国と比較すべくもない。ところが、地政学的な重要性を巧妙に使いながら、相手国の足元を見透かすような戦略においては、それなりの優位性を持っている。そのしたたかさは、時に米国や中国ですら手に余るものがあると言われている。
もう1つ忘れてはならない要素がある。それは、金正日の健康状態だ。今でも体の一部が不自由と言われる金正日の状況を考えると、三男である金正恩に権力を継承する時間が限られているのである。
最高権力者の三男とはいっても、正恩はまだ20代の若さだ。権力闘争渦巻く環境の中で、果たしてどれだけの実力を示すことができるだろうか。そこには疑問符が付く。
具体的に、「権力継承について軍部からかなりの抵抗があった」と言われていること1つとっても、限られた時間内に充分な権力継承を行なうことは、容易ではないはずだ。大きな焦りが生じていることは、想像に難くない。
それが、韓国艦艇に対する魚雷攻撃や、今回の砲撃に結びついたのだろう。今後も“金王朝”の焦りから、様々な憂うべき事態が引き起こされる可能性が高い。我々も、それなりの覚悟を持っておくべきだ。
前門の中国と後門の北朝鮮瀬戸際に立つ日本の安全保障!
北朝鮮は、米国からメリットを引き出すために、これからも色々な騒ぎを起こすだろう。ただし、自国が本格的な戦争に巻き込まれるような「愚」は犯さないはずだ。ギリギリのところで止める、いわゆる「瀬戸際戦力」を採ることだろう。
一方、もう少し視野を広げてアジア情勢を見ると、状況はかなり異なる。最大のポイントは、何と言っても中国だ。中国の覇権主義的な行動は、今後一段とエスカレートすることが予想される。なかでも、わが国が最も影響を被るだろうことは、中国が「海洋国家」へと変身しつつあることだ。
今まで、中国は「典型的な大陸国家」といわれてきた。ところが、最近の海軍力の強化には目を見張るものがある。潜水艦の保有数では、すでに米国を凌駕しているほどだという。
もちろん、いまだ運用面では米中間に歴然とした差があるものの、米国を追いかける速度は半端ではない。海軍力の増強は、結果的にわが国やベトナムといった近隣諸国との領土問題につながる。尖閣諸島問題は、その一例と考えられる。
変容を続けるアジアの勢力図日本は今のままでは相手にされない?
問題は、中国を中心にアジアの勢力図が大きく変化しようとしているとき、わが国の外交が、その変化に対応できるか否かだ。先の尖閣諸島問題では、民主党政権の外交手腕は稚拙極まりなかった。
その程度の外交手腕しか持ち合わせない政権では、これからのアジア情勢の変化に十分に対応することは期待できない。わが国は、しっかりした自分のスタンスを持つことが必要だ。
具体的には、日米安全保障条約の意味を、再度政治が問い直すべきだ。それを基礎にして、明確に自国の意見を主張すればよい。相手国の顔色ばかりうかがっていては、軽んじられることは避けられない。外交の専門家の力を借りることも、躊躇すべきではない。
ある外交専門家は、「今のような素人外交では、他の国からまともに相手にされない」と指摘していた。とても心配である。
「国の形、大阪から変える」
華々しく政権交代を果たした民主党政権だが、すっかりメッキがはがれてしまった。とはいえ自民党も期待にはほど遠い。民主党もダメ。自民党もダメ。そんな閉塞(へいそく)感を打ち破る異変が大阪府と愛知県で起きつつある。来春の統一地方選は政界激震の序章となるかもしれない。
緻密な戦略家
「大阪をよくするにはワン大阪しかない。実現にはすさまじい政治闘争に打ち勝たなければならないんです。民主党に国の形を変えてほしいがどうも伝わってこない。それならば大阪から国の形を変えようじゃありませんか!」
17日夜、大阪・中之島で関西財界人が「大阪維新の会」のために開いた決起集会。維新の会代表の大阪府知事、橋下徹はホールを埋め尽くす約900人から万雷の拍手を受け、確かな手応えを感じていた。
大阪府と大阪市を統合し、周辺市と合わせて約20の特別区に再編する大阪都構想。橋下はこの構想を「大阪再生の唯一無二の方策」と掲げ、来春の府・市議選などで維新の会の過半数制覇を狙う。
母子家庭で育ち、地元の名門・府立北野高校ではラグビー部で全国大会に出場。早稲田大卒業後は弁護士となり、平成20年2月に府知事へ転身。「大阪サクセスストーリー」を地でいく橋下はなお8割の支持率を誇るが、裏には緻密(ちみつ)な計算がある。
「大阪のGDPは40兆円でオーストリアに等しいのになぜ勢いがないのか。なぜ本当の力を発揮できないのか」
地盤沈下が著しい大阪で橋下は人々の焦燥感を煽(あお)り、プライドをくすぐる。
メディアの威力も熟知する。毎朝記者団に囲まれ、府政から外交まであらゆる質問に応じる。その歯にきぬ着せぬ発言は関西ローカルニュースで昼夜報じられ、時の首相が同じ質問にあいまいな答えをすればするほど橋下は引き立つ。
機を見るに敏でもある。自民、公明両党の支援で当選したが、政権交代不可避と見ると民主党を支持。民主党が迷走すると即座に距離を置く。ずる賢くもあるが、大阪人の心情を素直に投影させたともいえる。
「維新の会」旋風
そんな橋下が「負の遺産」の象徴として目をつけたのが、大阪・南港にそびえる旧大阪ワールドトレードセンタービルだった。大阪市の「バベルの塔」といわれる55階建てのビルは西日本一の高さを目指して建設され、経営破綻(はたん)した。
ここに府庁を移転するという奇策が「維新の会」の導火線となる。
昨年3月、自民府議団は移転賛成で党議拘束まで取り付けたが、採決は無記名投票となり、造反者が続出。賛成46、反対65、無効1で否決された。これに反発した賛成派が新会派「自民党維新の会」を結成。今年4月には政治団体「大阪維新の会」となった。当初は他党との掛け持ちもOKだったが、大阪市議補選で自民候補への対抗馬擁立をきっかけに自民党大阪府連が9月に離党勧告。府議ら45人が集団離党、民主党を巻き込み各地で旋風を巻き起こす。
橋下にとって「瓢箪(ひょうたん)から駒」だったのか。それとも計算ずくだったのか。
地下水脈つながる「名阪」
「大村さん、愛知県知事選はどうするつもりなの? ダメよ。国政でやるべき仕事があるでしょ!」
10日夕、都内で開かれた自民党衆院議員、大村秀章のパーティー。党総務会長、小池百合子は壇上で大村に詰め寄った。
大村は苦笑いしてごまかしたが、腹は決まっていた。臨時国会終了後に知事選出馬を表明。そして昨年4月に民主党衆院議員から名古屋市長に転身した河村たかしとタッグを組み「愛知独立」をぶち上げる。
大村が14年間の議員歴を捨て知事選に賭けようと思ったのは野党暮らしに嫌気がさしたからだけではない。大阪に続き、名古屋で始まった地殻変動は本物だと嗅(か)ぎとったからだ。
震源は河村だ。市長就任後、市民税10%減税や議員報酬半減をめぐり、市議会と対立。8月に市議会解散を求める直接請求(リコール)運動を始めた。
狙いはトリプル選挙だ。市議会を解散に追い込み、自らも市長を辞職、来年2月の愛知県知事選と同日選挙を行う。そこで今年4月に自らが設立した地域政党「減税日本」を率いて名古屋市を制圧する。そのパートナーとして白羽の矢を立てたのが大村だった。
署名はリコールに必要な有権者の5分の1(36万6千人)をはるかに超える46万5385人分が集まったが、市選挙管理委員会が署名の有効性を慎重に判断するとして審査期間を1カ月間延長したため、トリプル選挙の実現は微妙な情勢となった。
ただ、愛知県知事選が実施されるのは統一地方選の2カ月前だ。その余波は全国に広がる可能性もある。
3大都市圏の力
「大阪、名古屋の動きは一地方の反乱ではない。この国のあり方を根本から変えてしまうぞ…」
大村がこう言い出したのは、大阪維新の会の動きが本格化する前の今年春だった。郵政民営化の是非を問い自民党が圧勝した平成17年の衆院選、民主党が政権交代を果たした昨年の衆院選で3大都市圏のパワーを思い知ったからだ。
17年の衆院選では首都、関西、中京の3大都市圏で自民党の勝率は9割に迫った。21年の衆院選の3大都市圏の民主党の勝率も同レベル。3大都市圏にどこまで含めるかによって差はあるが、比例代表を含めると衆院480議席の6~7割を占めるとされる。つまり3大都市圏の勝敗が衆院選の帰趨(きすう)を決する。
しかも都市部と地方のニーズの乖離(かいり)は年々広がっている。都市部では規制緩和、行革などを求める声が強く、道路整備や農業対策の優先順位は低い。地方は逆だ。もはや衆院300選挙区すべてが満足する政策パッケージは作り得ない。大村はこう続けた。
「自民党は都市、地方ともにいい顔をしようとして両方にNOを突きつけられた。民主党も同じ過ちを繰り返している。民主もダメ。自民もダメ。そんな不満の受け皿が3大都市圏に生まれたらどうなるか…」
夢物語ではない
大阪府知事・橋下徹「名古屋からどえりゃーことを始めましょう」
河村「どえりゃー発音がよかった」
9月20日の名古屋市中区。ポロシャツ姿で河村と並んだ橋下は慣れない名古屋弁を披露。大阪、名古屋が地下水脈でつながっていることを印象づけた。
2人とも地方改革を声高に唱えるが国政への野心はおくびにも出さない。「国政に影響力を持とうというスケベ心を持てば府民は離れる」と橋下は断じる。
だが、統一地方選で維新の会や減税日本が地方議会を制圧したらどうなるか。地方議員に集票を頼ってきた自民党はその地から消えかねない。自民党大阪府連会長の谷川秀善が「何が何でも維新の会をぶっつぶす」と息巻く理由はここにある。
しかも大阪都構想などの実現に法改正は不可欠だ。地方公務員の大量リストラにつながる構想に民主党政権が応じるだろうか。もし拒めば、維新の会が蜂起し、次期衆院選で大阪に30議席を有する新党が誕生する-。これを夢物語と一笑に付すわけにはいかない。
大阪、名古屋の地殻変動に自民、民主両党執行部の動きは鈍いが、みんなの党代表の渡辺喜美は違った。渡辺は9月26日、都内のホテルで橋下と密会し、こう持ちかけた。
「アジェンダの一致する範囲で連携しよう」
維新の会には「ただ乗りする気か」(幹部)と警戒する声もあるが、橋下は前向きに応じたという。
統一地方選まで半年を切った。「春の嵐」は国政をものみ込みつつある。(敬称略)
2010年11月19日付 産経新聞東京朝刊
看板から外された「理想」 シリーズ1「改革か破壊か」
【地方異変】(中)
大阪府知事、橋下徹と、名古屋市長、河村たかしの「動き」は、民主党政権の地方政策が、大きく転換したことと無関係ではない。
部屋に当時、国家戦略担当相だった仙谷由人の声が響いていた。
今春の政府税制調査会の三役会合。首相の鳩山由紀夫が「一丁目一番地」と呼んだ地域主権改革が、財政再建をめぐる議論にのみ込まれていった。
テーマは、今後の財政の方向性を決める「中期財政フレーム」。地方交付税がやり玉に挙がった。
自民党政権、とりわけ小泉改革で疲弊した地方を回復させるとの名目で、昨年12月の平成22年度予算編成時に、党幹事長の小沢一郎が積み増した1兆円だ。
副総理・財務相だった菅直人は腕組みをして言った。「どうひっくり返しても本当にお金が出てこないんだ」。事業仕分けの限界に触れる菅。地方配分を削るしかないと言いたげだ。
総務相の原口一博が反論するも仙谷の攻撃はやまない。「総務省ばかり、いい目をみているじゃないか」
原口は橋下、河村と接点が多い。橋下とはテレビのバラエティー番組で共演して以来だ。政権交代が確実視されていた昨年8月、橋下を小沢に引き合わせたのも原口だ。
大阪に出向いた小沢の前で、「国への拒否権拡大」「税財政の自由度拡大」と橋下は熱弁をふるった。小沢も「まったく一緒だ」とうなずいた。
「背中から粟粒(あわつぶ)が出るくらい感動した」。橋下は原口に電話で感謝を伝えた。
原口が橋下と河村を総務省顧問に起用し、地域主権改革を推し進める「地域主権戦略会議」のメンバーに橋下を登用したのも当然だった。
改革派首長と民主党政権の「二人三脚」…。だが、巻き返しは進んでいた。
4月。ワシントンで開催された先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議から帰国した菅は、成田空港に着くなり、電話で原口を呼び出した。「とにかくギリシャが大変なんだ」
G7はギリシャの財政問題に議論が集中。政府債務残高がGDP(国内総生産)比で主要国中最悪の日本は、各国から厳しく財政再建策を問われた。
その後まもなく首相となる菅は、財政再建を目指す「財政規律派」としての色彩を濃くしていた。
民主党政権は橋下らに冷淡に対応し始めた。戦略会議の議論もすれ違った。
「道州制導入」をにらんで広域自治体の将来像を示すよう政府に求める橋下。原口は「大阪府が大阪市を飲み込む垂直統合(大阪都構想)を容認してもいい」と応じたが、菅側近として知られる東大名誉教授、神野直彦は「戦前の東京都構想は戦争遂行で出てきた。『集権』精神を推進する場合もあり危険だ」と退けた。
民主党政権で、地方政策の変化が決定的になったのは6月だった。
菅政権は、戦略会議が策定を進めていた今後数年の計画を定める「地域主権戦略大綱」自体を葬ろうとした。「権限、財源を下ろす自治体側の受け皿ができていない」。地方改革論議では必ず出てくる自治体の力量を疑問視する「受け皿論」が政府内を席巻した。
戦略会議側が反論し、何とか大綱の閣議決定にはこぎ着けたが、大綱には新たな文言が書き加えられた。
「(一括交付金制度の自治体への配分や総額では)効率的、効果的な財源の活用を図る」。財政規律派が勝利した瞬間だった。
「菅は地域主権改革に冷たいという人もいるが、私の基本は、松下圭一法政大学名誉教授の『市民自治の憲法理論』だ」。大綱を決定した6月末の戦略会議。こう語る菅の前で、会場は重苦しい空気に包まれた。
民主党が掲げた「理想」は看板から外され、橋下たちと民主党政権の蜜月も、わずか10カ月で終わった。(敬称略)
【地方異変】シリーズ1「改革か破壊か」(下)
「このゲームでは、最初に手を挙げた者がバカを見る」
民主党政権が変質していく中、復権を果たした霞が関官僚の一人は、そう言ってニヤリと笑った。
この官僚が指摘するのは、民主党がマニフェスト(政権公約)に掲げ、平成23年度予算案編成の焦点でもある「一括交付金」だ。
「おれだって、補助金改革はたいへん重要な課題だと思っているんだ。実(じつ)があがるようにやってくれ」
18日夜。官邸の首相執務室。顔をそろえた関係閣僚を前に、首相の菅直人はイライラを爆発させた。
菅は来年度は1兆円余を一括交付金とし、都道府県に配る方針を示した。だが、そのわずか2時間前。民主党は一括化の最終期限を3年後に“先送り”する提言をまとめていた。菅のけんまくにも、この場で上積みを申し出る閣僚はいなかった。
■焦点は国交省の対応
国が使途を定めた「ひも付き補助金」を束ね、自治体が自由に使える財源に衣替えさせるのが「一括交付金」だ。23年度はインフラ整備関連補助金が対象。概算要求に221件約3兆3千億円が計上されたが、各府省が現時点で交付金化に応じたのは3件28億円。わずか0・1%にすぎない。
焦点は約2兆4千億円と最大額を持つ国土交通省の対応だ。国交相、馬淵澄夫は「先取りで国交省関連補助金を一本にして社会資本整備総合交付金を作った。上積みしろとの指摘は当たらない」と拒否の姿勢を貫く。
最近馬淵に会った総務相の片山善博は「国交省内の一括化は前進だが、内閣の大方針、補助金全体の一括化の定義には当てはまらない」とくぎを刺した。
各府省が高みの見物を決め込むのは、地域主権改革に対する菅の本気度を疑っているからだ。一括交付金の原案にあった「府省の枠を超えて」との表現が「枠にとらわれず」と弱まったことにも、官僚たちは敏感に反応した。
■「財政規律派」新たなのろし
「一括交付金は大したことではない。どうやっても大きくは変わらない」。財務官僚の一人はそう言い放つ。
10月13日、霞が関の財務省4階で開かれた財政制度等審議会では、一括交付金騒動をよそに「財政規律派」が新たなのろしを上げていた。俎上に載ったのは平成21年度開始の地方交付税の「特別加算」だ。
「特別加算に期待して、地方が税収増への努力を怠る」。有識者は口々に自治体不信を表明。財務政務官の吉田泉も「極力縮小の方向で臨みたい」と応じた。
特別加算は政権交代の象徴的なカネだ。小泉純一郎政権が進めた三位一体改革で地方から削ったカネを民主党が補填(ほてん)する。それが、わずか1年で風前のともしびとなった。
21年度は臨時措置。22年度は雇用対策などで約1兆5千億円が別枠加算。財務官僚はいう。「もういいでしょう」
政府はすでに6月に決めた財政運営戦略に、今後の姿を書き込み始めた。
「23年度から3年間は地方交付税を含む予算の大枠を、22年度当初予算並みの71兆円を上回らないようにする」「地方の一般財源総額は22年度水準を下回らないよう3年間は同水準を確保する」。そんな文言だ。
財務官僚が解説する。「3年間は今年度のレベルを下回らないと喜ぶのか、3年過ぎたらどうなるか分からないとおびえるか」
厚相経験のある菅なら、削減しにくい社会保障費よりも、次いで規模の大きい地方交付税に手を付けるに違いない。財務省から「国におんぶにだっこの地方の甘えの構図を断ち切るべきだ」(幹部)と声も出る。
一括交付金化の議論の裏で、本丸・地方交付税をめぐる戦いが動き出している。(敬称略)
■シリーズ1は、金子聡、石橋文登、赤地真志帆、橋本亮、山口敦、河居貴司、木村さやか、杉本康士、尾崎良樹が担当しました。
来年4月の統一地方選に向け、国と地方のあり方を問う「地方異変」は随時掲載します。
植物工場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E7%89%A9%E5%B7%A5%E5%A0%B4
産経新聞 11月28日(日)
【現場発 ニュースを見に行く】
施設内で効率的に野菜を栽培する植物工場が注目を集めている。店内で栽培し、その場で新鮮な野菜を提供する“店産店消”の店も登場した。コストがかかり露地物より割高になることが多いが、猛暑の影響で10月に野菜が高騰した際は、工場野菜の方が安くなる“逆転現象”も起こった。肥料や水などの資源を無駄なく使えるため、環境にも配慮した「未来の産業」として期待が高まっている。(油原聡子)
■まるでインテリア
今春オープンしたイタリア料理店「ラ・ベファーナ汐留店」(東京都)。店に入ると、正面に小型の植物工場が設置されていた。高さ約2・3メートルのケース内には、幅約5・3メートル、奥行き70センチの棚が5段重ねられ、レタスなど4種類の葉物野菜が蛍光灯の光の下で、水耕栽培されていた。薄暗い店内の中心で、青々とした葉が光り、まるでインテリアだ。
レタスの成長速度は露地栽培の3分の1の約30日。主な作業は週に1回程度、水を換えるだけという手軽さだ。店で使う半分を無農薬で栽培、毎朝約60株を収穫している。1年で2万株収穫可能だ。
店内で栽培したレタスを使ったサラダを食べていた千葉県柏市の男性会社員(31)は「工場で野菜を作るなんて未来のイメージがある。柔らかい食感で、味もおいしい」と満足げだ。
同店では、生産者の顔が見える「安心安全」の側面から植物工場を取り入れたが、マネージャーの大島力也さん(44)は「10月に猛暑の影響で野菜が高騰したとき、レタスの値段が3倍から4倍に上がったが、店で作っていたから影響は少なかった」と話す。光熱費などはかかるが「通年で見れば畑の無農薬野菜よりやや高いくらいでは」。
■環境負荷少なく
植物工場は、太陽光を使わずに完全人工制御する「完全人工光型」と、太陽光を使うが雨や曇りの時に照明や室温制御を行う「太陽光利用型」がある。土壌を使わない水耕栽培が一般的で、基本的には無農薬だ。
工場野菜に詳しい千葉大学の池田英男客員教授(62)=施設園芸学=は「生育環境をすべて制御するのが植物工場。少ない資源で効率よく生産でき、環境への負荷が少ない」と話す。現在は葉物野菜が中心で、露地栽培に比べて汚れがほとんどない分、無駄に捨ててしまう部分も少なくて済むという。肥料を効率的に吸収させることが可能で、水も循環利用できる。店産店消なら輸送コストもかからず梱包(こんぽう)資材も必要ない。何もしなければ味は薄めになるが「栽培次第で味も栄養素も調整できる」と池田教授。
課題は採算性だ。施設建設費や運営費などがかかり、露地物より割高になることも多い。
ただ、年間を通じて値段が一定となるため、野菜が高騰すると露地物より安くなることもある。工場産のサニーレタスを使用する焼き肉チェーン店「叙々苑」(東京都)の担当者は「天候に左右されず、1年中、安定した価格で仕入れられるのがメリット。農薬を使っていないし、露地物と比べて異物がほとんどないので使い勝手が良い」と話す。
池田教授は「大量生産と機械化でコストが削減できればビジネスとして成り立つ」と指摘する。
■海外や南極でも
植物工場は海外にも広がっている。池田教授によると、オランダは太陽光利用型の植物工場先進国。野菜だけでなく、花木も工場で栽培するのが主流だ。作業時には栽培棚が動くため、通路のスペースもほとんど必要なく、工場内の空間を有効利用し、大量生産を実現している。ハウス環境の改善やコンピューター技術の向上も進んだ結果、1970年ごろにはトマトの千平方メートルあたりの収穫量が年間約20トンだったのが、2000年ごろには約60トンと30年で3倍になったという。
環境の厳しい南極にも設置されている。国立極地研究所によると、南極の昭和基地では野菜栽培設備として1基が稼働、レタスなどの葉物野菜を栽培しているという。担当者は「基地での食事は、基本的には冷凍食品が中心。新鮮な野菜が食べられるのはありがたい」。
人工光での栽培技術は世界的に日本が進んでおり、経済産業省では中東諸国への輸出を推進している。三菱化学(東京都)は、今年からコンテナ型の野菜工場の販売を開始した。レタスなら1日50株、年間1万8千株が収穫可能だという。中東・カタールの実業家に1基納入が決まっている。中東諸国を中心に、ロシアやオーストラリアからも問い合わせがあるという。
■企業も熱視線
農林水産省によると、工場野菜が比較的多いレタスでも市場流通は1%に満たないが、企業の参入が進んでいる。食の安全や食糧自給率の問題を背景に、低コスト化と製造技術の向上が急速に進んでいるからだ。矢野経済研究所(東京都)によると、植物工場の平成20年度の新規工場建設市場の実績は16億8千万円だが、平成30年度には100億円を超え、平成32年度には129億円の規模に拡大すると予測している。
日本サブウェイ(東京都)も植物工場に積極的に取り組んでいる。併設店を7月に都内にオープン。10月に初収穫を行った。大阪府立大学と植物工場の共同研究も開始し、来春には、店舗で使用するレタスの全量をキャンパス内で生産する“学産学消”の店舗を開店する。
培った技術力を生かそうと建設業など異業種からの参入も多い。ラ・ベファーナ汐留店に植物工場を販売した電通ワークス(東京都)の本業は不動産仲介だ。同社には老人ホームなどからも問い合わせがある。経営計画部の津倉尚子さん(46)は「新たな雇用や新規事業を求めているようです。低コスト化が進めば一気に普及するのでは」。
山梨県の運送会社「山梨通運」では今年の4月から、使っていなかった倉庫を利用して植物工場を始めた。リーフレタスを栽培し、1日60株を収穫。地元の直売所やホテルに納入しているという。同社の定年は60歳だが、大型トラックの乗務は55歳までだ。担当者は「社内で再雇用の受け皿を作りたかった。栽培もマニュアルがあるので失敗はないです」。現在は再雇用のスタッフも含めて4~5人が栽培を担当しているという。
砂漠や寒冷地という自然環境に関係なく、野菜の栽培が可能な植物工場。農業の後継者不足や食糧危機など、人間の未来を変える可能性が秘められている。
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