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平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
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水の郷工業団地(にいがた企業立地ガイド)
http://www.pref.niigata.lg.jp/sangyoritchi/1210093280689.html

「水の郷工業団地」(魚沼市企業立地ガイド)
http://www.city.uonuma.niigata.jp/kigyoritchi/topic01-01.html

2011年1月吉日 ホリカフーズ株式会社

ホリカフーズ株式会社(新潟県魚沼市、代表取締役 川井義博)では、健康関
連分野の市場拡大の機会を生かすために、新技術開発を進めてまいりましたが、
その成果を製品化するため2011 年10 月稼働を目指し新工場の建設を計画して
おります。このたび、工場建設用地として新潟県魚沼市と「水の郷工業団地」
の土地10,000m2 の購入について契約を締結いたしました。
急速な高齢化とともに介護・健康関連分野の市場の伸びが期待される中で、ホリカフ
ーズ㈱は病院、高齢者施設で使用する業務用治療食、介護食分野へ1972 年から参入し、
40 年にわたって独自技術の研究・開発を進めてまいりました。このたび、これまで培
ったノウハウ、経験に加えて、高齢化による疾病、及び摂食嚥下障害の研究に裏づけさ
れた高品質製品の研究開発を目指してきましたが、製法が確立したため、その生産を開
始し、業務用から一般市場に拡大する高齢化市場を開拓いたします。具体的には、新タ
イプの「低たんぱく食品」製造ラインならびに「介護食」等の無菌製品ラインの2 ライ
ンを新工場に設置いたします。
工場建設地の選定にあたっては、地域貢献、新潟県の推進する「健康ビジネス」の重
点地域であること、高速交通網の充実、事業継続の視点などを考慮した結果、水の郷工
業団地が本事業の展開に最も優位な立地であると判断いたしました。

問合せ先:ホリカフーズ株式会社
〒949-7492 新潟県魚沼市堀之内286
総務部 本田

Tel 025-794-2211(代)
Fax 025−794−3225
h.honda@foricafoods.co.jp




登山の食事の新常識!
水も火も電気も不要だから便利!
素敵な景色を見ながらアツアツごはん!
シチューとごはんのセット
【山弁】
【保存食・携帯食・登山食】

火も水も使わずに、温かい本格的なビーフシチューと白いほかほかごはんがお召し上がりいただけます!
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ごはんの容器がトレーパックなので、ビーフシチューをかけてそのままお召し上がりいただけます。
製造より常温で2年6ヶ月間保存できます。!

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・ビーフシチュー=180g×1
・加熱袋、発熱剤、発熱溶液、れんげ、紙ナプキン×1

[原材料名]

・白いごはん
うるち米、pH調整剤
・ビーフシチュー
野菜(じゃがいも、にんじん、たまねぎ)、牛肉、小麦粉、トマトピューレ、ワイン、
食物繊維(難消化性デキストリン)、コーン油、砂糖、トマトペースト、食塩、ウスター
ソース、香辛料、カラメル色素、調味料(アミノ酸等)

[賞味期限] 製造より常温2年6ヶ月

[保存方法] 常温保存してください

[原産国] 提供元・日本

[配送方法] 常温

[特記事項]
*加熱直後の食品は熱くなっておりますので、 やけどに充分注意してください。
*各商品により賞味期限のばらつきがありますので、 予めご了承下さい。
*弊社の都合で商品デザインの変更をする場合がございますので、 予めご了承ください。

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株式会社じょうえつ東京農大
http://www.jnodai.co.jp/

未来を拓く(中山間地)―若手生産者の挑戦(3)―

新潟日報 1月7日

 海岸にせり出した山の合間に棚田が点在する上越市西部の谷浜・桑取地区。同地区で有機農業を営む農業法人「じょうえつ東京農大」の職員小泉和弘さん(27)は初めて訪れた2006年、遠目にはのどかな棚田が、生い茂る草木で荒廃した状況に衝撃をうけた。

「誰かが手を加えないと、農村の原風景が失われてしまう」。実家は小千谷市の同じ中山間地。故郷と重なって見えた。「自分たちの力で農地を再生したい」。熱い思いが湧いてきた。

東京農大教授の藤本彰三さん(60)=上越市出身=を中心とするプロジェクトチームが当時、典型的な中山間地の同地区で有機栽培実験を行っていた。小泉さんは、はびこった草木の根を重機で掘り起こしては繰り返す耕す開墾から参加。08年、藤本さんが社長になり設立した同法人の職員として腰を据えた。

同地区は昭和30年代、県営開拓事業で180ヘクタールの農地が造成された。近年は高齢化の進行と後継者難のため、30%が耕作放棄されている。同法人はこのうち約10ヘクタールを地元農家から借り受け農業に参入。付加価値の高い有機栽培を軸に、中山間地でも成り立つ農業経営モデルの確立を目指す。

小泉さんと同様に東農大を卒業した職員・研修生ら5人が常駐する。全農地で有機JAS認証を取得。通年でコシヒカリやソバ、カボチャなど有機作物13品目を生産するまでになった。ネット販売など首都圏を主なターゲットとする。

ただ有機栽培ゆえの雑草防除や害虫駆除、機械に頼れない棚田での作業と苦労は絶えず、経営課題も多い。コメ収量は10アール当たり250キロ~300キロと慣行栽培の半分ほど。販売価格は1キロ800円と高めでも収量の少なさをカバーできない。3期目の10年度も赤字見込みで、経営安定化はなお途上だ。

「ほ場には地力の差もあり、有機で収量が安定するには最低5年掛かる」と藤本さん。「良質な水と有機栽培による付加価値を評価してくれる人は必ずいる。PRを強化し、需要を発掘すれば可能性は広がる」と焦らず構える。

東農大ブランドも活用し、OBら関係者からの口コミ効果も期待。12年度には黒字転換を目指す。食の安全性を最大の売りにしてコメ、野菜、加工品の3本柱による経営を確立できれば、環太平洋連携協定(TPP)への参加判断がどうなろうと、耕作放棄地再生を含め中山間地の生き残りにつながるという。

同法人の試みは実際、地域への刺激となっている。徐々によみがえる農地を見た地元農家が「オラも負けずに頑張らねえと」と奮起する。

小泉さんは、生産効率だけでは語れない人の温かさや農村文化の魅力も肌で感じた。「瀕死の田畑から再び作物が実る。その喜びは格別だった。僕らを快く迎えてくれた地域のために恩返しをしたい」。まっすぐな視線で語った。

2011.01.06(Thu)  The Economist (英エコノミスト誌 2011年1月1日号)

韓国北朝鮮がドイツの再統一から学べること。

国の人々は「38度線」の向こうにある共産主義国家、北朝鮮と再び戦争になることを恐れている。しかし、現在の冷戦が和解と再統一という別の結末を迎えることを誰もが待ち望んでいるわけではない。

 北朝鮮の貧しさは、その好戦的な姿勢に劣らず恐ろしい。ならず者国家の独裁政権がもし崩壊することになれば(現実的ではないが、全く考えられないわけでもない)、軍事的な脅威に代わり、様々な経済的な危難が韓国を襲うだろう。

 例えば安価な労働力が大量に流入し、北側の住民やインフラの支援に資金をつぎ込まざるを得なくなる可能性がある。

 ドイツの先例は安心感を与えるものではない。再統一から20年を経たドイツでも、いまだ東側が国の予算を食い、失業率の高さに大きく貢献している。

 1950年に朝鮮戦争が勃発するまで、朝鮮半島の重工業は北側に集中していた。ソウルにある高麗大学校のファン・イガク氏によると、1975年になっても、国民1人当たりの所得は北朝鮮の方が韓国を上回っていたという。

 ケンブリッジ大学の経済学者ジョーン・ロビンソン氏は1977年に、「この国は遅かれ早かれ、南側が社会主義に吸収される形で再統一せざるを得ないことは明らかだ」と記している。

 韓国の中央銀行の試算では、2009年、北朝鮮の1人当たりの所得はわずか960ドルで、韓国の約5%程度に過ぎなかったという(北朝鮮の生産高は、韓国の物価および対ドル為替レートで計算したもの)。

 この不均衡に比べれば、再統一直前の東西ドイツの所得格差も小さく見える(図参照)。北朝鮮は東ドイツより貧しいだけでなく、規模が大きい。東ドイツの人口が西ドイツの4分の1程度だったのに対して、北朝鮮には韓国の約半分に当たる2400万人が暮らしている。

もし朝鮮半島が再統一されたら、政府は厳しい選択を迫られるだろう。1つの選択肢は、救済政策や公共事業、助成金によって、南北の生活水準の格差を埋めることだ。あるいは、貧しい北の住民が、高い賃金を求めて南に流入してくるのを覚悟する道もある。

ドイツは前者を選んだ。東ドイツマルクで支払われていた賃金は西ドイツのマルクに1対1で換算され、その後、労働組合の圧力により、西の水準まで賃上げされた。この結果、西側に移民労働者が流入したり、逆に資金が出したりといった懸念は弱まった。

 しかし同時に、東側への民間投資も妨げられた(巨額の助成金に後押しされて不動産投機は盛り上がったものの、結局、尻すぼみに終わった)。しかも、東の労働者は高い賃金のせいで、多くが市場から締め出された。

 ドイツの再統一について研究する経済学者は多く、ハンブルク大学のミヒャエル・フンケ氏とハノーファー大学のホルガー・シュトルーリク氏もそこに名を連ねる。両氏は2005年に、ドイツのモデルを朝鮮半島に当てはめて研究を行った。この計算(両氏は「厳密な推測」と呼ぶ)は、問題の大きさを浮き彫りにする。

 まず、朝鮮半島の南北で生活水準の格差を解消するには、最初の段階で、韓国の税収の半分を超える金額をつぎ込まなければならない。両氏の試算によれば、この財政負担は税収の30%まで減らすこともできるが、その場合は、代わりに800万の移民を受け入れなければならないという。

 もちろん、外国から借金して財政負担を時間的に分散させることもできる。現代の韓国人が再統一の費用をすべて負担すべき理由などない。しかも原理的には、北朝鮮の生産性がかなり短期間で韓国と肩を並べる可能性もある。

北朝鮮は資本が乏しいため、理論的には高い利益が期待できる。投資家は北朝鮮の地理的利点、天然資源、そして若く、十分な教育を受けていて、しかも安価に使える労働力に引きつけられるだろう。

 (韓国や中国の企業は既に行動を起こしている。例えば、韓国の現代峨山と韓国土地公社は、国境を越えて数キロの場所に開城工業団地を開発、運営している。116の工場が入居する同工業団地は、北朝鮮の労働者4万人を雇用し、月2000万ドル以上に相当する繊維、化学製品、電子機器などを生産している)

北朝鮮政府は計画経済を頑なに貫いているものの、社会主義の殿堂の割れ目では、つたが伸びるように市場が成長している。ステファン・ハガード氏とマーカス・ノーランド氏は近著『Witness to Transformation(変化の目撃者)』の中で、北朝鮮から韓国中国に亡命した人々の調査を用いて、この「下から」の市場改革を立証している。

同著によると、中国に亡命した人の62%が、主に市場から食料を手に入れていた。国を頼っていた人は3%にすぎなかった。また、亡命者の70%近くが作物の販売や自転車の修理といった私的な事業で収入の半分以上を得ていたという。

 北朝鮮の人々が市場に頼るようになったのは、純粋な絶望の末のことだった。例えば、1990年代半ばの飢饉で配給制度が崩壊し、家計は家畜を飼育したり、ドングリや海藻を集めたり、台所で作物を栽培したりせざるを得なくなった。

 人々が法をねじ曲げ、あるいは無視する中で、非公式な市場が次々と生まれた。2002年には一部の取引が合法化されたが、2005年から再び取り締まりが始まった。

計画経済の計画的な幕引き!

 こうした物々交換のような非合法なシステムがいずれ、力強い市場経済の核となっていくのかもしれない。しかし、北朝鮮の計画経済の破綻には、良い面も悪い面もある。

 生産を大きく落ち込ませることなく経済の自由化を果たした共産主義国は少ないが、その数少ない先例として中国がある。中国の成功の要因は、計画経済を、そこから脱却できるまで十分に長く維持したことだった。

 改革の初期段階では、家計や企業には中央から割り当てられた権利と義務があった。ただし、それ以外に手に入るものを売買する自由もあった。これにより、過渡期の経済が陥りがちな混乱や苦難を回避しつつ、モノの価格に供給の過不足を告げるという役割を果たさせることができた。

 カリフォルニア大学バークレー校のジェラード・ローランド氏は、北朝鮮は中国の例に倣うのが得策だと論じる(少なくとも、国民は統制価格での必需品の割り当てを受けられるようにするべきである)。つまり、市場経済への移行を果たす前に、配給制度のようなものを復活させる必要があるのかもしれない。北朝鮮の場合、基本計画を復活させるのが最善だろう。

 市場経済への道は間違いなく険しい。韓国の共産主義の同胞は、かつての西ドイツの同胞より貧しく、人口が多い。それでも、フンケ、シュトルーリク、ローランドの3氏が揃って指摘する通り、朝鮮半島にはかつてのドイツより有利な点がある。それは、先例から学べるということだ。

世界7億人がつながるのに日本語では通じない!

2011.01.06(Thu)JBプレス 烏賀陽弘道

 ウィキリークスの一連の事件を見ていて、日本語インターネットがひどくつまらない世界のような気がしてきた。

 私はSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)を2つ使っている。「フェイスブック」と「ツイッター」だ。何で使い分けているかというと、言語だ。フェイスブックは英語専用、ツイッターが日本語専用なのだ(ミクシィも使っているが、匿名なので人脈構築に役に立たない。カーミットのファンコミュニティー以外は開かない)。

 先に使い始めたのはフェイスブックだ。米国の取材関係者やジャーナリスト仲間、コロンビア大学院時代の友だちなど、海外の友人と連絡を取ってみたいと思ったのだ。

 昔の名簿や名刺を片手にフェイスブックに名前を打ち込み、片っ端から検索してみると、出るわ出るわ。英語でメッセージを書く。フレンドリクエストを送る。「覚えていますか? ヒロ・ウガヤです」と。

 ほぼ全員と連絡が取れた。勢いに乗って中学の頃のペンパル、ホームステイしたカリフォルニアの家族、米国ブラジルに移民した親戚、を検索したら、彼らとも簡単に連絡が取れた。数十年も消息不明だったのに、フェイスブックのおかげであっという間に連絡を取り合うようになってしまった。

 米国人やブラジル人だけではない。フランス人、英国人、インドネシア人、フィリピン人、タイ人、韓国人、パレスチナ人、ガーナ人とどんどん「フレンド」が広がっていく。

 約1年で世界50カ国くらいの「フレンド」ができただろうか。世界中の学生が集まる大学院に留学した時と同じような「世界が1つの空間に凝縮されている感覚」が戻ってきた。本当に楽しい。

 この世界50カ国の「フレンド」の間の共通言語が英語なのだ。私が東京のクリスマスのイルミネーションの写真を公開すると、フランスオーストラリアフィリピン英国など様々な国の人が英語で感想を書き込んでくれる。「きれいだねえ!」「東京に行ってみたいなあ」とかそんな他愛のない内容だが、世界中のグローバルなコメントがずらっと自分の写真に並んでいるのを見ると、これはインターネットでしか起こり得ない奇跡だとしみじみ感動する。

 利用者は世界に7億人いるそうだから、おそらくインターネットを使うかなりの割合がフェイスブックに入っているのだろう。つまりフェイスブックが「世界標準SNS」になってしまったのだ。

日本語フェイスブックはなぜ盛り上がらないのか!

 しかし、ときどき、フレンドが英語をやめて、それぞれの母国語で母国の人と会話を始めることがある。インドネシア人ならインドネシア語、フランス人ならフランス語、フィリピン人ならタガログ語、アラブ人ならアラビア語だ。

 とたんに、話が分からなくなる。話の輪に入れなくなる。他の国の人も同じらしく、結局、非英語で会話が始まると、そのスレッドだけは「グローバル」ではなく「ローカル」な会話になるのだ。

 ある日ふと、日本語でのネットコミュニケーションも同じことだと気がついた。ツイッターにしろフェイスブックにしろ、日本語で書かれた内容は日本語のできる人にしか理解できない。ということは、ほぼ全員が日本人である。

 ツイッターからフェイスブックに移ってくる日本人が最近(勝間和代が使い始めた後)増えているのだが、日本語フェイスブックはほとんど盛り上がらない。もう日本語の会話コミュニティーはツイッターで出来上がってしまっている。フェイスブックで重ねてやる必要がないので(写真、ビデオ、リンクのシェアはフェイスブックの方がはるかに使いやすいのだが)、やるとしたら英語で世界の人々と会話するのが主目的になる。

 ところが、わがジャパンの同胞は悲しいほど英語への苦手意識が強いのか、実際は書けばけっこう正確な英語を使えるのに、英語でのやり取りに踏み切れない様子である。フェイスブック上で英語で発言している日本人は、もともとバイリンガルだった人ばかりだ。日本語での発信には日本人しか集まってこない。世界7億人がつながるのに、何ともったいない話だろう。

インターネットが普及しても言語ギャップはそのまま!

 前置きが長くなった。インターネットが世界に普及すればするほど、1つの冷徹な現実が姿を現している。

 それは、インターネットがいかにグローバルメディアとして普及しようと、言語ギャップは残ったままになっている、という事実だ。

光ファイバーが普及し、パソコンやネットのリテラシーがいかに高まろうと、英語リテラシーの低い層は、インターネットのグローバル性を享受できないのだ。

 「ニューズウィーク日本版」(2010年6月30日号)は「英語じゃなくてグロービッシュ」というカバーストーリーを組んだ。インターネットに流れる英語は、米国英国で実際に使われるイングリッシュとは別の世界言語「グロービッシュ」(世界の言語の文法が入り乱れた英語)だというのだ。

 その当否は別として、この記事によると、インターネットのホームページに使われている言語の約70~80%が英語。ドイツ語は4.5%で日本語は3.1%だそうだ。

 つまり、こういうことが言える。インターネットが21世紀の世界のメインメディアであることはもう間違いがない。しかし、そこにある「言語バランス」は、依然として英国と米国が経済・軍事・情報で世界を制覇した19~20世紀の古くさい、カビが生えたような政治バランスと構造がそのまま持ち込まれるのだ。

 それは、外交用語や学術論文、マスメディアの標準共通言語が依然英語であるのと、大差がない。というより、そんなリアルの世界の反映がインターネットの世界である、というにすぎない。

日本が問われる世界への情報発信力!

 夢見がちな人はこういうだろう。「いや、自動翻訳がもっと高性能になるでしょう。そうすれば、インターネット上の言語バリアは乗り越えることができます」。さよう、その通り。そういう現実が来てほしいと私も切に望む。

 しかし、自動翻訳ソフトウエアが技術的に可能だったとしても、アルゴリズムを開発し、プログラムを組み、商品化して市場に出すのは人間の行動なのだ。そこで勝負を決めるのは、テクノロジーではなく、文化力であり、資本力であり、産業力であり、政治力だろう。

 英語を日本語にするソフトは、この先も日本人が欲しがるだろう。しかし、日本語で書かれたインターネットコンテンツで、英語圏の人々が「日本語サイトにまであたってほしいと思うようなもの」がどれくらいあるのだろうか。唯一の希望「クール・ジャパン」の大半は、まんがやアニメ、ファッションなどビジュアルコンテンツである。

結局、そこに出現するのは「世界の人々が知りたがるような文化の魅力があるのか」という、昔なつかしいインターネット以前の情報発信力の勝負ではないか。

 ずっと日本人が渇望してやまなかった「世界の注目を浴びたい。でもかなわない」という切ない姿がインターネットでも再現されてしまう。

 またしても前置きが長くなった。申し訳ない。

英語リテラシーの低い層は取り残される!

 11月末「ウィキリークス」が25万件に上る米国の外交文書を暴露した。興奮してウィキリークスのサイトを見た日本人は愕然としただろう。なにしろ全部英語なのだ。内容が分からない。1次情報としてウィキリークスの原文を読んだ日本人は稀だろう。あとは日本語の報道で内容を知ったにすぎない。

 そもそも、ウィキリークス発行人のジュリアン・アサンジはオーストラリア人だ。もともと「インターネット英語コミュニティー」の住人なのだ。ウィキリークスの内容を事前に報道したマスメディアも、ニューヨーク・タイムズ紙(米国)とガーディアン紙(英国)はじめ英語圏あるいは欧州のメディアばかりだ。日本語のメディアなど入っていない。

 ウィキリークスが暴露する情報は、国別では日本が3位だという話を聞いた。しかし、それも悲しいかな東京の米国大使館が発信した公電だという。日本の話なのに英語で暴露される(日本のメディアやネットが必死で翻訳するだろうが、断片的になるだろう)。

 要するに、ウィキリークスがいかに画期的でも、日本語使用者に限らず、英語リテラシーの低い人間は、その恩恵を受けることができない。英語リテラシーの低い層はインターネットのメインストリームの情報から取り残される。それが明らかになってきた。

 もう一度言う。インターネットがいかに普及し、グローバルメディアとして広まろうと、言語障壁だけは残る(円滑な自動翻訳ソフトが普及しない限り、という但し書きつき)。

 それどころか、ますます英語使用者たちの情報力を高め、そうでない人たちを低める。つまり、言語が持つパワーバランスがインターネットにもそのまま持ち込まれる。

 それは暗いシナリオだ。少なくとも「インターネットはグローバルメディア」「ネットが世界を変える」というバラ色の未来(=インターネットユーフォリア)を喧伝する一部の日本人にとっては、極めて「都合の悪い真実」なのだ。

情報・諜報ドクトリンを早急に整備し、危機に備えよ!

2011.01.06(Thu)JBプレス 飯田俊明

かつて、電子戦について紹介されたテキストがあり、その中で電波の妨害を受けるとレーダの画面がどうなるといったことが記述されていた記憶がある。

情報への無関心で負けた太平洋戦争!

そのテキストを見てから40年近い年月が経ち、改めてこの分野の状況を見ると、部分的に新たな技術動向や脅威である敵のレーダやミサイルの進歩に対応した性能向上が図られているが、基本的には旧態依然としているという印象が否めない。

 なぜなのだろうかということをかねて考えていたが、ここに私の経験の一端を紹介しながら分析を試みてみたいと思う。

 実松譲氏の著した『日米情報戦』や、太平洋戦争に関わる戦記ものといわれる各種の本を読むと、日本人というのは情報という問題について極めてルーズというか、無関心な文化を持った国民なのではないかと思えてしまう。

 太平洋戦争という日本にとっては直近の戦争においてこのような状態であったということの再認識と、それゆえに多くの現場の将兵の犠牲にもかかわらず戦争に負けたということについて、戦争を指導した階層の責任と指導における情報の収集と活用について根本的なところまで掘り下げて見なおす必要があると感じる。

 電子戦や情報に関わる文献を読むと、特に翻訳をする時に、気づくのは、「INFORMATION」も「INTELLIGENCE」も日本語に翻訳すると両方とも「情報」になってしまうということである。

情報に対する異質さは、世界からの孤立を意味する!

 もしかすると、この分野の翻訳文献などではこの両者を混同したままで翻訳されているものがあるのではないだろうか。

 逆に注目すべき点は、日本以外では「INFORMATION」と「INTELLIGENCE」が完全に異なる標記で個別に定義されているという点である。

 言葉が文化を背景にしており、また人間の思考が言葉を介して行われるという実態からすると、日本と欧米の差異は実は極めて大きな隔絶を日本と欧米の間に生む可能性があり、かつ日本にとって極めて不利な状況を作り出す可能性があるのではないだろうか。

 隣の中国は孫子を生んだ国である。欧米のみならず中国を含め、日本の情報を扱う文化がそれらの国々と比較して異質ならば、日本は世界から孤立しても不思議ではないように思われる。

このような意味で、最近のニュースで報じられている尖閣諸島問題は情報面では極めて興味深く、多くの証左と教訓を含んでいるのではないだろうか。

尖閣事件の迷走が日本の欠点を教えてくれた!

まず、ビデオの公開について政府が判断を誤ったこと。それがゆえにビデオ情報公開の機会を失して、以後の事態の推移に対応できなくなったこと。

 政治的に公開を止めながら、行政的に秘区分を指定せず放置したこと。

 このことがリークという事態に対処することをさらに難しくしている。

 秘区分の指定があいまいなものをリークされたとしてもそれを問題にする姿勢そのものが問われるし、リークされるような背景というものも重大な意味を持つ。

 ある意味では武力ではなく情報を利用したクーデターにつながる可能性があるのかもしれない。

各大臣が勝手にものを言う国は「相手の思う壺」!

 各大臣が各個にものを言い、いち国会議員が中国に赴いて勝手な約束をするような政府というのは、情報を上手に操る側からすれば扱いやすい相手ではないだろうか。

 私が「情報」という問題にオーソドックスな関わりを持ったのは、米国の電子戦の会議に偶然参加したことに始まる。

 それまでは、一般の管理職同様、自分の仕事を効率的かつ正しい方向に持って行くために、よく周囲の情報を集め、法令を勉強し、なおかつ将来のあるべき姿を模索しながらあくまでも個人として、判断をおこなってきた。

 だから、「情報」ということについて国際会議があり、それを世界中の人が参加して論議しているという前提自体が最初は理解できなかった。


この会議の看板は「電子戦」である。しかしその中で扱われるものは電子戦データ、「Information」であり「Intelligence」なのである。

世界では極めて重視されているドクトリン!

 まずこの会議で私が学びそしてその後の思索の核となったJPについて紹介しよう。

 JPとは「Joint Publication」の頭文字である。米国の統合参謀本部の教書である。教書とは何かといわれると説明のしようがないが、「Doctrine」が記述されているドキュメントである。

 「Doctrine(ドクトリン)」を手元の辞書で引くと、「1.教義、教理、主義、学説、2.教えられる事柄、教訓」とある。

 米国の各軍種の運用およびそれに必要な装備はこのドクトリンによって定義され、基本的には4年に1回もしくは必要の都度改定されることになっている。

 会議において、電子戦に関わるドクトリンと情報戦に関わるドクトリンの改定についての発表があり、電子戦、情報戦について定義されたドキュメントが存在することを始めて知ったのである。

電子戦に関するドクトリン!

 帰国し、早速ウェブで検索してみると、電子戦についてのドクトリンは「JP-3-13」というドキュメントが公開されていることが分かり、これを読むとともに翻訳を試みた。その概要は以下の通りである。

●インテリジェンスには3つの形態がある。

(1)戦略に関わるインテリジェンス
(2)作戦に関わるインテリジェンス
(3)戦術に関わるインテリジェンス

●インテリジェンスはインフォーメーションを分析、相関処理、評価、組み立てることで生成されるものである。

●インフォーメーションとは収集されているが、完全に相関づけ、分析、評価がされていないデータである。

しかし戦術指揮官にとっては重要な価値があり、脅威に対する警戒や目標の捕捉に極めて重要。情報を運用する情報運用(Information Operation:IO)は3つの能力に分類できる。

(1)核となる能力:心理戦、軍事欺瞞、作戦保全、電子戦、コンピューターネットワーク
(2)支援能力:防諜、物的攻撃、物的保全、情報保証、映像戦闘記録
(3)関連する能力:広報業務、民間防衛、防衛外交

電子戦、情報戦、インテリジェンスは連鎖的体系を成す!

 JPの咀嚼作業から、電子戦、情報戦、インテリジェンスが連鎖的な体系の上に成立し、個々の独立した活動ではないことを知るとともに、次のような要約に至ったのである。

(1)インテリジェンスとは国家レベルの戦略インテリジェンスのみと思っていたが、作戦や戦術に関わるインテリジェンスがあるとするならば、作戦や戦術を担う各自衛隊が関わり、利用するインテリジェンスは当然あるべきであり、国家レベルの戦略インテリジェンスとは関連しつつも異なるカテゴリーになるのではないか。

(2)インフォーメーションとは「収集されているが、完全に相関づけ、分析、評価がされていないデータ」と定義されており、このフレーズでは「完全ではない」とあるものの、「ある程度相関づけ、分析、評価がされているデータ」ととらえることができるのではないか。

(3)戦術の現場で電子戦器材により収集されたデータがある程度整理されたものがインフォーメーションであり、これを活用するのが情報運用(IO)である。

 さらに分析、相関処理、評価、組み立てることでインテリジェンスが生成される。このように段階的に活動するためには、各段階において対応する組織が必要ではないか。

(4)フィールドで得られるデータの量と質がインフォーメーションやインテリジェンスの質を決める可能性が高い。その意味で電子戦器材は極めて根源的な装備ではないか。

(5)データの不足はインフォーメーションの質を低下させ、インテリジェンスの生成を不可能にする。その結果インフォーメーションやインテリジェンスを同盟国に依存するようになるのではないか。

(6)インテリジェンスに戦術、作戦のインテリジェンスがあるということは、当然戦術と作戦の場面に利用されるためにフィードバックされ、活用されなければならない。

 それぞれの活動が、離れた場所で行われる場合は、データ、インフォーメーション、インテリジェンスはネットワークなどを介して循環しながら確度を上げていくのではないか。

 

以上のような分析から、各自衛隊が持つプラットフォームへの電子戦器材の装備というのは極めて重要な原点なのではないかと思えてくる。

「妨害」よりも「収集」する機材の重要度が高い!

 特に昔のように長距離通信を高周波の無線機にのみ依存していた時代から、人工衛星や極高周波の通信、戦術LINK、洋上におけるローカルネットワーク、GPSを使用した武器の運用、さらには通信のネットワーク化、デジタル化等の時勢を考えると、日本の防衛のためには本土にだけ足場を置いた情報収集体制だけではなく、洋上で、空中で、また宇宙でデータを収集し、それらを集約し、各省庁が連携して、確度の高い情報を抽出し、インテリジェンスを生成運用していくことが不可欠のように思う。

 電子戦器材といっても、もはや冒頭に述べた昔の電子戦とは大きく異なっている。上記のような流れからすれば、妨害よりも収集機材が重要になるのではないだろうか。

 ましてや、中国が空母を中心とするバトルグル-プを編成して動くとすれば、相応の態勢を整えなくてはならないだろう。

 前述したように米国には電子戦のドクトリンが存在しているが、欧州でも北大西洋条約機構NATO)として定めるとともに、英国のように個別に定めている国もある。

 NATOではドクトリンに基づいた運用と関連する装備が所望の能力や機能を発揮するかを検証するために、NATO全体の電子戦共同訓練を実施している。

情報をインテリジェンスへ生成するプロセスと組織!


この訓練では、電子戦、情報戦、インテリジェンスの生成および活用までが一連の想定の中で演練される。

 米国はカナダ、オーストラリア英国などと環太平洋合同演習にあわせて演習を実施している。これらのことは能力整備だけでなく、運用面での検証の必要性という新たな問題点を日本に提起しているように見える。

 本来インテリジェンスが国家の主権と大きく関わっていることを想起すると、データを収集してインフォーメーションとして活用しながら、さらにインテリジェンスを生成する一連のプロセスとその組織は極めて重要な存在である。

 そのプロセスと組織や所要の能力は米国でも、NATOでもドクトリンに基点を置いている。

私が電子戦のドクトリンの存在に気づいた時、最初に確認したことは、日本に電子戦ドクトリンが存在しているのかということであり、ないと分かったとき大変がっかりした。

日本にはほとんど存在しないドクトリン!

 また防衛省がドクトリンを持たないならば、外務省国土交通省総務省も多分ドクトリンはないだろう。

 尖閣列島事案の対応を見ると、とてもコンセプトのある対応とは思えないし、ドクトリンといった対応の骨格になるものがないことを証明しているようにも見える。

 もしあるとするならば全面的な見直しが必要だろう。米国の文献では中国はドクトリンを整備し、これによる各種活動(サイバー、ハッカーを含む)をしているらしい。

 防衛の分野に限定するならば、今後電子戦、情報運用、インテリジェンスについて以下のことを考慮する必要があると思う。

●日米安保に基づく今後の有事対応において、インテリジェンスの整合と情報運用の連携は不可欠である。

 米国側がドクトリンなどに基づく体系的データ収集、情報運用、インテリジェンスの生成を実施している以上、日本側がドクトリンの不在のままアドリブ的な対応をせざるを得ないとするならば、同盟や運用の連携において極めて支障となる可能性がある。

 態勢の整備が必要である。

●情報軽視による弊害は太平洋戦争の戦史に数多見ることができる。教訓に学び実践する必要がある。日本には文化的背景が希薄なので、本質的な体質改善が必要である。

●電子戦の国際会議では、電子戦や情報戦について論議し、準備することは極めて大切なことであり、当然のことである・・・という雰囲気が充満しているが、日本では何か後ろめたい領域であるかのごとく人々が対応している。

 そこで扱われている情報自体と、制度のあり方とはとは別の問題であるように思う。制度についてはもっと論議すべきである。

松譲氏が書いた「日米情報戦」の「まえがき」において氏は次のように述べている。

情報は国の運命を左右する!

 「先人は、『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求める』と、戒めている。我々は本書の中の限られた史実からだけでも、『情報戦で優位に立ったもの』、つまり、『先ず勝ちたるもの』が、『いかに勝利をえたか』をはっきり知ることができる。

 「それは武力を用いる“熱い戦争”だけでなく、平時の外交戦などでも、全く同じである。情報は、国家の運命をさえ左右する・・・・・と歴史は教えているのである」

 当時と今とでは情報の背景で、また“熱い戦争”の実行手段として機能している通信、ネットワークが格段の進歩を遂げており、情報を制するためには電子戦を制しなければならない時代に我々はいることを忘れるべきではないだろう。

 文化的な希薄性を乗り越えて将来に備えた情報体制の整備は、抑止として、また有事において適正に対応するためにも安全保障上不可欠である。

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