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ジョン・ミード・ハンツマン(洪博培)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%B3_(%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2)


丹羽・ハンツマン両大使が語る新春の抱負!


2011年01月17日(月)現代ビジネス 近藤大介

旧正月(今度は2月3日)を「新春」として祝う中国にとって、新年は特別の佳日ではなく、ただ元旦が休日となるだけである。そんな中で、「自宅玄関」に門松と日の丸を立てて正月を祝った粋な日本人が、北京でたった一人だけいた。誰あろう、特命全権大使の丹羽宇一郎氏(71歳)である。

 そんな大使公邸で、100人ほどの日本人駐在員らを集めて、新春のランチパーティが催された。昨年は、7月末に着任して早々、尖閣諸島問題が勃発し、ひたすら「守り」に徹した感があった丹羽大使だったが、この日はスピーチ原稿も持たずに、意気軒昂に語った。

「私は今年の元旦、中国全土を踏破して、中国人と草の根交流を行うという計を立てた。調べてみると、中国には、23の省と、5つの自治区、それに4つの直轄地がある。これらをすべて回ろうとすると、1ヵ月に2回、出かけたとしても、一年では回り切れない。一年半くらいはかかる。でも一年半かけてでも、必ず踏破してみせる。そして、地方の人々のナマの声に耳を傾けると同時に、日本の良さを広めていくのだ」

 思えば昨年、伊藤忠商事会長から、民間人初の駐中国特命全権大使に「華麗なる転身」を果たした丹羽氏は、着任当時、「二つの抱負」を述べていた。一つは、日中FTA(自由貿易協定)を締結すること、そしてもう一つは、マメに地方行脚をすることである。

 だがどちらの希望も、「尖閣台風」によって掻き消され、趣味である朝のジョギングさえ行けない「引きこもり」状態になってしまった。ようやく11月になって北京近郊の天津への視察に出たが、風邪をこじらせた。続く12月の南京視察では、「南京大虐殺73周年のシーズンなのに、なぜ大虐殺記念館に足を運ばないのか!」と、中国メディアに叩かれる始末だった。

 丹羽大使は昨年暮れには、大使に就任して初めて、人気ニュース雑誌の『財政』に、『日中関係:われわれは賢者となれるか』と題した論文を寄稿した。書き出しに曰く、

< 私は大使に就任してからお目にかかった、胡錦濤主席、温家宝総理、習近平副主席、王岐山副総理らに、同じ話をした。それは、次のような話だ。「両国は、1000年、2000年の極めて長い付き合いであり、夫婦以上の関係である。だから近すぎて、互いの欠点ばかり目に付くが、10年や20年の短いスパンで、互いの欠点ばかり指摘し合っていてはならない」・・・ >

 以下、孔子や周恩来総理の言葉を引用したりして、格調高い中国語の文言が、延々と続く。

精読すると、丹羽大使の説く「夫婦以上の関係論」は、なかなか納得させられる。だが悲しいかな、雑誌のほぼおしまいの204~205ページに「残りその他」のように掲載され、しかもタイトル下にある「日本駐華大使」という肩書きは、わずか「4Q」の文字で印刷されている。これでは、せっかく「特命全権大使」が初めて健筆を振るったというのに、多数の読者の目に留まるはずもない。

 そんなこんなで、新春の丹羽大使としては、「今年は飛躍の年にするぞ!」という意気込みがあるのだろう。前述の新春パーティのスピーチでは、「全国行脚への決意」に続いて、次のような「爆弾発言」が飛び出したのだった。

「今年は、SMAPを、北京のオリンピック・スタジアムに連れてくる。3億円かけて招聘する。日本を代表するこの二つのグループが、北京公演を行えば、中国の日本ファンは一気に増えるに違いない。すでに、劉琪さん(北京市トップの北京市党委書記で丹羽大使と親しい)にSMAPDVDを渡して、いま聴いてもらっているところだ」

 まさかお堅い特命全権大使の口から、「SMAP」と「」が飛び出すとは予想もしていなかった。私は、咥えていたトロの刺身を、危うく噛まずに呑み込んでしまうところだった。

 だが、どこからともなく、「大使、頑張れ!」という声が上がり、丹羽大使は右手を振って声援に応えていた。今年の丹羽大使は、何かやってくれそうな予感が大だ。

 ところで、新春早々、北京で丹羽大使以上に目立ちまくっている大使がいる。駐中アメリカ大使のジョン・ハンツマン氏(50歳)だ。

 昨年末、クリスマス休暇で帰国したハンツマン大使は、所属する共和党の重鎮たちと会って、ワシントンの政局について、意見交換をしたという。さらに、『ニューズウィーク』誌の新春インタビューに登場し、来年秋の次期大統領選への出馬を仄めかした。これで俄然、沈滞ムードのオバマ大統領に代わって、「時の人」となったのだ。

 図らずも、1月9日~12日に、アメリカのゲーツ国防長官が訪中し、ハンツマン大使は、夜風吹きすさぶ空港に出迎えたのを始め、4日間をゲーツ国防長官と共にした。だがある意味で、国防長官以上に、一介の大使の方が目立ってしまう格好となった。11日午後に人民大会堂で会見した胡錦濤主席にしても、ゲーツ長官と握手を交わしながらも、末席のハンツマン大使が気になって仕方ない様子だったという。

 実は2009年8月、ハンツマン大使が、ユタ州知事から中国大使に転身した時に、すでに北京の外交筋の間では、こんな噂が飛び交っていた。

民主党オバマ大統領が共和党のハンツマン知事を中国大使にしたのは、2012年の大統領選で、ハンツマンが対抗馬として最有力だと判断したからだ。そこで4年間、北京に留め置いて、ハンツマンの次期大統領選出馬の芽を摘もうとしたのだ」

 私は、着任した翌9月に、ハンツマン大使をあるパーティで見かけた。在りし日のロバート・レッドフォードを髣髴させるナイスガイ、というのが初印象だった。ハンサムでダンディで、おまけに流暢な中国語を操るのに驚いた。そんなハンツマン新大使と、しばし立ち話をした。

---なぜそんなに流暢な中国語を話すのですか?

「若い時分に台湾で勉強しました。だからここでは私の名前は、ハンツマンでなく、中国名の洪博培です。それに私は、養女も中国人なんです」

---今回、中国へ来て行ったことは?

「まず、自転車を買いました(笑)。北京のラオバイシン(庶民)の生活は、大使公用車の中からでは分かりませんから。それで日曜日には自転車に乗って、フートン(路地裏)を回ることにしたんです。

 それから、初の地方視察として、四川省へ行ってきました。四川大地震から1年余りが経ちましたが、災害の復興の度合いを見れば、中国の発展段階が読めると思ったのです」

---いまの米中関係をどう見ていますか?

「これまでの30年間で一区切りだったと見ています。両国は30年間にわたって、大変重要で、かつ大変複雑な関係を築いてきました。これからは、まったく異なる"第2ステージ"に入っていく。海図もない、未知の航海です」

---未知の航海に出て行く「船長」として心がけることは?

「30年間の米中関係を振り返って言えるのは、長期的ビジョンを持つことと、優先順位をつけることの2点が大事だということです。あとは中国語で言う『互相幇助、互相発展』(互いに助け合い、互いに発展していく)の精神を持つことですね」

---大使として、ぜひやりたいことは?

「実はオバマ大統領からホワイトハウスへ呼ばれた時も、同じ質問を受けました(笑)。私が答えたのは、いまのアメリカは対中貿易格差ばかり問題にしているが、同様に重要な、対中文化格差をなおざりにしているということです。

 すなわち中国人は幼少時から英語を勉強し、常時、数十万人の優秀な留学生がアメリカでMBAを取ったりしているのに、中国へ留学するアメリカ人は、まだまだ少ない。つまり文化の相互理解という点で、アメリカ中国に圧倒的に負けているのです。

 そこでオバマ大統領に、10万人のアメリカの若者が中国で学べるような枠組みを作ってほしいと頼みました。私から大統領へのお願いは、この一点だけです」

---東アジアには、同盟国の日本もいます。「米中G2時代」の日米同盟とは、どういうものでしょうか?

「北東アジアの平和と安定のために、米日同盟は欠かせません。米中2ヵ国に、日本が加わり、3ヵ国で話し合うことは非常に大事です。例えば北朝鮮問題などは、3ヵ国が一体となって解決すべき問題です」

 短時間ではあったが、ハンツマン大使はこのように、極めて誠実に答えてくれた。

 以後、ハンツマン大使は、「洪博培」の中国名で、中国のマスコミや講演会などに出まくり、一時は、「初めて北京でグルーピー(追っかけ)ができた大使」として、持て囃されたほどだった。

 昨年の「米中冷戦」と言われた険悪ムードの中で、なんとか「闘而不破」(闘うが破局はしない)の状態を保てたのは、中国政府が多大な信頼を寄せるハンツマン大使の功績が大きかったというのが、こちらの外交筋の一致した見方だ。そしていまや中国は、「北京在住の次期有力大統領候補」として、熱い視線を注ぎ始めたのである。

 このようなハンツマン大使も、丹羽大使同様、今年は何かやってくれそうな予感が大だ。

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与謝野馨
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E9%A6%A8

2011年01月17日(月)JBプレス 高橋洋一

菅再改造内閣が14日発足した。目玉は与謝野馨経済財政担当大臣だ。昨年4月に民主党打倒を掲げて「たちあげれ日本」を結党したが、同党を離党してまでした今回の入閣だ。

昨年末の本コラムで、与謝野氏が離党して入閣する見通しを書いたが、その通りになった(『新年は政界再編の年 座標軸は「増税」vs.「増収」立ち上がれ日本との連立話で見えた消費税増税路線』http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1813 )。そこで、菅政権は増税路線まっしぐらであることも書いた。本コラムを昨年初から読んでももらっている読者はわかるだろうが、菅総理は財務大臣時代から財務省事務方から消費税増税の相当な洗脳を受けている。財務省による洗脳は徹底していて、菅総理のよくパートナーである信子夫人にも及んでいたようだ。

来年度予算を見れば、財務省の戦略として増税がすぐそこまで迫っていることがよくわかる。仙谷由人前官房長官はあと2年持たないといったようである。しかし、これも財務省の手のひらのうえでの発言である。

デフレを放置して名目経済成長率を上げずなければ、税収は伸び悩む。そこに社会保障の自然増がある。資産売却をせずに、霞ヶ関埋蔵金も発掘せず、特別会計などのムダ使いも直さない、公務員人件費も減らさないということであれば、あと数年しかもたないーー与謝野氏の発言はそれだけの意味だ。しかも、民主党は、自民党政権時代の政策見直しや予算組み替えをせずに子ども手当などの新たな政策を上乗せして歳出を膨張させたので、財政破綻させようとすればすぐにできるのは当然である。

こうした増税逼迫予算案をねじれ国会で通すのは至難の業だ、その意味で、菅政権はすでに死に体である。しかも、仙谷前官房長官と馬淵前国交大臣が問責決議されていたので、政権末期の追い込まれ改造である。

興味深いのは、そんなとき与謝野氏はいつも政権にやってくることだ。政権末期になると、政権内での主導権争いもあり、またさらに泥舟なので、閣僚というエサをまいてもなかなか政治家は寄ってこなくなる。その一方で、政権側は、末期であることを糊塗するために、それなりの人物をそろえなくてはいけない。こういうときに、与謝野氏もあわよくば政権を乗っ取りたいという思惑があるのだろうか、政権に入っていくる。しかしその直後に政権は終わる。

これは、小泉政権の末期から繰り返された光景なので、自民党関係者から「墓堀人」と呼ばれている。

はじめは、小泉政権の最後、郵政民営化の仕上げに竹中平蔵氏が経済財政・郵政民営化担当大臣から総務大臣に異動したときだ。与謝野氏は竹中氏の後任の経済財政担当大臣になった(2005年10月31日 -2006年9月26日)。このときは郵政民営化の論功行賞であった。

 しかし、小泉政権の任期満了が近づき、徐々にレイムダック化するにつれて、与謝野氏は郵政民営化と同時に行った政策金融改革について財務省の意向に従い巻き返したり、増税の地ならしをしていた。もっとも、小泉総理のパワーが強かったので、それらの改革逆行は不発だった。

 私は、竹中氏が総務大臣に転身したあと、政策金融改革をできるだけ守るように1ヵ月間内閣府に残り、与謝野氏と一緒だった時期がある。その時、財務省は与謝野氏を使って政策金融改革の骨抜きしようとしたため、私は与謝野氏と大臣室でしばしば議論した。与謝野氏は「政策通」といわれるが、私の説明に対して政策論は一切なかった。財務省の具体的な担当者の名前をあげ、そのいうとおりにせよと、およそ経済財政担当大臣らしかぬ発言をしたので強く印象に残っている。

安倍、福田両政権は入閣1ヵ月で崩壊!

 次は安倍政権の最後だ。閣僚の不用意発言などで参院選に惨敗した安倍晋三総理は内閣改造し、与謝野氏は官房長官になった(07年8月27日 - 同年9月26日)。官房長官の本命であった菅義偉氏になぜか急に事件が起こり、急遽与謝野氏に差し替えになったのである。与謝野氏は官房長官になると、体調不良の安倍総理を出し抜いて官邸人事などを牛耳った。私の場合、安倍総理から官邸に残れという指示であったにもかかわらず、結局官邸から追い出された。そして、あっという間に安倍政権は崩壊した。

三番目は福田康夫政権。福田改造内閣で与謝野氏は経済財政担当大臣に就任した(08年8月2日 - 同年9月24日)。このときも安倍政権のときと同様に1ヵ月あまりで政権は終わっている。

最後は麻生政権である。与謝野氏は福田退陣を受け、持論の消費税増税を掲げて総裁選に立候補した。そのまま麻生政権でも経済財政担当大臣に就任(08年9月24日 - 09年7月2日)。中川昭一財務大臣が辞任したあとは財務大臣も兼務している(09年2月17日 - 同年9月16日)。財務大臣の間、金融担当大臣も兼務した(09年2月17日 - 同年9月16日)。麻生政権では、ほとんどすべての経済政策は与謝野氏が関わっていた。その麻生政権は、発足直後に支持率が上昇した時が総選挙の機会であったが、それを逃して、結局09年の総選挙で惨敗し、政権交代になった。

こうしてみると、与謝野氏が自民党関係者から「墓堀人」と呼ばれるのがよくわかる。


珍発言を繰り返すのに「政策通」?

 与謝野氏の経済運営手法は、財務省主張そのもので、「タカ派」の財政至上主義ともいえるものだ。財政収支均衡を最優先し、その手法は増税に頼る。

 財政再建を重視するとしても、まずは経済主義にたって経済を立て直して税増収を上げ、それと同時に、資産売却、霞ヶ関埋蔵金発掘、歳出カットするという手法もある。これまで自民党内では、財政至上主義と経済主義の争いがあった。経済主義を代表している中川秀直氏の公式ブログでは、与謝野氏の面白い発言を集めている。

1.GDPギャップが残っていても(つまりデフレでも)成長率が潜在成長率を上回ったときには増税できる
これは、麻生政権の時に言った。ボトムから少しでも上向けば増税するというのだから、驚いてしまう。

2.名目成長率を高める政策は悪魔の政策である!

これは、小泉政権時代からの与謝野氏の持論である。本コラムでしばしば言及しているが日本の名目経済成長率は先進国中最下位である。それを高めると悪魔なら、世界中は悪魔だらけだ。小泉政権の最後に、デフレから脱却する前に日銀は量的緩和を解除してしまった。その後予想通り景気が悪くなって、その後にリーマンショックがあった。リーマンショックの震源地でないのに、日本への打撃が大きかったのは、量的緩和解除が時期尚早であったからだ。しかも量的緩和解除には閣内で反対意見もあったが、担当である与謝野氏が強硬した。

3.埋蔵金は伝説の類!

財務省の言いなりになって、これまでないと言い続けている。しかし、2006年から5年連続で、年末になると出てきた。累計は40兆円以上だ。今年もないと言い続けるだろうし、増税を言うためには存在しても隠すだろう。

4.リーマンショックは蜂に刺されたようなもの!

量的緩和解除が時期尚早だったので、こう言わなければいけなかった。初動が遅れたし、財政政策はそこそこやったが、金融政策はまったくの無策だった。その点については、昨年1月8日付け本コラム(『なぜ日本経済だけが一人負けなのか 鳩山政権は日銀に「デフレターゲット」を捨てさせろ』 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/60 )。

マクロ経済を長くやってきた割に、与謝野氏には財務省と同様、金融政策の理解が決定的に欠けている。実は、マクロ経済政策は財政政策と金融政策があるが、1999年にノーベル賞を受賞したマンデル=フレミング理論から変動相場制の下では金融政策のほうが効果が大きいことが知られている。日本でそうした環境になってきたのは、金利自由化が終了した90年代からであろう。

ところが、90年代の経済低迷に対して、バブル崩壊での羮に懲りて膾を吹くように金融政策は引き締め気味であり、従来のように財政政策で対応しようとした。それはかなり間違ったポリシーミックスだった。

人は誰でも若いときの影響から後世も抜け出られない。90年代以前はマクロ経済政策で有効なのは財政政策であり、金融政策は効かなかった。そうした時代に生きていた人は金融政策の威力がわからない。

しかし、世界各国はリーマンショック以降、強烈な金融緩和に加えて財政政策も打つという非常手段に出ている。与謝野氏は、今なお、デフレ脱出で財政・金融に依存すべきでないという考えを表明している。金融政策の理解ができていないので、昨年10月18日の本コラム(『「円高無策」の日本は蚊帳の外 「基軸通貨」を狙うユーロと中国「連携」の動き G20の裏側で何が起きるのか』 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1390 )で述べたように、為替がほとんど金融政策で決まってくることも理解していない。

今度の改造内閣では、「増税すれば景気回復する」という菅総理、「利上げすれば景気回復する」という枝野官房長官、「円高指向、財政再建指向」の藤井副長官と、デフレ・増税論者のそろい踏みだ。もしそれが実行されたら、与謝野氏が昨年1月に書いた本の題名通り、「民主党が日本経済を破壊する」だろう。

2011.01.17(Mon)  Financial Times

 昨年生じた世界の地政学的バランスの変化のうち、あまり報じられていないものの1つが、米国によるアジア回帰だ。また、懸念される変化の1つは、米中関係が目に見えて悪化したことだ。この点については、ホワイトハウスで近く行われる米中首脳会談で、バラク・オバマ大統領と胡錦濤国家主席も合意できるだろう。

 話がややこしくなりそうなのは、こうした変化の理由に話が及ぶ時である。これまでのところ、両者はともに「先に手を出したのはそっちだ」と主張している。

米中関係が悪化したのはどちらの責任か?

そのため胡主席は、上記の2つの事象の2番目は1番目から生じたのだと抗議したくなるだろう。関係の冷え込みは米国が中国を封じ込める戦略を取った結果だ、というわけだ。

 これに対しオバマ大統領は、中国が東アジア地域で大きな顔をし始めた以上、この地域に米国が外交・軍事面で再関与することは不可避だったと反論するだろう。

 もちろん、これは首脳会談の話題が経済に移る前の話である。恐らく、胡主席の訪米に関する報道の大半は、通商政策と為替政策についての意見の相違に関するものになる。

 中国が巨額の貿易黒字を計上しているために、米国内では保護主義的な圧力が強まっている。また、米国政府は人民元の切り上げをたびたび求めているが、中国政府はこれを中国の経済問題への不当な干渉だと見なしている。

 これらの問題は、国内の政治的圧力が最も明白に影響を及ぼす分野だ。オバマ大統領の米国では雇用なき景気回復が進行しており、胡主席は中国の経済成長を牽引してきた輸出業者からの圧力に常にさらされている。とはいえ、両国の相違に対処するメカニズムはちゃんとある。また、こうした問題は爆発するというよりは、くすぶる傾向にある。

互いに不信感を募らせるループ!

 長期的な視点で見るなら、今回のホワイトハウスでの米中首脳会談の成否は、両首脳が東アジアでのパワーバランスを巡ってお互いへの不信感を募らせるループから抜け出せるかどうかにかかっている。米中関係を危うくする火種となり得るのは、朝鮮半島と、中国東部の沖に広がる海域だ。

 一見すると、両国の間には緊張緩和に向かわせる強力な誘因があるように思われる。東アジアでは既に軍拡競争のような事態が進行しており、これがエスカレートしても両国には何も得るものがない。また、中国米国も、別の形とはいえ、核を保有する北朝鮮の現体制の予測不可能性に脅かされている。

ゲーツ国防長官の訪中が浮き彫りにした障害!

 その一方で、お互いへの不信感と競合する利害のために、両国とも簡単には妥協できなくなっている。そのような障害があることは、ロバート・ゲーツ米国防長官が先に北京を訪問した際にも浮き彫りになった。

 ゲーツ長官は、台湾北朝鮮、そして南シナ海における両国の海洋権益を巡って米中が昨年対立したことを受けて、互いの信頼感を醸成したいと考え訪中した。

ところが、それに対して中国人民解放軍が取った行動は、新しいステルス戦闘機の初飛行を当のゲーツ長官が胡主席と会談するほんの数時間前に行うというものだった。

 それまで秘密にされてきた「殲20」の試験飛行が行われたことで、中国軍幹部による権力掌握について憶測が広まるのは避けられなかった。

 ゲーツ長官は、人民解放軍がその軍事力をこのタイミングで披露したことについては胡主席でさえ驚いていたようだったと語っている。

 中国の外交政策の専門家たちは、人民解放軍の影響力が強まっていることを認めている。中には、この状況を懸念する向きもある。彼らによれば、中国が経済的に発展したことが、急拡大する権益やその脆弱性に見合ったレベルまで軍事力を急いで強化する理由になっている。

 また、好景気のおかげで人民解放軍には資金があり、軍の幹部も国民のナショナリズムを利用するのに長けているという。

誤解と誤算のリスク!

 だが、誤解と誤算のリスクは、人民解放軍の野心以外にも及ぶ。米国政府にもタカ派は存在する。特に気がかりなのは、両国の政治指導者とも、現状に代わるストーリーをまだ提供できていないことである。

 米国側の認識はこうだ。まず、中国政府はオバマ大統領が2009年に戦略的パートナーシップという概念を提示したことを、米国が自国の衰退を認めたものだと誤解した。金融危機に見舞われた米国は長期的な衰退に直面していると解釈したのだ。

中国はその後、周囲の国々を小突き回したり、台湾問題で強硬な態度を取ったり、周辺海域における権益の主張を強めたり、東アジアへの米国のアクセスに対抗することを目指したミサイルなどの兵器の増強計画を拡充したりするようになった。

 一方、中国の説明では、問題の発端は米国による台湾への武器売却であり、ダライ・ラマの歓迎、東シナ海問題を巡る日本への支持表明、南シナ海における国益の宣言だった。中国にしてみれば、米国政府がパートナーシップについて何を言おうとも、米国によるアジア地域での同盟構築(特にインドとの関係強化)と、米軍による一連の挑発的な軍事演習は封じ込め戦略をにおわせるものだ。

 より客観的な見解からすると、中国は確かに、好戦性を増す同国の姿勢に対する地域および米国の反応を見誤った。胡主席は少し前に、中国はハードパワーよりもソフトパワーを配備すべきだと警鐘を鳴らした。前者は中国の台頭に対する不安を強める一方、後者は不安を和らげるものだ。

 これは中国政府が2010年に忘れてしまった教訓のように思える。何しろ、中国は多くの近隣諸国を米国に接近させる羽目になった。

米中両国が衝突に向かうのは不可避!

 いずれにせよ、今の対立がどこに向かうか知るために、どちらかの側に立つ必要はない。中国は自国の海岸線から米軍を遠ざけることを目的とした新しい兵器システムを増強する。これに対して米国は対抗手段を展開する。すると、不信感が誤算を煽り、タカ派が言うところの避けられない敵対が自ずと現実になる。

 この堂々巡りから容易に抜け出す方法はない。中国は今後も軍備を増強し、自国の裏庭で突出した役割を果たす権利を主張し続けるだろう。台頭する大国は、そうするものだ。

 一方、米国は東アジアの安全保障の守護者という役割を放棄するつもりはない。強国は簡単に、新たな強国にその座を明け渡したりしないものだ。いずれにせよ、大方の近隣諸国は米国にとどまってほしいと思っている。

 米国政府は中国を封じ込めようとはしていない。それが無益な試みになることは分かっている。その代わり、中国政府を抑制するためのヘッジ戦略を持っている。衝突は不可避であり、魔法のリセットボタンは存在しないのだ。

 経済問題と同様に、両国の共通の利益は、ルールとメカニズム、機構によって相違点をうまく管理していくところにある。求められるのは、信頼醸成措置であり、中国側による透明性の向上であり、互いに協力する習慣を促すための1つか2つのプロジェクトだ。これはかなり地味な作業だと言えるかもしれない。しかし、別の可能性よりはましだろう。

北陸バイオマス資源活用促進協議会
http://biomass-hokuriku.jp/

<北陸バイオマス「第2回協議会」新潟開催>
日時:2011年1月18日(火)
時間:午前10時~11時30分
場所:新潟県トラック総合会館 401研修室(新潟県庁となり)


◇平成22年度新潟県バイオマス利活用促進セミナー開催要領
1、趣旨
県では、平成18 年3月に「バイオマスにいがた」構想(県バイオマス利活
用マスタープラン)を策定し、循環型社会の実現を推進している。
現在、14 市町においてバイオマスタウン構想が策定されているが、さらな
バイオマス利用拡大を図ることを目的にバイオマス利活用促進セミナーを
開催する。
2、日 時
平成23 年1月18 日(火) 午後1時30 分から4時まで
3、場 所
新潟県トラック総合会館 502 会議室
新潟市中央区新光町 6-4
4、内 容
(1)バイオマス活用推進基本法及び平成23 年度農林水産予算概算決定の概
要について
北陸農政局企画調整室 (13:35~14:15)
(2)南魚沼市におけるバイオマスタウン構想の取組状況について
南魚沼市 (14:15~14:30)

南魚沼市地球温暖化対策実行計画
http://www.city.minamiuonuma.niigata.jp/dbps_data/_material_/common/PDF/SHISEI/PUBLIC/public-ondankakeikaku-honpen.pdf
南魚沼市バイオマスタウン構想
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%AD%9A%E6%B2%BC%E5%B8%82%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E6%A7%8B%E6%83%B3

(3) 意見交換 (14:30~14:50)
休憩(10 分間)

(4) バイオマス利用先進事例について (15:00~16:00)
◇講演
「福祉施設でのバイオマス利活用の取組について」
社会福祉法人自生園(石川県小松市)
理事長 木崎 馨山 (きざき けいせん)氏

5、参集範囲
北陸バイオマス資源活用促進協議会、北陸農政局、市町村、県(地域振興
局、県民生活・環境部、福祉保健部、農林水産部)等

日本のスキー「新たな100周年に向けて」

 明治44年(1911年)オーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐から日本にスキーが伝えられて以来今年で100周年を迎えます。

スキーは、その後国民のスポーツ・文化として親しまれ、スキー観光として中山間降雪地域の産業・経済の進展に大きな力を発揮してきました。

しかし、リゾート法の施行による大規模開発、バブル経済の崩壊などの後遺症と併せスポーツ・レジャー志向の急変により長期低迷の中にあります。一方ヨーロッパでは国民的なスノースポーツ、山岳観光として定着し、地域経済も好調で持続的な発展を遂げています。

そこで日本のスキー100周年を総括し、ヨーロッパの良き事例を参考に日本らしいスキー観光の発展を目指し、日墺スキー交流100周年を記念し、先進地チロル州代表団を迎え、国内の識者、地域関係者による「日本のスキー新たな100周年」をテーマにシンポジウムを企画しました。

皆様の参加をお待ちしています。

 

○日時 2011年2月17日(木)14:00~
○定員 400名(参加費無料)
○会場 NASPAニューオータニ(新潟県南魚沼郡湯沢町2117-9 TEL 025-780-6111)
http://ja.wikipedia.org/wiki/NASPA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%8B

 

◇基調講演 「チロルのスキー戦略」14:20~15:00 セルデン町長 エルンスト シェプフ氏


◇パネルディスカッション(15:15~16:45)

コーディネーター
駒形正明(テレビ新潟編成局長)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E5%BD%A2%E6%AD%A3%E6%98%8E
パネリスト
溝畑宏氏(観光庁長官)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9D%E7%95%91%E5%AE%8F
泉田裕彦(新潟県知事)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E7%94%B0%E8%A3%95%E5%BD%A6
見並陽一(JR東日本常務取締役)
http://www.jreast.co.jp/company/officer/index.html
猪谷千春(IOC国際オリンピック委員会委員)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E8%B0%B7%E5%8D%83%E6%98%A5
板倉海彦(株式会社エボン代表取締役)
http://www.evon.co.jp/company_profile.html
皆川健太郎(スキーアスリート
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%86%E5%B7%9D%E8%B3%A2%E5%A4%AA%E9%83%8E
土屋博(赤倉観光リゾート総支配人)
http://www.akr-ski.com/
大塚祐司(プリンスホテル苗場スキー場支配人)
http://www.princehotels.co.jp/ski/naeba/
小野塚昭治(新潟県スキー観光産業振興協議会幹事長
エルンスト・シェプフ(セルデン町長・チロル州自治体会長)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%AB%E5%B7%9E

アーロイス・ターナー(チロル州観光局支配人)
http://www.jtc.at/site/index.php

◇主催 
新潟県日墺協会
http://www.city.minamiuonuma.niigata.jp/147/440/2826/002836.html
◇共催 
湯沢町
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B2%A2%E7%94%BA
南魚沼市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%AD%9A%E6%B2%BC%E5%B8%82
妙高市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E9%AB%98%E5%B8%82
上越市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%B6%8A%E5%B8%82
雪国観光圏推進協議会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%9B%BD%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%9C%8F
新潟県スキー観光産業振興協議会

湯沢町観光協会
http://www.e-yuzawa.gr.jp/
南魚沼市観光協会
http://www.m-uonuma.jp/
妙高市観光協会、
http://www.myoko.tv/
上越観光コンベンション協会
http://web.joetsu.ne.jp/~jtca/

◇後援
観光庁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%BA%81
林野庁関東森林局中越森林管理署
http://www.rinya.maff.go.jp/kanto/chuetu/index.html
新潟県
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C
南魚沼地域振興局
http://www.pref.niigata.lg.jp/minamiuonuma/
東日本旅客鉄道株式会社
http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC
全日本スキー連盟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E9%80%A3%E7%9B%9F
日本職業スキー教師協会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%81%B7%E6%A5%AD%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E6%95%99%E5%B8%AB%E5%8D%94%E4%BC%9A
北陸信越索道協会

にいがたスキー100年委員会

新潟県スキー連盟
http://www7.ocn.ne.jp/~nsa/
長野県スキー連盟
http://www.ski-nagano.org/top/
新潟日報社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E6%97%A5%E5%A0%B1%E7%A4%BE
テレビ新潟放送網
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%96%B0%E6%BD%9F%E6%94%BE%E9%80%81%E7%B6%B2
FMゆきぐに
http://ja.wikipedia.org/wiki/FM%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%90%E3%81%AB
南魚沼市スキー場協議会

湯沢町スキー場振興協議会

しおざわ農業協同組合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%8A%E3%81%96%E3%82%8F%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88
魚沼みなみ農業協同組合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E6%B2%BC%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%BF%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88
湯沢町商工会
http://www.yuzawa.or.jp/
塩沢商工会
http://shiozawasho.jp/
六日町商工会
http://www.muikamachi.or.jp/
大和商工会
http://yamato.ipx.ne.jp/
石打地域づくり協議会
http://www.fukkou-dc.jp/?p=2177 


◇日本スキー発祥100周年委員会
http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Simple/324/324/100-release.pdf#search='新潟県スキー観光産業振興協議会'

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