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ヴィッツ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84
最良のスモールカーを追い求めたトヨタ技術者たち!
2011.01.31(Mon)JBプレス 両角岳彦
2010年末に、全面改良を行ったトヨタ「ヴィッツ」がお目見えした。私は先日、その新型ヴィッツに触れて、走らせ、開発担当者の何人かとも話を交わしてきた。やはり私にとって、クルマは見るだけで判断するものではなく、「移動空間」としての資質、工業製品としてのあり方を実際に確かめて、そこから読み解きと評価が始まるものである。
ヴィッツといえば、日本では軽自動車より少し大きいだけの、いわゆるコンパクトカークラスの量販製品であり、利益幅は小さく、付加価値でユーザーを引きつけるのも難しいので、「どうやって数を売るか」だけの商品と捉えられがちだ。
しかし、もう少し広く見渡せば、世界のどこに行っても(北米は除く)「大人4人が収まって移動できるミニマムサイズ」であるこの大きさのクルマこそが、実用品としての乗用車選びの原点であり、多くのユーザーがここからクルマとの生活体験をスタートする(もちろん新車とは限らないのだが)。当然、「ボリュームマーケット」を形成するセグメントともなっている。
ここをしっかり押さえ、クルマとしての良さを体感できるような製品を送り出さないと、市場への浸透はもちろん、自動車メーカーとしてリスペクトされることも望めない。とりわけヨーロッパは、そうした土壌が根付いている。
最良のスモールカーをデザインするのは最も難しい
もう1つ別の視点からの大切な話をするならば、このカテゴリーに求められる「必要にして十分な」移動空間を、「無駄や余裕に甘えることは許されない」中で生み出すという知的創造作業は、自動車のデザインにおいて最も難しい分野である。
ここで言う「デザイン」とは、姿形をいかに装うかではなく、発想から設計、そして造形までを包括した本来の意味で使っている。つまり、最良のスモールカーは「知恵の塊」なのであり、作り手はそこを目指すべきである。
自動車の近代史、すなわち大衆性の高い工業製品となってからの時代を振り返ってみても、例えばフォルクスワーゲンの、俗に言う「ビートル」(正式には「タイプ1」)、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)の「ミニ」(もちろん1959年登場のオリジナル)、初代フォルクスワーゲン「ゴルフ」などは、まさにこの「知恵の塊」であり、それが最終的に造形にまで表現されていた。そして、何よりも同時代の凡庸なクルマでは得られないような充実した移動体験を人々の記憶に刻むことができた。それこそが「名車」の条件なのだ。
日本の乗用車の歴史の中でも、例えば富士重工業の「スバル360」「スバル1000」、ホンダの初代「シビック」などは、この「無駄のない凝縮された移動空間」を、それぞれの時代に求められたサイズと性能において実現し、しかも、技術的創造性が十二分に発揮された好例と言えるだろう。同時に、走りの資質に関しても、同時代の国産車のレベルを脱した存在だった。
1999年に登場したヴィッツの初代モデルもまた、この難しいテーマに当時のトヨタ自動車の「知恵」を結集して取り組んだ成果物だった。
そういう話は、一般にはあまり伝わっていないと思うので、ここで簡単に紹介しておきたい。
欧州の小型車に見劣りしていた「スターレット」!
その直前、トヨタがコンパクトカーセグメントに投入していたプロダクツは、車名としては「スターレット」。車両型式表記としては「EP90系」と呼ばれるものだった(最初のアルファベット「E」がエンジン系列を示し、その次の「P」が車種、後半の数字が世代と車型類別を示すのがトヨタの命名法)。
ここで車種を示す「P」の原点は、「国民車構想」に呼応して開発された「パブリカ」、60年登場の「UP10」である。この初代パブリカもまた意欲作であり、記憶に残るものではあったが、名車に数えられるべき存在かとなると・・・。
自動車の歴史を振り返ると、空間設計、機構設計、それを包み込んでクルマとしての資質を表現するスタイリングに至るまで今日的なコンパクトカーの出発点となったのは、74年登場の初代「ゴルフ」だった。
そこからもう一段凝縮して、4人乗り実用車としてミニマムとなる空間、走行性能を実現したのは、83年登場のフィアット「ウノ」だった。これは、私自身がそうしたクルマたちを国内外で体験してきた中で実感したことだ。
これらの「先駆者」たちが先導する形で、欧州では、居住空間と走行機能要素をきっちりと組み立てた「健康な」パッケージングを持つ製品を、各国の主要メーカーそれぞれが送り出す時代を迎える。例えばオペル「コルサ」(日本では一時「ヴィータ」の名で販売されていた)、ルノー「クリオ」(日本名は「ルーテシア」)、プジョー「205」、フォルクスワーゲン「ポロ」などなど。
それらと比べると、日本のコンパクトカーはいささか実力不足、と言わざるを得なかった(今でも・・・、だが)。
そうした中でもトヨタは、北米市場を軸に世界展開を進め、生産台数ではすでに世界第2位に到達していたにもかかわらず、そのラインアップのコンパクトカーレンジを受け持つスターレットは、世界の、特に欧州のトレンドや製品群の実力と比べれば明らかに見劣りするものだった。
私などは「外野席」からそう言い続けていたわけだが、実はトヨタの製品開発に携わる人々の中にも、そこに問題意識を抱く面々は少なからずいた、ということが後に分かってくる。
とりわけ、90年代に入る時期には製品開発全体を統括する立場にあり、94年には技術担当副社長となった和田明広さんは、コンパクトカーはもちろんだが、トヨタの製品とその開発・製造に関わる全てのプロセスに危機感を持っていた。それは私自身がインタビューし、あるいは折々に会話を交わす中からもヒシヒシと伝わってきたものである。
独立チームに精鋭の技術者が終結!
そして、その和田さん指揮の下、当時のトヨタのクルマづくりを改革し、技術的内容を飛躍させるべく、いくつものプロジェクトが進められた。
それが製品の形に結実した一例が「プリウス」(もちろん初代)であり、そして「ヴィッツ」とその派生モデルである。そして今日のトヨタは、この時期に敷かれた技術路線の上を走り続けているのだ。
スターレットに代わる、そして「世界(欧州)に通用する」ことを目指した新世代コンパクトカーの開発に絞って、話を進めよう。そのプロジェクトは、「NBC」と呼ばれていたと聞く。「ニュー・ベーシック・コンパクト」の略だったとか。
当時のトヨタの製品開発の組織は、「第1開発センター」がFR(エンジンを前部に縦置きして後輪を駆動する)の中大型車を担当、「第2開発センター」がFF(エンジンを前部に置き前輪を駆動する)の小中型車、そして「第3開発センター」が4輪駆動の全路面型車両や商用車をそれぞれ受け持つ、という体制だった。
新型コンパクトカーを開発するとなれば、当然、第2開発センターの中でチームを組むべきところだが、NBCにつながる最初のレイアウト検討、パッケージング構築などを行う組織は、第1開発センターの中に、独立チームの形で設けられた。
そしてトヨタだけでなく、傘下のメーカー、例えばダイハツなどからも「一本釣り」のように実力の高い技術者がここに集められた。その技術者一人ひとりの選任からして、どうやら和田さん自身が深く関わっていたようである。
このように、それまでの製品開発の流れと組織から切り離した形にして、しかも、物理的にも独立した部屋の中にメンバーを隔離する、という手法を採ったのは、後になってみれば「既存の発想や設計を下敷きにすることなく、新しいものを生み出せ」という強い思いの表れだったことが理解できる。
そして、和田副社長は少しでも時間が空くと、自らこの「開発部屋」にやって来て(現場にいた人々の言葉によれば「飛び込んできて」)、「図面を見せろ!」。もともと和田さんは車体設計が専門であり、「図面から『間違っている』部分が浮かび上がって見えてくる」という優れた技術者である。
同じ台詞は、「スカイラインの父」櫻井眞一郎さんからも聞いた(櫻井眞一郎氏は2011年1月17日に逝去された。合掌)。和田さんも櫻井さんも、試乗の現場やインタビューでこちらの考えが浅いと鋭く切り返され、常に緊張感を持ってお話ししたものである。しかし、クルマと人に対する愛情が篤いことも伝わってくる、大きな存在だった。
もちろん、部下と仕事に向かい合った時の厳しさは、私たちに対するものとは比較にならない。副社長時代、NBCプロジェクト室の技術者は、図面を広げた前に立つ和田さんの「何を考えて、ここをこうしたのか?」「ここは?」という矢継ぎ早の指摘の鋭さに汗びっしょりになったと聞く。
和田さんに「CAD(コンピューター支援設計)のプリントアウトされた図面でも、間違いが浮き上がって見えますか?」と聞いた時には、「ああ、あれはダメだ。迷ったり悩んだりした設計者の思いが(図面の)線に出ないから」という答えが返ってきたものだが、必ずしもそうではなかったようだ。
随所に盛り込まれたコストダウンのアイデア!
そうやって、新しいコンパクトカーの空間が、骨格が、機能要素が形づくられていった。
細かいところでは、リアウィンドウのワイパー1本をとっても、一般的な何本かの骨で押さえる構造のものを、デザインと機能の両面からプラスチックの一体腕で押さえるものに変えられないかというアイデアが検討された。
しかし、当然、初期投資も含めてコストが上がる。コンパクトカーにとってコスト切り詰めは絶対的なテーマの1つでもある。
さてどうするか、という時に和田さんの判断は「そっちの方が良い(製品)になるのならやりなさい」だったと聞く。ただし、「このクルマは世界に向けて大量につくることになる。その中で同じ部品を100万本単位で作ってゆけば、コストは今と同じか、むしろ下がるはずだ。そうやって使ってゆけるようなものを設計し、根拠のあるコスト計算を付与して提案しなさい」という条件がついたそうだ。少なくとも、ヴィッツからは、新しいすっきりしたデザインのリアウィンドウワイパーが採用されている。
乗員の前面に広がるダッシュボードの作り方も、製造プロセスを簡素化してコストダウンを図りつつ、「見栄え品質」は落とさないようにするため、それまでの常識を打破する発想が盛り込まれていた。従来は、まず樹脂を成形して大きな基本ブロックを作り、そこから車室内に露出する表面部位に表皮を貼り付けたり、薄い膜を作る成形作業を別に行ったりしながら、反射防止や汚れ、傷が目立たないようにするための凹凸パターンを作る絞(シボ)を刻む成形を行う、という作り方をしていた。
NBCではそれを止めて、樹脂の骨格を一発で成形したものをそのまま車両に組み込むようにした。つまり、表皮を付ける工程を省略したわけだ。
もちろん、プラスチック素材がそのまま内装表面になるわけで、それまでの常識では「安っぽく」見えてしまう。そこで表面の絞のパターンを工夫した。皮革のシワを模していた従来のパターンとは発想そのものを切り替えて、細かな幾何学模様の組み合わせをデザインにしたのである。その後、欧州のベーシックカーにも同種の手法を採る事例が現れる。
メーターを中央に設置したのも、デザインの新しさだけでなく、運転席の位置が右でも左でもダッシュボード骨格は1種類で対応し、その中央部に設けた空間に右ハンドル、左ハンドルのそれぞれに対応したメーターユニットを用意して組み込めばいい、という形にするためだった。
現実の製品にその構成を採用するに当たっては、運転中の人間の視線移動を検討し、実測し、速度や燃料残量などの重要な情報はどんな高さにどう表示すれば見やすいか、などのガイドラインを作ることまで行い、その上で実車のデザインを組み立てている。
そうやって設計したダッシュボードの各所に残った空間を巧みに利用して、小物を手元に置くためのポケットをたくさん設けたのも、初代ヴィッツ・ファミリーの特徴の1つとなった。
それも急減速や衝突時に、置いてあった物が乗員に向かって飛んできて「凶器」と化さないように、収納空間を深めにして、その入口には縁を設けるなどの工夫をちゃんとしてあったものである。
こうした配慮が足りないクルマは、今でも日本メーカーの製品に散見される。つまり、開発者、デザイナー、内装設計の担当者などに、乗員の安全性に関わる基本認識が足りない、ということだ。
当初から構想されていた派生モデルの展開!
こうして移動空間としての、また工業製品としての骨格が形作られると、肉付けが始まる。
後に「ヴィッツ」(輸出名「ヤリス」)と名付けられる基幹車種(3ドアと5ドアのハッチバックボディー)に加えて、まず、全高を高くして後席と荷室の部分の空間を大きく、荷物を運ぶなどのユーティリティーを高めた形態のモデルがつくられた。これは「ファンカーゴ」(欧州名「ヤリス・バーソ」)と名付けられることになる(その後継となる現行車種は「ラクティス」)。製品化にあたって、その後席空間の多用途性ばかりを追いかけ、「安全に着座して移動する」とうい基本機能に問題を抱えたものになってしまったのが残念だったが。
他に、ヴィッツ/ヤリスに独立したトランクを追加した形の4ドアセダンの「プラッツ」、さらにちょっとパーソナルカー志向のスタイリングにしたコンパクトハッチバックの「ist」、あるいは若者をターゲットにしたファッションスペシャルティー商品の「bB」と、様々な形態、空間設計を持つバリエーションが、このNBCプロジェクトから生み出されてゆく。今で言う「プラットホーム」としての役割も、開発当初から構想されていたわけだ。
ちなみに、だいぶ後になって加わったbBは、デザイナーがどうしても製品化したいと考え、和田さん他、上層部へのプレゼンテーションの時に、そのイメージスケッチを他の提案の上に重ねておいた。それが和田さんの目にとまり、「オレには(コンセプトが)理解できないが、だからやってみるべきだろう」と言って、ゴーサインを出したとも聞く。これは風説だけれども。
ヴィッツ/ヤリスは、当時トヨタの欧州デザインセンターに在籍していたギリシャ人の若手デザイナー、ソテリス・コボス氏が提案したアイデアを具体化した、独特の丸みと抑揚を持つスタイリングをまとって、99年初頭から日欧のマーケットに投入された。
丸みを持たせると内部空間が狭くなりそうだが、実は人間の頭、肩も丸い形なのであって、その身体から適切な距離を取ったところにガラスや内壁を置くことで、十分に「住み心地」の良い空間を形づくることは可能だ。
初代ヴィッツの空間設計も、まさにそのセオリーにかなったものであり、さらにドアなどの内装では肘の横などに当たる部分を窪ませた立体成形にするなどして、上手に人間を座らせ、包み込んでいたのである。
「動質」の部分だけは残念だった!
そして初代ヴィッツは、トヨタ社内の型式名も「CP10系」(もちろんその前にエンジン型式を示すSかNが付く)として、パブリカ~スターレットの流れから訣別したことを表している。
つまり、凝縮されたパッケージングと、その中に作られ、仕上げられた空間の居住性、過剰なものを省きつつ実用性はしっかり織り込み、それを新しいデザイン表現で見せるところまで仕上げたのが、初代ヴィッツ/ヤリスだった。
ただ、実際に走らせてみると、ステアリングの感触、つまりドライバーにとってタイヤと路面の中で起こることとの「対話性」に始まり、路面を踏んでタイヤが転がり、そこからの動きを受けて車体が揺れ、舵を動かして進路をコントロールしつつ、タイヤのグリップを引き出してクルマ全体の動きを作ってゆく・・・という自動車にとって何よりも大切な品質、「動質(クオリティー・オブ・ダイナミックス)」の部分で、私は「画龍点睛を欠く」と評したものである。
当時のレベルにおいて、まずまずの実力を持つと受け取ったのは、ダイハツ工業が開発した1リッターのエンジン「1SZ型」ぐらいだった。
小さいからこそ、言い換えれば人間がタイトに包まれ、タイヤの存在と力を感じ取りやすく、運動する質量が軽いということは、ドライバーにとって自分が動かしている「箱」の運動がつかみやすく、操りやすいことにつながる。
これは、欧州のスモールカーの良品が共通して持っている感覚である。走っている実感が伝わり、安くて小さいクルマなのに、運転することが楽しい。だから普通に移動する中で、ドライバーだけでなく同乗者も含めて皆、何となく楽しげな顔をしている。それが「良いクルマ」。
初代ヴィッツは、そうなり得る資質を感じさせつつも、しかし現実には全ての感触がフワフワと甘口で、それでいてステアリングの機構から伝わる感触や路面の凹凸を踏んだ衝撃の伝わり方などはがさつだった。
そこは、トヨタが既存のトヨタ流レシピ(クルマ料理法)をリセットして、もっと深く難しいレベルを追求してゆかないと、改善や進化が難しい領域である。
しかしその停滞は、後でもまた紹介するが、今もまだ続き、いや、むしろルーティンワークに終始する傾向が強まっており、ものづくりとしては劣化傾向にある。着実に進化を続けて世界のクルマづくりをリードする人々、組織との「差が拡大している」というのが、ここでもまた私の実感である。
初代ヴィッツを市場に送り出した時、私ごときに「画龍点睛を欠く」と言われたことがもしも伝わったなら、厳しいとともに負けず嫌いでもあった和田さんは、きっと苦笑いされていただろう。
副社長時代も、開発現場に飛び込むだけでなく、自らクルマを運転して気に入らないところがあれば開発担当者を叱咤し、我々報道関係者の試乗会の現場に出張した開発担当者、技術者の日々の報告にまで目を通していたという和田さんだから、おそらくどこかで私の発言や記事も確認されていたのではなないかと思うのだが。
ともあれ、この初代は成功した。そこまでに注がれた知恵と人々のエネルギーの大きさを知れば、そのモデルチェンジが簡単にはゆかないことは、専門家でなくても十分に理解できるだろう。次回は2代目以降のヴィッツと、そのクルマづくりの変容について見ていく。
急成長期に入った中国のオンラインショッピング!
2011.01.31(Mon)JBプレス 山谷剛史
中国の沿岸部から内陸部に至るまで、およそ都市という都市では市場がネットに侵食されつつある。これまでブランドショップや家電量販店や電脳街などで購入をしていた若い消費者がオンラインショッピングに流れているのだ。
店舗から中国の若者の姿が消えた?
以前、こうしたリアルな店舗の客は若者が多かった。しかし、最近は売り場でお洒落な若者の姿を見ることがめっきり少なくなった気がする。
わずかな期間で店の変化がはっきり認識できるほど、オンラインショッピングの利用者が急速に増えているのだ。
まずはデータを紹介しよう。
中国のオンラインショッピング利用者は、インターネット利用者4億5700万人の35.1%に当たる1億6051万人(CNNIC調べ)。1年前の調査結果では1億800万人、2年前の調査結果では7400万人なので、いかに急激に利用者が増えているか分かるだろう。
そのほとんどが「淘宝網(TAOBAO)」というサイトを利用する。
ネットショッピングへの不信感!
中国では淘宝網を「個人対個人取引(C2C)」と称しているが、企業が同サイトでネット店舗を運営するケースが当たり前となっているので、オークション形式ではない即落札のヤフーオークションのようなものだと思えばほぼ間違いはない。
ただし、このサイトは利用者は多いのだが、実はここで頻繁にオンラインショッピングを利用する消費者はそう多くない。1回当たりの購入額は500元(約6500円)以下がほとんど。
中国在住の筆者の実感としても、たまに頻繁に買い物をする人は見かけても、高い買い物をしている人は滅多に見られない。
この原因として不信感がある。
近年のオンラインショッピングの利用者増加とともに「不良品を送りつける」「ニセモノを送りつける」、ひどい場合では「携帯電話購入客にモックアップを送りつける」などといった悪徳業者が増加し詐欺事件も頻発している。
中国らしい「騙される方が悪い」!
中国版「消費者センター」への苦情も淘宝網絡みのトラブルばかりが目立つようになった。
CNNICの調査報告「2009年中国網絡購物市場研究報告」によれば、オンラインショッピング利用者の13.2%が「嫌な経験をした」とし、その理由は上位から「写真と異なる商品が届いた(52.3%)」「ニセモノ(25.0%)」「不良品(22.7%)」となった。
日本でも人気のグルーポンでおせち料理を買った人たちが、写真とは似ても似つかぬ料理が届いて大きな問題になっていたが、淘宝網ではそんなトラブルが後を絶たない。
実店舗での取引の時代から「騙される方が悪い」と開き直る悪徳業者は中国では絶えず、オンラインショッピング普及で初めて問題化されたわけではない。
そうした悪しき商習慣を防ぐべく、淘宝網は支払いシステムを商品到着後の後払いとし、当時中国でも最もシェアの高かったイーベイを抜き去り消費者の支持を得た。
急速に人気が出始めたB2Cサイト!
ところが、そうした詐欺防止のシステムを提供してもなお、詐欺に遭う消費者が絶えないのである。
そこで、最近注目されているのが、得体の知れない売り手ではなく、信用ある企業が自社ブランドを懸けて販売する「企業対個人(B2C)」のオンラインショッピングサイトだ。
「淘宝網」のB2Cサイト「淘宝商城」を筆頭に、書籍が主力の「アマゾン中国」や、同じく書籍がメーンで最近ナスダックに上場したばかりの「当当網」、アパレルの「VANCL(凡客)」、家電に強い「京東商城」、ベビー用品をはじめとした女性向け商品に強い「紅孫子」あたりのサイトが上海や北京を皮切りに「知る人ぞ知るサイト」として人気を博している。
特に淘宝商城は、中国地場企業を中心に多くのメーカーやアパレルなどのメーカーがネット旗艦店を出し、タイムセールを行っていることで、淘宝網の知名度との相乗効果により最も人気のB2Cサイトとなっている。
また、ユニクロのネット旗艦店は実店舗同様に成功を収め、売り上げに貢献しただけでなく企業の知名度を高めた。
中国で始まったショッピングデバイド!
「安くて信頼できる」として、オンラインショッピングサイトや中国版ツイッターもどきやフェイスブックもどきに真っ先に飛びついた先進的ネットユーザーがB2Cサイトに飛びついている。
彼らの口コミなどで徐々に利用者が増え、最近では中国全土の都市部でB2Cサイトでの買い物が「賢い買い物」だと認知されるようになっている。
価格の高い商品がオンラインで安心して買えるようになったことから、淘宝網の人気にも影響をそれほど受けなかった家電量販店や電脳街では顧客が激減、店舗では遠方の農村からの顧客やインターネットを利用しない中高年ばかりが目立つようになった。
また、携帯電話販売店では、オンラインショッピングサイトを知らない地方出身の出稼ぎ労働者や大学生ばかりが利用するようになっている。
そこで、中国の蘇寧電器や国美電器などの家電量販店は、インターネットおよびオンラインショッピング利用者の少ない小都市への展開に活路を見出している。
小型の電気店が減少し始めた!
また中国の家電メーカーは、週末や連休になるたびに繁華街に特設販売ブースを出し、ネット旗艦店よりは高い値段なのに「家電量販店よりも安い特別価格」と称してテレビを販売し、地元の中高年や郊外から遊びに来た人々を惹きつけている。
インターネットが利用できる層とできない層が分離し、それぞれ顧客層が一定数以上いるためにそういった売り方が成り立つのである。
ユニクロはネット旗艦店で成功を収めたが、一方でリアル店舗でもバーゲンを行うため客の入りはいい。他のアパレルブランドにしてもしかりである。
一方で小さい都市に移動ができない電脳街では、中国を代表する電脳街「中関村」をはじめとしていよいよ店舗数が減少し始めている。
儲からないためにお客を騙してでも利益を上げようと躍起になり、結果としてさらに実店舗離れが起きるというネガティブスパイラルに陥っている。
日本企業よ、このチャンスを生かせ!
オンラインショッピングが急成長する中、実店舗でも勝ち組と負け組に分けられてきているわけだ。実店舗とネット旗艦店では客層が違うため、それぞれに違ったアピールをする必要がある。
中国では、先進的なユーザーが淘宝商城などのB2Cオンラインショッピングサイトで本格的に買い物をし始めたばかり。
これから「信頼できて安いオンラインショッピングサイトを利用したいというニーズ」の増加が確実視される中、この流れに乗らない手はないのではないか。
また、B2Cオンラインショッピングサイト同士の競争が激化してきている中で、安価な配送費を武器に運送業者がオンラインショッピングサイト投入に意欲を見せる。
このほか、イタリアの高級ブランド、アルマーニなどの世界的ブランドメーカーも「高額でも本物だから信頼して買ってくれる顧客がいる」として参入に意欲を見せている。
高額で高品質の日本製品はオンラインと相性が良い!
今や中国でモノを売りたい企業にとっては、最も知名度の高い淘宝商城への旗艦店出店は特に意味がある。楽天の中国版「楽酷天」も将来有名になればそこでの出店も有意義だろう。
旗艦店を出店し競争力のある価格の商品を提供することによって、それまでの実店舗では値段が高くて地場メーカーを選んでいた消費者の一部が飛びつき、彼らは間接的に企業の広告塔となるだろう。
日本の商品は高額だが高品質の製品であり、ニセモノが出やすい製品でもあり、消費者視点では従来の淘宝網では利用しづらい。
今後中国で「信頼されるB2Cショッピングサイト」がメジャーなサイトになっていくからこそ、中国でモノを売っていきたい日系企業は早めに旗艦店を出店したいところだ。
2011-01-27 13:25:07 cri online
日本NHKの報道によりますと、中国最大手の国営農業企業である「中国農業発展グループ」の劉身利会長は26日、東京で、日本の鹿野道彦農林水産大臣と会談を行ないました。双方は、日本のコメや乳製品など、幅広い農産物の中国への輸出拡大に向けて協力を進めていくことで一致しました。
鹿野大臣は会談の中で、「中国は重要なパートナーで、日本の農産物に親しみを持ってもらえれば両国の友好関係はさらに深まるだろう」と述べました。
これに対し、劉身利会長は、「中国の消費者は日本のコメや牛肉によいイメージを持っており、日中両国の協力には未来がある」と述べました。(翻訳:玉華) 国際・交流へ
◇中国農業発展集団、日本からの農産物輸入拡大を表明
サーチナ 1月30日(日)14時4分配信
中国最大手の国営農業企業である「中国農業発展グループ」の劉身利会長は26日、東京で、日本鹿野道彦農林水産大臣と会談を行なった。双方は、日本のコメや乳製品など、幅広い農産物の中国への輸出拡大に向けて協力を進めていくことで一致した。中国国際放送局が報じた。
鹿野大臣は会談の中で、「中国は重要なパートナーで、日本の農産物に親しみを持ってもらえれば両国の友好関係はさらに深まるだろう」と述べた。
これに対し、劉身利会長は、「中国の消費者は日本のコメや牛肉によいイメージを持っており、日中両国の協力には未来がある」と述べた。(編集担当:米原裕子)
◇中国農業発展集団、日本からの農産物輸入拡大を表明
日本NHKの報道によると、中国最大手の国営農業企業である「中国農業発展グループ」の劉身利会長は26日、東京で、日本鹿野道彦農林水産大臣と会談を行なった。双方は、日本のコメや乳製品など、幅広い農産物の中国への輸出拡大に向けて協力を進めていくことで一致した。
鹿野大臣は会談の中で、「中国は重要なパートナーで、日本の農産物に親しみを持ってもらえれば両国の友好関係はさらに深まるだろう」と述べた。
これに対し、劉身利会長は、「中国の消費者は日本のコメや牛肉によいイメージを持っており、日中両国の協力には未来がある」と述べた。
「中国国際放送局 日本語部」より 2011年1月27日
2010/02/08(月) サーチナ
サーチナアンケート調査:「日本の地域活性化と中国のかかわり」2010年1月実施
古くから港町として栄えてきた新潟県の県庁所在地である新潟市。本州日本海側では初めての政令指定都市になった。越後平野は米をはじめとした農畜産物の一大産地であるとともに、チューリップの出荷量は国内でもトップクラスを誇る。物産に恵まれた土地柄であるだけに、中国での販路拡大を図る取り組み内容がうかがえる回答になっている。
【Q1】中国との貿易促進を図るセクションは?
経済・国際部産業政策課では国際経済交流の促進と貿易振興を図っている。また、農林水産部食と花の推進課では新潟産農産物の輸出促進に取り組んでいる。
【Q2】訪日中国人誘客の取り組みは?
国際観光宣伝事業では、北東アジアでも特に中国からの誘客を促進するために国際観光展への参加、商談会の開催を行っている。北京では旅行エージェントの下見招待旅行を実施している。さらにハルビンでの観光説明会の開催や山東省で国際観光展・商談会への参加などを実施している。
【Q3】中国で販路拡大を図っている特産物、産業などは?
中国向け新潟米輸出促進協議会では、北京と上海で中秋節と春節商戦用の試食宣伝会開催や日本食レストラン向け新潟米提案会を実施している。また、中国バイヤー招聘による産地視察と意見交換も行っている。
【Q4】地域振興と活性化で中国とのかかわりのポイントは?
海外見本市出展等を通じて市内産品の中国への販路拡大を支援する新潟市産品の輸出促進および、日本のトップブランドとしての地位確保・維持による米生産の活性化を図る新潟米の輸出促進。さらに、外資系企業を誘致することが地域経済活性化や中国人観光客増による観光産業の活性化につながる。
【Q5】地域振興と活性化で中国に期待していることは?
中国市場の発展による富裕層の増加等で貿易拡大に発展し中国側の貿易障壁の緩和が進むこと。農産物の輸入拡大における新潟米の定期的かつ定量的な流通の拡大及び農産物の輸入品目増と中国における所得向上による訪日観光客の増加。
【Q6】主に中小企業を対象にした諸外国との貿易施策状況は?
海外見本市出展事業では、年度によって中国やロシアなどの姉妹都市や友好都市などの海外都市で開催される見本市に出展し、市内企業の販路拡大を支援している。また、国内海外を問わず見本市出展者に出展経費の補助を行う見本市出展支援補助金も設けている。
農産物を輸出できる国を対象に新潟市農産物輸出促進支援事業では、海外での販路開拓と輸出品目・量の拡大を図るため、輸出に係る経費の一部助成を行っている。
(調査・文責:サーチナ・メディア事業部)
2011/01/29(土)サーチナ
J-20 (戦闘機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/J-20_(%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F)
心神 (航空機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%A5%9E_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
中国軍事科学院の杜文竜研究員はこのほど、「中国の殲20は知恵と先進技術が融合した戦闘機で、世界を失望させるものではない」との論評を発表した。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。以下は同記事より。
中国の新型戦闘機「殲20」の登場から初飛行成功まで、世界のメディアが大きく取り上げた。米CNNのトップニュースとなったことでも、その注目度が伺える。しかしメディアの解読には2つの誤った認識がある。ひとつは、高過ぎる評価、もうひとつは低過ぎる評価だ。
■高い評価の意図は使用方法への疑い
殲20は米F22に対抗する条件を備え、攻撃力がより高く、太平洋上空の軍事力のバランスを変え、中国周辺の米空母編隊、米国の日本、韓国などにある基地が重大な脅威にさらされると伝えるメディアがある。この見方は殲20の非常に高い性能目標ではあるが、その意図は殲20導入の使用方法を疑っていることにある。
こうした憶測から出た見方は、米国の冷戦時代の考えを中国に当てはめているにすぎない。しかし中国は殲20に対して、いかなる国、いかなる目標も標的にしないという独自の明確な方針がある。殲20は中国軍の構造転換に対応した新型兵器でしかなく、中国の主権と安全を守る新型兵器であり、中国の航空工業がある程度の水準に達した後の自然な結果といえる。
■低い評価は恐怖から
その一方で、単なる技術実証機であるとして、ステルス性、新型エンジンなどなく、「ステルス戦闘機の外観をもつ殻をつくった」と見なして、殲20の初飛行に目もくれないメディアもある。この見方は、殲20からすれば評価があまりに低過ぎる。その理由は殲20への恐怖にあるのだろう。
中国は90年代から第4世代機の研究開発に取り組み、すでに20年が経過している。ただ単に第4世代機の殻だけなら、日本は1年でステルス戦闘機「心神」の木製模型を完成させた。それこそ神業的スピードではないか?
どの兵器も敵を想定してつくられるが、革命的な兵器はまったく新しい戦略・戦術を代表している。中国初の第4世代ステルス戦闘機殲20の登場は、中国が平和的発展を切に求める大国として、国家の安全にますます厳しい情勢と挑戦が突きつけられていることを認識した証である。
中国の殲20は、F22がすでに生産と装備を完了し、F35が高密度な試験飛行を進め、T50が初飛行および導入時期が決定した後にようやく力を発揮し始める。中国が後から開発を始めた優位性と長期的な技術の蓄積を、貴重な時間と資源を費やして外観の変わった殻をつくって世界を驚かすことなどに使うはずがない。
「神舟」5号を打ち上げ、有人宇宙飛行の初飛行において最長時間を打ち立て、第4世代機を20年間模索してきた中国の航空工業と空軍がその知恵と先進技術を殲20に注入した中国の第4世代戦闘機が世界を失望させることはない。(編集担当:米原裕子)
◇2011/01/27(木) サーチナ
F-35 (戦闘機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/F35
日本のF35購入加速に「殲20は口実にすぎない」=中国人有識者
日米両国は18日、F35戦闘機の性能に関する情報秘密保持協議に署名した。日米メディアは、中国のステルス戦闘機「殲20」の登場が日本のF35購入を刺激したと伝えているが、中国の軍事専門家である宋暁軍氏は、事実はそうではないと指摘した。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。
日米の秘密保持協議が調印されるや、米ウォールストリートジャーナル紙はすぐさま、中国の殲20戦闘機の登場が米F35の販売を刺激したと伝えた。一方、日本メディアも、日本は中国の軍事力急拡大という巨大な圧力を前に、日本は自らの安全と領土を守る力が必要だと次々と追随した。
日米メディアが殲20の試験飛行が日本のF35購入を早めるという意見で一致していることについて、軍事専門家の宋暁軍氏は、その可能性は低いとし、殲20の試験飛行とF35導入は時間の差がありすぎると話す。
宋氏は、日本のF35購入は実際は米国が圧力をかけているからだと指摘。80年代以降、米国の兵器商は日本に深く浸透している。先に、ゲーツ米国防長官が中国を訪問した後、続けて日韓両国も訪問した。その際、両国にF35購入を強く勧めたようだ。殲20の試験飛行に関係なく、米国は日本にF35を購入させるだろうと宋氏は分析する。(編集担当:米原裕子)
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