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第4回 もう一人のキーマン、谷家衛の思い《前編》

2010年12月13日(月)日経ビジネス 谷家衛、中西未紀 

あすかアセットマネジメント(東京都千代田区)代表である谷家衛は、投資の世界に生きて23年、様々な企業の姿を見てきて「分かったことが一つある」と言う。それは、「どんな事業であっても、誰がやるかに尽きる」ということだ。

 「優れた技術を開発したり、ユニークな特許を持っていたりしても、会社の経営がうまく軌道に乗らないケースは少なくありません。逆に、最初はそれほどいい商品やサービスだと思えなくても、素晴らしい経営陣がいると、いつの間にか成長企業になっている――そんな経験が何度もあります」

 こう語る谷家は東京大学法学部を卒業後、1987年に米投資銀行ソロモン・ブラザーズに入社、1995年にアジアにおける自己勘定投資部門の共同責任者となった。その後、米大手投資顧問のチューダー・インベストメントの日本拠点であるチューダー・キャピタル・ジャパンの創設に名を連ねる。2002年にMBO(マネジメント・バイアウト=経営陣による企業買収)を実施し、あすかアセットマネジメントと社名を変更、現在に至る。

 チューダー・インベストメントにいた頃は、まさにITバブルの真っただ中だった。IT(情報技術)関連を手がけるベンチャー企業が乱立するも、その後、多くがバタバタと倒れていくことになる。そんな中で、生き残った1社に、谷家とは旧知の仲であった松本大が1999年に設立し、2000年に東証マザーズへの上場を果たしたマネックス証券がある。


投資で学んだ「ビジネスモデルよりも大事なもの」

 インターネットの普及で、いろんな素晴らしいビジネスモデルの会社も出てきていた。そんな中で、谷家は松本に賭けた。「親友だから思うのかもしれないが・・・」。そんな前置きをしながら、谷家は言う。「松本は人格的にも能力的にも滅多にいない人材だと思う。もちろん、運はあります。でも、いったい彼が成功しなかったら、誰が成功するんだと心から思いました。一方、ビジネスモデルに賭けたものは、残念ながら、あまりうまく行きませんでした。やっぱり『誰がやるか』が一番大きいのです」。

 最終的には、ビジネスモデルよりも、「人」である。こうした思いを抱く谷家は、今後の世界を鑑みて、ある結論にたどり着く。

 「これから世界の宝となっていくのは、成長の可能性が大きく、ハングリー精神があるアジアの人々だ。ところが、教育の場がない。そのチャンスを提供すれば、きっと世の中を良くしてくれるだろう」

「アジアの人々は今、一番の激動期を生きていると同時に、最も恵まれた環境にいると思います。まさに成長している段階の中国やインドなどでは、松下幸之助さんや本田宗一郎さんのような人材がこれからどんどん出てくる可能性が大いに期待できます。成熟した社会でハングリー精神を見失いがちな日本の子供たちにとっても、そういったアジアの子供たちと共に生活をすることで、自分の置かれている現状についても考えるようになるでしょうし、刺激を受けることで成長の契機となるのではないでしょうか」

アジアの成長に日本がどのように関わっていくべきか。谷家は常々考えてきた。


世界に通用する高校であれば可能性はある!

 「アジアの成長、ひいては日本や世界が発展していくための人材を育てる学校を作りたい」。いつしか谷家は、会社経営で多忙な日々を送りながらも、その思いを強めていった。それが後に、「日本とアジアをはじめとする世界各国の子供が寄宿する全寮制の高校を作る」という現在のプロジェクトにつながっていく。

 ただ、リーダー育成というと、一般的には大学であったり、ビジネススクールであったりをイメージする。「なぜ高校なのか」。こんな疑問に対し、谷家の答えはこうだ。

 「世界にはアメリカのハーバード大学やスタンフォード大学をはじめ、素晴らしい大学がたくさんあります。こうした大学は数兆円を動かせる資金力を持っており、優秀な教授を招聘したり、研究環境を整えたりすることができます。これに対抗して、新しく世界で通用する大学をこれから日本に作ろうと言っても、ほとんど不可能です。でも、高校や中学校であれば世界が認めるような学校を作れる可能性は十分にあります」

 日本以外のアジア諸国でも、いわゆる進学校は続々と登場している。しかし、谷家の目には“ハーバード大学やスタンフォード大学など、名門大学への入学が唯一の目的になってしまっている”ように映る。

 「全員が単一の価値観に沿って競争するのでは、皆がライバルになって学校生活をフルに楽しめないのではないでしょうか。中学校や高校というのは、もっと自分のエッジやパッションを見つけるために費やされるべき時間だと思うのです。様々な分野でとび抜けた才能を持った生徒たちが、異なる価値観や強みを認め合って、その多様性と共に生活するほうが楽しいし、世界にはその強みに応じた各分野での素晴らしい大学があるので、各々が自分に合った目標を定めることができるようになるのが理想的なのでは・・・」

 確かに日本は「欧米に追いつけ、追い越せ」で経済成長を実現したが、行き過ぎた資本主義は格差拡大や環境破壊といった新たな課題をもたらした側面もある。アジア諸国が同じ轍を踏んではならない。

 アジアの中では唯一、成熟を迎えている日本だからこそできる教育があるはず――。結果として高校卒業後は欧米の名門大学へ通うことになったとしても、「日本やアジア的な哲学を持ちながら西洋社会に飛び込んでいく子供たちは、大きなチャンスに恵まれるはずだ」と谷家は言う。

 強い思い入れはあるものの、目指すところは既存の高校を改革する枠にはとどまらないために、ゼロから設計していく必要がある。そうなると、谷家は会社経営もあり、自分自身が全面的に関わるのは時間的に難しい。そこで「理想とする学校のリーダーにふさわしい人材」を探し始める。


リーダーに必要なのは、人を共感させ動かす力!

 谷家には以前に自らのアイデアを素晴らしい人々の力を得て実現したプロジェクトがある。以前に連載でも触れたが、戦後初となる独立系生命保険会社であるライフネット生命保険(東京都千代田区)の立ち上げだ。

 もともと谷家には「証券も銀行もネット化したのだから、必ず生命保険もそうなる」という考えがあった。「当時は『ネットで不動産と保険は買わない』と言われていましたが、私は逆に、『10年後の人がネットで保険を買っていなかったら、そっちのほうが不思議だ』と思ったのです。いつ風が吹くかは分かりませんが、必ずその時代は来るはずだ、と」。

 そして谷家は、「この人であればネット生命保険会社を成功させられる」と確信を持てる1人の若者に巡り会うことができた。後にライフネット生命保険の副社長となる岩瀬大輔だった。岩瀬はハーバード大学経営大学院で日本人として4人目となるBaker Scholar(ベイカー・スカラー、成績優秀者に贈られる賞)を受賞した人物であるが、谷家が岩瀬に注目したのは留学中のことだった。

 きっかけは岩瀬が書くブログだ。そこに描かれていた岩瀬が持つ切り口の良さと同時に、感受性の強さや人を共感させる力に、谷家は惹かれたのだという。

ただ、岩瀬の能力を高く評価したものの、職歴は外資系のコンサルティング会社や投資ファンド運営会社などで、生保の業務は未経験だった。そこで、「実務に通じたパートナーが不可欠」と考えた谷家は、今度は知人の紹介で出口治明(現在はライフネット生命保険社長)に出会う。日本生命という確固たる組織に所属しながらも自分よりずっと前から「オンラインによる生命保険」を構想していたという出口に、谷家は驚いた。まさに最適の人材だった。

 こうして、出口が社長、岩瀬が副社長という形でライフネット生命保険が誕生する。2008年3月のことだった。以降、順調に保有契約件数を増やし、業績を伸ばしている。谷家は言う。「2人が素晴らしいのは、自分たちがあれだけ優秀なのに、自分と同じくらい優秀な人たちを心からリスペクトできるところです。だから、どんどん優秀な人材が集まってくる。ライフネット生命保険の一番の財産は、“人”だと思います。残念なことに、起業家のほとんどは、なかなか優秀な人材を集めることができないんですよね」。

 一方で、学校プロジェクトの構想については、なかなか適任者が見つからず、月日が流れていった。それには谷家が、「新しい学校を作るうえでもっとも重要なのは『創業者の思い』である」という信念のもと、妥協するつもりがなかったということもある。

 谷家自身、日本トップクラスの名門である灘高校を卒業している。この学校の設立に関わったのは、講道館柔道の創始者で教育者としても名高い嘉納治五郎だ。その思いが今でも学校に息づいており、生徒の教育に大きな影響を与えていることを、谷家は体感として分かっていた。

 ただ、“残された”時間がどんどん減っていることも、谷家は強く感じていた。日本は経済的にも政治的にも、国際社会の舞台ではリーダーシップを失いつつあった。「日本が『アジアの憧れ』であるうちに学校を設立しなければならない。シンガポール中国に追い抜かれてからでは間に合わない」。こんなふうに焦り始めていた頃だった。

 学校プロジェクトを大きく動かす、“運命”とも言える出会いを演出したのは岩瀬だった。2008年に、当時はユニセフ(国連児童基金)職員としてフィリピンで働いていた小林を、谷家に紹介したのだ。もちろん、この時、小林は教育に関心は持っていたものの、「学校を作ろう」という考えは全くなかった。

 しかし、谷家には「理想とする学校の代表にぴったりの人物」と思えた。「岩瀬くんにも共通していることですが、小林さんには『人を共感させて動かす力』があります。それは意識の高さから来ています。今、軽井沢インターナショナルスクール設立準備財団にこれほど多くの方に賛同していただき、ボランティアでやってくださる方々によって運営できているのは、小林さんの力があってのことでしょう」。


「満足感の共有」が成功には欠かせない!

 「人」によって始まる学校作りは、ある意味で企業の成り立ちと共通する部分が多い。しかしそこは、似ていて非なるもの。長年投資の世界で企業の成功を数々サポートしてきた谷家だが、「学校を成功させる難しさはそれ以上だ」と感じている。

 ビジネスには、「利益」という分かりやすいゴールがある。それは、売上高の拡大であったり、株式公開であったり。社員にしてみれば、自分が頑張れば給料が増えるという手応えがある。逆に言えば、「利益」は、そのまま求心力になりうる。

 これに対して、教育では、ビジネスでいう「利益」に相当するものは、「やりがい」に行き着く。お金では動かない分、働く各人の思い入れは強く、意見の相違も出てくる。そこをどうやってまとめ上げるか。トップに立つ人材には、類稀なる求心力が必要になってくる。

 谷家は、小林であればその条件を満たしていると感じた。「自分たちにとってもやりがいがあり、世の中の役に立つと思えることをやる。その満足感を一緒に共有できるかどうかが、プロジェクトを成功させるためには重要だ」。

 谷家が小林を説得して一緒に学校プロジェクトを進めていくようになるまでに、さほど時間はかからなかった。そして今、谷家はこれまで培ってきた人脈を小林と共有し、学校の理念や目標などを仲間たちとともに構築し、深めているところである。

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第5回 もう一人のキーマン、谷家衛の思い《後編》

2010年12月20日(月)日経ビジネス 谷家衛、中西未紀

日本初となる全寮制インターナショナルスクールの2013年開校に向けて動き出している、軽井沢インターナショナルスクール設立準備財団の谷家衛と小林りん。谷家は、新設する高校において、大切にしたいポイントが3つあるという。

 1つ目は、奨学金を設けてアジアの生徒を貧富に関係なく迎え入れることで、本当の多様性(ダイバーシティ)を実現する。

 2つ目は、右脳を使うデザインやアートといった感性と、左脳を使う数学や科学などの論理性、どちらも養っていく。

 3つ目は、学校や寮での生活を通して共生・共感の念を築く。

 では、それぞれについて、詳しく見ていこう。


いろいろな人が活躍できるという日本の思想!

 1つ目の「多様性の実現」について。小林は高校生活をカナダにある全寮制の学校で世界各国の同級生と過ごしており、その経験が人生の貴重な財産になっている(参照:「恵まれた環境に感謝、そして社会に恩返ししたい」)。一方、谷家も13歳の息子と11歳の娘を見ている中で、多様性の必要を感じるようになった。

 「息子と娘は、日本にあるインターナショナルスクールに通っています。素晴らしい学校です。ただ、授業料が高いこともあって、通っている子供たちの層が限られてしまいます。もっと違う環境の子供たちと交わって、いろんな刺激を受けさせたいと思います」

 今年初めて、軽井沢インターナショナルスクール設立準備財団が実施した中学生を対象にしたサマースクール(参照:「サマースクールで子供たちに教えられました」)には、谷家の息子も参加している。2週間を過ごした息子は、確かに意識が変わっていた。

 「教えるのではなく、結局は自ら気づくしかないのです。今年のサマースクールでも、ミャンマーやフィリピンの子供たちと時間をともにしてアジアの人々の素晴らしさを知ったり、自分たちがいかに環境に恵まれているのかを知ったりすることは、非常に大きな意味があったと思います」

 また、そこには「日本で学ぶ」ことの意義もある。単に世界各国の子供が集まるインターナショナルスクールでさえあればいいのなら、ヨーロッパアメリカには名門と言われる寄宿学校がいくらでもある。

 アジアの拠点として日本に学校を作るのであるから、これまでのように欧米諸国的な思想の下で教育を行っていく必要もない。これからはアジア、ひいては日本の良さと言える“和の精神”を取り入れていくべきだというのが、谷家と小林の共通した認識である。

 「日本には八百万(やおろず)の神々を祭ってきた文化がありますよね。それは、唯一絶対のカリスマが1人いて、皆をひっぱっていけばいいというのではなく、いろいろな人が活躍できる場を作ることにつながる思想だと思います」


そして谷家は、こんな例を挙げた。

 「例えば日本の鮨職人や大工。どちらの修行も、技を磨く前にまずは『素材』を調達する目を養うところから始まりますよね。鮨職人なら寿司のネタ、大工なら建築材。あくまでもそれらの素材の良さを活かした技を重んじます。日本の庭園には掘り出したままの石が据えられていますが、その思想も共通しています」

 それぞれの素材は、それぞれの良さを持っている。その個性に重きを置く思想は、まさに多様性の時代にふさわしいと言える。

 「素材から追及していくやり方は、修行にもとても時間がかかります。場合によっては何十年もかけて、やっと一人前として認められるのです。しかしその後も、それぞれの人生をかけて、さらにその『道』を追求していくのです」

 たとえ経済的な利益に直結しなくても、時間をかけて技を磨く、そのプロセス自体が一つの目的である。そのような文化の下では、評価基準がそれぞれの価値観に委ねられるため、いわゆる「おちこぼれ」も出にくい。

 「人と比べるやり方ではなく、その学んでいくプロセス自体を『道』として、自分自身で思い描く価値を実現していくものですよね。世界の資本主義が行き過ぎてしまって、様々な問題が露呈している今、次の時代を築いていくうえで必要とされる思想だと思います」

 

“微分型”から、全体を上げる“積分型”へ!

 「数人のカリスマとその他」という構図ではなく、「個人がそれぞれに道を極めていく」という形。そこには個性的な才能を持った人間が続々と出てくる可能性がある。谷家は話を続ける。
 
 「自分の好きなものを見つけたら、時間をかけてでもその道を極めていくべきだと思いますが、今のように画一的な基準ができてしまっている社会にいると、その前に多くの人が諦めてしまいます。でも、今は自分が握っている鮨に低いランク付けがされたとしても、ずっとその道を極めていったら、40年後の評価がどうなっているかは誰にも分からないですよね」

 近年、出てきた言葉に「レバレッジ」がある。てこの原理と同じように、少ない資金で大きな資本を動かすという考え方だ。効率的に資金を運用する観点からは、合理的な行動と言えるだろう。しかし、こうした行動によって、その時代の流れに合った能力だけが特出して評価されるようになっていることを、谷家は危惧している。

 「まだ成長の段階だった社会を全体として底上げしていくためには、それで良かったんです。誰かすごく強くなる人がいることで、全体のレベルを上げていったわけですね。まだ成長段階にいるアジアはそれをしていくべきですが、既に成熟した日本や他の先進国は、もうその段階ではありません」

 「西欧型の資本主義社会では、世の中を単純化することによって経済活動をいくつかの要素に分け、重要と思われる要素の値を良くすることで全体を向上させようとする“微分型”でした。ビジネスで言えば、例えばROE(自己資本利益率)や売上利益率の値のみに着目し、それを改善することで企業価値を上げるといったことですね。でも、レバレッジが効きやすい分野に強い人だけが評価された結果、その間にあるものがみんな抜け落ちてしまったというのが、今起こっていることなのではないでしょうか」

 効率化のみを追求する経済活動は、いかに短期間で収益を最大化するかに目が向くようになった。その行き着いた先の象徴とも言えるのが、サブプライムローン問題であり、2008年9月のリーマンショックに端を発する世界金融危機だろう。“行き過ぎた資本主義”に世界が耐えられなくなっていることが露わになった。投資を本業とする谷家は、まさにそれを目の当たりにしてきたのだ。

 「選ばれた要素だけが大切にされ、その操作に長けた者だけが勝者になるといった今までのやり方ではなく、世の中にある多様な要素をそれぞれに尊重していくことが、これからは重要になっていくと思います。現状の日本は、その前段階の健全な新陳代謝が行われないということが大問題ではあるのですが、逆にグローバルキャピタリズムの中では、日本のように全体を上げていく“積分型”のやり方が必要なのです」

本質のみを残す究極のシンプリシティー!

 2つ目の「感性と論理性の養成」について、谷家は米アップルCEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズを例に挙げる。

 「ジョブズが創り出す携帯音楽プレーヤー『iPodアイポッド)』やスマートフォン『iPhoneアイフォーン)』は、ビジネスなのか、アートなのか。その境目がどんどんなくなっています。これまで相容れないとされてきた左脳的なものと右脳的なものが一体化しているのが今だと思います。そして、左脳と右脳がまたがるところに、イノベーションやクリエイティビティといったものが生まれるのではないでしょうか」

今後、アップルと似たようなコンセプトを持つ製品が次々に出てきて、同じ機能を実現することだろう。しかし、アートやデザイン、さらに言えば哲学といった右脳的なものをおろそかにしている限り、新しい切り口を見出せる力を身につけることはできない。「この点が今後はますます重要になってくる」と谷家は考えている。だから、こう言う。

 「スティーブ・ジョブズはビジネス思考もできるし、デザインやアートの感性もある。そのどちらも一流じゃないと、あのようにうまくはいかなかったと思います」

 ちなみにスティーブ・ジョブズは若い頃から禅に傾倒しており、iPodのシンプルなデザインは禅の精神を反映したものだという話もある。谷家らが創設する学校では、その禅の考え方も、日本ならではのものとして取り入れていく方針だ。

 「ムダを削ぎ落として本質のみを残すという究極のシンプリシティーの追求が禅の精神であり、そのあり方には今、世界各国の文化人や経済人が共鳴しています。量を追求していた20世紀は終わり、21世紀は質を高めていくことの重要性がさらに増していくのではないでしょうか」(谷家)


“同じ釜の飯”であれば、戦争は起こらない!

 そして3つ目の「共生・共感」である。

 軽井沢インターナショナルスクール設立準備財団の理事に名を連ねている建築家の鈴木エドワードは、自らの実体験からいつもこんな話をしているという。「いろんな国の子供たちがともに学校で学び、寮で暮らして“同じ釜の飯”を食べていたら、戦争なんて起こるはずがない」。

 どこの国の人であろうが、どんな環境で育った人だろうが、共感するものは必ずある。谷家もその意見にはもちろん賛成だ。人間にはエゴだってあるし、金も欲するものだが、そこには同時に「世の中の役に立ちたい」「人のために生きたい」という気持ちも存在する。

 「人は本来であれば一緒のはずなのに、たまたま国の歴史がそれを壊しているだけなんですよね。『こんなにひどいことをされた』というお互いの歴史が積み重なっていて、それを覚えているから戦争になってしまう。でも、個人同士は共感できるところがいっぱいあって、人として仲良くできるはずなのです」(谷家)

 人は共生できるものであり、共感できるものだと信じる中でこそ、自分の良さにも気づき、周りのものの良さにも気づくことができる。まだ “人としての歴史”が浅くて国の歴史という既成概念を持たない高校生や中学生が、他国の子供たちと全寮制という形で同じ時間を共有していく意味は非常に大きいと言えるだろう。

こうした考えを基に学校作りを進める谷家や小林らは、自らが理想とする学校でどのような人材を育てようとしているのか。それは、「次世代をリードしていける子供たちの育成」にほかならない。

 こう掲げると、日本では「リーダー」=「指導者」としての資質を問うイメージを持たれがちだ。谷家によれば、そこにはもっと深い意味が込められているという。

 「『リーダー』というのは、『自分の人生を自分の好きなことや得意なことを活かして思いっきり生きることができる人、そして、それが共感を呼んで新しいモノを作り上げたり社会に良いインパクトを与えたりできる人』という意味で使っています」

 「そこにはもちろん、経営者として、あるいは政治家として、『何人もの人を動かす』というタイプの人もいます。しかし、それだけではありません。『ナンバーツーやナンバースリーとして、トップを支える』ことが一番得意で好きであるのならば、それを思いっきりやればいい。それができるように、自分の得意なもの、好きなものに気づいて、リーダーシップを学んでいけるような場を作っていきたいと思います」


学校作りを決心させた1枚の写真!

 全寮制インターナショナルスクールについて、「一生やっていきたいプロジェクトです」と話す谷家は、1つの夢を頭に思い浮かべている。それは谷家が学校設立の構想を描きながらも、まだ小林と出会う前、スイスの学校に日本の生徒を送り出しているという人物に見せてもらったある写真が元になっている。

 スイスに「TASIS(THE AMERICAN SCHOOL IN SWITZERLAND)」という、小学生から高校生までを世界各国から迎え入れている有名な名門寄宿学校がある。創立は1995年。夫のスイス転勤に伴ってやってきた1人の女性によって、この学校は作られた。当初は、なかなか資金が集まらず、苦労を強いられたという。

 その創設者の90歳を祝う誕生日パーティーが開かれ、その時に撮られたという写真を見せてもらったのだが、それが今も谷家の脳裏に焼き付いているのだ。在学中の若い生徒たちが整列し、その周りをたくさんの卒業生たちや教師たちが取り囲んでいる。1人の女性の教育に対する思いが、たくさんの人々に受け継がれて世に送り出されていくことを象徴するような情景だった。

 「卒業生や在校生、学校に関わってきた教師たちや設立メンバー・・・。その一人ひとりが自分の人生を目一杯生きているという充実感に満ちた笑顔でした。数十年後に我々の学校でも記念写真を撮ることができればいいなと思います」

 投資の世界で生きてきた谷家の、一大決意。学校運営に関しては素人同然かもしれないが、投資をする中で常に社会を分析し、様々な事業をこれまでも見てきたし、これからも見ていくことになる。投資の世界で感じてきたことは、教育のミッションを構築していくうえで大いに活かすことができるはずだ。

 それはむしろ、保守的なあり方に凝り固まりがちな教育の世界にメスを入れることにもつながっていくだろう。谷家と小林、その仲間によるプロジェクトは、まだまだ始まったばかりである。

 

軽井沢インターナショナルスクール設立準備財団
http://isak.jp/isak/top/


第6回 「学校の宝は教師と生徒」という共通の思い!

2011年1月31日(月)日経ビジネス 小林 りん、中西 未紀 

2013年、軽井沢に日本とアジアをはじめとする世界各国の子供が生活を共にする全寮制の高校を作る――。こんな目標を掲げて、日々、奔走する女性がいる。軽井沢インターナショナルスクール設立準備財団代表理事の小林りん氏だ。

 2010年の夏、財団では中学生を対象に2週間のサマースクールを開催した。その際に招いた米名門校の教師陣の力添えもあって、プロジェクトはいよいよ形になり始めている。

 全寮制高校を日本で開校することによって、小林氏は何を成し遂げようとしているのか。小林氏が仲間たちとともに「ゼロから学校を作る」取り組みを追っていく。

第1回 「サマースクールで子供たちに教えられました」から読む
第2回 「学校って、どうやって設立するのでしょう?」から読む
第3回「恵まれた環境に感謝、そして社会に恩返ししたい」から読む
第4回「学校設立は、リーダー選びから始まる」から読む
第5回「自分の得意を活かせる人材を育てたい」から読む


2010年11月、小林りんは中国の上海と香港を訪れた。

 上海は実に15年ぶりである。その街の変貌ぶりには、今の中国の勢いを感じずにはいられない。

 上海に向かった目的は、2013年に日本で開校しようとしている全寮制インターナショナルスクールに中国の富裕層がどのような反応を示すかを探るためだった。

学校は、アジアを中心に世界各国から生徒を募集する予定だ。この際、奨学金を給付してきてもらう優待生と同じくらい、自費で学費を支払ってでも日本で学びたいという生徒をいかに集められるかが、学校の成否の鍵を握る。アジアで最も勢いがある中国から日本に生徒を呼べるか、大いに気になるところだ。知人に紹介してもらった何人かに話を聞くうちに、小林は確信した。

 「日本は、まだいける」

 自然が豊かで治安が良い日本に、学術レベルが高く内容の充実した学校があれば、ぜひ子供を入学させたい――そんな中国富裕層の声を聞いて、小林は少し胸をなでおろした。


米名門校の校長と自宅でランチミーティング!

 香港では、あるフィリピン人に会った。アメリカトップ10に入る名門の全寮制高校で評議員を務めている。アジア人が評議員になるのは、その全寮制高校では初めてのケースだという。

 実は、その名門全寮制高校の校長が近々日本を訪れるという情報を、小林は事前に入手していた。

 「アメリカで『トップ10スクール』と称される高校が、今、アジアに注目しています。その全寮制高校では日本の卒業生会を訪問したり、生徒募集の説明会などを行ったりするために、校長が来日を予定していたようです」(小林)

 ぜひ日本で会って話をしてみたい。こう熱望した小林は、日本の卒業生をまとめる会長に話をしただけでなく、香港に住む評議員にも自分の思いを伝えておきたかった。

 こうした努力が実を結び、2010年12月、小林はとうとうその名門全寮制高校の校長と面会の約束をとりつける。「せっかくの機会、何か印象に残るような形で会えないか」と考えた末に申し出たのは、自宅に招いての“ランチミーティング”だった。

 ホームパーティーに慣れているアメリカ人とは言え、初対面での自宅招待はかなりのインパクトがあったようだ。つかみはOK。食事をしながら話も盛り上がり、当初1~2時間の予定だった会合は、3時間半を超えるものとなった。ここで小林は痛感したという。「教育は、やっぱり『人』だ」。

 2世紀を超える歴史を持つ古い全寮制高校の校長は、就任して間もなく、年齢は40代だった。元数学教師で、学校の卒業生でもある。校長に同行していたのは、60代のベテラン教師、卒業生会の責任者、生徒募集の責任者。バラエティに富んだ面々であった。

迎えるのは、小林と、軽井沢インターナショナルスクール設立準備財団で共同代表理事を務める谷家衛。知人のシェフに頼んでイタリアンのランチを用意し、テーブルを囲んだ。

 開口一番、校長は「なぜこのプロジェクトを行っているのか」と尋ねてきた。どうやら先方も、小林らのプロジェクトには関心を寄せていたようだ。

 小林はいつものように、自分たちのプロジェクトについての思いを情熱的に説明した。

 彼女がそもそも教育に生涯を捧げたいと思うようになった原体験としての、カナダの高校時代そしてフィリピンの国連職員時代の話。日本初となる全寮制のインターナショナルスクールで実現する、本当の意味での多様性(ダイバーシティ)。そのために必要な、充実した奨学金制度。「日本らしさ」を基盤とし、アジアから世界に通用するリーダーシップを育てるカリキュラム。地域のコミュニティとも共存する学校に――。

 「彼らが『その通りだ』と強く賛成してくれたのは、『教師と生徒こそが学校の資産』という私たちの意見でした。グローバル化が進む世界の未来を担う子供たちが学習・成長するために、我々大人には何ができるのか。学校のミッションと、それに共鳴する教師と生徒、これがすべてだと。200年以上の歴史を持つ学校でも、それは同じなんですよね」(小林)

 4人は口を揃えて言った。「歴史がないとか、名前がないとか、そういう次元の話じゃない。『教師と生徒が学校にとって一番の宝なのだ、ということをあなた方自身が思っている』、そのことこそが大事なんだ」。小林と谷家にとっては心強い言葉であった。

 彼らとはまた、「生徒の自主性が重要だ」ということでも意見が合った。トップ10スクールとも呼ばれる学校であれば、親の希望で入学を考える生徒も多いだろう。しかし、親元を離れて全寮制学校で3年間を過ごすためには「自分で選んでここへ来た」という気持ちを生徒自身が持つことが不可欠である。それは、小林らもかねてから感じていたことだった。

 「全寮制学校で学ぶということは、決して容易いことではありません。勉強面もハイレベルでチャレンジが必要になってきますし、集団生活を送る中ではケンカや揉め事もあるでしょう。様々な困難を乗り越えながら、しっかり自立してたくましくならなきゃいけない。その時、自分でこの道を選んだという責任が持てる子供であればこそ、伸びていけるんだと思います」(小林)


名門校教師も直面する「多様性」の問題!

 4人に気づかせてもらったこともある。例えば、奨学金の制度。彼らの学校では、全体の4割近い生徒に奨学金を出しているが、その対象者は主にアメリカ人で、アジア人にはほとんど枠がないという。アジアからの留学生は裕福な家庭の子供たちばかりだ。

 「これには驚きました。学校を日本で設立して奨学金を設けても、海外の名立たる学校にはどう対抗していくのかという話は以前から出ていたのですが、そもそもアジアの子供たちにとっては、奨学金によってアメリカのこうした学校に留学できるチャンス自体が少なかったという可能性もあります」(小林)

 小林が「私たちは、優秀な子供たちには国籍を問わず奨学金を出していきたいと思う」と話すと、彼らは「それは非常にいいことだ」と賛成してくれた。ただ、そこにある大きなハードルについての指摘も忘れなかった。

 それは、「奨学金対象者の国の事情をどのように把握して、選定基準を決めるのか」ということ。自国の家庭であれば税金の申告書類などを見ればその経済状況もすぐに分かるが、海外であればそれは難しくなる。まして、法整備が整っていないような国ならなおさらである。

 「とてもよい指摘でした。私たちとしては、サマースクールの生徒募集などを通して実地で判断していくしかないと思っています。この国の場合はこのルートを通せば私たちの教育哲学に合った優秀な生徒が募集できる、といった経験を模索しつつ重ねていく必要がありますね」(小林)

 また、話をする中で、小林は校長の高い意識を垣間見た。トップ10スクールには、世界中から生徒が集まって来る。しかし、生徒がどんどん多様化していく一方で、教師はアメリカ人ばかりで、しかも同じ学校に20~30年といった長期にわたって勤務する傾向にある。教師自身が多様化していない点を、校長が問題視していたのだ。

「生徒たちの多様化に、教師が実体験としてついていけていないと言うんです。だから先生をもっと外に出したいと。伝統ある名門校でそんな問題意識を持つことができるなんて、本当に度量が大きいですよね」(小林)

 校長は言った。「生徒たちのバックグラウンドを知るためにも、教師たちはもっと海外へ出て教鞭をとるべきだ」。

 ただし、アメリカ人教師が海外で教鞭をとろうにも、そもそも英語で授業できる学校でなければならない。この条件を、小林らが作ろうとしている学校は満たしている。なおかつ、教育方針にも共感できる。2011年のサマースクールには、ぜひ教師を送りたい――校長らからは願ってもない提案が寄せられた。

 話は盛り上がった。最初は「水で結構」と言っていた4人だったが、「私たちの未来に乾杯しましょう!」と、ワインも開けられることになる。強力な助っ人を得た瞬間だった。

 

いったい何を教えればいいのか!

 もちろん、トップ10スクールの若き校長と同じように、小林らもまた学校の「多様性」を重んじる。それは募集する生徒もそうだが、授業の内容についても同じだ。「私たちは、ただアメリカの先生を連れてきてアメリカの教育をしたいわけではありません」と小林は強調する。

 学校のカリキュラム作成は、昨年のサマースクールを終えたすぐ後から着々と進んでいる。それは、サマースクールに参加するために海外から来日した3人の教師による惜しみない協力があってのことだった。

 サマースクールが終わってからの2日間、スタッフは軽井沢に留まって「エデュケーターズ・ワークショップ」として、海外からサマーキャンプに参加してくれた教師や国内外の大学教員、また南アフリカでリーダーを養成する高校の設立に関わった女性などに教えを請うた。学校のコンセプトはどうあるべきか、カリキュラムをどのように作ればいいのか、マネジメントの仕組みや教師の採用基準はどう考えればいいのか・・・。あらゆるテーマを議論した。

「特にサマーキャンプの教師を務めてくれた3人の先生たちは口を揃えて、『一生に一度あるかないかのチャンスだ』と言っていました。歴史ある学校の先生たちにとっても、自分たちで一から学校を作り上げる経験はなかなかできませんからね。実は先ほどの名門学校以外にも、もう1校、私たちのサポーターの方がご紹介下さった米国の名門校が、同様の興味を持って下さっているんです。その学校でも私たちの今年のサマーキャンプに先生を派遣することを考えて下さっています」(小林)

 ワークショップに参加してくれた教育者たちは、それぞれの国に戻ってからも協力を惜しまない。現在は、無料インターネット電話サービス「スカイプ」を使って、日本のカリキュラム開発メンバーと月に1~2度の会議を行っている。毎回、2~3時間を費やす熱の入れようである。また、大学教員の1人は第二言語習得の専門家であり、今後、英語を母語としない日本やアジアの生徒が英語での高度な学習内容をこなしていくための英語プログラムを開発することになっている。今年4月にはバンクーバーで一堂に会し、カリキュラム内容の最終決定をする予定である。

 「科目をひとつとってみても、話し合うべきことはたくさんあります。例えば社会科。経済学は大学でも社会人になってからでも初歩から学ぶことができます。であれば、感受性豊かで心が柔らかい高校生の時期に様々な国からきたクラスメートと共に歴史を学ぶことは何ものにも代えがたい経験になるはずだから、社会科のカリキュラムの中では経済学よりも歴史をより重視すべきではないか、といった具合です。また、歴史を学ぶにしても、様々な国籍の生徒が集う教室で、アジアの歴史をどのような角度から教えていくべきかなど、論点はいくらでも出てきます」(小林)

 カリキュラムの基準にしようとしているのは、世界的に大学入試の資格として認められている教育課程「国際バカロレア」だ。その一方で、日本の文部科学省が提示している学習要項からはあまり逸脱し過ぎないようにする必要がある。そのまま両方を教えようというのでは、生徒はいくら時間があっても足りない。

「学習要項の枠組みに準じたうえで、どうやって国際バカロレアの要素を入れていくか、今まさに模索しています。芸術の授業で演劇を扱うなど、知恵を絞っているところです」(小林)。

 学校に賭ける思いは大きい。その分、カリキュラムに対する理想も高くなる。

 全体のカリキュラムを構成していくうえでのキーポイントは3つある。1つは世界に通用する実践的な「リーダーシップ」教育。2つ目は、あらゆる物事について問題提起できる力を養う「デザイン思考」の導入。3つ目は「アジア」の学校ならではの教育プログラム。

 リーダーとは、谷家の言葉を借りれば「自分の人生を、自分の信じること、情熱を感じることを貫き、思いきり生きることができる人。そして、他者の共感まで引きだし感化させて、新しいモノを作り上げたり周りの人間に良いインパクトを与えたりできる人」。そのために、何を教えていかなければならないのか。「デザイン思考」は、昨年のサマースクールで授業を行っている。その成果を踏まえて、内容を詰めていかなければならない。「アジア」の一員として日本で学校を開く意義についても、世界中の人に対して明確に示していかなければならない。

 考えなければいけないのは、授業だけではない。どんな課外活動をし、放課後や週末はどのように社会との接点を持たせるか。

 「リーダーシップのあり方は、100人の生徒がいれば100通りある、と私たちは考えます。学校全体を生徒が主体となってチームで役割を担いながら運営するなど、全寮制ならではの経験を通じていろいろな役割のリーダーシップを体験してもらうことで、自分なりの個性を活かす方向を見つけてもらいたいんです。それからアウトドア活動やアジア各国でのフィールドワークもカリキュラムに組み込んで、生徒には、受動的に社会を見るだけではなく、授業や寮生活での学びを総動員し、『その土地の社会問題を解決するために自分たちに何ができるか』といった視点から、物事に取り組んでもらいたいと思います」(小林)

 さらに、学校を卒業した後の進路についても、視野に入れていかなければならない。「海外の名門高校でも、カレッジカウンセラーはとても重要と位置づけられていて、あらゆる大学とネットワークを築いています。その大学がどんな生徒を求めているかを熟知していて、かつ生徒一人ひとりをよく見ているんです。学力だけではなく、『この生徒はどこに行ったらハッピーか』を提案し、入学するためにしなければいけないことも助言する。それができる人材も、私たちの学校には必要だと思っています」(小林)。


現時点で最大の悩みは土地の入手!

 カリキュラムは形になりつつあるが、学校設立に向けてやらなければならない作業は山積みだ。2011年上半期の課題の1つは、書類申請関係である。内閣府から「公益法人認定」を得るための書類は、昨年12月に申請した。この認定が得られれば、「寄付金控除」の対象となる。「学校設置許可」や「特例校申請」といった各種許認可申請に向けた書類も準備しなければならない。

 そして今、学校を設立するために不可欠な土地探しが難航している。軽井沢という目標を掲げながらも、条件に合う土地がいまだに確保できていない。

 「少人数クラスと言っても、1学年に50人で計150人の生徒が通う学校です。しかも全寮制で、先生方も家族と一緒に寮に住むことを考えると、だいたい200人くらいの宿泊施設が必要になります。のびのびスポーツができるグラウンドも用意したいということになると、ざっと見積もっても7000~1万平方メートルの土地が必要です」(小林)

 それだけの広大な土地はなかなか出てこない。立地が重要なことも、昨年のサマースクールで分かった。生徒たちが病気にかかったりケガをしたりした際に、場合によってはすぐに病院へ運ばなければならない。あまりに街から離れていては、緊急時の対応が遅れてしまう。

 今年の春までに決めなければ、2013年の開校はかなり難しくなる。主な不動産はすべて回った。「正直、120%満足、という土地にはまだ巡り合えていない」という小林。

 設立資金をできるだけ奨学金や教育の中身に振り分けるためにも、本音を明かせば「土地については寄付や非常に廉価での取得が望ましいところ」(小林)。しかし、なかなか現状は厳しいようだ。今は有力候補の土地の所有者と条件交渉を行ないながらも、「よりよい」土地との出会いを求めて、支援者などの助けを借りながら奔走している最中だ。

 本当に2013年に全寮制インターナショナルスクールができるのか――。まだまだ予断を許さない状況ではある。刻一刻と時間は過ぎていく。まもなく、今年のサマースクールの募集が始まる。

国境を意識しない東アジア企業構想のススメ!

2011年1月31日 DIAMOND online 早稲田大学ビジネススクール教授 内田和成

今回から、経営学教室の新しい連載執筆メンバーとなった。初回は、日本企業であることを捨てて、東アジアに生きる企業を目指したらどうかと提案する。というのも、今や日本市場に頼っていたのでは成長は困難であり、生産拠点としての日本もその地位がどんどん失われている。このままでは座して死を待つことになるからである。

 考えてみれば、製品の国境はすでに大昔に消滅している。消費もボーダレスになり、消費者の国境は限りなく低くなっている。日本から海外に出かける日本人は多いし、海外で活躍する日本人もそれなりにいる。一方で、日本へ来る外国人も年々増えているし、日本で働く外国人も多い。要するに人の流動化も進んでいる。それにもかかわらず、あいかわらず日本企業が国籍にこだわっているのは、時代遅れではないかと思う。

 そうかといって、日本の企業にいきなりグローバル企業に変身しろといっても無理がある。そこで私は、国内にも全国区の企業と地域企業があるように、グローバル企業にもグローバルとリージョナルの二つがあってもいいのではないかと考え、そして普通の日本企業が目指すべきは、東アジアに根を張るリージョナル企業の方が良いと提案したい。その根拠を以下に述べる。

根拠1 進む消費者の均質化!

 最近の若い人たちを見ていると、我々の世代と比較して良くも悪くも、日本に対する思い入れが少ない感じがする。

 しかし、これは実は日本の若者だけに共通する話ではなく、アジアの若者すべてに共通することである。自分の子どもの海外の友達、あるいは早稲田の学生・留学生を見ていると、驚くほど嗜好が均質である。とりわけ、若者にとって重要なアイテムであるファッション、音楽、コミック、アニメ、食べ物などにその傾向が著しい。

 日本の若者が好む韓国の音楽(K-POP)は、台湾ベトナムでもはやる。だからといって、それらの国の人々が全て韓国のものにこだわるかと言えば、そんなことはない。彼らにとって良いものは良いし、好きなものは好きなもので、国籍は二の次である。

シンガポールの紀伊國屋書店に行くと、おびただしい数の現地語のコミック(漫画)が所狭しと売られている。日本のCVSの一つであるファミリーマートは国内店舗が約8100店に対して、海外店舗はすでに9100店もある。いかに海外で人気があるかがうかがえる。

 ベトナムでは韓国製品が大変な人気だという。その韓国に行けば、若者は日本文化を好み、日本製品を愛用する。中国でもタイでも同じようなことが起きている。あるいは「カワイイ」が国際語になっている。

 要するに日本、韓国中国台湾シンガポール、タイなどの若者にとって、自分たちが好きな製品やサービスやコンテンツが、どこの国ものであるかは重要ではない。自分が気に入ったものが、たまたま韓国の音楽だったり、日本の服だったり、中国の食べ物だったりするだけなのである。

 日本に年2回は遊びに来る香港の若者がいる。それも行き先が六本木や青山である。そこに行くのでは香港と変わらないではないかと思い、その理由をよくよく聞いていると、時々東京の空気を吸いに来ているのである。日本の地方にいる若者が、東京に遊びに来る感覚と変わらない。

 あるいは、韓国と日本を行き来する人の数は合わせて年間500万人を超える。これは羽田新千歳間で航空機を利用する人数450万人(往復ベース)を超える数であり、韓国は北海道より心理的距離の近い目的地とも言える。彼らに国境はなく、結果として東アジアはシームレスな市場になっていると考えるべきである。

 そうなれば、国籍を気にしている企業は時代遅れになる。今日、原宿で売れた商品を、明日には上海やバンコックで売ることが出来る仕組みを持たないといけないのだ。その逆も真で、ソウルやシンガポールではやっている製品やサービスなどを、明日は日本市場に投入できる体制が必要だ。

根拠2 自意識の強すぎる日本企業!

 日本はこれまでアメリカに次ぐ経済規模を誇り、自国に大規模市場があり、自国に優秀な人材がいた。そのため、グローバル化も輸出という形を取り、日本型のやり方を多少現地化(ローカリゼーション)しながら対応するというのが普通だった。

 しかし、日本はすでに国としてのピークを過ぎて、成熟段階から衰退段階に入っている。代わりに中国やインドのような新興国が急成長し、日本はもはや大国とは言えない。従って、企業もこれまでのような国内市場を背景にした、大企業発想ではなく、小さな国の企業が世界の中でどのように生きていくかを考えるというように、マインドを切り替えていかなければ将来はない。

 どうも日本企業には、自分たちが日本の企業であるという自意識が強すぎるのではないか。そのため、すぐに日本の雇用を守るとか、資本を外資に渡したくないとか、あるいは経営幹部は日本人のほうがやりやすいといった発想になりがちである。結果として、売上の海外比率は高いが、スタイルはまるで日本的という企業ばかりになってしまう。

 ニーズは多様化しているが、それが国別に違うのではなく、趣味やスタイルによって違うという広大な東アジア経済圏が出現しているときに、相変わらず日本で日本人中心の商品開発やマーケティングでは、市場のニーズを捉えきれないのは当たり前である。

 国もこうした問題は意識しているようであるが、経済産業省の調査「アジア消費トレンド研究会」報告書なども、基本的には日本製品が東アジア市場でどのように受け入れられているかという視点でしか捉えていない。結局のところ、日本という主語は外したくないのである。

小国のグローバル企業に学ぶ!

 かといって、日本の全ての企業がコカコーラやIBMのようなアメリカ型大企業と競って、グローバル市場で勝つのは無理があるシナリオだ。アメリカは依然として世界一の経済大国であり、国内市場も十分大きい上に、自分たちのスタイルを世界に押しつけるだけのパワーもある。

それに対して多くの日本企業は経験も少なければ、英語でコミュニケーションできる人材、外国人をマネジメントするノウハウなど、まだまだ何もないに等しい企業ばかりだ。これでは、海外に出て行っても良いカモにされるだけだ。

 それではどうしたらよいのであろう。実はヨーロッパには日本企業のお手本になりそうな企業がいくつかある。たとえばノキアやネスレが代表例である。ノキアをフィンランドの企業、ネスレをスイスの企業と意識している人もほとんどいない。ノキアもネスレもヨーロッパ企業というとらえ方がされることが多いし、あえていえばノキアはノキアであり、ネスレはネスレだ。

 この2社の特徴は母国が小さいことで、フィンランドは人口500万人しかいないし、スイスでも800万人弱である。これではとても母国市場だけでは食べていけない。自ずとグローバル化せざるを得ないわけである。一方で、こんなに人口が少なければ、経営人材を自国人材だけでまかなうのも、とても無理である。結果として両社ともに多国籍の人材を活用している。特にネスレの場合は、幹部クラスでもスイス人の比率はとても低い。

 私は多くの日本企業が目指すべき道は、こうしたヨーロッパの小国企業のグローバリゼーションではないかと考える。

東アジアリージョナル企業という選択!

 そこで私が提唱するのは、企業を日本国内企業、リージョナル企業、グローバル企業の3通りに分けて考えた時に、グローバル競争力のない日本企業であれば、まずは東アジアに軸足を置いた東アジアリージョナル企業を目指すべきであるというものである。

 日本企業でも営業だけでなく、生産拠点まで海外に移している企業は数多く存在するが、単に生産拠点を海外に移しただけでは、東アジアの変化するニーズには対応できない。すでに述べたように地域的には均質でも、ジャンルごとには、特定の国の商品やサービスに依存しない独自のニーズを持つセグメントだからだ。

したがって、東アジアに軸足を置いてこうしたニーズに応えようとすれば、本社は必ずしも日本にある必要はない、CEOが日本人である必要もない。さらに言えば、活動拠点は機能に応じて最適なところにあれば良く、場合によっては開発は韓国、製造は中国、マーケティング機能はシンガポールでも構わない。それで、どこか日本企業なんだという問いかけには、「そういう発想時代が時代遅れ」と答える。

 敢えて言えば、古代ローマ帝国がそれに近かったのではないか。学問や芸術はギリシアに依存し、戦いはガリア(今のフランス)やアフリカの人々を活用し、言葉も自分たちのラテン語以外にギリシア語も多用していた。良いと思うものは、製品であれ、人材であれ、学問・芸術であれ、その国籍を問わなかったのである。

 同じように考えてみると、本社が日本にあり、役員を始めとした経営幹部は大半が日本人であり、組織の作り方や昇進のさせ方が日本流であり、公用語が日本語というのが、これまでの国際化した日本企業と定義すれば、私の提唱する東アジア企業はこのうちの二つ以上が当てはまらない企業としても良いかもしれない。

 消費者がこれだけ均質化して、結果として巨大な東アジア経済圏が出現しているのに、パン東アジア企業と呼べる企業は、実は他国にも存在しない。どの企業も国籍が明瞭である。他国に先駆けて、日本からこうした東アジア企業が生まれることを期待している。

 

 

民主党政権、そして誰もいなくなる!

2011年01月31日(月) 週刊現代

小沢を葬り、ひと段落かと思いきや、そうではない。マフィアの抗争と同じ。共通の敵がいなくなれば、銃口は仲間に向けられる。そのことに気づいている男がいる。撃たれる前に撃て。仙谷は動き出した。

政権たらい回しを宣言!

< だが、こうして脅し文句を並べているかぎり、相手はびくともせぬ。言葉というやつは、実行の熱をさますだけだ。さ、行け、それで、終りだ。鐘がおれを呼んでいる。聴くのではないぞ、ダンカン、あれこそ、貴様を迎える鐘の音、天国へか、それとも地獄へか >

 これは、シェイクスピア四大悲劇の一つとして名高い『マクベス』中の一節だ(訳:福田恆存)。荒れ地の魔女の囁きによって王殺しを決意したマクベスは、血塗られた道に踏み出すことに恐れ慄く自分を、こう言って無理矢理に鼓舞し、ついに王を暗殺する。

この「ダンカン」という王の名を、「小沢一郎」としてみると、何やらそれは、菅直人首相の心の叫びのようでもある。

 小沢氏の失脚により、これまで「トロイカ+α」(菅、小沢、鳩山由紀夫、輿石東各氏)で運営されていた民主党政権の実権は、「新・4人組」と呼ばれる勢力に移行した。

 「4人」とは、菅首相と岡田克也幹事長、そして仙谷由人党代表代行と枝野幸男官房長官のことだ。

 かつて自民党政権にも、「4人組」が存在した。'00年に小渕恵三元首相が倒れた際、密室で談合し、次の首相を森喜朗氏に決めた、森、野中広務、亀井静香、村上正邦各氏らのことである(青木幹雄氏を含めた「5人組」とも言われる)。

 国民に信を問うことなく、幹部のみで事を決め、政権をほしいままにする。森=菅、野中=仙谷といった具合に、民主党政権も"いつか来た道"を辿り始めた。

ただ、自民党の旧4人組と、現在の民主の新4人組が異なるのは、その4幹部の目指すところに、大きな隔たりがあるということ。

 自分の保身が第一の菅首相。内心、それを見限っている仙谷氏。"次"を窺う岡田氏、枝野氏。そこではすでに、分裂の火種が燻り始めている---。

■第1幕 王殺し

 1月14日に内閣改造に踏み切った菅首相だったが、その評価は極めて低い。

 新たに入閣したのはたった4人。しかも、そのうち3人は与謝野馨経財相や江田五月法相、中野寛成国家公安委員長といった"ロートル"だ。そして、残る一人の枝野幸男官房長官も、昨年7月の参院選大敗の戦犯だという、まさに「廃材内閣」である。

 ただ、そうした中で、なぜか妙に機嫌が良い人物がいる。官房長官を更迭されたはずの、仙谷由人・民主党代表代行だ。

 組閣翌日の1月15日は、仙谷氏の65歳の誕生日。これに先立ち、組閣真っ最中の14日午後、仙谷氏は議員会館内の自室で、親しい記者たちからマグカップなどの誕生祝いを受け取り、相好を崩していた。

「枝野が会見で緊張してた? 僕だって最初の時は緊張したよ。人間もライトも数が凄いしさ。長官は普段の会見から大変なんだ。どんな質問に対しても準備しておいて、すぐ答えなきゃいけないし。でも、そんな全部知っているわけないだろ」

 ねじれ国会の運営に苦しむ菅首相は、「小沢切り」と同時に「仙谷切り」にも踏み込んだ。仙谷氏本人は、直前まで官房長官続投を希望していたと言われる。だが、西岡武夫参院議長が烈火のごとく怒って仙谷続投を批判したこともあり、保身第一の首相は、仙谷氏を更迭した。

 しかし、仙谷氏の表情は明るい。

「大政局を起こさないと、日本の政治は変わらない。日本の政治は漸進主義というか、弥縫策の繰り返し、その場しのぎの政治が続いて来た。だから僕は、ドーンと行って、ごちゃごちゃ言ってる奴らを正面突破したいと思っていた。でもまあ、"ちょっと変わった議長"とかもいらっしゃるし、難しいね(笑)」

解散なんて絶対にしないよ。300議席も持ってたら、世論がどんなに非難しようが解散なんてするわけない。結局、権力を持っているほうが強いんだ。もし追い込まれたら、"政権のたらい回し"をするだけだ」

 溢れ出る傲慢と自信。これが、官房長官をクビにされ失脚したはずの政治家の言とはとても思えない。

 しかし、それはそうだ。仙谷氏の後任は、"子飼い"と言ってもいい枝野氏。首相官邸は事実上、いまでも仙谷氏の完全コントロール下にある。さらには党の代表代行として、逆に自由に動き、発言し、裏工作ができるポジションを得た。

 そして何より、仙谷氏が身を引くことで、その最大の政敵・小沢氏はいよいよ進退窮まった。仙谷氏が表向き政府を去ることで、野党の攻撃の焦点は強制起訴を待つ小沢氏の動向に移った。離党か、除籍か。小沢氏は最大の政治生命の危機を迎えている。

『マクベス』の荒れ地の魔女のように、"王(小沢)殺し"を菅首相に使嗾し、それを実行せしめた仙谷氏にしてみれば、官房長官の肩書と引き換えに、大きな果実を得たのである。

岡田は仙谷の下である!

 権力を掌握した民主党の新4人組が、真っ先に着手したのは「小沢一派の完全排除」である。

「ふつう、通常国会常任委員会特別委員会のメンバーは、前年の臨時国会での所属が継続されます。ところが現執行部は、今度の通常国会で、これを変えると言い出しました。しかもそれに先立ち、各議員に希望する委員会を申告するよう用紙が配られましたが、そこに予算委員会と政治倫理審査会の項がないんです。つまり、小沢氏の国会招致に絡む委員会は、執行部の一存で決めるということです」(民主党若手代議士)

 これまでは、予算委員会や政倫審のメンバーに少なからず小沢派の議員がおり、小沢氏を政倫審に呼んだり、国会に証人喚問するための障害になっていた。

「それを徹底的に排除するということです。外された議員の中には、別に小沢派でもない、中間派の人もいます。そういう議員まで執行部は排除し始めた。反小沢派だけで、政権を牛耳ろうというんですよ」(同)

 党名を変更したほうがいいような、非民主的方向に走る執行部の強硬姿勢の背後には、もちろん、「小沢切り」に猪突猛進する菅首相の強い意向がある。

 最近、菅首相は周囲に、

「ジンギスカンは、馬を下りて(政治をするようになって)からが大変だった」

 などと、自分をモンゴルの英雄「蒼き狼」に見立てているという。さらに、

「これからは権力を握る」

 と、事実上の"独裁宣言"までしてみせた。これではやはり、何か妄執に囚われているとしか思えない。

「見かねた首相の側近議員の一人が、『やはり挙党一致と言った以上、小沢派の切り捨てはよくない。もう少し配慮はできないのか』と苦言を呈した際も、『小沢を切れば支持率は上がる。小沢を切れないようでは、俺の立場がもっと悪くなる』と、まったく聴く耳を持たなかったそうです。『ここまで話がこじれたら、もう小沢を切るしかない。挙党一致なんてムリなんだ』と」(民主党中堅代議士)

< 一太刀あびせただけで、蝮はまだ生きている。傷口が癒えて生きかえりでもしてみろ。手を出したこっちは、いつまたその毒牙にかかるかしれたものではない。いっそ秩序の枠もこわれ、天地も滅んでしまうがいい。安んじて三度の食事もとれず、夜ごとの眠りも悪夢にさいなまれるくらいなら >

 王を暗殺したマクベスは、その秘密と手に入れた王の座を守るため、同僚まで殺してしまう。一度その手を血で染めた者は、罪悪感と恐怖から自制心を失い、暴走を始めるのだ。シェイクスピアが『マクベス』を書いた400年前から、権力の妄執に憑かれた政治家の行動パターンは、どうやらそれほど変わらない。

 

■第2幕 次の犠牲者

 マクベスが悲惨な結末を迎えるのと同様、菅首相の前途にも、すでに暗雲が漂い始めている。「新4人組」で政権を押さえたはいいが、その4者の間に、早くも分裂の兆しが見えている。

 この4人の中で、完全に浮いた存在になりつつあるのが、岡田幹事長だ。民主党ベテラン代議士の一人がこう語る。

「仙谷氏が代表代行になるにあたり、岡田氏は党本部の幹事長室を仙谷氏に明け渡すことになり、幹事長代理の部屋に引っ越しました。本人は『こっち(旧幹事長代理室)のほうが広いし、職員からも近い』と強がっていますが、"降格"と受け取れないこともない。実際、引っ越し作業をする岡田氏は無言のまま、憮然とした表情で荷物を箱に投げ込んでいて、誰も声をかけることができませんでした」(民主党本部スタッフ)

 前出の仙谷氏の放言を思い出して欲しい。仙谷氏は、「大政局を起こさねばならない」と語り、「菅首相がダメなら政権のたらい回しをする」と宣言した。

 仙谷氏の狙いは、明らかに「小沢を排除した上での政界再編」だ。小沢氏を消し、自分たちが主導の上で自民党公明党に働きかけ、連立の組み替え、再編を行う。その際、菅首相が邪魔なら、これも排除して、総選挙を経ずに新たな民主党代表を選出し、引き続き実権を握る。そして、その際に仙谷氏が担ぎ出すのは、決して岡田氏ではない。

「仙谷氏の狙いは、次期首相に秘蔵っ子である前原誠司外相を据えることです。そのために、江田法相が就任するとも言われた官房長官に、同じ凌雲会(仙谷氏が実質的な領袖の前原・枝野グループ)の枝野氏を押し込んだ。自分は代表代行として党務を総覧し、官邸は枝野氏を使ってコントロールする。まさに"仙谷支配"です」(民主党閣僚経験者)

 自分の子飼いである前原氏や枝野氏に実権を握らせようと図る仙谷氏にとって、代表経験者でもある岡田氏は、小沢"亡き"後、はっきり言って邪魔な存在だ。それを岡田氏も察知しており、今度の組閣でも、そこはかとない抵抗を試みたという。しかし、原理主義者で柔軟性がないと言われる岡田氏は、融通無碍の仙谷氏の敵ではなかった。

「党内を自由に動き回られると困るので、岡田氏は仙谷氏を国対委員長にして動きを封じようとしましたが、仙谷氏が受けなかった。さらに岡田氏と玄葉光一郎政調会長は、党で消費税論議を仕切る『税と社会保障の抜本改革調査会』の会長に仙谷氏が就任するのを牽制するため、記者団に情報をリークしたりしましたが、結局は仙谷氏本人の意向に押し切られ、税と社会保障も仙谷氏が統轄することになってしまった」(全国紙政治部記者)

 このまま行けば、民主党は4月の統一地方選で、壊滅的な惨敗を喫すると予想されている。落選する地方議員たちのごうごうたる非難の矛先は、菅首相と、幹事長の岡田氏に向かうことになる。「小沢殺し」に続く、「岡田殺し」---。すでに仙谷氏の中では、そこまでシナリオが出来上がっているのだ。

党内の抗争が第一。!

■第3幕 そして誰もいなくなる

 仙谷氏が構想する"大政局"にそぐわない者は、次々と消されていく。前段で仙谷氏を『マクベス』の魔女に喩えたが、同氏の政敵から見れば、その冷徹な策略家ぶりは、魔女より遥かに上位の冥界の王・プルートウのようだ。

 小沢氏を消し、岡田氏を除いた後、仙谷氏とその一派にとって、最後に邪魔になるのは、当然、菅首相その人ということになる。

組閣に"失敗"し、与謝野氏や藤井裕久官房副長官ら、財政再建・増税色が強い内閣を作った菅首相に、民主党内からは異論・反論が続出する。

「『国民の生活が第一。』という、政権交代時のスローガンは、どこかに吹っ飛んでしまった。そもそもの公約だった行政改革などを置き去りにして、消費税アップ路線に突き進む菅政権は、もはや『民主党』とは言えない存在です。これでますます、国民から見放される」(山田正彦前農水相)

 身内の大半が菅首相を見限っていることは、1月13日の党大会で発表された民主党の新ポスターにも表れている。民主党関係者がこう語る。

「新ポスターは6種類ありますが、どれも『地域のことは、地域で決める。』などと文字が書かれただけの、地味極まりないもの。実は、地方から『菅首相では選挙を戦えない』と悲鳴が上がり、首相の顔をポスターに使えなくなったのです」

 つまり菅首相は、世論より先に身内の党員たちから、一足早い"退陣勧告"を突きつけられたわけだ。政権の崩壊は、もはや秒読み段階に入ったと言える。

 それでも菅首相は、
「行けるところまで、闇雲に突っ走る。なんでも思いついたことをやっていく。支持率は気にしない。そうやって仕事をすれば、何か光明が見えてくる」

 などと側近らに話し、強がって見せているという。

 そしてファーストレディの伸子夫人も、そんな夫をけしかけ、妄進に拍車をかけているようだ。1月12日に東京・有楽町の外国特派員協会で会見した伸子夫人は、「できうることをやって玉砕するならいいが、支持率が悪いと批判されて辞めることはあって欲しくないし、あり得ない」と、夫を強烈に叱咤激励した。

 ただ、大罪を犯すことを躊躇うマクベスに対し、< 『やってのけるぞ』と言った口の下から『やっぱり、だめだ』の腰くだけ、そうして一生をだらだらとお過ごしになるおつもり? >と、尻を叩いてけしかけたのもまた、夫人だった。恐妻家は妻の一言によって、道を誤ることもある・・・。

歴史に汚名を残す!

 少なくとも菅首相が、次期政権を睨む仙谷氏や枝野氏らから、いまや完全に舐められているのは確かだ。

 枝野官房長官は、就任にあたって内閣官房で行った挨拶で、「自分はせっかち」と言い訳しながら、「皆さん(官僚)から説明を受ける時、"誰か"ほどではありませんが、じゃっかん、イラつくこともあるかもしれない」など、「イラ菅」の異名を取る首相を揶揄した。

「枝野氏は官房長官就任後、官邸のスタッフに対し、『自分と菅首相の意見が分かれた際、どうするかよく配慮して』と、職員からすれば"踏み絵"とも取れるような発言をしたそうです。枝野氏が官邸を仕切り、仙谷氏が代表代行として党を牛耳れば、莫大な官房機密費と政党交付金も、凌雲会の思うがまま。『ポスト菅』に向けた態勢作りは、着々と進んでいます」(官邸関係者)

 菅政権の「終幕」について、政治アナリストの伊藤惇夫氏は、「キーワードは『3』『4』『6』です」として、こう語る。

「菅首相は消費税問題とTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)問題の結論を、6月までに出すと期限を区切ってしまいました。これは両方とも、本来なら内閣が吹き飛びかねない大問題で、2つとも方向性を出すなど至難の業です。

 そのため、まずは予算が成立するかどうかの山場となる3月、そして統一地方選が行われる4月が菅政権の大きな関門であり、それを乗り越えたとしても、6月には前述の両問題で、政権は大きな危機を迎えるでしょう」

 小沢氏を切ると同時に、自分も死に体に陥った菅首相に唯一、残される手段は、破れかぶれの衆院解散だ。

 仙谷氏は、「解散なんてするわけない」と、一笑に付した。だが、政権崩壊に瀕している菅首相にしてみれば、「伝家の宝刀」を抜いて一か八かの勝負をし、奇跡の勝利を収めて求心力を取り戻す以外に、道がないというのも確かなのだ。

 ここまで幾度か触れてきた『マクベス』も、「女の生み落とした者に倒されることはない」という魔女の託宣にすがり、復讐にやってきた先王の息子たちの軍を相手に破れかぶれの決戦に踏み切る。

 しかし、マクベスと対峙した武将マクダフは、帝王切開によって生まれた、「女の生み落とした者」ではない存在だった。マクベスは、ここでようやく魔女に誑かされていたことに気付いて逃げようとするが、そのまま無残に、討ち取られてしまうのである---。

 菅首相に救いがあるとしたら、実在したスコットランドのマクベス王は、実は名君だったと言われること。シェイクスピアは、時のイングランド王がマクベスによって殺された貴族の子孫だったため、それを慮って、あえてマクベスを悪辣な王として描いたという。

社会保障と財政の問題を解決して歴史に名を残す」と力んでいる菅首相にしてみれば、史実のマクベス王を知れば、大いに勇気付けられるかもしれない。

 しかし、日本国民が望んでいるのは、首相の独りよがりな名誉を後世に伝えることではない。まずは"現在"の国民の暮らしを立て直し、不安を取り除いた上で、なお国家百年の計を立てる。その難題を克服する覚悟と能力がないのに総理大臣の座に居座られては、結局「悲劇」に見舞われるのは国民になる。

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プロフィール
HN:
魚沼コシヒカリ.com
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/01/01
職業:
農業
趣味:
スキー・読書・インターネット
自己紹介:
私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!
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