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江田憲司提供:江田けんじNET 今週の直言

2010年12月06日09時57分

資源に乏しく、人材と技術を駆使し「貿易立国」で「国を開いて」生きていくしかない日本にとって、TPP(環太平洋経済連携協定)への早急な参加は必要不可欠であろう。それが、農業県出身で自ら稲作に精を出す代表をいただく、みんなの党の公式的立場でもある。

 TPPは、2010年3月、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ、米国豪州ペルー、ベトナムの8か国(後にマレーシアも参加)で交渉が開始された。従来のFTA自由貿易協定)とは異なり、基本的に100%の自由化を目指す。ちなみに、FTAの場合は、自由化例外を10%程度認めるのが通例だ。

 それだけにTPP参加には相当な「覚悟」が必要だ。菅首相が、例のごとく、所信表明演説では「参加表明」をしながら、後に党内の猛反発にあって「参加を前提にせずにとりあえず情報収集」といった腰砕けになったのも頷けるだろう。ちなみに、その後、この「へっぴり腰」の民主党政権は、9カ国による交渉にオブザーバー参加さえ許されない状況が続いている。

 そのTPPは、今や米国が主導している。米国の目論見は、2011年11月、米国で開催されるAPEC首脳会議までに交渉を妥結するというものだ。これまで、東アジアで安全保障には多大なコミットしてきた米国も、近年、経済面では必ずしも主導権を握れてはいなかった。そうこうしているうちに鳩山民主党政権によって「東アジア共同体構想」までが提唱されていたのだ。その意味では、このTPP構想は、見事なまでの米国の「一発逆転劇」ではある。

 さはさりながら、日本はこれまで、FTA交渉等で米国EU韓国等に相当出遅れてきた。その要因が日本の農業にあることは自明だが、その結果、日本の企業は世界の中で不利な競争条件を余儀なくされている。また、閉鎖的な国内制度、規制の維持が企業の足を引っ張っているのだ。

 その証拠に、FTA相手国との貿易額/総貿易額、すなわち、FTA比率でみると、米国38%、EU30%、韓国38%、中国21%に比し、日本は 16%と相当後塵を拝している。特に韓国は、米国EUとの間でFTA署名に至っており、サムスンの飛躍的な業績アップと日本企業に対する凌駕を例にあげるまでもなく、このままでは、日本企業はグローバルな大競争時代にあって、ますます取り残されていくことは必定であろう。

 だからこそ、今や「農業の再生」とセットで、TPPに早急に参加すべきなのだ。それでは「農業の再生」とは何か。それは我が国農業の足腰を強くし、農業を将来にわたって、成長・輸出産業に育てあげていくことだ。

 OECDによれば、世界の人口は2050年には90億人(現在68億人)に達し、その食糧をまかなうためには、食糧生産を現状より7割アップしなければならないという。まさに食糧危機が叫ばれているのだ。そこに日本の農業の活路がある。

 北京やシンガポールでは、2倍も3倍も高い日本のコメが、おいしい、品質が良いといった理由で飛ぶように売れているという。ちなみに、その中国のコメ消費量は年1億3000万トン(世界消費量の約3割でトップ)、うちジャポニカ米も4000万トンの市場があるという。ここにターゲッティングすれば良いのである(次週に続く)。

そのためにはどうすべきか。みんなの党は、以下のような「戦略的農業産業政策」を打ち出している。

① まず、官僚統制の極みである「減反政策」を段階的に廃止する。

 現在は、水田(250万ha)の4割が減反対象だが、将来の自給率向上のための作付け面積確保のためにも減反は廃止。減反を廃止すれば、体力のない兼業農家から専業・主業農家への土地集約化も期待され、生産性の向上にもつながる。

② 減反を廃止すれば確実に米価は下がり、国際的な価格競争力が出てくる。

 今、一俵(60kg)15000円前後(今年は急落で12000円前後)が10000円以下に落ちこむだろう。そうなると、中国米一俵10000円前後だから、十分、中国市場で価格競争力が出てきて輸出できるようになる。

③ ただ、それにより農業所得が下落した分は政府が当面補償する。

 いくら輸出で数量があがっても、価格が急降下すれば全体の所得としては農家には打撃になる。そこで、これからも農家で頑張ろうという意欲のある専業、主業農家を中心に所得補償(直接払い)し、当面当該農家を支える。

④ 平成の農地改革」「平成検地」を実施する。

 一方でさらに、ゾーニング規制の強化や税制の活用等で、兼業農家、特に一家の収入のたった数%が農業収入といったサラリーマン農家や、おじいちゃん、おばあちゃんだけで一代限り、後継ぎがいませんといった農家には、どんどん農地を手放してもらって専業、主業農家に土地を集約化して生産性をあげる。耕作放棄地は農薬や化学肥料が残留しておらず、きれいな土地で有機栽培に最適との声も。

⑤ さらに規制を緩和・撤廃して農業に新規参入を促進する。

 株式会社の農地取得を可能にしたり、農業生産法人の要件(役員・出資制限等)を緩める。特に、重機を使える、また農家の次男坊、三男坊の就職が多い建設業は進出しやすい(05年に農地貸し出し規制が緩和されてから09年3月までに349社が新規参入、そのうち建設業が125社)。ちなみに、集落営農は1万3千、生産法人は1万1千と近年急増中。農業を産業にするには法人化が必要

⑥ そして「作ったものを売る」農業から「売れるものを作る」農業に転換

 当然のことだが「マーケットオリエンティド(市場指向型)」「勘からデータ」の農業へ。どの企業も行っている市場ニーズに応じた企業戦略を遂行していく。販路も多角化する。今でも農協経由は生産量の半分程度(4兆3千億円)。

⑦ いざ食糧危機、輸出入ストップの時は輸出余力を国内に振り向け。

 そうすれば、自給率40%が50%にも60%にもなるだろう。

 以上のような戦略的な農業産業政策を実行していく。それが、みんなの党の政策だ。そうすれば、日本の農業も将来の成長産業に変身しうる。

 TPPは、原則例外なく10年以内に関税をゼロにするのが目標だ。逆に言えば、10年の猶予期間があると考えれば良いだろう。以上述べたことを10年かけて、工程表を作って段階的に実現していくのだ。

民主党の「戸別所得補償制度」のように、貿易自由化も減反廃止もなく、専業も兼業も、大規模農家も零細農家も、選挙の票目当てに一律に税金をばらまいていては、いつまでたっても農業の足腰は強くならない。それは、ここ数十年の農業保護政策の結果、岩手県分の農地が失われ、埼玉県分の休耕地が放置されてきていることからも証明済みだろう。

 さらに悪いことに、この戸別所得補償の導入で、全国各地で「農地の貸し剥がし現象」が起きているという。「補助金がもらえるなら自分で飼料米を作るから返してほしい」といった具合だ。この影響で集落営農の解散も出てきており、これでは農地の集約化や生産性の向上に逆行する事態が続出することになる。

 TPP、貿易自由化反対派は、口を開けば「それでは農業は壊滅する」と叫ぶ。しかし、今のまま保護政策を続ければ農業の将来展望が開けていくのか。いや、逆に確実に日本の農家は壊滅していくことだろう。現に、ウルグアイラウンド対策費で、8年間6兆円の税金をばらまいても、コメに778%の関税をかけても、農業の競争力は衰えるばかりだった。少し数字をたどってみよう。

 農業就業人口は1960年の1454万人をピークに減り続け、2008年には298万人(全就業人口の3%)と8割近くも減った。農家戸数も半分以上減って252万戸(うち主業農家【所得の50%以上が農業収入】35万戸)。農業従事者の65歳以上比率は6割以上に上る。

 農地面積もピーク時の1961年、609万haから2008年には463万haに減った。すなわち岩手県分の農地が失われたのである。一方で耕作放棄地は増え続け39万haで埼玉県分にもなった。生産額は8兆4736億円(GDPの1.5%)、ピーク時の84年から3割減となっている。

 そして、水田を営む農家1戸あたりの農業所得は40万円弱。ほとんど生業とは言えない惨状だ。うち補助金が20万円。OECDによると、日本の農業補助金は農家収入の49%で、EU(27%)、米国(10%)に比べて図抜けて高い。補助金漬けとも言ってよい状況だが、それでも日本の農業には先行きがないのだ。

 91年に牛肉・オレンジの自由化がされた時も、関係農家は壊滅すると言われた。確かに肉牛農家は22万戸から7.4万戸に減ったが、1戸当たりの飼育頭数は12.7頭から38.9頭となり、規模の拡大で生産性は上がった。

 ミカン農家も3~4割が廃園したが、単価が甘夏の2.5倍するデコポンは200倍45億円市場に発展している。また、イタリアが原産地のブラッドオレンジを導入した宇和島のミカン農家は、本家本元が日本への輸出をあきらめるほどの美味さでグングン生産を伸ばしている。価格はミカンの5~6倍、利益率は7割にも上るという。

 韓国は数年前から、自ら「輸出立国」の道を選択し、農業保護策から輸出強化策への大転換を図っている。ここ3年間で輸出額は4割アップし、その総額は48億ドル。 2012年には100億ドルが目標だ。その代わり、04年から14年までの対策費はあわせて9.1兆円。これを日本に置き換えると40 兆円が必要と農水省は主張するが、韓国の対策費は保護関係コストだけではない。

 今、政治には大胆な発想の転換が求められている。ゆめゆめ、農業保護に巨額な税金を費消し、貿易自由化も中途半端で、日本の農業もなくなった、という最悪の選択肢にならないようにしなければならない。

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環太平洋戦略的経済連携協定(TPP:Trans-Pacific Partnership、またはTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%9A%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A


TPPとは「過激な日米FTA」にほかならない!

2011年2月7日(月)日経ビジネス 三橋貴明

菅直人首相を始め、日本人の多くが勘違いしているように思える。ペリー提督率いるアメリカの「黒船」来航後に「開国」をしたのは、明治政府ではない。江戸幕府である。

 しかも、「開国」の象徴たる日米修好通商条約には「治外法権」や日本の関税自主権喪失など、我が国にとって不平等な条項が含まれていた。江戸幕府を倒した明治政府は、この不平等条約を改訂する為に、大変な苦労を強いられることになったのである。


関税自主権を喪失した国に落ちぶれる!

 ところで、治外法権とは「外国人の日本国内における犯罪を、日本の法律で裁けない」という意味である。

 何ということであろうかっ! 2010年9月の尖閣諸島沖合において発生した、中国漁船衝突事件の漁船船長を、民主党政権が超法規的に不起訴処分とした「あれ」こそが、まさしく治外法権である。

 さらに、民主党政権はTPPにより、「環太平洋諸国」に対して「関税自主権の放棄」を実施するわけだ。菅内閣が推進するTPPは、中国人に対する治外法権と合わせ、まさしく「平成の開国」以外の何物でもない。日本は江戸末期同様に、外国人の治外法権を認め、関税自主権を喪失した国に落ちぶれるわけである。

 さて、菅首相は1月24日の施政方針演説において、TPPを「平成の開国」と位置づけ、国会における議論を呼びかけた。さらに、首相は1月29日、世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)において、日本のTPP交渉参加に関する結論を、6月までに出すと断言したのだ。日本が早急にTPPを検討することが、事実上「国際公約化」されてしまったわけである。


「あの」米金融サービスを受け入れますか!

 このTPPは、日本ではあたかも「農業問題」のようなとらえられ方をしている。だが、これは明確な間違いだ。何しろ、TPPとは、

「2015年までに農産物、工業製品、サービスなど、すべての商品について、例外なしに関税その他の貿易障壁を撤廃する」

 という、「過激」と表現しても構わないほどに極端な「貿易・サービスの自由化」なのである。通常のFTAであれば、製品種別や自由化を達成するまでの期間について「条件交渉」が行われる。ところが、TPPの場合はそれがないのだ。何しろ「2015年」までに、「例外なしに」関税や各種の貿易障壁を撤廃しなければならないのである。

 ちなみに、上記の「サービスなど、すべての商品」の中には、金融・投資サービスや法律サービス、医療サービス、さらには「政府の調達」までもが含まれている。農産物の関税撤廃など、それこそTPPの対象商品の一部に過ぎない。

 この種の情報が日本国民には全く知らされず、「平成の開国!」「バスに乗り遅れるな!」など、キャッチフレーズ先行、スローガン先行で話が進んでいる現状に、筆者は大変な危惧を覚える。何しろ、TPPに日本が加盟することで、リーマン・ショックを引き起こした「あの」アメリカの金融サービス、あるいは同国を訴訟社会化した「あの」法律サービスを、我が国は受け入れなければならないのである。

さらに、公共投資などの官需や、自衛隊の軍需品調達においてさえ、アメリカ企業を「内国民待遇」しなければならない可能性があるわけであるから、「ちょっと待ってくれよ!」と言いたくなるのだ。ちなみに、内国民待遇とは、自国民と同様の権利を、相手国の国民及び企業に対し保障することである。すなわち、アメリカ企業であっても、日本企業同様に扱うことを「保障」しなければならないわけだ。


GDPシェアが日米両国で9割を超える!


 TPPとは決して日本の「農業の構造問題」などではない。もちろん、筆者にしても「日本の農業に何ら問題はない!」などと主張する気は全くない。日本の農業が制度上、あるいは産業構造上、様々な問題を抱えているのは確かだ。それにしても、それらの問題は、あくまで日本の「国内問題」である。日本の農業の構造問題は、日本国民が自らの手で、粛々と解決しなければならないのだ。

 そういう意味で、「日本の農業の構造問題を解決するには、TPPなどの外圧を利用するしかない」
などと、TPPと農業の構造問題を絡める言説には、怒りを禁じえない。

 日本国民の所得水準向上や国富増大に貢献するのであれば、TPPにせよ農業の構造改革にせよ、淡々と進めればいいだけの話だ。逆に日本の国益に貢献しないのであれば、やめるべきである。少なくとも「農業の構造問題解決のためのTPP」などという考え方は、風邪をこじらせた患者に全身手術を施すようなもので、まさに異様極まりない。

 そもそも筆者は、TPPのような「外圧」がなければ農業の構造問題一つ解決できないほど、日本国民が愚者であるとは考えていない。逆に、本当にそうであるならばなおさら、日本国民自らの手で改善しなければならない。

 いずれにせよ、農業問題はTPPにより「自由化」される産業の、ごくごく一部に過ぎないのである。それにも関わらず、政治家やマスコミの論説において、農業を「悪者化」「抵抗勢力化」し、TPPを「農業の構造改革問題」であるかのごとく印象付ける行為、すなわち「TPP問題の矮小化」が盛んに行われている。

 さらには、日本がTPPに参加しなければ「世界の孤児になる」などと発言する人がいるわけであるから、驚愕すらさせられる。何しろ、TPPは世界でも何でもないのだ。

 TPPとは、「アメリカ」なのである。

TPPに参加している国々、及び参加を検討している国々のGDPを比較すると、アメリカ1国で66.7%を占める。さらに、日本のGDPの割合が23.7%である。何と日米両国で、TPP諸国のGDP合計の90.4%を占めるわけだ。

 GDPシェアが日米両国で9割を超える現実がありながら、「TPPに参加しなければ世界の孤児になる」などと考える人がいるわけだから、恐れ入る。「世界」について、随分と狭くお考えのようだ。

 現実には、TPPとは「過激な日米FTA」に過ぎない。通常のFTAであれば、締結する両国が製品やサービスの種別、それに自由化(関税撤廃など)までの期間について、互いの国益に基づき条件を詰めるプロセスを踏むものである。ところが、TPPにはそれがない。

 また、TPP推進派の中には、「TPPに参加することで、アジアの活力を取り込む」
などと意味不明なことを言う人も多い。

 図1-1の通り、TPPに参加、あるいは参加を検討している「アジアの国々」とは、日本を除くとシンガポール、マレーシア、ベトナム、そしてブルネイしかない。この4カ国のGDPを合計しても、わずかに4825億ドルに過ぎないのだ。TPP諸国のGDP全体に占める割合は、2.4%だ(注:ケタを間違っているわけではない)。TPPは「世界」でもなければ、「アジア」でもないのである。

 例えば、中国韓国もTPPに参加するというのであれば、まだしも理解できる。しかし、韓国はTPPではなく、締結に際し条件交渉が可能な米韓FTAという道を選んだ。そして、中国に至っては、TPPなど「完全に無視」しているのが現状である。

 なぜ、中国韓国がTPP批准を検討しようとしないのか。それは単純に、TPPに加盟することが、自国の利益になるとは考えていないためである。

昨年秋のAPECアジア太平洋経済協力会議)において、まさに降って沸いたように日本で話が始まったTPPは、本連載で明らかにしていくように、内容的に様々な問題を含んでいる。冗談抜きに、TPPに加盟した結果、日本の「国の形」が変えられてしまう可能性すらあるのである。

 それにも関わらず、菅政権が「平成の開国」などと、スローガン優先で話を進めていることには、異様さを感じざるを得ない。と言うよりも、菅首相自らが、TPPについてきちんと理解をしているのかどうか、疑問符をつけざるを得ないのだ。

 

平均関税率は既にアメリカよりも低い!

 1月28日の通常国会の場において、みんなの党の川田龍平議員が「TPPに参加すると医療分野における市場開放や自由競争を迫られる」という懸念に関する質問をした。それに対し、首相は「アジア太平洋地域が自由な貿易圏に発展していくことが重要だ」などと、「言語明瞭、意味不明」な観念論でしか回答することができなかった。あえて率直に書くが、支持率低迷に悩む菅首相が、単に「フレーズの響きが格好いい」などというくだらない理由から、「平成の開国」「平成の開国」と繰り返しているに過ぎないのではないか。

 先述の通り、TPPは確かに「平成の開国」だ。しかし、それは民主党首脳部が思い描いている、「世界に日本を開く」といった意味における開国ではない。まさしく、1858年にアメリカとの間で結ばれた不平等条約、すなわち日米修好通称条約締結に極めて近い「開国」なのである。

 菅政権は尖閣問題で中国人船長に「治外法権」を認め、TPPでアメリカ(及び、ほかのTPP諸国)に対し「関税自主権の放棄」を実施しようとしている。挙げ句の果てに、登場したスローガンが「平成の開国」であるわけだから、とんだブラックジョークである。

 そもそも、政治の責任者が「開国する」「平成の開国だ」などと無責任に繰り返す以前に、現在の日本は既に十二分に「開国」しているのである。それは、日米の平均関税率を比較すると、一目瞭然だ。

図1-2の通り、日本の平均関税率は、農産品という唯一の例外を除き、ほとんどの項目においてアメリカよりも低くなっている。何しろ、アメリカは工業製品について関税を維持しているが、日本はすでに「関税率ゼロ」なのである。この状況にありながら、「日本は開国する」などと、あたかも日本が「開国していない」かのごとき言説を繰り返す人々は、率直に言って現実を見ていないか、あるいは何らかのおかしな意図があるとしか考えられない。

やたら問題視される農産品に関しても、日本の自給率は生産額ベースで70%(2009年。以下同)、カロリーベースでは40%に過ぎない。それに対し、アメリカの生産額ベース自給率は124%である。自給率が低いということは、それだけ「海外から農産物を輸入をしている」ことを意味しているわけだ。

 さらに、重量ベースで見た日本の主要穀物自給率は58%、穀物自給率に至っては、わずかに26%に過ぎないのだ。穀物という、極めて重要な農産物に限ると、日本は重量ベースで7割以上を「輸入」に頼っているのである。この状況で「日本の農業市場は閉ざされている」などと言い張る人は、「数字」の読み方が分からないと断言されても仕方がないと考える。日本の農業市場は、むしろ充分以上に「開国」されているというのが真実だ。

 そもそも、いまだTPP加盟の是非を決断していない状況で、一国の首相が、
「日本は開国していない。平成の開国を実現する」などと発言する真意が理解できない。


外交交渉上も素人丸出しのやり方!

 何しろ、TPPの詳細に関する交渉は、これから始まるわけである。そのような段階で、国家の政治責任者が「我が国は開国していない」などと発言した日には、諸外国がかさにかかって、様々な条件を突きつけてくるのは確実だ。外交交渉上、極めてずさんな(というか、素人的な)やり方である。

 この種の国際交渉の場においては、「我々は十分にやっている。十分にやっていない貴国が譲歩しろ」というスタイルで望むのが「国際常識」である。さもなければ、その国は他国から寄ってたかって、食い物にされるだけの話なのだ。

 現実の世界は、民主党首脳部や国内マスコミが思い描いているようなユートピアでも何でもない。各国が自国の国益を貫くために、様々な手段を駆使してくるのが当たり前なのである。その状況で「我が国は開国していない」などと首相自ら表明した日には、「どうぞ諸外国の皆さん。我が国から譲歩を引き出して下さい」と宣言しているようなものだ。

 菅直人首相の「平成の開国」発言は、そもそも「江戸末期の開国の歴史」を理解していないとしか思えない上に、外交交渉上も素人丸出しのやり方である。まあ、民主党政権はいまだに「仮免許中」なのだと言われれば、それまでなのかもしれないが。

 いずれにしても、江戸幕府の後を継いだ明治政府は、日米修好通商条約に代表される不平等条約を改訂するために、大変な苦労を長年に渡り重ねた。条約改訂を成し遂げるために、複数の戦争を遂行し、大勢の日本国民の生命を犠牲にした。

 もしや菅直人首相は、我々の子孫に対し、明治政府や当時の日本国民同様の苦労を強いたいのであろうか。

エジプト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

蜂起するエジプトの民衆!

2011.02.07(Mon)The Economist (英エコノミスト誌 2011年2月5日号)

西側諸国はエジプトでの激変を恐れるのではなく、祝福すべきだ。


 独裁政治への恐怖から、幸福なひと時を経て、無秩序への恐怖へ――。過去10日間でエジプトは弧を描くような心情の変化を経験してきた。1月25日に数千人規模で始まった抗議行動は、2月1日に劇的な最高潮に達した。

 この日、数十万人がカイロのタハリール広場に結集してホスニ・ムバラク大統領の退陣を要求。その後、大統領支持派がデモ参加者を攻撃したことで、事態は暴動へと悪化した。

 だが、週半ばのひどい光景にもかかわらず、エジプトにおける事態の展開は歓迎されるべきである。弾圧されてきた地域が自由の味を覚えつつあるのだ。中東では、奇跡のようなこの数週間の間に、独裁者が1人失墜し、そしてもう1人、アラブ最強の国家を30年間支配してきた人物が倒れかけている。

 3億5000万人を擁するアラブ世界は期待に活気づき、高齢の独裁者たちの立場はにわかに危うく見えてきた。これらの目覚ましい出来事は、いかなる人民も永遠に隷属させることはできないという普遍的真理を思い出させてくれる。

 中東と接する際に概して民主主義より安定を優先させてきた西側諸国では、一部の人が今回の展開に不安を抱いている。抗議運動によってムバラク体制の力が失われた今、その空白を満たすのは、民主主義者ではなく、混沌と闘争か、あるいは反西洋、反イスラエルを標榜するムスリム同胞団になるだろう、と彼らは言う。

 そして、米国ムバラク大統領や同様の独裁者を支えることによって、長期にわたる「管理された移行」を保証する取り組みを強化すべきだと結論づける。

ロゼッタ革命
 しかし、そうした主張は間違っている。ムバラク大統領に対する民衆の拒絶は、中東の改革に向けてこの数十年間で最良の機会をもたらすものだ。もし西側諸国が、自らの運命を決することを求めて行動するエジプト国民を支持できないとしたら、他国での民主主義や人権を求める西側の議論は意味を失う。

 変化はある程度のリスクをもたらす。これほど長期に及ぶ政権の後なら当然だ。だが、変化を選ばなかった場合に訪れる容赦ない停滞に比べれば、リスクは小さい。

革命は必ずしも、1789年のフランス革命や、1917年のロシア革命、1979年のイラン革命のようである必要はない。中東に吹き荒れる抗議運動はむしろ、20世紀末に世界地図を塗り替えた「カラー革命」との共通点の方が多い。

 この運動は平和的で(政府の暴漢たちが現れるまではそうだった)、民衆的で(裏で操るロベスピエールやトロツキーはいない)、非宗教的だ(イスラム教が頭をもたげることはほとんどなかった)。エジプトの動乱は、市民のパワーが原動力となり、東欧革命と同じくらい良性の変革につながる可能性がある。

 悲観論者らは、エジプトには円滑な移行を保証する制度も政治的リーダーシップもないことを指摘する。だが、もしそういうものがあったなら、そもそも民衆が街頭に繰り出すことはなかった。

ムバラク体制の残骸の中から、ただちに完全な形の民主政治が出現してくることはない。混乱状態はしばらく続く可能性が高いと思われる。

 しかし、エジプトは、貧しいとはいえ、見識のあるエリートと、教育を受けた中間層を擁し、国の誇りを強く抱いている。これらは、エジプト人がこの混沌から秩序を引き出し得ると信じる十分な根拠となる。

 ムスリム同胞団への懸念は、いずれにしろ誇張されている。この組織が、今やウサマ・ビンラディンのナンバー2であり最高位の理論的指導者となったアイマン・アル・ザワヒリを生み出したことは事実だ。

 また、1950年代から1960年代にかけて同胞団の主導的な思想家だったサイイド・クトゥブの著作は確かに不寛容で、西側諸国を敵視している。エジプト新政府がどんな形になるにせよ、恐らくイスラエルへの姿勢を硬化させ、ハマス寄りになるだろうし、ムスリム同胞団が政権に関与した場合は特にその傾向が強まるはずだ。

 ムスリム同胞団から分かれたイスラム原理主義者の一派で、エジプトとイスラエルの間にあるガザ地区を支配しているハマスは、理論上、イスラエルの存在を否定している。

 だが、ムスリム同胞団は様々な派閥の集まりであり、以前より柔軟さを増している。エジプトが1979年にイスラエルと交わした平和条約を破棄せよと主張する向きもあるが、新たな戦争のリスクを冒すことは恐らくないだろう。

 さらに、ムスリム同胞団が選挙で勝つ見込みも低い。彼らはその信仰心と規律と粘り強さで評価されているが、支持率は20%前後と推定され、低下傾向にある。仮にムスリム同胞団の支持率がもっと高く、選挙で最大勢力になったとしたら、その地位を決して手放さないのではないかと懸念する向きもある。

 だが、トルコやマレーシア、インドネシアのように、民主主義が定着していている国でも、イスラム主義者は選挙に加わっている。

エジプトで民主主義が花開くには、ムスリム同胞団が選挙で競うことが許容されなくてはならない。そして、これまでの数週間で得られた教訓は、民主主義に代わる選択肢に未来はないということだ。

 ここ数年間、制度を刷新できず、若者の仕事も見つけられなかったエジプトは、次第に抑圧的になっていった。8500万の人々を、堕落した残忍な警察、批判への弾圧、政治犯への拷問といった重荷を負わされたまま独裁政権下に放置するのは、道徳的に間違っているだけでなく、次の蜂起につながる導火線に火をつけることにもなる。

 新たな独裁者を据え、その人物が非宗教的な民主主義に向けた条件を整えるのを待ちたいと考える向きもあるだろう。だが、中東の悲しい状況が示すように、独裁者が自身の退任を計画することはほとんどない。

バラクとムバラク!

短期的に困難が立ちはだかるだろうことは疑いようがないが、それでも、混乱した民主主義でさえ、やがて豊かな成果をもたらす可能性がある。そして、それはエジプト人にとってだけの話ではない。

 民主的なエジプトは、再び中東の道しるべとなり得る。アラブの民主主義にイスラム教をどう取り入れるべきかという難問への答えを出す一助になるかもしれない。

 そして、イスラエルが国境付近の脅威を恐れるのは理解できるとはいえ、民衆を代弁するエジプト政府はいつの日かイスラエルパレスチナ人との和解に、権威主義者による「冷たい平和」がなし得るよりも大きな貢献をするかもしれない。

 西側諸国は、エジプトがこの成果を勝ち取れるよう支援することができる。民主主義よりも安定を求めたことで西側はイメージを損なったが、今こそ、それを償える。特に米国は、今もなおエジプトの政界、財界、軍部エリート層への影響力を維持している。その影響力を利用すれば、独裁政治から混乱期を経て新体制へと至る移行を加速させる手助けをし、中東での米国の立場を改善できるだろう。

 西側の人間はエジプトの動乱に神経質になっているかもしれないが、エジプト人が自由と自己決定を要求する時、彼らは西側が依拠する価値観を認めているのだ。エジプトの革命が最良の結末になるという保証は全くない。唯一確かなのは、独裁政治は動乱を招くものであり、安定を保証する最良のものは民主主義であるということだ。

© 2010 The Economist Newspaper Limited. All rights reserved.英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。

無能なリーダーによる政治主導が日本を滅ぼす!

2011.02.07(Mon)JBプレス 織田邦男

もし参謀の意見を聞かない指揮官がいたなら、敗軍の将となるのは間違いない。昨年9月の尖閣事案で、政府は中国の圧力に屈して船長を釈放した。この時、外務省には意見を求めるどころか知らせもしなかったという。

敗軍の将となった菅直人首相!

船長を釈放しても中国政府は軟化せず、強硬一点張りの態度に驚いた日本政府は、官僚の助言には耳を貸さず、押っ取り刀で素人の政治家を特使として送り、中国に足元を見透かされた。

 案の定、無様な対応で世界に醜態を晒し、菅直人首相は敗軍の将となった。

 「政治主導」は今や流行語のようだ。だが国民が危うさを感じるのは「政治主導」と「官僚排除」を同一視している世の風潮だ。

 官僚組織はシンクタンクであり専門家の「頭脳集団」である。その先駆的形態は軍隊の参謀組織にある。参謀組織はプロシアで発展した。

 それまでは指揮官は自らの才能に依拠して指揮統率を行っていたが、ナポレオン戦争の頃から参謀組織の必要性が認められるようになった。軍隊規模の拡大と機能の多様化に伴って生ずる指揮官の複雑多岐にわたる各種業務を、適切に補佐する必要が出てきたのだ。

史上最強のシンクタンク、ドイツ参謀本部!

 平時は軍事研究を行い戦時においては指揮官を補佐する常設機関が、プロシア軍に採用された。参謀組織を育て、戦争ではその機能を駆使したモルトケ参謀総長は、宰相ビスマルクとの絶妙の政軍タッグにより普墺戦争、普仏戦争に短期完勝した。

 参謀組織は一躍世界の注目を集めることになる。今日でも歴史上最強のシンクタンクは、プロシアのモルトケが育てたドイツ参謀本部だと言われる。

 霞が関の官僚組織は、日本最大のシンクタンクであり最強の参謀本部である。これを使わない手はない。

 官僚をバカ呼ばわりし、退けることで悦に浸っている政治家を見ると、有能な参謀を使いこなせない愚劣な指揮官を見るようで、哀れさを感じる。愚劣な高級指揮官は敵より怖いと言われる。

マックス・ウエーバーは近代官僚制の持つ合理的機能を強調し、官僚制は優れた機械のような技術的卓越性があると主張した。もちろん官僚制度の弊害も多いが、むしろ問題は官僚制度そのものよりも、それを使う側にある。

黒子役を忘れ人形師になった霞が関

 参謀組織や官僚組織は簡単に言えば、誰がリーダーでも80点の合格点は取れるように構築されている頭脳集団である。

 有能な官僚から英知を引き出し、これにリーダーの先見性、構想力、深謀遠慮、胆力、交渉術などを加味し100点満点を勝ち取るのが真の政治主導なのである。

 自民党政権は官僚に依存し過ぎた。図に乗った官僚は「黒子」であることを忘れ、操り人形を扱う人形師に成り上がった。

 政治家は御輿に乗る心地よさに満足し、勉強を忘れ、知的怠惰に陥った。それでも80点は取れたため、長く政権は維持できたが、その間、官僚依存の弊害が肥大化した。

 自民党政権との区別化を強調するため、民主党政権はことさら官僚排除を打ち出している。「脱官僚」をアジェンダとする「みんなの党」もそうだ。

ヒトラーと重なり合う菅直人!

官僚依存の弊害を除くため、官僚制度が持つシンクタンクとしての機能まで捨ててしまうのは、あたかも汚れた産湯を捨てるのに赤ン坊まで流してしまうような愚かなことだ。

 総理に意見具申をしても怒鳴り散らされ、挙句の果てにはバカ呼ばわりされると某高官が嘆いていた。尖閣事案に見られるごとく、菅政権の官僚排除の体質を見る時、第2次世界大戦のアドルフ・ヒトラー総統が彷彿される。

 ヒトラーは下層階級の出身で、第1次世界大戦では伍長で従軍した。彼はプロの軍人、特に名家出身の秀才の多く集まっているドイツ参謀本部には劣等感を持っていた。その裏返しとして、参謀本部案にはことごとく反対したいという根強い欲求があったという。

 第2次世界大戦前、ドイツ参謀本部はフランスのマジノ要塞突破は不可能と判断し、フランス攻略には反対であった。


ヒトラーは参謀の意見具申に激怒し、参謀本部が採択しなかったというただそれだけの理由でマジノ要塞突破によるフランス攻撃を命じた。

初期の成功がのちの大失敗を育んだ!


だがこれが不幸にも見事に当たってしまう。電撃戦によってマジノ線は容易に破られ、パリは短期間で陥落した。

 ヒトラーの劣等感は優越感に変わり、その後は何かにつけ参謀本部案をひっくり返し、自分の軍事的天才を自慢するようになる。独裁者に「王様は裸だ!」と言う者はいない。いったん思い上がるともう手をつけられなくなる。

 参謀本部の案をことごとく退けて喜ぶのは、いかにも子供じみている。だが、成功は長く続かない。その後、小局では成功を収めることもあったが、大局で取り返しの利かない失敗を重ねることになる。

 ヒトラーは、2正面作戦の不利を主張して参謀本部が反対した対ソ開戦を決断する。それでもドイツ軍の巧妙な戦術により、モスクワ陥落寸前まで追い詰めた。

 だが、最終局面でヒトラーは気まぐれな目標転換を行う。これが対ソ作戦の致命的な失敗の原因となる。これでスターリンは救われた。この時、「ヒトラーは強力な援軍だ」とスターリンはつぶやいたという。

気まぐれな考えが勝ち戦を負け戦に変えた!

 英国攻略作戦「バトル・オブ・ブリテン」でもそうであった。

 約40日続いた昼夜を分かたない空中戦闘で、少数精鋭の英空軍パイロットは被害も大きく疲労困憊。あとひと押しで英空軍総崩れという時、ヒトラーは攻撃目標を制空権獲得からロンドン爆撃に変更を命ずる。

 独空軍の被害はたちまち甚大、しかも英空軍に立ち直りの時間を与える結果となり、ドイツは英本土攻略の機会を逸した。

 この時、「我方にとっての真の秘密兵器はヒトラーそのものである」とウィンストン・チャーチルは嘲笑ったと言われる。

ヒトラーは晩年、「エネルギーの多くは参謀本部との争いで浪費された」と怒り、敗戦の責任を参謀になすりつけた。

軍隊よりもはるかに複雑な国家経営!

 「政治主導」の御題目が「官僚排除」「脱官僚」にすり替わり、この無益な目的に余計なエネルギーを費やす。

 官僚が作成した案というだけで反対し、官僚の助言に耳を傾ける謙虚さもなく、ただがみがみと叱りつけ官僚のやる気を削ぐ。

 そして挙句の果ては失敗を官僚のせいにして責任逃れに汲々とする。官僚に対する劣等感の表れであり、菅政権のこれまでの失態はまさにヒトラーの失敗そのものである。

 国家の運営は、単なる軍事行動よりはるかに複雑多岐にわたる。

 専門家による情報入手、分析、助言は欠かせない。どんな天才でも1人では何事もなせない。頭脳集団である官僚組織から如何に知恵を引き出すかが政治家の指導者としての優劣を決定すると言って過言ではない。

参謀組織のなかったナポレオンの限界!

天才ナポレオンでさえ、晩年、作戦規模が拡大するに従って敗北が目立つようになる。ナポレオン軍の強さは天才ナポレオンのリーダーシップに拠っており、ナポレオン軍は近代軍のような参謀組織を持っていなかった。

 ナポレオンがモスクワに進撃した時は50万を動員した。50万の兵員を率い、未知で広大な戦場に赴くには、厖大な見積もり作業を要する。

 道路や補給の状態、食料の現地調達、師団の分散行軍と相互連携、詳細な地理の把握、気候状況、敵情入手などである。

 参謀組織を持たなかったナポレオンは、属人的な仏軍の限界を露呈し大敗北を喫す。モスクワから逃げ帰った敗残兵はわずか1000人だった。

ナポレオンのリーダーシップはリーダーが戦場を直接に掌握している範囲での強さであり、その範囲を超えた時にナポレオンの限界が表れたのだ。

民主党の政治家がナポレオンになれるはずがない!


「政治主導」と称して官僚を排除し、ナポレオン型リーダーシップ政治を思い浮かべているなら、思い上がりも甚だしい。

 国家の運営はナポレオン時代の戦争よりはるかに複雑で多岐にわたる。外交戦略を構築するには、多方面の専門家の衆知を集めた分析、検討、そして質の高い情報が必須である。

 見識浅薄で経験寡少な政治家がいくら集まってみたところで、ナポレオンになれるわけはない。まして天才ナポレオンでさえ、大会戦では敗北したのだ。

 複雑系の国家運営に浅学非才な俄か政治家が雁首そろえたところで、重厚な戦略一つ組み立てることはできない。最強の参謀本部である「霞が関」を使いこなせるかどうかが、名宰相と愚昧宰相との分かれ道になるのである。

 政権交代後、官僚を排除した結果、普天間問題、尖閣対応と大失態を繰り返してきた。高い授業料を払ってなお官僚排除で外交や安全保障ができると思っているとしたら、自意識過剰で思い上がりも甚だしい。

耳の痛い情報ほど価値がある!

 愚劣な政治家で迷惑するのは国民である。

 官僚排除は誤りであるが、何も官僚の意見を全面的に取り入れろと言っているのではない。官僚はじめ専門家の意見を聴取したうえで、政治的決断をしろと言っているのだ。

 耳に痛い情報こそ聞く耳を持たねばならない。自分の方針と異なるからと言って門前払いをしてはならない。説明を聞く度量があってこそリーダーの器である。

 リーダーは孤独である。「王様は裸だ!」と面と向かって言ってくれる者を大切にしなければ、質の高い情報は入ってこない。

このほど菅再改造内閣が発足した。心機一転、改むるに憚ることなかれである。

名将・武田信玄の言葉を肝に銘じよ!

 尖閣事案のような不測事態は、明日にもまた起こる可能性はある。安全保障は待ったなしだ。官僚や専門家の意見を聞かなかったこと、そして閣僚間の調整がなされなかったことが大敗北の原因だった。同じ愚を繰り返してはならない。

 名将と愚将の差は部下の使い方である。名将・武田信玄は部下を使うにあたって「余は人を使うのではない。人の力を使うのだ」と言った。

 彼が現代の政治家であれば、官僚を使うにあたって「余は官僚を使うのではない。官僚の力を使うのだ」と言ったであろう。

 政治主導と官僚排除は全く違う。官僚や専門家の助言に耳を傾ける謙虚さが「政治主導」の御題目によって邪魔されているのなら、「政治主導」は亡国への引導に違いない。

子ども手当
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E6%89%8B%E5%BD%93


ダイヤモンド・オンライン 2月7日(月)

1月28日、菅内閣は2011年度の子ども手当法案を閣議決定した。だが、国と地方の財源負担争いに加えて、野党からの反発は強く、制度存続の期限である3月末までの成立が危ぶまれている。子ども手当への風当たりが強いのはなぜなのか。看板政策として実施にこだわる民主党政権は、どこでボタンをかけ違えたのか。

「銀座四丁目交差点の真上から、福澤諭吉をばらまいているようなものだ。子ども手当は、バラマキ型の大きな政府路線を志向する民主党政権の国家観が表れた象徴的な政策だ」

 1月24日、大豆生田(おおまみうだ)実・足利市長は、来年度の子ども手当財源の市負担を拒否し、足利市の同年度予算に計上しない意向を固めた。

 大豆生田市長は、35市町村の首長が名を連ねる「現場から国を変える首長の会」の代表を務めており、かねて子ども手当の恒久財源、地方負担問題について追及、2011年度の予算化に際してついに負担拒否の姿勢を明らかにした。

「細川律夫厚生労働大臣ら党幹部による予算修正含みの発言が、あまりに目立つ。年末に策定したばかりの予算案を修正するなど前代未聞のことで、政府が自信を持って原案を提出していない証左だ」(大豆生田市長)と憤る。

 地方負担にノーを突きつける地方自治体が続出している。先陣を切ったのは松沢成文知事率いる神奈川県である。昨年12月に、松沢知事は片山善博総務相に、地方財政法に基づく意見書を提出した。神奈川県ホームページ上には、「政府の暴挙を黙って見過ごすと、子ども手当の地方負担が恒久化されるだけではなく、第2、第3の子ども手当が出現し、地方は国の奴隷と成り下がってしまう」と攻撃的な文書を掲載した。

 神奈川県下では、40以上の市町村が拒否の態度を決めている。なかでも強硬派は自治省OBの阿部孝夫川崎市長。民主党は地域主権と強調しながら地方を無視しているとして、訴訟も辞さない構えだ。

 1月28日には群馬県で、県と24市町村が、子ども手当の地方負担分を拒否する方針を表明した。

 子ども手当制度とは、1972年にスタートした児童手当制度の代替策として10年度に創設された。じつは、地方自治体はこれまでも児童手当給付の費用負担をしてきた。11年度子ども手当における費用分担は、子ども手当給付総額2兆9356億円のうち地方負担5549億円、国負担2兆2077億円である。09年度児童手当時代と比べると、国負担が激増し、地方負担はほとんど変わらない。

 さらに、今回の見直しで改善された点も多い。たとえば、不正受給の恐れがあった海外に居住する子どもを支給対象外にし、両親が別居している場合には同居している親族への支給が可能になった。給食費や保育料へ充当できるようにもなった。

 それにもかかわらず、地方自治体が反旗を翻した理由は主として三つある。

 最大の理由は、「子ども手当の財源は全額国庫負担」としてきた民主党政権の公約違反である。

 民主党が最初に「国庫負担」を約束したのは、08年の野党時代に参議院へ提出した法案によってである。また、09年衆議院選挙のマニフェストでは所要額5兆3000億円とある。それにもかかわらず、恒久財源を示すことなしに、10年度法案、11年度法案と2年連続で地方負担を強いた。そこに猛反発しているのだ。

 第2に、民主党が強調してきた地方主権と逆行しかねない点だ。全国一律に実施する現金給付では、地方側に子ども・子育て支援サービスに組み込む工夫の余地がない。また、地方財政法上の地方財政審議会の開催など必要な手続きが取られることもなかった。

 第3に、政策の実効性が低いことだ。厚生労働省が実施した子ども手当の使途等に関する調査によれば、42%が貯蓄・保険料に回していた。少子化対策、経済効果には寄与していない。

「地方の反乱」は燎原の火だ。自民党ら野党が政局を睨んで便乗、子ども手当こそ費用対効果を見込めないバラマキ政策の象徴だと攻め込み、一気に倒閣へ追い込もうとしている。

 民主党政権は看板政策のボタンをどこでかけ違えたのだろうか。

 ある民主党議員は、「小沢・鳩山時代に、鶴のひと声で子ども手当が月額1万6000円から月額2万6000円へ1万円も上乗せされた。総額5兆 3000億円もの財源など容易に探せるはずもない。あそこが問題の原点だ」と振り返る。恒久財源を示せなければ制度の継続性は担保できない。そうした真っ当な認識を民主党トップが欠いていたという指摘は、党の内外に多い。

 子ども手当制度に民主党なりの理念を探せば、控除から手当へという税制上の方針転換、高齢者向けサービス偏重から子ども向けサービス拡充へという政策価値観の転換であろう。「少子化対策でも経済対策でもない。高齢世代の社会保障制度を支えるための未来への投資」と、小宮山洋子厚労副大臣は説明、「子ども手当という各論だけでなく、その政策評価、幼保一体改革、関連費用の財源分担などをパッケージとした子ども・子育て新システムの構築を急ぐ」と意気込む。

 だが、閣僚、党幹部にそもそもその理念が共有されていなかった。彼らは、財源問題をかわしたいがために、時に少子化対策、あるいは景気対策にもなるなどと、その場しのぎの発言をばらまき続け、墓穴を掘った。情勢は穏やかではない。2月1日、衆議院予算委員会において、菅直人首相は月額2万6000 円の満額支給を断念する考えを示唆した。予定給付額を削減することで、子ども手当制度の恒久化を図る意図は明らかだが、それによって制度の合理性を説明できたわけではない。野党は追及の手を緩めないだろう。

 では、この3月末までに、11年度子ども手当法が成立しない場合はどうなるのか。
10年度の子ども手当法は期間1年の時限立法であり、4月1日に、凍結されていた児童手当法が復活する、という奇妙な事態に陥る。というのも、「子ども手当の財源負担をめぐって国と地方とでつばぜり合いをしており、子ども手当法が通過しなかったときの保険として、児童手当法を完全に失効させるわけにはいかなかった」(厚労省幹部)からだ。

 児童手当が復活すると、最初の支給月は子ども手当と同じ6月だ。このとき、10年度の子ども手当法に基づく子ども手当2ヵ月分と、11年度の児童手当2ヵ月分を支給しなければならない。だが、子ども手当がスタートした10年度から地方自治体は新システムに切り替えており、「児童手当支給には、所得制限のチェックが必要となるため、間に合わない」(厚労省幹部)結果となる。

 それだけではない。「控除から手当へ」という“現金政策”の下で、10年度に、16歳未満の年少扶養控除(所得税で38万円、住民税で33万円)が廃止され、16歳以上19歳未満の特定扶養控除も段階的に縮小されることが決まった。国・地方の増収分を合わせると、11年度6300億円、12年度1 兆0600億円になる。児童手当がもらえるはずの人へ行き渡らないうえに、控除分がそのまま増税になってしまう。現場の混乱は不可避だ。

 理念が不明確で、制度の合理性を欠き、実務への知識、配慮がなく、国と地方という行政間が争う。民主党政権の稚拙さがうかがえる。

(「週刊ダイヤモンド」編集部 浅島亮子)

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