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Wikileaks
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

三井環

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E7%92%B0


ペンタゴンペーパー事件と三井事件/牧野 洋 現代ビジネス8月12日(木) 7時 5分配信 / 国内 - 社会


権力の暗部を暴くために内部告発に踏み切ると、大変なリスクを背負う。「世の中のために」と思って行動したのに、逆に犯罪人として刑務所に放り込まれることもある。

 そんな背景から数年前、ウェブサイト「ウィキリークス」が生まれた。世界中から匿名の内部告発を受け入れ、偽情報でないかどうか調べたうえで公開するのを使命にする。7月下旬にアフガン戦争絡みの秘密文書「アフガン戦争日記」を公開したことで、一躍知名度が高まった。

 アフガン戦争日記は、ベトナム戦争に関する国防総省機密文書「ペンタゴンペーパー」と比較されることが多い。アフガン戦争日記と同様にペンタゴンペーパーも内部告発者によって暴露された。 

 前回(「『アフガン戦争秘密文書』すっぱ抜いた『内部告発サイト』ウィキリークスと組んだニューヨーク・タイムズ」)は「日本でもウィキリークスは通用するだろうか」と問題提起した。この疑問に答えるために、まずはペンタゴンペーパー事件を振り返ってみたい。後述する「三井事件」と比較すると、日本の大新聞に欠けがちな報道姿勢が浮き彫りになるからだ。

 ペンタゴンペーパーの内部告発者は、「空軍のシンクタンク」とも呼ばれたランド研究所のアナリスト、ダニエル・エルスバーグだ。ランドの歴史を記した『ランド――世界を支配した研究所』をひもとくと、彼が自分の人生を懸けて内部告発に踏み切る様子が生々しく伝わってくる。

< ドアを鋭くノックする音で(機密文書をコピーする)作業が中断した。制服を着た警官2人が外の階段の上まで来ていた。そのうちの1人がガラス製のドア越しにエルスバーグに向かい、ドアを開けるように身振りで指示している。(中略)

 エルスバーグはとっさにコピー機のふたを閉め、それまでコピーしていた書類を隠した。自分の子供たちはこれからどうなるだろうと不安にかられながら、ドアへ向かった。途中、「トップシークレット(国家機密)」と押印された書類の束を紙切れで覆った。

「何か問題でも? 」とエルスバーグが口火を切った。

「事務所の警報装置が切れているよ」と警官の1人が答えた。>


 ペンタゴンペーパーを公開しないままで逮捕されたら、すべてが水泡に帰すところだった。売国奴として終身刑に処せられても、ベトナム戦争の悲惨な物語の全貌を世の中に向かって公開できればいい――エルスバーグはこんな決意だったのだ。 

 エルスバーグにとって頼みの綱が、憲法修正第1条(ファースト・アメンドメント)で言論の自由を保障されたメディアだった。エルスバーグは一部の上院議員らにペンタゴンペーパーを手渡し、議会で追及してもらおうと動いていたが、相手にされなかったのだ。


*** 政府が記事を差し止めるとライバル紙がフォロー ***
 巨大権力の圧力に屈せずにペンタゴンペーペーパーを公開してくれるメディアはどこか。エルスバーグはニューヨーク・タイムズ(NYT)を選んだ。NYTは期待に応えた。週ヵ月にわたって特別取材班をホテルに缶詰め状態にし、ペンタゴンペーパーを分析・検証するなどで、内部告発者を全面支援したのである。

 NYTは1971年6月13日の1面トップ記事でペンタゴンペーパーを特報した。ところがこの段階では大した騒ぎにはならなかった。ペンタゴンペーパーが歴史に残る内部告発へ“格上げ”されたのは、NYTが第3弾の記事を掲載した2日後だった。



 この日、ホワイトハウスが反撃に出た。裁判所からNYTに対する記事差し止め命令を勝ち取ったのだ。これを境にNYTは続報を掲載できなくなった。

 すると、NYTのライバル紙であるワシントン・ポスト(WP)紙がNYTに代わってペンタゴンペーパー報道を開始した。記事差し止めを受けてエルスバーグがWPにもペンタゴンペーパーを持ち込んだのだ。

 大新聞が「タッグを組んで」内部告発者を支援したわけだ。これが功を奏したのかどうか分からないが、エルスバーグに対する起訴は最終的に取り下げられた。有罪にされていたら、彼は最高で100年以上の懲役刑を受けかねなかった。

 ウィキリークスによるアフガン戦争日記の公開を受けて、著名ジャーナリストのベンジャミン・ブラッドリーはペンタゴンペーパー事件を振り返り、7月27日付のWP紙上で次のようにコメントした。

「ペンタゴンペーパー自体に衝撃的な新事実が隠されていたわけでもない。にもかかわらずアメリカ中が大騒ぎになったのは、ニクソン大統領が記事掲載をやめさせようと躍起になったためだ。だれもが『政府が記事差し止めに動くほど重大な秘密なのか』と思うようになった」

 WP編集局長としてペンタゴンペーパー事件の報道を指揮したブラッドレーは、「ウォーターゲート事件をスクープした編集局長」として知られている。

 ちなみに、ペンタゴンペーパー事件を背景にして起きたウォーターゲート事件も、内部告発者の存在を抜きにしては語れない。この内部告発者は世間では「ディープスロート」として知られていた。

 ペンタゴンペーパーと違い、アフガン戦争日記ではホワイトハウスは記事差し止めに動かなかった。記事掲載前にNYTに対し「有害な情報の公開を控えるようウィキリークスを説得してほしい」と要請しただけだった。その意味では、アフガン戦争日記にはペンタゴンペーパーほどのインパクトはない。

 それでもウィキリークスにとっては大躍進であることに変わりはない。少なくとも初報段階ではNYTなど伝統的な印刷メディアと連携できたのだ。


*** 検察の裏金を実名告発する寸前に逮捕 ***
 ここで「日本でもウィキリークスは通用するだろうか」との疑問に戻ろう。カギを握るのは、やはり大新聞を筆頭にした伝統的な印刷メディアだ。単純比較が難しいのは承知のうえで、2002年に起きた「三井事件」を点検してみる。

 当時、検察庁の現職幹部だった三井環が水面下でマスコミに接触し、「調査活動費が裏金として職員の私的な飲食代やゴルフ代に消えている」と訴えていた。「ディープスロート」としてマスコミに協力しようとしたわけだ。しかし、匿名の内部告発ではなかなか相手にしてもらえなかった。

 そこで、三井は実名で内部告発に踏み切る決意を固めた。同年4月22日にテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」で単独インタビューを受け、収録する予定を入れた。ところがインタビューは実現しなかった。その日、詐欺と職権乱用の容疑で逮捕されたのだ。
 

実名告発の矢先に逮捕というタイミングから、「検察は口封じのために事件をでっち上げ、内部告発者の逮捕に踏み切ったのか」といった見方も出た。それが事実だとすれば、「裏金問題は検察が口封じに動くほど重大な秘密なのか」ということになる。

 ここでペンタゴンペーパー事件を思い出してほしい。同事件では、ホワイトハウスがNYTによる記事掲載をストップさせるのに成功すると、世間は「ペンタゴンペーパーは政府が記事差し止めに動くほど重大な秘密なのか」と思い始めた。

 つまり、三井事件での「逮捕」とペンタゴンペーパー事件での「記事差し止め」は、同じ文脈でとらえるが可能だ。いずれも、内部告発者・マスコミ側に対抗するために権力側が打ち出したアクションなのだ(検察当局は三井逮捕と裏金疑惑の関連性を一貫して否定している)。

 両事件とも、権力側のアクションをきっかけに大きな注目を集めるようになった。だが、方向性は正反対だった。三井事件では、大新聞は申し合わせたように「内部告発者の犯罪」を大々的に取り上げ、「政府の悪事」をわきに追いやった。

 大新聞は「タッグを組んで」内部告発者を糾弾したのである。


*** かき消された検察の裏金問題 ***
 逮捕当日の夕刊で、毎日新聞は関連記事の見出しに「明治以来の不祥事」という表現を使った。「明治以来の不祥事」とは、ピーク時に年間5億円以上に上っていた調査活動費が裏金に流用されているという疑惑のことではない。暴力団関係者との不動産取引に絡んで47万円の利益を得たなどと疑われた三井の逮捕のことだ。

 社説はどうだったか。翌日4月23日付の朝日新聞は「日本の検察官の信頼を著しく失墜される事件」と書いた。5月31日付の読売新聞は「今回の事件ほど国民の検察に対する信頼を損なったものはない」、6月4日付の日本経済新聞は「歴代の検察首脳の責任は極めて重い」と指摘した。いずれも裏金疑惑ではなく、「悪徳検事・三井」への言及だ。

 どの社説も裏金疑惑には申し訳程度に触れているだけだった。後半で「検察は『私的流用の事実はない』という根拠を可能な限り示すべき」(読売)、「検察は特別チームを作って徹底調査と結果公表に踏み切るべき」(日経)などと指摘。大新聞は自ら調査報道班を立ち上げて、徹底調査する発想はなかったのだろうか。

 三井自身はホームページ上で、拘置所内で逮捕時の報道を初めて読んだ時を振り返り、「逮捕された時に、いかにひどく報道されていたかを知って驚愕。マスコミにも怒りがわいてきた」と書いている。

 三井は詐欺・職権乱用に加えて収賄罪でも起訴され、6年後の2008年、最高裁で実刑が確定した。懲役1年8ヵ月、罰金22万円。一方、法務・検察当局は調査活動費の流用を否定し続け、今も裏金疑惑は解明されていない。

 法務・検察当局が裏金疑惑解明に自ら動かないとすれば、頼りになるのはマスコミだけだ。しかし大新聞は、裏金疑惑への関心を失ってしまったようだ。報道機関は本来、内部告発者自身が抱える問題とは別に、内部告発者が提供した情報が真実なのかどうか、独力で調査するよう求められているのに、である。

 内部告発者の匿名性はどうか。



 三井事件では、内部告発者は匿名のままではマスコミから期待通りの協力を得られなかった。逮捕後、裁判などを通じて実名で告発する形になっても、大新聞は基本的に「内部告発者は犯罪人。だから信頼できない」という論調に終始。テレビや週刊誌を中心に「三井逮捕は口封じ」との特集もあったが、大勢に影響はなかった。

 ペンタゴンペーパー事件でもアフガン戦争日記事件でも、大新聞は内部告発者の匿名性を守ったまま報道に踏み切った。前者では、エルスバーグが内部告発者であることが早い段階で判明するが、大新聞が実名告発を求めたわけではなかった。後者では、「匿名での内部告発」を標榜するウィキリークスが情報源になっている。

 内部告発者の匿名性が最も話題になったのがウォーターゲート事件だ。連邦捜査局(FBI)の元副長官マーク・フェルトが「ディープスロートはわたし」と名乗りを上げるまで、数十年間にわたって匿名性は守られた。実名告発に頼らずとも、大新聞が調査報道によって証拠を集め、報道したため、事件の全貌はとっくの昔に明らかにされている。

 三井事件は、アフガン戦争日記やペンタゴンペーパー事件などとはスケールも性質も異なる。だが、大新聞が「内部告発者の犯罪」か「政府の悪事」のどちらに力点を置くのかを点検するうえで、比較材料になる。

 47万円の詐欺容疑などで逮捕され、「悪徳検事」のレッテルを張られた三井。一方、国家反逆罪に問われながらも刑務所送りを免れ、「英雄」と呼ばれたエルスバーグ。「政府の悪事」を暴くという点で、三井は失敗し、エルスバーグは成功した。2人の運命がこんなに違ってしまった一因は、大新聞の報道姿勢にもあるのではないか。

 権力のチェック役として情報源(内部告発者)を守り、「政府の悪事」究明に全力を上げる――。こんな姿勢を見せない限り、ウィキリークスは日本の大新聞に期待しないだろう。

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2010.4.27JBPRESS 財政再建のウルトラC──松谷明彦・政策研究大学院大教授

日本の財政状況は先進国で最悪になった。国の借金は900兆円に達し、対GDP(国内総生産)比率では危機に直面するギリシャをはるかに上回る。1400兆円規模の個人金融資産が巨額の財政赤字を穴埋めしてきたが、高齢化の進展でそれも先細りを避けられない。

 果たして財政再建にウルトラCはあるのか。政策研究大学院大学の松谷明彦教授(元大蔵省大臣官房審議官)はJBpressのインタビューで、膨らみ続ける国債残高は「もはや返せる水準ではない」と断言した。その上でかつての英国に倣い、「コンソル公債」を発行して国債元本の返済を半永久的に先送りするしかないと指摘。それだけでは日本の信用力が凋落してしまうから、憲法を改正して新たな国の借金を禁止すべきだと提唱している。(2010年4月8日取材、前田せいめい撮影)

JBpress 日本は財政再建にどう取り組むべきか。

松谷明彦教授 今の財政の問題を解決するため、増収策つまり税負担を引き上げようとするのは大きな間違い。それで解決するわけがない。

 戦後、日本は福祉国家を目指し、国民1人当たりの財政支出はずっと拡大してきた。ところが、増税したことがない。1955~2005年までの50年間で1人当たりの財政支出は国と地方合計でおよそ10倍に拡大した。にもかかわらず、その間に増税したのはたった1回だけだ。

 なぜ、増税しないのに1人当たりの財政支出を増やせたのか。それは、若い人口すなわち納税者の割合が増えたからだ。それで増税せずに済んだ。また、経済規模の拡大に伴う自然増収にも一理ある。歳出が伸びても、歳入も伸びていたから財政のバランスが取れていた。

 しかし、これから起こるのは歳入の横ばい。高齢化に伴って働く人の割合がどんどん減っていくからだ。ロボットなど技術の進歩で1人当たりの生産性が上昇するため、1人当たりの国民所得は下がることはないが、概ね横ばいになる。

 1人当たりの国民所得が増えていれば、税率を変えなくても税収は増える。これが横ばいになると何が起こるのか。増税が1回で済まず、毎年のように必要になってしまうのだ。これは完全な財政破綻を招くから、現実的な選択肢にはなり得ない。

 では、どうしたらよいのか。歳出増加の傾きを落とさなくてはならない。それなら1回の増税で済む。まずこれを行い、その上で政府の規模をどうするか議論すればよい。

 今後、1人当たりの財政支出は放っておくと増え続ける。なぜなら、財政支出が必要なのは若い人ではなく、お年寄りの世代だから。それなのに政治家はバラマキを行っている。これが最大の問題と言えるだろう。

相当な痛みを伴うが、1人当たりの歳出削減が不可欠

━━ 歳出増加の角度を落とすとは、どういうことか。

松谷氏 お年寄りの割合が増えても、1人当たりの財政支出を伸びなくすれば、人口の減少とともに財政支出は減少する。それも比例的に減少するような世界に持っていくわけで、これには相当な痛みを伴う。

 今はお年寄りの割合が増えるに従い、1人当たりの財政支出も増える仕組みになっている。それを税収で賄い続けることは絶対に不可能。プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化という生易しいものではなく、真に抜本的な改革が必要だ。

その実現が大変なのは言うまでもない。きちんとしたタイムテーブルに基づき、人口高齢化の速度に合わせて1人当たりの歳出を削減するプログラムをつくらなくてはならない。(医療や福祉などの)サービスそのものは低下させずに、お金のかからないシステムを構築する。

 社会福祉と福祉は違う。数十年前、日本で社会福祉がほとんど発達していなかった当時、高齢者はどうやって生きていたのか。今に比べれば割合も人数も少なかったけれども、家族や地域に助けられて生きてきた。

 それこそが福祉であり、基本的に相互扶助のことなのだ。国がしてくれなくても、助け合ってちゃんと生きてきた。ところが今や、政府が高齢者を丸抱えしている。

 スウェーデンでは例えば、中年の婦人が隣のお年寄りの面倒を見るとお金がもらえる。場合によっては自分の家でお風呂に入れてあげたりする。

 本来、大抵の高齢者社会はこれで済み、専門のヘルパーや施設が必要になる状況は多くない。ボランティアではなく、「本来なら国がやるべき福祉をこの人たちがやってくれる」ため、当然その報酬を税金で払うべきだということになる。

 そうすれば、デイケアセンターなど箱モノがいらない。それをオペレーションする役人も不要になる。今だと100の税金があったら、高齢者に行くのはせいぜい20~30ぐらい。残り70のうち3分の1ずつが役人、箱モノ、業者に回っている。しかし、オバサンが隣のオバアチャンの面倒をみるなら、役人も箱モノも業者もいらない。

 こうしたことを徐々に進めれば、サービスのレベルをあまり落とさずに財政支出の額は減っていく。1人当たりの歳出を横ばいにするには、きちんとしたプログラムが必要になる。国民の意識を相当変えなければならない。国に頼るのではなく皆でやりましょう、でもお金は国が出してくれますよ――。そういう風に考え方を変えていけば、スウェーデンのようにやっていける。

法人税率引き下げは逆効果、企業優遇「ぬるま湯」政策を改めよ
 ━━ 税制はどう改革すべきか。

 松谷氏 経済成長率を高めた上で税収を増やす(「上げ潮」政策を取る)考えの人がいるが、現実にはあり得ない。

 ━━ 経済界は法人税率の引き下げを求めているが。

 松谷氏 「日本は実効税率40パーセントで欧州などよりずっと高い」と言うのだが、日本では租税特別措置(による減税)が非常に大きい。トータルで考えなければいけない。

 また日本では、企業が動きやすいように国が助けている。公共事業にしても産業基盤の整備が多い。企業の都合のいいように、あまり必要のない公共事業も行っている。今はエコカーを買うと何十万円というお金を国が負担してくれる。

 あらゆる分野で企業が国に助けてもらっている。法人税の税率だけ取り上げて議論しても意味がない。実際には日本ほど企業がやりやすい国はない。そのためにものすごく税金が使われている。べら棒に法人が優遇されているのが日本社会。超低金利を維持してきたのも企業のためであり、それも実質的な「補助金」と言わざるを得ない。

その結果、日本企業の体質がものすごく弱くなった。国際競争力がどんどん落ちている。「ぬるま湯」政策を改めるべきであり、法人税を特段いじる必要はない。

 今はつくるモノの量に対して購買力が不足しているから、デフレに陥っている。デフレが続いているのに、なぜ法人税減税でモノをつくりやすくするのか。そうではなく、モノを買いやすくしないとデフレギャップは縮まらない。

やるなら所得税減税、「途上国モデル」を脱せない日本企業
 ━━ 日本が長期低迷を脱するため、最も求められる経済対策は何か。

 松谷氏 一番よいのは、何もやらないこと。どうしてもやりたいなら、所得税減税だ。最悪が法人税減税になる。無理矢理に企業の負担を軽くすると、普段なら手を出さないビジネスチャンスにも手を出してしまう。資源の最適配分の点で深刻な問題が生じる。

 今、日本は普及品をつくる中国や韓国と同じレベルで競争しており、高級品をつくる米国や欧州とは土俵が違う。

 戦後、日本は外国の技術を導入して大量に安くモノをつくり、発展してきた。しかし、ある程度の段階で「薄利多売」から脱して利幅の大きい商品をつくる経営モデルに変えるべきなのに、できなかった。未だに「途上国モデル」だから、中国や韓国に追い付かれてしまうと悲鳴を上げている。

 なぜ途上国モデルのままなのか。そのモデルで成功を収めた人が社長に就いているからだ。モデルを変えるのは社長をクビにすることになる。政治・行政と同様、産業界も旧態依然と言うべきであり、その辺りを直さないと日本経済は決して良くならない。

 ただ旧モデルが「オリエンタル・ミラクル」というあまりに輝かしい成功を収めたから、皆が「それでいいじゃないか」と思っている。その一方で、新興国がどんどん追い上げてくる。人口減少をはじめ日本国内に深刻な問題が山積しているのに、昔ながらの途上国モデルを維持している方がおかしい。

 もうそろそろリーダーの交代が、きちんとした形で行われなければならない。「政権交代」と鳴り物入りで騒がれたが、結局、民主党もまた現状肯定の保守勢力に過ぎず、将来に向けた布石が全く見られない。この大事な時に、日本国民にとって不幸と言わざるを得ない。


*日銀は利上げせよ! 資源の最適配分を目指せ!

 ━━ 日銀はどのような金融政策を展開すべきか。


松谷氏 日銀は政策金利を引き上げるべきだ。

 利上げしないから資源の最適配分が行われず、本当に必要なところにお金が回らない。変な投資家ではなく、先端技術の開発などに回すべきだ。金利があまりにも低いため、他の国だったら消えたはずの産業が日本では生き残っている。これでは資源を食いまくるだけで、上向きの力が出てこない。

 世界的に見ると、日本の企業はものすごく非効率だ。つまり量はつくっているが、儲けが出ていない。これを改善するには、非効率な部分を切り捨てるしかない。

 そして余力を高い技術を持つ企業に振り向ける。そのために一番よいのが、金利を引き上げることだ。そうすれば、金利より低い利益率の投資は全て駄目になる。米連邦準備制度理事会(FRB)は「出口戦略」で必ずこれをやる。

もはや返せぬ国の借金、「コンソル公債」で元本先送りを
 ━━ 900兆円にも達する国の借金をどう返済していくか。

 松谷氏 もはや、返せない水準にまで積み上がってしまった。国債の元本返済は先送りし、利払いだけを行うしかない。先送りといっても今の元本を先送りするわけではなく、新たに発行する「コンソル公債」で旧国債を借り換えていく。

 コンソル公債に還債期限はなく、国が返したくなった時に返す。固定金利で発行するが、30年物国債との金利差は1%以下で済むだろう。

 当然、批判は出てくるが、デフォルト(債務不履行)ではない。言ってみれば、社債を株式に変える転換社債のようなもの。ただし、配当(=発行金利)は確定している。その代わり、憲法を改正して「今後、国は借金を一切しない」と明記する。その上でやらなければ、絶対に誰も納得しない。

 確かに子供の教育上はよくない。しかしマイナス効果はそれぐらいであり、「大人の知恵」ということ。国民に塗炭の苦しみを味わせないためには、こういう手もあるのではないか。国債を持っている人は売ることもできるし、誰も困らない。発行金利がそれほど上がるわけではなく、国民の負担が増えるわけではない。

 既に日本の信用は「ない」に等しい。国の借金を返せるとは誰も思っていないし、フィクションが続いているだけ。コンソル公債発行でデフレも起きなくなるし、これ以上は財政赤字を増やさないと宣言した方がよっぽど信用が上がる。

 ━━ 「日銀が新発債を引き受ければよい」という議論にならないか。

 松谷氏 それは全然違う。日銀が引き受けると新たなマネーがどんどん出てくるため、インフレを招いてとんでもない話になる。利権に繋がる公共事業も増えてしまう。

 (憲法改正で)これ以上の借金をできなくすれば、無駄な事業はたちまちストップする。足元の歳入の範囲内でやれということになり、財政は急速に小さくなる。

だから一気にやるのではなく、10~20年程度の長期計画で減らしていく。社会福祉や公共事業全部含め、大きな痛みを伴うことにはなるが・・・。

 ━━ 松谷氏出身の財務省はそうした研究を行っているのか。

 松谷氏 していない。「金庫番」とはそういうものだ。現状をうまく調整し、日々の帳尻は合わせることができても、国の将来を長期的に考えることは不得意。同時に、現状を打破して将来に向けて構造改革を進めることもしないものだ。

 そんな行動を取っていたら、ずっと政権の中枢にはいられなかった。中枢にいることこそが金庫番の仕事を全うするための前提条件となり、それが財務省の価値観であり文化だ。常に与党だから、野党であることはあり得ない。

ギリシャ破綻と日本をダブらせる愚 4種類ある「政府の負債」を混同するから本質を見誤る!

2010年8月11日(水)07:00 日経ビジネス

我が国は、自国の首相までもが「日本政府の負債」と「ギリシャ政府の負債」を混同し、懸命に破綻論を喧伝する摩訶不思議な国である。性質が全く異なる日本政府とギリシャ政府の負債を、「絶対額」のみで比較し、

「日本の借金の状況は、ギリシャよりも悪い。ギリシャは破綻した。よって日本も破綻する」

 などと、単純論を主張していれば、仕事をしたことになるわけであるから、この手の政治家やテレビのコメンテーターの皆さまが、時折、心底から羨ましくなる。この手の主張をする人々は、「政府の負債(財務省式に言うと『国の借金!』)」の「種別」について、考えたこともないのであろう。


買いオペで金利を抑制すれば済むだけの話

 ざっと分類するだけで、「政府の負債」は以下の4つに分けられる。

I. 政府が自国通貨建てで自国から借りた負債
II. 政府が自国通貨建てで他国から借りた負債
III. 政府が外貨建てで他国から借りた負債
IV. 政府が共通通貨建てで他国から借りた負債

 ギリシャ政府の負債の7割は IV に当たり、日本政府発行の国債の95%が I である。さらに日本政府の場合、外国人が保有する国債についても II に該当する。すなわち日本の場合、過去に発行した国債の、ほぼ100%が日本円建てなのである。

 ちなみに、アメリカ政府の負債はIとIIが半分ずつで、2001年に破綻したアルゼンチン政府の負債の多くは III であった。

 債権者が国内投資家だろうが、あるいは海外投資家だろうが、国債が自国通貨建てである限り、現在のギリシャが陥っているような「政府のデフォルト(債務不履行)」の危機は生じ得ない。政府の資金調達、すなわち国債発行時の金利水準が上がっていけば、中央政府が国債を買い取る(=買いオペレーション)ことで、金利を抑制すれば済むだけの話なのだ。


ギリシャ式財政破綻は「ユーロ加盟国」しかない

 ところが、ギリシャのように共通通貨建て(あるいはアルゼンチンのように外貨建て)で国債を発行してしまうと、話はまるで変わってくる。何しろ、ユーロ加盟国であるギリシャは、金利調整の機能をECB(欧州中央銀行)に委譲してしまっている。ギリシャ政府は、自国の長期金利を調整する権限を、全く持ち合わせていないのである。

 国債を増発し、長期金利が上昇していった場合に、ギリシャ政府には打つ手が全くない。普通の国が自国通貨建て国債を発行しているのであれば、中央銀行が国債を買い取れば金利は抑制できる。ところがギリシャの場合、自国で金利を調整することは全く不可能なのだ。それが可能なのは、ECBのみなのである。

 そして「ユーロ圏の中央銀行」であるECBが、ギリシャ一国のために金融政策を歪めることはできない。これこそが、現在のユーロ圏を揺るがす、複数の加盟国が抱える財政問題の本質なのだ。ギリシャ式の財政破綻は、「ユーロ加盟国」でなければ、決して発生し得ない性質のものなのである。

以上の通り、ユーロ加盟国であるが故の「特殊事情」を抱えるギリシャと、政府が国内の過剰貯蓄を借り受けているだけの日本政府について、「負債の絶対額」のみで比較し、「破綻だ! 破綻だ!」と騒ぎ立てる。果たしてこれら「破綻論」を主張する人々は、日本国債の保有者別内訳などのデータを、過去に一度でも目にしたことがあるのだろうか。甚だしく疑問である。

国債などの負債が自国通貨建てである限り、政府は自国の中央銀行を通じて長期金利の調整が可能だ。長期金利とは、ずばり政府が資金調達(例:国債発行など)する際のコストである。

 政府が国債を増発すると、長期金利が上昇を始める。金利上昇を抑制するために、中央銀行が買いオペレーションで国債を買い取っていくと、代わりに通貨(厳密には流動性)が金融市場に供給され、インフレ率が上がっていく。


インフレ率が1万3000%になるとでも?

 破綻論者の中には、このロジックをとらえて、

「政府が国債を増発し、中央銀行が国債を買い取ると、ハイパーインフレーションになる!」

 などと、極論を言い出す人もいる。ちなみに、ハイパーインフレーションとは、インフレ率が1万3000%に達することである。この用語を使う人は、果たしてきちんと定義を踏まえた上で使っているのだろうか。もちろん、そんなことはない。

 「ハイパーインフレーション」という用語を使う人々は、センセーショナルに国民や社会を煽ること、それ自体を目的としていると考えて間違いない。あるいは、単に「無知」であるか、いずれかであろう。

 史上まれに見るデフレーションに悩む日本が、ハイパーインフレーションになる可能性など、月が地球に落ちてくる確率よりも少ない。それ以前に、この手のセンセーショナルな用語を使う人は、そもそも国民経済における「政府の役割」について、全く理解していないと断言できる。

 

資本主義経済における政府の役割とは、本来的には、

「民間経済が健全に成長するように、需給や金利、物価などを調整すること」

 に尽きるのだ。インフレ下で国内の供給が足りないのであれば、増税や政府支出削減により需要を減らす。逆に、現在の日本のように需要が足りないデフレ環境下では、減税や財政出動により需要を増やす。

 その際に、金利水準や物価がボトルネックになるため、中央銀行と連携し、極端な金利上昇や高インフレを生じさせないようにする。政府が国家経済に果たすべき役割とは、基本的にはこれだけなのだ。


民間経済の「行き過ぎ」調整こそが政府の役割

 現在の日本は、デフレ下で「民間の資金需要がない」という問題を抱えている。民間の家計が消費を増やさず、企業も借入や投資を増やさない。結果、国家経済全体で需要不足が生じており、金利水準が極端に下がり、物価も下落傾向が続いている。

 この場合、当然ながら政府の役割は「金利水準や物価を眺めながら」財政出動で支出を増やし、不足している需要をカバーすることになる。なぜならば、資本主義経済において、政府は家計や企業などの民間経済主体に「金を使え!」と強制することはできない。「金の使い過ぎ(インフレ)」にせよ、「金の使わな過ぎ(デフレ)」にせよ、民間経済主体の「行き過ぎ」を調整することこそが、政府に求められる役割なのである。

 ところが、日本国内の政治家や評論家たちは、民間に資金需要がなく、国内の過剰貯蓄を政府が借り入れている日本と、国内の貯蓄が不充分で、経常収支赤字国であるギリシャを「政府の負債の絶対額」のみで比較し、大騒ぎを繰り広げる。しかも、その際に「政府の負債の種類」について、誰も述べようとしない。

 まさしく「異様」としか表現しようがないわけだ。

 政府の負債問題(しつこいが、財務省式に言うと「国の借金!」問題)について考える際は、少なくとも以下の3つを考慮しなければならない。

(1) 政府は誰から
お金借りているのか? : 国内投資家? 海外投資家?
(2) 通貨は何建てか? : 自国通貨建て? 外貨建て?(共通通貨建て?)
(3) 政府がお金を借り
「何」に使ったのか? : 所得移転系? 公共投資?

 ギリシャ政府は外国(主にドイツやフランス)から、自国で金利を調整できないユーロ建てでお金を借り、それを公務員手当や年金などの「所得移転系」の支出に使っていた。より大雑把な書き方をすると、ギリシャ政府は外国からお金を借り、自国民に「バラまいて」いたわけである。


 前回(第1回)、日本政府は国債を増発し、子ども手当のような「所得移転系」ではなく、公共投資などの「日本国民の生活水準を維持する」「日本の産業力を強化する」ための支出にお金を振り向けるべきであると書いた。

 公務員手当だろうが、年金だろうが、あるいは子ども手当だろうが、「所得移転系」の支出とは、しょせんは政府の銀行口座から家計の銀行口座にお金が移るに過ぎないのだ。それ自体では、単なる「政府から家計への仕送り」あるいは「政府から家計への贈与」に過ぎず、景気拡大の効果は全くない。


「子ども手当て」は、たちの悪い賭け

 無論、政府から家計に振り込まれたお金が消費に回れば、GDPの最終消費支出項目(いわゆる個人消費)が成長する。だが、お金が貯蓄のまま、家計の銀行口座で凍り付いてしまう可能性を、誰も否定できないのだ。要するに「賭け」なのである。

 現在の日本のように、国内の支出不足(=需要不足)に悩んでいる状況で、何が悲しくて、子ども手当のような「賭け」に政府がお金を使わなければならないのだろうか。

 どうせお金を使うのであれば、確実に国内に需要が生まれる分野に絞るべきだ。デフレに悩む国家が、経済成長と無関係な(可能性がある)分野に何兆円ものお金を使うなど、まさしく「ムダ」以外の何物でもない。

 ギリシャの破綻が日本に教えてくれた教訓は、確かに存在する。だが、それは決して、

「ギリシャ政府は破綻した。日本の財政はギリシャより悪い。だから破綻する!」

 などと、“評論家”たちがセンセーショナルに煽っている件ではない。

 そうではなく、政府が支出を拡大し、国内に需要を生み出したいのであれば、子ども手当などの所得移転系ではなく、「国民生活水準の維持」や「将来の成長」のためにお金を使うべきであるという、まさしくその点なのだ。


経済成長こそ、すべての解

 ギリシャは労働組合の力が極端に強く、公務員手当てや年金などの所得移転系の支出について、政府が削減することはできなかった。結果、ギリシャ政府は「外国から借り、国内に手当てとしてバラまく」という政策に陥らざるを得ず、最終的に破綻した。

 日本政府は、ギリシャの轍を踏んではならない。手当てなどの所得移転系ではなく、成長のためにこそお金を使おう。

 日本が経済成長路線に復帰し、名目GDPが健全に成長していけば、政府の負債問題は次第に小さくなっていく。(インフレの中で、負債の価値が減少していくため)悪戯にギリシャを引き合いに出し、日本の財政問題を煽ったところで、問題は何一つ解決しない。

 現在の日本に必要なのは、マスコミが喜ぶセンセーショナリズムではない。経済成長なのだ。

 経済成長こそが、すべての解なのである。

資本主義経済における政府の役割とは、本来的には、

「民間経済が健全に成長するように、需給や金利、物価などを調整すること」

 に尽きるのだ。インフレ下で国内の供給が足りないのであれば、増税や政府支出削減により需要を減らす。逆に、現在の日本のように需要が足りないデフレ環境下では、減税や財政出動により需要を増やす。

 その際に、金利水準や物価がボトルネックになるため、中央銀行と連携し、極端な金利上昇や高インフレを生じさせないようにする。政府が国家経済に果たすべき役割とは、基本的にはこれだけなのだ。


民間経済の「行き過ぎ」調整こそが政府の役割

 現在の日本は、デフレ下で「民間の資金需要がない」という問題を抱えている。民間の家計が消費を増やさず、企業も借入や投資を増やさない。結果、国家経済全体で需要不足が生じており、金利水準が極端に下がり、物価も下落傾向が続いている。

 この場合、当然ながら政府の役割は「金利水準や物価を眺めながら」財政出動で支出を増やし、不足している需要をカバーすることになる。なぜならば、資本主義経済において、政府は家計や企業などの民間経済主体に「金を使え!」と強制することはできない。「金の使い過ぎ(インフレ)」にせよ、「金の使わな過ぎ(デフレ)」にせよ、民間経済主体の「行き過ぎ」を調整することこそが、政府に求められる役割なのである。

 ところが、日本国内の政治家や評論家たちは、民間に資金需要がなく、国内の過剰貯蓄を政府が借り入れている日本と、国内の貯蓄が不充分で、経常収支赤字国であるギリシャを「政府の負債の絶対額」のみで比較し、大騒ぎを繰り広げる。しかも、その際に「政府の負債の種類」について、誰も述べようとしない。

 まさしく「異様」としか表現しようがないわけだ。

 政府の負債問題(しつこいが、財務省式に言うと「国の借金!」問題)について考える際は、少なくとも以下の3つを考慮しなければならない。

(1) 政府は誰から
お金借りているのか? : 国内投資家? 海外投資家?
(2) 通貨は何建てか? : 自国通貨建て? 外貨建て?(共通通貨建て?)
(3) 政府がお金を借り
「何」に使ったのか? : 所得移転系? 公共投資?

 ギリシャ政府は外国(主にドイツやフランス)から、自国で金利を調整できないユーロ建てでお金を借り、それを公務員手当や年金などの「所得移転系」の支出に使っていた。より大雑把な書き方をすると、ギリシャ政府は外国からお金を借り、自国民に「バラまいて」いたわけである。


 前回(第1回)、日本政府は国債を増発し、子ども手当のような「所得移転系」ではなく、公共投資などの「日本国民の生活水準を維持する」「日本の産業力を強化する」ための支出にお金を振り向けるべきであると書いた。

 公務員手当だろうが、年金だろうが、あるいは子ども手当だろうが、「所得移転系」の支出とは、しょせんは政府の銀行口座から家計の銀行口座にお金が移るに過ぎないのだ。それ自体では、単なる「政府から家計への仕送り」あるいは「政府から家計への贈与」に過ぎず、景気拡大の効果は全くない。


「子ども手当て」は、たちの悪い賭け

 無論、政府から家計に振り込まれたお金が消費に回れば、GDPの最終消費支出項目(いわゆる個人消費)が成長する。だが、お金が貯蓄のまま、家計の銀行口座で凍り付いてしまう可能性を、誰も否定できないのだ。要するに「賭け」なのである。

 現在の日本のように、国内の支出不足(=需要不足)に悩んでいる状況で、何が悲しくて、子ども手当のような「賭け」に政府がお金を使わなければならないのだろうか。

 どうせお金を使うのであれば、確実に国内に需要が生まれる分野に絞るべきだ。デフレに悩む国家が、経済成長と無関係な(可能性がある)分野に何兆円ものお金を使うなど、まさしく「ムダ」以外の何物でもない。

 ギリシャの破綻が日本に教えてくれた教訓は、確かに存在する。だが、それは決して、

「ギリシャ政府は破綻した。日本の財政はギリシャより悪い。だから破綻する!」

 などと、“評論家”たちがセンセーショナルに煽っている件ではない。

 そうではなく、政府が支出を拡大し、国内に需要を生み出したいのであれば、子ども手当などの所得移転系ではなく、「国民生活水準の維持」や「将来の成長」のためにお金を使うべきであるという、まさしくその点なのだ。


経済成長こそ、すべての解

 ギリシャは労働組合の力が極端に強く、公務員手当てや年金などの所得移転系の支出について、政府が削減することはできなかった。結果、ギリシャ政府は「外国から借り、国内に手当てとしてバラまく」という政策に陥らざるを得ず、最終的に破綻した。

 日本政府は、ギリシャの轍を踏んではならない。手当てなどの所得移転系ではなく、成長のためにこそお金を使おう。

 日本が経済成長路線に復帰し、名目GDPが健全に成長していけば、政府の負債問題は次第に小さくなっていく。(インフレの中で、負債の価値が減少していくため)悪戯にギリシャを引き合いに出し、日本の財政問題を煽ったところで、問題は何一つ解決しない。

 現在の日本に必要なのは、マスコミが喜ぶセンセーショナリズムではない。経済成長なのだ。

 経済成長こそが、すべての解なのである。

資本主義経済における政府の役割とは、本来的には、

「民間経済が健全に成長するように、需給や金利、物価などを調整すること」

 に尽きるのだ。インフレ下で国内の供給が足りないのであれば、増税や政府支出削減により需要を減らす。逆に、現在の日本のように需要が足りないデフレ環境下では、減税や財政出動により需要を増やす。

 その際に、金利水準や物価がボトルネックになるため、中央銀行と連携し、極端な金利上昇や高インフレを生じさせないようにする。政府が国家経済に果たすべき役割とは、基本的にはこれだけなのだ。


民間経済の「行き過ぎ」調整こそが政府の役割

 現在の日本は、デフレ下で「民間の資金需要がない」という問題を抱えている。民間の家計が消費を増やさず、企業も借入や投資を増やさない。結果、国家経済全体で需要不足が生じており、金利水準が極端に下がり、物価も下落傾向が続いている。

 この場合、当然ながら政府の役割は「金利水準や物価を眺めながら」財政出動で支出を増やし、不足している需要をカバーすることになる。なぜならば、資本主義経済において、政府は家計や企業などの民間経済主体に「金を使え!」と強制することはできない。「金の使い過ぎ(インフレ)」にせよ、「金の使わな過ぎ(デフレ)」にせよ、民間経済主体の「行き過ぎ」を調整することこそが、政府に求められる役割なのである。

 ところが、日本国内の政治家や評論家たちは、民間に資金需要がなく、国内の過剰貯蓄を政府が借り入れている日本と、国内の貯蓄が不充分で、経常収支赤字国であるギリシャを「政府の負債の絶対額」のみで比較し、大騒ぎを繰り広げる。しかも、その際に「政府の負債の種類」について、誰も述べようとしない。

 まさしく「異様」としか表現しようがないわけだ。

 政府の負債問題(しつこいが、財務省式に言うと「国の借金!」問題)について考える際は、少なくとも以下の3つを考慮しなければならない。

(1) 政府は誰から
お金借りているのか? : 国内投資家? 海外投資家?
(2) 通貨は何建てか? : 自国通貨建て? 外貨建て?(共通通貨建て?)
(3) 政府がお金を借り
「何」に使ったのか? : 所得移転系? 公共投資?

 ギリシャ政府は外国(主にドイツやフランス)から、自国で金利を調整できないユーロ建てでお金を借り、それを公務員手当や年金などの「所得移転系」の支出に使っていた。より大雑把な書き方をすると、ギリシャ政府は外国からお金を借り、自国民に「バラまいて」いたわけである。


 前回(第1回)、日本政府は国債を増発し、子ども手当のような「所得移転系」ではなく、公共投資などの「日本国民の生活水準を維持する」「日本の産業力を強化する」ための支出にお金を振り向けるべきであると書いた。

 公務員手当だろうが、年金だろうが、あるいは子ども手当だろうが、「所得移転系」の支出とは、しょせんは政府の銀行口座から家計の銀行口座にお金が移るに過ぎないのだ。それ自体では、単なる「政府から家計への仕送り」あるいは「政府から家計への贈与」に過ぎず、景気拡大の効果は全くない。


「子ども手当て」は、たちの悪い賭け

 無論、政府から家計に振り込まれたお金が消費に回れば、GDPの最終消費支出項目(いわゆる個人消費)が成長する。だが、お金が貯蓄のまま、家計の銀行口座で凍り付いてしまう可能性を、誰も否定できないのだ。要するに「賭け」なのである。

 現在の日本のように、国内の支出不足(=需要不足)に悩んでいる状況で、何が悲しくて、子ども手当のような「賭け」に政府がお金を使わなければならないのだろうか。

 どうせお金を使うのであれば、確実に国内に需要が生まれる分野に絞るべきだ。デフレに悩む国家が、経済成長と無関係な(可能性がある)分野に何兆円ものお金を使うなど、まさしく「ムダ」以外の何物でもない。

 ギリシャの破綻が日本に教えてくれた教訓は、確かに存在する。だが、それは決して、

「ギリシャ政府は破綻した。日本の財政はギリシャより悪い。だから破綻する!」

 などと、“評論家”たちがセンセーショナルに煽っている件ではない。

 そうではなく、政府が支出を拡大し、国内に需要を生み出したいのであれば、子ども手当などの所得移転系ではなく、「国民生活水準の維持」や「将来の成長」のためにお金を使うべきであるという、まさしくその点なのだ。


経済成長こそ、すべての解

 ギリシャは労働組合の力が極端に強く、公務員手当てや年金などの所得移転系の支出について、政府が削減することはできなかった。結果、ギリシャ政府は「外国から借り、国内に手当てとしてバラまく」という政策に陥らざるを得ず、最終的に破綻した。

 日本政府は、ギリシャの轍を踏んではならない。手当てなどの所得移転系ではなく、成長のためにこそお金を使おう。

 日本が経済成長路線に復帰し、名目GDPが健全に成長していけば、政府の負債問題は次第に小さくなっていく。(インフレの中で、負債の価値が減少していくため)悪戯にギリシャを引き合いに出し、日本の財政問題を煽ったところで、問題は何一つ解決しない。

 現在の日本に必要なのは、マスコミが喜ぶセンセーショナリズムではない。経済成長なのだ。

 経済成長こそが、すべての解なのである。


 

2010/08/09 12:55(特別記者・編集委員 田村秀男/SANKEI EXPRESS)

日本国債が買われ、10年物国債利回りで代表される長期金利は8月4日には1%を割り込んだ。本来だと、結構な話である。住宅ローン金利は下がることになるし、「ギリシャの二の舞い」だと菅直人首相が騒いだ日本の財政危機説もどこかに吹っ飛んだ。だが、国債ブームはカネがあっても流れない日本を象徴している。われわれがためたカネは国債に変じ、ビジネスは停滞し、株式市場には閑古鳥が鳴く。

 ■「死病」の状態

 金融用語でいうカネ、またはマネーとは、現預金の総合計「M2」で表される。各月のM2の年間増加額は昨年3月ごろまでは十数兆円だったが、4月以降は急増し、最近では二十数兆円のペースで膨張を続けている。対照的なのが株価である。グラフからも分かる通り、マネーの膨張が鈍化するときには株価は上昇し、株価が下落基調になるとマネーは再び増殖する。

 個人や企業が株を売却して得た資金はそのまま銀行預金となる。銀行側は貸し出しに回さず、最も安全な資産でいつでも現金に置き換えられる国債で運用する。銀行は最近、貸し出しを前年比で10兆円前後も減らし、国債を30兆円前後も増やしている。つまり、カネは国債の冷凍庫にお蔵入り、というわけである。

 経済を人間の体に例えると、おカネは血液である。血液は体にあふれんばかりなのだが、体の中を回らないのだから、細胞分裂は起きず、老化が進む。脳細胞も衰弱し、思考も停止する。日本が元気になるどころか、死病にかかっていることになる。

 ■司令塔が不在

 どうすればよいのだろうか。答えは明々白々、死蔵されている日本のカネを溶かし、流れるようにすることだ。

 カネの行き場はどこか。企業の設備投資だったり、個人消費と誰もが思いつくのだが、何しろデフレ不況で企業にその気はうせ、個人もカネを使わず現金か預金にしておいたほうがましだと考える。

 ならば、政府の公共事業などにより需要を作り出せばよいのだが、国家の債務残高が国内総生産(GDP)の2倍近くになっている中ではなかなか踏み切れない。それどころか、菅首相は消費税増税による「財政健全化」のほうに頭がいっぱいだ。増税して財源をつくり、その一部を新成長分野に投入してデフレを克服するという論法なのだが、経済が再生する前にデフレ病のほうがもっと悪化してしまう恐れのほうが強い。増税を先送りし大胆な財政支出拡大策に転換する決断が必要なのだが、菅政権にはそんな経済の司令塔がいない。

 ■妙手は円安誘導

 経済政策はまさに八方ふさがりでどうにもならないように見えるが、妙案がないわけではない。手っ取り早い行き先は株式市場であり、促すのは円安である。株式市場に有り余るカネが再び流れ出せば、株価は上昇するので、さらに余剰資金が入ってくる好循環が生まれる。日本の株価は円安で上昇し、円高とともに下落する基調がここ数年間定着している。円安誘導は金融政策で可能だ。

 現代の通貨の相場というのは、主要国との交換レート、とりわけ対ドル相場をさす。米国の中央銀行である米連邦準備制度理事会(FRB)は2008年9月のリーマン・ショック以来、ドル発行量を2.3倍にも増やしている。対照的に日銀は円資金の発行量をほとんど増やしていない。日銀はいくら日銀券を刷っても無駄だと言い張るのだが、凍り付いたカネは動かないのだから、市場にないのも同然である。そうなると大量に垂れ流されるドルに対する円の量は圧倒的に少ないのだから、市場での円の対ドル相場は上がる。逆に円資金を大量に刷って市場に注入すれば、おのずと円安になる。日銀が円資金を大量に追加発行する量的緩和政策を続けた06年半ばまでは円安基調が続いたことからみても明らかだ。

 どう円資金を発行するか。金融機関が年間で30兆円以上も保有を増やしている国債を日銀が買い上げる。または思い切って主要な企業の株式を大量に買い付ける。不動産担保の証券を買ってもよいだろう。市場で流れ出した資金はこうして株式、不動産など資産市場に回り、一部は外に向かい、円安に転じる。株式市場などが活気づくと、冷凍庫のカネも溶けて流れ出す。

岸博幸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E5%8D%9A%E5%B9%B8

DIAMOND online【第100回】 2010年8月6日
岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]

*安易な追加経済対策発言と勢いづく構造改革批判、政治家・官僚・メディアに広がる無責任と無気力!

ここのところ、経済政策を巡る不思議な勘違いがいろいろなところで起きているように感じます。政権が無能で政治が停滞すると、こうなるのかとも思いますが、その要因は3つに分類できると思いますので、今週はそうした勘違いの3類型について考えてみます。

■政治家の定見の欠如
 第1の類型は、政治家の経済に対する定見が欠如しているがゆえの勘違いです。菅総理をはじめとする今の官邸が、その典型ではないでしょうか。

 例えば、8月3日(火)の国会審議で、菅総理は景気の現状について「何らかの対応が必要か検討しなければならない時期に来ている」と述べ、追加経済対策を検討する考えを示しました。

 これは実は非常に奇妙なことです。その前の週に来年度予算の概算要求基準を閣議決定していますが、そこでは、歳出の大枠(一般歳出+地方交付税)は今年度予算と同額の71兆円と決めているからです。歳出の大枠を同額にするということは、来年度予算の歳出規模は今年度予算とほぼ同じになることを意味します。来年度の政府支出は景気に対して中立的となり、何の景気刺激効果も持たないのです。

 かつ、閣議決定に際して、景気の先行きについて議論したり、誰かが問題提起をしたという形跡はありません。つまり、来年度の景気について総理以下の閣僚は無関心だったのです。その翌週になって突然景気への危機感を表明するというのは、経済運営についてあまりに鈍感であると言わざるを得ません。

 今年の秋以降に経済成長が鈍化するのは明らかですが、もし真面目に景気の先行きを懸念しているならば、補正予算を言い出す前に、来年度予算の規模をどうすべきかについて、財政再建だけではなく景気の維持の観点からもしっかりと考えるべきだったのではないでしょうか。年度予算は、ある意味で最大の経済対策だからです。

 付け焼き刃の補正予算は、効果が薄い一方で、財務省の査定や国会審議が厳しくないなどの点で官僚にとってもっとも嬉しい、タチの悪い予算です。それにもかかわらず今回のような対応をする菅総理と官邸の政治家は、経済に関する定見がないことを自ら露呈したと言わざるを得ません。

■官僚のレベルの低下
 第2の類型は、官僚のレベルの低下ゆえの勘違いです。その典型例は、3日に発表された労働白書ではないでしょうか。

 労働白書では概要、「労働者派遣事業の規制緩和が労働者の収入格差を拡大した」、「今後は正規雇用化を進めて技術・技能の向上と所得の底上げを目指すべき」といった分析をしています。これは本当に正しいのでしょうか。

 例えば、収入格差拡大の原因は派遣労働者が増えたことだけでしょうか。より本質的な要因として、企業が中高年の正規雇用者をリストラできないので、その分、新規の正規雇用を抑制して派遣に切り替えた面があるはずです。中高年の正規雇用者の既得権益を守るために、若い人が犠牲になっているのです。また、デフレが10年以上続く中では、どうしても所得の面へのしわ寄せは低所得者に集中することになります。

 そうした様々な要因を無視して、何でも構造改革が悪いとするステレオタイプな主張は、良識ある分析とは言えないのではないでしょうか。

 また、「今後は正規雇用化を進めるべき」という主張に至っては、空いた口が塞がりません。企業が直面する競争状況は業種によって様々であり、正規雇用化が正しい選択である業種もあれば、そうじゃないところもあります。例えば標準技術・低コスト・大量生産の業種の企業にそれを強いたら、海外に出て行くか倒産するしかなくなります。そうした現実の多様性を無視したステレオタイプな結論は、分析としては落第点と言わざるを得ません。

 こういうレベルの低い分析結果を政府が公表するから、メディアや民間の側もそれを鵜呑みにしてしまい、経済に関する間違った認識を信じてしまうのではないでしょうか。

■メディアと評論家の堕落
 このように、政治や行政は経済政策に関してかなりいい加減な主張や対応をしていますが、メディアや評論家がその問題点を批判することなく、むしろステレオタイプな主張に同調して騒ぎ立てるだけに終始している感もあります。それが第3類型です。

 例えば、最近あるテレビ番組に出演したら、そこで高名な政治評論家の方が「小泉・竹中改革が地方を悪くした」と仰っていました。それは本当に正しいでしょうか。構造改革を実際に進めていた者としては、的外れと言わざるを得ません。それは、構造改革はむしろ未だに地方の基幹産業であるゼネコンをソフトランディングさせるためのものだったからです。

公共事業費の削減などにより、地方のゼネコンは本業の建設業の売り上げが年々大幅に減少しています。そのため、多くのゼネコンは新規事業として、介護・保育などのソーシャル・サービスや農業などに進出しています。しかし、新規事業の多くは規制業種で既得権益が存在するため、参入しても本業の売り上げ減を補えるだけの収入はなかなか得られません。

 しかし、地方での雇用の維持を考えるとゼネコンの倒産は望ましくありません。そうなると、政策対応としては、公共事業費の減少ペースはできるだけなだらかにしつつ、その一方で、規制改革で新規事業への参入を容易にし、地方で需要が今後増えるソーシャル・サービスなどの市場を拡大させるべきです。

 これは一例に過ぎませんが、こうした方向こそが構造改革が目指したものです。逆に今の政権は、公共事業費は前年度比18%と極端に削減しながら、介護・福祉などの分野での規制改革は進めていません。どちらの政策対応が正しいかは、明らかではないでしょうか。子ども手当などで家計にお金をばらまけば地方のゼネコンが救われ、地方の雇用が維持されるのでしょうか。

 それにもかかわらず、未だに構造改革が諸悪の根源であるかのような主張がメディアや評論家から流布されているのは、非常に残念です。

 このように、政治・行政やメディアというのは本来もっとも信用できるはずだったのに、経済政策を巡るそれらのプレイヤーの勘違いは最近ひどくなっているように思えます。

 それに対して私たち国民はどうすべきでしょうか。騙されないように身構えることです。常に疑ってみること、常識をベースに自分なりに考えることが重要ではないでしょうか。それらのいい加減な勘違いを鵜呑みにして自分の行動に関する重要な決断をしたら、痛い目に遭うだけですし、政治や行政はその尻拭いはしてくれません。何ともしんどい時代になったものです。
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