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日本国家のグランドデザイン(後編)飛躍のカギは「都市化」「電力文明」!
2010年9月14日(火)三橋 貴明
前回と同じ書き出しで、恐縮である。唐突であるが、人間にとって経済上の「贅沢」とは何だろうか? もちろん、人によって定義は異なるとは思う。しかし、筆者は以下のように考えるのである。
「モノやサービスに短時間、短距離、かつ選択肢がある状況でアクセス(購入)できること」
要するに、製品やサービスを購入したいときに、即座に買える。しかも「選んで」買える。これこそが、真の意味での贅沢だと思っているわけだ。
2025年には、65歳以上人口が3470万人を突破する
この種の贅沢を実現するために、最も適したライフスタイルとは何だろうか。日本人が「贅沢」と聞くと、風光明媚な田舎などで、お城のような自宅に住むことを思い浮かべるかも知れない。しかし、人口がまばらな地域において、先の「購入したいときに、即座に選んで買える」を実現することは、かなり難しい。
少なくとも、ある程度の人口が集中していなければ、「複数の店舗」が存在することは商圏的に不可能だろう。すなわち、日本の場合は、都市においてでなければ、「購入したいときに、即座に選んで買う」を実践することは困難なのだ。
あるいは、今後の日本で需要拡大が見込まれる、高齢者向けの医療サービスである。短時間、短距離に位置し、複数の医療機関の中から、ユーザーがサービス提供者を選択できる環境は、それこそ都市部以外ではあり得ない。
都市部以外の環境では、医療機関の選択肢が限られるのはもちろん、ユーザー側が自動車を運転してサービスを受けに行かねばならないのが普通だろう。これは、特に高齢者にとって、なかなか深刻な問題だ。
現実問題として、高齢化の進展と需要拡大により、全国あまねく高水準の医療サービスを「選択肢」つきで供給することは、ほぼ不可能に近い。特に、団塊の世代が75歳以上に達する2025年には、65歳以上人口が3470万人を突破する見込みなのだ。しかも、その過半が75歳以上である。
若い世代であれば、自動車で病院に行くことは苦にならないかも知れないが、高齢者の場合はそうはいかない。今後、2025年のピークに向け増え続ける高齢者が、自動車を運転して医療サービスを受けに行かねばならないなど、あまり嬉しくない未来だ。しかも、日本の高齢化は別に2025年で終わるわけではない。
高齢ドライバーの交通事故は大きな社会問題
なぜ「自動車で医療サービスを受けに行く」にこだわっているかと言うと、実は、今後の日本において、高齢ドライバーの交通事故が大きな社会問題になる可能性が高いためだ。と言うよりも、現時点で既になっている。
意外に思われる方が多いかも知れないが、日本国内の事故発生総数は、2004年以降は着実に減少していっている。これは主に、若い世代の交通事故が激減していることによるものである。
しかし、年齢と共に反射神経や運動神経が落ちていくのは、これはもう避けられない話だ。全体的な交通事故が減少していく中、高齢者の交通事故は着実に増えていっている。高齢化の進展と共に、高齢ドライバーの数は今後も増えていくであろうから、当然ながら悲惨な交通事故も増えていくことになるだろう。
別に、医療サービスに限らないが、高齢化進展により拡大する需要に対し、国家経済がどのように適切な供給を維持するか。将来におけるパーソナルな需要拡大に対する供給不足を防ぐために、「今」どのような投資をするべきか。将来の問題を解決するために「今」投資をすることで、現在の需要不足を解消する。そのための「第1歩」の投資こそが、「今」の日本政府に求められているわけである。
日本国内の犯罪認知件数は減り続けている
現在の課題に対処すると同時に、将来的な問題も解決する。そのためのキーワードこそが、「都市化」及び「電力文明」だ。
実際に暮らしている人は、諸手を上げて賛成してくれると信じるが、日本の大都市における生活ほど「贅沢」なものはない。先にも書いたように、製品やサービスへ「短時間」「短距離」かつ「選択肢」つきでアクセスできる上に、犯罪も少ない。
日本のマスコミなどで報道されることは少ないが、実は日本の犯罪件数(認知件数)は2002年をピークに減り続けている。2002年に年間285万件に達した日本国内の犯罪認知件数は、2009年には170万件にまで減少した。この期間、一度も前年を上回ったことがない。ついでに書くが、殺人事件の件数は、2009年に戦後最低になった。
テレビなどで、凶悪事件が繰り返し報道されているのを見ていると、信じられないと思う。しかし、日本国内の治安は、近年、着実に改善されてきているのだ。そもそも、海外諸国と比べて犯罪率が低い日本において、さらに犯罪件数が減少してきているのである。
東京圏は圧倒的に巨大なメガロポリス
結果、東京や大阪などの都市圏は、世界で稀に見る「住みやすい大都市」に成長した。意外と知らない人が多いが、東京圏の人口は3568万人(2007年、国連統計局)を超え、2位のニューヨーク圏(1904万人)を引き離し、世界的に見ると圧倒的に巨大なメガロポリスなのである。この東京圏の拡大を促進した要因であるが、1つ目が犯罪の少なさ、そして2つ目が公共交通機関の発達である。
特に東京などが顕著であるが、街中をお年寄りが健康そうにスタスタ歩いている光景を頻繁に見かける。日本人は見慣れているかも知れないが、あれは世界的にはかなり珍しい光景なのである。「低犯罪率」「公共交通機関の充実」。この2つが揃っていなければ、お年寄りが自由に街の散策を楽しむことは、かなり難しくなってしまう。
逆に、犯罪が少なく、公共交通機関が充分に整備されていれば、お年寄りが自ら自動車を運転して、病院や買い物に行く必要がなくなるのである。短時間、短距離を歩くだけで、病院や商店や商品を「選べる」。筆者は、これこそが真の贅沢であると確信しているが、それらを高齢者に提供可能な唯一の存在こそが「都市」なのだ。
すなわち、世界で最も早く高齢化社会を迎えた日本が、将来的な供給不足という課題をクリアするための鍵は、既に世界最高峰に達している都市部の更なる発展なのである。
都市部での生活こそ人間にとって「贅沢」
具体的には、東京など、ある程度発展した都市については、外郭を巡る環状道路の整備。「通り抜ける」目的で、都市に自動車が流入するのを防ぐ必要があるのだ。これにより、都市部の物流をさらに効率化し、企業の生産性や生活者の利便性を高めることができる(ちなみに、現時点でも日本の物流効率は、G8=主要8カ国の中ではドイツに次いで高い)。
さらに、これは筆者以外の人々も主張しているが、学校や病院の耐震化。そして、電柱の地中化。電柱の地中化は、町並みの問題もあるが、それ以上に耐震や安全対策上も重要である。
このような書き方が適切かどうか分からないが、いわゆる老人ホームを風光明媚な地区に造るべきではない。老人ホームこそ、都会の駅の上に造るべきだ。なぜならば、繰り返しになるが、都市部での生活こそが最も物やサービスにアクセスしやすく、人間にとって「贅沢」な暮らしなのである。
もちろん、いわゆる東名阪などの既存の都市圏のみならず、各地方の「中核都市」へのインフラ投資も必須である。各地方の中核都市に東京並みの利便性を実現し、新幹線などの「高速鉄道ネットワーク」により接続していく。さらに、「ハブ」となるべき東名阪をリニア新幹線で結べば、人口5000万人以上が「電車2時間圏内」に居住する、前代未聞の超都市文明が誕生する。「安全で、便利で、贅沢な生活が可能な都市」を発展させる、あるいは各地に整備することで、高齢者の都市への移転を「促す」のである。
例えば、医療サービス1つ取っても、高齢者の需要が都市に集中していれば、供給側としては非常に都合がいい。また、需要者側(高齢者側)としても、「いざ」というときに自動車を運転しなくても済む生活こそが、本来は理想であろう。
アメリカ文明とは、別名「原油文明」
そもそも、買い物や病院に自動車を運転して向かわねばならないというのは、アメリカ文明の賜物である。例えば、アメリカでは食料品や日用品を購入するために、各人が自動車を運転して道を飛ばさなければならない。そうなると、毎日買い物に行くのは面倒であるため、多くの人々が週に1度、ウォールマートなどのGMS(ゼネラルマーチャンダイジングストア=総合スーパー)に、自動車で買い物に赴くライフスタイルが確立した。
日本人の筆者からしてみれば、週に1度の買い物で、生鮮食料品などの品質が維持できるのかと疑問に思ってしまう。だが、アメリカ人は、購入した食料品を巨大冷凍庫にぶち込み、必要な際に解凍して食べるため、問題はないようである。
とは言え、生きていけるという点では「問題ない」のかも知れないが、これが本当に「贅沢」な生活と言えるだろうか。個人的には、正直、首をひねってしまうわけだ。
アメリカ文明とは、別名「原油文明」と言っても構わないだろう。19世紀後半から世界大恐慌まで、アメリカは国内から「湧き出た」原油を活用し、まさしく新たな文明を築くことに成功した。当時は、世界の原油使用量のうち、アメリカ1国で何と7割を占めていたのである。
特に、1908年以降、アメリカ人が何の製品に原油(と言うかガソリン)を消費したのかと言えば、言うまでもなく自動車である。1908年はフォード・モーターがT型フォードを発売した年で、まさしくこの年からアメリカ、いや世界の「車社会化」が始まったと言っても過言ではないのだ。
乗用車だけで6000万台近い「リプレイス市場」
自動車という極めて便利なツールが誕生した結果、アメリカ式のライフスタイルが世界中に広まっていった。自動車を運転して買い物に行く、自動車を運転して病院に行く。その際に、必ず「ガソリン」を消費する。これらはまさに、アメリカ式原油文明の落とし子なのである。実際、日本で使用されている原油資源は、運輸(すなわち自動車用ガソリン)分だけで国内エネルギー消費全体の2割を上回っているのである。
T型フォード発売から100年以上が経過したわけだが、ここで「ある国」の政府が、以下の宣言をするというのはどうだろうか。
「我が国の自動車は、10年以内にすべて電気自動車に買い替えられなければならない」
結果、その国では乗用車だけで6000万台近い「リプレイス市場」が生まれるわけだ。無論、政府が国民に買い替え促進用のインセンティブを提供し、高速充電器などへの投資も必要になるだろう。だが、それ以上に国内の自動車メーカが、まさに目の色を変えて投資を拡大していくことになる。さらに、国内エネルギー消費の2割を超える、膨大なガソリンから生じる排ガスが、きれいに消滅するわけだ。都市の居住環境は、楽しいほどに改善されるだろう。
また、せっかく電気自動車を大々的に普及させるのであれば、都市部におけるITS(高度道路交通システム)との連携にも期待したい。自動車が「道路」と、あるいは自動車間同士で通信をすることで、交通事故を飛躍的に減らすことができるのだ。
実現できる国は日本以外存在しない
そもそも「交通事故」とは、アメリカの原油文明が生んだ徒(あだ)花だ。原油などの資源そのものに依存するのではなく、「電力そのもの」に依存した文明、すなわち電力文明への移行を果たすと同時に、交通事故を過去のものにしてしまうことすら、「その国」が適切な投資をすれば夢物語ではないのだ。
交通事故の存在しない(あるいは少ない)都市部。そもそも「低犯罪率」「公共交通機関の充実」というベネフィットに、「交通事故が少ない」という魅力が加われば、全国の高齢者を都心部に引きつけることが可能だろう。結果、パーソナルな需要が都市部に集中し、医療サービスなどの供給不足を緩和できる。
原油とは、石炭などに比して非常にエネルギー効率が高い資源だ。とはいえ「資源そのもの」に依存した文明は、資源の存在自体が戦争の遠因になってしまう。ところが、「電力文明」の場合は、資源の種類は問わないわけである。エネルギー源が石炭や天然ガスだろうが、原油だろうが、太陽光発電だろうが、あるいは原子力やメタンハイドレート(これは天然ガスの一種だが)だろうが、電力そのものに依存した文明であれば、資源をめぐる戦争は起きにくくなるだろう。
とはいえ、上記のような「都市化」「電力文明への移行」を実現できる国は、そう多くは存在しない。自動車産業、家電・半導体産業、鉄道・道路などのインフラ産業、通信産業、そして原子力産業などが揃って健在でなければ、到底、実現できないのだ。そして、そんな国は、今や世界に日本以外に存在しないのである。
世界の戦争を減らせる可能性すらある
さらに「都市化」「電力文明への移行」というソリューションは、日本企業が得意の「すり合わせ」が必須になる。モジュール化やら、グローバルスタンダードやらの出る幕はないのである。そして、「都市化」や「電力文明」で培われた技術、製品、サービスは、当然ながら将来の輸出シーズになるわけだ。
また、都市化というソリューションは、今後、高齢化社会を迎える世界各国へのお手本になり得る。さらに、資源そのものではなく「電力そのもの」へ依存した文明への移行を率先して果たすことで、世界の戦争を減らせる可能性すらあるのである。
あとは、日本が「将来の問題を解決するため」に、「今」適切な投資を実施するかどうか。すべてはそこに、かかっているわけだ。
日本国家のグランドデザイン(前編)“世界6位”の面積を生かして!
2010年9月7日(火)三橋 貴明
唐突であるが、「国家経済」の究極的な役割とは何だろうか?
それは、国民に製品やサービスを滞りなく行き渡らせるための生産能力や供給能力を、未来永劫、維持することである。――などと書くと大仰に聞こえるかも知れないが、「役割を果たせなくなった国家経済」について考えてみると、意外に簡単に理解できる。
ソ連は極度のモノ不足でどん底まで落ちた
1991年にソビエト連邦が崩壊したが、その前後に、ロシアなどの経済がどん底にまで落ち込んだことがある。どん底にまで落ち込むとは、まさしく国家経済が果たすべき役割を果たせなくなった状況である。すなわち、極度のモノ不足だ。
筆者くらいの年代から上の方々であれば、強烈に記憶しているのではないかと思う。当時、ロシアではモノ不足が日本人には想像もつかない水準にまで達し、人々は「肉を買うため」「パンを買うため」に、商店の前に長い行列を作る有り様だった。すなわち、国民に製品やサービスを滞りなく行き渡らせるという、国家経済の究極的な役割を、政府が果たせなくなってしまったわけである。
肉一切れ買うために、人々が店の前に長蛇の列を作る。終戦直後の日本も全く同じ状態に陥ったわけであるが、当時の日本や90年代前半のロシアの状況は「需要>供給」、すなわちインフレーションが悪化していたわけだ。インフレが進行し過ぎ、人々がモノやサービスの不足に苦しむ状況。これこそが、国家経済が最も避けなければならない環境なのである。
本連載において、筆者は「デフレの問題点」ばかり書き連ねてきた。だが、国家経済という観点から見れば、インフレの加速(というよりも、極端な供給不足)こそを、最も恐れなければならないのである。何しろ、モノ不足(供給不足)が極限まで進むと、国民が飢え死にしてしまう。
とはいえ、デフレで人が死なないかと言えば、実はそうでもない。
橋本政権の緊縮財政開始が「日本の分岐点」になった
図6-1は、日本の自殺者数、失業率、そして平均給与について、1980年の値を1として、推移をグラフ化したものだ。ご覧いただければ一目瞭然だと思うが、97年を境に自殺者数が1.5倍になり、失業率が跳ね上がり、平均給与が「下がり」始めている。
97年と言えば、橋本政権の緊縮財政(消費税アップ、新規国債発行停止、公共投資の削減開始)により、日本のデフレが一気に深刻化した時期に当たる。(厳密には翌年の98年からデフレが悪化した。)
普通に考えて、「良い国」というのは「自殺者が減り、失業率が下がり、平均給与が上がっていく国」という定義になるのではないだろうか。少なくとも「自殺者が増え、失業率が上昇し、平均給与が下がっていく国」を「良い国」とは言わないと思う。
97年の橋本政権による緊縮財政開始は、まさしく「日本の分岐点」になってしまっているのである。
特に、97年から翌年にかけ、自殺者数が1.5倍になってしまったのには、痛ましさを禁じえない。新聞などで「日本の自殺者数が、今年も3万人を突破し~」という報道を見かけると思う。あの「自殺者数3万人突破」が始まったのが、まさしく98年で、それ以降は毎年3万人を上回ってしまっている。
この自殺者数の増加を「国内のデフレ深刻化と無関係」と見ることは、各種の統計数値を見る限り、難しい。国内のデフレが悪化し、企業倒産や失業が増える。職を失い、生活の基盤を奪われ、経済的な困窮に陥った人たちが、自ら命を絶つケースが増えたと見るのが妥当だろう。
とはいえ、デフレから脱却し、インフレが無制限に進めば問題ないかといえば、もちろんそんなことはない。国内経済の「生産能力や供給能力」が極度に落ち込み、人々が物やサービスを求めて長い行列を作り、極端な話、餓死者までも出してしまう状況も、大問題であることに変わりはないのだ。
デフレによる需要縮小や経済成長率の低迷(=不況の悪化)も、モノやサービスの供給不足によるインフレ悪化も、国家経済にとっては「悪しき問題」なのである。だからこそ、本連載の第2回において、筆者は資本主義経済における政府の役割について、
「民間経済が健全に成長するように、需給や金利、物価などを調整すること」
と、書いたわけである。
デフレが「嫌な形」で解消する可能性
ところで、現在の日本はデフレの深刻化という問題を抱えている。だが、数十年のスパンで考えると、日本にデフレ深刻化をもたらしている現在の需要不足は、「嫌な形」で解消する可能性が低くない。すなわち、高齢化の進展及び世界人口増加による需要の拡大と、国内における生産人口の減少による供給不足という形で、国家経済が最も恐れなければならない「インフレの加速」が、日本で発生する可能性を否定できないのである。
現在、日本などの先進国(及びアジア諸国)では、人口増加ペースが停滞している。しかし、国連の資料によると、世界的には今後も人口は増えていく見込みになっている。人口の増加は、需要の拡大である。世界的な人口増が止まらない以上、食料やエネルギーなどの需要は、今後も拡大していく可能性が高いのである。
そして、日本国内に目を移すと、少子化及び団塊の世代の現役引退により、将来的な生産人口は縮小に転じる可能性が高い。生産人口の縮小という形で、日本の供給過剰が修正「されてしまう」わけだ。それどころか、未来の日本経済の課題は現在とうって変わり、「極端な供給不足を解消する」になるまでに突き進んでしまうかもしれない。
「最初の一歩」は政府が踏み出すしかない
無論、現在は労働人口に参加していない女性の力を活用する、あるいは引退した高齢者の力を活用することで、ある程度の是正はできる。とはいえ、その場合であっても、以下の2つの「供給不足」は、政府の力なしで解決することはなかなか困難に思える。
1◆世界人口の増加(需要拡大)による、資源・エネルギーなどに関する供給不足
2◆高齢化の進展による、医療サービスなどパーソナルな需要拡大に対する供給不足
繰り返しになるが、現在の日本は需要不足である。需要とは具体的に書くと、消費や投資、それに政府支出、さらには純輸出を意味している。バブル崩壊以降、特に「民間企業の設備投資」が激減し(というか、全く伸びなくなり)、さらに「公共投資(政府支出の一部)」も削減され、デフレが深刻化したことは、前回までの解説した通りである。
投資がダメならば、消費なり純輸出で需要を増やせばいいと主張するかも知れない。しかし、純輸出(=輸出-輸入)は基本的に外部要因に左右されてしまう。また、政府が家計に「消費を増やせ」と命じることはできないし、命じたところで聞きしない。
結局のところ、日本がデフレから脱却するためには、少なくとも「最初の一歩」は政府が投資を増やすという形で踏み出すしかないのだ。政府の「第一歩」により、民間の資金需要が回復し、民間企業がこぞって投資を拡大していく。この手の「第一歩」の投資こそが、現在の日本政府に求められているわけである。
「将来の供給不足に対処するための現在の需要創出」
さらに、それらの投資は、前述の2つの「将来における供給不足」を解消するためのものであればあるほど理想的だ。すなわち、
「供給不足という将来の課題に対処するための、現在の需要創出」
これこそが、現在の日本政府に最も求められる施策であり、筆者が思い描く日本国家のグランドデザインの基盤である。
いや、厳密に書くと「最も」求められているのは、前回取り上げた「国内のインフラ」のメンテナンスだろう。しかし、それに加えて「将来の課題を解消するための需要創出(=投資拡大)」こそが、デフレ(需要不足)で、金利が極端に低い現在の環境下において、政府が実施すべき政策なのだ。すなわち、「将来の供給不足」を補うための、現在の投資拡大である。
日本の輸出依存度はアメリカに次いで低い
先週も書いた通り、インフラのメンテナンスにせよ、将来の供給不足を補うための投資拡大にせよ、長期金利が極端に低い「今」やるべきである。あるいは、現実の日本が供給不足に陥る「前」にやるべきなのだ。
問題が顕在化する前に、「今」手を打つ。しかも、現実の日本経済は、デフレという需要不足に悩んでいるのである。将来的な問題を解決するべく動けば、現在の問題を解決できる。先週も書いたが、日本は本当に、奇跡のような幸運に恵まれている可能性があるのである。
多くの日本人が誤解しているが、日本はいわゆる「輸入依存が高い国」ではない。ついでに書くと、輸出依存が高い国ですらない。今年の2月に、経済産業省が「我が国(日本)の輸出依存度は低い」というタイトルの面白いグラフを掲載したが、大手マスコミがほとんど取り上げなかったため、未だに「日本は輸出依存度が高い国」と誤解している人は多いだろう。
図6-2の通り、日本の輸出依存度は、主要国の中でアメリカに次いで「低い」。さらに驚くべきことに、日本の「輸入依存度」に至っては、何とアメリカよりも低い数値なのである。無論、主要国の中では最低水準だ。
いったい、この日本のどこが「輸出入に頼らなければ、経済が成り立たない国」なのだろうか。全く理解できない。万が一、我が国がそうだと言うのであれば、海外諸国は日本以上に「外需に依存した国」「輸入に頼らなければならない国」ということになる。
とはいえ、日本の輸入を財別に見ると、現在及び「将来の弱点」が見えてくる。すなわち、輸入に占める「工業用原料」の割合が、ほぼ半分に達しているのである。
この工業用原料の中身は、果たして何だろうか。無論、過半が鉱物性燃料、すなわち原油、天然ガスなどのエネルギー資源なのである。日本の輸入全体に鉱物性燃料が占める割合は、2009年時点で約28%に達している。(参考までに、7月まで資源バブルが続いた2008年は、この割合が34%にまで達していた。)
特に強調する必要もない気がするが、日本経済もしくは日本国家の弱点は、今も昔も「資源・エネルギー」である。先述の通り、世界の人口増のペースが予測通り進むと、将来の日本において資源・エネルギーの供給不足、より分かりやすく書くと「逼迫」が起きる可能性が、決して低くないのである。
「将来における資源・エネルギーの逼迫」という課題を解決するために、現在、政府や民間が投資する。これにより、まさしく「供給不足という将来の課題に対処するための、現在の需要創出」が、現実の姿を取るわけである。
政治力、軍事力には頼れない国だから・・・
資源・エネルギーの逼迫を解決するために投資をすると書くと、「海外投資」と考える人は多いかもしれない。しかし、例えば円高を利用して海外の資源を買い漁る場合、政治的な軋轢を回避することは困難だ。また、日本政府にこの種の軋轢を回避する政治力、あるいは軍事力があるはずもない。
実は、別に海外に頼らずとも、日本は将来的な資源・エネルギー需要を自国だけで確保できる可能性があるのだ。すなわち、日本国内に需要を満たすだけの資源・エネルギーが埋蔵されているということである。
そんな資源が、いったいどこにあると言うのだろうか。簡単だ。海にあるのだ。
意外と知らない人が多いが、日本の領海・排他的経済水域の面積は、世界第6位という広大なものである。(参考までに、順位は上からアメリカ、フランス、オーストラリア、ロシア、カナダ、日本である)。この広大な海に、それこそ日本の需要を満たして有り余るほどの資源が「埋蔵」されているのだ。
黒潮は毎年、500万トンのウランを運んでくる
例えば、黒潮が日本近海に運んでくるウランの量だけでも、「年間」500万トンを超えると考えられている(日本原子力研究所の試算)。ちなみに、日本で現在稼動している、すべての原子力発電所が消費しているウランの量は、「年間」8000トンである。すなわち、500万トンとは、日本のウラン年間需要の625倍に達するのだ。
既に、海中からウランを採取する基本技術は成立している。あとは政府が適切な投資を実施し、採算が取れる水準にまでコストを下げればいいだけなのだ。
日本原子力研究開発機構によると、現時点で市場価格の3倍程度にまで、コストを下げることに成功している。なぜ「政府」が投資をする必要があるのかといえば、もちろん現時点で「採算ベース」ではないためだ。また、ウランという資源の性質上、ある程度、政府が関わる方が望ましいとも考える。
あるいは、日本近海には他にも、我が国のエネルギー需要を充分に満たせる可能性がある資源が埋蔵されている。圧縮されたメタンガスを中心に、水分子が氷状に結晶化した資源、すなわちメタンハイドレートである。
日本の将来のエネルギー政策を、決定的に変える可能性があるメタンハイドレート。実は、「エネルギー政策を決定的に変える」と書いたものの、日本近海にどの程度のメタンハイドレートが埋蔵されているかは、いまだによく分かっていない。メタンハイドレートについて語る人の中には、
「日本近海には国内需要100年分を賄えるメタンハイドレートがある」
と口にする人もいる。しかし、あれはあくまで「推測」なのである。
需要100年分のメタンハイドレート
現時点で、最も調査が進んでいる南海トラフの埋蔵量が、日本の国内需要の12年分程度あることは判明している。日本の広大な領海、排他的経済水域の中で、充分な調査が進んでいるのは、実は南海トラフだけなのだ。それを思うと、日本の近海に需要100年分のメタンハイドレートが埋蔵されていても「おかしくはない」ということである。
実は、漁船などに積まれている魚群探知機を使うことで、日本近海のどこにメタンハイドレートが埋蔵されているか確認する技術が、既に確立している。海底の隙間から湧き出たメタンが、周囲の海水とメタンハイドレートを形成し、海面目指して上がってくる際に形成する「メタンプルーム」を、魚群探知機で確認するのである。
政府が本格的に投資を拡大すれば、日本周囲のメタンハイドレート埋蔵量は、比較的速やかに確認できるだろう。無論、南海トラフなどにおいて、採掘技術の開発もほぼ完了している。日本政府が本気で投資すれば、海中ウラン以上に早い時期に採算ベースに乗せることができるだろう。
海中ウランにしても、メタンハイドレートにしても、現時点で民間が大々的に投資をするにはリスクが大きすぎる。だからこそ、政府の出番というわけだ。
ここまで読み、
「最も重要な資源である『原油』はどうなるんだ?」
という疑問を持った方がいるかも知れない。まさしく、この「原油」問題の解決こそが「日本の高齢化進展を原因とした供給不足」を解決するヒントになるのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%9A%86
「独裁」の足音が聞こえてきた。「世論独裁」という新しい足音が…。
霞ヶ関と記者クラブメディアで作られる「官報複合体」、そこに絡め取られた菅内閣のなりふり構わぬ戦いの様子が垣間見えてきた。
彼らの振りかざす「世論」という怪物は、あらゆる声を掻き消し、もはや「独裁」の様相を呈している。それは「世論独裁」と呼ぶにふさわしい、半ば暴力的な政治状況を生み出している。
民主党代表選の投票を、来週に控えて、永田町、とりわけ民主党議員の動きは激しい。
新人議員は、日々の情報に右往左往しながら、相手陣営の様子を探ったり、あるいは後援会などの声を聞いて、支持を決めようと悩んでいる。
仮に、民主党議員が、新聞やテレビに触れれば、「政治とカネ」という文言が目に付き、耳に飛び込み、連日のように行われる世論調査の圧倒的な数字を前に「菅支持」に傾くことになるだろう。
一方で、立会演説会やネットのサイトを訪れた議員は、驚くべき「小沢コール」の前に圧倒され、記者クラブメディアとは全く逆の空気を知って、「小沢支持」に流れることになるかもしれない。
「国民は説明を求めているんですよ」 「世論を無視することは許されない」
いま、筆者は、札幌で開かれる菅首相と小沢前幹事長の立会演説会に向かっている。北海道に向かう飛行機の搭乗直前、筆者の観たテレビ番組では、いつものように評論家やコメンテーターたちが頼まれもしない「世論」の代弁者として熱弁を奮っている様子が飛び込んでくる。
その批判の矛先は、ほとんど例外なく「小沢一郎」に向かっている。
世論調査の数字を振りかざし、「政治とカネ」という具体性に乏しい文言を金科玉条のごとく叫び続け、結果、テレビや新聞はきょうも「世論」という「虚構」で、それこそ世論を煽っている。
思考停止の記者クラブについては、もはや本コラムの読者には説明不要だろう。
今回の民主党代表選の問題はそうした不健全な記者クラブメディアの存在にあるのではない。自ら考える力のない新人議員たちが、「世論」という「大本営発表」にいとも簡単に騙されてしまうことにあるのだ。
早速、その「大本営」の一端を検証してみよう。
大本営発表の例「小沢首相=解散」説、「小沢首相は菅グループに報復」説を検証する
〈小沢首相になれば、解散に打って出るだろう〉
テレビ番組では、新聞社や通信社の元政治部記者たちがしたり顔でこう解説している。端的に言って、バカも休み休み言ってもらいたい。
野党・民主党の小沢代表時代、本コラムでも指摘したが、衆議院に300を超える議席を持っている与党の首相が、いったいなぜ解散をする必要があるのだろうか。
そもそも、小沢氏本人が、自身の代表記者会見(当時)でも、独自の予算編成の必要性から少なくとも政権を獲得したら3年程度は選挙をすべきではない、と意思表明しているではないか。
さらに、民主党政権による本当の「予算」とは一年目に編成し、翌年にそれを執行し、さらに翌々年の決算まで行えば、それで真の政権交代になる、と直接の表現ではないものの、そう解説していたのも小沢氏自身である。
逆に、解散に打って出るなどとは、ただの一言も語っておらず、それは既存メディアの願望に過ぎないのである。
つまり、小沢氏がそう言っていると報じれば、解散を恐れる足腰の弱い一年生議員が、雪崩を打って菅支持になびくという菅陣営のスピンコントロールに乗ってしまっているにすぎないのである。
また、テレビや新聞の政治解説者らはこうも語っている。
〈小沢首相になれば、菅グループへの報復がすぐに始まる〉
これも大阪での演説会や国会での記者会見に出ている筆者からすれば、まったく逆だと断言できる。
小沢氏は一貫してこう言っている。
「代表選後は、鳩山、菅のご両人には政権の重要なポストで仕事をしてもらう」
報復する可能性が高いのはむしろ菅氏の方ではないか 一方の菅首相は「脱小沢」を言ったかと思えば、「トロイカ体制」に賛同し、再び「脱小沢」となり、さらに「挙党一致」、はたまた「独自路線」とめまぐるしく方針を変えている。
つまり、素直にこの言葉を信じれば、報復の可能性のあるのは小沢氏ではなく、菅氏の方にある。
実際、2006年の代表選でぶつかったこの二人だが、勝者の小沢氏は野党とはいえ、菅氏を重要役職で処遇している。
だが菅氏の方こそ、首相になった途端、「小沢氏はしばらくの間、黙っていてほしい」と述べ、実際、報復人事を行って小沢グループを排除しているのだ。
新聞・テレビの記者たちはいったい何を取材しているのだろうか。
民主党議員はあくまで自らの信念で投票を民主党の新人議員が、菅氏、小沢氏のどちらを支持しても構わない。所詮、これは民主党内の選挙だ。
ただ、くれぐれも「官報複合体」の作った「世論」という「虚構」に惑わされず、自らの信念でもって、日本の新しいリーダーを選んでほしい。
「世論」は常に正しいとは限らない。1933年のヒトラー登場も、1941年の太平洋戦争も、1970年代のベトナム戦争も、2003年のイラク戦争も、当時はすべて「世論」の圧倒的な後押しがあった。そうした「世論独裁」が国民を不幸な戦争に引きずり込んだのである。
政治家に求められるのは、場合によってはそうした「世論」に逆らっても、「にもかかわらず」と言い切る信念によって、決断することではないか。
これは筆者の言葉ではない。約90年前の1919年、ドイツのマックス・ウェーバーがその講演の中で語った言葉である。
「官報複合体」という日本特有の「怪物」が、「世論」という危険な武器を持ってなりふり構わぬ攻撃を行っている。
甘言の陰には「独裁」が潜んでいる。民主党議員らは、騙されることなく、その一票を国家のリーダーに投じてほしい。
本文4ページ目の4段落で、当初『そうした「世論」に掉さしても、』とありましたが、読者の方から誤字・誤用とのご指摘をいただき、現在の形に訂正させていただきました。
~スティーヴン・ヴォーゲル カリフォルニア大学教授インタビュー
2010年9月13日 DIAMOND online
エズラ・ヴォーゲル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB
1979年に出版した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が世界的ベストセラーとなり、日本研究家として名を馳せたエズラ・ヴォーゲル氏。その子息であるスティーヴン・ヴォーゲル・カリフォルニア大学教授もまた日本の政治経済研究の第一人者として知られる。その生まれながらのジャパンウォッチャーの眼に、経済規模で中国に抜かれジャパン・アズ・ナンバースリーに転落した日本の姿はどう映っているのだろうか。ヴォーゲル氏の専門分野である安全保障問題を中心に、日本の課題を聞いた。
(聞き手/ジャーナリスト、矢部 武)
――民主党代表選でもしも菅直人首相が敗れ、小沢一郎首相が誕生したら、米国はどう対応するか。
日本の首相が代わっても米国はそれほど困らないだろう。しかし、日本や民主党のためにどうなのかは疑問だ。
民主党政権はそろそろ本気で政策に取り組むべきで、トップの顔を変えている時ではないと思う。(仮にそのようなことが再び起こるようならば)、それは民主党の大きな失態だ。
オバマ政権と日本の政権交代とを比較してどこかどう違うかというと、日本では政治的構造は変わったが政策はあまり変わっていない。一方、オバマ政権ではすぐに政策を変えたが、政治的構造はそれほど変わっていない。オバマ政権の2年間をみると、医療保険改革や金融制度改革など多くの政策転換を行った。
日本の場合は政権交代がずっとなかったので、政権交代しただけで政治のやり方は変わった。しかし中身の政策をみると、オバマ政権と比較したら、日本の民主党政権はあまり成果を上げられていない。“官僚叩き”をやって、事業仕分けとか事務次官会議を廃止するとかそういうことばかりに力を入れているが、経済対策など重要な問題はなおざりにしている。
――普天間問題の迷走などで民主党政権に対する不信感が米国側に広がり、日米関係が危うい状態にあるとの指摘もあるが。
何と比較するかによって答えは違ってくると思うが、私は日米関係が揺れているとか、大変な時期にあるとかそういうことでないと思う。また、米国側が不信感をもっているというのは言い過ぎだろう。
じつはオバマ政権と日本の新しい民主党政権の誕生は米国のアジアにおける基地体制を見直す絶好のチャンスだった。しかし、オバマ大統領はその気にならなくて、鳩山前首相も政権運営の問題などを抱え、うまくいかなかった。
理想を言えば、日米関係は本来、2国間だけでなく世界のためにあるべきものだ。日本は確かに(経済力で中国に抜かれ)ナンバースリーになってしまったが、それでも有数の経済大国であり、日米関係は米軍基地や貿易摩擦など2国間の問題だけなく、貧困、エイズ、地球温暖化など世界的な問題にも取り組むべきだと思う。
――あなたは「日本が軍備を増強すると、逆に安全保障の程度は低下する」という独自の理論を展開しているが、なぜそうなるのか。
一つの国が軍備を増強すると、防衛が強くなる反面、他国に脅威を与えるので、プラス面もあればマイナス面もある。これが国際関係論でよく言われる“安全保障のジレンマ”だ。そして日本の場合はとくにプラス面が小さくマイナス面が大きいので、結果的にマイナスになってしまう。
日本には戦争の歴史があり、日本の軍事強化には中国、韓国、北朝鮮も含めて周辺国が非常に敏感で脅威に感じる。脅威を与えるのは抑止力の面から言えば悪いことではないが、それが結果的に中国の軍事拡大につながると、日本の国益からみてもマイナスであろう。結局、日本はお金を払って軍備増強しても、安全保障の面でマイナスになってしまうのだ。
――それでは日本の安全保障を強化するにはどうすればよいのか。
日米協力の他、アジア地域の国際機関などを通して新しい協力体制づくりを働きかけることだ。たとえばASEAN地域フォーラム(ARF)などをうまく利用していけば、すぐにNATOのような安全保障体制にはならなくても、長期的にはアジアの協力体制につながるのではないか。中国の台頭が目に見えており、10年~20年後には中国の時代になるのは明らかだ。そうなるのを待たずに早く中国を多国間のフレームワークに巻き込むことが大切だ。そうすれば中国が強くなっても、日本は困らないで済む。
――日米協力は日本の安全保障の要だが、普天間基地移設や在日米軍基地を巡る最近の問題をどうみるか。
私はこれだけの規模の在日米軍基地は必要ないと思っている。すぐに大幅縮小したらアジアの安全保障に悪影響を与えかねないが、少しずつ縮小していけば何の問題もないだろう。
米国基地の本当の意味は何かと言えばそこに基地があることが一番重要なのであり、それが北朝鮮へのメッセージにもなる。海兵隊の普天間基地が本当に必要なのかといえば、私は海兵隊が沖縄からいなくなっても軍事的・戦略的に問題ないと思う。核の抑止力が効いているので、すぐに北朝鮮が攻撃するということにはならないだろう。
――つまり、普天間代替施設を辺野古につくる必要はないと。
とりあえず普天間基地を現状維持して、日米両政府は交渉をやり直すべきだ。オバマ政権は簡単に納得しないだろうが、米国のためにもそうした方がよい。米国の安全保障のために5万人規模の在日米軍が本当に必要なのかどうか考えるべきだ。
実際、「沖縄に海兵隊は必要ない」と主張する専門家もいるが、米国政府はそれを海兵隊のトップになかなか言えない事情がある。これは日米関係だけの問題ではなく、日本の国内政治、米国の国内政治、それに米軍陸・海・空・海兵の統合運用体制の問題なのである。
――大統領はなぜ「在日米軍を縮小する」と言えないのか。
大統領が「在日米軍の規模を半分に縮小しよう」と言った場合、どこをどう切るかが問題となる。海兵隊を切ろうとすれば、当然海兵隊のトップが反発するだろうし、陸・海・空軍との関係も悪化する可能性がある。イラク、アフガニスタンの戦争を抱えるオバマ大統領としてはいま米軍内の問題を起こしたくないので、「普天間基地移設問題は従来の合意案に従ってほしい」と日本側に迫っているのだろう。
――在日米軍を大幅に縮小しても中国の脅威に対応できるのか。
中国の脅威を考える上で大切なことがある。これはジョゼフ・ナイ氏(クリントン政権下で国防次官補を務めたリベラル派の国際政治学者)の説だが、「中国は仲間なのか、敵なのかと考えた場合、完全な答えはない」ということだ。もしそうだとすれば、中国の脅威を抑止するだけでなく、中国が敵にならないように関係を強化していくことが大切だ。
軍縮について中国と直接話し合いを進めるのも一つの方法である。たとえば中国、日本、米国が同じテーブルにつき、日米が「在日米軍の規模を半分にするから、中国も何かしてほしい」と提案する。南シナ海での軍事演習をやめるとか、軍縮までいかなくても軍拡をやめてほしいとか。あるいは日中米にASEANなども加え、アジア全体でこの話し合いをやってもよい。もちろん多国間交渉なので簡単にはいかないと思うが、やってみることに意味がある。
――最後に、迷走する日本の政治にアドバイスはないか。
日本では長い間政権交代がなく、民主党には与党の経験がないので、これまでの迷走ぶりは仕方ない面もある。極端にいえばアマチュアなのだから、最初はミスもするだろう。でも、長い目でみれば日本の政治はこれから良くなると思う。それは競争ができるようになるからだ。これまで自民党政権が長く続き競争がなかったが、競争があれば政治は良くなる。
その意味でも、日本の政治を良くするための一つのポイントは自民党が立ち直ることだ。民主党に対抗できるぐらいに“新しい自民党イコール何か”をアピールできるようになれば、次の衆議院選挙でいい勝負になるだろう。イメージだけでなく中身の競争になれば日本の政治は良くなる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E9%A0%98%E6%9C%89%E6%A8%A9%E5%95%8F%E9%A1%8C
産経新聞 9月12日(日)17時11分配信
【北京=矢板明夫】沖縄・尖閣諸島付近で中国漁船と海上保安庁の巡視船が接触した事件をめぐり、中国の戴秉国国務委員は12日午前0時(日本時間同1時)、丹羽宇一郎駐中国大使を緊急に呼び出し、日本側の対応を抗議した。乗組員と漁船の即時返還を求められ、丹羽大使は「国内法に基づき粛々と対応するという日本の立場は変わらない」と応じたという。
事件発生してから12日まで6日間の間、丹羽大使が中国当局者に4回も呼ばれた。最初の2回の相手は外務次官と外務次官補だったが、3回目には楊潔●外相が登場した。4日目となった今回は、外交担当の副首相級、戴国務委員による異例の直接抗議となった。中国政府はこの事件を重要視し、徐々に日本側に対する圧力を強化していることがうかがえる。
日本大使館などによると、戴国務委員は「誤った情勢判断をせず、賢明な政治決断をして、直ちに中国人の漁民と漁船を送還してほしい」と要請。これを受け、丹羽大使は日本の従来の立場を改めて表明したうえで「この事件で日中関係に全般に影響が及ばないよう、中国側が冷静かつ慎重に対応することを期待する」と述べたという。
●=簾の广を厂に、兼を虎に
*中国の海保測量船干渉 日本側の「大人の対応」につけ込まれる懸念も!
中国による海上保安庁測量船への干渉に対して、外務省は外交ルートで抗議するとともに、東シナ海のガス田交渉の延期通告には「極めて遺憾だ」(幹部)として不快感を示すが、過敏な対応を避けてつとめて冷静さを保っている。だが、もともと消極的だったガス田交渉を遅らせるために、沖縄・尖閣諸島での中国漁船の領海侵犯事件を口実にしようという中国側の意図は明らかだ。日本政府の「大人の対応」が中国側に「弱腰」と受け止められ、さらにつけ込まれる懸念がある。
ガス田交渉は7月末、東京で1回目の局長級会合を開始したばかりで、2回目は今月中旬に北京で開催する方向で調整中だった。日中両国は平成20年6月に共同開発で合意したが、中国側は資源開発での譲歩に反発する国内世論への配慮もあり、具体的な交渉入りに難色を示してきた。今年5月の日中首脳会談で交渉入りを決めるまで2年間を要している。
そうした中で、中国漁船の事件は、中国側にとって「渡りに船」だった。日本側の対応を批判する形で、交渉を中断し、その責任を日本側に押しつけることができるからだ。
一方、日本側は「事件とガス田交渉を絡めた対応は想定の範囲内」(同)として冷静を装う。政府側には日本の主権にかかわる今回の問題に対する断固たる姿勢は見えず、菅直人首相は8日に記者団に「厳正に対応していく」と述べただけだ。
それどころか菅首相は、9日の札幌市での民主党代表選立会演説会では「7月から中国から来る人のビザの条件を緩和した。北海道に中国からのお客さんがもっともっと増えることは間違いない」と強調し、むしろ中国におもねるような発言に終始した。もう一人の代表選候補である小沢一郎前幹事長は、事件発生前の5日のNHK番組で「尖閣諸島は中国の領土になったことは一度もない」と語っていたが、事件発生後は事件に全く言及していない。
海保測量船問題やガス田交渉延期通告があった11日、菅首相は都内で街頭演説したが、この話題に一切触れなかった。この日シンポジウムに出席した仙谷由人官房長官も、報道陣からこの問題に関するコメントを求められたが、取材に応じることはなかった。
*中国 日本を牽制する二つの監視船とは…
【北京=矢板明夫】沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)付近で、中国漁船が海上保安庁の巡視船に接触し逃走した事件を受け、中国側は同海域に漁業監視船と海洋調査・監視船を派遣し、日本側を強く牽制(けんせい)する行動に出ている。二つの監視船とはどういうものか。
漁業監視船は中国農業省傘下の「漁政漁港監督管理局」の管轄下にあり、目的は「中国漁民の権益を守る」ことなどだ。船は退役した軍艦を改造したものが多く、緊急時には戦闘に加わることもできるとされる。漁業監視船は、ベトナムやフィリピンなどと領有権を争う南沙諸島などがある南シナ海に頻繁に出没。「操業中の外国の漁船を海域から駆逐した」などのニュースが、中国メディアでよく報じられる。
11日に日本の海上保安庁の測量船に調査の中止を要求した「海監51号」(1900トン)は、海洋調査・監視船。これは中国国家海洋局傘下の「海監総隊」に所属。中国周辺海域での警戒、測量などにあたり、最先端の通信設備を備えているという。2008年12月には、尖閣諸島周辺の日本領海を不法侵入している。
中国筋によると、漁政漁港監督管理局と海監総隊はいずれも中国海軍と密接な関係にあり、その実態は軍事部門だといっていい。中国政府内では最近、漁政漁港監督管理局と海監総隊を統合し、沿岸を警備する「準軍事部隊」の創設が検討されているという。
中国の国際情報紙「環球時報」が運営するウェブサイトの世論調査では、「釣魚島に軍艦を派遣すべきだ」との意見が約98%にのぼっている。
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