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■当局放任/日本はビデオ公開及び腰
沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したビデオ映像の公開を日本政府が先延ばし続けるなか、中国国営通信社や共産党系のインターネットサイトで、海保の巡視船側が中国漁船に衝突したとする図などが掲載されている実態が10日、明らかになった。日中首脳会談が4日に行われたにもかかわらず、中国当局も放任を続けており、中国政府の一方的な主張が“既成事実化”する恐れも強まっている。(原川貴郎)
中国共産党機関紙、人民日報傘下の国際情報紙「環球時報」は、衝突事件の“実態”について、日本の巡視船の方から中国漁船に衝突したとする説明図を掲載してきた。中国政府の「日本の巡視船は中国の領海で中国漁船を囲み、追いかけ、行く手を遮り、衝突して損傷させた」(姜瑜・中国外務省報道官)との主張に沿ったものだ。
「(中国漁船が)巡視船に体当たりした悪質な事案で逮捕は当然」(前原誠司外相)とする日本側の説明とはまったく異なる。
1日ごろから同紙のサイトからはこの図はなくなったが、今も国営新華社通信のサイトのほか、中国の大手ポータルサイト「新浪」の衝突事件特集サイトなど、中国ネット空間のあちこちに氾濫(はんらん)している。
環球時報は9月23日から10月6日まで尖閣諸島周辺海域で活動した中国の漁業監視船2隻に記者を同行させた。記者らは次のようなリポートを送ってきた。
「われわれの船は日本側の封鎖を突破し赤尾嶼(日本名・大正島)海域への歴史的な航行に成功した」
また、インターネット上の同紙のサイトでは、「中国人が1年間、日本製品を買わなければ日本はすぐ破産する」「日本はすべて中国の領土だ!」などの過激な書き込みが今も続く。
9日夕から同紙のサイトは無料のオンラインゲーム「防衛釣魚島(尖閣諸島の中国名)」を登場させた。中国漁船を操って、日本の「軍艦」に「靴」を投げ尖閣諸島へ航行、日の丸が掲揚された灯台を倒し、中国国旗を翻せば「任務完了」-という内容だ。同サイトは「国家防衛の危険と挑戦が体験でき使命達成の快感と栄誉も得ることできる」とプレーを呼びかける。
視覚に訴える中国側の主張を打ち消すためにもビデオ映像の公開が有効だが、ためらう日本側を尻目に、中国のインターネット空間では事実に即しない一方的な主張や「悪のり」が続くかもしれない。
【軍事情勢】「粛々」と「冷静」に滅ぶ国家!
語感・行間が醸し出す日本語の精緻(せいち)な機微は、外国人泣かせではあるが、使いこなせる真(まこと)の日本人には、それはそれで趣があり、日本社会の中でも重要な役割を果たしてきた。だが、時としてその種の“日本語”は「逃げ口上」に利用されるから要注意。沖縄県・尖閣(せんかく)諸島付近で中国漁船が海上保安庁の巡視船に故意に衝突、船長を逮捕しながら釈放した事件でも「粛々」「冷静」など“慣用語”の大安売りが、民主党政権の見苦しい言い訳に大いに貢献した。
■「イラ菅」返上?
海保も所管する馬淵澄夫国土交通相(50)は9月24日午前、記者会見で「国内法にのっとり粛々と対応することに変わりはない。毅然(きぜん)とすべきだ」と語った。当然の発言ではあったが、頼もしかった。ところが、船長釈放決定の24日夕には「検察の判断」に責任を転嫁し、政治責任には言及していない。前原誠司外相(48)も「粛々」を連発した。釈放後ですら「もし同様の事案が起きれば、また同じような対応を粛々とすることに尽きる」とまで断言しており、かなり「粛々」好みのようだ。「検察が判断したことについては、政府の一つの機関が決めたことだから、われわれ(閣僚)はその対応に従う」と前置きしているから、閣僚の制度上の姿勢に言及したのだろうが、実態は「同種事件が起きたら、また粛々と釈放する」と宣言したに等しい。
一方、「冷静」派も多かった。その筆頭格は、菅直人首相(64)。「冷静に努力していくことが必要」などと、およそ「イラ菅」の異名にふさわしからぬ発言に終始している。 日本語の“奥の深さ”は「粛々」「冷静」にとどまらない。「大局的」「総合的」という便利な言葉も多投された。「戦略的互恵関係を構築するについて、刑事事件の処理とは別に、何が良くて、何が悪いかというのは別途、われわれが考えるべき大局的な政治判断が必要だ」(仙谷(せんごく)由人(よしと)官房長官)、「総合的に判断するということは、現行制度上ありうる」(岡田克也幹事長)といった具合だ。
いうなれば、民主党政権は「粛々」と「冷静」に、そして「大局的」かつ「総合的」に、中国の武威と経済・文化上の恫喝(どうかつ)に屈したのである。
■超大物「第4列の男」
民主党の議員とその秘書、党職員には左翼(反代々木)系市民活動家がウヨウヨいるが、公安筋によると、超大物の国会議員は学生時代「第4列の男」としてマークされていたのだそうだ。「アンポ反対」デモの際、警察・機動隊は第1列から3列目までを指導・煽動(せんどう)者とみなし検挙することが多かった。ところが、その超大物は「いつも第4列に陣取り、検挙を免れていた悪賢い卑怯者(ひきょうもの)であった」そうだ。かつては、国家・公共施設を破壊して痛痒(つうよう)を感じぬ、国家観なき地球市民にとって「粛々」と「冷静」に、そして「大局的」かつ「総合的」に、中国の武威と経済・文化上の恫喝に屈することなど、国辱とは考えられぬのであろう。
同じ左翼でも“代々木(共産党)系”は今回に限って論ずれば筋が通っていた。志位(しい)和夫委員長(56)は「国民に納得のいく説明を強く求める。領有権について歴史的にも国際法的にも明確な根拠があることを明らかにする積極的な活動が必要だ」と明言したのだ。主義・思想が違っても外交・安全保障政策は志を一にするべきだ。
■中国並みの厚顔無恥
ところで、民主党の厚顔無恥は中国並みといえる。釈放をはさんだ外遊先のニューヨーク・国連本部における菅首相の「放言」が、それを実証している。まず、安保理事会では「戦争や紛争・災害によって破壊された市民生活を再生することが、真の平和につながる」。続いて、小島嶼(とうしょ)国開発ハイレベル会合で、災害や地球温暖化に苦しむ小島嶼国家の「力強いサポーターであり続ける」と宣言。総会では、常任理事国入りへの決意表明を行った。
自らが主権を侵され「市民の平和」を脅かされているのに、どうし国際社会の「真の平和」を守れるのか。自国領の無人島すら守れない国家指導者が、小島嶼国の「力強いサポーター」とは片腹痛い。さらに、常任理事国はすべて軍事大国で、常任理事会は「軍議の場」でもある。軍事的制裁力を持たぬ「唯一の被爆国」という立場では「国際社会の平和と安全のため責任を果たす」(菅首相)ことなど、不可能だと言っておく。
「原理主義者」だったはずの岡田幹事長も厚顔無恥になったのだから、中国の「圧力」とは実(げ)に恐ろしい。
「まるで、中国から言われたから判断を曲げたような、そういうふうに理解をされたとしたら、それはまさしく国益を損なうことだ」
「理解をされたとしたら」などと、まるでそうではないような言い回しだが、国民の大多数は「中国の多方面にわたる圧力に脅えて判断を曲げた」と確信している。そして、間違いなく「国益は損なわれた」。(九州総局長 野口裕之)
韓国から学べ! 「センカク」問題!
ソウルからヨボセヨ
尖閣諸島問題で韓国が微妙だ。ニュースは相当大きく報道され、中国警戒論が強調されている。韓国哨戒艦撃沈事件や関連の米韓合同演習に対する中国の親北・反韓的な姿勢もあって、このところ韓国世論の対中感情はよくない。
ただ同じ“領土問題”である日本との竹島(韓国名・独島)問題には触れないようえらく気を使っている。マスコミには竹島問題は一切、登場していないし日本批判もない。「日韓には領土問題は存在しない」という彼らの立場からあえて触れないのだ。
今回、日本発のニュースが多かったこともあり、島の名称もマスコミでは中国名の「釣魚島」より日本名の「センカク」を多く使っていた。「日本が実効支配するセンカク諸島」という報道も結構あった。日本は竹島を韓国に“取られた”教訓を尖閣に生かさなければならない。たとえば韓国のテレビは日本と違って、毎時の天気予報で必ず「鬱陵島・独島地方は…」と地図入りで領有を誇示してきた。
今、沖縄のトランスオーシャン航空(旧南西航空)をはじめ日本の航空会社は機内地図に尖閣諸島をちゃんと入れているか。NHKや沖縄のテレビは天気予報で毎時「与那国・尖閣地方は…」と放送しているか。こんなことからやらないと尖閣も取られてしまう。(黒田勝弘)
「オスロの仇はどこで討つ」「教える教育」「世界一の格差大国」
2010.10.09(Sat)JBプレス 川嶋諭
それは尖閣諸島で中国人船長が逮捕された以上の衝撃だったに違いない。約20年前の天安門事件で有名になった中国人の活動家、現在懲役11年の刑で服役中の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞してしまったことである。
ノーベル平和賞に中国政府が激しく反発!
劉氏の受賞の可能性が数週間前に伝わるや、中国国内では「ノーベル賞」というキーワードでの検索に何も結果が出てこないようになったという。
そして、受賞が伝えられると米CNNの中国からの全世界への生中継は突然回線が切れてしまった。
また中国政府は早速、「今回の受賞はアルフレッド・ノーベルを冒涜するものだ」という声明を出し、ノルウェーと中国は深刻な関係に陥るとの脅しまでしてみせた。
JBpressの中国コラムニストである宮家邦彦さんの言葉を借りれば、「中国が最も大切とする面子が丸潰れになってしまった」わけで、当然と言えば当然の対応だろう。
宮家さんの最新記事「江戸の仇は長崎で討て、これぞ中国流」でも、中国の行動原理は「面子」にあることがよく分かる。
日中間だけだと、「中国の面子を日本がきちんと理解して対応しないといけない」というような日本の責任論になってしまいがちだが、世界からすれば、「中国が異常」と映っていることになる。
それでも外交上手の中国は、国際会議が相次ぎG7も開催されるタイミングでギリシャの支援をしてみたかと思えば、イタリアにも投資の約束をするなど、いわゆる「微笑み外交」に余念がなかった。
しかし、そうした外交も、唯我独尊の真の姿が見えるようになっては、世界からは警戒を持ってしか対応されなくなっている。宮家さんの「江戸の仇は長崎で討て、これぞ中国流」の記事で紹介されているように、中国の微笑みは化けの皮であることを自ら証明しているからだ。
2007年にフランスのニコラ・サルコジ大統領は中国を訪れ、胡錦濤国家主席との間で原子力発電関連で300億ドルにも及ぶ大商談をまとめた。世界最大の原子力産業グループであるフランスのアレヴァはこの商談に沸き立った。
しかし、そんな喜びも束の間。この商談が中国の思い通りに運びそうがないと判断すると、アレヴァに国家機密の情報を流したとしてアレヴァと取引関係にあるハイテク技術の輸出入を統括する会社の前社長を逮捕してしまう。
鄧小平の訓戒を忘れた中国!
また英豪系資源大手、リオ・ティントへ中国の出資がかなわないことに対しては、同社の中国子会社の社員をやはり国家機密漏洩の罪で逮捕し懲役刑を言い渡したことも記憶に新しい。
中国が世界第2位の経済大国になった自信が背景にはあるのだろうが、最近の中国は現在の躍進の原動力となった故・鄧小平氏の訓戒を全く忘れてしまったようである。
この訓戒については、8月の宮家さんの記事「中国の軍拡に参った? 強硬論後退の米政府」でも書いているが、谷口智彦さんの「インド人の見る尖閣問題」の中でも改めて指摘されている。
その訓戒の最後のくだり、「目立たぬよう努め、先頭に立つことを目指すべからず」というところは、中国指導者やインテリたちがつい最近まで、口を開くと自国の方針であるとして繰り返し強調していたものだと谷口さんは書いている。
しかし、リーマンショックを機に中国はこの訓戒を破るようになったと言うのである。その点に関しては、英フィナンシャル・タイムズ紙が「9.11より9.15の方が世界を変えた理由」の中でも指摘している。
リーマンショックで中国に勢いづかせてしまったことは、アフガニスタンやイラクでの戦争よりも世界を大きく変えたというものだ。
チベットに世界最大のダムを造り水のコントロール狙う!
そして本性をむき出しにし始めた中国に対し、世界各国は警戒の念を強めている。とりわけ中国と陸を接する国はそれが著しい。
谷口さんの「インド人の見る尖閣問題」では、中国の圧力を受けて警戒を強めるインドの姿が浮き彫りになっている。
この記事の中でとりわけ驚かされるのは、中国がチベットに建設を計画しているという貯水ダムの話。世界最大と言われる三峡ダムの数倍の規模に達するダムをよりによってチベットの高地に建設するのだという。
目的は中国の治水だが、インドはその言葉を信用していないという。ヒマラヤの分水嶺を越えて中国側だけではなくインド洋に注ぐ水まで中国が支配しようとしていると危機感を募らせているのだ。
インドと抗争を抱えるパキスタンに対する原子力発電設備などの活発な支援もインドを刺激する。
中国を取り囲む国々との連携を目指せ!
今回の尖閣諸島問題で、ようやく多くの日本人が眉をひそめて中国を見るようになった日本と異なり、インドは中国の脅威に早くから気づき、既に本格的な手を打ち始めている。
例えば、この記事では、核武装を目指そうとしているこれまた中国と西沙諸島、南沙諸島の領土問題を抱えるベトナムに、インドは核技術を供与することすら考えているという。
尖閣諸島を取られないために、そして武力衝突を絶対に避けるために、日本の外交力が問われている。その際、インドやベトナムなどのように中国を取り囲んでいる国に対して、FTAなどを通して非常に親密な関係を築くことがまず必要ではないだろうか。
世界第2位の経済大国になった中国は、為替操作も世界経済にとって看過できない大きな問題になっている。その責任論を皮肉たっぷりに紹介しているのがFT紙の看板記者が書いたこの記事「どでかいことは中国の助けにも妨げにもなる」である。
中国は13億人という世界最大の人口を抱える超大国であるがゆえに、「購買力平価ベースで見ても、1人当たりの国民所得が米国のたった7分の1に過ぎない時に、米議会の怒りを買っている」とFT紙のデビッド・ピリング氏は書いている。
中国元の問題は米国よりも日本の方が被害が大きい!
国のサイズが日本と同じぐらいだったら、まだ誰も気づかなかっただろうに、お可愛そうなことである、というわけだ。
しかし大きいがゆえに、まだ国民所得が米国の7分の1の段階でも世界に大きな影響を与えるわけで、とりわけ日本にとっては深刻な問題である。
日本はどういうわけか、守ることばかりに熱心で、中国や韓国の為替操作に対して強く発言してこなかったが、実は米国よりももっと強く主張しなければならないはずだ。
製造業がとっくに空洞化してしまった米国は、実は中国の元が安いことはデメリットもある反面、メリットも大きい。中国から安い日用品を調達できるからである。中国と米国は補完関係が出来上がっているのだ。
それは、先端のグリーンエネルギー分野にも言える。この分野で日本の遅れを指摘するこの記事「大躍進する中国、投融資額では世界を圧倒」の中に次の一節がある。
グリーンエネルギー分野で中国と米国は手を結ぶ!
「米国ベンチャーキャピタルのほとんどが、中国に製造拠点を持っていない、もしくは、持つ計画のない太陽光ベンチャー企業には出資しないと公言しています」
つまり、企画と事業プランは米国の役割、製造は中国の役割と割り切って世界戦略を描いている。米国が戦略的な分野に掲げているグリーンエネルギー分野で、初めから中国で安く製造することが条件になっているのである。
日本ももちろん中国と補完関係にあるとはいえ、米国よりは競合する分野が圧倒的に多い。そうした中で中国の為替政策に対する批判を米国任せにしているのは日本の国を守るという意味でも、非難されてしかるべきではないか。
国を守るということは、軍事力だけの問題ではない。外交しかり、通貨政策しかりである。小沢問題で国会は紛糾の様相を呈しているが、どうもピンボケな議論に血道を上げているようにしか見えないのは私だけであろうか。
さて、秋が深まり始め、日本では大学3年生が本格的な就活をスタートさせている。大手の就職情報誌が開く就職セミナーは、募集と同時にほぼ満席になるという。それほど大学生の就職は厳しいようである。
「教え」を経験することの重要性!
そんな時に、何と能天気なと就活戦線まっしぐらの学生から批判を受けそうな記事がこれ「大学生よ、就活の前に中学校を目指せ!」だ。米国でLFA(Learning for America)という人気のプログラムが登場、その日本版が日本でも始まったというものである。
LFAとは、全米の優秀な大学生が卒業と同時に2年間、教育格差の激しい地域で子供たちの教育サポートをするというもの。これまで学び一辺倒だった学生が「教える」側に回ることによって、さらに自分に磨きがかかるというアイデアだ。
もちろん、教育現場としても大学を卒業したばかりの優秀で意欲的な人材によるサポートは大変にありがたい。米国ではこうした活動に大企業が資金面などでバックアップ、2年間の教育を経験した“学生”たちは、有力企業へ就職していく。
せっかく大学を卒業したのに2年間も回り道させることはないとの批判は当然あるだろう。しかし、MBAなどの大学院コースで専門性を学ぶことも大切な一方で、人を教えるという経験も長い人生の中ではかなり大切なのではないかと思う。
学教育で専門性が重視される米国では大学でジェネラリストを養成しがちな日本と違って、むしろそうした効果がかなり期待されているのかもしれない。
昔に比べて現代の大学生は教えるチャンスが減った?
いずれにせよ、専門的な大学院に進むのも1つの選択肢であり、教育現場を経験するのも1つの選択肢。米国らしいダイバーシティーということだろう。
実は教えることの効用は日本でも実際に取り入れられてきた。例えば、理系の学生の多くが進む大学院の修士課程。ここでは大学時代よりも専門的な学問を学ぶのがもちろん目的だが、その一方で、学部の学生を教えるという役割も期待されている。
はるか昔の自分のことで恐縮だが、我が大学院生時代を振り返っても、4年生と一緒に過ごした経験が最も貴重だった気がする。今はどうなっているか知らないが、クラブ活動などとは全く別のリーダーシップも要求された。
今は予備校や塾が産業として洗練されてきたこともあり、大学生や大学院生が塾で教える機会は減ってしまったようである。そう考えると、アルバイトのためとはいえ、塾の授業で使うガリ版のテキストを毎回毎回、知恵を絞って作っていたことが懐かしくもあり、また良い経験だったと思い起こされる。
大学を出て2年間の“回り道”もまんざら悪いことではないのではないかと思う。さらに言えば、大学生や大学を出たばかりの社会人1年生だけでなく、社会で様々な経験を積んだ社会人が教育現場でボランティア活動ができる機会も作るべきではないだろうか。それも出身地で。
社会人も入れて日本の各地域が教育を競おう!
自分の故郷の教育に貢献したい、そして地域の活性化に役立ちたいと“故郷に錦を飾る”社会人が増えてくれば、競争原理も働き、職業としての教育者とは別のメリットをもたらすことは間違いないからだ。
国や地域、そして企業がそうした活動を支援する仕組みを作れば、地方や地域が教育水準(有名大学に進学する学生の数を競うというようなことではなく)の高さを競うことにもつながり、教育現場は大きく変わるのではないかと思う。
今週は比較的面白い記事が多かったので、長くなるが次の記事も紹介したい。「日本は世界最悪の格差社会である」だ。
民主党は子ども手当てが、子育て負担に悩む若い人たちを支援する非常に重要な政策であるという。確かに、ないよりはマシなのかもしれない。
しかし、ちょっと意地悪く見ると次のように言えなくもない。
民主党は、投票所に必ず足を運ぶ中高年は票を集めるために最も大切にしている。従って、中高年からそっぽを向かれるような大胆な改革はしたくない。とはいえ、若者から不人気なのは困るし、中高年の間にも少子高齢化対策を求める人たちがいる。
子ども手当ては八方美人政策!
そこで、出てきたのが「子ども手当て」というわけだ。日本を本格的に改革するには年金制度そのものを変えなければならないが、それでは中高年が黙っていない。そこで、子ども手当てで若者たちの支援もしますよ、というポーズを見せようというわけだ。
だとすれば、全くもって八方美人的政策で恐れ入ってしまうが、実は、こうした改革を先延ばしする政策は日本の格差をさらに拡大させてしまい、取り返しのつかない結末を招く危険性がある。
この記事の筆者の試算では、現在の60代以上と20代では、年金の負担と受給額の格差が実に8000万円にも達しているという。恐らく、これから生まれてこようとしている世代と比べれば、1億円を超える差になるだろう。
これはいったいどういうことか。これから何も知らずに生まれてくる人たちは、60代以上の人たちに比べて、生まれた時点で1億円もの格差をつけられていることになる。
声の発せないか弱い者に負担を押し付けるこんな国を民主主義国家と呼んでいいのだろうか。中国を非民主主義国家だと非難できるような状況ではないだろう。
やっぱり立ち上がってほしい小泉進次郎!
国の政策とは、その時々で国民に良い顔をすることではない。しっかりと将来を見据えて、日本という国が永遠に繁栄していけるように手を打っていくことである。とりわけ、少子高齢化の勢いが激しい現在のような時には、日本の将来を見据えて国民に厳しい政策を取らなければならない。
もしそれが日本の政治家にはできないというのであれば、次善の策として選挙制度を変えていかなければならないだろう。選挙権のない20代以前の人たちの権利を守るために、例えば年金の受給と同時に何らかの方法で選挙権を制限するような仕組みが必要ではないか。
しかし、そうした仕組みを作るにしても政治家に頼まなければならない。だとすれば、何はともあれ、若者が立ち上がらないことには改革は進まない。
前に「日本が目指すべきは、大国かそれとも小国か」で、自民党の小泉進次郎氏に期待すると書いたが、ぜひ小泉氏には若者を投票所に引っ張り出してもらいたいものである。
若者が立ち上がれば、確実に選挙は変わる。そのことはこの記事「与党を惨敗に追い込んだ韓国の若者パワー」がお隣の国、韓国の例として示している。
http://www.suzakanews.co.jp/news/contents/event/event.php?id=1642
須坂園芸高農業経済科流通経済コースは、水稲の研究栽培で、ケイ酸質肥料を多く用いたことが主要因で収量が大幅に増えたと考えられる結果を得た。
ケイ酸はガラスの成分で、稲の葉や茎を硬くし、光合成効率を高めて生育を促進するとみられる。昨年、10アール当たりの玄米の収量が、これまでの日本最高1,052㎏を超える1,145㎏あった。ことしもこれまでの生育状況から昨年並みの収量が期待できそうという。
中島寿夫教諭によると稲の収量を増やす方法としては窒素肥料を多く施すのが一般的という。ただ、大きく成長すると稲が倒れやすくなり、多収量につながりにくい点が課題となっている。一方で、ケイ酸質肥料は補助的なものと考えられ、これまであまり注目されていなかったという。
10アール当たり窒素成分を6㎏施すのが一般的で、これだと玄米で平均500~600㎏の収量になるという。
同コースでは塩川町の同校実習田で「キヌヒカリ」を使って研究栽培し、昨年はケイ酸成分を10㌃当たり25㌔施した。窒素成分は①0㎏②8㎏③14㎏に分けて施し、生育や収量を調査した。
その結果、玄米の収量は10アール当たり①が853㎏(穂部乾物重1,000㎏)②は1,115㎏(同1,340㎏)③は1,145㎏(同1,380㎏)となった。昨年の北信地方の作況指数は97だった。県農業試験場の水田(八重森町)で栽培しているキヌヒカリの平均収量(平成15年~21年のうち収量最高、最低年を除く5年の平均値)は10アール当たり680㎏となっている。
1㎡当たりの総もみ数は通常の倍以上の約4万~6万粒で、稲穂に付いたもみのうち中身が充実したもみの割合を示す登熟歩合は86~92%と高い値だった。草丈はいずれも100㎝以上あり、1㎡の穂数は①が440本②は571本③は607本だった。県農業試験場の平均穂数(同)は1㎡439本となっている。
同コースでは注目すべき点として草型をあげている。ケイ酸の濃度が高いため、生育全期間を通じて直立型で収穫期でも垂れ葉が少なく、稲も丈夫で倒れにくかった。このため通常に比べて陰が少なく、日光の当たる面積が増えて光合成効率が高まり、稲の生育を促進したと推測する。
中島教諭は「ケイ酸で茎葉が硬くなることは報告されているが、施用量や直立葉化についてまでは研究されていない。大量に投与するという概念がなかったのでは。我々が思っている以上に稲はケイ酸を必要としている可能性が高い」と話している。
劉暁波
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E6%9A%81%E6%B3%A2
2010年10月9日(土)日経ビジネスオンライン編集部
10月8日、中国の民主活動家、劉暁波氏(54)にノーベル平和賞が授与されることが発表された。劉氏は1989年の天安門事件の際、北京の天安門広場でハンストをした知識人の1人で、事件の後も中国内にとどまって民主化を訴えてきた。
中国政府による度重なる弾圧に耐え続けてきたが、共産党独裁の廃止などを求めた2008年の「08憲章」の起草に参加したかどで拘束され、現在は「国家政権転覆扇動罪」で服役中である。
中国政府はノルウェーのノーベル賞委員会に反発すると同時に、インターネット検索で劉氏の名前などを使えなくするなど、即座に常套手段である言論統制を開始。受賞を報じる米CNNやNHKのニュース放送を国内で中断するなど醜い防戦に必死だ。米国やフランスの首脳からは、中国政府への非難、劉氏の釈放要求などが表明されており、今後の国際関係にも少なからぬ影響を与えることが予想される。
ところで、劉氏が逮捕される大きなきっかけとなった「08憲章」についてご存じだったろうか。
日経ビジネスオンラインの筆者の1人である遠藤誉氏は、2008年に当サイト上で「08憲章」を「ネット文化革命」として紹介していた。この憲章がいかにして世に出ることになったのか、意味することは何なのかが詳細に記されている。これを機に、ご一読いただければと思う。
*やはり現れた、ネット文化革命「08憲章」ネット蜂起を呼び掛けていた網民の声!
2008年12月19日(金)日経ビジネスオンライン遠藤誉
2008年12月9日、中国の網民(ネット市民)の間に閃光が走った。中国共産党の一党独裁を糾弾し、民主と自由、そして人権尊重等を求める「08憲章」なるものがネット空間に出現したからである。
本来なら世界人権宣言が可決された1948年12月10日に合わせて、12月10日に公開されるはずだったが、起草者の主たるメンバーの存在が事前に発覚して当局に逮捕される危険が迫っているとの内部情報を受けて、急遽前日に公開されたとのこと(正式公布日は12月10日となっている)。
そして、彼らの危惧は現実となった。
発起人と目される劉暁波は逮捕され、釈放を求める署名活動はいま、世界中の華僑華人のネット空間を満たしている。公開時には実名入りのネット署名者の数が303人であったものが、12月14日時点では1231人に増えた。逮捕されることを覚悟しても抗議の声をあげる人が増えているのだろう。署名者の中には著名な学者や作家、人権派弁護士や新聞記者など、知識人が多い。
数回にわたってネット上での中国政府による検閲制度を紹介してきたが、この事件でも中国語のGoogle(谷歌)検索で「08憲章」というキーワードを、単語のセットで検索した時に出てくる記事数は、一時期は521万件を越えたが、見る見る削除されて12月15日の夕方ごろには1万件台に収束していった(「08」でも「憲」でも「章」でも引っ掛かる件数は中国語簡体字で48万件、繁体字も含めると80万件ほど残っている)。なお、ここに示した数値は全て北京においてパソコンにアクセスした時の数値である。北京にいる知人がほぼ3時間おきに知らせて来てくれたものだ。
当初の件数が膨らんだのは削除が間に合わなかったこともあろうが、もう一つには、増えていく署名者を掌握するために当局がしばらく泳がせておこうと考えたからかもしれない。しかし拡大を抑える方に徹底したのだろうか、12月15日の夕方現在で残っている記事の中には、署名を呼びかけるものはほとんど見られなくなり、「08憲章」を非難するトーンのものが目立つようになった。
こういった事態が起こることは、私がこの連載に手をつけた頃から予想していた。これまでご覧いただいたように、中国は「民主」の導き手として、官と民(ネット市民=網民)がネット空間における主導権を激しく争っている。だが、民主の土台である「言論の自由」について、中国政府が見せている顔は、検閲をはじめとした非常に厳しいものだ。
言論抑圧への怒りが爆発し「ネット蜂起」
中国の庶民は、貧富の格差が大きいだけでなく、官が大企業と結びついて特権をほしいままに悪用し私腹を肥やしている現状に大いなる危機感を抱いている。網民はその庶民の代弁者として改善を求めるために膨大な書き込みを行っているのだが、その主張が次々と検閲に遭い削除されていく。それが民主と言えるのか。網民の大きな不満はそこにある。今回の事件はそれが形を取って爆発したものだ。
今年の8月頃に発見した以下に紹介するブログは、「08憲章」と同根の動きがいくつも潜んでいることを示す例だろう。ブログの作者は、ブログの最後に「尊厳のために我々は“ネット蜂起”を起こそうではないか!」と、不特定多数の網民に呼びかけていたのである。
彼の論点はなかなか興味深く、しかも「民主」を巡る争いから浸みだしてくる、政府の一見不可解な動きを見せてくれる。それこそが私がこの連載で一番掘り下げたい個所でもあるのだ。
まずは彼のブログ「博客日報」(「博客」は“Bo-Ke”と発音し、「ブログ」という意味)を読んでみよう。発表日は2008年7月2日で、作者のハンドルネームは漢尼抜(ハンニーバー。中国文字の「抜」には右肩に「、」がある。なお、2008年12月18日時点では、サーバーが故障し修繕中である旨のお詫びとお知らせ、このブログのメールアドレスが表示されている)。ネット警察に発見されにくいように、地名を中国語の発音記号で表現したり、「暴動」という単語を用いるときに「暴」と「動」の間に「/」を入れて「暴/動」と表現していることが、興味を引く。
タイトルは「言論の自由は与えられるものか、それとも勝ち取るものなのか」である。
書き出しは、2008年6月に貴州の瓮安(おうあん)で起きた若者の暴動(万を超える若者が警察や公安局を襲って焼き打ちをした、という事件)に関して論じているが、そこは主題でないので、事件の内容に関しては省略する。
物権法の施行を足がかりに
彼は、「なぜ政府は情報を封鎖しようとするのか?なぜCCTV(中央電視台)や新華網は暴徒の怒りの真の原因を報道する勇気を持っていないのか?」という疑問をぶつけた上で、 現在のネット検閲に関して、以下のように述べている。
インターネットは網民のネットであり、網站(もうたん。ウェブサイトの意味。站は日本語の駅に相当)は站長(駅長)の私有財産である。ネット上の全ての書き込みには全て網民の私的所有権がある。站長は自分のお金を投じてネット空間とドメインネームを購入しており、血の吐くような思いをして網民とともにネット家園を創り上げてきたのだ。
政府からは一銭のお金ももらってない。政府は私営ウェブサイトのいかなる株も持っていないし、<物権法>によって、政府は私営ウェブサイトのいかなる支配株主持ち分も持ってはならないことになっているはずだ。站長の一挙一動を指図する資格が、政府のどこにあるというのか?あなたたちは今まで、テレビ局や紙媒体のメディアをずっと操縦してきたではないか。あなたたちはわれわれ納税者のお金を使ってメディアがあなたたちの“喉と舌”になるよう仕向けてきた。だというのに、今度はわれわれが僅かに持っているネットの自由まで見逃さないというのか?
<物権法>(正確には中華人民共和国物権法)というのは、2007年3月16日に日本の国会に相当する全人代(全国人民代表大会)で可決され、その年の10月1日から施行され始めた、国民の財産権を保護する重要な法律である。
2004年の憲法改定では、すでに、「公民の合法的な私有財産は侵害されることはない」という大原則が明記されるようになってはいたが、それが遂に具現化し、社会主義国家の中国において私有財産の保護に関する具体的な法律が誕生したということは、画期的なことだ。これにより乱開発のための強制立ち退きにも歯止めがかかるようになった。
彼は続ける。
言論の自由は政府から与えられるものではなく、われわれ自らが勝ち取るものだ。中国は古来より、政府が庶民に言論の自由を与えるなどということは一度たりともあったことがなく、ただひたすら庶民から言論の自由を奪うことだけしかしてこなかった。彼らは言論の自由を奪うだけでなく、人々が情報を獲得するための自由さえ奪っている。庶民は“口がきけない者”にされているだけでなく、“耳が聞こえない者”および“目が見えない者”(という聾唖者)にならなければならない、ということになる。(中略)
われわれは聞きたい:人は真相を知る権利を持つべきなのか否か?人は真相を追及する権利を持っているのか否か?人は真相を話す権利を持っているのか否か?そして人は自分の身の安全のために真相を暴きだす権利を持っているのか否か?(中略)
なぜ一人のネット警察が勝手に網民が苦労して貼り付けた書き込みを強行的に削除して良いのか?なぜ大衆が 「これはすばらしい」 と思う書き込みが、ネット警察の憎悪の対象となるのか? 彼らネット警察は、いったい誰の利益を代表しているというのだろう?いったい誰が彼らにわれわれのウェブサイトを封鎖する権利を与えたというのだろう? ウェブサイトは私有財産だ。サーバーは私有財産であり、ウェブサイトとサーバー運営者との間には商業的な契約が成立しているのである。
漢尼抜(ハンニーバー)は「言論の自由」について、中国政府が公にしている法律に則って抗議している。 たしかに<物権法>に基づけば、インターネットは、“動産”の財産権であるかもしれない。
「言論の自由」への妙な「物わかりの良さ」が不満を増幅
中国政府は、言論の自由に関しての法律や憲法、その解釈においては、実は奇妙なほどにものわかりがよい。
例えば中華人民共和国憲法では、第35条の「基本的な政治の自由」という項目に、「中華人民共和国の公民は、言論、出版、集会、結社、デモおよび示威行動の自由を有する」という文言がある。もちろん、実際には守られていない。これらの自由にはそれぞれ、「政府が許可する範囲内における」という接頭語が付けられているのが現状だろう。
憲法第四十条には次のように書いてある。すなわち、「中華人民共和国公民の通信の自由と通信の秘密は法律によって保護される。国家安全あるいは刑事犯罪の追跡調査の必要性から、公安機関あるいは検察機関が法律の規定に則って通信に対して検査を行う以外、いかなる組織あるいは個人も、いかなる理由によっても公民の通信自由と通信秘密を侵犯してはならない」と。
ここまで通信の自由を守ると言っておきながら、個人のメールに “公安削除用語” があった場合でさえ、メールごと削除してしまうのである。
2003年11月25日、湖南省人民代表大会(日本の県議会にほぼ相当)の常務委員会法規工作委員会は、「憲法第四十条と民事訴訟法第六十五条および電信条例第六十六条(の間の整合性)を、どのように理解すればよいのか」という質問状を、中国の国会に当たる全国人民代表大会(日本では全人代と略記。中国語では全人大)常務委員会法制工作委員会宛てに提出している。湖南省の某移動通信会社が行政訴訟案件で、湖南省の党が委員会に法律上の回答を求めてきたが、これは委員会の権限の範囲を超える問題なので、教えを請いたいという質問状だ。
このような質問を「中国人大網」(全国人民代表大会のウェブサイト)に堂々と載せているということに、私は一種の深い感慨を覚えた。
これは角度を変えれば、激しいネット言論の検閲を行っている中国政府にとっては、かなり致命的な質問であるはずだからだ。
この質問状にある「中華人民共和国電信条例」第六十六条には「電信ユーザーが法に依拠して使用する電信の自由と通信の秘密は法律によって保護される。国家安全あるいは刑事犯罪追跡の必要から公安機関、国家安全期間あるいは人民検察院が法律の規定に基づいて電信の内容に関する検査を行うことを除けば、いかなる組織も個人も、いかなる理由によっても、電信内容の検査を受けてはならない」とある。
また人民法院が「中華人民共和国民事訴訟法」第六十五条に基づいて証拠を集めるための調査を行う時は、上述の憲法に符合して、公民の基本的権利を侵してはならないはずだ。そうなると、某移動通信会社には、これら関連の法文が整合性を持っていなければならないので、それに基づき保護されて良いのか否か、というのが質問状の骨組みである。
これに対して、2004年4月9日、全人代条委員会法制工作委員会が回答をし、その回答が同じページにある。回答は簡単に「湖南省人民代表会議法規工作委員会から来た書信が提出した意見に同意する」とのみ書いてあるだけだ。
「個人の尊厳を享受したい」
が、憲法がこれを保障しているとすれば、現状のような形でのネット検閲は違法にはならないのか、これが網民の怒りでもあろう。
冒頭のブログの作者・漢尼抜(ハンニーバー)さんは、その思いを以下のようにぶつける。
いったい誰が個人のウェブサイトを随時当直して書き込みを削除することを要求したのか?
私もかつて何度も站長(駅長)により(私の)名前を消され書き込みを全て削除された経験を持つ。またある時には、千に上る書き込みが一瞬にして影も形もなくなったということを経験している。しかし私自身は、それ故に站長に恨みを抱くということはしたことがない。なぜなら、彼らが直面している“圧迫”は、決して彼らが自ら望んで受けているものではないのを私は知っているからだ。
私たちは個人の尊厳を享受したいと望んでいる。
以下の私の文章はネット警察によって消されてしまったが、尊厳のために我々は“ネット蜂起”を起こそうではないか!
ここ以下は削除されているが、日本からだと見ることができるので、以下に記す。
ネット蜂起は決して違法ではない。憲法に基づくなら、公民には言論の自由がある。物権法に基づくなら、サーバーとウェブサイトは個人財産であり、任意に侵害されてはならない。ネット警察がもし「ある書き込みが違法である」と認識したのなら、彼らは書き込みをした人を提訴する権利を持っているのである。裁判所はその書き込みを行った某人に審判を行い、書き込みをした人は、自分の言論に責任を持てばいいのである。
ネット警察は他人の書き込みを(その人の了承なしに勝手に)削除する資格を持っていない。某人の言論が違法であるか否かに関しては、裁判所のみが判決を出す権利を持っているのであって、ネット警察に裁判官に代って審判を下す資格がどこにあるというのか?
非常に多くの事実が証明しているように、ネット警察によって削除された言論は、国家の法律には決して違反していない。彼らは非常に野蛮な方法で他人の自由を制限しており、これこそはまさに憲法違反なのである。
こういった網民の怒りが、今般の[08憲章」というネット民主運動につながったといえよう。
この連載が始まった最初の時に、私はいずれネットから「文化革命」が生まれるだろうということを書いた。その予感は的中していたことになる。流血のない革命だ。
「08憲章」では、「自由、人権、平等、共和、民主および憲政」に関して基本理念を位置づけ、それに基づいた新たな憲法の典章が19項目にわたり明記されている。そこには「三権分立や、人権保護、公職選挙、結社の自由、集会の自由そして言論の自由」等の主張が書かれているが、そこで主張されている多くは(三権分立等を除けば)、実は現在の中華人民共和国憲法にも謳われているものなのである。それなのに、それらが実行されない現状を招いているのは、なぜなのか?
「08憲章」は「党天下」への反逆である
それはすべて、「中国共産党の指導の下で」という“大前提”が憲法に明記されているからであり、全国人民代表会議という機構に全ての権限を集中させる「民主集中制」を堅持するという“大原則”が現憲法で定められているからだと言うことができよう。
それがあるため、どんなに憲法第35条で中国公民の「言論、出版、集会、結社、デモおよび示威行動の自由」を保証し、第四十条で「通信の自由と通信秘密の保護」を保証しても、少なからぬ条文に付帯条件として付いている「国家安全あるいは刑事犯罪の追跡調査の必要性から、公安機関あるいは検察機関が法律の規定に則って通信に対して検査を行う」か否かを判断する権利を党に求めることが正当化されるのである。
この大前提と大原則を覆して、「党天下」を崩し、三権分立と公職選挙の徹底により主権在民の施政を要求するとしたのが「08憲章」の基本精神だ。そして「中華連邦共和国」を樹立させようと訴えている。
この宣言の中で、最も私の興味を引いたのは、結語の部分に「政治の民主変革は、これ以上引き延ばすわけにはいかない」という言葉があることである。
この言葉はまさに、マルクスレーニン主義の砦であるような中国人民大学の前副学長・謝韜(しゃ・とう)が書いた『民主主義モデルと中国の前途』の中に出てくる言葉と全く同じだからだ。
これは何を意味しているのだろうか。
前にも何度か触れたように、それと相前後して、胡錦濤のブレインの一人と言われている兪可平(ゆ・かへい)もまた『民主はいいものさ』という本を世に出している。中国では出版に関しては国家新聞出版総署の検閲があり、それをクリアしていなければ出版はできない。特に兪可平は現役の中国共産党中央編訳局副局長だから、出版に際しては党の同意が必要なはずだ。
ネット空間で、網民による「ネット民主」に対してここまでの厳しい規制を行っている同じ政府が、なぜこのような、網民の見解と一致する側面を持つ「民主本」出版を許可したのか。
そこには、何かが潜んでいるはずだ――。
胡錦濤は「アメとムチ」で何を目論むのか
オリンピック開催に向けての「諸外国への単なるポーズ」とは私には決して思えない。このようなシグナルを出したからには、何かの政府の意図、というよりも胡錦濤の意図を予感せずにはいられないのである。網民のリアクションさえ、織り込み済みだろう。
私はかつて『卡子(チャーズ) 出口なき大地』(読売新聞社 1984年)という本の末尾で「破局することのない虚構の巧みさ。その手の打ちかた。大地の歴史の時間というのは、このようにして刻まれていくのか」と書いた。いままた、同じ感慨を以て、私を生み育んだ、あの大地の原則にぶつかった思いを抱かずにはいられない。
ネットから生まれた「民主」の奔流はどこに行くのか、そして胡錦濤は「中国式民主主義」をどこへ向かわせようとしているのか。実はこれこそがこの連載に潜ませた大きなテーマの一つだ。
そこに行きつくまでには、どうしても2006年から2007年にかけての一連の「民主論争」に関して、詳述しなければならない。次回からは、まずその現象を追い、続いてそのシグナルが何を暗示しているのかに関して、メスを入れていきたい。
なお、これまでご紹介してきた『ネット空間官民争奪戦』の著者たちである維権網は、“国境なき記者団”と連携を持っていたことが判明したし、また、まちがいなくそのメンバーの中に中国政府側の者がいることも、突き止めた。したがってこのリポートの信憑性に関しては非常に高いということが分かったが、そちらの継続的ご紹介に関しては、また日を改めることにしよう。
2010年10月8日 小瀧 麻理子(日経ビジネス記者)
史上最速で成長するネット企業――。
いまや世界のネットベンチャー起業家の憧れの的となっているのが、割引クーポンの共同購入のネットサービスを手がける、米シカゴのグルーポンだ。設立から2年余りで欧州やアジアなど29カ国、世界200都市に進出を果たした。
仕組みは単純。事前に決めた地域ごとに毎日ひとつの割引クーポンの販売を24時間以内という条件付で販売する。応募の人数に達した場合に、応募者に50%以上の割引クーポンを販売するというものだ。日本でも今年の春以降、類似の会社が40社以上も出現した。
同社を率いるのは29歳のアンドリュー・メイソン創業者兼最高経営責任者(CEO)。まるでバスケットボール選手のような190センチという長身だが、大学の専攻は音楽。柔らかい笑顔とは対照的な熱のこもった口調で、世界中を巻き込む“グルーポン革命”について語った。
(聞き手は日経ビジネス記者=小瀧 麻理子)
―― まずはグルーポンの会社の概要を教えてください。
メイソン 設立は2008年ですが、世界29カ国、200都市で事業を展開しています。地域では北米、南米、欧州、アジアで。これまでに数百万枚のクーポンを発行しましたかね。総額で数億ドル以上(1億ドルは83億円)の割引を実現している計算です。
従業員は2000人。うち半分くらいが割引サービスを発掘する営業部隊です。
始まりは社会貢献ビジネス
クーポンの対象は米国でもレストランがやはり一番多い。あとはスパ、エステ、レジャー系、ゴルフやボートクルーズなどまで、いろいろあります。
売り上げは公開していません。しかし、外部のアナリストからは今までのネットの歴史上で一番早く事業が伸びている会社だとも言われています。広告収入などは基本的にありません。
―― そもそも、どうしてこんなサービスを思いついたんですか。
一番最初は2007年11月にネット上に作った「ポイント」というサービスが始まりです。
これはある種、社会貢献的な取り組みで、寄付行為や何かのアクションなど、一定の人数が集まって、非営利的な取り組みを進めるプラットフォームでした。
このサービスの中に、同志を集めてグループ購入する機能があり、それがシカゴで大ヒットしたというのがグルーポン誕生のきっかけになりました。
大学の学部生の時には音楽を専攻していて、レコーディングスタジオで録音したりバンド活動に励んでいましたが、その一方でソフトを書いたりもしていた。卒業後もソフトウェアエンジニアリングをやっているうちに、周りの人たちがもっと頑張れと出資してくれたりもしました。
奨学金を得て大学院に入学することができ、パブリックポリシー(公共政策)を勉強することになりました。その途中にこのポイントのアイディアに投資してくれる人が現れて、大学院を辞めることになった。
客は新しい体験を求めている
今はビジネスがどんどん拡大していますが、根本的に考えているのは、このビジネスが誰かの助けになるということを期待しています。
アマゾンは流通に革命を起こしましたが、グルーポンはさらにローカルの活性化に結びつくところにビジネスの意義があると思っている。今までネットの恩恵を受けていなかった地域ビジネスなどに光を当て、メリットをもたらすのがグルーポンの革命です。
―― これまで提供したユニークなサービスや、地域や産業に影響を与えた例を教えてください。
創業から2カ月目に提供したサービスでとっても奇妙でユニークなのがありました。
すべての外部からの刺激を閉ざす環境を体験できる、という触れ込みで、常温の水がたたえられた卵形のシェルがあり、真っ暗闇のその中で浮かぶ、というものでした。
僕らは当時、冗談半分で、楽しいかな、とも思ってやってみたら、5%のユーザーがこのクーポンを購入したんです。
客は、普通に日常にあるものじゃなくて、新しい体験を求めているんだと学びましたね。
埋もれているものを掘り起こす
もう1つグルーポンサービスの力は、良いサービスを提供していても、埋もれているものに対して、有効なプロモーション手段になるということです。情報を掘り起こせるんです。
1つの例がボストンにあるヘリコプターの学校です。
ここは創業以来、なんと25年も赤字が続いていたのです。25年間の集客は5000人程度でした。ところが、グルーポンを利用したことにより、1日で2500人も集客することができた。今年、遂に初めて黒字化を果たしました。もちろん経営者もハッピーです。
そういった地域活性化の例は山ほどあります。
―― 今や日本を含め世界中に類似のサービスを手がける会社が誕生しています。どうやって差別化しますか。
世界中でざっと500以上、グルーポンをコピーしたサービスがあると聞いています。
音楽の世界ならばロイヤルティ収入が入ってきそうな状況ですが、ビジネスの世界でそうはいかない。それらのサービスと競争するしかありません。
でも、いろんな競争相手が出てきても、オリジナルは常に次の段階へと行くことができる。米アップルのiPadの類似の商品が多い中でも抜きん出ているのと同じです。
当社と他社の一番大きな違いは提供しているサービスの質です。
さきほどお話ししたように、うちは従業員の半分の約1000人が日々、面白い案件の発掘に動いている。持ち込みにはほとんど頼りません。持ち込まれる案件8つのうち7つは断っている状態で、高いレベルを保つよう努力しています。
最近、力を入れているのが、「パーソナライズドディール」というサービスで、地域や過去の購入履歴から分別して、新しいサービスを紹介するようにしている。グルーポンのサービス自体が進化しているんです。
今、米国でグルーポンの競合がたくさん出てきている理由の1つには、グルーポンに掲載してもらえない店舗が他社に殺到しているということがあります。今はグルーポンは3カ月待ちの状態になっている。
逆に言えば、グルーポン自体のキャパシティをもっと増やせば、こうした競合サービスは淘汰されていくでしょう。
東京をさらに細分化してみたい
―― この夏には日本の共同購入会社、クーポッドを買収し、日本市場への参入を決めました。
日本市場は、グルーポンが成功したシカゴなどの都市部と同じ性質を持っています。
大都市に人口が密集し、いろいろなサービスが存在しており、人々は外に遊びに行くのが好きなようです。グルーポンが広がる好条件がそろっています。
進出に当たってはクーポッド以外にも様々なチームと接触しましたが、ネットしか分からない企業とはやりたくなかった。ユーザー体験への考え方や企業文化などを重視してクーポッドを選んだ。
今後はグルーポンのノウハウをクーポッドに提供していきたいと思います。あらゆる失敗をしてきましたからね(苦笑)。
どのような種類のクーポンをどのような人に組み合わせて販売するのがよいのか、オペレーションや集客のノウハウ、ファイナンスのやり方などいろいろなことを共有していきたいと思います。
また、大都市ではさらに区分化が進んでいます。例えば東京という地域もより区分けしていくなど、ユーザーから見てより身近に感じてもらえる場所を提供していきたい。
―― 今後やってみたいビジネスはありますか。
世界中でローカルのビジネスを活性化させていきます。それと同時に、大企業とのタイアップも面白いですね。
米ギャップと全米全ての都市でタイアップする企画をやりましたが、非常に反響が良くて、1日50万クーポン売れました。こうした新しい分野も拡大していきたいです。
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