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櫻井よしこ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%BB%E4%BA%95%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%93
正論大賞
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%AB%96%E5%A4%A7%E8%B3%9E
2011.2.16 22:46 産経ニュース
16日に開催された第26回「正論大賞」の贈呈式には保守の代表的論客でジャーナリストの櫻井よしこ氏(65)の関係者約500人が駆けつけ、櫻井氏の受賞を祝った。
艶やかな和服姿で臨んだ櫻井氏は拍手に笑顔で登壇。スピーチでは「日本は紛れもなく国家存亡のふちに立っている。個別の問題解決も重要だが、根っこが腐っている。六十数年の戦後日本社会の根幹を見直すことが真に必要なことだ」と力説した。
祝辞を述べた田久保忠衛・杏林大学名誉教授(78)は櫻井氏の言論活動の魅力を「一つはフィールドの幅広さ、次に正義感、行動力を強く兼ね備えている点。そしてジャーナリストというカタカナ7文字の肩書だけで勝負している点」と表現した。
式典に先立ち櫻井氏は今年7月で100歳を迎える母、以志(いし)さんと会場で記念撮影。「母から言われた『あなたのことを、いつも神様が見ていらっしゃる。たとえ神様が見ていらっしゃらないときでも、自分自身が見ているのだから、自分に恥じないように生きなさい』という言葉が折々に蘇る」。櫻井氏がそう述べるように、以志さんは最も大切で最愛の存在だ。
著書全てに目を通す“読者”であり絶えず見守り支え、励ましてくれる以志さんと晴れの舞台にあがった櫻井氏は緊張気味の以志さんのそばに寄り添いながら「お母さん。よしこがいるから大丈夫」といたわり受賞を報告した。
◇櫻井よしこ氏に正論大賞 日本の誇り回復へ精力的に!
2010.12.6 17:00 産経ニュース
第26回正論大賞がジャーナリストの櫻井(さくらい)よしこ氏(65)に贈られることが決まった。フジサンケイグループがこのほど開いた正論大賞の選考委員会で、日本再生へ向けた精力的な言論活動が高く評価された。
正論大賞はグループの基本理念である「自由と民主主義のために闘う正論路線」を発展させた学者、文化人らに贈られる年間賞。
櫻井氏は「日本文明を誇りとする」立場からシンクタンク・国家基本問題研究所を設立、「日本人の誇りと志」を取り戻すべく提言を続けている。櫻井氏は、周辺への膨張、歴史の欺瞞を続ける中国に対して厳しい目を向け、日本が戦略的な対応をとる必要性を強調。尖閣諸島沖漁船衝突事件などをめぐる民主党政権の混迷を厳しく論評している。
また、家族、皇室、靖国参拝など日本の伝統的な価値観を尊重し、民主党が推進しようとする外国人参政権などには明確なノーを突きつけた。こうしたぶれない姿勢と切れ味鋭い論調が正論大賞にふさわしいと評価された。櫻井氏は産経新聞「正論」執筆メンバー。
新進気鋭の言論人を見いだして顕彰する新風賞は今年は該当者はいなかった。
正論大賞の正賞はブロンズ彫刻「飛翔」(御正進氏制作)、副賞は賞金100万円。贈呈式は来年2月16日夕、東京・グランドプリンスホテル赤坂で行う。
◇グレートマザー物語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC%E7%89%A9%E8%AA%9E
◇櫻井よしこの母~大丈夫は幸せの合言葉~
第61話 2002年8月18日放送
ジャーナリスト。ベトナム生まれ。ハワイ大学歴史学部卒。新聞記者を経て、昭和55年、34歳の時から16年間、ニュースキャスターを務める。柔らかな口調でニュースを伝える一方、自ら現場へ出かけ取材も行ってきた。現在は薬害エイズ、日米関係など、国内外を問わず徹底した取材と、独自の分析で、執筆を中心に活動する。
櫻井よしこの母、以志は今年、91歳。60歳から始めた日本舞踊は、毎日稽古を欠かしたことがない。稽古では自分より10歳も20歳も若い友人達と一緒に稽古を受けている。よしこがニュースキャスターをしていた頃は、出演していたニュース番組を、16年間、ビデオに録画していた。厳しい世界に生きるよしこを影ながら応援してきた。
母、以志は、新潟、東京、台湾、ベトナムと、国内、海外を移り住み、波瀾の人生を送る。
明治44年、以志は新潟県小千谷市の山村で生まれた。機織りをして暮らしていたが、21歳の時に都会に憧れ上京する。東京で美容学校に通い、台湾で美容院を開く。海南島で貿易商を営んでいた夫と結婚。そしてベトナムへ渡るのだった。
昭和20年、日本の敗戦から間もなく、よしこがベトナムの野戦病院で生まれる。戦後の混乱の中、一家を強盗が襲う。家に侵入した7人組が、抵抗する父を縛り、斬りかかろうとする。その時、以志は「主人を刺さないで私を刺しなさい」と強盗の前に出て立ちふさがるのだった。
戦後、引き揚げてきた一家は大分で暮らす。しかし、東京で仕事を始めだした父は、家に帰らなくなってしまう。子供達の生活が荒れることを心配した以志は、「孟母三遷。明日、引っ越します。」と突然言い放つ。以志は二人の子供を連れ、親戚を頼って新潟へ引越すことを決める。「お母さんが働いてあなた達を育てるから大丈夫よ。」子供達を励ましながら、母、以志は家計を支えていく。
七夕の日に生まれた以志の91歳の誕生会が開かれた。以志の人柄を慕って集まった親類や友人など、100人以上の人々が以志の誕生日を祝った。以志は毎年この会で、日本舞踊を披露する。常に前向きに生きてきた以志。今年も、年に一度の舞台の幕が開いた
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