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売るのは秋田の地酒だけ、「限定」商売で逆風を生き抜く!
「秋田地酒の伝道師 天洋酒店浅野」
http://www.shirakami.or.jp/~asano/
016-0824
秋田県能代市住吉町9-22
天洋酒店 浅野貞博
0185-52-3722
090-3754-9434
asano@shirakami.or.jp
2010.12.20(Mon) JBプレス相場英雄
皆さんの住む街の商店街で、鮮魚、本、お酒などを売る個人商店が何軒あるだろうか。ちなみに筆者の住む街で鮮魚店はゼロ、書店は3軒、酒屋もわずか1軒だけだ。
大規模店舗が幅を利かせる中、魚屋、本屋、酒屋と「屋」がつく個人商店が次々に姿を消している。
しかし、不況が長期化し一段と疲弊する地方都市にありながら、全国から客を呼び寄せ、気を吐く個人経営の酒店がある。
全国の個人商店に厳しい逆風が吹く中、一体何が顧客の心をとらえているのだろうか。
扱い品目は秋田の地酒のみ
帝国データバンクの2010年度上半期の全国企業倒産集計によると、酒小売業の倒産は39件に上り、前年同期比で50%増加した。
同社によれば、半期ベースの集計では過去最多であり、「不況による販売不振のほか、スーパー、コンビニ、ディスカウンターとの価格競争も影響し、小規模業者を中心に倒産が続発した」。全国規模で「屋」がつく個人商店が追い込まれている姿が、同社のデータに如実に反映されている。
今回、筆者が取り上げるのは秋田県北部の港町、能代市にある「天洋酒店」だ。
なぜ筆者がこの店に注目したのか。その理由は、そこには不況を逆手に取るしたたかな戦略があるからなのだ。
天洋酒店の創業は1917(大正6)年、現在の店主・浅野貞博氏で3代目となる。年商は約5000万円と決して多くはない。
天洋酒店が全国の個人経営の酒店と一線を画すのは、扱い品目が日本酒、しかも秋田地酒のみという点だ。酒どころ秋田には、38の蔵が存在する。天洋酒店はその中の10蔵、約70銘柄を扱う。
ビール、焼酎、ワインと消費者の好みが多様化する中、なぜ日本酒、しかも県内の10蔵限定なのか。
筆者は2009年に拙著『誤認』(双葉文庫)の取材でなんども能代に出かけたが、市内の至る所にコンビニやスーパー、酒のディスカウンターが立ち並んでいるのを目にした。
浅野氏は10年以上前に、こうした状況が顕在化していくとにらみ、「97年にビールや焼酎、ワインの販売から一切手を引いた」と語る。駐車場を備えた店舗を作っても、大資本が大規模店舗を出店すれば、地元の飲食店向けなどで営んできた昔ながらの商売は太刀打ちできなくなると予想したからだ。
日本酒に特化した直後、当然のごとく売り上げは減少。ピーク時の7000万円から2400万円まで激減した。しかし、粗利益率はピーク時の18%から25%にアップした。ディスカウンターの台頭でビールや焼酎の利幅が減少する中、付加価値の高い日本酒のみを提供したからだ。「日本酒に特化して以降、売り上げは一度も落としていない」という。
能代はかつて秋田杉の一大集積地として栄えたが、現在は他の地方都市と同様、お世辞にも活気に溢れているとは言い難い状況にある。おまけに日本酒離れが叫ばれて久しい中、どこにビジネスのキモがあるのだろうか。
杜氏も知らない酒の持ち味を引き出す!
天洋酒店の店舗で、浅野氏が数種類の地酒を筆者の前に並べた(下の写真)。
いずれも県内の蔵元が小数限定で造った地酒である。右端にあるのは熱湯を入れたポットだ。このポットの中にお手製の試験管を入れ、お燗をして飲み比べをさせてくれるのだ。
日本酒の知識が乏しい筆者は、従来キンキンに冷やした酒を嗜んできたが、「温く燗をすることで、酒の風味が変わる」というのだ。
実際、燗の時間を変えることで、辛口だった酒の味が果実味を帯びた風味に変化したり、尖った味がまろやかに変貌するなど、今まで体験したことのない日本酒を味わった。
蔵元の杜氏たちは、常温状態で評価される品評会向けの酒造りに注力するが、様々な条件で飲むスタイルまでは想定していないという。お手製の「燗テスター」は「杜氏さえ知らない酒そのもの潜在能力を引き出すツール」なのだ。
浅野氏は、頻繁に蔵元に足を運ぶ。「酒の出来はもちろん、去年とどう違うか、杜氏や蔵元から得た情報を顧客にいち早く伝えるため」だ。
1~3月の仕込み中にも蔵元を訪れる。仕込みの時期、しかも豪雪の中を訪問できる蔵の数は限られる。だから、天洋酒店が扱う蔵元は10程度にとどまるのだ。これが天洋酒店の強みとなっている「限定」の根幹である。
メルマガを発行しているが、サービスはアナログ!
天洋酒店には約3000人分の顧客リストがある。このうち、定期的に500人の顧客から注文が入るという。
内訳は秋田県内が1割、残りは北海道から沖縄まで全国津々浦々に及ぶ。「当初は手紙を郵送していたが、メルマガを導入して以降は格段に蔵の情報伝達速度が上がった」という。日本酒党、特にマニアには得難い情報に違いない。
固定客のうち、何割かは実際に能代を訪れてくる。すると、浅野氏は自らハンドルを握って能代市内の喜久水、八峰町の白瀑、由利本荘市の由利正宗、湯沢市の福小町などの蔵元に案内する。また、地元の食料品店や景勝地、郷土料理を出す居酒屋にも同行する。こうしたガイドはすべて無料だ。
「楽天などのネット市場への出店を勧められる機会は多いが、実際に顧客と接して地酒を理解してもらう方がよい」として、「アナログ」なサービスを提供し続ける心構えだという。
浅野氏に天洋酒店の強みを尋ねると、即座にこんな答えが返ってきた。「長年の取引を通じ、職業や家族構成、好きな酒のタイプ等々、お得意様を知り尽くしていることでしょう」
物流の発達とともに、天洋酒店が扱う秋田地酒は都会でも購入が可能な上、問屋やネット市場でも入手可能だ。ただ、一度馴染みになった顧客は離れない。蔵元情報の素早い配信と、きめ細かな顧客対応が「次もあの店で買う」というリピーターを生んでいるからだ。
全国の地方都市で、大規模流通資本が街を壊し続けているが、「得意分野に特化」し「きめ細かい顧客対応」を実践することができれば、天洋酒店のような個人商店でも十分に対抗できると筆者は見る。
かつてブランド米として一世を風靡(ふうび)した「ササニシキ」。宮城県で誕生し、「宮城=ササニシキ」のイメージがあったが、冷害に弱く栽培が難しいことなどから作付けが激減した。だがササニシキには根強い需要があることから、宮城県古川農業試験場(大崎市)はササニシキの食味があり、冷害に強いひとめぼれのような栽培しやすい新品種の育成に取り組み、「東北194号」を実らせた。デビューに向けた準備が進められており、関係者はササニシキの食味を受け継ぐ“新人”の登場に期待を寄せている。(石崎慶一)
ササニシキとひとめぼれを生み出した古川農業試験場では平成13年、ササニシキを母、ひとめぼれを父に人工交配。栽培を重ねて世代を進め、食味がササニシキに一番近いものを絞り込み、19年に東北194号の試験番号が付けられた。試験場内のほか、20年からは県内農家の水田で県の奨励品種決定の判断材料を得るための試験栽培も行われている。
ササニシキの食味に近いものの選抜は、コメの食味鑑定の第一人者のいる農業・食品産業技術総合研究機構食品総合研究所(茨城県つくば市)と共同で取り組んだ。炊いたご飯の表面の硬さや粘りを機械で計測、ササニシキに近い食味のものを選んだ。
ともに銘柄米のササニシキとひとめぼれの系統を引く東北194号は、いわばコメの世界の“サラブレッド”。だが「本当は掛け合わせてはいけない組み合わせ。互いに弱点が多すぎる。こうした中で東北194号を得られたのは、いろいろな面で運がよかった」。試験場作物育種部の永野邦明部長はこう語る。
全国で主流を占めるコシヒカリ、コシヒカリ系の食味の特性は「粘り」。一方、少数派のササニシキは「あっさり」した食味が特徴。だが、その食味や冷めてもおいしいことなどから、寿司(すし)や和食の業界で引き合いがある。試験場ではこうした店にサンプルを送り、試してもらっている。「東京の大手寿司店からは『文句のつけようがない。ササニシキ以上』との評価をもらった」と永野部長。
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ササニシキの県内の作付比率(21年産うるち米)は9・2%と1割を切っている。全国的にはわずか0・6%と、いまでは「希少価値」のコメとなっている。かつては全国第2位の作付面積だったが、なぜ減ったのか。「ササニシキは気象変動に弱かった」と永野部長は指摘する。
ササニシキはブランド米としての地位を確立していたが、昭和55年以降、冷害がたび重なり、良質米を安定供給できなかったことから、消費者や卸売業者の評価を下げた。「55年の冷害でササニシキの弱点が暴露された」(永野部長)
これを契機に試験場では、冷害に強い品種開発について根本から見直し、その結果、生まれたのが平成3年にデビューした「ひとめぼれ」だった。昭和56年に冷害に強いコシヒカリと初星を交配して育成され、63年、平成5年の冷害で強さを発揮。ササニシキからひとめぼれへの作付け転換が急激に進んだ。6年には全国の作付面積第2位に躍り出て、ササニシキとの立場を逆転した。
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こうしてササニシキは少数派となったが、栽培しやすいササニシキタイプの品種が登場すれば、その食味への需要が再び広がる可能性はある。県農林水産政策室は「コシヒカリと違う食味なので、商品としてブレークする要素はある。ネーミングを含め、どう売っていくか、検討していく。ブランド力のあるコメにしたい」と期待する。
県は今年度、農水省へ品種登録を申請する方針で、県の奨励品種とするかどうかの検討も行う。商品化では、県の農商工連携プロジェクトとして取り組むことになり、今年はセールスに向けて2ヘクタールで栽培される。来年以降、販路を開拓するなどして、数年後に「まとまった面積の作付けができれば」(県農林水産政策室)としている。
◇
■コメの全国作付比率
農水省によると、平成21年産うるち米の全国の作付比率のトップはコシヒカリ(主要産地新潟、栃木、福島)で37・3%。2位はひとめぼれ(同宮城、岩手、福島)の10・6%。東北関連では、あきたこまち(同秋田、岩手)が7・8%で4位、はえぬき(同山形)は2・8%で7位、つがるロマン(同青森)は1・6%で9位。まっしぐら(同青森)が1・3%で10位。ササニシキ(同宮城、山形)は0・6%で18位
2010.12.10(Fri)JBブレス 有坪民雄
魚沼コシヒカリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E6%B2%BC%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AA
ゆめぴりか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%81%E3%81%B4%E3%82%8A%E3%81%8B
つや姫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%82%84%E5%A7%AB
東北194号
http://sankei.jp.msn.com/region/tohoku/miyagi/100520/myg1005200253003-n1.htm
新潟にとって画期的だったコシヒカリの導入!
日本のコメのチャンピオン「コシヒカリ」が初めて新潟県に導入される時、その食味の良さはほとんど評価されていませんでした。
確かに食味は良いのだが、収量が多いわけでもなく、農家にとって嫌な「倒伏」(イネが倒れてしまうこと。稲刈り作業が大変になる上に品質が低下することも多い)しやすい品種ということで、むしろ投入しない方がいいというのが新潟県の考えでした。
コシヒカリの素質の良さを分かってもらえない導入派の人たちは、とんでもない理由をつけて新潟県に導入を承諾させます。
今の農家は肥料がふんだんに手に入るから、イネに肥料をやり過ぎて倒伏させてしまう。その悪い癖を直させるために、あえて倒伏しやすいコシヒカリを導入すべきだ、としたのです。
そんなむちゃくちゃな主張に折れて、1963(昭和38)年に新潟県はコシヒカリを奨励品種に指定しました。
日本でコメの自給率100%が達成されたのは68年。減反開始が70年。新潟でコシヒカリの普及が進んだのはそんな時期でした。ちょうどその頃、絶妙のタイミングでコメ市場が食味重視に変化しました。
かつて新潟のコメは、「鳥も食わないでまたいで通るほどまずい」という意味の「鳥またぎ米」とさえ言われていました。それがコシヒカリの登場で、日本一のブランド米産地となったのです。
日本一の座を虎視眈々と狙う北海道!
それから約40年たった2010年、北海道産の新品種「ゆめぴりか」の東京での販売が始まりました。
北海道は以前から打倒コシヒカリに情熱を傾け、「きらら397」をはじめとした新品種の導入を進めてきました。その努力は相応に認められ、現在は新潟に次ぐブランド米の産地としての地位を築いています。
そして、今回の「ゆめぴりか」です。ゆめぴりかに北海道はかなり自信を持っており、新潟産コシヒカリの「日本一のブランド」という地位を北海道が奪取するのではないかともささやかれています。新潟がコメの頂点を極めた時代は終わりつつあるようです。
「いや、北海道にトップは奪われるかもしれないが、それでも2位にいるなら依然としてブランド米だろう。新潟のコシヒカリが安くなることはない」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。
ところが2位でもいられなくなるかもしれません。理由は地球温暖化です。
今年、日本のコメ農家を襲った高温障害はあまりのひどさのためニュースになりましたが、実は以前から温暖化のため、コメの高温障害は年々多くなってきつつあります。
その影響は、最高のコシヒカリを作るとされている新潟県魚沼地方にも及んでいます。
地球温暖化で「魚沼コシヒカリ」を名乗れなくなる?
下のグラフをごらん下さい。これは魚沼コシヒカリの産地である十日町市と津南町の8月(1980~2010年)の平均気温の推移です。赤い線が十日町、青い線が津南町の平均気温を表しています。
8月はコシヒカリの登熟期(穂が膨らんで米粒ができつつある時期)で、24度が最適気温とされています。この時期に高温にさらされると高温障害によって白濁米(半透明ではなく白粒になる)になりやすくなります。
一般に26度が警戒ラインです。逆に低温障害により収量が激減する可能性が高いのが23度以下です。
十日町市と津南町は地理的には隣同士。しかし、ご覧のように平均気温において1~2度の差があります。そうなる理由は、津南町には日本最大級の河岸段丘があり、比較的、高いところに立地しているからです。
ざっと見て、この30年間、十日町市は高温障害の危険ラインを越えることが多く、津南町は冷害の危険が高いのと引き換えに、26度の警戒ラインを越えることはなかったことが分かります。
実際、同じ魚沼コシヒカリの中でも、高度の高い地域とそうでない地域での品質差が認識されつつあります。
魚沼コシヒカリは、文字通り魚沼で生産されているコシヒカリにつけられる称号です。しかし今後、温暖化が進んでいくとすると、魚沼の中でも一部の生産地しか魚沼コシヒカリを名乗れないようにする必要が出てくるでしょう。品質の格差を放置すれば、ブランドの名声に傷がつくからです。
そうなれば魚沼コシヒカリの生産量は激減します。ブランドから外された地域のコメ農家は当然ブランドのプレミアムを享受することができません。
気候変動に対応する新品種が求められる!
魚沼全体のブランド力を維持するには、別の選択肢もあります。現在の気候に合った新品種を導入することで「脱コシヒカリ」を推進し、コシヒカリに匹敵するブランドを新たに構築するのです。
明治時代から日本の品種改良は本格化し、コメにおいても多くの品種が開発されてきました。しかし、40年間も王座に君臨していた品種はコシヒカリのみです。
そうなった理由は、開発当時「作れたのが奇跡だ」とも言われるほど食味が良かったからです。けれども、今ではコシヒカリに勝るとも劣らない品種はいくらでもあるのです。
同じことが、温暖化がより深刻な西日本にも言えます。コメは、日本よりもっと南の温暖な地域が原産です。もともと高温には強く、冷害に弱い作物だったのです。しかし日本は、冷害に強いコメができるごとに栽培地を北上させていった歴史があるせいか、高温障害対策にはあまり力を入れてこなかったようです。ここに来て、西日本では高温障害に強いコメの導入を検討し始めています。
魚沼コシヒカリを頂点とする新潟の覇権を奪える最短の位置にいるのは、今のところ北海道です。しかし、この先の地球温暖化の進展具合と、その対策次第では、北海道が王者でいられる期間は40年もないかもしれません。
鎖国せよ日本、誠実な国アメリカ、仙谷さんのお話
2010.12.18(Sat)JBプレス川嶋諭
中国や韓国が思いっ切り国際化へ邁進している一方で、日本は海外より国内志向を強めている。とりわけ若い世代は内向きで、国際化どころか、東京など大都会へ出てくる意欲も見せず地元志向なのだという。
中国、韓国の勢いに比べて日本は何たる・・・
こうした傾向を「いかん、いかん。日本をガラパゴスにしてはいかん」と、中年過ぎの大人たちは私を含めて異口同音に危機感を口にしてきた。
確かに、お隣の国々の勢いには目を見張るものがある。
その姿はいくつもの記事で紹介してきた。例えば、「韓国に絶対勝てない日本、理由は教育にあり」「成長戦略でもたつく日本、素早い韓国の後塵拝す」「中国で人気を博すディズニーの学校」など。
しかし、この記事「現代日本の繁栄は、江戸時代の鎖国に源流あり」を読むと、全く別の視点が見えてくる。何だか胸の奥に潜んでいたもやもやが晴れたようにさえ感じる。
江戸時代の鎖国政策には、これまでプラス面とマイナス面の両方が盛んに議論されてきたが、この記事のプラス論にはとりわけ納得させられるものがある。
江戸時代、鎖国政策は取りながらも、実のところはオランダとの交易は続けていたのは周知の通り。
当時のオランダは宗教的にはプロテスタントであり、宗教的制約だらけになっていたカトリック国とは違い、自由な環境で科学技術が急速に進んでいた国の1つだった。
日本は錆びついた伝統に縛られていた国々からの影響をシャットアウトする一方、当時の最先端の国とは付き合いを深めていた。
錆びついたシステムから隔絶することも成長の条件!
その蓄積があるからこそ、明治維新後に画期的な成長を遂げることができた、というのである。
ならば、日本のトップマネジメントにリーダー不在で指針が示せない現状では、どうせ決めても後で二転三転する政策はやめて、時の流れに身を任せるのも面白いかもしれない。
若者たちが田舎にいたいのであれば、それは良いではないか。海外に行きたくないのであれば、それも良いではないか。ガラパゴスの何が悪い。“鎖国”の何がいけない。
12月16日、JBpressがメディアパートナーになっているエコノミスト・コンファレンス「ジャパン・サミット2010」が東京で開催された。ここでも国際社会からの引きこもりを強める日本の問題点がさんざん議論されていた。
新しい鎖国時代に突入した日本!
英エコノミスト誌のヘンリー・トリックス東京支局長は「日本は新たな鎖国状態に入った(Japan is in a state of “neo-Sakoku”)」とまで表現した。
確かに、オープンイノベーションの必要性など、国境を越えたネットワークが新たな革新を生み出すことは分かっている。しかし、無理して頑張っても、国全体や当事者の意志が弱い中では、ぎらぎらと目を輝かせているお隣の国々には勝てそうもない。
一番手を目指すのはムダであると、政権与党の政治家が言う国である。でも二番手どころか三番手、四番手になれるかも怪しい努力をしたところで、メリットは全くない。それこそムダな努力の極致であろう。
ならば、ここは一度身を引いて、“鎖国して”、日本の行く末を長い目でしっかりと見極め直す時期なのかもしれない。伊東乾さんの記事はそんな示唆を与えてくれている気がする。
東京を目指さず、地方に若者が帰ったり留まれば、そこで何かが起きる可能性もある。江戸時代との最大の違いはITの普及である。日本中ほぼどこでも光ファイバーの高速回線でインターネットにつながる。
暇すぎることの効用もある!
地方にいても世界中の情報に触れることができる。必要な情報はそこから取りながら、また日本が得意なITの技術を駆使して、地方の文化に合った面白い事業が生まれる可能性がある。若者のエネルギーとはそういうものだと思う。
子供の教育では、親が指示を与えすぎるのはよくないと言われている。あれをやれ、これをやるべきだと強要しすぎては子供の自主性を押し殺してしまう。
自分たちの子供時代を考えれば、暇をもてあましすぎていた時代がいかに大切だったことか。一心不乱に受験勉強に明け暮れていた時代もそれはそれで大切だった。
でも、暇すぎて何をしていいか分からなかった時、父親の書棚から本をこっそり借りて読みふけったり、書店を回って人生に示唆を与えてくれる本を必死で探したりしていた頃もまた極めて大切だった。
実際、最近は地方発の若い元気な企業が誕生し始めている。例えば、熊本県の松本農園は日本経済新聞やNHKも取り上げた元気な農業法人である。
ITを駆使して農業を徹底的に管理、ここで採れる新鮮で安全な野菜は高くても飛ぶように売れる。海外からの引き合いも強く、輸出を拡大しているという。日本は弱いとされてきたはずの農業が高い国際競争力を持つことができる格好の例だろう。
日本は世界有数の資源国、まだ何も開発していない!
JBpressでは過去に非常に読まれたこの記事もあった「なぜか『勝ち組』若者が移住してくる離島」。何も韓国や中国がそうしているからと言って、海外ばかりに目を向けるのが能ではない。
日本には北から南まで非常に長い海岸線があって風光明媚、海産物も豊富、気候も優れて水も美味しい。世界の地震の2割が集中していることのトレードオフとして素晴らしい温泉の数々がある。山林が多いとはいえ、農地としては世界有数の土壌を誇る。
そうした世界にはあまりない資産が有効に活用されてきたとは決して言えない。今まで、東京を目指し、世界を目指しすぎてきたために、地方は置いてきぼりを食ってきた。若者が地方を選ぶなら、足元の優れた資産に必ず目を向けるはずである。
一方、都市部を中心に一部の若者たちは相変わらず世界を目指している。
米国のハーバード大学などへの日本人留学生が減り、中国や韓国からの留学生が爆発的に増えていると言われるが、日本人の学生に占める海外留学の割合が減っているわけではない。
米国以外の国へ留学する学生が増えているだけなのだ。中国や韓国が米国偏重すぎるのである。AFPBはこんな記事を配信している。「中国版世界大学ランキング、米国勢が上位独占 欧州から批判も」。
極めて誠実な国へと変貌した米国!
日本の学生のダイバーシティーが増していると考えれば、日本を悲観する材料にはならないのではないか。地方に留まることもダイバーシティーの表れと言える。
そう考えれば“第2の鎖国”に見える現在の日本は、新しい夜明けへ向かうための必要なステップなのかもしれない。
さて、今週は海外の記事に読みごたえのある記事が多かった。例えば、この記事「米国はアサンジ氏に勲章を授けるべきだ」は、ウィキリークスによる米国の公電公開が、実は米国にとって害悪どころか、世界中に米国という国家の誠実さを示す結果になっているというもの。
だから米国はジュリアン・アサンジ氏を目の敵にせず勲章を与えよというわけだ。記事では次のように書いている。
この2週間に公開された文書には、米国が悪意のある外交政策を展開したり二枚舌を使ったりした証拠がほとんど見られない。これには世界中の陰謀論者が深く落胆しているに違いない」
「総じて見れば、ウィキリークスによる外交文書の暴露によって浮かび上がった米国の姿は好ましいものである」
「この国の外交政策は筋が通っていて知的レベルも高く、実用主義に徹しているという印象だ。恐らく、それこそが最もしっかり守られていた秘密だったのだろう」
米国は実は陰謀にまみれた手を次々と打っているんだぞという印象を世界中に抱いていてほしかったのに、誠実であることがバレてしまった。ポーカーフェイスの裏には実は何も隠されていないことを知られてしまった。
これからは交渉相手を疑心暗鬼にさせることができなくなる、という点が最大の問題だというわけである。
金利上昇、世界経済は復活への軌道に乗った?
世界的に金利が上昇し始めている。その点に関しては英フィナンシャル・タイムズ紙のこの記事「金利の上昇が吉報である理由」が明快な論を展開している。
米国のQE2(量的緩和の第2弾)によって、米国債などの価値が下落し反作用として金利が上昇しているという危機を宣伝する人たちに向かって、筆者のマーチン・ウルフ氏は次のように述べている。
「金利が上昇しているのは、恐慌の心理が和らいでいるからなのである。運が良ければ、景気回復は軌道に乗るだろう。バンザイ!」
その根拠として、今まで低金利の状態が続いてきたのは「貯蓄の過剰というよりは、むしろ投資の不足である」と言う。
第2次世界大戦後の復興需要や米国の生産性に追いつくための投資需要が息切れしたために、GDPの水準が高い国の投資が急減したことが投資の不足をもたらした」
「世界のGDPに対する投資の比率は1970年代には26.1%あったが、2002年には20.8%にとどまった」
「それが今、新興国が経済発展を遂げることから、この流れは反転すると見て間違いないように思われる。また、高齢化の進展や大きな新興国での消費の拡大を受けて、世界全体の意図された貯蓄も減少する可能性が高そうだ」
「そうなれば、貯蓄に対する需要はその供給に比べて増加し、実質金利は上昇することになるだろう」
つまり、新興国が順調な経済成長を続けているおかげで、起こるべくして起きている金利の上昇であり歓迎すべきだと言うのである。
だとすれば、日本経済にとってもありがたいことになるが、日本国債の金利上昇と価格低下は財政難に悩む日本政府にとっては、また1つ頭の痛い問題が恒常化することを意味する。
仙谷由人官房長官のお話をたっぷりどうぞ!
さて、今週の3つ目のテーマは仙谷由人官房長官の講演をお送りしたいと思う。先週の週末版では名前を伏せて書いたものの、官房長官の発言を揶揄する部分があった。
この点に関し、仙谷官房長官と懇意にされているある方から、「発言の言葉尻をとらえて批判するのは、ほかの新聞、雑誌、テレビと何ら変わらない。JBpressの意義がないではないか」とのご意見をいただいた。
仙谷官房長官は日本を憂い、しっかりした日本の指針を持つ日本が誇るべきリーダーであるという。確かに、官房長官が様々なテーマにコメントするのを見たり聞いたりする機会は多いが、じっくりと政策を見聞きする機会は少なかったように思う。
いずれ官房長官にはJBpressのインタビューに応じてもらいたいと思うが、今回、官房長官がエコノミストのコンファレンスで基調講演をされたので、まずはその内容をたっぷりお伝えしたいと思う。それではどうぞ。
仙谷 ザ・エコノミストのフォーラムにお招きいただきまして、誠に恐縮しております。何と言っても世界最高の経済誌でございますので、エコノミストに評価をいただけるかどうかは、世界中で菅直人政権がどのように評価を受けることになるんだろうと思っております。
まず、私がかねがね考えておりましたことは皆さん方とそれほど変わるわけではありません。
いま世界経済の中で営まれています市民社会というものを私なりに見ておりますと、アジア、中国をはじめASEAN(東南アジア諸国連合)の極めてダイナミックな成長と先進国の悶え苦しみということが1つの特徴であると言えます。
この現象のキーワードはグローバリゼーション、そしてそれを倍加させるITの発展になるんだろうと思います。
ケインジアンポリシーの有効性が消えた!
従って1つは貿易のみならず情報が国境を越えるという事態は、国民経済という今までの思考の枠組みがどこまで有効なのか。
つまり福祉国家、あるいはその中でのケインジアンポリシーの有効性というものが金融・経済の政策のごく当たり前な政策として考えられてきたわけですが、その有効性というものに限界があるのではないか、ということが現在、問われているわけであります。
そして1930年代の恐慌というものはいわば、被雇用者の賃金の下方硬直性によって発生したと言われる学者の方がいますが、いま、先進諸国が悩んでいるのは、賃金の下方平準化、つまり賃金がどんどん下へ引っ張られてしまっているという現象だと思います。
過去20年間の量的緩和、あるいはゼロ金利というものは、伝統的な経済政策ではこれほどのインフレ政策はないわけです。
ところが、片や財政は昔であればとっくの昔に破綻の烙印を押されかねない財政負担、財政赤字の下で(金利上昇圧力があるはずなのに)、極めて異常な低金利に安定的に張り付いてしまっている。
そのことが企業の利回りを規定するかのように、付加価値率の低い経済になってしまっている。そして名目成長がなかなか果たせないという状況に陥っているわけです。
しかし、考えてみますと、国境がなくなったことで、一般的な商品が極めて賃金の安いところで作られた製品が日本に持ち込まれるようになったわけです。そこに欧米の多国籍企業が資本と技術を提供している。
(日本からも)ファーストリテイリング、ユニクロさんのような極めて優秀な技術を中国に提供して、そこで生産された製品を日本に輸出している。そして中国の次はバングラデシュに製造拠点を変えて、グラミン銀行と一緒になって日本に輸出をしようとまで考えている。
財政に肩代わりさせて企業が元気になった!
これは従来の世界大恐慌が発生した1930年の時の世界経済とは明らかに違う様相です。
昨年の今頃の事態、欧米が何を言っていたか。私は世界経済の中で先進国経済の中で日本のみならず楽観はできないと認識しています。日本経済は、財政に巨大な肩代わりをさせてこの10年来ていますので、相対的に日本企業は金融を除いて元気であります。
そのことが多分、為替レートにある種の表現がなされているのだと見ています。ただ、過剰流動性の中でどのように利益を取っていくのか、付加価値を作っていくのかというのは、先進国共通の課題であり悩みであると思います。
約1年前、私はダボス会議に出席しました。この(エコノミスト・コンファレンスの)ような形で(米国のローレンス・)サマーズ(財務長官=当時)さんなどと一緒に議論させていただきました。その時の共通用語が出口戦略でした。
つまり金融の面でも、リーマン・ショックから立て直すために大変な金融緩和をし財政出動をした。しかしながら、そろそろ出口戦略を実施しなければならないと、財政政策でも金融政策でも言われていたわけです。
しかし、実態はどうであったか。この1年、財政・金融政策の出口戦略を採れる先進国は存在したのでしょうか。米国はQE2であります。それほど評判の良くないQE2でさらなる量的緩和をするという。
そのことによって、日本の失われた10年、あるいは失われた20年と表現されるこのデフレの定常化に陥らないという恐れが消えたわけではありません。
特に米国の最近の指標を見ておりますと、サービス業の世界までもが、賃金、あるいは製品の単価が下がっている状況ですので、欧米が出口戦略を採りづらい、あるいは採ると言える状況にはまだまだないわけです。
振り返って日本を考えてみますと我が国には、ある種有効に回されていない資金が大変に多く存在しています。
企業には約200兆円の内部留保があり、あるいは、ゆうちょバンク(ゆうちょ銀行)、簡保(かんぽ生命保険)には私の計算では250兆円ほどの資金が、主として国債に投資されて存在しています。
民間金融機関も国債に投資することを中心に(しているため)非常に低い金利の中で、その運用について悩んでおります。
女性の活用が遅れた、それが日本の最大の失敗!
さて、日本にはグリーンイノベーション、医療イノベーションと私たちが呼んでいる分野で高い要素技術があります。
そして、日本の働く方々は、うまくエンカレッジされ活性化されると大変な力になるであろう、経済成長にとっても大きな力を発揮するであろう潜在力を持った人が存在します。
つまり、それこそがこの20年間の日本における経済政策であり社会政策であり、人口政策でもなくてはならなかったわけですが、私はかねがね、日本が先進国の中でも、また途上国と比べてみても最大の失敗は、女性をしかるべく処遇できなかったことだと考えています。
つまり、経営者、管理者のようなところにその能力にもかかわらず女性起用が極めて少ないということです。いろいろな資格、能力を持った女性がある年代から家庭に入ってしまわざるを得ないという状況があります。
ただし、それはこれから政策を転換することでいくらでも活用させていただくことができる潜在力の1つであると言えます。
私たちは、こういう状況の中で、新しい成長戦略を日本は採るべきだと言っています。先ほど言ったようにどこかに凍りついた資金を有効に回していくことができれば、日本の企業サイドももう少し元気が出て、そしてリスクを取った融資ができてくると思います。
その際、マーケットを1国だけに考えない。アジア、中東、欧米、中南米、アフリカも完璧に視野に持った戦略を打っていくべきでしょう。
そして、新成長戦略の1つの柱は私たちがインフラパッケージ輸出と呼んでいますが、システムとして日本が持っている原子力発電や高速鉄道や水の処理といったものをシステムとして海外に展開する。そして、そのことによってグリーンイノベーションを実現する。
そのためにコンソーシアムを日本に組成するためのリード役を国家がやる、国家が少々リスクを取ってコンソーシアムを組成することができないかと考えています。
また、私たちがライフイノベーションと言っている、医療イノベーションも含めてですが、日本ではまだまだこの分野を国内で伸ばせます。
WHO(世界保健機構)によりますと日本が世界一の健康大国です。日本の優れた医療の仕組みをアジア中近東展開することによって、アジア、中東での健康づくりに貢献できます。それが日本の成長を促すことができる。そう考えて新成長戦略を作ったわけです。
日本で広がりつつあるソーシャル・エクスクルージョン!
そして、日本の場合には、これは恐らくどこの先進国でもそうでしょうが、成長の過程で都市化が進み、メディアと人々の影響もあって地域コミュニティーとの関係が薄くなって家族との関係が固化するというかアトム化するというか、イギリス流に言うとソーシャル・エクスクルージョン(社会的疎外)の傾向が日本で広がりつつあります。
昨年の鳩山由紀夫内閣、今度の菅総理も引き継いで、このことこそ重要だと言い続けてきたことがあります。つまりNPOとか市民社会を組成する人々がパブリックセクターをむしろ担う。
そのために税制上は市民公益税制という名前ですが、そこに税額控除の制度を持ち込む。つまり100万円を寄付すれば50万円は税金からちゃんと引いていただけるという制度を来年から行おうと先ほど閣議決定したところです。
日本人は心優しい民族で、接待、お世話は好きなんですが、いまやその傾向も容易ならざる社会環境の中で、一人ひとりが社会の中で孤立せざるを得ない状況です。
それを克服するにはテーマコミュニティーと言いますか、テーマを持ったコミュニティー、NPOとか市民の方々の共同の事業を政府がエンカレッジ、支援する。
そしてこのことは、資源配分がすべて官、政府、地方政府から行われるのではなくて、一人ひとりの市民が資源配分に参加できる。自ら主体的に資源配分を行使することを意味するわけです。
もし国民の皆さんがこのことに反応してくれれば、日本を大きく変えることになると思います。
それを大きくとらえれば、今日本は第3の開国期、つまり明治維新、1945年の終戦に匹敵するくらいの第3の開国期になるのではないかと思います。鳩山政権以来、官を開き、国を開き、未来を開くというのが一貫した標語でございます。
その意味で、一国的な発想で物事を考えない、一国的に閉鎖された空間でマーケットを探さない。マーケットは国境を越えたところに十二分にあるんだ。そこに日本の持てる技術とファイナンスの力をもって、グリーン/ライフイノベーションで貢献することで、成長を担っていきたいと考えています。
ちょうど、先ほどの閣議で、税制改定大綱と来年度の予算編成についての基本方針を決定しました。いま申し上げたことがそのストーリーの筋になっています。
今の政権が成し得た最大の成果は何か!
質問 今の政権が終わった時のことをお聞きします。その時、今の政権が何を成し遂げたのか。1つだけ挙げるとすれば何ですか。日本を再活性化するために何をしたと胸を張れるのでしょう。
仙谷 1つはやはり公務員制度改革を中心として日本のガバナンスのあり方が、官僚依存から政治主導に代わっているということでしょう。
そして、政治の世界は、ちょっとまだそこまでは行っていないですが、私どもが熟議の民主主義と言っているのですが、議会で国民に分かりやすい議論が行われ、国民に選択肢がちゃんと示される。あるいは議会の議論を通じて新しい合意が練り上げられる。そういう議会制民主主義が行われていることです。
そして経済市民社会では、現代の知識経済化と言いましょうか、サービス産業化に対応した非常に(高い)付加価値を生み出す働く人々が大量に生み出されること。
私たちの成長戦略の1つは人づくり戦略にしておりますので、そういう日本の知識経済化された第3次産業のところが大変分厚くなっている。
市民社会ではそれぞれの人が支え合い分かち合う、新しい公共の世界が方々に広がっているという姿を残せたらと思っています。
問 ベビーブーマーが引退を始めます。それに伴って、社会保障の費用が増え、税収が減ることになるわけですが、政府としてはどのようなステップでこの事態に対応しようとしているわけでしょうか。具体的にお答えいただけますか
税財政改革と表裏一体の社会保障改革!
仙谷 私も団塊の世代であります。そろそろ引退をして豊かな年金の生活に入りたいと考えています。
しかし、私の年金は国民年金だけなので、あまり楽な年金生活にはなりそうもありませんのであと数年は頑張らなければならないと考えています。
それは半分冗談として、日本の年金はあらゆる世代の社会保障に対する負担というか支払い、還元されるサービス、年金給付を見てみますと、先進国の中では、子育て世代に対する還元給付が極めて弱い。
現役世代も支払いにくらべて小さな給付しか受けられていない。一方、65歳以上、75歳以上の高齢者のところに非常に手厚くなっています。
先般、社会保障の改革の検討本部を作りました。それは税財政改革と表裏一体でして、社会保障の給付を改めて改革していくと決めました。早急に1年、あるいは1年と少々で、このことをできれば超党派の議論の下で、政府案を作って国民に諮りたい。
現在の予算から言いますと、税収より国債発行が多いという状況が2年続き、来年が3年目です。これが長続きするわけはありません。
マーケットのサインに見て見ぬふりしてきた国民と国政の担当者!
外国人投資家の国債保有比率が極めて少ないために、マーケットからの警告のある種のサインが、マーケットの裁定がなかなか国民、あるいは国政の担当者、あるいは財政の担当者に届かない。
これがこれまでの10年、15年の状況だと思っています。そろそろ担当者および政治の世界はこのことに思いを致して税財政の抜本改革、それと一体化したもちろん消費税を含む税制の抜本改革と一体化した社会保障改革が行われなければならない。
その強い社会保障ができることによって、財政も現在より改善され強化され強い財政になり、そのことが人々のより自由な、より安心したリスクを取った経済活動を生み出すことができる。
強い経済、強い社会保障、強い財政の一体化を実現する、これが私たち政権の目標です。
~日本そして世界への教訓(第1回)――元スウェーデン財務大臣 ペール・ヌーデル
2010年12月17日 DIAMOND online
強い経済、強い財政、強い社会保障」を掲げて誕生した菅政権だが、いまやその姿は全く見えない。一方、世界に目を凝らせば、高い成長と充実した社会福祉を実現している国がある。その一つが北欧のスウェーデンである。
スウェーデンは、1990年代にバブルの崩壊で、日本をも上回る金融危機を経験した。日本との違いは、その90年代に税制、財政、福祉、年金制度について、「世紀の大改革」と呼ばれる構造改革を敢行したことだ。
もちろん、社会保障も含めた国民負担率は65%と日本の39%を大きく上回るが、国民はこのスウェーデン・モデルを支持している。いまや同国は高福祉・高負担の停滞した国ではない。
スウェーデンはどのような改革を行い、競争優位を確立していったのか。2004年から06年に、財務大臣を務めたペール・ヌーデル氏の特別寄稿を掲載する。
民主主義、情報技術、市場経済という、三つの大変革が地球を飲み込んだ!
過去20年間において、三つの大きな波、あるいは革命と呼んでいいかもしれない変化が、地球全体を飲み込みました。
第1は、民主主義の波です。1989年、これはベルリンの壁が崩壊した年ですが、米国のNGOの統計によれば、当時は、実質的な民主主義国家は、世界の中でも69ヵ国しかありませんでした。それが今日では120カ国以上の国々が民主主義と認められています。今や人類が共存していく一つの標準が、民主主義であると考えられています。
2番目の変化は、大量の情報伝達という目に見えない波です。私たちのほとんどが、いまポケットの中に携帯電話を持っています。しかも、この携帯電話は単なる携帯電話でなく、強力なコンピュータです。IT革命はわれわれの日々の生活を、劇的に変えました。情報技術によって、人々はつながり、それと同時にどんどん市場が大きくなってきました。
このことが3番目の変化につながります。市場経済原則の上に構築された、巨大な新規市場の台頭です。つまり、非効率な計画経済はもう時代遅れとなってしまいました。共産主義の衰退とともに、新たに生まれた市場経済が、過去20年間に世界を席巻してきました。
その結果、世界経済の規模は、1999年の31兆ドルから、2008年の62兆ドルへと倍増しました。このように大きな成長があったにもかかわらず、インフレ率は低く、06年、007年の2年間は、124カ国が4%以上の経済成長を達成しました。これが過去20年間における、素晴らしい経済成長のピークであったと言えるでしょう。
この民主主義、情報技術、市場経済という三つの大変革は、個人、産業、国家それぞれに、大きな変化がもたらしました。例えば、中国だけでも、経済成長によって、実に5億人が貧困から抜け出したのです。
成熟した市場経済の国々、例えばスウェーデンなども、強力な経済発展の恩恵を享受することができました。輸出主体の国々は、急速な世界市場の拡大によって、大きなメリットを得ました。スウェーデンのGDPに占める輸出の比率も、1990年の30%から昨年には50%にまで高まりました。
環境、不均衡、国際レベルの民主主義、という三つの新たな課題!
しかし、20年間の素晴らしい世界経済の発展の結果、三つの大きな問題が発生しました。
まず第1点目が環境問題です。新興国は富においても社会福祉の面でも、先進国に追いつくために、成長を追い求めています。CO2の排出量を削減することと、この成長をバランスさせる難しさは、皆さんご存じのとおりです。
2番目の問題は、急速な経済成長によって、非常に大きな世界経済の不均衡が生まれたということです。もっとも顕著な不均衡は、アメリカと中国との間の貿易不均衡でしょう。
3番目の問題は、国家のレベルでは、民主主義は間違いなく勝利を果たしましたが、世界レベルでは、民主主義はまだまだ弱いということです。実は国連のシステムは、1945年当時の世界を反映したものです。08年に金融危機が発生し、世界的な協調が必要とされたときに、OECDよりも、あるいはブレトン・ウッズ体制よりも、G20の方が現在に適合した機関として、機能することができました。
さらに、グローバルレベルで、どうやって、こうした民主的な制度を打ち立てていくかという問題は、国家レベルでも挑戦を受けています。ヨーロッパにおいては、現在、この民主主義がポピュリズムや左派・右派からの批判といった形で、さまざまなチャレンジを受けています。
これまでの経験を鑑みると、これから先の数年間は、政治的にも経済的にも、相当の試練が待ち受けていると思います。新たな地政学的勢力図が、姿を現しつつあります。政治的なパワー・バランスは東、西、北、南との間で調整されなければならないでしょう。財政赤字、債務、高失業率に苦しむ国々も出てきます。デフレや弱い国内需要に苦しむ国も出てくるでしょう。それによって、多くの政府は政治不信に直面することになるでしょう。金融危機の余波によっても、政治的な危機が起きるかもしれません。
しかし、私は金融危機が起きる前よりも、現在の方がスウェーデン・モデルから学ぶ教訓は多いと信じています。水晶玉を見て占うより、バックミラーを見て、歴史から学ぶ方が私の好みです。そこでスウェーデンの改革の歴史を振り返ることから始めましょう。
スウェーデンの歴史から学べること1990年代の構造改革とその結果!
19世紀後半、スウェーデンは欧州における最も貧しい国の一つでした。しかし、その後スウェーデンは、急速に近代の産業国家へと変貌を遂げることができました。
つまり国、企業、労働組合との間の暗黙の三者協定が、スウェーデン・モデルを完成させたのです。市場経済と高い税率、収益性の高い産業と強い労働組合、そして活力ある民間部門と質の高い公共セクターの組み合わせは可能であるということを、スウェーデン・モデルは証明しました。
スウェーデン以外の多くの人々は、スウェーデンをモデルとするか、それを拒否するかのどちらかでした。1994年には、スウェーデン・モデルは大混乱をきたし、そのときにさまざまな疑問が出てきたからです。1990年代の初頭、スウェーデンは1930年代の大恐慌以来、最悪のリセッションに陥っていました。その当時、3年間で政府債務が倍、失業率は3倍、公的赤字が10倍になりました。
94年の政府予算の赤字はOECD諸国中最大であり、GDPの10%にも達したのです。実質金利ショックというものが起こり、国内需要は低迷しました。90年代初頭の問題の一部は、80年代の政策、しばしば自国通貨クローネを切り下げていたことに、関係していました。通貨の引き下げによって、本来なら必要な構造的な変化が行われなかったからです。
94年に誕生した新しい社会民主党政権は、この通貨切り下げ戦略は失敗だ、だから決然とした行動が必要だと考えました。つまり、財政赤字を大幅に削減することによってのみ、スウェーデンは安定的で持続的成長ができると、判断したのです。
それで何をしたかというと、われわれは増税を実施し、歳出削減をしました。苦闘の4年を経て、98年にはなんとか財政黒字を達成しました。
財政再建プログラムを実施すると同時に、いくつもの構造改革を実行しました。主のものは次の四つ点です。
① EUに加盟して、域内市場にアクセスしました。
② 年金制度の大改革を実施しました。年金制度を持続不可能な賦課方式から、一部、積立方式を取り入れた、定額拠出制度に変えました。
③ 新しい予算策定プロセスを設定しました。歳出に上限を付けて、黒字目標を設定するというシステムです。
④ 中央銀行に独立性を与え、インフレ・ターゲティング政策を採用しました。
結果はどうだったでしょうか。
第1が高成長の実現です。この10年で、スウェーデンはEUあるいはOECD諸国の平均よりも、高い成長率を記録しました。
第2が高い雇用率です。雇用率はEUの中では第2位であり、直近の金融危機の前で、失業率は4%程度にまで低下しました。
第3が低いインフレ率、第4が強い財政です。私が財務大臣だった2006年には、財政黒字はGDPの3%に達しました。
構造改革の結果得られた6つの競争優位性!
① 強力な国家財政
この過去の実績から何が言えるでしょうか。ほかの国が学ぶことのできる競争優位性はあるのでしょうか。私の答えは次の通りです。
第1は強い国家財政が、規模が小さくて、開かれた経済における脆弱性を低下させるだけでなく、低インフレと高い実質賃金を可能とする、機能性の高い経済の基盤となるということです。
重要なことは経済政策のために、財政目標の枠組みがきちんとできるということです。
90年代の財政再建の過程で、長期的な目標は政府と議会により設定されました。最初からそういう長期目標設定がプロセスに入っているわけではなかったのですが、目標設定が、歳出削減を行うのに有効な道具となりました。
ターゲットを設定したことで、政策を測定し評価することが可能になり、政治家や公務員の削減への動機付けとなり、説明責任も果たされるようになりました。つまり、長期目標設定はパワフルなコミュニケーションのツールであり、政府がその優先事項について、はっきりとメッセージを出せるようになったのです。
1996年から2000年の間に、失業率を8%から4%にするということが、政府の最も重要なターゲットであり、まさにこれが雇用に関しての論議の争点になりました。そして社会民主党は、自らが達成したい目標――すべての人のための公平さと富、経済の回復と社会的正義に焦点を当てた財政再建――を明確に掲げました。
加えて、政府は財政的な目標も設定しました。1998年には予算は均衡させる。もう一つは1回の景気循環を通して、平均すれば財政黒字をGDPの1%にするということです。
財政黒字の達成には、いくつかの動機付けがありました。まず、21世紀には、高齢化の進展によって、財政は非常に圧迫されます。財政黒字によって、この問題への首尾一貫した対応が可能になるということです。
次がリセッションが訪れたときに、公的セクターで経済を安定させる余力を確保しておくということです。GDPの1%の黒字があれば、財政赤字拡大の脅威にさらされずに、対策を取ることができます。また、外国からの借金を増やさずに、民間セクターが高水準の国内投資を行う余地を生むことになります。
不景気のときに、財政黒字がスウェーデンの脆弱性を抑えることができることは、疑いようがありません。強い財政と持続可能な財政黒字によって、リーマンショックなど昨今の金融危機に際しても、その悪影響をより小さいものにとどめることができたからです。
② 開放的な経済政策
二つ目の競争優位性は、スウェーデンがオープン・エコノミーだということです。スウェーデンには、いろいろな国際的企業があります。世界中でよく知られているのは、例えばABB、エリクソン、H&M、IKEA、スカニア、サーブ、ボルボなどです。われわれの輸出のレベルはGDPの50%を占め、輸入はGDPの42%を占めています。小さな、そして開かれた国として、スウェーデンは長い間、自由貿易を支持してきました。
しかし、私どもは決して、その自由貿易が当然だと思ってはいません。最近でも、いろいろな国で、保護主義が台頭し、多くの人々は激しくなる国際競争を恐れています。しかし、保護主義というものは、問題の解決策にはなりえません。
逆にこの20年間、自由貿易が世界経済の成長を牽引してきました。将来にわたっても、自由貿易は高い成長を実現するために必要です。したがって、われわれは自由貿易に対する支持を、国際的な場でしっかりと訴えていかなければいけません。同時にわれわれも自国の産業を守るために、他国の産業に来てもらっては困るというような態度ではいけないわけです。
われわれは自由貿易主義者ですが、それだけでは十分ではありません。われわれは、フェアな貿易主義者である必要があります。
依然として、世界には豊かな国と貧しい国の間に、非常に大きな貧富の格差があり、そのプレッシャーが、より豊かな国にかかっています。スウェーデンは、その責任を果たすということで、国民総所得(GNI)の1%を、ODAとして拠出しています。われわれはG8のメンバーではありませんが、この「G1」を、非常に誇りに思っています。
豊かな国々が、完全に市場を開放しない限り、ODAを拡大して支援していくことは必要です。私たちは富と市場を分け合わねばなりません。支援ばかりでなく、われわれは国内市場を開かなければなりません。
豊かな世界は、1日当たりに10億ドルを農業の補助金につぎ込んでいるのですが、ODAはすべて合わせても、1日当たり3億ドル以下です。われわれは、世界の上位10%の人々があらゆるものの85%を所有しているという世界に生きているのです。こういう世界は維持できるものではないのです。(以下、後篇に続く)
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