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ウソと裏切りだらけの政治家たちは一刻も早く退場を
2011.01.05(Wed)JBプレス 松尾信之
女性を中心に「断捨離(だんしゃり)」がブームとなっている。断捨離は、ヨガの行法哲学である「断行」「捨行」「離行」の考え方を実生活に適用させた生き方論で、2010年末の「ユーキャン新語・流行語大賞」にもノミネートされた言葉。今年は本格的にブレークする予感がする。
提唱者のやましたひでこ氏は、断捨離の概念を「自分とモノとの関係を問い直し、暮らし・自分・人生を調えていくプロセス」と規定し、「不要・不適・不快なモノとの関係を、文字通り、断ち・捨て・離れ/引き算の解決方法によって停滞を取り除き/住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、新陳代謝を促す」生き方(「断捨離.COM」より)と書いている。
断捨離を実践する人を「ダンシャリアン」と呼ぶ。有権者の圧倒的な期待を受けた政権交代を実現しながら、十分な努力もせずにマニフェストを破り捨て、党内抗争・主導権争いにうつつを抜かす菅直人政権を断捨離すること、それが日本にとって今年の最大のテーマだ。今、有権者1人ひとりが賢いダンシャリアンになれるかどうかが問われている。(文中敬称略)
不用品処分を頼まれて現場に足を踏み入れてみると・・・
「よろず便利屋」を自称してトラックに乗っていると、不用品の処分を相談されることがある。昨年も数件あったが、下見のために現場に行くといつも驚く。足の踏み場もないほどモノが散乱しているのだ。
「父が1人暮らしをしていたのですが・・・」と案内された室内には、高価だっただろうマニアックなオーディオセットがドーンと居座っている。隣にはカラオケセットと8トラックのテープが散乱し、周辺の棚という棚、収納可能なスペースにはレコード、テープ、MD、CDがあふれている。
2階寝室の洋服タンスには娘さんが40年以上前に着ていたと思われるような真っ赤なワンピースが吊るされ、押入れの中には少年少女文学全集から昔の少女マンガ、小学校時代の成績表や賞状が山積みされている。タンスの引き出しには20年前の預金通帳や年金手帳、印鑑が入ったままだ。
「家族で片付けようと何度も挑戦したのですが、捨てられなくてネー」と皆さん口をそろえる。「そうだろうなあ。一つひとつが肉親の思い出の品だからな」と同情するのだが、どうも実態は違うようだ。
はっきり言うと家族総出で「金目のモノはないか」とひっくり返したあげく、「たいしたモノはない。面倒くさい。金を払うから捨ててくれー」という心境になって一括処分を相談してくるのだ。
お宝チェックのために押入れやダンボールを開け、取り出した思い出の品を元に戻さないから、人が住んでいたとは思えないほど足の踏み場がなくなる。余計なことをしないでそのままにしていてくれたら、せめて歩くスペースだけは確保できるから仕事がしやすくなるのに、と文句のひとつも言いたくなる情景だ。
処分場に運んだ5トンのごみの山!
2世帯住宅だった別のお宅の不用品は、テレビ4台、冷蔵庫3つ、タンス7さおに大量の布団と洋服、食器と本と雑貨の山だった。6部屋全てに充満していた不用品を分別したところ、可燃ごみ・不燃ごみは480袋(1.8トン)にのぼった。粗大ごみ・資源ごみと合わせると処分場に運んだごみは5トン近くになった。さらに処分場で廃棄できないテレビ、冷蔵庫などのリサイクル家電を加えると7トンほどの不用品が1軒の家に積み込まれていたのである。
見積提示の段階で「今のご時勢、ごみを捨てるにはこんなに金がかかるんですよ」と説明する。すると依頼主は「分かっています。でも、このカメラは売れると思いますよ。タンスもベッドもまだ新しいでしょ。この電動の工具は箱から出しただけで一度も使っていないし、この掛け軸は親父が大切にしていたもの」と、暗に、お宝が埋もっているはずだから処分料を安くしろと交渉してくる。
お宝の山だったら自分でリサイクルショップに持っていって換金すればいいのだ。いや、ほとんどの場合、何軒かの店に持ち込んだが買い取ってもらえず持ちかえるというミジメな体験もしているようだ。
しかし、いくら「箱入り新品同様」といっても、数年間も放ったらかしだった電動工具や交換レンズはジャンク品扱いで、とても売り物にならない。しかもリサイクルショップは、買い取り額を店頭販売価格の2割以下に抑えないと採算が取れない。ほとんどの場合、一部の貴金属を除いて捨てるしかない「ごみの山」なのだ。
ことほどさように、人間誰しも日頃から自分の生活と必要なモノを見直す断捨離をしていないと、いざという時、周囲にとんでもない迷惑をかけることになる。
日本国憲法の人権条項の起草者として知られるベアテ・シロタ・ゴードンが来日時、「トランクひとつ分の洋服と身の回りの品があれば十分。ロングアイランドの自宅でもそうしている」とつぶやいた。彼女はそれを実践しているが、「何の不自由もない」と断言していたことを思い出す。
民主党に自浄作用を求めるのは無理、無駄、無意味!
閑話休題。さて、どうすれば政界に巣食う政治屋たちを断捨離することができるのだろうか。
国民が主役という政治の原点を忘れ、内ゲバと党内抗争に取り戻せない貴重な時間とエネルギーを費やしている民主党幹部たちは、誰がどう見ても断捨離の対象だろう。
とりわけ菅直人、仙石由人、岡田克也、前原誠司の実権派4人組と、鳩山由紀夫、小沢一郎の前元代表は、国民にとって「不要・不適・不快なモノ」以外のなにものでもない。1日も早く、自らの判断で引退・閉門蟄居してもらいたいものだ。
だがこれらの政治屋は、「次の総選挙には出ない」と公言した舌の根も乾かぬうちに選挙準備を始めた鳩山由紀夫に象徴されるように、信じられないほど無節操な人種である。彼らに自浄作用を期待することは無理、無駄かつ無意味なこと。八百屋で魚を求めるような愚挙である。
また、政治家のポピュリズム手法によって操作・醸成された世の中の雰囲気を無批判に扇動、後押しする社論なき大新聞、テレビにも政治浄化の旗振り役は期待できない。
「内閣リコール制度」のような国民罷免の直接民主制の仕組みがない中で、どのような手法が可能か不明だが、早期に菅内閣を断捨離するための国民主導の「断捨離解散」が必要なことは確かだろう。
2009年8月30日投票の第45回総選挙で、有権者は自民党政権を断捨離した。1955年から連綿として続いた自民党主導の政治を「不要・不適・不快なモノ」と判断、「引き算の解決方法によって」政治の新陳代謝を促す政権交代を求めたのである。
しかし民主党は国民の期待に応えられなかった。沖縄基地県外移設のウソ、高速道路無料化のウソ、暫定税率廃止のウソ、埋蔵金発掘のウソ、企業団体献金廃止のウソ、脱官僚政治のウソ・・・裏切りの連続。民主党には有権者が期待したほどの地力も信念もなかったのである。
今こそ投票行動に断捨離の目を!
断捨離の考え方は単なる「整理術」ではない。いくら思い込みが強い大切なモノでも、いつかは何か役に立つと思うモノでも、今必要でなければ不用品として捨て去ること。それが「断」「捨」であり、そうした行動に踏み切ることよって、私利私欲や利害に左右される自分の心の混乱を整理し、「本当に必要なモノ」と「実は不要なモノ」を見分ける力を養うことができる。
そして、不要なモノを抱え込み、不適なモノを支え続ける愚挙から解放されるとモノへの執着を捨て去る「離」の境地に到達し、自由な人生を勝ち取ることができるという考えである。
もしも日本の有権者の多くが断捨離の境地に達したら、「地盤・看板・カバン」の力が横行し、利権と利害、義理と人情がまかり通る日本の選挙も少しはマシなものになるかもしれない。
しかし、世の中にはどうしても断捨離できない人がいる。「ごみ屋敷の主人公」などがその典型例だが、普通の市民生活をしている人にも「整理できない人」「捨てられない人」がごまんといる。
断捨離ができない人は、(1)現実逃避型、(2)過去執着型、(3)未来不安型の3つのタイプに分けることができるそうだ。
それを投票行為に当てはめると、現実逃避型は「面倒くさい」「どうでもいいや」と現実から目をそらす棄権型だろう。やるべきことをやらないこのタイプは、結果が気に食わないと人のせいにする悪癖の持ち主だ。権利の行使と義務の遂行といった社会人として身につけておくべき最低限の規範が欠落している。
過去執着型はさしずめ「野党・民主党時代のマニフェスト」の感動が忘れられない人たちか。「財界・大企業の利益優先、官僚と関連業界の権益優先の自民党政治よ、サヨウナラ。市民のための政治、国民の生活が第一の民主党よ、コンニチハ」と、あの日の感動的なマニフェストを捨てられないのだろう。
一方、「自民党政治の早期復活」を狙う人たちも、本質的には同じ過去執着型だ。1年半前までのおいしい生活・甘い汁が忘れられない彼らは、政官財のトライアングルによる利権サイクルの再現を求めて、自民党をゾンビのごとく生き返らそうとするだろう。
だが、過去を美化して断捨離ができないということは、過去の栄光に引っ張られていることにすぎない。それはつまり、現在の自分に対する不満の裏返しに過ぎないのである。
未来に対する過剰な不安から買いだめするタイプの未来不安型は、付和雷同型の有権者だ。大新聞、テレビがあおる「世論」という名の世の中の雰囲気に左右されて、勝ち組に乗りたがるタイプ。自分で判断することが不得手でポピュリストや意図的な報道に左右されやすい。
断捨離は「モノとの関係を徹底的に問い直しながら、判断軸を他人ではなく自分に、時間軸を過去・未来ではなく現在にリセットしていく作業」とも言われる。
多くの有権者が、自分にとって、今、必要なものか否かを問い直す「断捨離の目」で投票行動を問い直すことができたら、日本の政治も不要・不適・不快なガラクタを捨て去って、少しはましな、生活しやすい環境になるかもしれない。
決断力の欠如は多大な犠牲をもたらす!
2011.01.05(Wed)JBプレス 正岡富士夫
1 日ソ開戦の背景
極東での日ソの軍事バランス(兵員、装備など)は、昭和11(1936)年頃には大きく崩れ、ソ連側が圧倒していた。
ソ連はロシア帝国以来の国家的願望を果たすため、いずれは日本と事を構える方針を持っていたものの、欧州方面への対応で手一杯であり、独ソ戦が始まると極東方面での対日戦の勃発を恐れ、コミンテルンを通じた謀略により日本軍を南方方面や中国内陸部へ向けさせることに腐心した。
日本との対決が念頭にあったソ連は、当初、日本からの不可侵条約の提案を拒否していたが、ドイツの対ソ侵攻が現実味を帯びつつあった1941年春、日本側の提案を受け入れ、日ソ中立条約が成立した(1941年4月13日)。
ソ連は1941年11月、兵力を極東から欧州正面へ転用し12月のモスクワ防衛戦に投入、1941年中にソ連を崩壊させることを狙ったドイツのバルバロッサ作戦を潰えさせた。
ドイツ降伏後90日以内のソ連参戦を米ソで密約!
ヤルタ会談(1945年2月4日~1月11日)において、米国はドイツ降伏後も長く続くと予想された太平洋戦争での損失を抑えるため、ドイツ降伏(1945年5月8日)後90日以内に対日参戦することを米ソで密約した。
ソ連は、独軍の壊滅が確実となった4月5日、翌年(1946年4月25日)期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないことを日本へ通告、シベリア鉄道をフル稼働させて巨大な軍事力を満洲国境に集結させた。
翌5月開催されたポツダム予備会談において、スターリンは8月中に対日参戦することを表明するとともに、ソ連軍による北海道の占領とさらなる戦略物資の支援を米国に対し要求した。
米国は、ソ連の火事場泥棒的な要求に警戒心を抱き、ポツダム会談(1945年7月17日~8月2日)においては、原爆の完成(7月26日・実験成功)によりソ連の参戦なくしても日本の早期降伏は可能と判断、ソ連の対日参戦の回避を図ったとされている。
しかしソ連の参戦意思は固く、8月8日17時00分(日本時間23時00分)駐ソ日本大使を呼び出し、午前0時をもって宣戦を布告する旨伝えた。ソ連側によって大使館の電話線が切られていたため、東京へ伝えることができず、日本は文字通りの奇襲を受けた。
2 日本側の情勢判断
昭和20(1945)年6月、大本営は戦争指導会議における情勢判断において、ソ連の国家戦略、極東ソ連軍の状況、輸送能力などから見て「ソ連の攻勢開始は、8月か遅くとも9月上旬の公算大」と結論づけた。
一方、現地の関東軍は、「独ソ戦で被った損害補填のため早くとも9月以降あるいは来年に持ち越す」こともあり得ると楽観視していた。
関東軍総司令部は、作戦準備が整わず防御不可能という、自軍の作戦能力に都合のよい情報判断をしたのである。
敵情報の探索に努めていた最前線の部隊では、宣戦布告の数日前からソ連軍の作戦準備活動の活発化を察知しており、関東軍総司令部へ上申するも採用されず、独自の作戦準備行動を取った部隊もあった。
3 戦争の概要
対日攻撃の火蓋が切られた8月9日当時、日本軍の南方作戦への転用およびソ連軍の増強という相乗効果によって満洲方面における日ソの戦力比は、
兵員 70万人:158万人
戦車 200両:6000両
火砲 1000門:26000門
航空機 350機:3500機
と、ソ連が量質ともに圧倒する状況にあった。
日本軍はソ連軍の奇襲・急襲に対して持久と後退を繰り返しながら、一方的な攻撃に耐えるという戦闘がやっとだった。
特に機械化兵力と火力における戦闘能力の隔絶のため至る所で短期間のうちに全滅する部隊が続出するなどソ連軍にとっては追撃・掃討戦のような様相を呈した。しかし、一部地域における戦闘ではソ連の猛襲を拒み、善戦した部隊も少なくなかった。
ポツダム宣言受諾後も続いたソ連の日本侵略!
日本がポツダム宣言を受諾(8月15日)すると、マッカーサーは全軍に戦闘停止を命令、関東軍に対してはその翌日戦闘停止が命じられた。
関東軍はソ連軍と停戦交渉に入ったが、ソ連側は8月20日までは停戦しないと回答。しかし、マッカーサーがソ連軍に対する要求を強めたため、8月18日に一切の武力行使が停止されることになった。
にもかかわらず、ソ連軍の対日作戦は9月初めまで続けられ、満洲、北朝鮮、南樺太、千島列島を占領した。
4 居留民への措置
約132万人の開拓団など満洲居留民の保護は関東軍の任務であり、開戦の危険が高まると内地へ避難させることが計画された。しかし、輸送手段や食料確保の目途が立たず実行できなかった。
防御線の後方へ引き揚げさせようという提議もなされたが、関東軍総司令部は居留民の引き揚げによって後退戦術がソ連側に察知され、ソ連の攻撃を誘引する恐れもあるとして「対ソ静謐保持」が優先された。
中央から在留邦人の避難に関する考え方や指示が示されず、居留民側も関東軍とともにあることを強く希望したため、ソ連の攻撃が始まると満ソ国境に近い地域では戦闘部隊とともに全滅したり、ソ連軍や周辺住民によって暴行・略奪あるいは1000人単位以上で大虐殺されたりする悲劇が続出した。
5 シベリア抑留
8月23日、スターリンは日本軍捕虜のソ連国内への移送と強制労働従事の命令を下した。その労働力は、まず満州の産業施設の工作機械等を撤去しソ連へ搬出するために使役され、その後ソ連等の各地に移送された。
収容所は、北朝鮮、モンゴル、沿海州、シベリア北部、中央アジア、ウクライナなどヨーロッパ・ロシアまで広範囲に分布していた。
捕虜の中には軍人、軍属のほかに民間人、満蒙開拓団の男性も含まれ、1000人単位の作業大隊に編成され次々と貨車に詰め込まれた。
作業大隊は570隊あり、総数57万人が移送されたと考えられたが、ロシア国立軍事公文書館の資料には約76万人分の記録が残されている。
また、終戦時、満洲、樺太、千島列島には軍民合わせて272万余の日本人がいたが、このうち約107万人がソ連各地へ送られ強制労働させられたと見る説もある。
そのうち約1割が飢餓や寒さのために死亡したと言われているが、死亡者が約37万人の多数に上るという米国人学者の研究もある。
1946年12月になって「日本人抑留者の帰国に関する米ソ協定」が成立し、日ソの国交回復の1956年まで10年もの歳月をかけて47万3000人の日本帰国事業が行われた。
6 教訓
(1) ソ連参戦の合法性の疑義
日ソ中立条約の有効期限は1946年4月25日であり、不延長の通告があったとしてもそれ以前に宣戦布告するのは条約上の信義を冒涜するものであり、国際法の信頼性を大きく損なうものであったことは否めない。
ソ連側は1941年7月関東軍が行った特別演習をもってこれを日本側の軍事的挑発と見なし、中立条約違反行為は日本側にあったとして自らの侵略的行為の正当化を図っている。
条約締結直後に行われた日本側の演習を軍事的挑発行為と認めたならば、ソ連側は直ちに違反行為として抗議すべきであるがそのような事実は全くなく、ソ連の言い分は牽強付会な言いがかりとしか言えない。
しかし、「諸国民の公正と信義」とはそうしたものであることを銘記すべきだ。
(2) シベリア抑留は国際犯罪
捕虜は戦争が終われば故国へ返還するのが国際慣例である。日ソ戦は交戦中に捕虜収容所を作る暇がないほど短期間に終結したものであり、その終結は日本の全面降伏と一体であった。
厳密に言えば、シベリア抑留は捕虜収容には当たらず、大規模な人身拉致犯罪行為であったと見ることもできる。
国際法上、収容国は収容している間に働かせた捕虜に対しては労働証明書を発行し、捕虜の所属国はその証明書に従って賃金を払うことが義務づけられている。
ソ連はこれを発行せず、従って日本政府は支払っていない。ソ連が戦争捕虜と見なしていなかった証左でもある。
(3) 大きな犠牲を生んだ敗戦処理
歴史に「もし」はないが、ソ連の宣戦布告前にポツダム宣言を受諾しておれば、少なくとも長崎の原爆はなく、満洲や樺太などの悲劇は局限されたであろう。
そして、北方領土問題もなかったかもしれない。また、中央から満洲居留民の引き揚げ命令が早期に出されておれば民間人の被害はほとんどなかったに違いない。
国家指導者に求められる判断能力などその資質は極めて高度なものでなければならず、国民はその意識を持って政治家を選ばなければならないことを痛感する。
月刊FACTA 1月5日(水)10時51分配信
便器といえば陶器製がまず頭に浮かぶが、これまで陶器メーカーのTOTO、INAXの2強がそれぞれ6割、3割を握っていた国内市場に、地殻変動が起きている。人口減、住宅着工減から市場全体が縮小する中、唯一成長している給水タンク・便器一体型のタンクレス・トイレ市場で、パナソニック電工が大躍進。業界初の樹脂製トイレ「アラウーノ」でシェア30%を獲得。INAX(30%)と肩を並べ、「便器の王者」TOTO(40%)をも射程内に入れた。
パナ電工のアラウーノは、上部の温水洗浄便座と下部の便器が、硬度を補強した有機ガラス系樹脂で一体成型されている。樹脂は陶器に比べて水垢(輪じみ)がつきにくいうえ、家電製品などと同様に金型で打ち抜くため、寸法精度が高く、便座と便器の隙間がほとんどできないのが特徴。陶器は土を固め、高温で焼き上げる過程で5%程度収縮するため、寸法精度が低く、便座と便器の間の隙間に汚れがたまりやすい欠点がある。便器を洗浄するための洗剤の注入口も陶器製便器では焼成できないが、樹脂製なら難なくつけられる。
パナ電工は同社の浴槽で開発した直径50~60ミクロンの微細な泡の発生技術を応用して、市販の台所用液体洗剤を便器の内側に渦巻き状に流し込み、便器そのものを自動洗浄する仕組みを初めて導入した。
「おしりだって洗ってほしい」とはTOTOが30年前に発売して一世を風靡した温水洗浄便座「ウォシュレット」のCMコピーだが、パナ電工はさらに進化させて「便器も自動で洗います」と久々の技術革新を実現した。2~3カ月間ブラシ掃除不要という「おそうじラクラク」機能は消費者の心をとらえた。トイレ掃除は換気扇、台所と並んで主婦が苦痛に感じる3大家事の一つだけに、2006年の発売後、注文が殺到した。
この結果、トイレ市場の約3分の1を占めるタンクレス・トイレ市場でパナ電工のシェアは、05年までは7%以下に低迷していたが、06年12月のアラウーノ発売を機に急上昇し、「07年には20%、08年28%、09年29%と急伸、10年には30%に達した」(住宅設備業界関係者)
TOTO、INAXの対抗策はどうか。トイレ使用後に流す水の使用量を従来の一回13リットルからTOTOは4.8リットル、INAXは5リットルと大幅に抑えた節水機能を前面に打ち出し、水道代の節約や環境保全を訴えている。
アラウーノの5.7リットルより水の使用は少ないが、これが消費者の購買動機になるかというと「それほどインパクトはない」とTOTO、INAXのショールームの説明員は打ち明ける。多少の節水よりもトイレ掃除の苦痛から逃れたい気持ちのほうが強く、「トイレ掃除を2~3カ月間しなくていい」というアラウーノには敵わない。
アラウーノ発売から4年がたつというのに、なぜ樹脂製で対抗しないのか。そこには歴史的な背景がある。両社とも旧社名の東洋陶器、伊奈製陶が示すように、もともと陶器専門メーカーとして発展してきた。特殊な粘土(カオリン)、石英など天然の鉱物原料を調合し、成形したうえで摂氏1100~1300度で丸1日かけて焼成する大型炉と、焼成後の収縮誤差を頭に入れながら粘土を成形し、焼き上げる職人芸の工員が働く陶器製造工場を自社内に抱えている。便器は陶器製造工場の主力商品であり、これを樹脂製に切り替えることは工場のリストラにつながる。このため、樹脂の良さや強みがわかっていても、おいそれとはシフトできない。陶器を「捨てるに捨てられない」ジレンマだ。
パナ電工の躍進も、土壇場の賭けだった。88年にTOTO、INAXの窯業2強の牙城だったトイレ市場に参入してはみたものの、「松下のトイレは、流れない」などと酷評され、鳴かず飛ばず。買収した陶器製造会社を売却し、撤退も噂されたが、「樹脂でやってみよう。それでもダメなら断念する」と、腹をくくって勝負に出た。陶器と違って、樹脂は電機メーカーがノウハウを蓄積する我が土俵。そこに持ち込んで、ライバルの弱点を逆手に取った素材革新で消費者の潜在ニーズを掘り起こした。「便器は陶器しかあり得ない」という常識を覆し、2強の座を脅かした。天晴れである。
(月刊『FACTA』2011年1月号、12月20日発行)
http://www.city.minamiuonuma.niigata.jp/152/3481/4167/006690.html |
ゲルマン人の抽象的思考法が生み出したイノベーション!
2011.01.04(Tue)JBプレス 伊東乾
日本と「ドイツ」の関係を本質にさかのぼって考えるなら、「高地ドイツ人」こと中欧諸部族だけではなく「低地ドイツ人」ニーダーラントつまり「阿蘭陀」との400年以上にわたる深い関係が、必然的にクローズアップされてくる。
この「低地ドイツ人」ことオランダ人たちが日本にもたらした「プロテスタント・ゲルマンテクノロジー」はどのような特徴を持つのか?
この問題を正面から考えると、現在のEUそして米国、つまり21世紀のグローバルパワーの本質が背景に浮かび上がってくるのである。
イノベーションが可能にしたパワーの逆転! さかのぼって考えてみよう。
1588年にスペインの無敵艦隊が破れ、世界の制海権は徐々にラテン人=カトリックからゲルマン人=プロテスタントへと移っていく。この力の逆転はなんだったのか?
「ラテン人」のグローバル勢力圏がどのような広がりを持ったかを考えるには「ラテン」と名のつく地域が地球上どのあたりに存在するかを考えればよい。
ラテンアメリカは存在してもラテンアフリカという言葉はない。アジアにおけるラテン系地域はフィリピンなどごく一部だ。
つまり16世紀カトリックテクノロジーの勢力域は、欧州から大西洋を渡って南北アメリカ大陸の東海岸に到達する範囲程度だった、と大まかに考えればよいことになる。
これに対して17世紀以降のプロテスタントテクノロジー勢力域は、バルト海から遠くアフリカ大陸を迂回する喜望峰航路でインド、中国の東アジア圏に到達し、東の果ての黄金の国「ジパング」まで及ぶのである。
何がこのような変化を生んだのか?
もともとオランダはスペインの殖民地である。地中海から大西洋の覇者となったラテン人のカトリックテクノロジーが大本になっているのは間違いない。だが北方プロテスタント地域にはそこにない3つの要素があった。
まず第1に、スカンジナビア半島で産出する豊富な木材など。この地域がバイキングで知られる通り、強力な帆船を建造するうえで必要な材料、資源をプロテスタントは持っていた。
第2に、カトリックが持っていた教義、ドグマによる縛りが、プロテスタントにはなかった。
コペルニクスが恐れ、ガリレオ・ガリレイが異端裁判を受けたような「地球球体説」をかたくなに否定する社会機構や勢力をプロテスタントは持っていなかった。
ガリレオやデカルトの書籍は軒並み、自由な科学の国である「オランダ」デン・ハーグなどで出版されている。テクノロジーという決定的な要素をプロテスタントは持っていた。
そして第3に、カトリック圏にない労働力、人的資源をプロテスタントは持っていた。
閉鎖的な封建支配の中、愚民化政策によって停滞していたカトリック圏に対して、勤勉を奨励し、新たな知識を吸収しつつ、骨身を惜しまず働く人間という最大の資産を、プロテスタントは持っていた。
これらによって財貨の集積、つまりは「原初的蓄積」が進んで近代資本主義の体制が着々と準備される。その背景に「プロテスタンティズムの精神」が確固として存在しているのは、社会学創始者の1人、マックス・ヴェーバーの指摘する通りである。
カトリックからプロテスタントへの制海権とパワーの転換、その背景にはラテンテクノロジーからゲルマンイノベーションへの転換という世界史的に大きな時代の流れが存在しているのである。
唯一超大国アメリカという必然性
資源と技術、そしてやる気のある人材。この3つが揃っていれば、繁栄が約束されない方がおかしい。
逆に考えるなら、世界史の表舞台がどのように移動していったかを振り返る時、上の3者のどれが不足していても、時代の覇者とはなれないことがよく分かるだろう。
例えば今日の産油国は時代のエネルギー源を握っているはずだ。「資源」の最たるものを手にしながら、中東が戦乱に明け暮れるのには様々な背景があり、軽々に論じることはできない。
だが少なくとも「技術」と「人材」という2面から見た時、改善の余地があることだけは間違いがないだろう。
では新興国はどうか?
例えばBRICsと総称されるブラジル、ロシア、インド、中国。これらの中に資源と技術そして人材の3つが揃った国があるかどうか、ここに私の見解は記さない。
ただ言えることは、大きく恐れる必要はないということだけだ。各々の国や地域のケースで、何かしら欠ける面が指摘できる可能性があるのではないか?
とりわけ東アジア圏に注目するなら、中国には埋蔵資源はあっても十分な先端テクノロジーは存在していないと考える。
1つには、どれだけ改革開放を言い募っても、かつてのローマ教会におけるカトリックのように社会主義のドグマが支配し続けるかぎり、十分に闊達な思考の柔軟性は存在しえないことが指摘できるだろう。
あるいは人材、とくにそのインセンティブを考えると分かりやすい。かつて西欧で近代科学を推進したプロテスタンティズムは、神の恩寵としてこの世を支配する自然法則を、それ自体の探求に価値を見出して精力的に研究していった歴史がある。
今日の中国国内、あるいは世界的に活躍する華僑知識層の体質を見るなら、彼らの圧倒的大半が極めて優れた商人であるとともに、現世利益的な損得を離れた抽象的な構造の探求に、必ずしも適性を持っていないこともまた指摘することができるだろう。
「人材」を言う時、最も重要なのは、小手先の処理能力ではなく各個人の本質的動機、つまりインセンティブだ。
火薬、紙、印刷術、羅針盤・・・多数の優れたアイデアを見出しながら、大半を大成させることができなかった事実が、中華文化圏とイノベーションの本質的な距離を示しているだろう。
このような中で、注意すべき創造的なインセンティブは「プロテスタント」的な精神の中にある。
端的に言えば、WASP=「白人・アングロサクソン・プロテスタント」であることがエスタブリッシュメントの条件だった北米、アメリカ合衆国を舞台に、その精神風土の中で活躍する時、ほかの地域にルーツを持つ人材が極めてイノベーション向きなインセンティブを持つことになる。
欧州を見るなら明らかだろう。なぜドイツやオランダなどプロテスタント圏がユーロを牽引し、スペインやポルトガルが欧州経済の足を引っ張るのか?
上に上げた3要素「資源」「技術」「人材」がどのように揃っているか、いないか。個別に考えれば優れた人物はあらゆる国に存在する。だが社会はそのようにはできていない。
地域経済全体の繁栄を占う際に、上の3要素は一種のリトマス試験紙の役割を果たすことにもなる。
「華僑」から「中国系アメリカ人」へ:スティーヴンとエリックの場合!
友人のスティーヴン・チューはニューヨーク生まれの「アメリカ人」だ。華僑という生物学的なオリジンとは別に、彼は生まれながらの米国人として教育を受け科学者となった。
物理学を修めたスティーヴンはその同時代科学他分野への応用を考える。
「レーザー冷却法」と名づけられる彼が中心となって開発したテクノロジーは原子1つぶ、分子1個を宙に浮かせたまま人間が取り扱うことを可能にした。
1997年にノーベル物理学賞を受賞したことは、彼にとって一里塚程度のものでしかない。そんなものは、早晩来るのであって、もっと大切な問題は、今何をどう研究し、何を開発していくかという研究開発(R&D)の本質だけだからだ。
生き物としてのDNAから見れば「生粋の中国人」であるスティーヴンだが、こうした探求への情熱は、一方で華僑らしく現実応用への眼差しを強く持ちながら、他方、北米プロテスタント文化圏の申し子らしく、科学自体に内在的な意味を見出す抽象的な情熱に満ち溢れている。
21世紀に入り「若手ノーベル賞受賞経験者」として国際的なサイエンス・アドミニストレーションに関わるようになった。
ブルックへヴン国立研究所長として生命の分子メカニズムの解明に高いガバナンスの能力を発揮していたスティーヴンは、2008年に米国民主党が選挙を制し、彼の友人でもあったバラク・オバマの政権が成立すると、オバマ内閣のエネルギー長官に就任し「グリーンポリシーズ」の根本政策を策定する。
尖閣諸島の軋轢や北朝鮮問題などを巡って、「米国と中国の力学」を考えるという時、果たしてどれだけの日本人が「米国側」の科学技術政策再考決定責任者が100%華僑の血を持つ「アメリカ人」であると意識しているだろう?
もっと言うなら、在日米軍の問題を考える際、その「米軍」の最高首脳としてエリック・シンセキという生物学的には100%日本人の血を引く「アメリカ人」が全軍に責任を持って戦略策定しているという事実が、どれほど認識されているか?
日本社会では何かと、生まれながらの民族のDNAといったことを過剰に評価したがる。
だがスティーヴン・チューもエリック・シンセキも「アメリカ人」であって、華僑系、あるいは日系であるということは、彼らの自己認識の本質は「アメリカ人である」ということにある。
1970年に米国籍を取得した南部陽一郎博士が、自己認識としてどの程度「アメリカ人」と思っているかは知らない。
だが少なくとも法的に考えるなら、ヨウイチロウ・ナンブは完全なる米国市民であって、そこに彼が日本生まれで、生物学的に日本の血を引くという事実は一切の影響を与えることがないのである。
アングロ・サクソンというゲルマン人!
このように書くなら、私が新米派であり米国的思考を至上に考えるように誤解する人がいるかもしれない。
しかし、善くも悪くも伝統的な音楽を専門とする自分にとって、たかだか200年ほどの伝統しか持たないアメリカの文化は、層の薄さが痛々しく見えるほどで、アメリカ文化を不当に高く評価するつもりはない。
唯一超大国としての米国、あるいは英米文化圏の覇権を「アングロ・サクソンの思考は・・・」などとしたり顔で書いている記事を見るのだが、これも私はあまり関心できない。
何と対立させての「アングロ・サクソン」なのか?
例えば「ラテン」と対立させて?
あるいは「ドイツ」や「フランス」?
アングロ族もサクソン族も、いずれもゲルマン人の一部族の名前でしかない。ゲルマンである、ということとアングロ・サクソンであるということは、元来矛盾する要素ではないのだ。
例えばプロテスタント・オランダのケースと対照する時、英国を特徴づけているのは、ルターの改革にほんの少しだけ遅れて実行された「首長令」の発布、つまり「英国国教会」の成立だろう。
日本ではこの「英国国教会」という概念があまりよく理解されない。
端的に言えば、ローマのカトリック教会と絶縁し、中身の大半はカトリックの教義のまま、プロテスタントやゲルマンテクノロジーがもたらす利便を賢く応用することで、新旧両教の良いとこ取りをするのが「東インド会社」とともに世界に広まった英国国教会の特徴だ。
日本にも英国国教会の分派がある(「日本聖公会」)。例えば「立教大学」や「聖路加病院」は日本聖公会の経営する社会貢献事業だ。
日野原重明氏はよく知られていても、また彼が聖路加病院の医師であることは認識しても、それが「アングロ・サクソン」いな「カトリック+プロテスタントの良いとこ取りという、一面きわめて現金な発想で運営され、その結果日本社会に完全に定着した病院の医師である、とは受け止められていない。
なぜこのような事を書いたかと言えば、実は私自身が「英国国教会」の信徒として4代目にあたる日本人として生まれ育ったからだ。
生まれたのが聖路加病院であるのは言うまでもない。良い面も、また微妙に感心しない面も含め、新旧両キリスト教勢力のオイシイところをつまみ食いすることで、生真面目なプロテスタントのオランダを下し世界に冠たる海運国家を建設したかつての「大英帝国」。
このあり方もまた、典型的に1つの「ゲルマン人」の身のふり方、ジャーマンつまり「英国人というドイツ民族」の、功利主義的な行動原理を示していると思うのである。
(つづく)
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