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林原
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%8E%9F%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
J-CASTニュース 2月11日(金)
万一、全国の店頭から菓子や冷凍食品、さらには医薬品や化粧品などが消えたら、市場がパニックとなるかもしれない。そんな悪夢が脳裏をよぎる深刻な事態が起きた。
バイオ関連企業の「林原」(本社・岡山市)が会社更生法の適用を東京地裁に申請したからだ。これは単なる地方の有力企業の倒産とは次元が異なる。
■甘味料などに使われるトレハロースの世界生産をほぼ独占!
林原は甘味料などに使われる糖質「トレハロース」や抗がん剤「インターフェロン」を量産する世界的なメーカーで、トレハロースの世界生産をほぼ独占しているのだ。トレハロースの取引先は全国で約7000社、製品は約2万品目にのぼるうえ、「他の代替がほぼ不可能」というだけに、食品業界などへの影響が懸念されている。
トレハロースは、同社によると「食品の乾燥や傷みを抑えたり、うま味を引き出したりするなど数多くの特長をもつ」という。クッキーなど菓子類の甘味料としてだけでなく、冷凍食品の劣化低減、野菜ジュースの苦味抑制などに役立っている。さらには保水性に優れることから、機能性繊維や医薬品、化粧品などにも素材として幅広く使われているという。
菓子メーカーでは江崎グリコ、繊維メーカーではシキボウ、化粧品では常盤薬品工業、富士フイルムなどが林原のトレハロースを使用している。いずれも「当面の在庫は確保している」としているが、万一、林原の供給がストップするような事態となれば、各社の生産に影響が出るのは必至だ。
■美術館、自然科学博物館の運営、恐竜の発掘調査なども展開!
地方のバイオ関連企業が、これだけ多分野に波及する素材を独占的に生産していること自体が驚きだが、これが現実なのだ。林原は1883年に水飴製造からスタートし、「他社がやらない、他社ではできない独自のテーマで研究を行う研究開発型企業として歩んできた」(同社)という。
しかし、今回は独自性の強い企業文化が裏目に出たようだ。帝国データバンクなどによると、林原はトレハロースやインターフェロンを量産することで、バイオテクノロジー企業として認知度を高めたが、運輸・倉庫業、ホテル経営、飲食業など事業の多角化を推進。美術館、自然科学博物館の運営、恐竜の発掘調査などメセナ活動も展開したため、「研究開発投資と不動産投資などで、年間売上高を大きく上回る借入金が経営を圧迫していた」という。
■中国銀行自身の審査態勢が問題となる可能性!
非上場の同族企業である林原は、経営面で外部のチェック機能が働かなかったため、長年にわたり粉飾決算を続けていたことが判明したほか、オーナー一族へ違法配当が行われていた疑いも浮上。捜査当局も一連の不正に関心を示しており、刑事事件に発展する可能性もある。
林原のメインバンクは地元・岡山の中国銀行で、林原が同行の筆頭株主となるなど、「両社は持ちつ持たれつの関係」(地元関係者)だった。中国銀行は、つなぎ融資を林原に行うとしているが、長年にわたる粉飾決算が判明したことで、中国銀行自身の審査態勢が問題となる可能性もある。中国銀行以外の取引金融機関は林原への不信感を高めている。林原は「会社更生手続は事業継続を目的としており、商品の安定供給は確保できると考えている」としているが、果たして甘味料など素材の供給が順調に進むのか。林原の再建問題からは目が離せない。
◇緊急リポート (上)もろ刃の剣、強みの研究で負債拡大!
山陽新聞 Web News
「世界一の研究所を作り、世界一のものを生み出すのが有益だと信じてまい進した結果、借入額が膨らんでしまった」
林原(岡山市北区下石井)が会社更生法の適用を東京地裁に申請した2日夜、林原健前社長=同日付で辞任=は、弟の靖前専務=同=とともに本社で会見。経営破綻に至った経緯を説明した。
費用回収に時間
林原は1883(明治16)年に水あめ製造の「林原商店」として創業した。昭和30年代、デンプンに酵素を働かせブドウ糖をつくる技術の工業化に成功、「研究開発型企業」として歩み始めた。その後も抗がん剤「インターフェロン」や、感光色素によるユニークな医薬品「錠剤ルミンA」などを独自技術で生産。中でも、世界で初めて量産化に成功し、低価格化を実現した天然糖質「トレハロース」は食品、化粧品業界などに浸透。わが国を代表するバイオ企業としての地位を確実なものにした。
こうした林原の武器「研究開発」が、皮肉にも破綻の最大の要因になった。
非上場の同社の場合、研究開発費などの調達は金融機関の融資が頼み。ピーク時には約1600億円を借り入れ、現在も約1300億円に上る。会見で靖前専務は「製品が出てくるまでに長く時間がかかり、それまでの売り上げはほぼゼロ」と話した。84年以降の売り上げや売掛金の過剰計上など今回明らかになった不適切経理は、投下した費用の回収までのタイムラグを埋め、研究を進める融資を得るためだったとみられている。
JR岡山駅南の5万平方メートルの所有地や株式など膨大な資産も結果的に経営悪化の背景となった。バブル絶頂期には、資産価値が高く評価され「銀行から喜んで貸してもらえた」(靖前専務)ため、借り入れが増加。バブル崩壊後の地価下落などで資産と借入金のバランスが崩れた。
「再建できる」
研究開発と並び同社を象徴づけた林原兄弟を中心とした同族経営も強弱併せ持つ「もろ刃の剣」となった。
林原前社長は大学在学中の61年、社長だった父・一郎氏の死去に伴い4代目社長に就任。バイオ企業として成長しても非上場を貫いてきた。株主から短期的な利益を求められず、長期的な視点で研究に打ち込める環境を維持するためだった。
多くの独創的な研究成果と実績を挙げてきた半面、「財務部門がお粗末だった。時間感覚が大企業に比べて長く、浮世離れしていたということかもしれない」と靖前専務。林原前社長が「一番欠けていたのは透明性」と省みた企業風土も、同族経営・非上場の“負の側面”として表れた。
林原は今後、更生法に基づいてスポンサー企業を募り、新経営陣の下で再生の道を探ることになる。保全管理人の松嶋英機弁護士は2日に同社の工場などを視察し、「製品は世界でも重要。必ず再建できる」と断言する。
「思いと現実がアンバランスになったのは不徳の致すところだが、悪いところばかりではない。良い点を伸ばし、地元から愛される企業として存続してほしい」。岡山の地で地域に密着し、林原をバイオ分野の世界的企業に育てた林原前社長は語った。
◇ ◇ ◇
林原が「事業再生ADR」による私的整理を断念し、グループの中核2社とともに会社更生法の適用を申請した。負債総額は1300億円超で、岡山県内の経営破綻では過去最大。岡山を代表する名門企業の経営がなぜ行き詰まったのか。背景と影響を探った。
ズーム
会社更生法 企業の経営破綻を処理する法律の一つで、破産などの「清算型」とは異なり、事業の再建を目的とした法律。同じ「再建型」の民事再生法よりも、しっかりとした枠組みで再建が進められるため一般的に大企業の破綻処理に適しているとされる。裁判所に選任された管財人が経営や財産の管理に当たり、更生計画を作成。計画に基づき再建を進める。昨年は日本航空、武富士などが適用を申請した。
(2011年2月4日掲載)
緊急リポート (下)波紋、影響免れないメセナ 岡山駅前の土地も焦点!
百貨店2店舗、博物館、オフィスビル、ホテル、マンション…。
林原(岡山市北区下石井)は2002年、同市中心部の大規模再開発構想「ザ・ハヤシバラ・シティ」を打ち出した。
「よそにはないものを」と林原健前社長=2日付で辞任=が描いた構想の舞台は、JR岡山駅南の自社所有地約5万平方メートル。総事業費約1500億円を見込み、当初は09年末までの開業を予定。進展は見られないまま現在に至った。
会社更生法の適用を申請した林原グループ。この一等地を含めた資産の処分も焦点だ。岡山商工会議所の古市大蔵副会頭は「岡山の街づくりの鍵を握る土地。切り売りされる事態を最も懸念している。地域の将来を考えた対応をしてほしい」と心配する。
事業存続を!
岡山を代表する名門企業の破綻に各方面で波紋が広がる。
食品の鮮度保持や保湿機能がある天然糖質「トレハロース」は林原の独自技術商品。国内7千社・2万種類以上の食品で使われ、海外でも30カ国以上に販売している。
和菓子製造・販売の廣榮堂(同市中区藤原)の武田浩一社長は「画期的な発明。菓子にしっとり感を出し、作りたての味を長く保つ欠かせない原料」とし、「供給が滞れば、生産に支障をきたす。再建を果たし、事業は存続していくと信じている」と訴える。
林原はこれまでに原材料の仕入れ先への支払いと、商品の安定供給を継続する意思を表明。メーンバンクの中国銀行(同市北区丸の内)は、林原グループの当面の資金繰りを支援するため40億円の融資枠を設定した。
林原の金融債務は約1300億円。各金融機関も相当の負担は避けられない。中国銀は、林原グループ3社への債権454億円のうち、198億円を11年3月期の第3・四半期決算で引き当て処理する。永島旭頭取は「当行の健全性を確保する上で全く問題ない」と影響を否定。林原の事業について「独自商品を持ち収益性がある。再生は可能と判断した」とし、再建を支援する方針を示した。
文化的貢献!
「地域に密着し、人と生命を見つめる」―。林原前社長の理念の下、林原グループは、地元・岡山で多彩なメセナ(社会貢献活動)や研究活動に取り組み、国内外に存在感を示してきた。
全国屈指の日本・東洋美術館として名品を集めた林原美術館。障害者のアート活動を支援する国際芸術祭“希望の星”を手掛ける林原共済会。恐竜や類人猿研究、備中漆、日本刀の復興事業など領域は多岐にわたる。
美術館や共済会は法的整理の対象外だが、運営費の大半をグループ内からの寄付に頼っており、影響は免れないとみられる。「多くの人材を岡山に集めたことも含めて、地域に果たした文化的な貢献は非常に大きい」。大原謙一郎・岡山県文化連盟会長は、その活動を高く評価した上で「核となる部分は何とか存続させてほしい」と願う。
更生法適用を申請した2日夜、林原本社で開かれた会見。保全管理人の松嶋英機弁護士は「(メセナは)岡山県、岡山市にとって重要な事業」とし、再建を支援するスポンサーには「そういったものも面倒をみてもらえるとなおいい」と述べた。
「地域密着でメセナに取り組んだこと自体は間違っていなかったと思う」。会見で林原前社長はメセナへの思いを吐露した。
「メセナ先進県」とされる岡山のイメージをリードしてきた林原。けん引役は代わっても、その理念と活動の継承が望まれている。
ズーム 林原グループ!
12法人からなり、中核は林原(食品原料など製造)、林原生物化学研究所(研究開発)、林原商事(販売)、太陽殖産(不動産管理)。太陽殖産を除いた3社が、会社更生法の適用を申請した。メセナ事業は林原共済会、林原自然科学博物館、林原美術館が中心。ほかに京都市の京都センチュリーホテルなど4関連会社と、米国に海外拠点法人が1社ある。
(2011年2月5日掲載)
プロボノ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%8E
産経新聞 2月11日(金)
コンピューター企業のソフト開発、金融機関の財務管理…。民間企業の社員が仕事で培った経験や知識を生かし、NPO(民間非営利団体)などを支援するボランティア活動「プロボノ」が浸透してきた。利益ばかりを追求する働き方を見直す機運の高まりなどが背景にある。企業が組織的に後押しする動きも出ており、社会貢献活動の新しい形として認識され始めた。(藤沢志穂子)
「ベンチャー企業の志が刺激になった」「自分の仕事が形になり感動した」
NECが今月、プロボノで支援した企業2社を招いて開いた会合。出席したNECの若手社員は、支援先から活動報告を聞かされると一様に目を輝かせた。
NECは昨夏、プロボノチームを作った。メンバーは若手中心の15人。支援先の1社は、採血による健康診断事業を首都圏で展開するケアプロで、もう1社は農業の収益性向上に向けて高糖度トマトを生産・販売するオリザだ。それぞれ医療と農業の構造問題解決を目指す社会起業家が作ったベンチャー企業だ。
NECはケアプロの顧客情報をデータベース化。診断結果を時系列でグラフ化し、健康状態に応じて診療所を紹介する携帯電話向けプログラムも作った。4月から本格稼働し、ケアプロの川添高志社長は「顧客や広告収入の増加につなげたい」と意気込む。
オリザ支援では、休日に栽培現場を訪れ、農業専門家にも取材してホームページを刷新。NEC側責任者の小林義明氏は「仕事で接点のなかった農業政策の問題を共有できた」と語る。
2000年代以降、欧米で広がったプロボノは、金融機関などの「金もうけ主義」への反発もあって拡大し、日本でも注目されるようになった。希望する個人をNPOなどに仲介する特定非営利活動法人「サービスグラント」(嵯峨生馬代表)の昨年の登録者数は約650人と、前年の2・5倍に急増している。
最近は企業も積極的に参加。ゴールドマン・サックス証券が女性社員中心のチームを作って教育・子育て関連のNPOの財務の見直しを支援しているほか、日本IBMも教育関連のNPOを支援している。
企業側にすれば、社員のやる気を引き出すと同時に取引先開拓やイメージアップも期待できる。サービスグラントの嵯峨代表は「寄付など従来の社会貢献事業を一歩進めた新しい形のボランティアで、地方にも広げたい」と話している。
【用語解説】プロボノ
仕事上の経験や知識を生かしたボランティア活動。ラテン語のPro Bono Publico(公共善のために)が語源で、米英の弁護士が始めた無料法律相談が始まり。資金力や組織力に乏しいNPOや、社会問題解決のためベンチャー企業を起こす「社会起業家」らが支援先となる。
2010/12/14 ぐるめ部
【開発物語】JR東 東北新幹線「グランクラス」
≪STORY≫
なぜ、新幹線には航空機のようなファーストクラスがないのか-。
素朴な疑問が出発点だった。折しもJR東日本には、グリーン車の利用客から「もっと静かに過ごしたい」「もっとゆったりとした車内空間を」といった声が寄せられていた。
出した答えが最上位シート「グランクラス」だ。今月4日全線開業した東北新幹線に来年3月デビューするE5系「はやぶさ」に導入される。
はやぶさは国内最高の時速300キロでの営業運転が予定され、2012年度末には320キロに引き上げられる。
国内最強の新幹線には、国内最強のサービスを-。“新幹線版ファーストクラス”の導入は、自然な流れでもあった。
高速鉄道特有の構造も、グランクラス導入に追い風となった。グランクラスが入るのは先頭車両のみ。新幹線の先頭車両は「ノーズ(鼻)」と呼ばれる先端部分を低く長くし、空気抵抗や騒音を減らす必要がある。国内最速のはやぶさのノーズは約15メートルで、それだけで先頭車両の半分以上を占める。このため、スピードを求めるほど、客室スペースが取りづらくなる。グランクラスはこの中途半端な広さを逆手にとり「極上の空間」に生まれ変わらせた。
定員はわずか18人。1列に2人席と1人席の計3席しかなく、これが6列配置される。現行の「はやて」のグリーン車の定員は1車両当たり51人。ノーズが車両の半分以上を占めるので、単純比較はできないが、グランクラスの1人当たりの空間はグリーン車をはるかに上回る。さらに、先頭車両には車両から車両へと移動する乗客がおらず、静かな空間を作り出す上でもうってつけだった。
グランクラスをつくるプロジェクトは、JR東の本社内で2008年初め、「スーパーグリーン車(仮称)」としてひそかに走り出した。「最上級のくつろぎと癒やしの空間を作り上げる」。担当になった車両技術センター新幹線車両グループリーダーの遠藤知幸さんの決意は固かった。その年の秋、川崎重工業と日立製作所、ドイツのシートメーカー、レカロがプロジェクトに参画し、共同でプロジェクトを進めることも決まった。
最も力を入れたのがシートの開発。国内初の“新幹線版ファーストクラス”として上質さに加え「どんな体型の人が、長時間座っていても疲れない」ことが絶対条件だった。はやぶさのデビューはすでに11年3月と決まっていた。シートの開発は「10年単位」といわれているが、与えられた時間はわずか2年だった。
レカロはベンツやポルシェといった自動車メーカーや、日本航空など航空会社にシートの納入実績がある。JR東が着目したのはレカロの人間工学に基づく最適なシートづくりだった。
ただ、レカロにとって鉄道の客席づくりはこれが初めて。いざ着手してみると、「航空機や自動車のシートとは勝手が違った」(レカロのエンジニアリングダイレクター大島正敏さん)。
ハードルは予想以上に高かった。新幹線のシートは上りと下りで回転させ、向きを変えなくてはいけない。鉄道ならではの条件だ。ダイヤが過密する東京駅では、新幹線は最短12分で折り返す。その場合、車内清掃の時間はたったの7分。清掃員が大急ぎでいすを回転させると、シート周辺に想定以上の負担がかかる。テストを繰り返し、徐々に強度を高めていった。
シートは長さ130センチ、幅52センチとゆったりサイズ。しかも「ベンツの最高級ブランド『マイバッハ』の後部座席のリクライングの動きを新幹線でも再現したい」(レカロの大島さん)と、電動リクライング機能を採用した。
ただ、走行中の車内では、電力使用量が限られる。シートに仕込んだ4つのモーターのうち、一度に動かせるのは2個まで。大島さんは「どの瞬間に止めても座っている人がリラックスできるポジションを見つけるのに苦労した」と明かす。8カ月かけてコンピューターやモデルを使って、背もたれと座面の動き方や角度を検証した。
試行錯誤を経て5代目のモデルの試作品が完成したのは今年初め。JR東の幹部にお披露目するため、本社ビルに2列分のグランクラスの室内空間イメージを再現した。
「これでいいんじゃないか」。清野智社長はシートに身を沈めながら満足そうな表情を浮かべ、ゴーサインを出した。グランクラスが誕生した瞬間だった。
チームは5月、はやぶさの試験車両に試作したシートを持ち込んだ。大宮-盛岡を走行し、実際の乗り心地を確かめた。「寝返りもしないほど、寝心地がよかった」と、JR東新幹線車両グループの齋藤裕之さんは胸を張る。川重機器・工事営業部の鉄道車両用腰掛担当部長、徳満修一さんも「本当に疲れないシートだ」と自信たっぷりだ。東京-新青森(713.7キロ)を約3時間20分(来年3月からは約3時間10分)で結ぶはやぶさ。グランクラスは、みちのくの旅の質を大きく変える可能性を秘めている。
■異分野の才能、妥協せぬプロ意識
≪TEAM≫
日産自動車の「GT-R」から東北楽天ゴールデンイーグルスのベンチまで、レカロの大島正敏さんは数え切れないほどのシートを設計してきた。シート一筋と思いきや、学生時代はまったく関係のない応用化学専攻だった。
大島さんが初めて就職したのは化学プラントメーカーだったが、不況でその会社が経営不振となり、トヨタ自動車の系列会社に再就職、シートの設計に携わるようになった。その非凡な才能にレカロが目を付け、約10年前にスカウトした。人間工学に基づき、データを駆使しながら理論的に語る姿に、JR東日本の遠藤知幸さんは「ドイツ企業だけあって、欧州の腰掛ける文化を熟知している」と評する。
日立製作所の熊谷健太さんがグランクラスで一番こだわったのは照明だ。鉄道車両の天井照明は進行方向と平行に並べるのが一般的だが、熊谷さんは横向きに配置。斬新な発想は他のメンバーをあっと言わせた。
JR東を含む4社の混成チームで進めたグランクラスの開発は、多種多様な見方に各社が刺激を受ける一方、得意分野では互いに譲らないという“プロ”のこだわりが原動力にもなった。
異分野の才能をバランスよく調整したのは、川崎重工業の徳満修一さん。「鉄道車両の製造を熟知」(JR東の遠藤さん)する立場から、製造のしやすさとコストパフォーマンスの両面から、意見対立したメンバー同士を取り持った。
■節約疲れ、癒やす「もてなし」
≪MARKET≫
グランクラスの料金は、東京-新青森間で、運賃や特急料金を含め2万6360円と、グリーン車に比べ、5000円程度高く設定されている。ターゲットとしているのは、ビジネス客と、旅の思い出を重視するミドル・シニア層だ。新しいマーケットを生み出せるか、業界の注目を集めている。
同じ路線で運行している新幹線「はやて」の場合、全814席のうち、グリーン車は51席用意されている。利用客は微減傾向にあるものの、約3割の列車でグリーン車が満席となるなど、高額シートの需要は根強いものがある。
グランクラスは豪華で洗練された内装だけでなく、飛行機のファーストクラスのようなシートや専任アテンダントがサービスする「おもてなし」が特徴だ。業界関係者は「世界でも珍しい取り組み」と評価する。
日本経済はデフレ傾向が依然続くが、消費者の一部からは“節約疲れ”もあって本物の上質を求める動きも出始めている。グランクラスがこうしたニーズを取り込めるか。来年3月に結果が出る。
≪FROM WRITER≫
「新幹線は日本の国を象徴する公共物。品格を感じられる空間をつくりたかった」。グランクラスの内装のデザインを手がけた日立製作所の熊谷健太さんの言葉がとても印象的だった。
政府は「観光立国」の実現に向け、外国人観光客の誘致に取り組んでいる。多くは東京-富士山-京都を結ぶ「ゴールデンルート」に集中しているが、日本通の台湾人や韓国人の間では、遅れて満開の時期を迎える青森の桜も人気だ。彼らは航空便でやってくることがほとんどだが、今後は全線開業した東北新幹線を使うケースも増えるだろう。つまりグランクラスは日本人だけでなく、アジアの富裕層が利用することも十分考えられる。外国人観光客に「日本を再び訪れたい」と感じてもらえるインフラとして期待できるというわけだ。
それだけでなく、グランクラスを通じて海外に新幹線ファンが増えれば、海外の高速鉄道計画の受注にも弾みがつくのではないか。夢が広がる取材を経験できた。(米沢文)
≪KEY WORD≫
■「グランクラス」
東北新幹線で来年3月5日にデビューする最新鋭車両E5系「はやぶさ」に導入されるグリーン車より上の座席クラス。JR東日本は初の“新幹線版ファーストクラス”と位置づける。先頭車両に18席だけ設け、グリーン車の座席に比べてシートピッチや座席幅、ひじ掛け幅、テーブルの面積を拡大。シートには本革を使い、インテリアには濃い木目のデザインを採用し高級感を演出した。車内には専任のアテンダントも配置する。食事は青森産や東京産の食材を使った和食と洋食から選べ、飲料はソフトドリンクのほかアルコールも提供し、ファーストクラス並みのサービスが堪能できるという。
しかし米国は非寛容、ロシア・中国は敵対度強める!
2011.02.12(Sat)jbプレス 川嶋諭
このところ頻繁にフェイスブックのお友達リクエストが舞い込んでくる。フェイスブックは日本でも勢力を伸ばしているようだ。先日は妻からお友達リクエストが来たのでびっくりしてしまった。
日本でもフェイスブックの利用者急増中!
約1カ月前に小久保重信さんが「フェイスブックはなぜ日本で普及しない?」の記事で、実名主義の米国と違って、日本では匿名のネット文化ができてしまっているので、フェイスブックの普及が妨げられていると書いていた。
しかし、わずか1カ月で事情は大きく変わり始めたのではないだろうか。最近の友達リクエストの多さから、そんな気がしてならない。
妻のケースで言えば、ミクシィ(Mixi)など日本のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を利用した経験もなく利用する気もなかったようなので、実名であることに抵抗感はないらしい。
暇さえあればせっせと米国駐在時に友達になった米国人たちを見つけてフェイスブック上で旧交を温めている。
よほどの用がないと1対1のメールでやり取りする機会はないが、友達が多面的につながっているフェイスブックなら気軽にコメントを書いたり写真をアップしたりできるので、大変便利らしい。
友人たちとのコミュニケーション能力と言ったら、手紙の時代はもちろん、電子メールが登場した時と比べても格段に高い。
高いコミュニケーション性能は、ビジネスの世界でも威力を発揮する。そのことを指摘した記事が乘浜誠二さんのこの記事「フェイスブックを始めないとビジネスに不利になる?」である。
ツイッターは企業にとってマーケティングツールの1つとして定着したが、実名でかつ情報量の多いフェイスブックはそれ以上の可能性を秘めているというのだ。
そう考えると、エジプトで続いている民主化を求める反政府デモがフェイスブックによって広がっていったというのは非常によく分かる。
エジプトの混乱収拾に米国は何ができるのか!
民主化されていないイスラム世界や中国などがその威力に戦々恐々なのも当然だろう。
1998年にベルリンの壁を崩壊させた大きな原因の1つがラジオやテレビにあったとすれば、フェイスブックは世界中の政治を変える起爆剤になり得る。
エジプトのムバラク大統領は、9月の任期満了まで大統領を辞任しないと宣言、これにエジプトの国民は反発を強め、反政府デモはますます勢いづいた。
結局、2月11日金曜日、ムバラク大統領は突然辞任を発表、エジプトの混乱はひとまず収拾に向かった。
しかし、今回の騒乱収拾に当たって、米国はほぼ無力だった。
その理由を考察したのが伊東乾さんのこの記事「エジプト動乱、日本だからできること」だった。
宗教的対立を超え手を結ぶイスラム教徒とキリスト教徒!
この地域は歴史的に様々な宗教が入り混じり、お互い寛容さを持って共存してきた。例えば、エジプトを中心に長い歴史を持つキリスト教の一宗派とも言えるコプト教。
イスラム教徒との争いは絶えないものの、うまく共存が図られてきた。その理由が今回のエジプト騒乱で垣間見えた。
イスラム教は1日に5回、礼拝をしなければならない。その際には武器を手にすることができず、敵に襲われたらひとたまりもない。
そんな時、コプト教徒たちが手をつないで人の鎖を作り、デモに参加しているイスラム教徒たちが襲撃を受けるのを守ったという。
また、その返礼として、コプト教徒たちがミサを行っている時にはイスラム教徒たちが人の鎖を作り、襲撃から守ったというのだ。
米国に渡ったインド人が受けた迫害!
伊東さんは、こうした宗教的な寛容さが米国にあるだろうかと言う。
同じように米国の宗教的な非寛容を指摘したのが竹野敏貴さんのこの記事「米国の不寛容が招いた、終わりなき暗殺連鎖」だった。
この記事の舞台はエジプトではなくやはりいくつもの宗教が共存するインド。イスラム教に対する寛容さが、ヒンドゥー教原理主義者たちの不満を買い、暗殺されてしまうインド建国の父、マハトラ・ガンジー。
宗教の対立は根が深い。しかし、それでもガンジーに見られるような寛容さが国づくりをしてきたリーダーたちにはあった。それに対して、米国にはそれがあるだろうかと、竹野さんもまた米国の非寛容を指摘するのだ。
「『マイ・ネーム・イズ・ハーン』(2010/日本劇場未公開)では、米国に移り住んだイスラム教徒のインド人が、9.11後のイスラムフォビアの集団ヒステリーの中、子供を失ってしまったばかりか、自身、テロリストと疑われ拘置までされてしまう」
WASPを頂点とする超格差社会の米国!
「ヒンドゥー教徒の妻とは宗教の壁を乗り越えて幸せな生活を送ってきた主人公は、思いもよらぬ米国の宗教的不寛容に直面するのである」
「民主主義最先進国での宗教的現実は、インド人同士の宗教的不寛容の比ではなかったのである」
米国は世界中から移民を受け入れ多様性を武器に成長してきた世界一の強国だが、その基本構造はWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタントのキリスト教徒)を頂点とする格差社会である。
その構造を少しでも脅かすような事態には極めて非寛容である。
それは、西大西洋条約機構(NATO)と並んで極めて重要な同盟国であるはずの日本に対してもしばしば現われる。
米国人をヒステリーにしたトヨタの品質問題が解決!
2月8日、米運輸省がようやくトヨタ自動車の言い分を認め、収束に向かいつつある「トヨタ車急発進問題」にも典型的に現れている。
トヨタの高級ブランド「レクサス」が急発進して衝突事故を起こし4人が亡くなったことに端を発する全米を挙げてのトヨタ叩き。
豊田章男社長が米議会の公聴会に呼び出され、日本人をあきらかに見下す目つきの議員たちに激しくなじられた姿は脳裏に焼きついて離れない。
今回、米運輸省と米航空宇宙局(NASA)は、トヨタ車の電子制御システムには不具合がなく、急発進の事故は運転者のミスやフロアマットがアクセルペダルに引っかかることが原因だったとの結論を下した。
トヨタにとってはまことにお気の毒なことだったが、ゼネラル・モーターズ(GM)を抜いて世界一の自動車メーカーに成り上がった日本車メーカーに対する、米国人の拒否反応がこの事件の根っこにはあった。
東芝の製品も日産の車も叩き壊され放火された!
古くはココム違反で旧ソ連に7軸のマシニングセンターを輸出したとして米国に激しく糾弾された東芝機械の事件も思い起こされる。親会社である東芝の製品が次々と米国人の手によって破壊されたシーンはやはり脳裏に焼きついて離れない。
さらに古くは日米自動車摩擦で、当時の日本車の代名詞だった「ダットサン=DATSUN」。日産自動車のピックアップトラックが、ひっくり返され、ハンマーなどで破壊され、放火されて丸こげになるシーンも蘇ってくる。
いくら世界最強の国とはいえ、欧州から逃れたWASPが作った200年そこそこの国に、寛容性を求める方が無理な相談なのだろう。そして、米国の地位が相対的に低下し始めたいま、逆に非寛容さは増すと考えるべきだろう。
イスラエル建国、中東戦争、イラン革命、アフガニスタン、イラク戦争と続き、中東の人たちは米国が最も嫌いな国になっている。そこに米国が介入しても良い結果は招かない。
翻ってアジアはどうだろうか。菅直人首相の不用意な発言にロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領は怒りをあらわにし、極東の軍事力増強を指示した。
軍事増強に走るロシアと中国!
中国は「殲20」というステルス戦闘機まで開発、試験飛行しているという。宮家邦彦さんは「我々は人民解放軍を過大評価していないか」の記事で、これは人民解放軍のデモンストレーションであり実際の技術力はそれほど高くないのではないかと指摘している。
しかし、「殲20」が単なる張りぼてだったとしても、そうした戦闘機を作ろうという人民解放軍の意志を軽んじてはいけないだろう。何しろステルス戦闘機はハイテクを駆使しなければ実現できないのである。
基本的には同じ速度で飛べばいい爆撃機と違って、急加速・急減速・急旋回しなければならずミサイルなどの装備も多い戦闘機をステルス化するのは格段に難しいと言われる。
こうした極東の軍事情勢に、私たちは直面している。果たして今までのように日米安全保障条約にあぐらをかいていていいものだろうか。
しかも、基本的に米国は自分たちの利益最優先で日本に対しては不寛容なのである。その点は、国防のコラムで多くの筆者が警鐘を鳴らしているので多くは触れたくないが、少なくとも防衛予算を増やさずに防衛力を上げる努力は最低限すべきだと思う。
菅直人首相に強い応援団がついた!
例えば、武器輸出三原則の見なおしなどである。日本の首相がロシアに対して挑発的な発言をして、ロシアの軍事増強を促すのはまことに結構なことだが、足元はしっかり固めてもらいたいものである。
強気の発言には背景が必要だ。それがなければただの犬の遠吠えに近い。
しかし、そんな日本の国民からもほとんど見放されつつある首相に極めて強い応援団がついた。英エコノミスト誌のこの記事である「日本の政治:日本開国」。
「菅氏が前任者たちに続いて歴史の塵と消えるかと思われたちょうどその時、彼はこの20年間の経済停滞期に試されたどんな政策よりも急進的な改革をまとめ上げた」
「外国人を魅了し、優勢なうちに退任した小泉純一郎元首相(2001~06年在任)でさえ、これほど大胆なことは試みなかった」
「日本のビジネスマンは首相の改革を支持し始めた」!
小泉元首相よりも大胆で決断力のある改革者だと言うのである。そして次のようにエールを送る。
「ビジネスマンや読売新聞(発行部数1000万)のような新聞は、菅氏に対する当初の敵意を乗り越え、同氏の改革を支持するようになっている」
「自民党の長期にわたる議事妨害は、同党にはすり合わせるべき建設的な2案などないということを示すだけだろう」
私には皮肉の塊のような記事としか読めなかったのだが、もしエコノミスト誌が文面通りに日本の今の首相に期待し、それを全世界に向けて発信してくれているならば、考えを改めなければならないかもしれない。
J-20 (戦闘機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/J-20_(%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F)
殲20戦闘機の神話~中国株式会社の研究(97)
2011.02.11(Fri)JBプレス 宮家邦彦
今回は中国の「殲20」戦闘機の話をしよう。「殲20」とは現在試作中の第5世代ステルス型戦闘機。1月11日の胡錦濤総書記とロバート・ゲーツ国防長官との会談直前に試作機の初飛行が「公開」され、俄然注目を集めた例の「殲20」である。
ゲーツ訪中の政治的背景については既に書かせてもらったので、ここでは繰り返さない。今筆者が最も関心を持っているのは、兵器としての「殲20」の性能に関する中国メディアのちょっと奇妙な報道振りである。典型例を幾つかご紹介しよう。
殲20を誇示する中国!
●殲20が米国のF22に対抗でき、攻撃力がより高く、中国周辺の米空母や在日・在韓米軍基地を重大な脅威に晒すといった憶測は冷戦時代の思考に過ぎない。
●他方、殲20は単なる技術実証機に過ぎず、ステルス性、新型エンジンなどない「ステルス戦闘機の外観をもつ殻だけ」といった批判は殲20を恐れる証拠である。
●殲20は2015-18年までに、基本的に中国空軍に加わることになる。中国が重大な軍事的脅威に直面する場合などには、(時期が)やや早まるかもしれない。
●米国は殲20のテスト飛行後、様々な国際世論を誘導して、「中国のハイテク軍事技術はみなスパイ活動によるもの」というイメージを作り上げようとしている。
いずれも、殲20の高性能ぶりを誇示しつつ、同機が中国独自の技術であると強調している。単なるプロパガンダに過ぎないのか、それとも、本当にF22に匹敵する第5世代(中国では第4世代と呼ぶ)の戦闘能力があるのだろうか。
中国空母のビデオも流出!
中国側による最新兵器情報のリークはこれだけではない。1月31日付ウォールストリートジャーナルによれば、殲20初飛行の「リーク」から2週間後の1月28日、中国海軍初の空母「施琅Shi Lang」を写したビデオがネット上に流出したらしい。
初の空母といっても、実態は1998年に中国がウクライナから購入した空母「バリヤーグ」に様々な艤装工事を施した「再生品」だ。米国防総省筋によれば、今年か来年にも就役すると見られていたようである。
それにしても、「殲20」戦闘機といい、空母「施琅」といい、本来なら高度の機密映像のはずだ。これらが最近相次いで中国のネット上に「流出」したことは決して偶然ではないだろう。問題はその真の意図がどこにあるかである。
殲20の実態!
殲20(殲撃20型、欧米メディアではJ-20)戦闘機は中国人民解放軍空軍のための第5世代ステルス型戦闘機であり、開発・製造はAVIC(中国航空工業集団公司)が担当しているといわれる。
もちろん性能の詳細は非公表だが、欧米メディア報道を総合すると、(1)双発ジェットエンジンの大型戦闘機で航続距離と積載重量に優れる、(2)機首と胴体全部の形状、エッジ・アラインメントなどから見て一定のステルス性を有する。
他方、(3)そのデルタ翼とカナードはステルス機として必ずしも理想的ではなく、(4)1990年代中葉に開発が中止された旧ソ連MIG 1.42計画が土台となった可能性があり、(5)2000年頃までにAVIC開発者による基本設計が完了したらしい。
これが事実であれば、殲20が1999年3月27日にコソボで撃墜された「F-117」の技術を盗用して開発されたとの西側メディアの一部報道も、中国側の主張通り、誤報である可能性が高いのかもしれない。
これまで米国は、殲20の実戦配備を2019-21年頃だと予測していた。それが中国の主張する通り2015-18年以前となれば、米国の太平洋空軍配備や日本のF-X(F-4後継機)の検討にも少なからぬ影響を与えるだろう。
いずれにせよ、筆者はいわゆる「兵器オタク」ではないので、技術的な優劣はこれ以上分からない。
しかし、ロシア空軍が断念したMIG 1.42のデザインが土台となったのであれば、それほど大騒ぎする話ではないのかもしれない(ちなみに、ロシアはMIG 1.42ではなくSukhoi T-50を正式採用している)。
さらに、筆者のFSX(航空自衛隊時期支援戦闘機)担当官としての経験から申し上げれば、戦闘機の真の能力は、その形状やステルス性だけでなく、アビオニックス、レーダー、搭載武器、エンジンなどの完璧な組み合わせによって初めて生まれるはずである。
ボマー・ギャップとミサイル・ギャップ!
果たして中国にアビオニックスやターボファン・エンジンについて高度の技術力があるのだろうか。
欧米の専門家の中にもこの点を指摘する声は多いが、筆者は次の理由からも、この種の軍事技術プロパガンダには大いに懐疑的である。
1954年2月、米国の航空専門誌「Aviation Week」は、ソ連の新型爆撃機「M-4バイソン」が米国に対する核攻撃能力を有すると報じた。さらに、翌1955年7月、ソ連で開催された航空ショーにそのバイソンが60機も「登場」したため大騒ぎとなる。
ワシントンでは爆撃機分野での「ソ連の優位」を懸念する声が急速に高まり、米国防総省は米核戦略の見直しを迫られたという。これが、いわゆる「ボマー・ギャップ」だ。
また、1957年にはソ連が人類初の人工衛星打ち上げに成功し、米国は再び騒然となった。当時のフルシチョフ・ソ連首相はミサイル戦略におけるソ連の対米優位を事ある毎に強調し、執拗に米国に揺さぶりをかけた。これが「ミサイル・ギャップ」である。
ステルス・ショック?
ソ連のプロパガンダはまんまと成功した。1955年の航空ショーに参加したバイソンはわずか10機に過ぎず、何とその10機の編隊が飛行場上空を6回も周回することにより、あたかもバイソンが60機もあるように「見せかけていた」のだ。
「ミサイル・ギャップ」も同様である。1960年代になって米国が「U-2」高高度偵察機を投入した結果、ソ連のミサイル配備は米国の予想をはるかに下回る貧弱なものであることが分かったからだ。
今日でも国際安全保障専攻の学生にとって、「ボマー・ギャップ」、「ミサイル・ギャップ」は古典中の古典だ。その教訓は、ソ連のプロパガンダが一時的に成功しても、それは逆に米国の軍拡を促進させ、結果的にソ連の衰退を招いたということである。
果たして今回の「ステルス・ショック」、「空母ショック」は本物なのだろうか。どうもこの種のプロパガンダは信用できない。いつの時代にも、軍事力の優劣については慎重な事実関係の検証が必要である。
ヴァリャーグ(中国海軍初の空母「施琅Shi Lang」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%BD%E7%90%85
航空母艦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%AF%8D
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