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INSIGHT NOW 編集部/経営戦略 2010年4月30日 13:26
*第1回 「上司との交渉決裂、そして日本へ」
■日本には市場がまだない、だからこそ日本でやりたい
「どうしても認めてくれないのなら、自分でやりますと言いました。これがすべての始まりですね」
1971年冬のある日、トッテン氏は米システム・デベロップメント社(SDC)の重役室にいた。過去一年半あまりをかけて日本でのパッケージソフトウェア市場に関する調査を行い、自分なりの分析に基づいた提案書を上司に出したのだ。
「40年前の日本にはまだ、パッケージソフトを採用している企業は、ほとんどありませんでした。だからこそ絶好のチャンスだと思ったのです」
トッテン氏の言葉は、マーケティングに関するある有名な逸話を思い出させる。アフリカにセールスマンが二人、靴を売りに行った。アフリカに着くやいなや一人は落胆する。理由は、アフリカの人たちが誰一人として靴を履いていなかったからだ。アフリカには靴のマーケットなどない、と判断し彼は帰っていった。逆にもう一人は大喜びする。これからみんなが靴を履いてくれれば、アフリカには膨大なマーケットが生まれると考えたからだ。
「日本でも、コンピュータがどんどん使われるようになっていました。ところが企業で使うソフトは、ほとんどが自社開発の時代でした。だからといって我々のようなアメリカ企業が、日本企業向けのソフト開発を受注できるかといえば、それも至難の業。何しろ1ドル=360円の時代でしたから」
人月計算で見積もられる開発費は、どうしても人件費の比率が大きくなる。物価水準の差もあり当時のアメリカは、日本よりずいぶん人件費も高くついた。アメリカでソフトを受託開発していてはコストがあわないのは目に見えている。
「しかも我々は日本語ができません。日本の商習慣もよく知らない。日本文化も理解できていない。『お前達にソフト開発を頼むわけがない』と調査に行った日本企業で言われました」
だからといって米系ソフト会社には日本マーケットに参入する余地がないのかといえば、決してそんなことはない。使っているコンピュータは日本企業もアメリカ企業も同じ、たいていがIBM製だった。
「確かに日米で企業文化は違うかもしれませんが、業務内容やプロセスはどうでしょうか。仕事の進め方自体に、それほど大きな差はないはずです。同じIBM製のマシンを使っているなら、アメリカで使われているパッケージソフトがきっと使える。僕はそう考えたのです」
ところが上司は、トッテン氏の考え方に理解を示さなかった。そこでトッテン氏は会社を辞め、起業を決意する。時にトッテン氏、29歳の出来事だった。
■異国で巡り会った友のサポート
「辞めたいのならどうぞ。ドアはあっちだと言われたので、重役の部屋を出て、その足で以前から目星を付けていたソフト会社に行きました」
トッテン氏が向かった先は、当時アメリカで最もポピュラーなパッケージソフトを扱っている2社だった。すなわち『MARK IV』のインフォマティックス社であり、もう一社は『ASI-ST』のASI社である。
「御社のパッケージソフトを日本で売りたいと持ちかけると、両社とも興味を持ってくれました。テスト用のサンプルソフトをもらい、僕が日本で試しに売ってみる約束を取り付けたのです。見込みがありそうなら代理店契約を結ぶ運びになっていました」
上司に提案を拒否されてからわずか一週間も経たないうちに、トッテン氏は再び機上の人となる。しかし日本に戻り、いざビジネスを始めようとして初めて自分が置かれている厳しい状況に気づいた。
「市場調査をやっているときは、会社が通訳を付けてくれました。事務所も借りてくれていた。ところが、今度は何もかも僕が一人でやらなければいけない。その頃はまだ日本語も話せないし、そもそも会社を経営したことなどなかったのですから」
困り果てて相談に行ったのが、以前から親交のあったシステム開発株式会社の永妻社長である。永妻氏は話を聞きソフトビジネスの可能性をすぐに見抜いた。そしてトッテン氏を自社に誘う。
「永妻さんは言いました、俺の会社に入って、ソフトを売ればいいじゃないかと。僕にしてみれば、まさに渡りに船です。そこで最初の課題となったのが、二つのソフトのうちどちらを扱うのかを決めること。僕は『ASI-ST』が良いと思っていました」
『ASI-ST』『MARK IV』は、いずれもデータ・マネジメント・システムと呼ばれていた分野のツールで、主にプログラム開発の生産性向上を目的に使われるもの。実際問題、その性能は甲乙付けがたいものだったようだ。
「結論として『ASI-ST』を採用することになったのですが、ここで永妻氏は僕にはまったく考えられないとんでもない行動を取ります。結果的には、このときの永妻氏の行動が、我々の成功につながったのですが、あのときは本当にびっくりしました」
永妻氏が取った『あり得ない』行動とは何だったのだろうか。
*第2回「アシスト社、創業の産みの苦しみ」
■競合がいて初めて市場は立ち上がる
「永妻さんはよりによって『MARK IV』を、僕たちの競合となる相手に紹介したんです」
そもそも日本とアメリカのソフトウェア市場には、大きな不均衡があった。情報不足のために日本企業は、パッケージソフトのメリットをまったく理解していなかったのだ。ソフトといえば、自社の業務内容に合わせて自分たちで作るもの。これが当時の日本の常識である。
「情報の不均衡あるところ、必ずチャンスあり。これはビジネスの鉄則ですね。だから僕はアメリカの会社を辞めてまで日本に乗り込んできたのです。扱う商品も決まり、さあこれから売りまくるぞというときに、わざわざ競合を作ろうとする。永妻さんの考えていることが、最初はまったく理解できませんでした」
ところが、この永妻氏の行動こそが、日本にパッケージソフト市場を立ち上げる上では決定的に重要だったのだ。その真意を理解するためには、仮に日本市場にトッテン氏の扱う『ASI-ST』しか存在しなかったらどうなったかを少し考えてみればよい。
「日本ではまだ誰もパッケージソフトの良さを知りません。しかも、そのソフトを広めようとしているのは外人、つまり僕のことです。こいつは商売がうまくいかないとなれば、いつアメリカに逃げ帰るかもしれない。そんな奴だけが扱っている製品、それもこれまでの日本では誰も知らなかった製品の話を、誰が真剣に聞いてくれるでしょうか」
では、競合他社、それも日本企業が、時を同じくして同じジャンルの製品を扱い始めたらどうなるだろうか。競合二社は当然お互いに切磋琢磨し合い、マーケットでの認知度を高めるべく啓蒙活動に励むだろう。トッテン氏はアメリカ人だが、競合社は純然とした日本企業である。日本人が誠意を込めて話をすれば、日本企業もむげに拒否はしないだろう。
「結局、競合する二社が競い合うことはお互いによい刺激になるし、何よりマーケット全体が活性化するわけです。この相乗効果を永妻さんは読んでいたのでしょう」
だからといってすぐに売れたというほど甘い話ではない。何しろ、日本では初めてのパッケージソフトである。どの会社も使ったことがないソフトを導入するのには、相当な勇気が求められる。トッテン氏を招いたシステム開発株式会社内でも、パッケージソフト販売に対する不協和音が響き始めていた。
■分離、独立、そして初めての顧客獲得へ
「営業を始めてから数ヶ月、経費だけは2000万円ぐらい使っていたでしょうか。ところが一向に売れない。永妻さんの会社でもほかの役員から撤退の声が出てきた。結局僕が独立して扱うことになったのです」
1972年、トッテン氏率いる株式会社アシストが設立される。社員数名の小さな会社で売上実績ゼロ、しかし売り込み先だけは超一流の大企業ばかりだった。先頭に立ってセールスを引っ張ったのはトッテン氏である。
「努力の甲斐あってようやく買ってくれたのはシェル石油でした。イギリスとオランダによる100%出資の外資系企業で、海外のグループ会社はすでにパッケージソフトを導入済み、だから私の提案に対しても抵抗感がなかったのです。とはいえ乗り越えるべき大きな問題が一つありました。彼らが海外の支部で導入していたのは『MARK IV』だったのです」
もしグローバル化が進んだ現在のように世界中がネットワークでつながれていれば、同じ企業グループ内で異なるソフトを採用することはまず考えられなかっただろう。しかし、幸いにもまだインターネットはなく、時代がトッテン氏に味方した。
「僕の話を、シェル石油の若い日本人がじっくり聞いてくれました。彼らは『ASI-ST』についていろいろ調べて、上司を熱心に説得してくれました。これが効いたのです」
トップセールスに励む傍らでトッテン氏は、パッケージソフトの啓蒙活動にも精を出した。ガートナーレポートやインプットなどの調査会社のレポートや、アメリカのIT関連の書籍や雑誌記事などを日本の顧客企業向けに翻訳して、自分の解説をつけて、「アシスト・メモ」として提供していった。
「シェルから契約が取れた実績は大きくものを言いました。引き続いて明治生命、神戸製鋼、などが採用してくれたのです」
海外では『MARK IV』を使っているシェルが、日本に限ってはわざわざ『ASI-ST』を採用した。この実績がアシスト社にとって強力なセールスポイントとなった。日本には存在すらしなかったパッケージソフト市場の開拓者として、トッテン氏率いるアシスト社は、少しずつではあるけれども、着実な成長を始めたのだ。
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INSIGHT NOW!安田 英久/経営戦略 2010年6月14日 14:34
*SEOの目的は1位になること? じゃない!
みなさん、SEOというと、何を目的に行うものだと考えますか?
・検索結果で1位をとる
・サイトのテーマに合った特定キーワードで上位をとる
・検索される回数の多いキーワードで上位をとる
・ユーザーが興味をもって検索するキーワードで上位をとる
・潜在顧客がコンバージョンに至る際によく使うキーワードで上位をとる
・検索エンジンから多くのユーザーを集める
・サイトの目的に合うユーザーを検索エンジンから多く誘導する
上記に挙げた例は、上のほうから順に、初心者が考えがちなSEOの目的で、下にいけば行くほど、私が適切だと考えるSEOの目的になっています。
Web担では、これまで「ビジネス目的別企業Webサイト成功の法則」の連載などの記事を通して、「サイトの目的を明確にすることが大切」という話をしています。また、私もセミナーなどで講演させていただく際には、よく「あなたのサイトのビジネス目的は?」というテーマにします。
そう。大切なのはサイトの目的(販売、資料請求、申し込みなどのコンバージョン)であって、SEOはその目的を達成するための手段の1つであり、検索結果での順位というのはSEOの1つの側面に過ぎないのです。
*ロングテールSEOを再確認
たしかに、検索数の多いキーワードで上位表示されれば、多くのユーザーをサイトに誘導できます。しかし、幅広い検索キーワードでサイトに誘導できれば、1つひとつのキーワードの検索数が多くなくても、全体では結構な数の集客になります。
これが「ロングテールのSEO」なのです。
もっと具体的に言うと、サイトのテーマから外れない範囲で、さまざまな内容のコンテンツを作り、各ページがそれぞれ異なる検索キーワードで検索エンジンからの受け皿となるようにするのです。
ロングテールというと、Amazonのように大量の商品を販売しているサイトだけの話だと思うかもしれませんが、だれでもできるやり方なのです。
・「ヘッド」のSEO ―― 競合の多い1キーワードで上位表示させる
・利点:成功するとリターンが大きい
・利点:ユーザーの動線が安定しているためサイトの作り込みが楽
・欠点:現状ではリンク構築が重要な要素であるため、不自然なリンク獲得手法を使わなければ競合に勝てずリンク合戦になる場合もある
・欠点:そのキーワードでしか集客できないため、隠れたニーズや新しいニーズを探りにくい
・ 「ロングテール」のSEO ―― 多数のキーワードで幅広く誘導できるようにする
・利点:検索エンジンのアルゴリズムが変わっても大きな影響を受けにくい
・利点:競合の少ない「ブルーオーシャン」なキーワードや、予想しなかったキーワードでの集客が可能
・欠点:コンテンツの数を増やす工数が必要である
・欠点:ユーザーの動線が多様なため、サイト内での誘導を工夫する必要がある
たとえばWeb担では、検索エンジンの検索結果からのアクセスに絞ってある一定期間でみると、次のような状態です。
・検索キーフレーズのバリエーション:16万5,000キーワード
・閲覧開始ページのバリエーション:1万2000ページ
つまり、1キーフレーズあたりのセッション数が(かなり少なく見積もって)平均で2セッションだったとしても、全体で33万セッションを検索エンジンから誘導できるのです。
もちろんWeb担はメディアサイトであり、検索エンジンにインデックスされているページも数万ページありますから、特殊な例ではあります。でも、幅広いコンテンツを受け皿にして幅広いキーワードで集客するロングテールSEOのパワーがわかるでしょうか。
*ロングテールSEOのためのコンテンツ作成指南
競合の多いキーワードで上位表示させようとするヘッドSEOでは、現時点では自ずと「リンクを増やす」必要が出てきます。そうすると、有料リンクを買ったり、中国語サイトに日本語のワードサラダでページを作って文中からキーワードリンクするスパムSEOに手を染めたりする人も出てきます。また、KPIも順位やリンク数が中心になるでしょう。
そういう方向に向かうのではなく、週に1本でもいいので継続的にコンテンツを作っていくロングテールSEOをしていくのはどうでしょうか。ブログ、コラム、メルマガバックナンバー、Q&A、事例、お客さまの声……コンテンツは作ろうと思えばいくらでも作れます。まずは商材から大きく外れすぎない範囲で、さまざまな方向のコンテンツを作っていくほうが、キーワードの幅が広がるでしょう。
ただし、ロングテールSEOをする場合には、次の点に注意しましょう。
・各記事のtitle要素だけは、キーワードをちゃんと調べて付ける
・全コンテンツがインデックスされるようにサイトマップなどで対応する
・必ずアクセス解析をしてキーワード分析を行い、以後のコンテンツ作成に反映する
・訪問数は多いがコンバージョンへの誘導が少ないページを見つけて、「資料請求」などの誘導ボタンを適宜追加・調整する
◇ ◇ ◇
この「ロングテールSEO」は、昔から言われているものですし、Web担でも「真偽が問われるロングテール理論、でも検索クエリのトラフィック分布には依然有効」や「グラフで見るロングテール - トップ1万キーワードでもトラフィックの18.5%に過ぎない」などの記事で解説しています。しかし、このコラムでちゃんと扱った記憶がなかったので、今さらな話題ではありますが、まとめてみました。
もちろん、私はヘッドのSEOを否定しているわけではありません。ヘッドSEOが成功すれば成果は大きくなりますし、そこにロングテールSEOを組み合わせられれば最強になります。
本当にあなたが「検索エンジンからの効果的な集客」を実現したいのであれば、ただ「キーワード○○で1位」を強調してリンクの話ばかりするSEO事業者ではなく、もっと広い視点から検索エンジンとの付き合い方を提案してくれるSEO事業者を選ぶようにしましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E5%8B%99%E7%9C%81_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
予算編成の透明性を高め国民の皆様のご理解を深めて頂く観点から、副大臣記者会見において、予算編成上の主な個別論点を紹介し、関連資料を公表しています。
公共事業
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/kokyo.pdf
文教関係
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/bunkyo.pdf
農林水産
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/nogyo.pdf
医療
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/iryo.pdf
予算
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E7%AE%97
*予算編成に「新司令塔」…仙谷長官を軸に組織?
(2010年7月19日03時03分 読売新聞)
政府は18日、2011年度予算編成や税制抜本改革など菅政権の総合的な経済・財政政策を協議する新たな組織を内閣官房に設置する方針を固めた。
政府・民主党で政策調整をそれぞれ担う仙谷官房長官と民主党の玄葉政調会長(公務員改革相)のほか、野田財務相ら主要閣僚が加わる見通しで、今月中にも発足させる構えだ。
政府が新組織を設置するのは、先の参院選での民主党大敗で、衆参の多数派が異なる「ねじれ国会」の状態となり、内閣官房の「国家戦略室」を法的な権限のある「局」に格上げする政治主導確立法案の成立にめどが立たなくなったことなどが背景にある。
「国家戦略局」に代わる、政治主導で経済・財政政策の方向性を決める新たな仕組みが必要と判断した。
具体的には、閣僚中心の会議体を設け、その下に、内閣官房の職員や民主党政策調査会の職員らで構成する事務局を設置する。
新たな政策決定の仕組みに関連し、菅首相は18日、視察先の岐阜県で記者団に「官房長官、政調会長の2人を中心に調整すれば、より政治主導の力は強くなる」と述べた。
国家戦略室については「首相直属のシンクタンク(政策研究機関)という位置づけで、しっかりした体制を作る。性格は変わるが大変重要な役割を担う」と強調した。省庁間調整の機能をなくし、首相に外交戦略を含めた幅広い政策分野について助言する機能を持たせる考えを示したものだ。
民主党の細野豪志幹事長代理も18日のフジテレビの番組で「官房長官と政調会長を中心に、国家戦略局が担うべきだった予算編成、税の議論、中長期的な国家ビジョン(構想)を練り直せるような仕組みをつくる」と語った。
*民主党政調会に暗雲 首相批判噴出で玄葉氏矢面に 予算編成で混乱も!
7月19日0時1分配信 産経新聞
菅直人政権で復活した民主党の政策調査会(玄葉光一郎政調会長)に早くも暗雲が漂っている。菅首相の消費税発言や平成23年度予算案の概算要求基準(シーリング)での各省庁「一律カット」方針に批判が噴出したほか、政調会の位置付けについても、玄葉氏が提言機関と位置づけているのに対し、政策決定の権限を与えるよう求める声が出ているためだ。玄葉氏の手腕が問われている。(坂井広志)
「党内で民主的な手続きをとらずに発言したとは問題だ。北朝鮮じゃないんだから。菅さんに政策を白紙委任したんじゃない!」
16日に開かれた拡大政調役員会。小泉俊明衆院国土交通委員会筆頭理事は、参院選前に突如出た首相の消費税10%発言に怒りをぶちまけた。さらに「政調会を提言機関ではなく政策決定機関にしないといけない」とも主張した。
玄葉氏は「それだと自民党と同じになる。何とかいいバランスを考えたい」と応じたが、小泉氏のあまりのけんまくに役員会は険悪なムードに包まれた。
公務員制度改革担当相として内閣の一員でもある玄葉氏は、政調会をあくまで提言機関と位置づける。政調会や下部組織の部門会議に政策決定の権限を与えると、政策決定の「政府一元化」原則が崩れるからだ。
だが、参院選で惨敗したとあって首相の求心力は低下。小泉氏の発言は「政策権限を党側が握る」といわんばかりだった。
国家戦略室を政策の提言機関に格下げすることを問題視する声も上がった。機能の縮小に伴い、政府側は仙谷由人官房長官、野田佳彦財務相、玄葉氏を中心に予算編成の調整を行う方針だが、財務省主導につながると危機感を持つ松井孝治前官房副長官は「(機能縮小を)いつ知ったのか」と玄葉氏を突き上げた。
政調会は週明けから、シーリングに関する提言の取りまとめ作業に入る。野田財務相らは22年度予算の一般会計総額が過去最高の92兆円まで膨らんだ反省から、社会保障などを除く政策的経費について、各省庁に一律で要求額の削減を求める方針だ。
菅首相は18日、視察先の岐阜県八百津町で「官房長官と政調会長が中心となって調整するということは、より政治主導の力が強くなる」と強調した。
しかし、小沢一郎前幹事長のグループからは「各省庁一律で要求額を減らせとはどういうことだ。必要なものは要求させてもらう」などと反発が出ている。
今後、政調会は分野別に部門会議を立ち上げ、政府の政策に本格的に関与する。部門会議の座長に内定している小沢系議員は「衆参ねじれ国会になり、これから野党と修正協議をしないと法案は成立しない。その際、政務三役は口出ししないでほしい」と早くも政府側を牽制(けんせい)。玄葉氏が菅政権誕生の立役者の一人であることを意識し、こうも語った。
「これからは玄葉さんが党側の意向をくんでどこまで政府に強く出られるかが試されるんだよ」
最終回 「JimdoをウェブサイトのOSに」
■ツイッターにもすがる思い
「実はサービスをスタートした直後、たった5日間で登録ユーザー数が1万人を超えたんです。すごいことになると喜んだのもつかの間、6日目からは急転直下、撃沈でしたね」
プレス発表をし、記事に取り上げてもらって、一気にユーザーが伸びて、ガクッと落ちる。従来のやり方にあっさりと見切りをつけた高畑氏は、わらにもすがる思いでツイッターに取り組み始めた。そして、実に意外な発見をする。
「たとえばプレスリリースの打ち方です。これまでならプレスは、メディア各社に対して一斉に打つものと、誰もが考えていたはず。リリースを出した次の日に、どれだけ多くのメディアが取り上げてくれるかが勝負だと。ところがソーシャルメディアを使うためには、こうした同時一斉方式ではダメなんです」
なぜ、ダメなのか。逆に突っ込むなら、では、どうすればいいのか。この答えに絡んでくるのが、ツイッターの興味深いところだ。
「自分たちでいろいろツイートしてみてわかったのが、まずリツイートされやすい人が世の中には確実に存在すること。そんな人たちを吟味して、彼らに向けた発表会をやります。するとその人が記事を書き、やがてリツイートされていく。少し時間を空けて、別の記者に書いてもらう。すると、またリツイートされて広がっていく」
この結果、ツイッターのタイムライン上にはいつも、Jimdoに関するツイートが流れるようになる。記事を読んだ人のツイートが第三者に伝わり、そこから第四者へと広がっていくうねりが起こる。
「これがツイッターの使い方なんだ、これからの時代のバイラルマーケティングなんだって確信しました。実際、去年の10月ぐらいからは、1日ベースでの登録ユーザー数が、以前の2.5倍ぐらいのペースで増え続けています。しかも、Jimdoの場合は無料ユーザーと有料ユーザーの比率が、一般のフリーミアムモデルとは違うのです」
通常なら有料ユーザーは、無料ユーザーの1%未満が定説だ。ところがJimdoでは、1%を遙かに超える比率となっている。
「ドイツにいる創業者たちもびっくりですよ。そして初めて来日した彼らは、さらに驚きの体験を日本ですることになります」
来日時の衝撃的な体験は、Jimdo本体のマーケティングにも影響を及ぼしたのだ。
■フリーのお客様こそ最高の宝
「なんで、みんな、こんなに笑顔なんだって。しかも若い女性がいれば、片方には見事な白髪のおじいちゃんまでいる。オンラインマーケティングに偏りがちな彼らにとっては、お客さんの生の笑顔は、よほど印象的だったようです」
高畑氏は創業者を日本に招き、京都と東京でユーザーミーティングを開催した。呼ばれたのは、エヴァンジェリストと名付けられた、ユーザーの中でも熱くJimdoを愛する人たちを中心としたヘビーユーザーばかり。彼らにとっては、創業者と会い、じかに話をできることは、今後Jimdoを伝導していくための最高のモチベーションアップとなる。
「創業者たちは、イベントは絶対にドイツでもやろう、いや、他の国もでやらなければならないとつぶやきながら帰っていきました。有料ユーザー比率が1%を大きく超えてくれたおかげで、すでに黒字転換を果たしています。悩み抜いた末のプライシングも、受け入れられたようでホッとしています」
Jimdoがデファクトを取ったとき、世界のウェブサイトはどう変わるのだろうか。誰もがもっと自由で手軽に、自分のホームページを持ち、思い通りのコンテンツを発信できる。そんなWeb3.0の世界は、もう目の前まで迫って来ている。
それでも高畑氏たちは、Jimdoの日本での展開をためらうことはなかった。その背景にあるのは、ホームページとは、あるいはインターネットとは、もっと自由なものであるべきだというビジョンである。固く、熱いビジョンに支えられた企業ほど強いものはない。そしてビジョンの熱さは、まわりの人の共感を引き起こし、共感する人を巻き込んで必ずムーブメントを起こす。
実際、Jimdoエヴァンジェリストの多くが、ウェブデザイナーだという。彼らこそが、まずJimdoのすばらしさを身を以て理解した。そして、ここからが重要なポイントだが、彼らはJimdoの魅力を一人でも多くの人に、自ら啓蒙する道を選んだ。
少し大げさに表現するなら、それが『真善美』につながる道だと信じたからだろう。インターネットは世界を変えると言われ、実際に、少しずつではあるが、確かに世界を変えてきた。これから先、JimdoがウェブサイトOSとしてデファクトを取り、もっと多くの人が、インターネットで自らを表現するようになるとき、さらに世界は良きものとなるはず。そんな予感をJimdoは与えてくれる。
■作り手のユーザビリティを追求する
「もしかしたらウェブ業界は、一部の人の圧力に屈してきたんじゃないだろうか。そんな問題意識は常に頭にありましたね」
世の中には、ムーバブルタイプやワードプレスなど、いわゆるCMSがいくつもある。もちろん、これでも十分に使いやすいとは言えるのだろう。ただし、ある程度の知識がある人にとっては、という限定条件が付く。
「確かにCMSを使いやすいと評価する人たちはいます。しかし、万人向けかというと、決してそんなことはない。一方ではウェブの世界はどんどん進化していて、いよいよリアルタイムウェブの世界に突入だ、なんていわれ始めている。そんな状況になっているのに、作る過程に時間がかかることほどナンセンスなことってないでしょう」
ウェブのように時代の先端を走っている業界でも、成功のジレンマは起こるのだ。過去の成功にこだわり、それに固執すると、さらなる革新に踏み出す勇気を失う。
「次の一歩を踏み出すための一石を投じるのが、我々の役目ではないかと考えたのです。ホームページを作る過程は極端に簡単にして、ユーザーには、何を、どう表現したいのかに集中してもらう。そうすれば、優れたコンテンツが、どんどんネット上に公開されますよね」
自分で、自分の思うままのホームページを、簡単に、時間をかけずに公開できること。これこそがJimdoのコンセプトである。
「それがPages to the Peopleの意味です。インターネットは、People以外の誰かのものであってはいけない。だから作り手にとってのユーザビリティに徹底的にこだわっています。裏側では、ものすごく高度なプログラムが動いている。
でもユーザーには、極めてイージーゴーイングでなくちゃ」
画期的なサービスそのものが拒絶されるとは、高畑氏をはじめKDDIウェブコミュニケーションズでは誰一人として思わなかった。とはいえ、ビジネスとして採算性を考えたときの不安は消えない。
「本当に有料化できるんだろうかという議論は、しょっちゅうしていましたね。なにしろ無料版でもかなりのことができてしまいますから。しかし、最終的には、こんなすばらしいものを世の中に出さないのは罪なんだと、それぐらいの思いで社内が一致しました」
ベストセラーとなった『FREE』に、日本で火がつく前の話である。フリーミアムと言った言葉も、まだ世の中に広まっていなかった。だからビジネスとしてはスモールスタートに徹し、Jimdoは立ち上がった。2009年3月のことである。
■バイラルマーケティングを起動せよ
「どうやれば、バイラルマーケティングを実践できるのか。Jimdoのマーケティングは、我々にとって大きなチャレンジでした」
まだ海のものとも山のものともつかぬJimdoのプロモーションに、コストをかけることはできない。つまり広告を打つことは論外、費用をかけたSEO対策も難しい。残った選択肢がバイラルマーケティングだったというわけだ。
「意識の中には、検索エンジンに縛られたくないというのもありました。極端な話、いわゆるネットショップはすべて、グーグルの上で争っているわけじゃないですか。いかに上位表示されるかが重要で、そのためにSEO対策を徹底する。でも、膨大なお金と時間の両方をかけなければならない。それでは弱者は弱者のまま取り残されてしまう。それってどうなんだろうと思いませんか」
時代が高畑氏に味方した面もある。ソーシャルメディアの勃興だ。先行していたmixiやGREEに加えて、昨年ぐらいから日本で急激に伸びたのがツイッターである。
「検索エンジンに頼らず、どれだけ口コミを拡げることができるか。商品力には絶大の自信があるのだから、ソーシャルメディアでいかに火をつけるかが勝負と考えていました」
高畑氏たちがツイッターに本格的に取り組み始めたのが、2009年6月ぐらいから。しばらく潜伏期間があり、10月頃からJimdoの普及スピードが、日本でも一気に加速し始める。
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