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平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
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週刊SPA!7月23日(金) 11時 7分配信

★都会の[田植え男子]の主張

 現在、田んぼをとりまく状況は明るくない。農業ジャーナリストの大野和興氏は「コメ作りの現場はどこも高齢化が進み崩壊寸前。あと5年持つかどうか……」と危機感を募らせる。

「どこの農村でも困っているのは、とにかく人手が足りないこと。よく『耕作放棄』という言葉がメディアで使われます。しかし本当は、農村の人々は耕作放棄しているのではなく、続けたくても続けられないのです。コメの価格が安すぎるため、作れば作るほど赤字になる。また、昨年の農業就業人口の平均年齢は65歳で、そのうち70歳以上が48%という状況です」

 大野氏は「多くの若者が農村に行くようになれば、この状況も変わるかもしれない」とも語る。

「そのために重要なのはマッチングです。農業を志す若者をいかに市場に繋げるかということ。政府や農協がやりたがっている国際競争力をつけて外国に農産物を売っていこうというのは古い考え。むしろ、食糧を自給したい都市の若者と、土地を荒廃から守りたい農村の人々が繋がることのほうが現実的です。

 コメ作りで忙しいのは、苗床作りや田植え、草取りなど、ある程度時期が決まっています。そうした時期だけでも都会の人が作業をしに来てくれれば、だいぶ助かる。都市に拠点を置きながら、関われるときに農業に参加するだけでも、意義は十分あるかと思います」

普段は大学院で癌の研究、休日はコメ作りを始めた男を直撃!

千葉県県匝瑳(そうさ)市にある農園「アルカディアの里」。ここに、都会で働きつつマイ田んぼでコメを栽培する人々が集まってきている。

「自分が作ったコメは、どんな高級なコメよりうまく感じます」と語る木村真さんもその一人。都内の大学院で癌の研究をしている木村さんは、手伝いを数人呼びながらも、ほぼ一人で1反(約1000平方メートル)のコメを育てている。

「コメ農家の高齢化、食料自給率の低下に危機感を持ち、自分の食べ物は自分で作りたいと思ったんです。安全な食糧を今後もずっと手に入れられる保証はないぞと。実際にやってみると、とにかくすごく気持ちがいい。普段は研究室にこもっているので、土や水や生き物など、リアルなものに囲まれることで、気持ちが解放されます。足腰も強くなり、運動不足の解消にもいい」

■【アルカディアの会】千葉県匝瑳市大寺1767 問:0479-74-0009

ホタルも復活しました…里山保全のために「田んぼ」無償提供

この農園を運営する「アルカディアの会」は7年前に設立、発起人は地元に住む画家の青木栄作さん。周辺農家から土地を提供してもらい、田んぼを無料で貸している。現在は9団体が借りていて、指導を受けながら無農薬米を作っている。田んぼの近くには休憩所も開放され、炊事場を使ったり農具を借りたりもできる。至れり尽くせりだが、なぜ無料でそこまでしてくれるのだろうか?

「先祖から受け継いだ土地が荒廃していることに、農家の人たちも心を痛めているのです。そこで、都会の人にコメ作りを体験してもらいながら、田んぼの保全・里山保全に協力してほしいということで始めました」と青木さんはその理由を説明する。

「かつてはどこにも豊かな里山がありましたが、近年急速に荒廃してきました。エネルギー資源として活用されていた薪や炭に代わってガス・石油が使われるようになり、山の手入れをする人がいなくなりました。そして、コメを作っても儲からず、若者は都会に出ていって働き手がいなくなり、田んぼも荒れてしまいました。昆虫や鳥、植物など、生き物の種類も少なくなりました」

 田んぼを復活させ森の手入れを進めると、数年で驚くほど多くの生き物が戻ってきたという。

「ここ3年でホタルも復活しました。川シジミも戻ってきつつあります。トウキョウサンショウウオやニホンアカガエルなどの絶滅危惧種や、キンラン、ギンランなどの希少植物も増えましたし、エサを求めてコジュケイやカワセミ、シラサギなどもやってくるようになりました。森の手入れが進むと、カシタケ、シメジ類など天然のキノコも復活しました」

「アルカディアの里」では月1回、周辺の森の間伐を行っている。

「そもそもこの事業を始めたのは、田んぼを含む里山全体を保全するためです。でも、都会の人にいきなり『里山保全をしたい』と言っても来てはもらえない。最初は『自分たちの食べるコメは自分で作りたい』でいいんです。そのうち、コメを作るにはいい水が必要だ、その水をつくるには森の手入れが必要。そうやって少しずつ里山保全に力を貸してくれるようになればいいなと思っています」

 借り手の募集は表立っては行っていない。信頼関係のできた人にだけ貸している。

「最初だけ熱心にやって、放置されても困るので。『この人だったら田んぼを守ってくれる』と見込んだ人にお貸ししています」

企業の有志で借りているケースもある。環境コンサルティング会社「アミタ」では、総勢60人ほどで、1反弱を借りている。「あみたんぼ」と称するこの田んぼの実行委員会・奥陽介さんはこう語る。

「ウチの会社は環境ビジネスをやっているのに、僕らには一次産業の実体験がまったくないじゃないかと。実際にやってみることで、自分の仕事にリアリティが出て、取引先への説得力も増します。先輩や他部署の人など、社内のコミュニケーションがとれるようにもなりました。社外の人も自由に参加できるので、友人も一気に増えました。僕はここで彼女ができましたよ(笑)」

 アミタ東京本社では、この田んぼのコメを使った「あみたんぼ米ランチ」を食べられるという。

「コメ作りを始めてから、食べ物に気を使うようになりました。主食を玄米に替えたり、無農薬の野菜を食べるようにしたり」(奥さん)

【あみたんぼ ブログ】http://amitanbo.blog61.fc2.com/


IT会社を経営する吉田基晴さんは、出版社社員の嶋田崇孝さんらとともに1反(10畝(せ))の田んぼを借りている。

「私の母方の実家は徳島県の農家でしたが、後継者がいなくなり、江戸時代から受け継がれている里山の水田を廃棄してしまいました。こうした地方の廃棄田を何とかしたいと思っていました。当社は徳島支社があり、徳島でなら例えば週2~3日はITの仕事、残りは農業という働き方もできるのではないかと。水田や環境の維持、そして食の問題に携わっていくため、まず自分が1~2年やってみようと思いました」

「コメを育てるプロセスは仕事や人生にも共通する。チームワークも必要だし、手を抜いたり、中途半端にやっていると自分に跳ね返ってくる。それから、朝早く起きるので、生活スタイルが自然と朝型に変わりました」(嶋田さん)

 池袋でオーガニックバーを経営する高坂勝さんは、夫婦で3畝の田んぼを借り、週1度のペースで通っている。家族3人が1年間食べられるコメが穫れるという。

「田んぼを始めて、夫婦仲もよくなりましたよ」と高坂さん。

「ケンカしていても、無心で作業をしていると気持ちも落ち着きますし、お互い協力しないとできない作業なので自然と会話も生まれます。それから、コメ作りって都会の生活よりも男女の役割がはっきりしてるんです。例えば、用水路の水をせき止めたりする力仕事は男の役目。4回挑戦してやっと成功したときには、私の株も上がりました(笑)」

「頼もしかった。この人と結婚して良かったと改めて思いました。この先、何があっても生きていけるなって」(妻の早苗さん)

 高坂さんはコメ作りを始めて2年目。今年から「冬期湛水・不耕起栽培」でコメを作り始めた。冬の間に水を張っておき、肥料や農薬を使わず、土地を耕さずにコメを作る農法だ。雑草が少なく、強い稲が育ち、収量も多いということで近年注目されている。

「こんなに楽にできるのかとびっくりしました。去年に比べて、雑草の数が3分の1に減ったんです。去年は2時間かけてやった作業が、今年は30分で済みました。この農法なら、自分たちが食べるくらいのコメは簡単に自給できる自信がつきました。畦には大豆を植え、味噌や納豆も作っています。味噌は米麹を使いますし、納豆を作るのには稲藁を使う。コメと大豆は非常に相性がいいんです」

最初から「マイ田んぼ」を持つのは敷居が高い……という人々でも、気楽に農業体験ができるプログラムがある。東京から高速バスで約2時間、千葉県鴨川市にある多目的農園「鴨川自然王国」では、日帰りや1泊2日で、棚田の農作業を体験できる「棚田チャレンジ」を主催している。田植え、そして草取り、稲刈りまでの農作業に1回だけ参加することも可能で、作業に多く参加した人が多く分け前をもらえるという仕組み。

 この日参加した「田植え男子」は、IT関連の会社に勤めている西賢治さんと、バイオテクノロジー関連の機材販売会社に勤める池田裕二さん。2人は、今年の環境イベント「アースデイ」でこのプログラムを知ったのだという。

 この日の作業は田んぼの草取り。田んぼ用の長靴もあるが、皆あえて裸足で田んぼに入っていく。「田んぼの泥がけっこう気持ちいいんですよ」と鴨川自然王国理事の林良樹さんは語る。この田んぼでは、環境や食の安全を重視して、除草剤は使用しない。男女でペアを組み、「田車」と呼ばれる手押しの草刈り機と手で雑草を抜いていく。抜いた草は田んぼの外に投げ捨てるか、田んぼの泥の中に埋める。「これはメタボ対策になりますね」と西さん。田車を押すのは意外に力がいるのだ。一方、昆虫好きな池田さんはどんな虫がいるかが田んぼでの作業の楽しみの一つらしい。

「農薬を使っていないから、いろいろな生き物がいます。都内では絶滅してしまったゲンゴロウの幼虫もいるんですよ。今後、もし機会があれば学生時代に実験していた、除草剤の代わりにカブトエビを使う農法も試してみたい」

「一人で黙々と草取りするのは大変ですが、皆で作業すると楽しいですし、早いですね」と林さん。

 作業の後は、のどかな田園風景を眺めながらビールを飲む。

「農作業の何がいいかって、体を動かした後の酒や飯がうまい」と西さんも上機嫌だ。

「先日は土日に泊まりで来たんですが、夜はホタルが飛んでいて、それを眺めながらビール。すごく贅沢な感じでした」(池田さん)

【棚田チャレンジ】http://www.tanemaki.jp/45


★“サーフィン&コメ作り”限界集落、農村の新しい観光の形!

 「今度は、午前中から昼にかけて農作業、その後に海に出てサーフィンしようか?」と林さんが2人を誘った。

「楽しい、おいしい、嬉しいというのがキーワード」と言う林さんは、このプロジェクトの目的をこう説明する。

「農業は汚い・貧しい・辛いというこれまでのイメージを変えていきたい。この一帯は、伝統的な棚田が維持され、今も雨水だけで小規模なコメ作りをやっている地域なんですが、これまで政府や農協が進めてきた米国型の機械化・大規模化の流れの中では『お荷物』として見捨てられ、耕作放棄地がどんどん増えています。そこで、小規模で作業効率が悪いという部分を逆手に取ったんです。あえて多くの人々が関わることで、都会の現代人が失っている共同作業の一体感、お祭り的な面白さを味わってもらう。レジャーとしてのコメ作りというのは、新しい観光の形じゃないかと思います。農村にとっても、都会から若い人たちが来てくれたら、伝統的な農法や文化を維持できる」

 鴨川自然王国の一帯も、65歳以上が人口の半分を超えるという「限界集落」の典型的な状況だ。

「そこに若者がいるというだけで限界集落が希望集落に変わっていくのです。一人でも多くの人々が来てくれるよう、敷居をどんどん下げていきたいですね」(林さん)

★合コンでの受けもいい!「田んぼ&畑で出会い」密かなブーム!

ここ最近増加中の農業イベントが、新しい出会いの場としても人気が出てきている。昨年あたりから増えてきているのが農業合コン、通称「農コン」。街の中ではなく、田んぼや畑を舞台に、農作業をしながら出会いを探そうという企てなのだ。

 東京近郊で密かに流行りだしたこの企画は、小規模な有機農家などが主催することが多く、参加者には農業や食に関心の高い若者が多い。例えば、千葉県いすみ市の自給スペース&マクロビオティックカフェ「ブラウンズフィールド」で1泊2日で開催した農コンは特に女性に人気で、キャンセル待ちが出るほど希望者が殺到。また、神奈川県三浦市にある「たかいく農園」では、バレンタインデーに開催した農コンに200人を超える人が来場した。

 またユニークなのは、米ともLLP(有限責任事業組合)が企画運営する「米トモ!」。新潟県長岡市の田んぼを舞台に、都会で働くアラサー女性と田舎の農家男性の出会いを提供している。年間で3回以上の田んぼ作業を企画しているが、昨年はなんとリピーター率100%。「婚活米」と名付けられたそのコメは、活動の最終回に東京・表参道で参加者の手で販売された。

「田植え男子は、合コンでの受けもいい」と語るのは、出版社勤務のSさん(30歳)。

「合コンで『趣味は田んぼ』と言うと女のコの食いつきがすごくいい。『じゃあ今度ウチの田んぼに来てみる?』なんて、下心を感じさせずに誘えます」

 それでは、田んぼでモテる男とはどういうタイプなのか? 会社名とか年収とか話術とかルックスとかは、あまり関係ない……と思いたい! というわけで、女性側の意見を聞いてみた。

「重い苗床を持ってくれたり、力仕事をさりげなく引き受けてくれたりしたらキュンとしちゃいます」(Yさん・28歳)

「力仕事のときの腕の筋肉や汗にグッとくる」(Tさん・30歳)

「農業や生き物に関する知識が豊富だったり、みんなが嫌がる草取りを黙々としていたりする姿に、普段とは違った魅力を感じた」(Yさん・24歳)

「家族連れで来ている子供への対応も、しっかりチェックしています」(Nさん・28歳)

 総じて女性側の意見も、田んぼでモテるタイプは都会とは違うとの意見が多かった。田の力と書いて男と読む。そんなオトコヂカラを発揮すれば、女子の目の輝きも変わってくるはず。頑張れ、田植え男子たち!

【農業イベント】8月28・29日「茶畑農コン@藤枝」(静岡県)、9月25日「稲刈り@渡良瀬エコビレッジ」(栃木県)、10月2日「稲刈り@森の暮らしの郷八ヶ岳」(山梨県)問:リボーン

http://reborn-japan.com/domestic/1915 

メール eco-tourism@reborn-japan.com

★コメ作り崩壊阻止、生態系保全…田植え男子の社会的意義とは!

なぜ今、田んぼがブームになっているのか? 「はじめる自給」「大豆レボリューション」など、若者を農業の現場へ次々と送り込んでいる仕掛け人・ハッタケンタロー氏は、「若者が安心できる繋がり、コミュニティを求めているから」とみている。

「いつも時間に追われ、いつも同じ場にいて、いつも込み入った人間関係に苦労している。そういうストレスから自分を解放する場所として人気が出てきているのでは。つまり、普段とは違う場所、人脈、そして時間の感覚。それから、生活への不安も大きいのでしょう。『自給』という言葉は『自ら糸を合わせる』と書きます。単なる食料の確保だけではなく、人と人の繋がりも確保したい。不安な現代のセーフティーネットのような存在なんじゃないかと思います」

★世界に誇れる農業文化「田んぼ」守ることは生態系を守ること!

さらに、田んぼが荒れることによる生態系の破壊も問題になっている。

「田んぼが地域ごとの生態系の中でしっかりとあることが重要。温暖化や食糧危機の発生などを考えても、田んぼの維持はもはや安全保障の問題ですらあると思う」

 こう語るのは「人と自然の研究所」の野口理佐子氏。

「田んぼは人間が作ったものですが、二次的自然として生態系の一部となっています。人間が関わることで、より豊かな生態系を保っているのです。これは世界に誇れる農業文化でしょう。特に、農薬を使わない田んぼは生き物の宝庫で、タガメやトウキョウダルマガエルなど絶滅危惧種の棲み処となっています。それに、田んぼの浄化能力はすごい。かつて100万人都市だった江戸を流れる墨田川が、世界のほかの大都市を流れる川と違って非常にきれいだったのも、人々の排泄物を田んぼが浄化していたからです。田んぼには水源を守るという効果もあり、豪雨のときに水を蓄え、土砂崩れを防ぐなどの治水の役割もあります」

 田植え男子のニーズは高く、社会や環境に対する貢献度も高い。今こそ、田んぼで活躍する男子が求められているのだ。

取材・文・撮影/志葉 玲 澤田佳子 北村尚紀(SPA!)

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佐賀県

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C


古川康
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E5%BA%B7


※「古川康のパワフルコム」(http://www.power-full.com/


INSIGHT NOW 編集部


第1回 「地方栄えてこそ国が安まる」


■一都栄えて、万村枯る


「沖縄、長野、岡山、長崎、そして故郷の佐賀。自治省にいた私は、地方をずっと見てきました」

古川知事は旧自治省(現・総務省)出身、2003年に行われた知事選挙に無所属で立候補し初当選、2007年の知事選で再選を果たしている。キャリア官僚時代は、東京と地方を行ったり来たりする生活を続けていた。そんな中である思いが、いつしか自分の中で一つの確信にまで結晶化されていったのだという。

「ひと言で表すなら一極集中をやめること。これに尽きます。お金も人もすべて、いったん東京に集めてから、地方に再配分する。こうした国のあり方はもう限界に来ている。地方そのものがもっと自立して、きちんと元気で有り続けられるような国づくりをしたい。これが私の原点となる政治哲学です」

東京だけが栄え、ほかの地域が疲弊する。そんな現状を何とか打破したい。こうした思いを知事が抱いたのは、今をさかのぼること四半世紀前、自治省入省時のことだったという。

「小学校、中学校から高校ぐらいまでは地元で育ててもらう。ところが大学は都会に出て行き、就職してもふるさとには戻ってこない。帰ってくるのは人生の終盤、もはや稼げなくなってからというケースが多いのではありませんか。地元のお金を使って育成した人材なのに、稼ぐ場所は都会、そして最後の医療費はまた地方が負担する」

なぜそうなるのか。残念ながら地方には、魅力的な進学先や就職先が見つからないからだろう。それが現実なのだ。

「だからこそ、生まれたところを離れなくても、自分のやりたいことや送りたい人生を実現できる。そんな世の中を作りたい。まず佐賀県がそのモデルを全国に先駆けて見せたい。強くそう思うのです」

強い思いを抱いて古川知事は、地元佐賀に戻ってきた。知事の思いの強さが、佐賀の人たちの心に着実にしみ通っていったのだ。


■コンパクトな佐賀県だからできること


「佐賀県の人口は、ざっと85万人。これが隣の福岡となると一挙に6倍、500万人ぐらいになります」

圧倒的な人口差である。人口がそのまま県の勢いの差になるとはいえないが、少ない人口が有利に働くとは考えにくい。

「ところが一概にそうはいえません。人口だけでなく佐賀県は面積も決して大きい方ではありません。しかし、もし私が岩手県や北海道の知事を任されていたら、途方に暮れていたかもしれませんよ(笑)。自治省時代にお世話になった長野県にしても北の端から南の端まで行こうと思えば、一日仕事でしたから」 

コンパクトであるということは、きめ細かく地域の隅々まで目が行き届くメリットを生むわけだ。とはいえやはり人口が多ければ発言力も強くなるのが、物事の道理である。6倍強の人口を抱える隣県の存在感は大きいのではないだろうか。

「確かに同じ土俵で同じ議論をしていては、福岡にリードされるリスクは避けられないかもしれない。そこで意識しているのは、常に時代に先駆けた動きをすることです。まだ誰もやっていないことをいちはやく実行する。大きな渦に巻き込まれるのではなく、渦そのものを自分たちで創り出すことが大切なのです。その意味ではコンパクトさはむしろ武器になります」

孫子の兵法である。大きな相手に対して、真っ向から勝負を挑むのではなく、小回りの良さを効かせて、先に先にと動いていく。相手に動かされるのではなく、つねにイニシアティブをとり自分が相手を動かす方に回る。先を読む思考があればこそ、いちはやく道州制の理想的なあり方についての提言も古川知事はまとめていた。

「もっとも、現実的には民主党政権の中で道州制の議論を本格化させていくことは難しいでしょう。ただし民主党は、これまで地方主権、地方分権を主張してこられた政党であり、国づくりについての基本的な方向性については、私を含めて知事会のメンバーと共有できています。その意味では今後に、非常に期待しています」

知事はいま、総務省の顧問を務めている。その総務省の大臣は、佐賀県選出の原口議員である。しかも原口大臣は、野党時代の民主党でネクスト総務大臣を任命されていた。

「総務省人脈も活かして、地域主権が一歩や二歩レベルではなく、十歩も二十歩も進むようにプッシュしていくつもりです。大切なのは、いつも現場。これだけは絶対に間違いのないことですから」

古川知事が強調する現場へのこだわりは、自治省キャリア時代のあるエピソードによって、不動のものとなったという。そのエピソードとは何だったのだろうか。


第2回「事件はいつも、現場で起こっている」


■こうして国宝は生まれた


「実は国宝を作ったことがあるんです。過去の話ですが」

もちろん国宝は、作ろうと思って作れるものではない。しかし、実際には自治省キャリア時代の古川氏の判断、行動があったからこそ生まれた国宝がある。その名を赤韋威鎧(あかがわおどしよろい)という。

「岡山県で財政課長を務めていたときの話です。教育委員会から、この鎧を買いたいと相談を受けました。値段を聞いてびっくりですよ、何億円もするというのだから。財政窮乏時に何をいってるんだと。ただ、そんなに高いということは、もしかしたらよほど価値があるのかと考え、とりあえず調べてみました」

東京国立博物館の刀剣の担当の方に電話した古川氏が聞いた相手の第一声は「よかったあ」だったという。岡山県が買うのなら日本の宝は安泰だと。件の鎧は知る人ぞ知る銘品、少し鎧のことをかじった人間なら、誰でも知っている宝物であり、平安朝末期の鎧は、国内にはもうこれ一つしか残っていない。話を聞いて古川氏は腹をくくった。

「仮に県が買えばどうなるのかと尋ねると、即座に返ってきた答えは『間違いなく国宝になる』でした。今のところ個人の所有物だから国宝にはなっていないけれども、県が持てば必ず国宝になる。そう念を押されました」

現場にいる古川氏には、背景も含めて事情は痛いほどにわかった。とはいえ予算がない中での数億円というのは、非現実的な数字だ。

「一応、上にお伺いを立ててみると総務部長さんは『?』みたいな反応です(笑)。『キミ、まさか買うつもりじゃないでしょうね』と完全に冗談扱い。買った方がいいんじゃないでしょうかと副知事に言ったら『気でも違ったのですか』と笑われました」

現場と上層部の間にあるどうしようもない温度差を感じた古川氏は、この件については判断保留とし、知事に最終決裁を仰いだ。英断である。しかも知事に話をする前には用意周到、隠し球も用意しておいた。

「間違いなく国宝となる岡山の宝が、このままでは東京に行ってしまう。それでは『大包平』の二の舞じゃないですか。あなたが知事の時に、またもや岡山の宝を手放す失態を演じていいのですかと迫りました」

大包平とは池田藩の秘宝とも言われた名刀である。昭和30年代に池田家から岡山県に購買を持ちかけられたが、県はこれを拒否。いま、その名刀は東京国立博物館でも一、二を競う名物となっている。ストーリーテリングの妙というべきか。この説得に促された知事は購買を決意した。


■権限は現場に移すべし


「話が決まった後は、もうコテンパンでした(笑)。予算を絞るのがお前の仕事じゃないか、それが余計な買い物をしてどうすんだって。でも、赤韋威鎧はそのあと間もなく国宝に指定されました。私が現場にいたからこそできた仕事だと誇りに思っています」

まさに事件は現場で起こるのだ。もし話が持ちかけられたとき、岡山県の財政課長が別の人物だったらどうなっていたか。歴史に『if』を考えても意味はないのかもしれない。しかし、この一件で現場の判断の重要さを身を以て理解した古川氏は、その学びを自らの県政で活かしている。


「ところで県庁内で異動希望を出してもらうと、圧倒的に人気を集めるのが観光課です。どうしてだか、わかりますか」

何となく浮かれた気分になるから、などという不真面目な理由ではない。真相はまったく逆、職員はもっと仕事をしたいのだ。

「観光課なら法律で縛られることが少ないからです。自分で考えて、自分で動ける。自由にやってもらうと、皆さんとても良い仕事をされる。霞ヶ関から出向している人たちもそうです。県庁に来ているときには、すばらしい仕事をされる。ところが、霞ヶ関に戻ると、どうもくすんでしまう」

組織の難しいところなのかもしれない。組織を組織たらしめるのは決まり事である。組織が大きくなればなるほど、決まり事も微に入り細を穿つようになる。せっかくの個人の意気込みもルールの網に絡め取られてしまい、勢いを失ってしまうのだ。

「県庁に入ってくる人たちは、難関を突破してくるわけですから、みんな優秀な人たちばかりなのです。個人として優れた能力を持っているのに、組織に入ったがために光を失うとしたら、それは明らかに組織の問題でしょう。知事になってまず取り組んだのが、この問題を解消することでした」

組織風土を変えるためには、思いきった荒療治が必要。と思いきや、古川知事は、実に意外なやり方で佐賀県庁に変化をもたらす。それもコストも時間もかけずにだ。知事のとった秘策とは、どのようなものだったのだろうか。


第3回
 

「時間も、コストもかけずにできるからこそ改革」


■おのおの方、名を名乗れ


「ひらめいた瞬間、ビンゴって思いました。いけるという確信がありましたね」

知事に就任した古川氏が、いの一番に県職員に指示したこと。それはものすごく単純なことであり、もちろん誰でもできる。実施するために何かコストがかかるかといえば、そんなことも一切ない。

「簡単ですよね、電話を受けたときに自分の名前を名乗るだけなんですから。条例も規則も変える必要はまったくありません。誰でも、次に電話を取った瞬間から実行できるはずでしょう。しかも、まわりのみんながやり始めれば、誰だってやらざるを得なくなる」

しかし、県庁には4000人近くの職員がいる。大きな組織である。これだけの人間が、いくら簡単とはいえ、「せーの」で一気に同じように動くものだろうか。

「びっくりするぐらい早く浸透しましたね。一ヶ月後には9割以上の職員が名乗っていました。これで『いけるな』と力強く思いました」

ヒンズーの教えによれば「行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人格が変わる」という。電話を受けたときには、まず自分の名前を名乗る。ただ、それだけの行動の変化は、確実に県職員の人格を変えていった。

「全国を営業で回っている人からおほめの言葉をいただくのです。佐賀県庁の方は、みなさんとても親切だと。少しでも迷っていたら、すぐに声をかけてもらえる。これが他の県庁だったら、そうはいかないようです」

県庁新館一階には総合案内ブースがある。そのまわりには、不思議と明るく華やいだ感じが漂っている。日当たりのいい場所にブースが設置されていることはもちろん、そこから響いてくる声がとても耳に心地よいからだ。

「もちろん、なかなか動けない人もいます。その人たちのことも理解できるのです。県庁に入って30年ほども続けてきたやり方を、今さらいきなり変えろと言われても、それは難しいでしょうから。彼らにだめ出しするつもりはまったくありません。ただ、私が知事になって7年、その間に入ってきた職員には、今のやり方が当たり前になっている。この人たちを育てていくことが大切なんです」

知事の視点は、未来志向なのだ。


■汝、考える葦になれ


「組織改革も断行しました。できるだけ現場に権限を移譲することが狙いです」

佐賀県は本部制を採っている。統括本部、くらし環境本部、健康福祉本部、農林水産商工本部、県土づくり本部に経営支援本部。統括本部を司令塔とするカンパニー制といっていいだろう。その狙いは何だったのか。

「いわゆる総務部をなくすことです。総務部だけではなく人事課も財政課もなくしました。その代わり現場が現場に集中できる体制を整えたかったのです」

現場感覚を重視する知事ならではの組織体制である。やる気のある職員なら、当然やりがいを感じるはずだ。

「誰がやっても同じ答えになるような仕事は、もうコンピュータがやる時代でしょう。そうではなくて職員がやるべきは、人によって答えが違う仕事だと私は思います。現場で自分が判断する。自分はこう考える、私はこう思う。考えた結果は違って良いのです。ただし、自分の考えには責任を持ってもらいたい」

やわらかな語り口とは裏腹に、職員に求めることは厳しい。国が下ろしてくる通達や要綱に従い、粛々と物事を進めるのは、頭の良い職員にとっては簡単な業務である。ところが自ら問いを立て、答えを求めるとなると、これまでとは違う頭の使い方をしなければならない。

「議論をして欲しいのですよ。自分の考えをはっきりさせてもらいたい。九州新幹線西九州ルートや九州国際重粒子線がん治療センターのように大きなプロジェクトを動かしていくためには、キーパーソンの動きが決定的に重要なのです。そういう人物を一人でも多くピックアップしたいのです」

だから知事は、人事に際しても独自の視点を持っている。配属希望の理由に注目するのだ。

「今まで自分はこういうことをやったことがない。だからこそやってみたい。こう考える人を私は登用します。やったことがあるから、やらせてくれ、ではありません。ただし誤解しないでいただきたいのは、制度のかちっと固まったところできちんと仕事をする人を評価していないわけではないということ。組織運営には適材適所が大切だと考えているのです」

県庁改革を進める知事は今、企業改革の手法を取り入れようとしている。トヨタのカイゼンである。しかし製造業の手法を、どうやって県庁業務に応用しているのだろうか。


 

最終回 「視察に行く県から、視察団が来る県に」


■カイゼンに学ぶスマイルプロジェクト


「トヨタさんのカイゼンを勉強に行きました。スマイルプロジェクトの一環です」

スマイルプロジェクトとは、Saga Movement for Innovation LEgendの頭文字をとったもの、業務改革・改善を進めるために県庁全体で取り組んでいる活動だ。カイゼンといえば本家はトヨタとばかりに、企業に教えを請う。そのしなやかさが古川流である。

「すでに成果が出ているんです。本当に書類の置き方一つ変えるだけで、ムダな動きがなくなるのだから驚きです。県パスポートセンターでは、明らかに事務仕事が早くなりました。目から鱗が落ちるとは、こういうことをいうのでしょう。」

今でも佐賀県は申請日を含め、5日間(土日祝日を除く)でパスポートを受け取ることができる。申請のために県の出先機関に出向く必要はなく、最寄りの市町村役場で受理してもらえる。それでいて申請日を含め、5日間でパスポートを受け取れるのは、佐賀県だけだ。これがさらに短縮され、今後さらに4日間を目指しているという。

「もう少し自慢させてもらうと、このところ視察の流れが逆になりました。つまり、以前なら当県職員が何かを学ぶために他県に視察に出向いていたのです。ところが今では先進地視察ということで、他県から佐賀にお見えになる」

先鞭をつけたのがトライアル発注だろう。知事が就任直後に始めた全国初の取り組みだ。県内中小企業が開発した製品などを、まず県がトライアルで発注する。その結果を県が評価しお墨付きを与える。同時に官公庁での受注実績を作ることで、営業力が弱い中小企業の販路開拓を支援する。

「これを始めて以来、県庁に視察に来られる方が、一気に増えました。アイデア一つで、中小企業活性化を支援できることがわかったのは、私にとっても自信になりました。そもそも、佐賀県はモノづくりが得意、何しろ佐賀県には企業からすれば理想の人材が揃っているのだから」

佐賀人は極めてまじめなのだ。いったん職に就けば、定着率は極めて高い。少々きついこと、厳しいことがあっても耐えぬく心の強さも兼ね備えている。

「しかも佐賀は、人と人の絆やつながりが、まだしっかりと生きている土地柄です。だからこそでしょう、ここは消防団の組織率が飛び抜けて高い。日本一です」

佐賀の強みの一つが人にあることはわかった。では、他はどうなのだろう。


■知られざる佐賀の名産をいかにPRするか


「佐賀牛は、香港のお金持ちの間では食通の選ぶ肉として有名です。実際、松阪牛には少しだけ負けるかもしれないけれど、間違いなくその次のランクに入る品質なんです」


ところが残念なことに、その知名度は今ひとつといったところではないか。佐賀県の問題点は、こうした名産品を地元で手に入れるのが難しいことにある。

「佐賀牛を食べられるお店は市内でも限られている。お土産に買って帰ろうとしても、売っている店がなかなか見つからない。これが残念でなりません」

そこで古川知事は昨年、一年間かけて「タウン情報さが」で佐賀の名産を紹介してきた。知事が力を入れたのは、地元の名産品を買える場所の紹介だ。

「せっかく佐賀にお越しいただいたお客様に対して、おみやげにぜひ、と言いたいじゃないですか。佐賀県は地道なモノづくりは得意なんだけれど、PRはあまりうまくないというか、広報にうまくお金を使う感覚をこれから養っていく必要がありますね」

観光立県を考えれば佐賀の立地は恵まれている。まずすぐ隣に巨大なマーケット、福岡がある。ここには人口が500万人も控えている。さらに空路を使えば、韓国、中国、台湾に香港のいずれからでも2時間圏内だ。こうした経済発展著しい諸外国からの来客に、今後の期待がふくらむ。

「実はアマゾンの本社を佐賀県に誘致できないかと考えて、真剣に交渉したこともあります。そう簡単にはいかないだろうけれど、まだ諦めちゃいません。ネット企業なんだから本社は本来、どこにあってもいいはずでしょう」

知事の何よりの特長は、その発想に無意味な枠がまったくないことだ。自由闊達なアイデアに富み、行動力に裏打ちされた発想は、次にどこに向かうのか。コンパクトだからこそ、先陣を切って自ら渦を巻き起こすと宣言する佐賀県の今後は、世界の中での日本の進路を考える上でも、貴重なモデルとなるはずだ。


【Insight's Insight】

佐賀県といわれて、その場所をすぐに頭の中に思い浮かべられる人が、どれぐらいいるだろうか。東京、大阪に比べれば、地味であることは否めない。人口も全県でわずかに85万人に過ぎない。企業にたとえるなら、まさに中小企業である。
しかし、その佐賀に、全国自治体から視察団が集まってくる。取り組みがユニークかつ着実に実績を挙げているからだ。そもそも県庁レベルの組織で本部制を取り、権限移譲を進める。同じことを仮に東京都庁や大阪府庁でやれるだろうか。

組織は巨大化するほど、その自己防衛本能も肥大化する。佐賀が数々の改革を断行し、確実に成果を叩き出しているのは、いろいろな意味でのコンパクトさが貢献しているからだろう。まさに『スモール・イズ・ストロング』になり得る好例を、古川知事は見せてくれる。
小さいからこそ、渦に巻き込まれる前に自ら渦を巻き起こしてしまう。そのために、必要な発想のしなやかさと行動の強靱さ。これを佐賀の事例から学ばなければならない。
 

 
三菱電機「風神」サイクロン掃除機
http://www.mitsubishielectric.co.jp/home/cleaner/

ダイソン (企業)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3_(%E4%BC%81%E6%A5%AD)


nikkei TRENDYnet7月20日(火) 11時38分配信 / 経済 - 産業
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/list/?m=trendy

*本家ダイソンに対抗!

これまで掃除機市場では、紙パックとサイクロン式の販売台数構成比は7対3といわれてきたが、2009年度ではサイクロン式が38%、2010年度は4割を超える勢いになっている。なかでも5万円以上の高級ゾーンではサイクロン式の伸びが著しく、7割以上を占めている。

そんななか、三菱電機が独自のサイクロンテクノロジーを採用した「風神」を8月1日に発売する。国内メーカー初の“本当の”サイクロン式だという。

*国内メーカーのサイクロン式は「フィルター搭載」が主流!

 そもそもサイクロン(粉体分離器)とは、気体もしくは液体中に混じった粉末状の固体を分離するための装置で、製材所や石油精製施設でも使用されている。この仕組みを掃除機に採用したのがサイクロンクリーナーで、1993年にダイソン社が独自のルートサイクロンテクノロジーを採用した「DC01」を発売。掃除機が吸い込んだ空気を本体内部で旋回させ、その遠心力でゴミと空気を分離して集塵する仕組みだ。紙パックやフィルターでゴミをこし取る必要がないため、目詰まりが発生せず、吸引力が低下しないのが特徴。

 その後、国内メーカーも追随し、サイクロン式を発売してきた。しかしこれまで紙パック式で性能の基準として重視されてきた「吸込仕事率」(いかに強力にゴミを吸い取るかの消費電力をワット数で示したもの)をサイクロン式でも重視したため、本体内で強力な空気の渦を発生させることができず、複数のフィルターを利用してゴミを集塵している製品も少なくない。

 というのもサイクロンの遠心分離力を発揮させるには、サイクロンの旋回部の長さがある程度必要なのだ。それが長いほどゴミを吸い取る能力にロスが生じ、吸込仕事率が下がる。そのため、長さを十分とれなかったことが一因といえる。じゅうたんの奥などに入り込んだ細かいハウスダストまでしっかり吸い上げるとしても、300ワット程度の吸込仕事率が持続すれば十分とされている。しかし、性能を比較する基準としてこの吸込仕事率の数値がひとり歩きしてしまい、国内の各メーカーともこの数値を上げることに注力してしまったのだ。

 こうした背景もあり、“サイクロン式=紙パックを使わず、ダストカップにゴミをためる掃除機”と理解している消費者も多いに違いない。

 サイクロン式は理論的には吸引力の低下は起こらないが、フィルターを併用しているタイプでは、フィルターの目詰まりによって短期間で吸引力が低下してしまう。そのため、ゴミ捨てだけでなくフィルター掃除もこまめにしなければならないといった問題が発生。それを解消すべく、フィルター自動掃除機能を搭載する製品が増えている。

 つまり、“本当の”サイクロン式なら、サイクロンボックス内にフィルターは必要ない。ダイソンが自社商品を「吸引力が変わらない、ただ1つの掃除機」とうたっていた理由はここにあるわけだ。

*「フィルターがない」=“本当の”サイクロン式!? 

 同社の開発した「風神サイクロンテクノロジー」は、2つのサイクロンと3つの集じん室を設け、多様な床ゴミを大・中・小の比重に応じて3段階で分離する仕組みになっている。第1旋回部でまず、綿ゴミ、毛などを分離し、第2旋回部では砂ゴミなどの中ゴミを、第3旋回部で花粉などの微細なゴミを分離する。

 遠心分離でしっかりゴミと空気を分離させるためにはサイクロンの円すいの直径に対して2~2.5倍の長さが必要といわれるが、「これまでは吸込仕事率を上げたいという理由もあって、なるべくロスをなくすようにと旋回部を短い設計にしていた」(同社)という。

 今回の新製品では、サイクロンの直径と長さの比率を理想的な長さにし、微細なゴミまで分離させることを可能に。サイクロン旋回部で分離したゴミは風路とは別の集じん室にたまるのでゴミの中を風が通りにくく、ゴミの臭いを抑えた排気になるという。

 風神の開発を手掛けた三菱電機ホーム機器の長田正史家電製品技術部長は、「これまでのサイクロンクリーナー市場を変えられる製品。“黒船“を意識しつつ独自技術で吸引力を持続させ、“攘夷派”(=国内他社)サイクロンに立ち向かいたい」と自信を見せている。

 今回の「風神」というネーミングは、同社が昭和42年~60年に販売していた掃除機の愛称。しかし単なるリバイバルではなく、「“風“の研究が成し得た新時代の“神”業」ということなのだそうだ。

*水で丸洗いできるので、ニオイも防いで清潔!

 風神はダイソンと同様、フィルターがなく吸引力が持続することを大きな特徴としているが、ダイソンにない機能もある。サイクロン部も含めて「丸洗い」できることだ。

 カップ内やサイクロン部分に付着したニオイや微細なホコリの付着を気にする人もいるが、簡単に分解して丸洗いできるのでニオイも残らず、清潔に使うことができる。さらに、ダストカップがバケツ型なので、ふたが開くと同時にゴミが落下してホコリが舞い上がるのを防ぎ、捨てたいところに的確に捨てられるのもポイント。

 同社では、排気のニオイを軽減していることも含め、こうした清潔さを「ペットのいる家庭にぜひ」とアピール。2008年の調査で2650万匹といわれるペット人気をふまえ、“ペット対応”サイクロンクリーナーをうたっている。

 また、強力な遠心力によるゴミの分離と聞くと、排気の強さや向きが気になるところ。風神は本体サイドの排気口とコードリール部の2か所から分散排気されているため、掃除をしている最中に排気の風が自分に当たって不快な思いをすることがない。下向きの排気はないので、床のホコリを舞い上げてしまう心配もないようだ。

絡みついた髪の毛も簡単除去できる「回転ブラシ」は超便利!

 次に、使い勝手をチェックしてみる。

 ヘッド部分には吸い込んだ風のエネルギーを使って回転ブラシを回す「エアエンジンブラシ」を採用。ヘッド部分がコンパクトで重さも従来のものより100グラムほど軽く、持ち運びや掛け面を変える際などに負担が少ない。

 何より画期的なのは使用後に回転ブラシを抜き取ると、同時に絡んだ髪の毛やペットの毛などが簡単に除去される機能が付いていること。これまでどんなに性能のよい掃除機でも、回転ブラシに絡みついた毛や糸くずなどを取り去るにはハサミを使ったりする必要があった。その作業にかなりの負担とストレスを感じていた人は多いだろう。そういった意味では、今回のイチオシの機能ともいえる。

 また、手元グリップにセンサーが内蔵されており、掃除の最中に床上のものを片づけたり動かしたりなど、スイッチをいれたまま中断した場合でも、それを検知して自動でパワーをコントロールする「ECOモード」も搭載。同社によると電源オン状態で吸引以外の作業をしている時間は17.4%も占めるというから、うれしい機能だ。

 ただ、先に「エアエンジンブラシ」のことを紹介したが、どんなに重さが軽くなっているとはいえ、三菱がこれまで手掛けてきた強力モーター駆動の自走式パワーブラシ「ラク走パワーブラシ」の軽さや負担のなさに比べたら、ストレス感があることは否めない。聞けば、「絡みついた髪の毛の簡単除去機能」と、「ラク走パワーブラシ」を同時に実現させることは、現段階では難しかったとのこと。

 そして「風神」の発売をもって、同社のサイクロン掃除機「ラクルリ」の販売が終了になるという。引き回しの快適さなど、吸込仕事率や吸引力といったスペックに表れない“女性がいかにストレスフリーで掃除ができるか”といった点に配慮してきた三菱の掃除機の一つの時代が終わってしまうのはとても残念だ。風神の次期モデルでは、パワーブラシの実現も含め、ラクルリに象徴される快適さをぜひ盛り込んでほしい。

(文/神原 サリー)
消費税
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E


2010年7月20日 AERA

唐突な消費税増税は、実は周到に計算されたシナリオがあった。
だが功を焦った菅は、自らそれをぶちこわした。
 菅直人は、カナダで開かれたG7から帰国した2月、すっかり人が変わった。
「キミらどうするんだ。こんな生ぬるいことをやっていて大丈夫なのか」
 菅の叱責の矛先は、当時鳩山由紀夫首相の腹心である官邸高官たちに向かった。その一人は、内閣府副大臣だった古川元久が「たいへんだ。菅さんが……」と血相を変えていたのを覚えている。菅が「消費税を上げろ」と言い出したのである。
 突然辞任した藤井裕久の後を継いで、菅が副総理を兼ねたまま財務相に就任して、まだ1カ月しかたっていない。彼にとって、このときが国際会議デビューだったG7では、財政破綻したギリシャについて話し合われた。
 そもそも菅は増税に冷ややかなはずだった。財務相就任直後の1月の衆院予算委員会で「(消費税は)逆立ちしても鼻血も出ないほど無駄をなくしたと言える」まで上げないと明言した。
 だが、カナダから帰国すると、まるで別人だった。


*普天間隠しの消費税!

「普天間でこうなっているときこそ、消費税増税という力強いメッセージを出そうよ」
 首相官邸にいた高官の一人は、菅がそう意気込んで持ちかけてきたのを覚えている。
 そのころ、米軍普天間基地問題が迷走していた。菅の消費税増税案は、参院選を控えるのに支持率が急落する民主党政権を、再び浮揚させる狙いがあった。
 関係者によると、菅はこのとき2010年度の国債発行額約44兆円を消費税で賄う考えでいた。おおざっぱな計算だが、消費税率1%で2兆円余の税収になるため、単純に約44兆円をそれで割ると、22%になる。つまり現行から「17%増の22%にしよう」と言い出したのである。
 菅が依拠した論理は、世代間格差の是正だった。増税を先延ばしにし、歳入を新規国債の発行に依存すれば、それだけ今の子どもたちの世代に負担がかかる。現役世代が安逸な生活を維持する半面、子や孫の世代に負債を押しつけてきたこれまでのやり方は、世代間の格差を広げるだけ、と考えた。
 菅は鳩山にも増税を進言したが、鳩山は昨年9月の民主、社民、国民新3党の連立合意で、任期中は消費税を上げない、と明記した当事者である。当然「次の選挙で国民の信を問うてからでないとできない」との原則論を譲らない。鳩山の側近も「上げる前に行財政改革などやるべきことをやらないと」と、先走る菅を諌めている。結局、鳩山が「参院選後に協議を始めるのはいいよ」と折れ、民主党のマニフェストの文言は、その線でまとめられることになった。


*高支持率背に今が好機!

 だが、鳩山が退陣すると、菅はいきなり乾坤一擲の大勝負に挑んだ。
 菅は6月17日の民主党マニフェスト発表会で、「私の言葉でかみ砕いてお話ししたい」と切り出し、「当面の税率は自民党が提案している10%を参考にさせていただきたい」と、長年タブーだった消費税率の引き上げに言及したのである。
 会場で配られたマニフェストには、鳩山が容認した「消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」としか触れられていない。それを敢えて「私の言葉」で補った。
 菅政権が発足して、まだ9日しかたっていなかった。世論調査では内閣支持率が60%に達し、鮮やかなV字回復を遂げた。党内不和の原因だった小沢一郎は幹事長を辞めた。参院選公示は1週間後に迫っている。菅はそこを狙って勝負をかけた。
 だが、なぜ10%なのか、その根拠を示せなかった。
「もともと22%と言っていたのに10%というのは、総理の本音から言っても中途半端」
 そう鳩山側近は振り返る。最大野党の自民党が10%と打ち出した以上、それを「丸呑み」すれば自民党からの批判をかわせるだろう。その程度の読みらしい。実際、後に菅が世論から反発を受けると、慌てて財務省に「10%に引き上げる根拠を示してほしい」とすがりついたという。


*このままではギリシャ!

 財務省は、少なくとも「10%発言」以前は、増税を唱える菅と利害が一致していた。財務省が官邸や民主党に持ち込む資料はギリシャ問題であふれ、「このままでは日本はギリシャになる」と脅していた。菅の増税路線と軌を一にして、財務省は水面下で着々と増税の下地づくりを始めている。
 その一つが、「給付つき税額控除」という仕組みである。消費税率を上げると、所得の少ない家庭ほど税負担は重くなる。これを税の逆進性という。この逆進性対策に有効な方策が、低所得者層への税の還付、すなわち給付つき税額控除だ。カナダでは、低所得者の食料品購入などにかかった消費税部分を所得税で還付し、おおむね所得300万円以下の家庭で1人あたり2万円の還付額になる。
 中央大法科大学院の森信茂樹教授が民主党の要路に、そんなカナダの事例を進言してきた。元財務官僚の森信は、1997年に消費税率を現行の5%に引き上げた際の担当課長で、税制のエキスパートだ。菅は参院選中の6月30日、山形市でおこなった演説で「年収300万、400万以下の人にはかかる税金分だけ全部還付するという方式にします」と言ったが、それは森信の勧めたカナダの事例を参考にしたと思われる。300万は、森信の手持ち資料のグラフに書かれている。
 給付つき税額控除は、欧米や韓国ですら導入済みの、いわば国際標準になった政策だが、日本で採用するには、不正受給がないよう所得の正確な捕捉が前提になる。そのためには、「納税者番号制」の導入が必要だ。
 昨年12月の政府税制改正大綱は、納税者番号制と給付つき税額控除の検討が盛り込まれている。消費税の増税こそ明言されていないが、増税時の逆進性対策という理屈で給付つき税額控除を採用し、その前段に納税者番号制を取り入れる。そんな政策パッケージの雛型が、このときからあった。


*着々進んでいた増税策!

 本格的に動き出すのは、菅がカナダから帰った2月からである。国家戦略室は税制改正大綱を受け、「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」を発足させた。
 検討会が6月29日に発表した中間とりまとめでは、納税者番号制のために、数千億円をかけてコンピューターシステムを構築する、とある。関係者の間では、システムが稼働する3年後の2013年が消費税増税の時期と考えられた。しかし、増税の際に経済状況が弱ければ、失速する。
 そこで、経済状況の好転策としてまとめられたのが、6月18日に閣議決定した「新成長戦略」だった。これをもとに、納税者番号のシステムが稼働するまでにデフレから脱却し、そのときに消費税を引き上げるシナリオが想定された。
 その間の財政破綻をくい止めるため、6月22日には「財政運営戦略」をまとめ、11年度の新規国債発行額は10年度の約44兆円を上回らないことにした。「納税者番号」「新成長戦略」、そして「財政運営戦略」。立て続けにまとめられたこれら重要政策は、それぞれ別々に見えたが、実は消費税増税の下地づくりという点で共通していた。
 財務省が司令塔役になって、慎重に下地づくりをする一方、民主党はマニフェストで消費税の協議を超党派で開始すると明記する。ガラス細工のような増税シナリオは、これで完成した。
 ところが、菅は「その程度では生ぬるい」と思ったようだ。年間約17兆円もかかっている医療、介護、年金の費用は今後累増する一方だ。
 財務省幹部たちも菅の突然の10%発言には驚いたという。かつて斎藤次郎元大蔵事務次官らが振り付けて、細川護熙元首相が唐突に国民福祉税をぶち上げたが、その拙劣な手法が反発を浴び、大蔵省は同税導入に失敗した歴史がある。それだけに財務省は「慎重に扱わないと潰れる」という経験知を有していた。
 消費税増税はいずれ避けられないという国民が増えているなかで「選挙前に苦い話をよくぞいった」と評価する議員もいる。だが、菅にはそれほどの周到さはない。選挙戦で突かれると、発言は次第に後退した。後に「もう少しいろんなことを考えて発言すれば良かった」(岡田克也外相)と批判されたように、菅の乾坤一擲の勝負は惨敗だった。
 普天間の失敗を覆い隠す力強いメッセージのはずの菅の消費税増税構想は、普天間と同じ迷走の道筋をたどる。しかも、消費税増税に早く着手しなければ、という菅の思惑とは逆に、参院選惨敗で消費税増税は一層遠のいた。

(文中敬称略)編集部 大鹿靖明)

*第3回「答えはお客様が知っている」

■広告を打つかわりに足で稼ぐ会社

「広告は一切やりません。その代わり当社は、足で稼いでいます」

過去の失敗経験も踏まえての話なのだろうが、アシスト社は広告にお金をかけない。といってプロモーションを軽視しているわけではもちろんない。費用対効果をシビアに考慮した上で、広告は無駄と判断しているのだ。

「もし当社が、ビールや自動車など一般消費者に買ってもらう商品を扱っているのなら、広告は当然必要でしょう。しかし、我々の主要顧客はせいぜい数百社どまり。潜在顧客全体でもおそらくは7~8000社ぐらいしかないはずです」

これがBtoBビジネスの難しいところであり、だからこその勘所でもある。要するに人による営業の占めるウェイトが圧倒的に高いのだ。だからといって単純に『売り込む技術が重要なのだな』などと勘違いしてはいけない。

「当社には営業マンが200人ぐらいいます。彼らが毎週のようにお客さんと会って、じっくりと話を聞いているから広告などする必要がないのです。ただし当社の営業が使うのは口ではありませんよ。足と耳を徹底的に使います」

トッテン氏が何よりも優先するのは、顧客の意見や要求を聞くこと。いま、どんな製品が求められているのか。どんな製品なら売れる可能性が高いのか。答えはすべてお客様のところにある。

「ソフトウェアは実に複雑な商品です。万が一、ソフトが何かトラブルを引き起こして、お客様のコンピュータが止まったりすれば大変なことになる。だから新しいソフトを導入するときには、お客様もどうしても慎重になります」

しかも決定権を持つ人たちほど年代が上、つまりコンピュータには詳しくない。だからアシスト社の営業マンは、自分たちの代わりに上司説得に当たってくれる顧客企業の情報システム部の担当社員から意見を聞く必要があるのだ。

「購買にいたるまでの意思決定プロセスの複雑なのが、個人ではなく企業を相手にしたビジネスの特徴です。そこでは何より大切なのは信用です。どうすればお客様から信用を得ることができるか。基本はお客様から話をじっくりとうかがうこと。これに尽きるのです」

広告を打たず顧客の話にひたすら耳を傾けるアシスト社にはもう一つ、極めてユニークな特徴がある。



■企画部門のない会社

「あえていうなら我々はまったく計画性のない会社です。足を使ってお客様を訪ね、耳を使ってお客様の悩み、要望を聞き出すことだけに集中しています」

実際アシスト社には企画部門がないのだという。ということは自社でオリジナルソフトを開発したこともないのだろうか。

「ソフトを自社開発したことは何回もあります。けれど、見事なくらい毎回失敗しました。損失を計算すれば10億以上にもなるんじゃないですか。失敗を重ねて気づいたのです。出版社が、どうして自社の社員に原稿を書かせようとしないのかに」

優れた書き手は自社に抱えずとも、世の中にいくらでもいるのだ。これをソフト業界に当てはめるなら、開発者や開発企業はいくらでもあるということ。そして一方には、さまざまなソフトを求める顧客がいる。そこに欠けているのはマッチングである。

「だから我々はお客様からひたすら話を聞く、聞くことに徹します。話を聞いて問題点を特定することさえできれば、後はその問題を解消できるソフトを探してくればいい」

買ってくれなくていいから、とにかく話を聞かせて欲しいとアポを取る。営業マンなら1週間に最低15件は顧客を訪問する。顧客と会うことができれば、一心に話を聞く。こうしたアシスト社の営業手法は、いずれもトッテン氏が実践して編み出してきたものだ。

「話を聞き、ベストな製品を提案する。加えて我々が心がけているのは導入前のコンサルティングや教育と、導入後のサポートです。コンサルティングといっても、一般的なコンサルティングとは異なり、あくまでもソフト導入に関して。たとえばデータの持ち方はどうすればいいかという話です」

そしてサポートである。同社のサポートは丁寧かつ迅速な対応で知られている。トラブルがあると何はさておき顧客のところに駆けつける。時間ギリギリまで現場で問題を詰める。然る後に、当時の開発会社はすべてアメリカだったので、時差を利用して日本時間の深夜の間に開発会社に連絡を取り、次の日までには解決策をひねり出す。

「ユーザーニーズに応えてこそ商売になる。お客様が求めるものを提供すれば、必ず成功する。これがビジネスの鉄則じゃないでしょうか」

70年代半ばに同社は、簡易言語でのヒット商品『Easytrieve』を発売、80年代にかけて国内パッケージソフト市場で押しも押されもしないリーダーへと成長する。そして80年代初頭からは毎年、ほぼ倍々ゲームの勢いで成長していくことになる。

*最終回 「人を大切に、女性を活用する会社」

■永住の決意と会社の急成長

「僕はいずれ、アメリカに帰るつもりでした。その意味では会社経営も、僕にとっては一つのプロジェクトだったのかもしれません」

ビル・トッテン氏はすでに日本に帰化している。なまじの愛国家などではとてもかなわないぐらい日本を愛してくれてもいる。だからこそ今後の日本を考えた提言を何冊もの書籍として出しているのだ。

「この国と真正面から向かい合うキッカケとなったのは娘の存在でした。1973年に娘が生まれ、最初はアメリカンスクールに入れたのです。ところが家では日本語を話しているのに、そこでは先生も友だちもみんな英語しか使わない。言葉の問題のために娘はすごく落ち込んだのです。そして僕は、アメリカと日本のどちらで子育てすべきかを真剣に考えました」

治安の問題から価値観の違いまで、さまざまな要件について思い悩んだ末にトッテン氏は日本を選んだ。

「自分では意識していないのですが、この先もずっと日本にいるのだと決めてから、何かが変わったのだと思います。こうした内面的な変化が経営にどう影響したのかはよくわかりません。しかし、永住を決意してから急に会社の業績が伸び始めたのです」

80年の4億円弱が、85年には46億円超に、同社は5年で売上を10倍以上にも伸ばしている。社員数も32人から7倍以上となる236人にまで急増している。その社員についても同社には極めてユニークな特長がある。女性が活躍している点だ。

はっきり言って女系会社ですよ(笑)。ナンバーツーは女性、常務3名の内2名が女性。トップ営業も女性。教育部門の部長も女性。技術者にも優秀な女性がたくさんいます。これは日本社会に男女差別があったからこそ。僕は差別にとても感謝しています」

男女雇用機会均等法ができる遙か前の話である。女性が成功する会社、どんどん伸びていく企業。そんなアシスト社の評判がさらに優秀な女性を引き寄せた。そしてアシスト社は順調に業績を伸ばしていく。扱うソフトも増え、コンサルティングから製品の導入支援、教育研修、導入後のテクニカル・サポートまでサービス内容も充実させていった。



■週休4日で生き残りを図る

「リーマン・ショックの影響は、我が社にもありました。しかし、そんなことより日本の状況をよく見てください。名目GDPでみれば、2009年度は1992年より少ないじゃないですか」

日本ウォッチャーだからこその指摘である。データを見ればトッテン氏のいう通り、日本の名目GDPはこの20年間ほど横ばい傾向が続き、さらに悪いことに近年は下がる一方だ。

「この先日本経済が急激によくなるとは到底考えられないでしょう。少子高齢化、石油の減耗、環境問題に製造業の空洞化。現状ときちんと向き合って将来を考えるなら、日本の経済規模はやがて今の半分ぐらいになってもおかしくはない」

とはいえ業績悪化を理由に社員を解雇したことなど一度もないのがアシスト社である。先を見据えたトッテン氏は、いま大胆な制度をアピールしている。週休4日制である。

「労働時間を6割に減らします。その代わりに給料も6割にする。当社のコスト構造は、人件費の占める割合が極めて大きい。これを踏まえて売上が半分ぐらいに落ち込んでも、会社が生き残れるよう対策を今から練っているのです」

確かに計算は合う。そして休みが増える分を、例えば家庭菜園などの農作業に当てればどうなるか。あるいは衣食住を見直し、できることは可能な限り自給するようライフスタイルを変える。

「実際に僕を真似して家庭菜園に取り組み始めた社員が数十人います。会社でミシンを買って洋裁教室も始めました。僕は本気ですよ。会社と社員が協力すれば、会社を守り、最低限の給料も保証できる。同時に社員は自由になる時間を使って、自分の健康と幸福を守ることができる。これは新しい生き方になるじゃないですか」

ワークライフバランスに関心が高まっているいま、ビル・トッテン氏がアシスト社で始めようとしている制度は、今後の日本にとって極めて有益なモデルケースとなるだろう。アシスト社が教えてくれるのは、ビジネス面でのユニークな成功事例だけではない。なまじ生まれたときからの日本育ちではない、トッテン氏だからこそ見える日本の問題点とその解消策に、今こそ我々は真摯に耳を傾けるべきだろう。

【Insight's Insight】

企業の寿命は、平均して30年といわれる。しかしアシスト社の歴史はすでに30年を大きく超え、健全かつ着実な経営を続けている。やろうと思えばできたはずの株式公開などには脇目もふらず、売上は186億円もあるのに、資本金は未だに1000万円にとどめている。
同社の経営の根底を支えているのが『論語』だろう。大学院時代にゼミで『論語』を学んだトッテン氏は「権力者、トップに立つ者は道徳面でも優れていなければならない」と自戒している。顧客第一主義に徹し、自社の規模を堅実に守り続けてきた経営手腕の背景には、論語の教えがあるはずだ。
もう一つ、大学時代にトッテン氏はオペレーションズ・リサーチを志していたという。現状のさまざまなデータを変数として将来を予測するその手法が、トッテン氏流の未来予測のベースにある。数字をベースとして論理的に構築された未来についての予測を、論語の教えによって修正しながら経営に活かす。数の論理と物事の道理をわきまえた経営、これがアシスト社成功の秘密だと思う。


ビル・トッテン関連情報 コラム(Our World)
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/

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