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http://www.risonare.com/cuisine/cuisine04.html
日本のリゾートを次々と再生させている星野リゾートは、リゾートで提供する食にも力を入れている。その地域ごとに特徴があり非常に高い品質の食を宿泊客に提供することが、リゾート産業を発展させるために不可欠と考えているからだ。
日本を高級ワインの生産地に!
その中で、最近、特に力を入れ始めたのが日本のワインである。ワインと言えばフランスやイタリア、ドイツ、スペインなどの欧州や米国のカリフォルニア、南米のチリ、オーストラリア、南アフリカなどを思い浮かべるが、どっこい、日本もワインの一大産地になろうとしている。
日本のような湿潤な気候はワイン用のブドウ栽培にはあまり適さないと思われていたせいか、既に大産地となっているワイン王国には到底かなわないと思っていたからか、これまではあまりワイン生産に本腰が入っていなかった。
しかし、ここ10年あまりで日本のワインは格段に進歩を遂げている。栽培方法に工夫を凝らし、世界市場に出しても遜色ない素晴らしいワインが造られ始めている。
星野リゾートの星野佳路社長はこう話す。
「フランスのワインが有名になったのは、フランスに旅行に来てフランスワインに惹かれた観光客が、お土産に持って帰って世界中に広めたからなんです」
「日本にもそのチャンスは必ずあると信じています。これからさらに手を加えていけば、例えば、星野リゾートで食事の時に堪能してもらった日本のワインを、それも1本1万円するような高級ワインをお土産に買ってもらえるようになる可能性は十分にある」
星野社長が惚れ込んだ女性!
その星野社長が惚れ込んだ女性がいる。もちろん、奥さんとは別の意味で。池野美映さんである。若くして日本を代表するワイン醸造士の1人だ。フランスの国家資格であるワイン醸造士の資格も持つ。
池野さんは今から3年前、星野リゾートが運営する山梨県小淵沢にある高級リゾート、リゾナーレのすぐ近くにあった桑畑をワイン畑に改良、約2ヘクタールの土地で葡萄の木を栽培し始めた。そして2009年6月には農業生産法人レ・パ・デュ・シャを立ち上げて代表となった。
現在、赤ワイン用にピノノワールとメルロー、白ワイン用にシャルドネを栽培している。2007年に3300本、2008年に2200本、2009年に800本を植樹した。
収穫した葡萄からワインがようやく作れるようになり、わずかながら出荷も始まった。星野社長はその出来栄えに満足の様子だ。
その証拠に、出来上がったワインを試飲しながら、池野さんは「売価2500円くらいで愛好家に満足してもらえるワイン造りをまずは目指します」と謙虚に話す一方で、星野社長は早くも「1本1万円のワインもいけるんじゃない」と期待を込める。
日本を世界的に有名なワイン産地にしたいと意気込む池野さんと高級ワインリゾートを目指す星野社長。作る側と売る側が二人三脚で進めるワイン作りは、今まで考えられなかったような新しい発展を予感させてくれる。(次ページから連載第1回)
9月、シャルドネが太陽の光を受け透き通って輝き出すこの季節になると、落ち着かない気分になる。もうすぐ収穫の時期がやってくるのだ。
抜けるような青空と残雪のコントラストに予感させられた!
初春の剪定作業から矢継ぎ早に押し寄せる栽培作業に追われているうちに、気がつくといつもこの時期になっている気がする。
山梨県と長野県の県境にある小淵沢を初めて訪れたのは2006年の初夏のことだった。長野県側から国道141号線の急な曲がりくねった山道を登り詰めると一面の野辺山のレタス畑が眼下に広がっていた。
その背後には堂々とした八ヶ岳連峰がそびえている。初夏と言っても高原の風は冷ややかで峰々にはまだ雪が残っていた。
抜けるような青空と残雪のコントラストが眩しく、八ヶ岳の圧倒的な存在感と美しさが迫ってきて息を呑むほどだった。それは新しい始まりを予感させるには十分すぎる、気持ちのいい朝だった。
私はその日、小淵沢のリゾートホテルで待ち合わせをしていた。相手は星野リゾート社長の星野佳路氏である。
旅館やリゾート再生のカリスマ経営者として既に有名になっていた星野氏は多くのメディアに囲まれ、多忙を極めていた。
星野氏とは同郷ということで以前から面識があったのだが、フランス留学から一時帰国している時に連絡をしたことから、メールでのやりとりがこの日まで続いていた。
再会の約束をしたものの、直接話をすることはそう容易いことではなかった。時が刻々と過ぎる中、ようやくこの日、その日がやってきたのだ。
待ち合わせ場所に指定されたのはイタリアの中世の山岳都市をイメージして造られたという豪華なデザイナーズホテル《リゾナーレ》だった。
ここが日本かと見まがうほどの景観に目を奪われつつ目的場所に向かって回廊を歩いていると、このホテルは星野氏のリゾート再生案件の記念すべき第1号だと、新聞に以前出ていたのをぼんやり思いだした。
日本を活性化するには地方が元気にならなくてはならない
約束の時間に現れた星野氏は、黒のTシャツスタイルのカジュアルないでたちで、世でいうカリスマ経営者像とは別人のように気さくな笑顔で出迎えてくれた。
「こんにちは。長い間お待たせしてすみませんでした」
分刻みでスケジュールをこなしている星野氏のこの第一声は私をすごく恐縮させた。
ランチをしながら話をすることとなり、北欧風のインテリアがおしゃれなホテル内のレストランに案内された。
実際に約束をしてから時は経過していたが、その間メールで連絡を取り合っていたのでこの日の話はそれほど時間がかからないはずだった。
話の趣旨はこういったものだ。星野氏は、私のワイナリーを作りたいという話に興味を持っていた。氏も小淵沢にワイナリーがあればいいとちょうど思っていたようだった。
「日本の観光を活性化していくためには、地方が元気にならなくてはいけない。もっともっと地域の魅力をつくって発信していく必要がある。それはリゾナーレのある小淵沢も同じことだ。山梨と長野の県境にある立地を活かしたワイナリーがあればありがたい」
これは、ワイナリー設立を目指す私にとっては、願ってもない話であった。考えるまでもなく話は進み、私はその後まもなく行動を開始した。
フランスで学んだことをすぐ生かせる機会に巡り会うことができたのは、今考えてもただただ幸運だったとしか言いようがない。(つづく)
池野 美映 Mie Ikeno エノログ。
フランス国家資格ワイン醸造士 (Diplôme National d’Œnologue) 2001年より渡仏し、国立モンペリエ大学薬学部D.N.O.専攻にて2005年ディプロム取得。公立ワイン技術研究所での研修、南仏やブルゴーニュでのワイナリー勤務を経て現職。フランス、スペイン、モナコ等国際ワインコンクールの審査員を務める。
http://allabout.co.jp/gm/gc/216511/
*ワイン王国・山梨での新たな取り組み!
ぶどう栽培から醸造までホテルが一括管理し、オリジナルワインの生産へ!
2009/02/26 小山田貴子
至れり尽くせりの空間。それでも足りないものって?
山梨県北杜市小淵沢町。高原リゾートというと軽井沢や清里に注目が集まりがちだが、ここ小淵沢は東京からなら電車でも車でも約2時間で到着するリゾート地である。そんな小淵沢に1992年に誕生したリゾートホテルが「リゾナーレ」である。
JR小淵沢駅から送迎バスで3分。雄大な八ヶ岳のパノラマの歓迎を受けながら到着した。同ホテルは、イタリア・インダストリアルデザイン界の巨匠として知られるマリオ・ベリーニが、中世の山岳都市をイメージしてデザインしたという。ホテル内を散策すると、円錐形の建物が現れる。その奇抜ともいえるフォルムと連なる山々とが清涼な高原の空気に映え、思わずウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の修道院を重ね合わせてしまった。
同ホテルには、南アルプス・八ヶ岳が一望できる宿泊施設はもちろん、レストラン、チャペル、スパ&プール、温浴施設、そしてカフェやブックストア、ブティックなどから成るショッピング街が集結している。開業は前述の通り1992年だが、2001年に運営が星野リゾートにかわってからは、その充実振りがさらに発揮されている。
メインダイニングは、政井茂シェフが腕を振るうイタリアン「OTTO SETTE」(オットセッテ)。地元の食材を使ったスタイリッシュな料理を提供する。巨大なワインセラーにはイタリアワインのみならず、秀逸な国産ワインやシャンパーニュも充実している。日が沈んでからは、露天温浴施設「もくもく湯」に行くのがオススメ。ゆらゆらと立ち上がる湯けむりの中、空を見上げると無数の星を見ることができ、なんとも神秘的である。
つまり、何が言いたいかというと、このホテル着いたなら、施設から一歩も出ることなくすべてがまかなえてしまうということである。しかもすべてが贅沢に……。
しかし、それでも「何かが足りない」と2006年8月、星野リゾート・八ヶ岳のスタッフとして一人の女性が入社した。池野美映さんである。
初めて会ったときは、服装はラフであったが「敏腕の美人営業マネージャーかな」と思うほど笑顔がチャーミングで、気勢にあふれる女性と感じられた。そして彼女と挨拶をしたとき、「何か足りないもの」がすぐにわかった。名刺に「ワインプロジェクト ディレクター」と刷り込まれていたからで、「足りないもの=ワイン」だったのだ。
今リゾナーレでは、自社でワインを生産するプロジェクトが稼動し始めていて、その責任者として池野さんが起用されたのである。
「ワイン特区」認定が追い風に!
経済誌の編集をしていた池野さんは、もともと「人が好き」「自然が好き」「文化が好き」。それらを集約していった結果、行き着いた先がワインであったという。そうなれば行動は早い。
フランス国立モンペリエ大学で栽培醸造学を3年間学び、フランス国家資格ワイン醸造士(D.N.O)を取得。その後ブルゴーニュなどの醸造所に勤務して帰国。そして、リゾナーレのプロジェクト参加となったわけだ。
「ワインプロジェクト ディレクター」という肩書きだけでは、ピンとこない人もいるかもしれない。基本的には、ぶどうを育てるところからワインにするまでの全般を手がける仕事とのことだ。ぶどうが収穫されるまでは畑と格闘し、収穫されたら今度はワイナリーでワインを仕込む。これはもう、想像を絶する知力と体力を必要とする仕事なのである。そんなわけで、ワインを造るにはまずぶどうありき、である。山梨といえば、勝沼という日本ワインの銘醸地があるように、ぶどう栽培には適しているはずだ。さらに、2008年11月11日、同ホテルがある北杜市が「ワイン特区」に認定されるという追い風も。つまり、最低製造量の規制が緩和されたため、自家栽培・自家醸造で質のよいワイン造りが可能になったのである。
完全自社生産のワインを目指して!
ホテルから車で10分ほど下った下笹尾地区。ここにリゾナーレが管理するぶどう畑がある。標高750m。甲斐駒ケ岳、八ヶ岳、晴れた日なら富士山まで見渡せる高台である。日照量は日本一。何より寒暖の差が大きいため、ph、酸、糖のバランスよいぶどうが採れるという。土壌は関東ローム火山灰であるが、池野さんは土壌よりも、「この気象条件でどの品種を植えるか」が重要だという。
ここに、もともとNPO法人が植えていたシャルドネ、メルロー、ヤマトナデシコの600本の苗に加え、ピノ・ノワール、シャルドネ、メルロー(2007年に3,300本、2008年に2,200本)をリゾナーレが新たに植えた。そして2010年、いよいよリゾナーレの敷地内にワイナリーが完成する予定となっている。最終的には年間130,000本のワイン生産を目指し、自社畑だけで採れたぶどうを使うというリゾナーレ独自のワイン造りが着々と進められている。
何もかもが揃っている完璧なホテルかと思われたリゾナーレ。そんな中でも同ホテルで働く人々が「何かが足りない」と感じていたのは、「地元の物産を販売し、八ヶ岳文化を発信することで地域の活性化につなげること」ということだったのだ。その手段として、地域性を生かしたワイン造りが選ばれ、そして2010年にリゾナーレは"ワイナリーリゾート"として生まれ変わるのである。
http://www.youtube.com/watch?v=NdiUYESi8cA&feature=channel
前回(10/5)のご出演に引き続き、中国総領事館用地の買収にも揺れる新潟市で進行する中華街構想をめぐる動きの他、中国資本に狙われる地方都市の実状などについてもお聞きしていきます。
【梅原克彦&三井田孝欧】新潟中華街構想の行方[桜H22/10/5]
http://www.youtube.com/watch?v=S5qvrBteKr8&feature=related
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新潟中華街 中国総領事館 国防動員法 間接侵略 超限戦 内政干渉 友好都市 在日中国人 帰化中国人 新潟市議会 万代小学校 環日本海経済圏 安全保障 人口侵略 移民政策 実効支配 尖閣
*財界にいがた
http://www.zaikainiigata.com/
11月号(10月27日発売号)
【特集】政令市新潟が中国の「自治区」になる?2010.10.25 Monday最新号記事
新聞が取り上げない中国のワナを白日の下にさらす! 今年6月に、日本で6番目の中国総領事館が新潟市に開設された。地元新潟市では「新潟中華街構想」も待望されているという。先の尖閣問題で顕在化したように、中国国家の東アジアにおける覇権行動は留まるところを知らない中、新潟人だけが「脅威の隣人」に対してあまりにも無防備なのだ。
*新潟市議会議員の常識を逸脱した国外旅行について
受付日:平成22年8月13日(金) 年齢:60代
受付日:平成22年8月16日(月) 年齢:60代
◇◇ご意見・ご提案◇◇
新潟市の議員「新潟クラブ」が、政務調査費を使い8月1日から5日の4泊5日で中国へ観光旅行に行きました。
政務調査費とは言え、我々の血税の公金です。
なぜ、研修に名を借りて、観光旅行に行かなければならない理由などをお尋ねします。
政務調査費は、議会の問題であり行政側は答える立場でないとする考えは、予算提案権者の責任を自ら放棄する事です。
1. 誰が?
2. 中国のどこへ行ったのか?
3. 何のために?
4. 一人当たり税金を幾ら無駄に使ったのか?
5. 研修の成果は、いかに市政に生かされるのか?
6. 参加者(議員)の研修レポートは市長に提出されたのか?
地方財政が厳しい折、政務調査費は地方の事業仕分けが必要だと市民は思っています。
来年度予算において市民は、最も重要な検討項目であると思っています。
◇◇回答◇◇
ご指摘の中国への視察は、7月28日付で新潟クラブより市議会議長に提出された「不在届」によれば、新潟クラブが独自に企画し、同クラブの金子益夫、佐藤幸雄、石橋慶助、佐藤豊美、玉木良平、永井武弘、木村文祐、遠藤 哲、渡辺 均、金子 孝、渡辺孝二、佐々木薫、水澤 仁の13名の議員が、8月1日から5日までの日程で、視察のために中国に出かけたとのことですが、今回の視察の経費が政務調査費によるものかどうかは、明らかになっていません。
政務調査費は、地方議会の活性化とその審議能力を強化することを目的に制度化され、本市では、「新潟市議会政務調査費の交付に関する条例」に基づき、議会の会派又は議員に対し、市政に関する調査研究に資するための必要な経費の一部として交付しています。交付を受けた会派又は議員は議長に対し、年度終了後、毎年4月30日までに、政務調査費収支報告書の提出が義務付けられています。
お尋ねの「中国での視察先」「目的」「一人当たりの旅費」「研修の成果」「研修レポート」などについては、仮に政務調査費による視察であった場合に、今年度終了後に提出される政務調査費収支報告書で初めて確認できるものです。このため、現時点では前述の「不在届」の内容以外の詳細は答えることができない状況にあります。
市議会では、政務調査費は市民の皆様からの税金であることから、その説明責任を果たすため、議会自ら使途基準の運用指針を設けるとともに、収支報告書に領収書などの支払証拠書類や視察報告書などの添付を義務付け、その収支報告書も議会事務局において常時閲覧することができるなど、その使途の透明性の確保に努めています。
本市では、厳しい財政状況のもと、行財政改革を一層推進する必要があることから、「事業仕分け」に取り組んでおり、さらなる選択と集中をすすめるために、この8月28日、29日の2日間に渡り、公開の場における外部の視点による議論を通じた事業仕分けを実施しました。
市議会においても議会改革に取り組んでおり、その中で費用弁償や政務調査費のあり方について検討会を設置し、検討を進めていると聞いておりますので、今後も、その動向を注視してまいります。
回答日:平成22年9月16日(木)担当課:議会事務局総務課
*中国前国務委員が新潟入り=新日中友好21世紀委員会出席へ!
日中両国の有識者でつくる「新日中友好21世紀委員会」に出席するため、中国側座長を務める唐家セン前国務委員が29日、新潟県入りした。県内に11月2日まで滞在し、同委員会出席のほか、佐渡島などを視察する予定という。
唐氏は29日午後、新幹線で新潟入り。JR新潟駅で出迎えた森邦雄副知事が「ようこそいらっしゃいました」と歓迎したのに対し、「2度目の新潟。素晴らしいところですね」などと答えた。
同委員会は新潟市内で、31日から2日間の日程で開催。日中交流についての意見交換を行う。
(2010/10/29-18:02)
*20101011 新潟県と中国・江蘇省 交流協定 締結の見通し
http://www.youtube.com/watch?v=8sMjLJmweZo&feature=related
*20100929 中国建国61周年 総領事館が祝賀会
http://www.youtube.com/watch?v=1XmP0Qq-pfM&feature=related
*中国総領事館の移転計画 住民から反対意見や慎重論 新潟市議は全員賛成
http://www.youtube.com/watch?v=MeT3upB0I_s&feature=related
*古町に中華街設置求め要望書 商店主ら市長に手渡す 新潟市に中華街計画
http://www.youtube.com/watch?v=SY2-DQ6Vw7E&feature=related
*中国で販路拡大新潟の企業 新潟に開設中国総領事館
http://www.youtube.com/watch?v=BCkbl_tLf_w&feature=related
*中国に伝えたい新潟の魅力 .新潟に開設中国総領事館
http://www.youtube.com/watch?v=lc28ijmjN34&feature=related
*チャイナタウン (バンクーバー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC)
中華街
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20101101-00000013-nnn-soci |
羅先特別市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E5%85%88%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B8%82
2010年3月8日21時5分配信 (C)YONHAP NEWS
【北京8日聯合ニュース】北朝鮮が羅津港を中国に対しさらに10年間開放することを積極的に検討しており、ロシアには新たに50年間の使用許可を出したことが、中国・吉林省関係者への取材で分かった。
北京で開かれている中国の全国人民代表大会(国会に相当)に出席した吉林省延辺朝鮮族自治州の李竜熙・党委員会副書記は8日、「北朝鮮が羅津港3号埠頭(ふとう)を50年間使用できる権利をロシアに提供し、中国に提供していた1号埠頭の使用権については10年間延長を積極的に検討している」と明らかにした。中国は2008年に1号埠頭の使用権を取得し、現在、中朝間で10年間の追加使用延長に対し協議が進んでいると説明した。中国は同埠頭を望む用途に合わせ使えるよう設備建設作業を進めており、建設作業が終わり次第、物流輸送が始まることになるという。
李副書記は、羅津港の使用権獲得について、吉林省の石炭を東海(日本名:日本海)経由で上海などに運送できるだけでなく、日本への輸出など太平洋地域との物流も可能になるという点に意味を置いた。
羅津港は5つの埠頭があり、1号埠頭の規模は3号埠頭を上回る。中国側はこの事業に数千万元を投入するとみられている。
これに先立つ先月28日、孫政才・吉林省党書記は東北3省を訪問した北朝鮮・朝鮮労働党の金英日(キム・ヨンイル)国際部長に対し、昨年国務院(中国政府)が確定した「長春~吉林~豆満江開放先導区」事業を紹介しながら、道路網・基礎インフラ建設分野で吉林省と北朝鮮が新たに合弁する契機ができたと説明したと伝えられる。中国は豆満江河口に隣接した羅津港を、立ち後れる東北3省が太平洋へと進出するための経済戦略の要衝として注目してきた。
一方、ロシアも、中朝が羅津港を国際物流基地に開発すれば、サハリンとシベリア産の原油・天然ガスを周辺国に販売するルートができると見込んでいるといわれる。
*北朝鮮・羅先は、大連しのぐ貿易港になるか?
中国、モンゴルも注目する日本海側の要衝!
2010.05.17(Mon)JBプレス 秋山小太郎
010年5月3日朝。北朝鮮の最高指導者・金正日(キム・ジョンイル)労働党総書記を乗せた特別列車が鴨緑江(アムノッカン)に架かる橋を渡り、2006年1月以来4年ぶりとなる中国訪問が実現した。総書記が最初に訪ねたのが、中国東北部の貿易港・大連。北東アジア情勢に通じた者であれば、そこで頭に浮かんだのは「今回の訪中のポイントは羅先(ラソン)」(韓国の北朝鮮研究者)という考えであろう。
国境の開発促進、中朝で足並み揃える!
羅先。以前は「羅津(ラジン)・先鋒(ソンボン)」と呼ばれたこの都市は、中国、ロシアとの国境に近い北朝鮮北東部に位置する。羅津港は冬でも凍らない「不凍港」で、日本海側の交通の要衝と言える地だ。
北朝鮮は1991年、羅津・先鋒を最初の自由経済貿易都市に指定し、いよいよ改革・開放に舵を切るのかと注目を集めた。しかし、香港資本のホテルなどが進出したものの、法制度をはじめ外国企業が投資に踏み出す条件が整備されず、開発は進展しないまま。様々な計画が浮かんでは消え、大きな進展がないまま20年近い時間が過ぎ去った。
風向きが変わったのは2009年の末頃からだ。国営メディアの朝鮮中央通信は12月16日、金総書記が羅先の水産品加工工場などを視察し、「対外貿易発展のためには輸出計画を正しく立案し」なければならないなどと直々に指示したと報じた。続いて2010年1月、羅先を「特別市」とする一方、外資誘致を主導する国家開発銀行を設立するなど、動きを活発化させた。
金総書記が今回、大連を訪れたのは、大連を羅先のモデルと意識していることを示す狙いがあるのは明白だ。
5月5~6日に北京で開かれた中朝首脳会談では、「経済・貿易分野で協力を深めたい」と呼び掛けた胡錦濤国家主席に、金総書記が「中国企業の朝鮮への投資を歓迎する」と応じ、この問題で息の合ったところを見せた。温家宝・中国首相も「国境地域でインフラ建設を加速する」と言明。羅先をめぐり、港湾施設の拡充や、中国国境からの道路網整備が進むとの期待が高まっている。
中国・東北3省開発の物流拠点に!
北朝鮮の景勝地・金剛山(クムガンサン)と開城(ケソン)の工業団地。一時期は韓国企業も参加して経済開発が盛んだったが、李明博政権になってからは事業が停滞〔AFPBB News〕
ところで、北朝鮮の経済開発でここ数年、目立っていたのは韓国に近い名勝地・金剛山(クムガンサン)と軍事境界線付近の古都・開城(ケソン)だ。前者は観光開発、後者は大規模工業団地の造成で、いずれも韓国企業が絡む。
ただ、李明博(イ・ミョンバク)大統領就任後は南北関係が冷却化し、両事業とも停滞している。金剛山では4月、朝鮮戦争で離れ離れになった「離散家族」を再会させる交流事業のために造られた面会所など韓国政府が所有する施設が「没収」され、職員も退去した。「開城でも早晩、強硬措置を取る可能性がある」(元韓国政府高官)との観測が根強い。
羅先と金剛山、開城の状況を対比すると、北朝鮮は経済開発の軸足を羅先に移したと考えて差し支えない。
中国政府にとって、上海や広州といった中南部の沿海地域に比べて発展が遅れた遼寧・吉林・黒竜江の東北3省の経済開発は急務だ。その際、東北3省の石炭や穀物を搬出し、工業用原材料や部品を3省の工場に持ち込むための輸送路の構築が、ポイントになる。
現在、輸送ルートの要になっているのが大連だが、吉林省の省都で東北部を代表する工業都市でもある長春から大連まで、鉄道で700キロメートル。一方、長春から羅先までは単純に直線で結べば400キロ程度だ。長春よりも日本海寄りの延辺朝鮮族自治州、ロシア国境に近い黒竜江省などで考えれば、羅先の地理的優位は明らかだ。
中国が羅先に着目する理由は、中南部への物資・食料の搬出拠点と位置付けているからと考えてよい。経済成長に伴い、中南部の石炭・鉱物資源の需要は一段と増加するのは確実で、小麦など穀物の消費量も伸びる。東北3省から海上ルートでそれらを運ぶのが、中国側の思惑だろう。羅先の開発が前回、話題になった2005年に、中国・浙江省の企業グループも参画を計画していたことも、そうした見方を裏付ける。
気になるのは、大連に本社を置く企業グループが2008年、羅津港の埠頭の一部について10年間の独占使用権を獲得したとされる話だ
日本メディアは金総書記訪中報道の中で「大連は北東アジア有数の貿易港」と褒めそやしたが、めざとい中国のビジネスマンは、羅先が発展すれば先々、大連の地盤沈下もあり得ると踏んでいるのではあるまいか。大連の企業が羅先に投資するのは「保険」の意味があるのかもしれない。
現在の北東アジアの安全保障環境からは考えづらいが、羅先が将来、日本にとっても重要拠点になる可能性は否定できない。数年前になるが、朝鮮半島情勢に詳しい消息筋から「トヨタ自動車の長春の工場に日本から部品を運ぶにも、大連より羅先を使う方が早い」と指摘されたことがある。日本の大手商社関係者が「大連は港の施設利用料が高い」とこぼすのを耳にした経験もあるだけに、日本も中長期的な視点から羅先の存在意義を考える必要があると確信する。
朝青龍も羅先開発に参戦?
「朝青龍が平壌に行っていた」──。モンゴルからの訪朝団に、元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏が含まれていたことが、朝鮮中央通信が4月22日に配信した写真で明らかになり、日本の大相撲関係者だけでなく各界に軽い衝撃が走った。
モンゴル政府と羅先は今回、経済協力覚書を締結しており、「朝青龍の関係する企業も、羅先事業に出てくるのだろう」(日本政府筋)とみられる。
モンゴルの石炭や鉱物資源、ウランに各国の関心が集まるが、「モンゴルは内陸国だし、輸送ルートが確保できないとビジネスの対象にならない」(大手商社資源部門担当者)。そのため、日本海への拠点として羅先の権益獲得に動いたのが、今回の訪朝の理由だ。
モンゴルは歴史的に中国を脅威と感じる一方、北朝鮮との関係は悪くない。その点からも、羅先に着目することに違和感はない。
また、不凍港を戦略的に重視するロシアも、羅津港の埠頭の使用権を得たとされる。国際的な物流拠点に成長する可能性を秘める羅先をめぐって、周辺諸国がさまざまな布石を打っている。
翻って日本は、日本人拉致問題や核・ミサイル開発を理由に対北経済制裁を行い、北朝鮮に関しては「思考停止状態」(日朝関係筋)。羅先に限らないが、朝鮮半島情勢が急転し、気がついてみたら日本だけが取り残されていたということにならないよう、今のうちから「頭の体操」は進めておくべきだ。北朝鮮の事情に通じた日本人の中には、そう考える者が少なくない。
三井田孝欧(みいだたかお、1972年7月27日- )は、日本の政治家。新潟県柏崎市議会議員(2期)である。
経歴
1972年(昭和47年)- 7月27日、新潟県直江津市(現上越市)出身。
1979年(昭和54年)- 柏崎二葉幼稚園卒園。
1985年(昭和60年)- 柏崎市立柏崎小学校卒業。
1988年(昭和63年)- 柏崎市立柏崎中学校卒業。
1991年(平成3年)- 東電学園高等部入学。
1993年(平成5年)- アメリカ留学。
1994年(平成6年)- 東電科学技術学園電気科卒業。
東京電力株式会社入社、柏崎刈羽原子力発電所運転員(2号機、5号機、運転支援班)
休職(アメリカで原子炉の廃炉や各ボランティア活動を体験)
1996年(平成8年)東電学園大学部に進学(原子力工学高レベル廃棄物処分を研究)
日本大学文理学部哲学専攻に進学。
柏崎転勤(システム部門、新規事業部門)後、東京電力株式会社を退社。
納豆学会を設立。
2001年(平成13年)- 有限会社めしやを設立、代表取締役となる。
2003年(平成15年)- 柏崎市議会議員選挙に当選。
建設企業常任委員会
2004年(平成16年)- 全国若手市議会議員の会 副会長、北信越ブロック長
2005年(平成17年)- 建設企業常任委員会 副委員長
自由民主党 入党
2007年(平成19年)- 市議会議員選挙に再選。
厚生常任委員会
役職
所属委員会:厚生常任委員会
所属会派:整風会
政党:自由民主党柏崎支部広報委員長
草莽全国地方議員の会副会長
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E8%8E%BD%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%AD%B0%E5%93%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A
靖国神社へ参拝する全国地方議員の会
http://www.yamatopress.com/c/10/13/2903/
子供権利条例に反対する全国地方議員の会会員
人権擁護法案に反対する全国地方議員の会会員
にいがた70年代議員の会、全国若手市議会議員の会
柏崎準倫理法人会 幹事
http://www.niigata-rinri.jp/about/single/kashiwazaki
社団法人 柏崎青年会議所会員
http://www.kashiwazakijc.or.jp/contents/
関連項目
行動する保守
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BF%9D%E5%AE%88
嫌中
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AB%8C%E4%B8%AD
日本文化チャンネル桜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%A1%9C
日本青年社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%9D%92%E5%B9%B4%E7%A4%BE
柏崎トルコ文化村
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E6%96%87%E5%8C%96%E6%9D%91
外部リンク
三井田.net
http://homepage3.nifty.com/miida/
納豆学会
http://www.nattou.com/
【梅原克彦&三井田孝欧】新潟中華街構想の行方[桜H22/10/5]
http://mamorenihon.wordpress.com/2010/10/06/%E3%80%90%E6%A2%85%E5%8E%9F%E5%85%8B%E5%BD%A6%EF%BC%86%E4%B8%89%E4%BA%95%E7%94%B0%E5%AD%9D%E6%AC%A7%E3%80%91%E6%96%B0%E6%BD%9F%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E8%A1%97%E6%A7%8B%E6%83%B3%E3%81%AE%E8%A1%8C%E6%96%B9/
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http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!