[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
コピ・ルアク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%82%AF
CNN.co.jp 1月2日(日)
コーヒー愛好家にとって、世界で最も高価とされるインドネシア産の「コピ・ルアク」は魅惑の一杯だろう。ジャコウネコのふんから取れる豆を原料とした、同国独特のコーヒーだ。
インドネシア語で「コピ」はコーヒー、「ルアク」は野生のジャコウネコの意味。ジャコウネコが食べるコーヒーの実のうち、消化されずに排出される豆の部分を集めて焙煎(ばいせん)する。ジャコウネコの胃液などの作用によって、独特の味と香りが生まれるとされる。同国内で一杯8ドル(約670円)、国外では50ドル(約4200円)という高級品だ。コピ・ルアク・ブランドのトップ、ヘンリー・フェルナンド氏は、「供給が非常に少ないために価格が高くなる」と説明する。
ジャカルタ市内のコピ・ルアク・カフェで、その味を試してみた。豆をひいた粉を店員が真空パックの袋から取り出し、金色のカップに入れて湯を注ぐ。かき混ぜてからふたをして2分間待つと出来上がりだ。まるでインスタントコーヒーのようだが、ひと口味わうと違いが分かる。とても飲みやすくてほのかにチョコレートとキャラメルの風味があり、コーヒーにありがちな酸っぱい後味は感じられなかった。
コピ・ルアクは長年、インドネシア国内より国外での人気が高かった。だが近年は経済の急成長にともない、同国の富裕層の間でも親しまれるようになっている。フェルナンド氏によれば、2002年に1号店ができたコピ・ルアク・カフェは、現在20店舗まで増えた。また国外でも、ジャック・ニコルソン主演のハリウッド映画「最高の人生の見つけ方」(08年)で取り上げられ、さらに注目を集めている。
国内では最近、有力イスラム団体がコピ・ルアクを「不浄」として禁止法を提案した。しかしフェルナンド氏によれば、排出される豆は皮に包まれていることや焙煎前に洗浄していることが理解され、その後イスラム法で正式に認められたという。
李登輝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BB%E8%BC%9D
武士道教育に力入れる~李登輝元台湾総統インタビュー(2)
2011.01.02(Sun)JBpress
マット安川 坂本龍馬の「船中八策」をはじめ、戦後の歪んだ歴史教育ではあまり重視されない「日本の知」が、李閣下の口からはあふれんばかりに飛び出してきました。
閣下は今でも日本政界と交流を保ち、たびたび訪日されています。
台湾の発展に尽くし、アジアにおける微妙な立場を信念と戦略をもって乗り越えてきた経験からか、日本のことが日本人以上によく見えている、そう感じるインタビューでした。
台湾で新渡戸稲造の「武士道」を教える!
李登輝 李登輝学校では、思想哲学から科学技術などを研究し、心の改革などを推進しています。とりわけ日本の内閣府が専門重視に赴く中で、私は教養教育、リベラルアーツの重要性を認識し、台湾の歴史、道徳、家庭教育の実践などに力を入れています。
そこで私は新渡戸稲造の『武士道』を解題し(『「武士道」解題』)、公(おおやけ)と私(わたくし)の問題を李登輝学校の教えとして台湾でも深く展開しております。
私の思う指導者の条件というものは何かというと、結局ここですよね、「公と私」。そして誰もやらないことを自分でやる、と同時に、信仰を持ちなさい、自分は権力だとそういうことを考えてはいけない。
そして人民を可愛がりなさい、人民に対して嘘をついてはいけない、誠(まこと)をもって人民に相対する態度が必要です。
このように考えたときに、最近の日本の指導者はどうですか。私に言わせると内閣総理大臣、本当に人民のこと、国のこと、将来のことを考えながらやっていこうとする人は、あまりなかったなあ。
国を変えようとするときに官僚は必ず反対する!
公選によらず根回しで決めていく。官僚政治が主体になってね。官僚はものすごく頭が良くてて、いろんな法律を作りますがね、国を変えようとするときには反対ばかりしている。
私が台北市長になったときに、こういう話がありますよ。
台北市の農村では農民が絶えず家を修築したいと言っている。だいたいあそこらへんの農家は100年くらいの歴史があるんです。そんな古い家には窓もない、便所もない、風呂場もない。
若い子は絶対住まない、みんな山を下りて都市に住んでいます。そうすると農村では誰も働かないのよ、年を取ったじいさんばあさんばっかりで。これが私のふるさと、私の生まれた場所です。もう潰れかかっている。
ああいうようなところは家を建て替えてあげなくちゃならないんだが、私がそれをやると言ったら建築管理處は、いままでの所有主全員の捺印が必要だと言うんです。
官僚を通さず進めた結果、台北は綺麗な町に!
考えてみてください、100年の歴史の中でいったい、どれだけの持ち主が関わっているか。不可能ですよ、絶対。ほとんど死んでしまって残っているのはいまの人だけなんだから。
こういう官僚の作った法律をどうすべきか。私がやったのは、建築管理處には一切関係させず、協同組合に話して協同組合のそれぞれの区域の農家に申請書を出させました。
そして35種類の新しい設計図をあげて、どんな改築をしたいか選ばせた。だから建築家に設計を依頼する費用がかからない。そして申請書は建築管理處ではなく台北市の建設局に持ってこさせました。
建設局では書類を受け付けたら整理して市長の私のところへ持ってくる。そして私が直接許可証を出すわけです。
1200戸の許可を出しましてね、それは結局、建築管理の規則を破っているわけです。間違っているというなら訴えたらいいじゃないかと言いましたが、結局彼らは何もできず、台北市の近郊はいま、ものすごくきれいな家が出来上がっていますよ。
アイデアは日本の大学教授の論文!
これは私の考えだけじゃなくて、日本のNIRA(総合研究開発機構)の雑誌にある大学教授が書いた論文があって、「農村の将来の発展の方向は観光事業と結びつける必要がある。観光事業と結びつけるには農家の改善をやらなくてはならない」というところをヒントにね、誰もやらないから私がやりましたよ。
いま私、その近くに住んでおりますがね、家の前を通りかかるといつも呼んでくれてね、いらっしゃい、お茶をどうぞどうぞ、とね。そういう関係ができているんだよ、そこの農民とは。
同じようなことは繰り返しあるんですよ、台湾に。法律でできないいろんなことをやったのは、蒋(経国)総統のとき。日本では池田(勇人)内閣時代に『農村は変わる』を書いた並木(正吉)さんという人がいました。
あれはだいたい日本の農村の労働力が減って老人人口が上がり始めた頃でしょ。日本にはこういういい例がたくさんあるんだが、それを総合的にやっていく指導者がいない。困るのはこれなんだ。
日本全体の問題がここの、指導者がいないということに懸かっているというのは、例えばアメリカが何か言えば「Yes, Yes」と言いなりでしょ。日本人としてアメリカに対して好意的に深く話し合う人がいないんだよ、怖くて怖くてアメリカに言い切らないんだよ。
第1は憲法の修正、第2は教育基本法の修正!
日本はアメリカに対して思い切って話をすべきなんだ。これだけアメリカの国債を買ってアメリカの経済を助けてきたんだから、日米同盟のあるべき姿を検討しましょうと言うべきなんです。
そのときいちばん大事なのは、憲法修正をやることです。第2には教育基本法の修正。憲法修正と同時に、これからの日本をどうすべきかということを教育から変えていかなくてはならない。
戦後、アメリカは軍事力が世界一大きいし政治力もあるからアメリカの主導で連合国で国際連合をつくり、次にブレトンウッズ協定でGATT(関税および貿易に関する一般協定)を作った、いまのWTO(世界貿易機関)です。それにIMF(国際通貨基金)。
ところがこの4つの組織はうまく運行していません。アメリカの一部分の金持ちや資産家とか投機屋、ことにウォールストリートの連中がでたらめをやっている。
いまでは1ドル85円で利息がゼロ、これで日本の経済は立ち行きますか? お金を持ってる年寄り連中はお金をパンツの中に入れて銀行に持っていかない、利息がないんだから。
アメリカの言いなりになった日本をよく見ている中国!
そして日本は米国債を買って結局アメリカの負債を背負った形になってしまっている。これじゃ日本の経済どうするのかという問題になりますよ。
こういう状態を1991年のバブル崩壊から10年間、2002年から2003年頃少しよくなったかと思ったら2008年に銀行の大きな金融問題が起き始めて、また日本はたいへんな状態になった。
こういう状態を中国は知っているんですよ、アメリカの言いなりになって日本がひどい目に遭っていることを。だからアメリカが人民元を引き上げろと言ってきても、引き上げるどころか不動的に一定の範囲に収めている。
プラザ合意では台湾にも圧力がかかりました。86年にアメリカが1ドル40圓を25圓まで引き上げろと言ってきた。台湾はアメリカに対して毎年、輸出で150億ぐらいの貿易黒字を出していたから。
このとき私はまだ副総統でしたけど、蒋経国総統に15カ条の建議書を上げました。その中の1つの建議は、普通の商業銀行に外貨を預けられる預金制度を作ることでした。
商業銀行に外貨のまま預金させた!
外国が台湾元をどんどん買いにくる、その外貨を中央銀行に持っていかせず外貨のまま商業銀行にとめておく。そうするとお金が外貨でとまっているし利息も外貨。台湾ではインフレーションは起こりませんでしたよ。
1997年のアジア通貨危機でも台湾は何も起こりませんでしたよ。なぜかというと簡単なことで、そのときは1ドル28圓だったのをどんどん下げさせたんです。
当時台湾は売ってばかりでした、2週間で200億売ったんだな。中央銀行の総裁が困っちゃってね。行政院長(首相)と財政部長(財務大臣)、中央銀行の総裁を自宅に呼びました。
総統は中央銀行の政策の監視をなかなかできるものじゃないんです。それで私が彼らに話したのは、政策の話をするんじゃないんだと、まずお互いに考え方を変えましょうと。
グリーンスパンが最近初めて、昔の政策は間違っていたと言ったように、これは明らかに間違っている。こんな問題が起きるのはIMFが機能していないからですよ。
いまオバマが金融機関に対して規制を強化しているでしょ。この連中に制限を加えたり法律を作って規制したりしないと、本当のお金じゃないお金が世界を回って途上国のお金を吸い回るんです。
プラザ合意は米投資銀行の陰謀?
例えば1985年のプラザ合意で日本は1ドル250円から150円まで引き上げろと圧力がかかった。
日本円が250円から150円に上がったらどうなるか。世界的ないわゆるスペキュレイションがありますよ、外国人が日本円をどんどん買いますよ。
お金をたくさん持ってる人間が日本円に投機して、日本からどんどん買いますでしょ。それを日本銀行はオープンにしてどんどん入れた。だから1985年から1991年は日本のインフレーションすごいでしょ。
そしてインフレーションのためにみんなが銀行からお金を借りて投機事業をやる、投機事業をやると勝ったり負けたりして、負けてお金が払えなくなると銀行の不良債権が増えて、結局1991年にバブルが弾けるわけよ。
まずお金というのは何に使っているかと聞きました。いままでお金は支払いのときのアカウントユニットとして存在していた。このアカウントユニットそれ自体をいつも確実な数字に収めておけば、国はインフレーションにならなかった。
お金はアカウントユニットから商品に変わった!
これは昔のことなんだ、金本位制度の時代はそうだった。いまは金本位制度は捨てられた。だからいまの貨幣というのは何だ、いまは商品だよと言いました。
お金でお金を買ってるでしょ。デリバティブとかへんてこなファンドを作って、それで世界が動いているでしょ。
アメリカのいろんな債権ね、最後は債権にして売り回って、そんなものを買って結局2008年のリーマン・ショックでものすごい打撃を受けたんでしょ。
私はそのとき、お金はモノだから、お金でお金を買うんだから、為替レートを28圓に収めることはないよ、どんどん落とせ、34~35圓まで落とせと言いました。
実際そこまで落ちていって、そして台湾はなんともありませんでした。こういうことは非常に弾性的に考えなくちゃならないことなんですよ。
大筋を決めてから討論させる!
この会議の後で建議を出させてね、部長とか副総統とかいろんな人間を全部集めて全員で討論したんです。もちろん最後の結論は私が出して、結論を出した後で持って帰りなさいと、いまの結論を持ち帰らせて、それを修正して行政院で発表させた。
そうすると、それは総統一人の考えじゃなくて、財政部長が出してきた政策ということになるんです。そして安全会議で決まったものになる。
それは私が責任を逃れるというのではなくて、部下に権限を与えることなんです。彼らの考え方、全員が一致した考え方を持ったということなんです。
もう1つ、私が総統のときにしたことをお話ししましょう。
1990年の9月21日に大地震が起こったでしょ(台湾集集地震)。この大地震は私「救災日記」というのを書いて、これはPHPで日本語に翻訳されました(『台湾大地震救災日記』)。
100年ぶりの大震災に直面して何をしたか!
「救災日記」の内容を言いますとね、9月21日の台湾大地震は100年内のいちばん大きい地震で、この大地震が起きたときは夜中の1時47分でしたけども、私はまだ寝ていませんでした。台北でひどく揺れた。
すぐ私ね、侍従長にこの地震はどこで起こっているか、どんな程度か、どんな状態か調べてこいと、と同時に参謀総長にこの状態を知らせろと指示を出しました。
1時間足らずですぐ電話がきて、これは日月潭の西(南投県集集鎮の)ふたつの山の間が震源地であると。それが分かったから命令を出しました。参謀総長に、明日の朝6時に軍隊を全部派遣しろ、各村に指揮所を置け、そしてそこから救済に当たれ、被災者を救いなさいと。
そのとき私は総督府に顔を出す予定だったんです。それから災害地に出発する。ところが総督府の前に来たら、これじゃあ時間が遅れるということで、直接松山(台北松山空港)に行って飛行機に乗って台中に行きました。
そこから車で現地へ向かったんだが、道が崩れていて入れない。それでヘリコプターに乗り換えて被害の中心地を見に行ったわけです。
小池百合子から神戸の仮設住宅を寄付するとの申し出!
いろんなところを見て回って、死者は2300人という報告だった。(台湾行政当局の最終発表では、死者:2,415人/負傷者:11,306人/行方不明者:29人)
2300人を処理するにはどうしても3日間はかかるということでした。しかし3日間のうちに死者をうまくおさめないと、9月で暑いからたいへんなことになってしまう。
その夜に小池百合子が電話してきてくれました。そして私に神戸の仮設住宅を1500戸あげたいがどうだと言う。たいへんに嬉しいことです。翌朝すぐ小渕(恵三)総理と話をしてくれて、結局1000戸くれるということになりました。
翌日私は、東勢というところに昔陸軍病院があった場所を整理して、軍隊の主導で仮設住宅を置くように命令しました。
3日間の間に死者をうまく全部処理しましたよ。棺おけが足らないから軍隊から戦死者を入れる袋を借りてきて棺おけの代わりにしたり、台中だけじゃ焼き場が足らないから台南とか遠いところの焼き場まで持っていったり。
現金を持って被災者に配り歩いた!
こういうことを3日間やった後で、今度は被災者の救済に取り組みました。初めて緊急法というのを作ってね。すべての法律を排除して、この方法で被災者を助けなくちゃいけないという緊急法というのを作ったんです。
ところがこんなことをやってもね、いざとなったら行政面で迅速にできないんだ。政府は被災者の救済に2000億のカネを出すことを決めたんだが、その2000億のお金がいつ人民の手に届くか。2~3カ月もかかるんですよ、だいたい。
そんなに待っていられないんだよ。田舎ではいますぐお金がほしくて、何かやらなくちゃいけない。だから私がお金を持って行きました。だれのお金かというと、国民党のお金ですよ。
1郷鎮に200万圓、地震の被害の小さいところは100万圓ぐらい。それを侍従長に持たせてね、行く先ごとにこれで道の整備から死んだ人の供養からいろんなことに使いなさいと渡していきました。
小さいカネだけどね、とても助かるんですよ。2000億というお金は大きなお金だけど、いつ降りてくるか分からない。
阪神淡路大震災をテレビで知った日本の総理!
あのときは台湾は政府が多すぎてね、中央政府から省政府から県政府、それから田舎の郷鎮役場、こう長たらしいことをやっていたんでは、いつお金がいちばん必要な下の役所に行くか分からないんですよ。
こういうようなときに、いちばんいい方法、速い方法を使ってね、それに全部変えたんだ。
最近、江口(克彦)さんが台湾に来たときに、日本の神戸の地震のことを聞きました。彼が参議院に当選したから招待したんですよ。
彼が言うには、あのとき村山(富市)総理はテレビで初めて地震のことを知って、これから会議をやりますと言ったというんだな。これじゃダメなんだよ。
(明日につづく)
中国農業発展が中国農墾を合併 中央企業131社に
国務院国有資産監督管理委員会は8日、国務院の承認を受けて、中国農墾(集団)総公司が中国農業発展集団総公司に合併され、100%出資の子会社となったことを明らかにした。これにより同委が統括し、出資者としての責任を負う企業(中央企業)が132社から131社に減少した。新華社が伝えた。
中国農業発展の責任者によると、年初以来、中国農業発展は金融危機の打撃に直面しつつも、順調な発展ペースを維持してきた。このたび中国農業発展に合併されたのは、中国農墾の破産にともなう清算の後に生き残った複数の企業で、中国農業発展はこれらの企業の委託管理業務を請け負うことになる。
中国農墾は1983年に設立され、これまで主に農産品の生産・加工、農業総合貿易、農業総合サービスなどを手がけてきた。中国農業発展は中国最大規模の農業分野の中央企業で、2004年の設立。資産総額は150億元を上回り、世界の約80カ国・地域と経済貿易交流を行っている。
国資委の計画では、2010年をめどに中央企業を80社から100社に減らし、うち30社から50社を国際競争力を備えた大企業グループに育成する方針だ。2003年に国資委が発足した時の中央企業数は196社だった。(編集KS)
「人民網日本語版」2009年12月9日
大紅栄
http://homepage3.nifty.com/malus~pumila/appls/daikouei/daikouei.htm
弘前市の工藤清一氏が1992(平成4)年に未希ライフの自由交雑種子を播種し、その実生の中から丈夫で省力栽培できるうまいりんごを選抜・育成したもので、2001(平成13)年にその特性が安定していることを確認して育成を完了しています。なお、出願時の名称は大紅でした。花粉親は不明です。収穫期は10月下旬で、2005(平成17)年の品種登録です。
果実は約400~600gの大形、濃紅色、円形のりんご。無袋で高温でもよく全面に着色し、果梗が短く丈夫なので台風がきても落ちにくいとのことです。糖度は13~14%程度ですが、酸味が少ないせいでしょうか、非常に甘く感じます。いかにもりんごらしいふっくらとした感じの、とげとげしい個性がなくて誰からも好かれる味で、果肉の舌触りの良い、保存のきく、多汁なりんごです。
2003年11月17日に弘前市の店頭で、2006年11月4日に弘前市の店から通信販売で購入しました。
2006年1月22日から2月2日にかけて、中国大連デパート「大連マイカル」で春節(旧正月)用りんごとして、陸奥、金星、世界一、サンふじ(無袋ふじ)と、この大紅栄の5品種が販売され、日本円にして1個 2600円と高値で売買されました〈文献〉。中国では春節にりんごをたべると、その年健康に過ごせるという、健康への願掛けの意味があるそうです〈文献〉。
--------------------------------------------------------------------------------
この品種は弘前中央青果が、「つがりあんアップル」として、専用利用権を設定している六つの新品種のうちの一つです。
--------------------------------------------------------------------------------
〈文献〉 大光栄について(商品説明パンフレット) 片山りんご園
大紅栄【ダイコウエイ】(果樹)
http://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E7%B4%85%E6%A0%84
弘果 弘前中央青果株式会社
http://www.hiroka.org/xoops/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=21
日経スペシャル「ガイアの夜明け」 3月16日放送 第408回
世界で儲けろ!
~ニッポン農業 大航海時代を生きる~
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview100316.html
河村どえりゃー庶民革命の意義を問う、愛知・名古屋トリプル決戦「1票の重み」
2010年12月29日 相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記
宮崎県知事選が12月26日投開票され、予想通りの結果となった。当選者は一期で退任する東国原英夫知事の事実上の後継候補で、前副知事(総務省出身)の河野俊嗣氏。民主党や自民党、公明党の各県連の支援も受け、同じ新顔3人を大差で退けた。もっとも、有権者にすれば選択肢の乏しい選挙で、はなから勝敗の行方が見えていた。政策論争も低調で、県民の関心を集めることなく終わった。投票率は過去最低の40.82%に留まった。4年前に宮崎県内を席捲した「どげんかせんといかん!」という言葉を耳にすることもなくなった。それは宮崎県が「どげんかなった」からではない。県内は一大ブームが過ぎ去ったかのような寂寥感に覆われていた。
同じ知事選ながら対照的なのが、愛知県である。来年1月20日に告示され、2月6日投開票の予定だが、有力候補が次々に名乗りをあげ、早くも白熱した論戦が展開されている。5人の立候補予定者が12月22日に一堂に会し、公開討論会(名古屋青年会議所主催)に臨んだ。
「県民税減税を公約の一番に掲げている。10%減税で約350億円。名古屋市の市民税減税と合わせ600億円弱になる。試算では1300億円から2000億円の国内総生産押し上げ効果がある」
こう語ったのは、大村秀章衆院議員だ。名古屋市の河村たかし市長と連携し、知事選出馬を決意。同時に、地域政党「日本一愛知の会」を立ち上げた。自民党から除名処分を受け、現在、異議申し立て中だ。
大村氏の参戦により、減税が知事選の争点の一つに浮上した。他の立候補予定者も減税について自らの考えを明らかにした。自民党県連推薦の重徳和彦氏(元総務省課長補佐)は「減税はやるべきだが、プランニングが必要だ」とし、「税収に余裕が出てきた時に投資か借金返済か減税かという三つの選択肢をどう組み合わせるかを考えることが大事。あらかじめ10%減税と決めるとごり押しになる」と、冷静に語った。民主党推薦の御園慎一郎氏(元総務省審議官)は「減税論議は景気が良くなってからで、今の段階では減税はやれない。やるとしても、一律減税では目的がはっきりせず、福祉目的などに絞るべきだ」と、慎重論を展開した。
減税反対を明確にしたのが、みんなの党の薬師寺道代氏(医師)だ。「減税は体のよいバラマキだ。雇用や教育、医療介護の体制を整え、生活の不安を取り除くのが第一で、順番が逆」と、ズバっと語った。一方、共産党推薦の土井敏彦氏(医師)は「生活が苦しい中、減税が期待されていると思うが、私は国民健康保険料を1万円引き下げる形での減税をしたい」との考えを示した。
5人の立候補予定者は皆、冷静沈着に持論を述べ合った。予定者同士で激論を交わす場面はなかったものの、それぞれの主張の違いが明らかになった。なかでも、地方自治のあり方や議会との関係、そして、議会の機能について各人の考え方に違いがみえた。
「議会がチェックのみで、予算提案権などをもたないことが問題だ。議員内閣制を念頭に、議員も予算編成に参画できるようにしたい」
こう語ったのは、民主党推薦の御園氏だ。首長と議会が激しく対立する名古屋市を意識した発言である。議会の機能そのものを変えるべきとの考えだ。御園氏はまた、道州制の先取り(東海連合構想)や県民投票制度なども提言した。
河村市長の辞任により、愛知県知事選は名古屋市長選と市議会解散を問う住民投票のトリプルになる予定だ。こうした政治日程を作り上げた河村市長は大村氏とタッグを組み、トリプル決戦に臨む。これに対し、民主党は知事選に御園氏を擁立し、名古屋市長選には石田芳弘衆院議員を担ぎ出した。御園―石田コンビと河村―大村連合の全面対決となった。
石田氏は元犬山市長で、4年前の知事選で民主党から出馬して惜敗。今回の知事選にも意欲を示したが、民主党内の候補者選びで御園氏に敗れた。その後、市長選の候補擁立に奔走する民主党市議団などから出馬を懇願され、国会議員から市長への鞍替えを目指すことになった。そんな石田氏の持論が「議会内閣制」である。議員が執行部に入り、予算提案権も持つという議会改革案だ。
タッグを組む相手が未定なのが、自民党県連推薦の重徳氏だ。重徳氏は「県がどちら(国か市町村か県民か)を向いて仕事をするかが大事だ」と語り、議会とは「シナリオをなくし、ぶっつけ本番で丁々発止する関係にしいく」と意欲を示した。議会改革は制度改革よりも運用改善からという考え方だ。また、愛知、岐阜、三重三県による「東海三県合体構想」を示している。河村―大村連合が提起した「中京都構想」を意識したものと言える。
「議会の立法機能を強化するには、サポート体制を充実させることが必要だ。県民の意思を吸い上げるために常設の住民投票制度も」
こう語ったのは、大村氏。自民党の県連会長を務めていたこともあり、大村氏は「県議の仕事ぶりを評価している。県民に(仕事ぶりを)知ってもらうためにオープン化が必要だ」と、議会との融和姿勢を示した。盟友の河村氏との違いが現れていた。
議会や県庁の現状を最も厳しく捉えていたのが、みんなの党の薬師寺氏だった。歯切れよくズバズバとこう指摘した。
「地域主権には議会改革が重要だ。県に権限や財源が移っても、県議会が国会並みの機能を果たせないと意味がない。そのためにも議員にもっと勉強してもらう。住民にも能力のある人に一票を入れていただきたい」
薬師寺氏はさらに行革について「議員の数を減らし、公務員の数も減らす。予算規模も減らす。県庁は多くのものを抱え過ぎた。名古屋市内選出の県議(33人)も必要なのかどうか。知事報酬は3割カット、ボーナスなし。議員報酬も3割カットで、ボーナス5割カット」と、明言した。
5人の立候補予定者は自らの政策や理念、持論を精一杯語った。各人各様ながらも傾聴に値するものばかりだった。しかし、5人の間での質疑応答がなく、物足らなさが残った。
さらに、もう一点。公開討論会に陰の主役が存在していたように思えた。河村たかし市長である。討論会で論じられたテーマは、減税や地域経済政策、地方自治のあり方や議会改革など。いずれも河村市長が問題提起し、議論を呼び起こしたものだ。
市議会リコールを主導し、さらには知事選挙対策で市長を辞任する河村市長の一連行動に、「市長として無責任」との批判がある。
確かに、大義なき辞任は行政のトップとして問題大ありだ。しかし、河村氏の一連の破天候な行動が、名古屋や愛知の政治のあり方や枠組みを大きく変えるきっかけとなっている。地域全体の政策の方向性についても同様だ。さらには、住民の地方政治や行政への関心を飛躍的に高めたことも間違いない。市長として役所改革に取り組むよりも、政治家として地域政治の改革に取り組むことを優先しているといえる。名古屋市民や愛知県民がそれをどう評価するかである。
来年2月6日に名古屋市長選と愛知県知事選、そして、名古屋市議会解散の是非を問う住民投票がある。その後、名古屋市議選がリコール成立ならば3月13日に、不成立ならば愛知県議選と同日の4月10日に実施される。有権者が1票の重みをこれほど実感できる地域は、広い日本の中でもそうはないのではないか。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!