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第2回「契約までは4時間、ローンチまでは1年間」
■午後2時の契約成立
「ドイツでの最初の話し合いが始まったのが朝の10時、そして午後2時には『わかった、日本での独占販売権を渡すよ』と商談が成立しました」
その間、わずかに4時間。当初、日本での展開を渋っていた創業者達の心をゆり動かした力は何だったのか。
「お互いの思いが同じだったこと、これに尽きますね。これ以上、ITに詳しくない人たちを苦しませて、どうするんだと。ウェブの世界は、もっと簡単でなければならない。誰もが気軽に使える世界にしなければならない。この思いで、激しく同意したというわけです」
日本とドイツの間に距離の隔たりはあっても、高畑氏とJimdo創業者たちのインターネット観は、まったく一致していた。
「インターネットの目的は、的確な情報を、的確なタイミングで、的確な相手に伝えること。これだけです。だから、そのための障害はすべてなくさなければならない。HTMLも、FTPも、サーバも何もかも」
Jimdo創業者たちは、さらに過激な信念を抱いていた。インターネットを使うために、勉強して身に付けなければならないような知識は一切不要。知識ゼロでも、思うように自分のホームページを誰でも、すぐに作ることができる、そのためのJimdoである。
「ここに、こんな文章を入れたい。ここには写真を置きたい。思ったところをクリックしたら、何でもできるのが理想で、そのためにプログラミングの知識が必要などということはあってはならない。これが彼らのポリシーであり、強烈な共感を覚えました」
そもそもモニターを見つめているとき、人の意識はどこにあるだろうか。8割方はカーソルに集中しているはずだ。カーソルは、常に自分の興味のあるところに位置している。これが自然な動きだ。その動きを忠実になぞるようJimdoのユーザーインターフェイスは設計されている。
「編集したいところをクリックしたら、そのまま編集できる。例えばiPhoneなら、何かしたいところをタッチするじゃないですか。あれと同じでカーソルも、何らかのアクションをしたい部分に置かれているわけです。そこで操作すれば、思い通りのアウトプットが得られる。ヘルプを一切見ないで使えるのだから、これはすごいシステムだと感激して日本に帰りました」
ところが、意気揚々ドイツから戻った高畑氏を待っていたのは、社内の意外な反応だったのだ。
■無料サービスの成功事例はない
「レンタルサーバで月額料金をコツコツと、これが当社のビジネスモデルです。だから無料サービスを展開することに対する社内の抵抗感は、強烈でした」
そもそもが望まれてドイツに旅立ったわけではない。独占販売契約を結んだとはいえ、言ってみれば高畑氏の独り相撲である。経営陣も、まさか勝手に契約してくるとは夢にも思っていなかったことだろう。
「取れましたって社内で報告すると『ああ、そうなんだ』って。まあ良かったねぐらいのいなされ方で、じゃあ、これからどうやるのって感じでしたね。なにしろ当時、私の知る限りでは、無料サービスで成功しているモデルなんて日本に数えるぐらいしかありませんでしたから」
特に、高畑氏に風当たりが強かったわけではないが、かといってゴーサインが出るわけでもなかった。たまに話に上れば、出てくる話題は無料モデルの失敗例ばかりである。社内的な苦境を高畑氏は、どう乗り切ったのか。
「無料で、しかもBtoB専門でホスティングをやってきた当社が、経験のないBtoCに乗り出して、成功するはずがない。そんな空気が支配的だったところに、孤軍奮闘、やりましょうといっても風向きが変わるとは思えません。だからじっくり時間をかけました」
高畑氏は腹をくくり、社内調整のための時間を取った。といって一人ひとり経営陣を説得していったわけではない。採った戦略は、社内でのファン作りである。
「私自身がJimdoを初めて使ったときに感動したんです。この感動は、絶対にみんなと共有できる、そう信じていました。同じインターネット業界にいる人間なら、ましてや同じ企業文化の中で生きてきた同僚なら、必ずわかってくれる。そう信じて、みんなにJimdoを体験させていったんです」
その結果、起こったのが社内バイラルである。社内にJimdoファンがどんどん増えていった。Jimdoプロジェクトを立ち上げたい、自分がやってみたい、そんな声が静かに広がっていったのだ。
「とうとう最後には経営層も『このインターフェイスはすごい。結果がどうなるかはわからないが、とにかくやってみよう』とゴーサインを出してくれたのです」
ここまで来るのに、契約後約1年がかかっている。そして図らずも、このときのバイラル体験が、後に高畑氏たちの苦境を救うことになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Jimdo
INSIGHT NOW 編集部/経営戦略
ウェブサイトの完成画面を見ながら、編集できる。究極のWYSWYGはHTMLも、FTPも、サーバも不要。誰でも直感的にウェブサイトを作成できる画期的なクラウドサービス、それがドイツ生まれのJimdoである
第1回 「ブログを読み、国際電話をかけ、ドイツへ飛んだ」
■世界中の人から1人1円ずつ集めれば
「スタッフを増やさずに、売上げを増やすにはどうすればいいか。創業者・山瀬のこの問題意識が、当社の原点です」
KDDIウェブコミュニケーションズ社の前身は、レンタルサーバ事業を手がける株式会社CPIである。しかし、それ以前に山瀬氏は、マーケティングに特化したコンサルティング会社を営んでいた。
「コンサルティングはノウハウが属人的で、しかも時間に縛られるビジネスです。人間1人に与えられている時間は、みんな同じで1日24時間しかありません。売上げを伸ばし、会社を大きくしようと思えば、人を増やすしかないわけです」
しかし、それでは限界がある。では、逆に考えてみよう。人を増やさずともスケールアップが可能なビジネスは、どのようなものがあるだろうか。
「理想は全世界の人から、1人あたり1円ずつもらうようなビジネスです。これなら1人の顧客にかける時間も1円分だけでいい。それでいて60億人にサービスを提供できれば、トータルの売上げは60億円にもなります」
理屈は確かにそうだ。しかし、そんな都合の良いビジネスが世の中にあるだろうか。ここで時計の針を12年分ほど逆戻ししてみよう、今とは違った状況が見えてくるはずだ。今にして思えば当たり前、とはいえ12年前の時点では、先の読める人にしか見えなかったビジネスチャンスが、確かにあったのだ。
「山瀬が目をつけたのはホスティングサービスです。当時はまだ、ホスティングという言葉さえ、ほとんど知られていなかった時代です。しかも当社は、ホスティング事業者としては異例の出自といっていいでしょう」
その頃、ホスティングをいち早く手がけた人たちは、いわゆるインターネットオタクと呼ばれる人たちばかり。すなわち多くの人がまだ知らないインターネットに魅せられ、その素晴らしさに虜となってしまったギークたちである。
「我々のように、純粋にビジネスモデルを突き詰めた結果としてホスティングを始めた事業者はおそらく、他に少なかったんじゃないでしょうか」
自らのビジネスに対する極めてクールなスタンスは、事業を着実に伸ばす土台となった。ホスティングを開始して10年足らずの間で同社は、独立系としては大手のポジションを固めるにいたる。
「前年対比160%ぐらいの伸びを続けてはいたのですが、ただ日本マーケットの特異性には泣かされ続けました。みんな、ブランドに弱い。だから我々がどんなにコストパフォーマンスに優れたサービスを提供しても、大手ブランドさんには勝てないケースもありました」
どうにもならない悔しさの中で同社は、次なる展開を目指すようになる。
■ブログでJimdoを見つけ、直ちにドイツへ
「ある日、TechCrunchを読んでいるとJimdoについて書かれたエントリーを見つけました。スタートアップ企業を紹介する記事でしたが、読んだ瞬間に、これだ!と電気ショックが体に走りました」
2007年のことである。当時、高畑氏はインターネットのあり方、ホームページの作られ方に疑問を持っていた。これから先のインターネットに対して、漠然とした不安を感じていたのだ
「インターネットが普及して約10年経ちました。この先、未開拓のユーザーはどんな人たちなのかと考えたとき、思い浮かぶのはITリテラシーにあまり縁のない人たちばかりです。おそらくはパソコンさえ、まともに触ったことのない人たちを、どうやってネットの世界に招くのか」
確かに、一昔前と比べれば、ネットの敷居はずいぶんと低くなってはいた。mixiが新しい世界を開き、ブログを書く人もどんどん増えていた。
「しかし、きちんとしたホームページを作ろうと思うと、そこにはいくつも障壁がありますよね。HTMLを書けること、FTPを使えること、サーバについての理解も必要。こうしたハードルを、すべてぶっ壊すパワーをJimdoに感じました」
Jimdoに、他の日本企業がアプローチをかけたらどうしよう。焦燥感に駆られた高畑氏は、記事を読み終わるとすぐにドイツへ国際電話をかけた。電話に出たのは、Jimdoの創業者。当時25歳ぐらいの、3人のドイツ人だった。
「ぜひ当社でJimdoを扱いたい。ついては会って話をしたいと告げたのに、なぜか相手は乗ってこない。彼らはどうも日本のことがよくわからないみたいで、同じアジアに出るのなら人口の多い中国だろう、ぐらいの意識しかなかったのです」
局面を打開したのが、KDDIブランドの力だ。CPI社は、当時既にKDDIグループに参加し、社名もKDDIウェブコミュニケーションズと変わっていた。KDDIといえば、日本を代表するブランドである。
「それなら会ってみようかと話は進み、すぐにドイツに飛びました。もっとも社内的には合意はまったくとれていなかったんです。ただ当社にはベンチャー魂がしっかりと根付いていて、おもしろそうだからとりあえず話を聞いてこい、ぐらいのことはトップから言ってもらえたんですね」
ところが話はとんとん拍子に進み、創業者たちと初顔合わせをした、まさにその日のうちに、KDDIウェブコミュニケーションズ社が日本での独占販売権を手にすることになった。
「実はそれからが大変でした。何しろサービスをローンチするまで、ほぼ丸一年かかりましたから」
高畑氏を待ち受けていた障害とは、一体何だったのだろうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%80%A7%E9%85%92%E9%80%A0
上善如水 Skin Care
http://www.jozen.co.jp/cosme/products_skincare.html
*酒蔵のつくるスキンケア化粧品
「杜氏さんや蔵人の手は白くてきれい。」
「酒風呂に入ると肌がすべすべする。」
昔からまことしやかに言い伝えられてきました。
白瀧酒造では「日本酒の秘めた力をより多くのお客様に知っていただきたい。」
その思いから、酒造りに適した環境と酒造技術を生かして、
お米の発酵成分を原料とした基礎化粧品の開発に取組んできました。
テーマは「美肌力の向上と安心して使用できる品質」。
開発とテストに多くの時間を費やし、多くの失敗を積み上げた結果、
優れた保湿力ともぎたての果実のような芳香、
優しく爽やかなつけ心地のスキンケア化粧品ができました。
*清酒「上善如水」の話
白瀧酒造の創業は安政二年。
ペリーが来日して日米和親条約が結ばれた翌年のこと。
越後と上州を結ぶ三国街道湯沢宿(現在の越後湯沢)で酒造りをはじめ、
街道を往来する旅人や馬方を相手に酒をふるまったことが蔵のはじまりです。
「上善如水」とは、
2500年以上前の中国の思想家・老子の言葉で、
「もっとも理想的な生き方(上善)は、水のようである」
という思想です。
私たち白瀧酒造は、この老子の思想に重ね合わせ、
「最良のお酒は限りなく水に近づく」と考えます。
そこで、雪解け水のように清らかで、どんな料理にも合い、
日本酒を飲み慣れた人はもちろん、
初めて日本酒を飲む人にも親しんでもらえるような、
柔軟性のあるお酒を作りました。
「上善如水」。
澄みきった水の如き日本酒です。
越後湯沢は雪国新潟の中でも名うての豪雪地として知られ
厳寒期の積雪は見上げるほどに。
この寒さと雪が酒造りの大敵となる雑菌の繁殖を抑え、よい酒を造る手助けをしています。
その雪も春の訪れとともに溶けて水田に恵みを与え、良質な米を育みます。
この自然の恵みを活かして造られたお酒が「上善如水」。
1990年の発売以来、フレッシュな香りとで軽やかな味わいで多くの
女性のお客様に愛されてきました。
選りすぐられた酒米、雪国越後湯沢の清らかで軟らかい水、
凛として澄み渡る空気、そして蔵人の発酵技術。
「上善如水」は白瀧酒造でしか造ることのできないお酒です。
*天然の保湿成分アミノ酸
重労働にもかかわらず杜氏や蔵人の手が白くてすべすべなのはよく知られた話。
その理由はお米の発酵成分「コメ発酵液」の働きです。「コメ発酵液」には角質層の保湿因子NMFの主成分である天然アミノ酸が豊富に含まれています。アミノ酸の分子はコラーゲンの3000分の1。素早くお肌になじみ角質層にたっぷりと水分を与え潤いとハリのあるみずみずしいお肌に導きます。
*コメヌカと酒粕
日本酒造りで不要となるものが2つあります。
ひとつはコメヌカ、もうひとつは酒粕。
これらの副産物には優れた抗酸化力と日焼けによるシミやそばかすの発生を防ぐ成分が含まれています。
お米と日本酒の持つ力を余すことなく引き出すよう、多くの製品にコメヌカと酒粕の抽出エキスを配合しています。
*良い水から良いスキンケア
”良質な水を使い、水の良さを生かす。”
白瀧酒造の酒造りの哲学はスキンケアにおいてもなんら変わりはありません。
酒造りに使用する水は、雪国越後湯沢に降り積もった雪が長い時間をかけて地中にしみ込んだ清冽で豊富な地下水。ほんのり甘く軟らかなその水は「上善如水」の酒造りに欠かすことのできない存在です。「上善如水スキンケア」はこの仕込み水を使って作られています。
*しっとりさらさら
しっとり潤うのに表面はサラサラ。
リュウゼツランの一種「月下香」の花弁から抽出した成分がお肌の表面に保湿バリアを作ります。保湿バリアの内側は手に吸いつくようにしっとり、外側は乾燥からしっかりお肌を守ります。下地クリームやファンデーションとの相性もよく化粧崩れしにくいスキンケア化粧品です
ちふれ化粧品
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%B5%E3%82%8C%E5%8C%96%E7%B2%A7%E5%93%81
【トップ直撃】時代が必要とするものを作り続けていく 松井弘之氏(フジサンケイZakZak:4月19日)
http://tinyurl.com/y37urz9
「低価格で高品質」だけではない?
ちふれ化粧品の成長が著しい。「2003年度の売上高は78億円でしたが、08年度は約1.5倍の120億円、09年度は130億円規模まで伸びそうです」と社長の松本氏がインタビューに応えている。
「化粧品が高いのは、化粧品会社が努力していないからだと思います」代表取締役社長・松井弘之がひとこと言い放つ、「ちふれ化粧品」のCM。「その企業が努力しているかどうかは、価格に出ると思います」とも別バージョンでいう。CMで紹介されている同社の美白化粧水は1,155円だ。
「SAVE WOMAN」キャンペーンで、女優・「りょう」をCMのタレントとして起用しコンセプトを伝える。さらに全国47都道府県のリアルなユーザーの生の声でCMを続々と作り続けている。
同社の前身は低価格高品質の「100円化粧品」にチャレンジしていた企業であった。1962年のことである。67年に広告を一切掲載しない中立的な製品テストを行うことで有名な雑誌「暮しの手帖」に、大手メーカーの高額商品との比較記事を掲載。品質に大差がない結果出たことをきっかけに、日本最大の婦人団体「全国地域婦人団体連絡協議会」との組織的な販売斡旋を前提とした提携が決まり、同会の名称にちなんだ「ちふれ化粧品」としてスタートした。
その際、製品の全成分の構成内容や比率を表示し、品質の透明性を保つことと、低価格販売のために広告宣伝費を極力抑制することを大方針としたという。(Wikipedia参照)
同社設立の経緯からすれば、2003年のCM解禁は大きな方針転換であったことは間違いない。しかし、それは「やらねばならなかった改革」であったようだ。
前掲(Zakzak)のインタビューで<「8年前、弊社の商品のイメージについて調査をしたことが大きな転機になりました。調査で分かった商品イメージは、『知っているけど使いたくない』『安かろう悪かろうの商品なのでは』とかなりネガティブな内容ばかりで…」>とそのきっかけが明かされている。
イメージ改善はCMだけに止まらない。さらに、新たなイメージを浸透させるチャンスにおいて、ブランドのロゴを『ちふれ化粧品』から『CHIFURE』に変更したという。
化粧品の口コミサイトを見ると、「低価格高品質」である点を評価する書き込みがほとんどだ。イメージ改革戦略が確かに成功をおさめ、同社の成長の原動力となっていることがわかる。
同社は顧客支持を集める「低価格高品質」をどのように実現しているのか。広告宣伝費は上昇しているはずだ。それをどこで吸収しているのか。
6年間で1.7倍に成長していることから考えれば、規模の経済と経験効果が働いているであろうことが推定できる。工場設備、研究開発、広告宣伝などの固定費は生産・販売数量が多くなれば、単価当たりの比率は低下する。工場や販売に関わる人件費は生産・販売数が多くなれば効率化され、経験効果としてコスト低減をもたらす。他にも原材料の調達や、配送コストなどもいずれも規模化することで高効率になる。
バリューチェーンで考えれば、キーワードは「規模化」ということになるが、その実現がどれだけすごいことか、もう一歩踏み込んで考えてみればよくわかる。
日本市場は少子高齢化が顕著だ。数年前から始まった、男性人口の減少に続いて、今年、女性人口も減少に転じたとニュースで報じられた。市場のパイが縮小するということは、当然のことながら、競合との顧客の取り合いになることを意味している。その市場環境においては、いかに市場と顧客の動向、ニーズに敏感に対応できるかが生死を分かつのだ。
同社が方針転換をした2003年とはどのような時代であったのか。
1991年のバブル公開以降、93年から2003年までは、いわゆる「失われた10年」と呼ばれる時代だ。景気が循環し、2002年2月から2007年10月までの69ヵ月は過去最大の景気拡大期間にあったが、実質GDP成長率は過去の好景気に比べ低調で「実感なき好景気」といわれていた。
消費者はどう変化したのか。消費スタイルが「賢い消費」「堅実な消費」に向かったのだ。同社にとってはまさにフォローの風が吹いている時代だといっていい。
顧客層の人口動態の変化も重要だ。
40代半ばの筆者と同世代、もしくはもう少し上のもっともバブルを謳歌した世代の女性に聞くと、確かに同社の印象は「安い化粧品」とひとことで語られる。「学生時代にお金のなかった頃に使った。」「オトナの女の使う化粧品ではない。」などなど。
高額なものが尊ばれ、価格の安さはともすれば購買を忌避する要因にもなった時代ならではの意見だ。しかし、その世代は年齢が上がり、もはや興味の対象は「アンチエイジング化粧品」に移行している。「うるさい世代」がターゲット年齢からいなくなったからこそ、本来の「低価格高品質」を訴求する最大のチャンスであったのは間違いない。
市場環境・顧客の変化を捉え、従来自ら「禁じ手」としてきた方針を一気に転換して規模化を図る。その、舵を切ってアクセルを一気に踏み込む決断を下すのは、言うは易く行うは難しである。
「化粧品が高いのは、化粧品会社が努力していないからだと思います」「その企業が努力しているかどうかは、価格に出ると思います」「努力」という言葉が繰り返し語られているが、その「努力」が実を結ぶのは、適切な経営判断に基づいて「低価格高品質化粧品市場」という独自のドメイン・戦いの土俵を築くことができたからである。
うち手をいくつもダラダラと積み重ねるのではなく、「決断」するタイミングで一気呵成に市場に攻め込むことの重要性を「ちふれ化粧品」の成功から学びたい。
化粧品各社が相次ぎ、最高級ラインのスキンケア商品を強化している。カネボウ化粧品は11月、10万円を超えるクリームなどを投入するほか、ポーラも9月から1万~2万円台の商品を発売する。消費不振や少子化の影響で化粧品市場は頭打ちの状況が続いているが、アンチエイジング(抗加齢)に対する意識が高まり、高価格品でも売れ行きが伸びていることに対応する動きだ。
カネボウ化粧品は11月に、最高級ブランド「インプレス」から、クリームや乳液など3品目(2万1000~12万6000円)の最高価格ライン「グランミュラ」を発売する。肌荒れ防止や美白に効果的な独自成分のほか、海藻や植物に由来する保湿成分をぜいたくに配合。肌にハリや潤い、透明感などを与え、アンチエイジングに役立つという。
インプレスは2006年に発売され、最近まで年間2けた成長を続けている。同社では「価値で勝負し、受け入れられている」とみており、グランミュラについては初年度7億円の売り上げ目標を掲げる。中国などアジアでも展開する予定だ。
ポーラは9月、最高級シリーズ「B.A」に、洗顔料や乳液など4品目(1万500~2万1000円)を加える。加齢などによって肌でタンパク質と糖が結合する「糖化」で蓄積する老化物質が肌の衰えにつながることに着目。糖化に対応する独自の成分で、肌に透明感や弾力を与えるとしている。昨年10月に発売したクリーム(3万3600円)が好調だったことから、ラインを大幅に強化する。日本での発売後は、ロシアなど海外でも販売を開始する。
高級化粧品では、資生堂も08年9月に発売した最高級ブランド「クレ・ド・ポー・ボーテ」の最高価格ライン「シネルジックライン」が好調だ。クリームやせっけんなど9品目(9975~12万6000円)で、09年度の売り上げは前年度比約3割増。昨年は中国や米国など8カ国・地域にも投入した。
調査会社の富士経済によると09年の高価格帯化粧品(6000円以上)の国内市場規模は、前年比1.7%増の5937億円と伸長した見込み。
スキンケア商品などでは「アンチエイジング効果を中心に高品質・高機能製品が需要を集めた」としており、各社の高級化粧品の品ぞろえ強化が今後の市場活性化を牽引(けんいん)する可能性がある。(中村智隆)
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